と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

願書受付です

2010年01月29日 18時30分21秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

 いよいよ今日から特色化願書受付開始です。
 
 朝早くから中学生の皆さんに来ていただきました。

 みなさん、挨拶をきちんとされています。

 頼もしい限りです。

 これからどんなふうに高校生活を送られるのか。

 楽しみです。

 
 あと少しです。

 もうちょっとの努力です。



 頑張ってくださいね。
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聴く力

2010年01月29日 18時29分46秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

 いろいろな研修会で一番こころに残っているのは、ターミナルケアの分野でしょうか。時々、私的な勉強をさせていただいています。土・日を主体に、です。あちらこちらと出没しています。幸いなことに、そういう情報はいとも簡単にインターネットでも入手することができますし。

 中でも、ホスピスの先生方の資料を非常な勢いで集めております。

 死生学という分野や、老年学という切り口から考えることがけっこうあって、これから人生を終えるまでのわたくしの一番の課題になりそうです。

 評論家の大宅映子先生が、文学部の仕事として、「死ぬと分かっているのに、人はどうして生きていけるのかということの根源的な理由を考えるのが文学部の仕事だ」と講演で言われていたのを思い出します。文学専攻者は、そういう根本のところをやっていかなくちゃならないのだということでありました。

 一級の資料は現場のドクターが書かれている文章であります。これはこたえます。なにしろ内容が凄いものがあります。ここには具体的には書かないようにしますが、現実として誰にでも訪れる問題でもあります。逃れられない絶対の状況でもあります。

 ある医師が、サイトを開設なされています。

 それこそいろいろな体験を読ませていただきました。

 県銚から、そういう分野に進学や就職する方も出てくるだろうし、事実近くの病院で看護師をされている方々も卒業生で多い。介護の仕事をされている方々もたくさんおられます。

 在校生でも、進路として考えている生徒もいます。

 そういういろいろな周辺状況を調べさせていただいて、この問題から目をそらすことはできないのだと、最近はしみじみ感じています。

 それと密接に関係してくるのが、発達だと思います。教育ということが、少なくとも生涯教育を標榜するなら、若いうちだけが教育ではないとだんだん感じるようになったからです。

 医師のサイトから学ぶことは数多くあります。

 ホスピスに勤務されていて、医師の重要な仕事として「聴く力」があるとのことでした。そばにいて、いるだけで・・・というスタンスから書かれています。すくなくともわたくしはそう解釈しました。


 教育というものも、そばにいてやること、そっと寄り添うことが重要である場合もあります。その観点から教育をとらえ直すこともまた興味深いことだと思っています。

 たこ八郎という役者さん?(分析不可能な才人)が、「めいわくかけてありがとう」とご自分の墓に書いてあるそうですが、こんなわたくしもいろいろな方々にご迷惑をおかけしているのでしょうねぇ。たこさんの場合、ちょっと意味が違っておりますけれども。


 いろいろと愚痴を聞いてくださる方なぞおられるのでしょうか。たぶんいないと思いつつ、聴くということの大切さをかみしめながら、これからのライフワークを追求していきたいものであります。仕事ですから、ね。聴くことは。教員としての。


 また来週お会いしましょう。
 
 


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元旦におしるこを

2010年01月28日 20時37分55秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 今日は県銚でPTA臨時総会をおこないました。

 来年のことをいろいろと決めさせていただきました。

 クーラーのこともです。

  


 話し合いが終わりに近づいて、あるおかぁ様から

 「県銚は本当に面倒見がよいですねぇ」
というご発言。

 「正月元旦から、担任の先生と、教頭先生が、勉強会をやってくださいました」

 そういうことです。
 実にありがたい限りであります。
 しかし、もっと驚いたのが

 「正月に、元旦に、教頭先生が、お汁粉を補講参加者に作ってくれたそうですよね」

 とのご発言。

 しかも、「そのお汁粉のお餅、よく焼けて・・」と。

 またまた、「わたしの子ども、とっても喜んでいましたよ」と。
 
 「面倒見の良い県銚って、こういうことですよね」とのご発言も。

 わたくしは、教頭や、担任が元旦から気合いを入れて勉強会をしていたのは知ってはいましたが、その企画がこれほどの保護者の方々のご声援をいただけるとは、思っていませんでした。正直、本当にこころのふれあいがあったということに感動しました。

