紙芝居紫織屋「五重塔」(語り・川尻亜美)原作/幸田露伴
それこそ「本格的ラジカル・ジー様」は嫌われる
若い人にラジカルなことを依頼すると、ボク(ワタシ)には未来があるから、将来があるからやりませんとなる。たいていそうなる。体験上。過去の話しである。過去。
ラジカルと言ってもたいしたことではない。つまらぬことである。しかも対象はなんでもない。そんな経験をしたことがあったのだ。職業人であったときに。もっとも、ラジカルというのは、昨日のことをちょっとだけ変えるという意味だけで使っているのであるが。これに対して保守というのは、昨日のことを変えない、変えたくないっていう考えの人だろう。ただし、政治的には別である。保守と革新というのは、こういう意味でいうとゴチャゴチャになっている。憲法のことである。ま、政治は嫌いだからこれくらいにしようっと。
今は、在籍大学で、語学の指導をお願いしても、速攻で断られる。留学生にである。そりゃそうだ。私のようなヨレヨレと大学キャンパス内を歩いている爺(これでも学生なんだけど)に中国語でも教えてあげようかという若い人はいない。爺に教えていたら時間がもったいないからだ。それこそボク(ワタシ)には未来があるから、将来があるからやりませんなのだ。なにもタダで教えてくれとは言っていない。有料である。一コマ3000円でとお願いしてみたのだが、かろうじて中国人留学生の男子学生が応じてくれただけであった。去年。数回教えていただいたが、ホントに数回で終わってしまった。年金で暮らしているので、これ以上は払えないし。マイッタっけな。
ま、これももう経験することができない。ありがたかったよん。私の方がいなくなっちまうからだ。だから、感謝感激・雨あられであった。もう二度とこんなことを経験することもないだろう。古女房ドノに堅く禁じられているし。大学に通うと、ゴミ論文を朝から晩まで書いているし、じ~っと(じじ~いっとではない)ボロ机にしがみついて、病気になっちまうからである。
だから隠れてゴミ論文を書いてきた。そうなのである。郷土史の方である。書いたことのある人はわかるだろうが、興に乗ってくると何時間でも書けるのである。だからおもしろいのだ。書いていれば、オノレのミスもわかってくる。とんでもない論理展開をしていることもわかってくる。だから楽しいのである。
私だけの楽しみ、趣味、道楽でしかないのだケド。
昨日、郷土史の方の自称論文をDVDに焼いて、事務局に郵送した。書いた自称論文を印刷して同封もした。字数は、絞りに絞って16700字程度になった。規定では2万字以内となっているから、ま、いいだろうと思った。来月、レフリーで落選する可能性もまだ残されている。けれども、私の生きてきた証である。自己満足であるけど、それもまたよし。
その自称論文の最後にこう書いたのである。以下に部分的に紹介してみよう。
おわりにかえて
本稿であきらかになった点は、以下のとおりである。
鬼来迎と目連救母劇との間になんらかの関連があったということは、地獄巡りや、地獄破り、あるいは地蔵信仰や観音信仰との比較、また目連救母劇との比較によって、これまで看過されてきた鬼来迎の生成過程の一端があきらかになったということができる。
一方、残された課題も多い。そのうち二点だけにふれて、おわりにかえたい。
一点目は、筆者は中国・台湾で目連救母劇を実際に観劇する機会がこれまでなかった。文献資料としては、鄭 之珍著 『皖人戯曲選刊・鄭之珍巻:新編目連救母勤善戯文(中国語) (安徽古籍叢書第二三輯)』 黄山書社を最新の史料として得ることができたが、中国語学習の点でおぼつかなかった。
そのへだたりをどのようにしていくかということは、実地調査として中国福建省・台湾に行くことと、中国語の修得しかないことが今後の大きな課題である。
次に二点目としてあげられるのが、中世日本古典との比較である。関連する文献史料として『日本霊異記』や『今昔物語集』があるが、特に後者については、成立年代の点で先行研究に諸説あり、まだ精査を要する。
筆者自身は、いまだ十分な作業を積み重ねているとはいいがたい。あわせて今後の課題としていきたいと思う。
以上である。
以上終わりとしたいところだが、例によってまたダラダラと書く。
つまり、中国に行けなかったということである。台湾には、3月に行ってくるけれども。福建省に行けなかった。目連救母劇を見たかったが、できなかった。よって、実際に見ていないものを材料にしてあれこれとゴミ論文に書いていたのである。あふぉ~である。だから志半ばで在籍大学を去らねばならないという体たらくを演じているのだろう。バカもほどほどにしないといけない。
郷土史の研究誌にも連続で出していただけるわけにもいかないので、新たな発表の場を模索している。藝能史研究会にもエントリーするつもりである。6月に研究発表がある。しかし、場所が京都だ。
昨日、古女房ドノを誘ってみた。一緒に京都行きませんかって。ついては旅費もあ~たが払ってと言ったら、即、お断りであった。
むむむぅ・・・・・。
これは夜行バスで行くしかないかもしれない。体調を崩したから、きついなぁ。それはきつい。愛車cx5で行く?
