正しいマスクの付け方を教えます 【精神科医・樺沢紫苑】
「タイ癒しの都・古都チェンマイの旅」part 1
ボキは、これまでインプットばかりやってきた。それは間違いない。読書体験もそうだし、インターネットでもそうだった。つまり受け身である。柔道4段だから、受け身は得意なんだけどねぇ(^_^)。
しかしである。アウトプットが大事だと、精神科医の樺沢紫苑先生の本で教えていただいた。ナルホド。アウトプット前提だと記憶もできるという。ボキのもっとも苦手な分野である。なにしろ惚けが始まっているからだ。テレビの中にいて、歌を歌っている歌手の名前が出てこないときもあるからだ。しょうもないですなぁ。
だから、こんなブログをやっているのである。惚け防止のためにである。どうせ、誰も読んでくれないだろうから気楽なもんである。自分のために打鍵しているだけであるから。
塾で、問題集を解いている生徒を見ていると、やはりアウトプットが大事だと感じている。生徒は意識していなのだろうが、こっちは意識している。だから、ボキは教えすぎないことをモットーにしている。得意がって教えすぎて、自己満足に浸っていてはならないと思っているからだ。教えすぎて、インプットばかりさせていても、問題は解けないからだ。考えさせないとアカンと思っているからでもある。
アウトプットというのは、自分がやるものである。自分で考え、自分でペンを持ってともかくやってみるというこっちゃよん。
昨日、山折哲雄先生の「『身軽』の哲学」を読んでいた。一昨日千葉市の書店で買ったからである。珍しく新刊で買った。で、そこにも書いてあった。本を買って、積ん読して、それでもって思想との出会いがあったと思いがちであったと自戒の念を込めて書かれてあった。あっと思った。ボキもそうだったからである。ともかく買っておけば、それで読んでしまったような勘違いをしてきたからである。
インプット自体間違っていたのである。
古文書講座のチンピラ受講生をさせていただいているが、これもまたそうだった。崩し字辞典をいくら眺めていても、実際読めるかどうかは実力相応。
アウトプットができなくては、まったく太刀打ちできないではないか。経験上。手段・方法ではない。経験をいかに積むかである。
今日は、夜バイトの塾である。たまには、良いモンだ。こんなことを考えるのも。
BYE-BYE!
千葉市に行った。夕方から宴会が予定されていた。家には家人もいなかったので、早めに行った。10時16分の電車であった。千葉市からも遠い地域に住んでいるので、千葉市に着いたのは11時30分過ぎ。
それからゆっくり歩いて書店巡り。二軒。古文書演習という参考書を二冊買った。さらに、「古文書講師になれました わたしの独学体験」(柏書房)も買った。こっちの方が参考になった。これは、電車の中で読了した。勉強法を含めて、これまで感じていた疑問も解消した(^_^)。
著者は宇野藍子さんという方。史学科卒ではない。コンピュータの専門家である。情報処理。だから、説得力があった。ボキと一緒で古文書は素人なのである。ボキも大がつくほどの素人。
ともかくタノシイ本だった。夢中で読んだ。赤線引っ張りながら。
昼食は、餃子ランチ。650円。安かったなぁ。一緒に生ビールも飲んじまったけど。
そしてまだまだ時間がある。むろん計算していた。歩いて京成ローザという映画館に行った。
なにを見たかというと、話題になっている「男はつらいよ お帰り 寅さん 」であった。寅さんの甥っ子が、小説家になっていた。甥・満男である。あの小さかった満男が一人前になっていた。ということは、ボキも年取っていたってぇことだが。
妻を亡くして、一人娘と一緒に暮らしている満男がかつて思いを寄せた泉のその後の物語。別々の人生を生きてきた二人を軸に、さくらや博、そしてくるまやを囲む人たちを描く。
これは見応えがあった。思わず涙した。
だって、この映画の舞台は、苦学していた学部生の時に新聞配達していた葛飾柴又なのだから。ボキは、この東京の下町の方々に実にかわいがってもらったからである。苦労していたけど、苦労が苦労ではなかった。むしろ、楽しかった。応援もしていただいた。どこの大学に行ってるの?とか聞かれたっけ。頑張りなさいよ、とも言われた。経済新聞を配っていたから、銀行員とか投資家とかともかく金持ちが多かった。ありがたいものであった。
今のダメジジイぶりを見て、寅さんだったら、ボキになんと言うだろうかと思った。
まさに永遠の青春である。
夕方宴会が終わって、二次会にも行って、8時45分発の電車に乗った。帰ってきて、風呂に入って寝た。
心地よい一日であった。
寅さん、また会いたいなぁ。
BYE-BYE!