 ほんとうにありがたい限りであります。

 担任にも、教頭にも。

 県銚はそういうところが実にすばらしいわけであります。

 体験記をPTA新聞に書かせていただきます。
 
 作者はむろん教頭。

 
 面倒見の良い県銚。

 面目躍如でありまする。
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トライ トライ トライ

2010年01月27日 19時51分02秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 昨日のクローズアップ現代というNHKの放送番組をなにげなしに見ていましたら、褒めることの効用を扱っておられました。

 はたと膝を打ちました。

 これは経験上ですが、もしかしたら真実かもしれないと思っておるものですから。欠点指摘型でも、長所指摘型でも指導者の個性で、結果が同じならどっちでもいいと仰る方もいるかもしれません。

 それと実態が相当重い要素として関わってきます。
 駿馬は自己の能力が優れていると知っていますから、下手な褒め方をすると鼻でせせら笑うかもしれません。そういう駿馬を指導した経験もしましたので。

 わたくしは駄馬ですから、実は褒められると実にうれしかったと覚えています。長所をもっともっと伸ばせと、それだけを考えて努力せよと担任の先生に言われて、それなりに努力させていただきました。しかし、成果は上がりませんでした。今、思うに、それはわたくしの限界であったのかもしれません。実態にあっていなかったのかも、と思います。それでもなんとか社会的役割を持たせていただいて、今日まで生きてこられたのは、褒めていただいた経験を忘れることができなかったということでしょうか。

 人を裁くこともなかなかできません。
 人の悪口もなかなか言えません。
 それだけの器でもありません。
 (指導とは別ですよ)

 柔道の世界でもそうです。
 褒めて伸ばそうと思っています。
 それで自信がつくのなら、それでいいと思っています。
 問題は限界に気がついてから、どう工夫するかです。
 かからなくなった技を工夫して行くわけです。
 最初から天下無双の英雄はなかなかいませんからね。

 そこに努力の大切さがあるわけです。




 哲学者の鷲田小弥太先生はいろいろと楽しい哲学入門書を書かれていて、一度直接メールもいただいたことがありました。感謝感激でありました。

 その先生は、試してみなくちゃわからんじゃないかと述べておられます。トライ哲学の権化みたいな方です。ずっと年上ですが、未だに自分はガリ勉であると堂々と宣う方でもあります。ガッツの固まりのようなファイトマン。

 その先生は、しかしもっと鋭い。
 褒められて伸びるとか、欠点を指摘されて伸びるとかという次元からまったくの別次元に吹っ飛んでいます。
 
 「才能を作るのは何よりも自分であり、その才能の開花は、何よりもまずトライ アンド トライする自分の意志と努力による」(試してみることで人生は開ける)

 そう書かれています。

 失敗を怖れることなく、トライせよというわけです。
 あたたかい人生の応援歌です。

 もっともっと能動的な気持ちになりましょうというわけです。天才織田信長もトライ トライ トライの権化でありました。あの思い切った戦略で今川に勝ってしまいます。桶狭間の戦いです。 

 もっと凄い人もいます。
 
 今日、ブックマークした方は下記のような俊秀。このブログのブックマークに「生涯学習の部屋」としてリンクをさせていただいています。

「資格取得数225。1つの修士と9つの学士。読書年間500冊。MBAサラリーマン現役大学院生の生きがい発見生涯学習奮闘記。」

 こういう方もおられるのです。
 年をとっている暇はありません。

 

 中学生のみなさん!

 トライ
 トライ
 トライですよ。

 がんばりましょうね。

 また明日!   
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こころを痛めて

2010年01月26日 19時33分10秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 マスコミにしばしば取り上げられることの一つで、帰る家を持たない方々の報道には実にこころを痛めております。

 若い人も確実におります。
 家がありませんと携帯も持てません。職業キャリア意識の必要性が最も求められることでもあります。

 いろいろな立場から書くことのできる内容であります。個人としてはいろいろ意見がありますが、それは避けましょう。
 
 そういう方々を支援されている方の講演を先日お伺いして、たいへんこころを揺さぶられる思いでおりました。
 
 同先生からお聞きするのは、二度目の体験でありました。

 市川の方であります。
 口で言うより実践だともおっしゃっていました。
 NPOを立ち上げて支援活動をされています。

 実は、この先生から「関係性」ということを初めてお聞きして、以来5年間ほどですが、ずっと考えてきたことがあります。

 先生は、関係性を持たないということに、大きな原因があるとおっしゃる。わたくしは、そこから出発して、社会的役割を持たない、持とうとしないということはどういうことなのかという事を考えてきました。家庭や、家族との関係性を持たない、社会生活の中で相互の関係性を持とうとしないということでは、それはちょっと待ってくださいよということなのです。なにか違っていませんかということです。

