と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

「困難な結婚」という本を千葉市で買ってきた。昨日のことである。これは間違ってもリビングには置いておけない。家人に見つかったら大変じゃ(^0^)。

2019年05月12日 07時51分27秒 | 夫婦論
なんでもかんでも相手を理解する、しかも完全に理解するなんてぇことはできるわけがない。

自分のことだって理解できていないのに、自分以外の人間を理解できると思う方が無理だというものである。

とりわけ夫婦間はそうだ。理解したつもりでいるから、相手の態度に腹が立つのである。ボキのことではない。ボキが腹立つことはない。家人は完璧だから。

しかし、相手が腹を立てるのである(^0^)。欠点だらけだからだ。なんにもできないし、メシを作っても上手にできないからだ。掃除も洗濯も下手くそである。ボキのことである。

こんなんじゃぁ、後は介護を待つばかりである。

しかしである。ある程度の距離感というのは大切である。あまり密着していると破綻するからだ。

ボキたち夫婦はもうそんなレベルはとっくの昔に卒業した。密着していないからである。お手々をつないで、歩くことも無い。

なんてぇことを考えたのは、昨日千葉市に出かけていって古本店でおもしろい本を買ったからである。尊敬する内田樹先生の「困難な結婚」という本であった。正価の半値であった。表紙の帯に「今より幸せになるために結婚してはいけません」とあった。まだ全部読んではいないが、なかなか参考になる。

本来結婚というのは大切なものであるが、あまりにもいろんな条件をつけすぎて、誰でも結婚できるという側面が見落とされているのではないのかとも書いてあった。

目から鱗であった。

それに、ずっと待っていれば必ず「もっと良い人」が現れるというのも違うのではないかという指摘もあった。これまた同感であった。ほどほどのところで手を打ってみるべしということなのだろう。

しかし、女性は夢を見る。シンデレラ症候群である。あ、これはボキが勝手にそう思っているというだけだが。

結婚しちゃえば、男なんてだいたい同じなのである。会社や組織でどんなに立派なことを話していても、プレゼンテーション能力に優れていたとしても、家に帰ればジャージで少量のビールをチビチビ飲んでいるダメ親父である。つまらないコメディを見て大笑いをしているという案配でもある。

シンデレラにはなれないのだ。多くの女性は。私はそんなのイヤよ!とのたもうても、だいたいは同じ運命をたどるしかない。

そんなに計算通りにうまく行くわけがないではないか。

計算ミスだって夫婦間にはあるのだ。

東大に入る秀才だって、全部100点で入っているわけではないのだ。ミスもしているのである。20%くらいは。

人間もそうじゃよ。

しかし、この本間違っても家人に見つかる場所には置かないことである。


わははっはははっははははっはははっはははっはははっはははっはは。


トホホになっちまうから。


BYE-BYE!
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夫婦といえども「今日一日限りのおつきあい」と大事にするこったよん。明日になったら、相手がいないという可能性もあるからだ。

2019年05月08日 08時18分59秒 | 夫婦論
「一期一会」という。よく使われる熟語である。

しかし、これって夫婦関係にも使われて良いものなのではないだろうか。

ボキは、夜寝るときに明日も無事眠りから目覚めて、死なないで、家人と会えることを楽しみにしているのだ。前の晩に、脳梗塞かなにかで意識を失ってしまって、それっきりという可能性もあるではないか。

だから、昨日の妻は今日も妻だとは限らないのである。昨日妻であったとしても、こっちの方が死んじゃっていたらthe endである。

これって、仕事人間をしていたらなかなかわからなかったことだ。時間が永遠に続くと思っていたし、人間関係もずっとこのまま続くと思っていたからだ。しかし、現実は違っていた。