冗談じゃない。それこそ途中で死んじまう。
思うに、私はラジカルな爺である。本当にそう思う。日々、変身していきたいのだ。「ヘ~ンシン」をしたいのである。これって、変身願望症とでもいうのかねぇ。昨日のオレは、今日のオレではないっていうのが好きなのだ。まったくどうしようもない。昨日は、昨日。今日は、今日。毎日変化していきたい。変化のない人生なんて、さみしいかぎりである。
ただし、髪の毛は変化しない。相変わらず、フサフサで・・・・はなく、その真逆である。つまり「ハゲ」である。しかも、坊主アタマである。スキンヘッドである。これだからモテないのだ。
わははっはははである。
もっともあれか。明日になったら、フサフサになっていたりして。それこそ「本格的ラジカルジー様」だよん。
さ、今日は朝から晴れている。
Walkingに行こう。
ルンルンと。
楽しいでっせ。これもまた。一緒にやりませんか?と申し上げても、誰もそんなひとはいないのだけれども。
途中の道ばたにいるお地蔵様が、微笑んでくれるだけだ。
ありがてぇもんだよん。
待っていてねぇ~、お地蔵様。(* ^)(*^-^*)ゞテヘヘ
なんでもそうだけど、特に死ぬときには
このところニュースを見ていると、狂気の沙汰としかいいようのない事件ばかり勃発してい... blog.goo.ne.jp/tym943/e/79ed0…
【書評】『バカになったか、日本人』は日本人への最後の通牒 - Infoseek ニュース fb.me/6mC5KI3sY
安倍首相が現時点では決して憲法改正を国民投票にかけぬ理由 - Infoseek ニュース fb.me/7dT0jTeX5
なんでもそうだけど、特に死ぬときには
このところニュースを見ていると、狂気の沙汰としかいいようのない事件ばかり勃発している。なんという世の中なのだろうと、慨嘆している。事件の当事者には、特に犠牲となった方・その周囲の方々にはお悔やみ申し上げる。また、加害者には私も怒りを感じる。
このような事件、事故からいろいろと考えることもまた大切なことである。
政治的な事件はここでは割愛したい。外国との関係で、今、重大な事件が起きているから非常に憂慮していることがあるが、まだ書かない。無事を祈るだけだ。関係者の。
私にとってその次くらいに重要なのは、高齢者の高速道路逆走の事件・事故である。他人事ではない。原因をいくらさぐっても、わからないだろうと思う。なぜなら、逆走をした高齢者は、逆走をしたということそのものが意識にないからである。危険であるからというよりも、それ以前に意識がないということの方が問題である。
つまりそれだけ、脳の働きが衰えているのだ。意識は、心臓にあるのではない。意識はあくまで脳の働きであって、考えないから無意識で行動することになる。それが高速道路逆走になるということなら、非常に怖い。批判しているのではない。誰しも、そうなる可能性があるからである。爺や婆になると。
衰えるということはそういうことなのである。
だから、脳を鍛えることだ。
なにも、今流行の「壁ドン」を、頭突きでやれと言っているのではない。前頭部をいくら鍛えたって、逆に脳を揺さぶって、私のようにバカになるからやめた方がよろしい。
違うのである。私の言っているのは、脳の中身を鍛えたほうがいいということである。それには、生涯学習をやるべしとお勧めしたい。若いときからチャレンジされた方がいい。なにも大学に通いたまえと言っているのではない。さらに、言えば仕事を休職してやればいいと言っているのでもない。仕事をしながら、通信教育で十分である。
なぜか。
学問はそもそも独学であるからだ。自分がやりたい、学びたいっていうのがないと話にならないからだ。さらに言いたいことがある。それはアウトプットである。知識ははき出してこそものになる。まったくそのとおりである。試験がそうではないか。あれは、学んだ知識をはき出す格好の機会である。
実は拙ブログもアウトプットのためにやっている。いろいろと考えてみたことをまとめるのに実にいい。生涯学習をやっている、いられるのもブログがあるからである。全国に生涯学習仲間がいて、お互い切磋琢磨できるし。これがあるから、まだまだ続行可能なのである。
この4月から、千葉県の老人大学(健康福祉部高齢者福祉課の主管)、名前は生涯大学というのに入学して、毎週火曜日に通学する。中身はなんでもいいのである。友達を作るためだけに行く。水曜日は、古文書講座に行く。木曜日は別の大学で講師をしてくる。金曜日は空く。在籍大学とはおさらばだからである。それに、塾の講師を火曜日と木曜日にやる。たった一コマだけである。それだけである。
しかし、それだけであるが、なかなかアタマの訓練にはなる。塾の講師が一番訓練になる。
数学と英語が一番いい。アタマの訓練には。数学は完全に専門外であるから、ノートをとりながら自習している。ノートも、もう5冊目である。代数、幾何、関数とかいろいろわけて、復習をしている。毎日やっている。これが楽しくてたまらない。
英語も英作文と、英文解釈の大学入試問題をやっている。こちらも毎日解くのである。
つまりアウトプットである。
なんだか、段々若くなっているような気がするのだが、古女房ドノに言わせると、ただの妙ちきりんな爺としか言わない。そのうち、どうせ死ぬのだろうから、なにも焦る必要もない。
そうなのだ。
もうすぐ私は、お亡くなりになるのである。予定日はまだわからない。産まれたときは、予定日があったそうだが、死ぬときに予定日はない。これは不都合である。なぜ死ぬのに予定日がないのか。
墓も用意して、葬儀会社に連絡して、準備万端整ったのに、肝心かなめの私が、ぴんぴん生きて居るということもあり得る。
予定日というのは、それほど不都合なことなのである。
まだまだ、世間様には迷惑をかけながら、生きているつもりではある。しかし、死ぬのだけはわからない。今日か明日か。それもわからない。意識を失ったら、それっきりである。
自分が誰だか、意識を失うとそれもわからなくなるからである。
おおおおおお~怖い!