 大きな示唆でありました。
 
 学校の教員としても、新たな視点を与えていただきました。

 学ぶということは、そういう新たな視点を持つということでもあると最近は思います。

 どうしても、一人前になったとうぬぼれていると、新たな視点を持とうとしません。そんな簡単に、ある分野で一人前になれるものでしょうか。完全ということは、あり得るのでしょうか。すべてを把握できる人はいるのでしょうか。
 
 また、人を十把一絡げにして、決めつけることも多々あります。なかなかそれは人間性の把握という点で困難なことであります。ですから、教育は難しいのです。30数年やってもまだまだ難しい。それは実感です。

 専門の教科であっても、完成はありません。
 いつまでも勉強です。
 トライ、トライ、トライです。
 なにも長期間にわたった仕事だからライフワークではありません。
 60歳からまったく新しいトライをする人の人生と、そうでない人の余命数は同じでも、濃度は全く違うでしょう。とらわれず、とらわれず、です。試してみたいことは本当に数多く世の中には存在しております。楽しそうなトライの対象がたくさんありそうです。今、ここで書くわけにはいきませんがね。冗談のように言っていますが、100歳までの人生設計をたてておりますよ、わたくしは。

 もっともこれは懶惰なわたくしだけの課題なのかもしれませんが。

 
 勉強しましょう。

 勉強。


 また明日!

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新しい週が

2010年01月25日 18時43分58秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 新しい週が始まりました。

 受験生の皆さんは追い込みですね。

 もう少しですよ。

 健康に気をつけて、がんばりましょう。

 本校の在校生たちも一生懸命です。

 4月には、それぞれの花を咲かせてください。

 ほんとうにそう望んでおります。

 
 楽しみです。
 実に楽しみです。


 さて、ここのところずっと書いていました発達社会学ということは、先週で一区切りをつけさせていただきました。土曜日は、18時くらいまでいろいろと大都会で勉強をさせていただいておりました。

 今週からはまた新たなチャレンジをしていきます。物色中です。コミュニケーションと教育などという分野も面白そうです。何をやろうかなと思っています。全部生徒理解と、学校経営につながりますからね。

 まだまだ向学の志は持っているんですよ。テーマを決めて、学校経営に役立つことで関係する文献を集めて、読書していくのがなによりの楽しみです。指導してくださる方々もたくさんいらっしゃる。高校の同級生に大学の教育学の教授までいますから、何を聞いても大丈夫であります。本当に、これが一番ありがたい。傲慢になったらいかんのです。謙虚に学びましょう。頭を低くして、ご指導を仰ぐと、たいていの人は気持ちよく教えてくださいます。これもまた本当にありがたいことであります。

 成果はなかなか出ないですがね。

 それはわたくしの能力の問題も関わってきます。それでも、いつまでも発達していきたいものですから。役割を持っていくことが、これからの人生で大事だと思っているんですよ。

 楽してはできないことばかりですが。



 お互いがんばりましょう!もっともわたくしの場合、スロー、スローでありますけれども。亀のように生きてきましたからね。



 また明日。 




















 
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記憶をしっかりとしたものに

2010年01月22日 20時08分14秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 頭の中を整理して、記憶をしっかりとしたものにしたいとこれは本当にそう思います。

 なかなか困難な歩みです。

 世の中の学者先生はどのような頭脳の構造をされているのでしょうか。
 まったく一度聞いたら、全部頭の中に入るのでしょうね。

 うらやましい限りであります。

 在校生諸君を見ていても、もの凄いものです。
 
 今朝も数学研究室の脇のテーブルに置かれたセンター試験関係の資料を下級生が奪いあっておりました。
 
 いい光景です。
 学ぶ者にこそ、栄冠ありであります。

 センター試験の自己採点をしているのを見ていたら、本当に凄い。国立大学に合格している男子生徒も採点をしておりました。

 ほんとうに、いい学校です。

 念ずれば花開くということを仰った詩人(坂村真民さん)がいました。念の力は凄い!そしてそれがどんなに品格を高めるかという見本のようなものでありました。

 しかも、一念どころか、複数の能力に長けている人もいます。
 本校の先生方にもおられる。
 何人も。

 ですから、このところずっと言ってきたように、発達心理学でいうと大人になったということはある意味完成なのですが、発達社会学でいうとまだまだ成長するのが人間だというわけです。