記憶できたかどうか、100%チェックする方法【精神科医・樺沢紫苑】
相撲の優勝者である徳昇竜関がインタビューでもう34歳ではなくて、まだ34歳と思うことにしていると言った。名言である。然り。年齢的には厳しいであろう。相撲はまったくの体力勝負であるからだ。もっとも、炎鵬のような小型力士も存在するけど。
今日でボキ一つ年齢が上がった。34歳とは言わないが、もう**歳になったと思わないで、「まだ**歳」と思うことであると気がついた。徳昇竜関に感謝である。
確かに、年金生活者で65歳以上だと教育ローンも借りられないというのは、厳しかった。世間の厳しさがこたえた。銀行はシビアであった。オリックスにも電話してみたが、こっちにも断られた。残りはサラ金しかないが、これだけは手を出さないようにしてきたからやらない。
断念しかない。誕生日にそう思ったということは、天命である。天がそういうように厳命してくれたのだ。
それにしても、厳しいもんですなぁ。年金生活者にはびた一文ローンを組ませないというのでは、クルマも取り替えられないではないか。もっとも、ボキ、クルマはローンで買ったことが一回もないから、こんなに厳しいとは思ってもみなかった。
世間の風はツメテェよん。
わはははっははっははっははっはははっははっはははっはははっはははは。
だったら、今日は千葉市に出かけるので、学費のためにと思って貯めていたゼニを使ってこようっと。書店に行って。古文書演習の本が欲しかったからだ。たいした額ではないが。
夕方には、宴会がある。後輩諸君が来いというから、行ってくる。どういう集まりかは書けない。書いたら迷惑になるから。ここでも、ボキはアホなことしか言わない。アホだから、アホなことしか言えないのだよん(^_^)。
それにしても、亡父が50代、亡母が64歳で亡くなったが、それを優に超えた。ありがたいもんである。これからは、新記録へのチャレンジである。どんなに憎まれても、しぶとく生きていくつもりだから(^_^)。
BYE-BYE!
最後の頼みの綱、イオン銀行に教育ローンのことを聞いてみた。
ダメだった。
年金生活者には貸さないと言われた。他にバイトをしていても、年収150万以上ないと貸さないとのことであった。
そりゃそうだろうなぁ。ゼニがなければ、なんにもできないってぇわけだ。
あとはいさぎよく死ぬしかないですなぁ。
わははははっははっははははっはははっははっはは。
BYE-BYE!
今朝、九十九里浜は雨であった。雪が降るかと思っていた。天気予報が関東は雪だと言っていたからだ。良かった。関東は、雪に弱いからだ。電車もそういう設計になっていないからだ。道も雪が降ったら歩けなくなっちまう。人間が慣れていないからである。
ふるさとにいたころ、東京で積雪10センチで交通が麻痺したと聞いて笑ったことがあった。なにしろ、米沢で10センチくらいの雪は雪ではないからである。高校まで通うのに、米沢駅から歩いて40分くらいは優にかかっていたからそんなもん屁でもなかった。小中高と同級生なんか、旺文社の英単語暗記集のマメタンを持ちながら歩き暗記をしていたのだったから、さすがである。やつも国立大学に進学していった。ボキだけである。苦学して進学していったのは(^Д^)。
それにしても、バイト日の昨日でなくて良かった。雨が降っていたら、めげるではないか。ささやかな収入しか稼げないけど、それはそれで責任感を持ってやらせていただいているからである。
スタッドレスタイヤをはいているものの、九十九里浜ではノーマルタイヤで雪道を走っているクルマも多い。もっとも、滅多に雪道にはならないが。
だから不安なのである。こっちは大丈夫でも、相手がスリップする可能性はデカイからだ。しかも、平坦地である。信号もあまりない道も多い。ずっと田んぼの中をつっきる感覚である。これは横風にも弱い。こういうのは怖い。しかも、こっちはスモールカーである。ぶつけられたら、たまったもんではない。死にたくないからだ。
今日は、家人が味噌づくりでいない。手作り味噌である。友人と一緒に作ると言って、朝早く出かけた。したがって、華の独居老人生活を送っている(^_^)。
食器を洗って、ストーブに灯油を入れてやっとパソコンの前に座れた。NHKラジオの英語講座も聴き終わった。
安穏として過ごしている。こういうのが一番である。
そもそもがぼ~~~~~~~~~~~っとして生活しているからねぇ。
わはははっははっははっははっはははっははっははっはは。
BYE-BYE!
