いよいよ今日から特色化願書受付開始です。
朝早くから中学生の皆さんに来ていただきました。
みなさん、挨拶をきちんとされています。
頼もしい限りです。
これからどんなふうに高校生活を送られるのか。
楽しみです。
あと少しです。
もうちょっとの努力です。
頑張ってくださいね。
いろいろな研修会で一番こころに残っているのは、ターミナルケアの分野でしょうか。時々、私的な勉強をさせていただいています。土・日を主体に、です。あちらこちらと出没しています。幸いなことに、そういう情報はいとも簡単にインターネットでも入手することができますし。
中でも、ホスピスの先生方の資料を非常な勢いで集めております。
死生学という分野や、老年学という切り口から考えることがけっこうあって、これから人生を終えるまでのわたくしの一番の課題になりそうです。
評論家の大宅映子先生が、文学部の仕事として、「死ぬと分かっているのに、人はどうして生きていけるのかということの根源的な理由を考えるのが文学部の仕事だ」と講演で言われていたのを思い出します。文学専攻者は、そういう根本のところをやっていかなくちゃならないのだということでありました。
一級の資料は現場のドクターが書かれている文章であります。これはこたえます。なにしろ内容が凄いものがあります。ここには具体的には書かないようにしますが、現実として誰にでも訪れる問題でもあります。逃れられない絶対の状況でもあります。
ある医師が、サイトを開設なされています。
それこそいろいろな体験を読ませていただきました。
県銚から、そういう分野に進学や就職する方も出てくるだろうし、事実近くの病院で看護師をされている方々も卒業生で多い。介護の仕事をされている方々もたくさんおられます。
在校生でも、進路として考えている生徒もいます。
そういういろいろな周辺状況を調べさせていただいて、この問題から目をそらすことはできないのだと、最近はしみじみ感じています。
それと密接に関係してくるのが、発達だと思います。教育ということが、少なくとも生涯教育を標榜するなら、若いうちだけが教育ではないとだんだん感じるようになったからです。
医師のサイトから学ぶことは数多くあります。
ホスピスに勤務されていて、医師の重要な仕事として「聴く力」があるとのことでした。そばにいて、いるだけで・・・というスタンスから書かれています。すくなくともわたくしはそう解釈しました。
教育というものも、そばにいてやること、そっと寄り添うことが重要である場合もあります。その観点から教育をとらえ直すこともまた興味深いことだと思っています。
たこ八郎という役者さん?(分析不可能な才人)が、「めいわくかけてありがとう」とご自分の墓に書いてあるそうですが、こんなわたくしもいろいろな方々にご迷惑をおかけしているのでしょうねぇ。たこさんの場合、ちょっと意味が違っておりますけれども。
いろいろと愚痴を聞いてくださる方なぞおられるのでしょうか。たぶんいないと思いつつ、聴くということの大切さをかみしめながら、これからのライフワークを追求していきたいものであります。仕事ですから、ね。聴くことは。教員としての。
また来週お会いしましょう。
いよいよ明後日はセンター試験であります。90名以上の3年生が受験をいたします。成功を祈るのみであります。体調を万全に、つつがなく終わってほしいと思っています。全国どこでも、同様の高校が多いことでありましょう。保護者の方々のご心配もあります。本校の先生方も胃が痛む思いであります。なんとか成功させてあげたいということであります。
今日も前回の続きでありますが、在校生諸君のような若い世代と接していると、どうしても教育というものを時間的に限定して考えがちでありました。社会との関係性という観点からは、一生を通じて教育は可能であり、また考えていかなくてはならないと思っております。特に役割を持って社会との関連をしていくということは理論としてはわかっていましたが、実感としてなかなか自分のものになっておりませんでした。
これから在校生諸君は、職業キャリアを形成して、社会との関係性の中で能力を発揮し、活躍していかなければなりません。社会的ネットワークを拡大し、アクティブな人生を送っていっていただきたいと思います。そのために、小学校、中学校、高等学校と長期にわたって学んできたわけです。これから大学に進学する人もいるし、短期大学、専門学校に進学する人もいます。就職する人もおられる。どれもたいへん貴重な体験をしていくわけです。
最近なぜこんなことばかり書いているかと言いますと、本質的に他者との相互作用の中で、あるいは社会性ということの中で、常に自己の成長を考えていただきたいと思っているからです。社会的役割を果たすことが、生きることでの最も重要な視点であります。
思うにわたくしたちは、保護者の方々や周囲の多くの方々との「関係性」で、人生をスタートしました。ハイハイだって、学習しながらできるようになったわけです。排泄もそうです。教えてくださる方があったからマスターできたわけです。小学校に入ってからは、学校という社会的なネットワークの中で、関係性を学び、自己を確立してきたわけであります。そして、それが高校まで続いているわけです。
そして高校時代は、おおまかであっても人生(職業)の方向性を決め、自己探索を始める時期でもあります。また、それまで育ててきた自己概念、とくに身体的な自己に対するイメージが変化して、それまでの感じ方・考え方では自己を捉えることが難しくなってくる時代でしょう。