 わたくしの意識でもそうです。

 まだまだ成長できるのではないのかと実感します。それは結局、辿り来て麓かなと言った将棋の名人のようなものですが。

 読書もそう。
 範囲が確実に広がっています。

 まだまだ若い人に負けるわけにはいきません。
 
 笑い話のようなものです。



 では、また来週!

 
 
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ちょっと調べて

2010年01月21日 19時55分31秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 子どもの遊びの変遷ということをちょっと調べておりました。

 なかなか楽しいものです。性役割によっても違いますし、時代によっても異なります。

 昭和30年代の子どもたちの遊びは、それこそベーゴマやメンコでありました。地域性でも違ってきます。

 人間発達ということで、これは実に重要なことです。

 教員である以上、こうしたことは常識に属することですから、最新の情報をいつも得ておかなくてはなりませぬ。生徒理解に欠かせません。

 本校生徒をどう理解するかというその点に限っていろいろ実践しています。問答形式で50問くらいのノートにしました。A4のルーズリーフで両面印刷です。けっこう長期間にわたりました。

 

 
 池波正太郎先生(作家)は、作家自伝『池波正太郎』(日本図書センター、
1998)の中で、自分が小学生だった時の遊びと現在の子供の遊びを比較
しながら、書いています。

 大岡昇平先生(作家)も、自伝的小説「少年」で書いています。大岡先生の方は、人間発達を考える上で貴重な資料となると教えていただき、読みました。こちらもなかなかのものでありました。こちらは縦断的理解と言って、発達教育学の研究対象にもなる小説だそうです。文庫でもあるのですが、店頭では入手できないようです。わたくしはインターネットで買いました。古本でした。


 ここでは、池波先生の文章だけを以下に引用させていだたきます。

「上の学校へ行けぬ者は、働きに出る。私は株式仲買店へ行ったが、その
他にも、さまざまな職種があった。たとえば、私が子供の頃の同じ町内には、
下駄屋があり、炭屋があり、油屋があり、経師屋があり、三味線、洋服、弓
矢、仏具、看板、寿司、洋食、鰻、菓子、精肉、魚など、数え切れぬ小さな
店がたちならび、町内から一歩も出ずに、すべてが間にあったのである。
 私が小学生のころ、たとえば担任の若い先生が、日曜日になると、自分
の下宿へ教え子を交代で招び、牛肉の細切れのすき焼きを食べさせてくれた
り、小説が好きな生徒について来てくれて、古本屋で本を値切ってくれたり
した、そんなことが、いまもあるのだろうか……。
 母から貰った小遣いをためこみ、大好きな映画を見た後、デパートの食
堂へ一人で入ってビフテキを注文し、ウェイトレスから「こんなことを子供
のくせにしてはいけないのよ。今度だけよ。」などと、やさしく言われたり
することがあるのだろうか。……。
 下町の、ひろびろとした空地の闇の中で、木刀を振り回したり、ベイゴ
マをまわしたり、材木置場を猿のごとく駆けまわったりすることがあるだろ
うか……。
 夏の縁日で蛍を買って来て、青い蚊帳の中へ放ち、点滅する蛍の光をう
っとりとながめながら眠りにひきまれてていくやうなことが……いや、これ
はない。ないにきまっている。
   作家自伝『池波正太郎』(日本図書センター、1998)より引用



 いかがですか?

