房総を開拓した阿波忌部
最近興味を持っているのが、阿波忌部一族である。
日本各地を開拓した一族である。
この一族が房総も開拓したという話を知って、楽しくなってしまったのである。もっとも、この話には真偽の点でいろいろな学説があるということは百も承知である。阿波忌部氏が、日本史上においてどのような働きをしたのかとうことに関しては、注意深く話を進めなければならない。ただし、愚生は趣味で読書しているだけであって、研究者でもなんでもない。そんな道は最初から閉ざされているから、ここは素人の浅はかさで、想像をたくましくて、楽しんでいるだけである。
沖縄も、去年行った熊野も、高野山も、愚生の悪い頭のなかではみんなくっついているからである。
いわゆる柳田国男の云った「海上の道」である。
ロマンあふるる物語ではないか。
千葉県と、紀州とつながっている。あるいは、四国とも。そして、さらに八重山諸島とも。ちょっと北に行ったら鹿嶋ともつながっているっていうことは、愚生のイメージの世界では、実にたのしい世界である。
こんだけロマン溢れる地域はない。千葉県というところはである。
今日は、ここまで書いて、これから居住地の図書館に行ってくる。駄文を書かなくちゃならない。それに原稿おこしもしなくちゃならない。
来月編集会議があるからである。
楽しいもんである。
ちなみに、あまりアテにはできないが、wikipediaから引用してみた。↓
『古語拾遺』には、天太玉命の孫・天富命が阿波忌部を率いて東遷し、房総半島に上陸したとしている。この記述の中で、「麻」の古語を「総(ふさ)」というとし、古代の総国(ふさのくに。のち安房国・上総国・下総国に分立)は東遷した忌部が麻を植えたことによるとしている。また、穀(かじ)の木を生むことにより結城郡が、阿波忌部の居るところとして安房郡(古くは阿波とも表記。のち安房国)が名付けられたとしている。
同書では、天富命は安房郡において太王命社を建てた旨が記され、現在の安房神社に比定される。安房神社では昭和7年(1931年)に海食洞窟が見つかり多数の人骨が発掘され、これを忌部氏に仮託し忌部塚として祀っている。その他にも千葉県域に多くの関係地が残っている[14]。
なおこれら伝承がある一方で、安房に忌部が設けられたという史料等は見つかっていない。そのため、この伝承は東国における中臣氏の勢力と対抗するために、忌部氏が奈良時代に造作したものと見るむきもある[15]。
関係地 安房神社(千葉県館山市) - 名神大社「安房坐神社」。「坐」は天太玉命神社(総氏神)を意識してのものとされる[16]
后神天比理乃命神社 - 式内大社。天太玉命の后神を祀る。論社に洲崎神社と洲宮神社(ともに千葉県館山市。2社で1社とみる説もある)
布良崎神社(千葉県館山市) - 安房神の最初の鎮座地を称する
下立松原神社 - 式内社。南房総市に論社2社。阿波忌部祖・天日鷲命を祀る
遠見岬神社(千葉県勝浦市)