職場の人間からは切られたし、人間関係も大きく変化した。元****なんて肩書きもなんにもないし、そんなもんで老後を生きていこうなんて考えてもいない。

だから、バリバリアルバイトをやって、新しい人間関係を構築して楽しんでいるのだ。それは当たっている。

タノシイからである。

特に、夫婦である。明日死んじゃうかもしれないと思ったら、夫婦といえども「今日一日限りのおつきあい」と大事にするこったよん。明日になったら、相手がいないという可能性もあるからだ。病院に行っていたり、火葬場に行っていたり(死んですぐには行けないけど)、いろんなことが考えられるではないか。

時間が連続していると勘違いしているから、永遠に人間関係が続いて「うんざり」することになるのだ。「うんざり」のあまりに、もう別れましょうとなってしまうのである。しかし、別れたとしても、ご当人の方が明日も生きているとは限らないではないか。夕方には骸骨になっているかもしれないからである。

これってあらゆる人間関係に共通するのではないのか。今日一日限りの人間関係だということになれば、瞬間瞬間を大事にしていくことになる。トラブっている暇なんかないではないか。悪口を言っている時間ももったいない。他人に関心を持っている暇もないではないか。

だって、もうすぐこの世とおさらばしなくちゃならないからである。

永遠に生きていられるわけもないからだ。

だったら、夫や妻に感謝して生きるに限る。そして、「他人行儀」に生きることである。夫や妻を自分の半身のように勘違いしているから、わがままも出てくる。相互に腹を立てたりしてしまうのだ。家庭は憩いの場だとかのたもうて、好きなだけ酒を呑んで、体調を崩し、あげくの果てには病院送り。そして治療の甲斐無く死んじまう。

他人行儀に生きていれば良い。毎朝リセットするようなものである。相手にあいさつもする。ブスッとして新聞なんか見ていないことである。会話を優先させて、朗らかに生きていくことである。

昨日の妻は、今日の妻。

今日の妻は、明日も妻。

なんて思わないことである。

だったら生きてさえいれば、じつにありがたいと思えるようになるからまか不思議である。

退職したからと言って、前職にコダワルことなんかちっともないのだ。

今月から、幕張で研修会のコウシ様をつとめるが、後輩諸君に世間知らずの狭い了見で仕事をしないほうが良いとアドバイスさせていただくけど。これも、退職してみないとわかんねぇことだろうなぁ。

さ、これから歯医者に行く。

良い天気だ。

朝、4時半に起きてもう4000歩歩いてきたから、あと少し歩くけど。今日も元気でしぶといジジイでございまするよ(^0^)。




BYE-BYE!
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長いつきあいだから理解しているってぇのはウソである。とりわけ高齢者夫婦は気をつけないとアカンですなぁ。

2019年05月07日 08時09分30秒 | 夫婦論
ボキのように、結婚して数十年たつとなんでも理解していると思いがちである。老夫婦の場合はまさにこれが当てはまる。あっと言えば、うっと返事がきて当たり前だと思わない方が良い。

そんなのあり得ないではないか。所詮他人が夫婦になったからである。他人なのだから、逆にコミニュケーションが大事なのである。

あいさつもした方がよろしい。朝、起きて知らんぷりをして無口を通していたら人間関係が破綻する。他人だってそうではないか。家庭も職場だと思っていれば良いのである。家庭は休憩する場所ではない。だらしない時間を過ごす場所でもない。のんべんだらりと、テレビなんか見ている場合ではないのである。

昨日の妻は、今日の妻ではないのである。むろん、これは夫も当てはまる。油断しているとあっという間に人間関係が破綻する。こころなんて、いつどうなるかわからんからである。変化してしまうからだ。絶対安定というのはあり得ないからだ。だから、愛というのが信じられないのだが。ボキは。

長いつきあいだからわかってくれるだろうというのは、甘い。考え方がである。友人だってそうではないか。長くつきあっているからと言って、なんでも理解してくれているわけではない。親戚だってそうだ。兄弟だってそうだ。利害関係が親戚・血縁にからんだ場合はもっと凄惨なことになってしまうからだ。相続然りではないか。ボキは、行政書士のライセンスも持っているから、いろいろとそういう事例を知っているからである。