 非常に個人的な思い入れがあるかもしれません。
 池波先生は大好きですから。

 江戸文化というのも、ここから興味が湧いてきます。
 なんでも勉強の対象になります。



 もう1200字を越えました。
 この辺でやめましょう。
 
 しかし、こういう手がかりから、最近は配偶者選択の過程とか、男女の役割、ジェンダーまで興味関心が広がっております。教えてくださる方あっての、日々勉強であります。

 なかなかお返しすることができないのが、自分自身に対する不満でありますが。



 今日は、朝のいい天気と、夕方からの天気が一変してしまいましたね。
 体調には、十分すぎるほどお気をつけなさいませ。

 皆さんにとっても、誰にとっても大事なお体ですよ。

 
 また明日。

 
 



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もう少しですよ

2010年01月20日 19時38分27秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 他の高等学校のことが気にならないのかとよく言われます。
 あまり表面に出さないだけで、実は意識の底にはあります。
 ここで書いてもしょうがありませんから書かないだけです。

 今日も平等に太陽は照っていました。

 県銚も暖かい日差しの中、在校生は勉強に一生懸命です。
 先日のセンター試験の分析を先生方がなさってくださいました。非常に優秀な生徒もいます。
 結果がどうなるのか。
 怖いような、楽しみのような気分でいます。

 わたくしの母校の結果も気になっています。
 年々の変化もエクセルで分析しています。

 そういう土俵に上がれるのかもしれないと思うと、これまた楽しみになってきます。つまり進学校としての土俵にです。もっとも、天をつくような高い土俵ですと、不安定になりますから、それはごめん被るとしてもです。

 やはり落ち着いて勉強できないといけません。

 世間にはいろいろな学校がありますから。

 これ以上は書きませんが。



 さて、今日は家訓ということを書いてみたいと思います。
 教育雑誌にそんなことが書いてあったからです。わたくしは、当然伝国の辞であります。茅屋でも、校長室でも上杉鷹山公の温顔を毎日拝見しながらであります。

 それはともかく、特に興味を持ったのは、コンピュータのスクリーンセーバーというのに、教訓というか気に入った家訓というか、そういう一文を書いておくといいと教えていただいて、さっそくやってみました。家にも複数台のコンピュータがありますので、その中の一台に。

 いろいろと考えてみました。
 「困難に戯れよう」とか、「感謝」とか、「愛」とか、「いつもありがとう」とか。

 文才の無いわたくしの選んだものですから、文面はぱっとしませんが、これはいいアイディアだと思いました。デジタルフォトスタンドもこういう使い方でできるのかもしれないなと思いました。また、書類をPDFで全面デジタル化していますので、これを携帯で見ることも可能だなとも。もっとも、こちらの方は落としたらたいへんなことになりますから、やりません。

 茅屋の床の間に掛けてある軸物も、いまにデジタル化されていくのでしょうか。
 そんな時代が来たら楽しみですね。古ぼけた味わいもまた捨てがたいものがありますけれども。

 ここでもわたくしは、よその家が何をやっているのかということは、あまり気になりません。気にならないのですから、よその家もわたくしの家のことには興味関心がないだろうと、前提として思っています。あまり構えすぎるとよくないし、そんな人間でもありません。

 ただし、よその学校ではなくて、本校を希望していただいた中学生のみなさんには本当にこころから感謝申し上げたいと思います。選択していただいたということは、一方を選び、一方は・・・ということであります。

 今日も勉強に励んでおられると思います。

 大変なことであります。

 この試金石を乗り越えませんと、なかなか人生は開けません。

 かわいそうにと、そういう思いが先に立ってしまいます。


 もう少しですよ。

 頑張りなさいませ。

 待っていますよ。

 

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良い先生

2010年01月19日 20時53分55秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 今日も良い天気でありましたね。
 在校生諸君も勉強を熱心にやっておりました。
 昨日は物理の授業を拝見させていただいて、ハイレベルな講義内容に感動してきました。高校時代に、教えていただいたっけなぁと懐かしくもなりました。

 高校時代に教えていただいた物理の先生は、とても良い先生で、愉快で、物理の授業が楽しくてたまらないという人品卑しからずという先生でありました。鉄腕アトムのお茶の水博士にそっくりでありました。ゆったりとされていて、全く焦らず、そして大秀才。しかもそんなそぶりは全く見せず、ただただ生徒とのふれあいが楽しみでたまらないという先生でありました。母校の後輩であるわたくしどもには、激励ばかりしてくださいました。あの寒い米沢で補習までしていただいたものです。ストーブを真っ赤にしながら。期待の大きさが知らず知らず伝わって参りました。不勉強を恥じるばかりでありました。また、なんでも相談に乗っていただいて、いろいろな物の見方や考えかた、ニュートンの本当の姿とか教えていただきました。専門外ですので、これくらいにしますが、ニュートンについてもそれまでの乏しい知識とまったく違っていたことを知り、愕然となったことを覚えております。