今日は、朝からシトシトと雨が降っている。
得意技のwalkingもできない。なにしろ毎日二回、午前と午後にやっている。カコチャン神社にも行けない。
マイッタな。
こういう時は、居住地にあるショッピングセンターの駐車場の階段を上り下りするか。図書館にも歩いて行っていたが、今日は愛車cx5で行くしかないようだ。郷土史の原稿の最終点検をして、DVDで事務局に送付しなくてはならない。
さらに、2月5日までに学事出版に原稿を送らなければならない。教師の講話・説話集というのに毎年書かせていただいているからである。原稿料は書籍購入に回る。これが一番ありがたい。なにしろ年金生活者である。日々の暮らしが大変なのである。霞を喰って生きて居るわけではないからだ。しかも、今日、年金の額が減額されることが政府によって決定されるとのことだ。マイッタな。マイッタ。爺・婆いじめだよん。
さ、これくらいにする。
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歯科医は絶対選ばない!実は「役に立たない歯ブラシ」の特徴3つ - Infoseek ニュース fb.me/4tIPzb5Y3
邪魔されているのだったら、去ればいいのである
今朝は寒い。
マイッタな。寒いと血圧が上がる。事実、今朝はちょっと高... blog.goo.ne.jp/tym943/e/44e21…
高徳院阿弥陀如来坐像(鎌倉大仏):鎌倉の大仏として知られる本像は、『吾妻鏡』に1252年造立の記事がある。礎石跡の残る大仏殿は15世紀末の明応地震(推定マグニチュード8.6)で生じた津波で流失した。 pic.twitter.com/R5rzWbOp62
本日は、社会人入学試験(後期日程)・留学生入学試験(後期日程)・編入学試験(後期日程)・社会人編入学試験(後期日程)です。受験生の皆さんの実力が発揮されますように。
龍谷大が「文化遺産学専攻」を来春新設 文化財保存の専門家育成へ - 産経ニュース sankei.com/region/news/15… @Sankei_newsさんから
【白竜湖伝説②】南陽市。白竜湖に面した東正寺に、眉目秀麗な若い僧がいた。僧が湖の向かいの金沢へ法要に行った折に金沢の娘が彼に惚れ、何とか僧の嫁になりたいと願ったが、思いは遂げられず、湖に身を投げた。娘はやがて白い竜となって天に昇った。
当館は本日も朝9時から夕方17時まで開館しております。ただ今松平家史料展示室ではテーマ展「お姫さまの美」を開催中です。越前松平家の姫君達が愛用した煌びやかな御道具や御召し物を展示しておりますのでぜひお越し下さい。 pic.twitter.com/d7aymwMjt6
#放送大学 は教養大学で放送業務のことは教えていません。 @LEO_TownaceNOAH @DJ_TARO
大学の事なんですが、例えば、J-WAVEの総務職を狙う場合でも やはり 放送大学とか 放送の専門系大学へ進学した方が有利でしょうか? 教えてください(^^;
朝稽古だん。足の腫れは引きつつあります。歩くのはもう支障ありませんが、スキー靴に足を入れるのって、ふだんでも相当痛いんですよね。あれに耐えられるか・・・でも、明日の労苦は明日みずから思い煩わんです。はらへた。
お待ちしています。 @starting_signal 放送大学の資料請求して、今日届きました。さっそく中身を拝見…社会人でも大丈夫なのか不安 #放送大学
急かされて書く。非常によくわかります。 QT @akyo2301: 学生からするとあれを授業最後に配られてせかされて書くのも面倒なものです。それに教員は本当に参考してるのか、透明性がないように感じます。
お待ちしています。 @_nemuri 今年一年は放送大学の選科履修生で通信教育の要領をつかみ、上手く行きそうだったら放送大学で心理学を学び、その後哲学を日大通信で学ぶ(この辺りはほとんど未定)……という方向で家族と話し合いました。後日支援センターの方とも面談する予定。 #放送大学
「神秘的」と「不条理」とはおなじ意味ではありません。私たちの中にある予感に刺激をあたえ、生命をあたえるもの、それが神秘的なのです。そしてそういう予感の能力から突然、創造的なプロセスがはたらきはじめるのです。 『闇の考古学』
回数をこなすしかありません。 @hgot07 プレゼンテーションで淀みなく流れるように話せる人は本当に羨ましい。あれは訓練だけで得られるような気がしない。普段から詰まりまくり、噛みまくりの自分は、放送大学の講師みたい なのは 務まらないだろうな_('、3」∠)_ #放送大学
29歳・元会社員、私は猟師 命を食べる大切さ伝える - 朝日新聞デジタル t.asahi.com/h4np「普段口にする食肉はどうやって「肉」になっているのか。29歳の女性が自ら猟師となり、「命を食べる」大切さを伝えている。」。
放射能お化け論への反論は、島薗先生の反論が一番良いよね。前提として施策側(行政・企業・大学)の政治的に不誠実な対応が積み重なっている事が問題なのよ。そこを無視する不誠実さが問題 RT @Shimazono @hori_shigeki twitter.com/Shimazono/stat…
上海博物館の「糸路梵相―新疆和田達瑪溝仏教遺址出土壁画芸術展」 点数は多くないがタマゴウ(達瑪溝)トゥプルク(托普魯克)遺址の地方色豊かな壁画。図は眼鼻の作りがずれている8世紀の千手観音。中国の女性が突然日本語で「とてもきれい」の評。 pic.twitter.com/cKVdHofxaL