今日は週に一度のバイトデー。で、二度寝してしまって、起きるのが遅くなっちまった。それで、NHKの英語ラジオ講座を聴くことができなかった。これから、録音しているやつを聞くけれども。
起きたら、アウトプットを気取ってブログを打鍵してからラジオ講座、朝食というステップになっている。それが一番健康に良い。朝のうちに、文章特訓をしてしまえば、一日快適に過ごせるからだ。それからは、昼寝したり、読書したり、歩きに行ったりしている。気楽なもんだよん。
で、今朝は食欲もなかった。あれれれれれれれれと思った。そしたら、うんこもよく出なかった。自律神経をやられている。こりゃアカンですなぁ。
うんこなんか、快適に出るにかぎりまんな。出るものは拒まず。出ていくものを呼び返すことはできないからなぁ。
わははははっはははっははっはははっははははっはははっはは。
出ていくものは、どことなりと出ていって欲しいもんじゃよ。
今日はなかなかの人物とちょっとしゃべっていた。一時間は話をしていただろうか。さすがに、組織を任せられるだけの人物ではある。職人芸ではない。どうも、ボキはいつも会っている方々というのが、実に狭い範囲の知識しかないので、退屈しているのだ。そういうのを職人芸とボキは思っているのだが、それはそれなりにすごいことだと思って尊敬はしている。
しかしである。あまりにもご自分の専門に閉じこもっておられると、げっぷが出て困ってしまうのじゃよ。
それが世の中のためになっているのかというと、そうでもないからである。
しかし、ご自分では気がついていないのだ。たいしたもんだと、自分で自分を評価しておられる。かなり高い評価をしておられる。これって、ドンキホーテではないのかと思うからである。落語である。まるっきり。
ボキなんか与太郎だから自分の評価なんて、水面下であるからなぁ(^Д^)。低レベル。急降下爆撃だよん。あ、違った。これだと元は高い評価だったとなっちまうですなぁ。そんなことあるわけない。生まれつきのアホだから。
さ、風呂も入った。バイトで心地よい疲れがあったが、これもふっとんだ。明日は、また元ののんびりタイムに戻る。
これでいいのだ、これで。
BYE-BYE!
今日の午後は、市営のジムに行った。なんと去年の5月以来だった。トレーナーにも、久しぶりと言われた。うれしかった。覚えてくれていたのだ。そしたら、ボキの会員カードがなかった。トレーナーに捨てられてしまったの?と聞いた。そんなことはないと言われた。二人で探したらあった。
それもうれしかった。
なんでジムに行かなくなったのかというと、歩き専門になっていたからだった。毎日、15キロは歩いていたから、ジムに行っている暇がなくなってしまったのだ。それでいいと思っていた。時間にして二時間は歩いていたからだ。
体重もコントロールできていたし。
ところが、膝をやられた。これで、太ってしまった。
で、今日から復活したのである。
最初、バイクをやってみた。できなかった。まだ痛い。膝がである。これは逃げるしかない。つまり、自転車こぎからである。膝によくない。他のトレーニングをやるしかない。
まさかこんなことになろうとは、夢にも思わなかった。
6年くらいお付き合いいただいているトレーナーに聞きながら、今までやっていなかた上半身のトレーニングに切り替えた。これならできる。でも、重いものは上げられない。40代後半のときは、140キロのベンチプレスができていたのに、なんと30キロがやっとである。
がっかりした。
そして、最後に血圧を測っていたら、同年のご婦人がボキを見つけて歩み寄ってきた。「久しぶり~~~」と言われた。さらに「太ったねぇ」と言われた。「前はガリガリだったのにねぇ」とも言われてしまった。
そんなことはない、体重は二キロ太ったけどと申し上げた。膝を痛めてこれなかったとも言い訳をした。
ウソでしょと言われた。
顔が膨れているといわれてしまった。
へ?
顔?
ボキの顔なんか覚えてくれていたんだと白々しい言い訳。
わははっはははっはははっはははっははっはははっはははっはははは。
来週から復活である。
ジム。
これでますます健康になるのじゃよん。
(ToT)/~~~
千秋楽であった。相撲が終わった。なによりも相撲が好きなボキとしては、今場所もいろいろあったけど、タノシカッタ。日本精神の発露であるとすら思っているからだ。もっとも、最近は外人が多くて、ちょっとこんなことを言っていると笑われてしまうのかもしれないが。
それにチャレンジしている人を見ているのは、実に好ましいものである。ボキもやってやろうと思ってしまうから不思議なもんである。チャレンジしているうちは、体力も消耗しないからだ。
ドンドンアウトプットして、ドンドン積極的に生きてやろうじゃないかと思っているからだ。
そもそも、ボキは文章を書いたりするときも、30%くらいの出来で良しとしている。完全な文章なんか書けるわけもない。いいんだ、いいんだと思うことにしているからだ。まずはやってみる、打鍵してみる、書いてみる。それでよしである。
評価を気にしていないからできるのだ。誰かの悪口の対象となったとしても、まったく気にしていない。そんな時間があったら、読書でもしていたほうがいい。ずっといい。そんなもんで、暇をつぶしていたらあっというまに死んじまうではないか。
それにしても徳勝龍の優勝はうれしかった。なぜか。たたきあげだからだ。低迷していたからだ。低迷している人には、応援してあげたくなっちまうからだ。
ボキもずっと低迷しているから、応援してあげたくなるのである。これは人情というものである。自分に返していくからだ。そう思うのも無理はないからだ。
自分を見てしまうからだ。徳勝龍は、あと何年も相撲を取っていくわけにはいかないだろう。年齢も若くはない。引退も迫ってくるだろう。
そこのところに、自分を見てしまうのである。
我慢して、我慢して、やっとつかんだ優勝杯である。これが若くて、エリートで、人気もある相撲取りとは違う魅力なのである。
ううううううううううううううううううううううううううううううううううううむ!
いい場所でしたよん。
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