 このところずっと社会的役割から人間発達を考えよというある大学の先生の著書で勉強をさせていただいておりました。

 かなり影響されているようです。
 新たな視点でありました。

 もっとも、一つの理論が事象全てを説明できるというなら、それはちょっと眉唾ものであります。
 
 最初に疑いありでいいのではないかと思っています。
 なかにはさも自信たっぷりに言われる方もいるから、愚昧なわたくしはすぐそのとおりだと思う傾向がありますから、気をつけています。あるひとつの見方や、考え方を表現しているだけで、なかなか絶対の真理と言い張るのは困難なものが多いのではないでしょうか。

 今回の新しい視点というのは、しかしながら得難い体験となりました。もう何度もここに書いていますので、ちょっとしつこいとは思いますが、ほんとうに社会的な役割から一生を考えていくことが無かったものですから。

 

 いつでも、何度でも、良い先生に巡り会うということはよいものです。
 今回の体験は、その先生と今週の土曜日東京でお会いするかもしれないということで一応終わります。もしお会いすることができましたら、こころの底から御礼を申し上げて、ある一定の期間ではありましたが、楽しい読書体験をさせていただいたことを感謝したいと思っています。

 では、また明日。
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センター試験の自己採点

2010年01月18日 20時42分08秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

 センター試験の自己採点を今日は行いました。
 
 どうだったのでしょうか。できばえは。

 写真は自己採点に取り組んでいる在校生であります。

 90名以上の受検者がありましたので、去年とはまた違った光景であります。

 これから試金石が続く在校生に最大のエールを、と思っていました。

 ご苦労様でした。
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センター試験

2010年01月14日 19時08分28秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

 いよいよ明後日はセンター試験であります。90名以上の3年生が受験をいたします。成功を祈るのみであります。体調を万全に、つつがなく終わってほしいと思っています。全国どこでも、同様の高校が多いことでありましょう。保護者の方々のご心配もあります。本校の先生方も胃が痛む思いであります。なんとか成功させてあげたいということであります。


 


 今日も前回の続きでありますが、在校生諸君のような若い世代と接していると、どうしても教育というものを時間的に限定して考えがちでありました。社会との関係性という観点からは、一生を通じて教育は可能であり、また考えていかなくてはならないと思っております。特に役割を持って社会との関連をしていくということは理論としてはわかっていましたが、実感としてなかなか自分のものになっておりませんでした。


 これから在校生諸君は、職業キャリアを形成して、社会との関係性の中で能力を発揮し、活躍していかなければなりません。社会的ネットワークを拡大し、アクティブな人生を送っていっていただきたいと思います。そのために、小学校、中学校、高等学校と長期にわたって学んできたわけです。これから大学に進学する人もいるし、短期大学、専門学校に進学する人もいます。就職する人もおられる。どれもたいへん貴重な体験をしていくわけです。


 最近なぜこんなことばかり書いているかと言いますと、本質的に他者との相互作用の中で、あるいは社会性ということの中で、常に自己の成長を考えていただきたいと思っているからです。社会的役割を果たすことが、生きることでの最も重要な視点であります。


 思うにわたくしたちは、保護者の方々や周囲の多くの方々との「関係性」で、人生をスタートしました。ハイハイだって、学習しながらできるようになったわけです。排泄もそうです。教えてくださる方があったからマスターできたわけです。小学校に入ってからは、学校という社会的なネットワークの中で、関係性を学び、自己を確立してきたわけであります。そして、それが高校まで続いているわけです。


 そして高校時代は、おおまかであっても人生(職業)の方向性を決め、自己探索を始める時期でもあります。また、それまで育ててきた自己概念、とくに身体的な自己に対するイメージが変化して、それまでの感じ方・考え方では自己を捉えることが難しくなってくる時代でしょう。


 幼児期から、成人期への移行期間でもあります。もはや子どもでもないが、大人でもないという時期でもあります。児童としての役割を放棄して、しかしながら成人としての役割も遂行できないということでもあります。この段差を乗り越え、児童期を徐々に捨て去る時代でもあります。


