スイスの旅 14 「シャモニー」
スイスの旅 5 「ユング・フラウ・ヨッホ・トレッキング」
良い動画をありがとう!
標高3454メートルにある鉄道駅-スイス・ユングフラウヨッホ
6月30日(月)
小さいけどいいホテルでした。
次の間付きで、さすがに心のこもったホテルでした。
オーナー直々迎えてくれました。
感謝!
左側にあるのが、城壁です。
wifeと一緒に登ってきました。
歩きました。
これが、外敵を防いだのだと思うと感無量でありました。
まるでおとぎ話のような町です。
聖ヤコブ教会が見えます。今はプロテスタントになっています。
ヤコブのことは、Bible通算7回読了した愚生には、心に迫ってくるものがありました。
やはり西洋文化、文学、哲学は、Bibleを読んでいないと語ることができないものが
あります。本当に。ドストエフスキー理解には必須でした。学部時代に卒論で扱った
からであります。
ホテルの部屋でありました。
次の間がありましたので、オレは次の間で寝ました。
鼾がモーレツですので。
(>_<)ゞ
あははっははっはははは。
これで終わりです。
長いことおつきあいいただいて感謝します。
今回の旅行は、動画を主体に写してきましたので、この程度で勘弁をしてくだされませ。
動画を編集して、Youtubeにのせてみたいと思っておりますので。
動画は、4時間程度あります。
まったくマジシャンみたいでしたよん。
右手にデジカメ。
左手に、動画専用のカメラを持っていましたので。
それに、充電器と、変圧器も持参しましたから、無制限にとれました。SDカードも
相当枚数を持参いたしましたし。用意周到ですなぁ~相変わらず。
(*^O^*)
いい旅でしたよ。
また行くけど。
旅行のご同行さまたちから誕生祝いをしていただいた時に、
年齢はいくつか?と質問されて告白した「23歳」のwifeと。
あははっははっははっはははっははっはの「ハ」
(^_-)-☆
6月29日(日)
ふうううううむ・・
エディプスコンプレックスのことを考えてしまったです。
この城は、父親に負けたくなかった息子が作った城ですから。
ウキペディアより引用
ノイシュヴァンシュタイン城(ノイシュヴァンシュタインじょう、標準ドイツ語: Schloss Neuschwanstein、アレマン語: Schloss Nuischwanschtui、バイエルン語: Schloss Neischwanstoa)は、ドイツ南部のバイエルン州バイエルン・シュヴァーベン地方にある城である。オストアルゴイ郡フュッセンの東南東方向(直線距離にて約4km)に位置する。バイエルン王ルートヴィヒ2世によって19世紀に建築された。
現在はロマンチック街道の終点として、人気の観光スポットとなっており、内部を見学することができる。所在地はオーストリア国境に近く、近隣には、ルートヴィヒ2世が幼少時代を過ごし、彼の父親が所有していたホーエンシュヴァンガウ城が ある。ノイシュヴァンシュタインという名は、現在ホーエンシュヴァンガウ城のある地にかつてあったシュヴァンシュタイン城にちなみ1890年になってから 付けられた名であり(「ノイ (Neu)」は「新しい」の意)、建設当時はノイホーエンシュヴァンガウ城と呼ばれていた。シュヴァンガウは、「白鳥河口」の意味の地名で、ホーエンシュ ヴァンガウは、上シュヴァンガウ村のことである。
建設の経緯
ルートヴィヒ2世は中世騎士道への憧れを強く抱いた人物で、ワーグナーを庇護し、彼の創作する楽劇の世界に酔いしれた。膨大な額の援助を彼に施し、彼の楽劇を「私たちの作品」と呼んだが、狷介な性格のワーグナーはたとえ有力なパトロンであり国王であったとしても、作品に容喙することを許さなかった。一方、ヴァルトブルク城やヴェルサイユ宮殿を目にしたルートヴィヒ2世は、「私自身の作品」として自分の中世への憧れを具現化するロマンティックな城を造ろうと決意する。このため城全体のグランドデザインを行うよう指名されたのは建築家でも技術者でもなく、宮廷劇場の舞台装置・舞台美術を担当していた画家のクリスチャン・ヤンクであった。ドイツの城館に本来は必ずあるべき小聖堂や墓地がこの城にはなく、玉座を後回しにしてもヴィーナスの洞窟と名付けられた人工の洞窟を造る、実際には総石造りではなく鉄骨製、といった具合で、ルートヴィヒ王の趣味のためだけに建設された実用には不向きな城である。この城は1869年9月5日に建設が開始され、1886年には、なんとか居住できる程度にはできあがった。これ以後、ルートヴィヒ2世は首都ミュンヘンに戻らず、この城に住まうようになるが、その期間はわずかに102日間で、王はベルク城に軟禁されてしまう。