【美しき武将 戦国アニキの秘密~長宗我部元親 信長・秀吉と戦う~】nhk.or.jp/historia/backn…
参考文献
『証言 本能寺の変』(藤田達生 八木書店)
『歴史群像 長宗我部元親 四国の雄・三代の栄光と苦悩』(学研)
『人物叢書 長宗我部元親』(山本大 吉川弘文館)
上海博物館の「周野鹿鳴―宝雞石鼓山西周貴族墓出土青銅器」 陜西省から2013年十大考古の斬新な青銅器。メトロポリタン美術館からも縁の祭台「禁」セットを借り見ごたえある展示。出色は親子の鹿。 shanghaimuseum.net/special/zylm_2… pic.twitter.com/sZyAgFWARc
CiNii 論文?-? 鎌倉由比ヶ浜埋葬人骨および獣骨の地球化学的研究(第19回名古屋大学年代測定総合研究センターシンポジウム平成18(2006)年度報告,第2部) ci.nii.ac.jp/naid/110007150… #CiNii
“@tmaita77” RT @nhk_shutoken 【あす30日(金)の金曜eye】「単身高齢化社会 “ひとり死”への備え あなたは」総合テレビ午後7時30分~、関東甲信越で放送です。“孤独死”ではなく“ひとり死”。詳しくは→ nhk.or.jp/shutoken/eye/
邪魔にされているのだったら、去ればいいのである
今朝は寒い。
マイッタな。寒いと血圧が上がる。事実、今朝はちょっと高かった。毎朝測っているからである。趣味のようなものだ。朝晩必ず測る。そして、血圧手帳にメモする。この手帳はタダでもらえる。そこに体重も毎朝測ってメモする。今朝は、67.9キロになっていた。ダイエット効果があった。毎日のwalkingのせいである。飲酒も止めたから効果があるのだろう。食事も、相当気を付けている。一回の食事に20分はかける。そう時間制なのである。早食いはよくない。早食いをすると太る。咀嚼数を30回というのも守っている。
ある意味、徹底している。頑固なんだろう。爺になると、自分で自分に規制をかけないと、暴発する。
つまりラジカルになってしまうのである。
しかし、気を付けないとクレーマー爺になってしまう。リタイヤ後も「競争・指導」する相手を求める老人になってしまうのだ。例をあげよう。インターネットで「高齢者クレーマー」と入力するといくらでも出てくる。笑っちまうくらいに出てくる。
「なんだ?その目つきは」
「歩き方がなっていない」
「アタシャ、ユーザーだ。もっと顧客を大事にせよ」
「こっちがしゃべっているのに、なんで黙っているのだ?」
「おつりの渡し方がなってない」
「お前の店で買ったクーラーを付けていたら熱中症になったから返品したい」
「この試供品をビニール袋一杯にくれ」
「お惣菜のパックに割引シールを貼ってくれ」
「この店の設計が悪いから足をぶつけた。痛いだろう!」
「サービスがなってない」
「こんなところに商品を積んでおいてはいけないな。危険じゃないか。ほかに倉庫を確保すべきだね」
「そろそろ品揃えのリニューアルが必要じゃないか。テナントも代わり映えしないな、選考したほうがいいな」
「お前じゃ話にならん。社長を出せ!」(*出典 NEWSポストセブン|団塊世代クレーマー目立つ リタイア後も相手の論破を試みる等々)
以上である。以上終わり。
とやりたいところだが、私だって他人のことは言えない。だからもうちょっと書く。つまり我がことなのである。
高齢者クレーマーというのは、こころの闇を抱えているのである。愚痴をきいてくれる相手もいないし、サラリーマンだった時代から抜け出ていない。職業人だったころの役職から離れていない。さらに、サラリーマンだった時代の後輩たちは、退職した人間のことなんか知っちゃいない。相手にしたくないのである。うるさいだけである。
そこのところが分かっていないのである。
邪魔にされているのだったら、去ればいいのである。これは大事なことだ。私のモットーでもある。人間関係なんて永遠ではない。在籍大学でもそうだ。年若い友人を作ることができたが、在籍大学だって、永遠ではない。人間関係が、である。語学を教えてもらったクラスメイトたちもいたが、もうおさらばである。会うは別れの始めである。だから人間関係は大事にしなくちゃいけない。
学問だってそうだ。
対象を教えてもらって、それから論文を書くのではないのである。大学院がそうだ。方法論を教えてもらうだけである。あとは、自分で考えるしかない。論文はまさか教授が書くのではないのである。自分が書くのである。ここのところをきちんと自覚していないと、教えてくれないから学位がとれなかったというクレームに発展する。
私にいわせるとバカじゃねぇかとなる。もっとも、ゴミ論文しか書けない私では、こんなことを書いてもなんの意味もないが。
なにを対象に論文を書いたらいいかということは、大学院に入ってくる前から決まっていなくちゃ書けるわけもない。
自分で考えることを放棄しちゃいけない。
なんでもかんでも教えてくれというのは虫が良すぎる。虫でもそんなのはいない。独学が大切だというのはそういうことである。友人たちに教わるのもいい。しかし、論文は自分で書くしかない。誰かに書いてもらったのだったら、それはドロボーである。
正味の実力で勝負すべきである。