 学校教育期間の長期化で、まだ高校時代には職業を持つことも許されません。自分で食べていくことができないわけです。自立したいのに、できないというジレンマで悩むわけです。クチでは保護者の方々に勇ましいことを言っても自信はないわけです。あまり勇ましいことを言うと、自分で稼いで大学に行く、高校に行くしかなくなってしまいます。そういうことを体験したからこそ、周囲の方々と調和して、頭を下げるべき時は下げた方がよろしいですよと申し上げたい。奨学金制度もいろいろあるからです。怒りはよくありませんよ。


 そういうプロセスを経て、社会的役割の中核である職業的役割を得ていくわけです。それから家庭的役割をも、です。職業選択の過程と、配偶者選択の過程を考察することで、わたくしの考えてきたことは終わるようなものですが、これはまだまだこれからもここで触れてみたいことです。つまり、それ以降、今度は役割喪失期という時期が人生には誰しも平等に来るからです。こっちの方がわたくしには差し迫った問題でありますが、ね。


 


 この辺でまとめましょう。


 センター試験というのは、以上のような意味で、新たな関係性の取得をするための試金石であります。ですから尊いのだと思うのであります。


 頑張りましょう!必勝を期して。


 


 


 


 


 


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保健の授業で

2010年01月13日 20時35分52秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

 今日は保健の授業を拝見させていただいておりました。交通安全の授業でありました。なかなかの授業で、生徒たちは幸せだなぁと思いつつ教室を後にいたしました。


 保健の授業だから思ったことなのかもしれません。人間発達ということについて、最近はいろいろな雑書を漁っていますから。


 生徒たちを見ていると、まったく多様な発達課題を持っているのだなぁと感じています。それは人それぞれであり、一般化することのできない課題でありましょう。


 しかしながら、そうしたことについて、細々でも勉強をしていかないといかんと思って教員生活を送ってまいりました。なかなか困難なことでありました。個人としては、わたくしのような者でも、親として存続させていただいてきました。家族を持ったから、子どもができたから、一人前の大人になったつもりでおりました。ところが、それぞれの時期、時代において未熟なわたくしには、多くの発達課題がたくさんありました。子どもができてからは、幼児期の時代、小学生の時代、中学生の時代、高校生の時代、大学生の時代と時間が進むにつれ、わたくし自身の懶惰な親としての発達課題が違ってきたからです。このように一生を俯瞰するのはあまり好みませんが、教育に携わってきた以上避けてはならない問題でありました。


 最近は、親の発達課題ということで、資料を読み込んでおります。親自身も成長し、発達するということを教えていただきましたから。実に便利な時代になりました。一級の資料がインターネットで入手可能になっています。だめなら、インターネットで書名を指定して購入可能です。古本まで手に入ります。


 現在、子どもの養育期間は、約25年と言われ、子どもの誕生時に20代、30代、40代であった親も、子どもが自立する時期には50代以上になっています。そして、生物学的にも、社会的にも、心理的にも、家族発達の側面からも変化を経験してきます。


 最初に訪れるのが体力の衰え。若さと衰えと、経験するようになります。


 さらに、先が見え始めます。人生を振り返る時期にもなります。


 親としての役割も子どもの成長にしたがって、変化せざるを得ません。青年期の子どもは親離れをしようともがきます。しかしながら、それを見守りつつ、親は子どもにとっての保護と安定した避難場所となる心理的なよりどころにもならねばなりません。


 そうして、親は役割を完遂していくことになっていくわけです。完遂は、また失っていくことでもあります。これからのわたくしは職業的にも、家族内の役割関係においても、あるいは社会的にも役割喪失期に入ってまいります。それでも、学習をして発達をしていかなくてはなりません。人生の終わり方も学習しなくてはなりません。ある意味、楽しい時期になるかもしれませんが。おそらくは、いろいろな場所に出かけて、いろいろな方々に教えを乞い、勉強をさせていただくのだろうと勝手に想像しております。安住はありませぬ。


 これを逆算していったらどうなるのでしょう?親になる前、親になった時、親になってから。いろいろな時期にそれぞれの発達課題が存在いたします。いつまでも一人前にはなれないのであります。


 現在のわたくしの最も興味ある分野であります。退職したら、こういう面をもっと追求してみたいと思います。親として、どういうふうに自分は発達してきたのだろうと思うからであります。時には、基本的な生活習慣を身につけているかという自問自答で、まことに情けない思いをいたしましたし。また、古今東西のあらゆる書物を読んだわけでもありません。まだまだ喜怒哀楽が激しい面もあります。とてもとても、悟りすました顔をすることはできませぬ。


 それにつけても、雑書ばかり読んでいるといけません。本格的な文献にあたって、本格的な読書をしていかなくてはなりません。


 それがわたくしの永遠の発達課題でありましょうから。


 


 また明日!