さらにある。仕事を一緒にしていた場合でも、相手側の都合でいつでも関係性を切られてしまうではないか。かつて、同じ仕事をしていたからと言って慣れ慣れしくしていたら、迷惑がられてしまうというのはこれである。だから、ボキは現役時代になにをやっていたかということは全く話題にしないことにしているのだ。

最近でもある会議で、自己紹介をせよとなった。この4月から居住地のなんとか委員というのを仰せつかったからである。年間2回会議がある。それで8人くらいいるのだが、ボキは新任である。それで自己紹介となった。で、他の委員さんは偉そうに現役時代に****長とかやっていたと言っていた。ボキは、違う。7つの出稼ぎをやっていると言った。さらに、通信制高校の講師をやっていると付け加えたけど(^0^)。

そしたら、脇に座っていた昔からの知人に言われてしまった。なんで、大学非常勤講師と言わないのだ?って。笑ってしまった。そんなもん、公式の会議で言うようなもんではないではないか。それに、それだけやっているのではないからだ。7つである、7つ。それを全部紹介していたら、時間がないではないか。

「自己開示」をどうするか、どうやるか、どれだけできるかということが、友人知人関係にも当てはまる。

これは夫婦においても当然そうである。

秘密は良くない。だから、秘密を持つような行動をしないことである。不倫とか、ギャンブルとか、カード破産とかいうのはやっちゃいけないのである。

悪人だから救われるというのがある。歎異抄である。これも、浅薄な理解で悪事を重ねるほど、救済があると説いた宗教家もいた。親鸞はそんなことを言ったのではない。前提があるからだ。こんな浅薄な理解でいると人生を誤る。だから、蓮如はこの書物を禁書にしたのである。修行をしていないと誤解してしまうからだ。これ以上は書かないが、こんなんじゃボキのような庶民にとってもアカンのである。

「自己開示」に耐えられる日頃からの行動を維持しているかということが、ボキの場合には結婚生活を維持してきた「コツ」のような気がしている。

おかげさまにて、40年の結婚生活である。

感謝しているのだ。


わはははっはははっははははっはははっははははっはははっははははは。
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「瀬戸の花嫁」ではないが、「若いと誰もが心配するけれど、愛があるから大丈夫なの」は、ホントに大丈夫なのか?

2019年05月06日 08時21分53秒 | 夫婦論
「失恋はコミュニケーション能力を磨く絶好の機会」だと、教えていただいたことがある。なんの本だったか忘れてしまったが。確かにそうだろう。自分の思いを伝えるが、受け入れてもらえない。むろん、いろいろと条件があるんだろう。経験上(^0^)。

ボキのようなハゲや貧乏人は相手にされないだろうから。

それでも、たたき上げというのは強い。これまた経験上である。ボキは、みちのくの山形県から集団就職列車で上京して、新聞配達をしながら大学という名の学部に入学して通っていたからである。たたき上げもここまでやってしまうと、人格もひねくれてしまう。

しかし、そのたたき上げでいろんなスキルが身についた。ありがたいことである。つまり、生きるためのスキルである。

どんなに貧乏でも、コツコツと勉強していればいつかなんとかなるというのもその一つであった。宝くじとか買って一発逆転を狙ったこともなかった。そういうような人生を送ってこなかった。コツコツと働いていれば、少しだけだが、貯金も貯まった。大学生の分際で小金を持っていたのである。20万くらいだった。当時の学費が一年間で8万だったから、苦学をする必要もなかったんだろうが。笑っちまうけど。

カネを借りにきた高校時代の同級生もいたのだよん(^0^)。奴は、エリート大学の学生だったから、ボキも投資のつもりで貸してあげた。まだ返してもらっていないが。奴は出世して某エリート有名大学の教授になっちまったから、お祝い金である。