そして、その正味の実力がないとわかったら、去ればいいのだ。いつまでも拘泥していたらみっともない。
それをである。オレがこんなになったのは、アータのせいだ、オメェのせいだ、社会のせいだ、政治のせいだ、経済が悪いからだ、しまいには親がこんなふうに産んだからだという笑えない冗談になる。
現代は、他罰的である。
自分が悪いと思っている人があまりいない。あまり、である。全部が全部他者が悪いのである。これはこれはいかがなものかと思う。
しかし、人生も末路に至った高齢者たち、団塊の世代が、クレーマーになっていたらどうしようもないではないか。末路に至ったのである。終わりに近づいてしまったのである。それは誰のせいでもない。時間がたったのである。どんなに否定しても、時間は残酷である。
爺や婆になったからといって、鏡を見て嘆いていてもなんの意味もない。
私なんか家の中に鏡すらない。
古女房ドノのはあるが、見ると叱られる。
だから、私は、老いさらばえた自分の姿を知らないのである。
よって、クレーマー爺にはなっていないのである。
良い天気だ。
さ、これからwalkingに行ってくる。近所にある「カコチャン神社」までである。
楽しみ楽しみ。
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それを「傲慢」というのである。
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それを「傲慢」というのである。
鉄道に乗っていると、けっこう人身事故が多い。なぜ鉄道自殺をするのか。迷惑だと思う。亡くなった方には申し訳ないが、鉄道会社に対する遺族の賠償金だって、かなりの額になるだろうに。
なぜ、やるならやるで自然の中ではダメなのか。そういう疑問がふとわき上がった。つまり、鉄道で亡くなる方は、都会人であって自然の中で生きていないのだ。
あるいは、あてつけで死ぬ人もいるのかもしれない。恨みとか、嫉妬とかというのもあるのかもしれない。だとしたら、なんということであろうか。死んでまで、人間世界のことがくっついてくる。なぜ、老衰で、病で死ぬまでさらさらと生きていけないのか。(事故ではたまったもんじゃないけど)
中には、大学に落ちたから死ぬ若者もいると聞く。そんなもんで、なんで死ぬ必要があるのか。大学制度なんて、たかだか100年ちょっとである。戦後の駅弁大学はもっと歴史が少ない。日本では。
あるいは、失恋、解雇等々の挫折という理由。そんなものは、理由にならない。失恋なんて、そんなもので一々自殺していたら、私のようなものは、命がいくつあっても不足する。
解雇だって、そうだ。仕事なんていくらでもある。要するにえり好みしているのである。あるいは、自分にあった仕事を探していたということがあり得る可能性もあるけれども。そもそも、自分にあった仕事なんてない。仕事は仕事。仕事を通して、たとえ微々たるものであっても社会とつながっていって、仕事をやるべきだ。それからである。自分にあうとか、あわないと考えるのは。
それよりも、まずは一旦仕事を引き受けたら半端仕事をしちゃいけないのだ。
サラリーは社会にもらうものであって、自分の能力が優れているからもらえると思っていたら大いなる勘違いである。まず自分があるから、サラリーをもらえるのではない。本気で自分にあった仕事があると思っている人なんかいない。天職なんてあり得ない。そう思っていた方がいい。もうちょっと気楽に自分を捉えることだ。
なんだか、それくらいのことで死んでしまったらいけないとずっと思ってきたからだ。爺としては本当にそう思うからだ。なにも死ぬこたぁねぇ~って、である。マジに。
そんなことを考えていたら、「傲慢なのが近代人の特徴」であるということに思い至った。近代人は、オノレの命なんか自分で左右できるという思い込みがある。自分の命なんだから自分が左右して当然と思っている。それを「傲慢」というのである。
世界は、自分の思うとおりに動いているとも考えているのが、近代人ということだ。
人間なんて、産まれた後から世界に参加させてもらっただけだ。だから世界のことを生涯にわたって学んでいくしかない。それが学校であり、独学である。他人に学ぶということは、そういう意味もある。
オンリーワンより、ただの人であれといいたい。世界で唯一の個性なんて錯覚である。オンリーワンというのは、個性重視の姿勢である。どこまでいっても、人間は個で生きるわけにはいかない。世捨て人ならわかる。山の奥で、一人で生きるというのは、ある意味憧憬の対象である。しかし、本当に個として生きることができるのか。無人島で。山の奥で。永久にである。永久に一人でである。
社会的役割というものを、個性だと勘違いしていないか。社長というのは、社会的役割であって個性でも本人でもない。このことは定年にならないと、なかなかわからないことである。現役時代にはけっしてわからない。ましてや、定年退職して、再雇用をした場合にはもっとわからない。いつまでも、同じ環境で仕事をしていたらわかるわけがない。
個性を見分ける目を、いにしえの人は「人を見る目」と言った。私もまだ「人を見る目」はない。まだまだである。
なぜか。
だまされてばかりいるからである。
それでもいいのだ。
他人を利用することはないけど、誰かのお役にたっていると自覚できれば、私はそれでいいのである。
ただし、財布に関わることではクソの役にも立たない。なぜなら、私はただの年金生活者であるからだ。要するに銭がねぇ~のである。