 


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ゴール! 銚子半島駅伝

2010年01月12日 18時37分43秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 銚子半島駅伝のインターネット中継をするという企画に、生徒・引率教員ともどもお伺いをさせていただきました。一昨日の日曜日でした。

 大変に勉強になりました。

 錯覚ですが、テレビ番組でも作っているような気になりました。

 企画立案から実際の撮影、また生徒によるインタビューなどを経験させていただきました。
 
 関係の皆様、まことにありがとうございました。

 動画もアップさせていただきます。

 ご笑覧ください。



 当日は最後まで見られませんでした。
 柔道教室に行かなくてはなりませんでした。
 鏡開きだったのです。
 そこで保護者会の方々が、トン汁を出してちびっこたちに振舞おうということで、動画を担当させていただいていますから、喜んでそちらにも出かけました。
 撮影だけをしようと思いましたら、中学生がいました。

 あっという間でありました。
 柔道着に着替えてしまったのでした。

 立ち技は無酸素運動ですから、ドクターに禁じられているのです。
 ですが、見ていると、どうにもなりません。

 それから2時間。
 ずっとやってしまいました。

 むろん、休みながらですけれどもね。
 おかげで、二日くらい筋肉痛であります。
 情けない、情けない。
 
 しかも、ずっと懇意にしている柔道の先生に、
「柔道着着たのは何年ぶりかい?」とからかわれてしまいました。
 昨日の土曜の稽古でも着たんですがねぇ・・・と思わず申し上げてしまいました。
 いつまでたっても、素直になれないようです。
 
 性格なのでしょう。
 柔道の先生の言われている意味は当然わかっております。
 ある種の固定観念から言われているわけです。年をとると、実に言葉の受け取り方が複雑になってまいります。笑い話のようなものです。

 反省、反省。
 文武を目指して、ここまできたのですが、なんだかどっちもどっち。
 不勉強、無修行を恥じるのみであります。
 
 ゴールはまだまだ。
 永遠に完成しません。

 
 

 駅伝に出ていらした中学生の皆さんは、ゴールがありました。
 そういう時期に一生懸命やるしかないようです。
 いい勉強になりました。しかし、わたくしにはゴールがあるんでしょうかね?まったくこころさみしい限りであります。ずるずるやっていると、そのうちに時間無制限が、それこそ打ち切りになってしまいます。本日只今の一瞬という時間を大切に、筋肉痛の体に鞭打ってがんばるしかないようです。



 
 また明日。  

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明後日は銚子半島駅伝

2010年01月08日 18時17分36秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

 常体と敬体ということがあります。

 まことにまことに、米沢出身のわたくしには、標準語の常体が特に苦手であります。つまり、クチが重い。最近、ニュースをにぎわせている方もクチが重い。あれは、わかるような気がします。

 寒いのでクチを大きく開ける習慣がなかったからだと、高校時代殆ど冗談のように言っておりました。

 そして、やはり常体が苦手。いわゆるダチ言葉とか言われる言葉です。それに声の質が悪い。だみ声であります。

 発声法でも教えていただきますかな。練習しましょう、練習。
 これは自分への宿題。

 始業式を終えての反省であります。



 さて、学校は今日も粛々と勉強三昧、授業三昧。
 いいものです。

 休憩時間に在校生がざざ・・・と席を立つ音がするくらいであります。


 
 今日はまた日だまりの中、すばらしい太陽が。
 木の葉から陽光がさしてきていました。

 ドストエフスキーの小説を思い出してしまいました。
 アップしておきました。

 このような環境の中で、学ぶことができるということ。
 すばらしいことであると思いました。

 明後日は銚子半島駅伝があります。
 いろいろな中学校の皆さんが今日あたりから銚子に来られると聞いております。
 それをインターネットで中継する企画に本校も参加させていただきます。早朝からです。

 みなさん頑張ってくださいね。


 ではまた来週!




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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/