わはははっはははっははははっはははっはははっはははは。

失恋なんてまっぴらゴメンという方も多いが、実はその体験は結婚生活を支える。幸せな結婚生活をである。

こういうことをやったら破綻する、ダメになるということを経験的に知っているからである。

遊び人は当然、結婚生活の破綻が迫ってくるだろうし、ボキのような堅実に生きている人間は慎重に行動することになる。

モテナイ人は、さらに慎重に行動するだろう。ボキは、世界一慎重に行動するようなスーパーモテナイ人間だから経験上わかっていることでもある。しかし、あまりにも慎重になりすぎて出会いの可能性を捨ててしまっている可能性もある。ボキがそうだったからだ。

それでも、苦労人はいろいろな波乱にうまく対応できる。スキルが違っているからである。酸いも甘いも噛み分けてきたからである。考え方に甘さがない。甘く生きていない。したがって、他人を大事にする。結果的にはこっちの方が良い。

結局ルックスではないのである。人格なのだ。

それをである。どこでどう勘違いしたか、人間関係のスキルなんて関係ねぇとのたもう若い人もいる。結婚生活だって、スキルが必要なのである。小柳ルミ子の歌った「瀬戸の花嫁」ではないが、「若いと誰もが心配するけれど、愛があるから大丈夫なの」では、ダメである。第一、愛というのが信用できない。こころの持ち方一つで人間関係まで左右されるというのは、まさに唯心論である。新興宗教みたいではないか。

さりとて、ゼニがすべてを左右するとも思わないけれども。限界はあるからだ。

今日は、これから太平洋を見に行く。ぼ~~~~~~~~~っとしているから、生きてられるんだろう。ありがたいことである。感謝。一人では無い。複数である。これもまたコミュニケーションのスキルのおかげである。

幸せなジジイ生活が始まる。生きていて良かったと思う瞬間である。

ありがたいものである。


BYE-BYE!
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古今亭志ん朝  厩火事

2019年05月05日 21時52分12秒 | 夫婦論

こっちも味がありますなぁ

 

 

古今亭志ん朝  厩火事

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落語 古今亭志ん生 厩火事 髪結いの女房が、亭主が酒ばかり飲んでいて・・

2019年05月05日 21時33分04秒 | 夫婦論
夫婦ゲンカの究極がこれであります↓
 
わははははっはははっはははっははっはははっはははっははっははははっは
 
 
 
 
働き者の女房と道楽者の亭主。皿か、女房か。究極の選択。厩火事
女髪結いで、しゃべりだすともう止まらないお崎が、
仲人のだんなのところへ相談にやってくる。
亭主の八五郎とは七つ違いの姉さん女房で、
所帯を持って八年になるが、
このところ夫婦げんかが絶えない。
それというのも、
この亭主、同業で、今でいう共稼ぎだが、
近ごろ酒びたりで仕事もせず、
女房一人が苦労して働いているのに、
少し帰りが遅いと変にかんぐって当たり散らすなど、
始末に負えない。
もういいかげん愛想が尽きたから別れたい、というわけ。
ところが、
だんなが
「女房に稼がせて自分一人酒をのんで遊んでいるような奴は、
しょせん縁がないんだから別れちまえ」
と突き放すと、
お崎はうって変わって、
そんなに言わなくてもいいじゃありませんか
と、亭主をかばい始め、
はては、
あんな優しいいい人はない
と、逆にノロケまで言いだす始末。
あきれただんな、
それじゃ一つ、八の料簡を試してみろ
と、参考に二つの話を聞かせる。
その1。
昔、唐(もろこし=中国)の国の孔子(こうし)という偉い学者が旅に出ている間に、
廐から火が出て、かわいがっていた白馬が焼け死んでしまった。
どんなおしかりを受けるかと青くなった使用人一同に、
帰った孔子は、馬のことは一言も聞かず、
「家の者に、けがはなかったか」
これほど家来を大切に思って下さるご主人のためなら命は要らない
と、一同感服したという話。
その2。
麹町(こうじまち)に、さる殿さまがいた。
「猿の殿さまで?」
「猿じゃねえ。名前が言えないから、さる殿さまだ」
その方が大変瀬戸物に凝って、
それを客に出して見せるのに、
奥様が運ぶ途中、あやまって二階から足をすべらせた。
殿さま、真っ青になって、
「皿は大丈夫か。皿皿皿皿」
と、息もつかず三十六回。
あとで奥さまの実家から、
「妻よりも皿を大切にするような不人情な家に、
かわいい娘はやっておかれない」
と離縁され、一生寂しく独身で過ごしたという話。
「おまえの亭主が孔子さまか麹町か、
何か大切にしている物をわざと壊して確かめてみな。
麹町の方なら望みはねえから別れておしまい」
帰ったお崎、
たまたま亭主が、「さる殿さま」よりはだいぶ安物だが、
同じく瀬戸物の茶碗を大事にしているのを思い出し、
それを持ち出すと、台所でわざとすべって転ぶ。
「……おい、だから言わねえこっちゃねえ。
どこも、けがはなかったか?」
「まあうれしい。猿じゃなくてモロコシだよ」
「なんでえ、そのモロコシてえのは」
「おまえさん、やっぱりあたしの体が大事かい?」
「当たり前よ。
おめえが手にけがでもしてみねえ、
あしたっから、遊んでて酒をのめねえ」