笑っちまいますな。
さ、これから歯科医院に行かなくちゃならない。
さらばです。
お元気でねぇ~
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御嶽山噴火的中の専門家「太平洋側で地震起きる可能性高い」 - Infoseek ニュース fb.me/2mb36dkde
「歌とダンスで、楽しく戦争反対」 官邸前イベント参加の福島瑞穂氏に「不謹慎」の声も - Infoseek ニュース fb.me/6sTkAC3Ce
そもそも私自身が怪しい爺である
長い間、学校教育でいわゆる教育を受けてきた。
できの悪い懶惰なバカ生徒、バカ学生、バカ院生(修士・博士)であった。そして、それもま... goo.gl/O5J6AS
小泉今日子 「金より義理人情」な芸能活動で“小泉イズム”が浸透中? - Infoseek ニュース fb.me/2FLAMWwzR
購入した。法学部学生にはもっとも馴染みのある芸術家ではないだろうか。/芸術新潮 2015年 02月号「超芸術家・赤瀬川原平の全宇宙」 amazon.co.jp/gp/product/B00…
【迷惑】「コカインでへろへろ」 男が英首相にいたずら電話
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取材に対し男は「俺は酒とコカインでへろへろなんだ」と話した。英政府は恥ずべき失態だとしてセキュリティ対策を見直すとしている。
pic.twitter.com/6qetKOZcUb
人生にはいろいろなことがあります。しかし、悲しいことは忘れ、辛いことはじっと耐え忍んでいきましょう。それがこの四苦八苦の世を生きる唯一の方法ではないかと思います。
想像する力は不断に磨いておかねばならないと思うのです。子どもたちはだれでも、想像する能力を潜在的に持っているのですが、最近の教育はそれを殺すことに一生懸命ですね。とても残念で、不幸なことだと思います。 『欧州知識人との対話』
CiNii 論文?-? <論説> 南北朝初期に於ける政治情勢について : 足利尊氏と新田義貞を中心として ci.nii.ac.jp/naid/120005271… #CiNii
【ナノカビ】旧朝日村。8月7日のお盆の行事である。兄と妹が田守りに行ったところ、大水で二人とも流された。兄が「おーい、一ヵ月一遍ずつ来い」と怒鳴ったら妹が「一年に一遍か」と聞き返したまま離れ離れになった。それ以来、二人は一年に一度しか会えないのだと伝わる。
100RT:【行きたい】「魔女の秘密展 ベールに包まれた美と異端の真実」全国で巡回開催
news.livedoor.com/article/detail…
拷問器具などが出展されるほか、「魔女裁判」の際に行われた「火あぶりの刑」擬似体験コーナーも。 pic.twitter.com/CShUCfbQ4u
作家の赤瀬川隼さん死去。原平さんとわずか3ヶ月違い。野球小説で知られるが、リアルさよりもフィクションの面白さととぼけたユーモアがあり現実の野球に興味がない私にも面白かった。いまの野球小説ってリアルさを追求する作品ばかりなんだよな。
「和装振興議員連盟」会長の伊吹文明事務所に抗議(03-3508-7615)
「国民が殺され、命の危険にさらされてるのに、七五三や入学式じゃあるまいし、晴れ着で笑顔の記念撮影とは狂っている。謝罪を求める」
男性秘書氏「そうですか…」と。 pic.twitter.com/O2YtQK8rFW
また義人がその義に背き、不義を行うなら、私は彼の前に躓きを置き、彼は死ぬであろう。あなたが彼を諌めなかったが故に、彼はその罪のために死に、彼の行った義は覚えられることがない。しかし、彼の血を私はあなたの手から求める。『エゼキエル書』3・20より
もろもろの事象は、我々がそれらに意味を与えることによって、初めて意味を持ちます。さまざまな事象に接触すると、我々はそれに関連して予見を持ちますが、その予見は想像力の産物だと思うのです。そして我々は、想像力によって新しい概念を創造し、事象に新しい文脈を与えます。
今週も朴先生に引率されて、韓国の学校の先生たち36人が凱風館においでになりました。先週と同じく佐藤学先生の「学びの共同体」実践校を見学したあと、締めが凱風館で「日本の私塾」を見るというツァーです。1時間半ほど「講演」をしたあと、先生方との質疑応答。韓国舞踊も見せて頂きました。
まさか、こんなタイトルの対談をやることになるとは。お申し込みは以下です。radiodays.jp/community/show… pic.twitter.com/s8r9EUlaKQ
CiNii 論文?-? 室町期摂津国西成郡における細川氏の在地掌握 : 嘉吉・文安年間の崇禅寺との関係を通して ci.nii.ac.jp/naid/110008920… #CiNii
【蛙石①】南陽市。山形市畑谷に住んでいた蛙が、白竜湖の主になろうとやってきた。途中で他の中で草取りをしていた百姓に白竜湖への道を聞くと、「十年坂という坂と、鳥しか越えない鳥上坂を越えていく」と言われ、ここまで来るのも大変だったのにまだ難所があるのかと腰が砕け、石になってしまった。
【東海大学、テストできなくて自殺未遂か】
東海大学で1月27日、学生が首つり自殺を図ろうとした騒動が起きた模様。
breaking-news.jp/2015/01/27/016…