幼児期から、成人期への移行期間でもあります。もはや子どもでもないが、大人でもないという時期でもあります。児童としての役割を放棄して、しかしながら成人としての役割も遂行できないということでもあります。この段差を乗り越え、児童期を徐々に捨て去る時代でもあります。
学校教育期間の長期化で、まだ高校時代には職業を持つことも許されません。自分で食べていくことができないわけです。自立したいのに、できないというジレンマで悩むわけです。クチでは保護者の方々に勇ましいことを言っても自信はないわけです。あまり勇ましいことを言うと、自分で稼いで大学に行く、高校に行くしかなくなってしまいます。そういうことを体験したからこそ、周囲の方々と調和して、頭を下げるべき時は下げた方がよろしいですよと申し上げたい。奨学金制度もいろいろあるからです。怒りはよくありませんよ。
そういうプロセスを経て、社会的役割の中核である職業的役割を得ていくわけです。それから家庭的役割をも、です。職業選択の過程と、配偶者選択の過程を考察することで、わたくしの考えてきたことは終わるようなものですが、これはまだまだこれからもここで触れてみたいことです。つまり、それ以降、今度は役割喪失期という時期が人生には誰しも平等に来るからです。こっちの方がわたくしには差し迫った問題でありますが、ね。
この辺でまとめましょう。
センター試験というのは、以上のような意味で、新たな関係性の取得をするための試金石であります。ですから尊いのだと思うのであります。
頑張りましょう!必勝を期して。
今日は保健の授業を拝見させていただいておりました。交通安全の授業でありました。なかなかの授業で、生徒たちは幸せだなぁと思いつつ教室を後にいたしました。
保健の授業だから思ったことなのかもしれません。人間発達ということについて、最近はいろいろな雑書を漁っていますから。
生徒たちを見ていると、まったく多様な発達課題を持っているのだなぁと感じています。それは人それぞれであり、一般化することのできない課題でありましょう。
しかしながら、そうしたことについて、細々でも勉強をしていかないといかんと思って教員生活を送ってまいりました。なかなか困難なことでありました。個人としては、わたくしのような者でも、親として存続させていただいてきました。家族を持ったから、子どもができたから、一人前の大人になったつもりでおりました。ところが、それぞれの時期、時代において未熟なわたくしには、多くの発達課題がたくさんありました。子どもができてからは、幼児期の時代、小学生の時代、中学生の時代、高校生の時代、大学生の時代と時間が進むにつれ、わたくし自身の懶惰な親としての発達課題が違ってきたからです。このように一生を俯瞰するのはあまり好みませんが、教育に携わってきた以上避けてはならない問題でありました。
最近は、親の発達課題ということで、資料を読み込んでおります。親自身も成長し、発達するということを教えていただきましたから。実に便利な時代になりました。一級の資料がインターネットで入手可能になっています。だめなら、インターネットで書名を指定して購入可能です。古本まで手に入ります。
現在、子どもの養育期間は、約25年と言われ、子どもの誕生時に20代、30代、40代であった親も、子どもが自立する時期には50代以上になっています。そして、生物学的にも、社会的にも、心理的にも、家族発達の側面からも変化を経験してきます。
最初に訪れるのが体力の衰え。若さと衰えと、経験するようになります。
さらに、先が見え始めます。人生を振り返る時期にもなります。
親としての役割も子どもの成長にしたがって、変化せざるを得ません。青年期の子どもは親離れをしようともがきます。しかしながら、それを見守りつつ、親は子どもにとっての保護と安定した避難場所となる心理的なよりどころにもならねばなりません。
そうして、親は役割を完遂していくことになっていくわけです。完遂は、また失っていくことでもあります。これからのわたくしは職業的にも、家族内の役割関係においても、あるいは社会的にも役割喪失期に入ってまいります。それでも、学習をして発達をしていかなくてはなりません。人生の終わり方も学習しなくてはなりません。ある意味、楽しい時期になるかもしれませんが。おそらくは、いろいろな場所に出かけて、いろいろな方々に教えを乞い、勉強をさせていただくのだろうと勝手に想像しております。安住はありませぬ。
これを逆算していったらどうなるのでしょう?親になる前、親になった時、親になってから。いろいろな時期にそれぞれの発達課題が存在いたします。いつまでも一人前にはなれないのであります。
現在のわたくしの最も興味ある分野であります。退職したら、こういう面をもっと追求してみたいと思います。親として、どういうふうに自分は発達してきたのだろうと思うからであります。時には、基本的な生活習慣を身につけているかという自問自答で、まことに情けない思いをいたしましたし。また、古今東西のあらゆる書物を読んだわけでもありません。まだまだ喜怒哀楽が激しい面もあります。とてもとても、悟りすました顔をすることはできませぬ。
それにつけても、雑書ばかり読んでいるといけません。本格的な文献にあたって、本格的な読書をしていかなくてはなりません。
それがわたくしの永遠の発達課題でありましょうから。
また明日!