 

 

落語 古今亭志ん生 厩火事 髪結いの女房が、亭主が酒ばかり飲んでいて・・

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犬も食わない、相手にしないという夫婦ゲンカは、どうやって解決するのが良いのだろうかねぇ・・・ヒトのこたぁ言えないけど(^0^)

2019年05月05日 06時48分20秒 | 夫婦論
「夫婦ゲンカは犬も食わない」は真実か?

果たしてほんとうにそうか。夫婦のケンカはそれほど単純なのか。長いこと疑問に思ってきたからである。

そして仲裁に入ってみると、今度は逆恨みされてしまう。だから、単純では無いのである。落語にもある。夫婦ゲンカをして、仲人が仲裁に入って「わかれっちまいな」と言うと奥様が逆上しちゃうという話である。「あら、そんなダメ亭主じゃありませんよ」と奥様が言うのである。確か、奥様が髪結いでダンナが年下で美男という設定であったと思う。髪結いの亭主であるから、仕事もなんにもやっていない。アホな話である。やってられない。だったら夫婦ゲンカなんかしなければいいじゃないかと思ってしまう。

この落語は、小遊三のが良い。テンポが良いから、笑っちまう。ま、好みだが。

夫婦ゲンカは、話題が家計のこと・子育てが理由になって起きることが多いらしい。そう書いてある本にも出くわしたからである。

なるほど、収入が悪いからと言って夫を責めたらおもしろくないだろう。稼いでこいというやつである。ちゃんとやっていればの話ではあるが。

子育てもそうだ。出来の悪いガキを、互いの血統のせいにしちまうから始末に負えない。お前に似た、イヤ、あんただわよとケンカしているという設定になっている。

こういうのは、問題の解決法はわかっているのである。収入が良くないのなら、複数の仕事をするしかないし、子育ても成績の悪いのは血統のせいではなくて親の方に能力があったのかということにも結びつくからである。だから、ケンカにならないはずなのに、お互いに感情的になってしまって離婚までなってしまうのだ。

こんな程度の問題は、問題が問題になっていないのである。

解決方法を追求していくのが、賢い夫婦であろうからだ。問題はなにか、解決方法を導き出すのにはどうしたら良いかとやらなくちゃならないのに、サボっているからケンカ別れになってしまうのだ。特に、勢いで結婚してしまった二人はこのことをよく考えて欲しいもんである。二十代が多いだろうけど。

さらにある。

それは「ケンカに勝負を持ち込まない」ということである。まさか、結婚してから夫婦間で試合をしているのではないからだ。そんなもんの選手権大会もないし。勝ったり、負けたりしていてなんになろうかということである。夫婦には勝ち負けはない。どっちが勝っても負けてもどうでも良いではないか。どっちみち、二人で暮らしていくのである。家計も一緒、屋根も一緒、風呂も一緒、布団も一緒である。