テストの点数が悪かったことが原因との情報もありますが、詳細は不明。 pic.twitter.com/5hoAiGVA05
瀧山寺聖観音菩薩立像:瀧山寺帝釈天の脇侍。聖観音とは六観音の一尊で、大慈の観音として地獄道を化益するという。仏師は運慶と湛慶で、本尊の胎内には頼朝の顎髭と歯を納めたという。帝釈天は本来守護神であるため、その脇侍に配す例は珍しい。 pic.twitter.com/89a3YF1vui
CiNii 論文?-? 鎮西探題の侍所とその博多市中における検断(治安警察)権 ci.nii.ac.jp/naid/110006405… #CiNii
中国人観光客が日本で「便座」を購買、その理由は? - Infoseek ニュース fb.me/1D2YyNOG5
8700人が朝日に謝罪広告など求める 慰安婦報道で戦後最大級の集団訴訟 - Infoseek ニュース fb.me/6iIt1TLwH
そもそも私自身が怪しい爺である
長い間、学校教育でいわゆる教育を受けてきた。
思うにできの悪い懶惰なバカであった。そして、それもまもなく終止符を打つ予定である。三月の病院再検査で結果がよくないならば、拙ブログの還暦老学生日記というカテゴリもお仕舞いにする予定である。さよならである。新たに、老人大学日記というカテゴリはスタートする予定だ。4月から。なにしろこっちは、受験資格が高い。55歳以上でないと志願できないのである。老人でないと入学できない。
以上終わり。
それではあんまりだから、もうちょっと書く。
そろそろゆっくりしないと、死んじまう。いつまでも、勘違いして還暦老学生日記ではあるまいに。4月から入学する老人大学は、お友達をつくるためだけに行くのだから、気楽である。在籍大学のような若くて素敵な美男美女は、まったくいないだろうから、こころときめくこともない。
さらに、ゴミ論文を書いていたら、体調を悪くするというんじゃ、洒落にもならない。そもそも、洒落は大好きで「日々是ユーモア」をモットーとして生きてきた。それができない。できないなら、方針を変えるしかない。
理由は簡単である。
まだ生きていたいからだ。幸い、11月の入院騒ぎから体調は回復しているが、問題は気力だ。
論文を訂正せよ、ここをこうやって書き直せ、あそこのところはまずい、こんなもんしか書けないのか等々のご指導をいただいても、長続きしなくなった。郷土史の論文も、今月中に提出しなくてはならない。こっちも、日々アップアップしているのだ。文は書ける。しかし、気力がもたない。一応、論文らしきものは書いてみた。昨日、おわりにかえてという終章の部分を書き上げたが、以前に比べて、速度が遅い。ま、歴史分野も郷土史も文学分野も全部素人の手慰みである。才能と実力が無い。無い上に気力までなくなったのでは、そろそろ退場である。退場。強制退場である。
長時間机にしがみついていると古女房ドノが怒る。これが一番しょうもない。そうなのである。私は、エコノミークラス症候群で入院したからだ。
長時間机にしがみついていると病気になるというまったく都合の良い病気だ。怠けものの病気だ。
洒落にならないというのはこのことである。
だったら、運動をしていれば良かったじゃぁねぇかと言われた。周囲のいろいろな人に。
やっていたのである。Gymの会員でもあった。
要するにその運動自体が不足していたのだろうとも言われた。そんなことはない。かなりやっていたのである。マジに。
じゃぁなんでエコノミークラス症候群なんかになったか。
それは勉強に適性が無かったということである。
バカだということである。
だから、どんなに長い間学校教育を受けても、なんにもならなかったというワケである。
もっと言えば、私が学校教育について語ることができるとすれば、「学校教育を受けて、何を学ばなかったか」ということだけだ。
そうなのだ。
学べなかったことは多く、それを「独学」で学ぶしかない、なかったということだ。
私が関わった大学は全部名前が違うが、学部生の時はまるっきり独学であった。新聞配達して昼間の学校に行っていたが、まもなくそれも全国に吹き荒れた大学紛争というもので、ロックアウトされた。だから、学部生時代の4年間は独学である。ほんとうにそうである。こいつも洒落にならないのだ。
学部生の時にお世話になった大学には、だから母校という意識が殆ど無い。だって独学したという意識しかないからである。
私に欠けているのは、能力と気力である。さらに、古典教育である。中世が好きで勉強しているが、まだまだである。語学も怪しい。哲学も怪しい。仏教思想というのも怪しい。
そもそも私自身が怪しい爺である。
道ですれ違ったら、「キャァ~」って言われるのは間違いない。あ、すれ違うのはおばさんではない。もっと若い女性である。歩き方も悪い。まるっきり、チンピラである。がに股で両手を振って歩いている。治らないのだ。柔道のせいである。
こういうことも学校教育で教えて欲しかったなぁ~と思う。
もう遅いけど。
(^_^)ノ””””
フィリピン警察部隊30人死亡 イスラム勢力と交戦 :日本経済新聞 s.nikkei.com/1wvXWwB
小さな紙片情報は、メモせず手帳に貼って管理 - Infoseek ニュース fb.me/3fdzEZqtB
日本はイスラム過激派のテロに巻き込まれるな…と主張する見識者がいるが、もう既に巻き込まれており、日本が「我関せず」の姿勢を取って国際社会の一員として認められるのか。又、今がまさに憲法9条堅持派にとりテロ組織を説得する絶好の機会である。綺麗事・絵空事だけの主張は迷惑極まりない物だ。
