昨日は千葉市へ。歴史講座と古文書講座に参加していた。いつも勉強になる‥脳のリハビリでやっているのだから、効果満点である。それから夜は野球応援。毎回見ている。そうなのだ。ボキは軟式野球の勝てない監督もやっていたのだから。中学校の監督で。懐かしいからだ。もう全然出来ないが。
それに昨日は我が愛車で千葉市に行った。出来るようになってきた。これまたリハビリである。退院してから、教習所に行っていたのだからこれまた効果満点。
出来ないのは柔道のみ。たったの四段だ‥生涯四段。これでいい。
今日は大原幽学センセの墓前祭にいってくる。これまたリハビリ。
良いモンだよ。
毎日毎日リハビリだよん。
柔道のことで思い出したのですが、先日、東北の方ですが、柔道8段の方とお話をする機会がありました。
その方もとーま先生と同じく、元高校の校長先生。ついつい「高校の校長先生は柔道が必須なのですか?」ときいてしまいました。
段位は目標にするのはいいものの、ただ、段位の数の優劣を競うのは生涯学習の目指すところではありませんし、わたしにしてみれば、たったの四段ではなく「四段凄いな~」の四段です。
「持って無い」者にとって「持っている」ことはうらやましく、羨望の対象であり、その点については自覚を持つことが求められます。ゆえに、四段取得までの道のりを認め、生涯四段に対し「これでいい」と判断されたことを尊く思います。その四段でさえ、持ってない者にとっては偉業そのものなのですから。
若輩者のわたしが言うのも何ですが、年をとるにつれ、生き方がどんどん狭まってきます。「そんなことはない、無限の可能性があるんだ!」と言われても、年齢制限のある職種には就けないし、大谷くんのホームランに感動したからと言って、どんなに頑張ってもWBCには出られません。
だからこそ、今を素直に生きることが肝要かと。無理のない範囲で、できることを、普通にやっていく。欲張ったり、サボったりしない。産能大学の創始者上野陽一先生が言うところの「三ム」=ムリ、ムダ、ムラを極力無くしていくことがいいのでは・・・と思うようになりました。
頂いた命、そして生かさている命は、仏教学で学んだ立場からすれば、その命には何らかの意図があり、人生消化試合にすること無く、命を活かしていかなければならないのかと思っています。
人のためであれば尚いいのかしれませんが、自分のためでもいいから頂いた命に意味付けしてあげられればと。
人生の先達であり、教育者であり、仏教学を学ばれたとーま先生に過ぎたことを書いてしまいました。お許しください。これからも、先生のご活躍祈念しておりますが、くれぐれもおからだをお大事になさってください。
感激いたしました。徐々にではありますが、リハビリの効果もできて参りました。ある意味こういうのも欲張りなのかも知れません。