それでもおさまらないとなったら、どっちかが「バカ」「アホ」になってみることである。妙なプライドなんか捨ててしまえと言いたい。ボキのように最初から「バカ」「アホ」だったらこれは簡単である。

このバカ・アホ役は夫の方が良い。女性はなかなかプライドが捨てられないからである。ちなみに女性が化粧をするのも、プライドが捨てられないからである。化粧というのは上昇志向と密接にからんでいる。下位の顔から、上位への顔へと変身したいからである。ボキのように、もう手遅れの場合は化粧が必要では無い。あたりめぇである。毛もない、悪相だし、ゼニも無ければ、チカラも無い。

わはっはははっははっはははっはははっはははっははは。

ケンカが上手いヒトはピエロになれる。自分が折れて、相手に花を持たせるのである。これがケンカの解決法のコツである。問題を解決すればよいのだから。プライドを捨てて、一度ピエロになってみるべし。

こういうのは、落語に学ぶべし。

おっと、ちょっと長くなってしまった。

これくらいにしよう。犬に相手にされなくなっちまうからだ(^0^)。



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魅力的な夫婦は「大ウソつき」である。ウソつきは他人の始まりとはいうが。そもそも夫婦は他人であるから(^0^)。

2019年05月04日 08時44分08秒 | 夫婦論
老夫婦であっても、いかに円満な関係を構築していくかということは、永遠の課題である。若い夫婦というのは、愛という言葉に目がくらんでしまって、そもそもお互いが他人であったということを忘れてしまう。だから、離婚だの別居だのと騒ぐ。

そもそも結婚というのは、ウソから始まっているのではないのか。そう思う。しかもただのウソではない。大ウソから始まっている。

「君を一生幸せにする」というフレーズ自体、大ウソではないか。できるわけないではないか。世間のことをなんにも知らないのに、ただの勢いで結婚しちゃうからである。わかっちゃいねぇなぁと思うのじゃ。もっとも、樹木希林さんではないが、世間のことがわからんから、勢いで夫婦になっちまう可能性もあるから、世の中はおもしろいのかもしれない。樹木希林さんの言葉はおもしろくてならないから、いろいろと著書を買ってきたが。

派手な結婚式でおきまりの台詞を言い、誓ってみても無駄である。参列者は、こころの中で失笑しているかもしれないではないか。自分の経験上。

プロポーズの言葉は新婚生活が始まったら即刻破棄される運命にある。

さらにある。現代は、「おつきあい」と自称して、事実上の結婚生活を送っているのと変わりない関係性があるそうな。そうなというのは、ボキはそういう「おつきあい」という経験がまったくないからである。だいいち、おつきあいをしてくださる女人がいなかったからである。まったく不幸な20代を送ってしまったものである。かわいそうだったよん。

つまり慣れているのだ。男も女も。結婚がスタートなのではないのだ。再出発に近いのではないのか。あきれてしまうけど。

上手に隠し事をしたり、潤滑油としてのウソをもっと見直すべきであると言っているのだけれども。ギャンブルなどで大損していて、ローンを借りていたりしてそれも隠しているというのでは言語道断であるが。

結婚生活に入って、お互いのことがよくわかりすぎてそれであきれてしまうというのも可能性としてはある。

あるからウソも大事であると言っているのである。

相手の底が見えすぎてしまうというのがそうだ。なんだこんな程度の男だったのか(女だったのか)ということである。このことはなにも結婚に限らない。会社や組織でもそうだろう。日頃偉そうにしていたって、まるっきり度量のない小物だった上司もたくさんいたからである。経験上。

会社での実態を妻には知らせるべきではないのだ。会社でどんなに苦労しているかということも言っちゃならない。ヘコヘコしながら生きているかもしれないではないか。

ウソはそういうときに、つくべしである。

円滑に回ればいいだけの話であるから。

もっとも、自称エリートにはつけるクスリはないだろうけど。


わはははっははっはははっははっはははっはははっはははっははは。


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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/