ルートヴィヒ2世はこの城の他にも、リンダーホーフ城、ヘレンキームゼー城の建設を始め、さらにはノイシュヴァンシュタインよりも高い岩山の上にさらに壮大なファルケンシュタイン城を建設する計画をたてており、その上オリエント風の宮殿も建設したいと考えていた。これらの建設費用はプロイセン王国によるドイツ統一を支持した見返りとしてビスマルクから送られた資金などを中心に、ほぼ王室費から支出され、バイエルン政府の国庫とは別会計ではあったものの、王室公債などを乱発して借金を積み重ねた。プロイセンに対し普墺戦争の損害賠償を未だ抱えていたバイエルン政府はこれに危機感を募らせ、最終的に首相ルッツらは、ルートヴィヒ2世を形ばかりの精神病鑑定にかけ、統治不能としてベルク城に軟禁した。その翌日、王は主治医とシュタルンベルク湖畔を散歩中に謎の死を遂げる。そしてルートヴィヒ2世が亡くなった1886年6月13日の時点でノイシュヴァンシュタイン城の工事は未完成部分を多く残したまま中止され、その直後から城と内部は一般公開された。ペラート峡谷にかかるマリエン橋から見るのが美しいと言われている。
ディズニーランドの城
おとぎ話に出てくるような美しさのノイシュヴァンシュタイン城は、ディズニーランドやディズニーランド・パリ、2005年に開園した香港ディズニーランドにある眠れる森の美女の城のモデルの一つとしても知られている[1]
アルペン街道の途中にあったリヒテンシュタイン国城主の城を見上げて。
宿泊先のホテルにて
さすがに家具が重厚です。
フユッセンの街並み。
まったく童話の世界です。
ホテルでのディナー
ホテルのレストランメイドさん。
綺麗でしたなぁ~!
うれしくなっちゃったですよん。
ハイジみたいです。
Busのドライバーさん。
66歳。
second・wifeと結婚したから、まだ働くのだとオレにもわかるように
簡単なドイツ語で云ってくれましたよん。中国語の方が難しいです。
(o゜▽゜)o
ホテルの裏にあった農家風の建物
6月28日(土)
登山列車で一時間
窓がありません!
良い眺めでした。
これでも指定席ですよ。
急坂を登っていきます。
先行車両。
終点の展望台から。
ホルンがでむかえてくれました。
曲は全部動画専用のカメラに納めてきました。
展望台駅。
奥にお花畑がありました。広くて、大きくて、見たこともないような花でした。
テンゴクもかくありなむと思ってきましたよ(^0^)
ガスがかかっていますが、これがユングフラウ(世界遺産)
左端がアイガー
神戸との関わりがありました
花をつまんじゃいけません。
綺麗な女性と、花はつまんではなりませんぞ!
(^0^)
可憐ですなぁ。。。。。。アジサイのような気がしましたケド。違ったかな?
孤高の山でひっそりと咲く秀麗なる花というのもまたいいものであります。
山頂駅にあるレストランのデッキにあったものです。
これわかります?
ワンコのうんち禁止の絵ですよん。
当たり前ですな。
これも模造品
展望台のレストランでした。
ここでもwineを呑みました。
呑んでばかりです。
わははっははっっは。
同じレストランで。
6月27日(金)の宿泊地です。
アイガーが目の前にありました。
感動しましたよ。
ホテルの夕食です。
なんと、ナント、南都、nanto!
wifeのために、
バースディ・ケーキをプレゼントされました。
旅行会社からです。
むろんサーヴィスでした。
いいもんですなぁ~
日本の旅行会社は。
一緒に行った方々から、いくつになったの?と聞かれたので、オレが「今日で23歳になりました」
と申しあげたら、殴られそうになりましたよん。
あははっははっはははっはははっははは。
翌日朝のアイガーです。
アルプスの少女ハイジに出てきそうな救助犬です。
かわいかったなぁ~
高山病寸前の「と~ま君」です。
ぐるじ~!
セントバーナード犬に助けてもらいたかったです。
背景に見えるのが、マッターホルンです。建物はホテルです。
展望台にあった教会。ささやかですが、いいものであります。
ツェルマットの教会近くの墓
花に囲まれた墓です。
うらやましいですなぁ~
死んでも
花に囲まれて・・・・・・・・・・・・・・
絵はがきのようだけど、これ、本当にオレのデジカメで写したのです。
孤高の山ですな。
実に美しいですよん。