ショッピングセンターでも歩いてくるか
憲法をよく読むと、信教の自由と表現の自由が書いてある。
拙ブログなんぞ後者の... blog.goo.ne.jp/tym943/e/7373e…
ショッピングセンターでも歩いてくるか
憲法をよく読むと、信教の自由と表現の自由が書いてある。
拙ブログなんぞ後者の表現の自由のおかげで、勝手きままに駄文を書けるわけである。ありがたいものである。どうせ爺の手慰みである。誰も注目してくれないから、自分の記録のために書いているだけだ。だから、相手を意識していない。どう思われようと関係ない。
爺になるとよりラジカルになるって聞いたことがあるが、事実らしい。経験上である。
そうなのだ。もうしがらみがないからだ。だいいち、組織に属していない。だから名刺も作っていない。それでも、ちょっと困ることがある。今日、歯科医院に行くから、帰りに大型電気店に行って、安い名刺カードでも買ってくる。そして、自分で作ろうと思ったのである。
問題はその安い名刺カードになんて書くか、だ。
肩書きがないからだ。アルバイトとも書けないし。うううううむ。あ、ひとつだけあったか。年金生活者だ。これにしよう。これで十分である。でも、あれだ。名刺を渡すこともなくなったなぁ。そんなことは。一目見ただけで、無職の爺だということがわかるからだ。相手に。誰も、私の職業を聞く人はいないからだ。
一昨日、三番目の大学で仕事をしていたことは書いた。そこで事務方に聞かれた。「肩書きをどうしますか?」って。なんだか大学内部の書類の手続き上そういうのが必要なんだそうである。「傘張り爺とでも書いておいてくださいよん」と言ったら、大笑いされた。仕方がないから、私も大笑いした。実にタイムリーではないかと自画自賛したのである。バカですな、バカ。
実はそれで困ったと思ったのである。名刺でも作るかと思ったのは。
だから、表現の自由というのはありがたいものだと思うのだ。それをだ、おめぇ~の名刺をどうのこうのとか規制をかけられたりしたら迷惑千万。
つまり何を言いたいかというと「規制」なのである。今日は。
規制があるから、なんでも不自由になる。その規制の反対側にあるのが、信教の自由と表現の自由であると考えているのだ。
信教の自由で思うのは、靖国神社である。あれは誰がどうやって参拝しようと、憲法で保障されているのだ。それをあれこれ問題にする方がおかしいと思う。ま、これ以上は書かないが。
私のように自由自在に宗教を勉強するのがいけないと言われると、これまた困る。なんでか。私は、人間というのは宗教を必要としていると思っているからである。特定の宗教団体ではない。死をどうとらえるかということで問題を絞って考えているからである。
死はなにかという大問題ではない。そんなこと答えられない。しかしである。この3ヶ月で3回失神して思ったことがある。それは意識というのは、脳が生きていてこそあり得るものだということであった。脳の働きと密接につながっているのが、意識である。
すなわち意識がない状態が死である。
それは身体のことである。脳が意識をつかさどっているならば、すべては脳である。脳は身体の一部である。だから、私は身体である。こころではない。もっと言えば、こころは胸にあるのではない。
これまで、唯心論的立場が好きで、こころこそすべてと思ってきた。しかし、3ヶ月前から変わった。身体が非常に重要であるということに遅まきながら気がついたのである。
だから大事にしたいのだ。
身体を。
健康ということは、そういうことだ。これもである。霊魂の存在を信じている宗教団体から見たらとんでもないことを書いていると叱られるかもしれない。一神教に多いからだ。霊魂はあるかないか、そんなことは関係ない。私には信じられないというだけである。そもそも、絶対的な存在というものを説いた宗教は信じられない。よしんば、神様が一人だけならモーレツに忙しいではないか。申し訳ないくらいである。とてもとても、私のようなオゲレツ極まる爺じゃ、神様にお願いするわけにはいかない。
こういうつまらないことを書けるのも、憲法が信教の自由を保障してくださっているからである。信教の自由に「規制」はないからだ。ある特定の宗教思想を一つだけに絞って信仰しなさいとやられたのでは、たまったもんじゃない。どっかの国のようにだ。人間はどんなに規制しても、必ずくぐり抜けていくのだ。東アジアの国々は、そういう規制と私のような一般大衆との対立の歴史であったと思っているくらいであるからだ。
ありがたいものである。憲法が。
感謝である。
さ、10:30から歯科医院で診察である。
これくらいにしよう。
今日は居住地の大図書館も休館である。月曜日だからだ。
どこかに行く予定もない。
雨が降っているし、walkingもできない。
ショッピングセンターでも歩いてくるか。歯科医院の後に。
(^_^)ノ””””
選考委員の藁人形つくった! 芥川賞落選・小谷野敦の恨みツイートがすごい lite-ra.com/2015/01/post-8… ブログに諍いの全容を実名入りで公表するわ,面白い人だ。
『モモ』の中で、灰色の男たちが登場しますが、私は大真面目にあれを書いています。灰色の男という「力」は目に見えない世界に明らかに実在していますから。それが悪魔という存在の現代的な姿です。 『三つの鏡』