と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

地域に積極的に打って出ること

2014年06月24日 04時10分07秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 

昨日、オレにとっては雲上人のような方と、午後会っていた。85歳。まだまだお元気である。

世間話をしながら、重要なことも話していた。その内容はここには書けない。オレの23歳くらいからのおつきあいだから、随分長い。女性に相手にされず、まだ独身でいたときに、お風呂も入れていただいたり、ご飯や、夕食もいただいたり本当にお世話になった。旅行にも随分一緒に行かせていただいた。湯西川温泉が一番回数多く行ったっけなぁ。ある意味、オレの目標であった方である。ご友人もかなり多い。元気である。酒量は落ちたが、「つきあい」を大事にされる。しかも、決して友人達や、オレのような後輩で若輩者(?)を傷つけない。心のあり方というものを本当に教えていただいたと、オレは勝手に思っている。

感謝しかない方である。

それが40年続いているのだ。気まぐれでオレの前から消えていったりするような人間ではない。大切にしていただいている。一度、友人として「つきあい」を開始したなら、生涯大切にしなくちゃならないというようなことも教えていただいたような気がするのである。

だから恋愛論と友人としてのつきあい=友情論というのは、なじまないのである。そもそも基盤が違っているのである。高校時代に異性間に友情は存在するのかとか、議論したっけなぁ~。オレは存在すると思っている。間違いなく。異性間友情が破綻するのは、そこに異次元の論理が介在してくるからである。そう思っている。異次元の論理というのは、欲望である。肉欲である。もっとも、そういうことを描くのが文学なんだろうけど。オレの嫌いな作家たちは、そういう異次元の作品を書いているから、読むに堪えないのである。(^0^)

今朝書いているのはそういうことではない。

つまり、家に閉じ籠もって、地域に出て行こうとしない高齢者が多いということなのである。オレよりも先輩達に多いのである。しかも、プライドの高い人ほど、受け身である。高い評価をされて当たり前であると思っているのだから、始末に負えない。仕事はむこうからやってくるのが当たり前で、お願いされてやってあげるというスタンスでいるからおかしいのである。なにかちょっと地域の仕事をしていると、そういう方々は「頼まれたからやってあげる」ということを必ず云われる。その底辺に「オレはエライから、頼まれるのだ」という潜在意識があるのだ。オレ?そんなことは決して云わない。あ、そもそもオレに頼みがあるっていう方は皆無である。わははっはっははである。

拙ブログだって、頼まれて書いているのではない。勝手にやっているだけである。だから、好き勝手に書いている。ただし、失礼のないようにということは気を配っている。

そういうスタンスでいいのだ。失礼のない程度に、好き勝手に、外に出ていくべきである。積極性である。問題にしているのは。閉じ籠もっていてはならない。柔道のボランティアのように、細々でもいいからやるべきである。塾もそうだ。オレにはまったくのボランティアのようなものだ。

楽しみでやっているだけであるから。

楽しく、積極的に地域に打って出ることは、オノレの知的なあるいは体力的な健康にも直結するのである。こんないいことはないではないか。

そして多くを求めないことである。友人にもである。友人と思っていても、オレなんかには興味・関心を払っている暇がない場合も多々あるからである。昨日、オレより若い友人と電話で話をしていたら、オレに二人目の孫ができたことを知らなかったのである。そんなもんだ、そんなもん。だからといってハラを立ててはアカンのである。忙しいのだ。オレより若い友人達は。

相手している暇もないくらいに。

 

わははっはははっはは。

 

じゃぁね~。また会いましょう。このブログで。いつ書き込みするかわからないですが。

 

(^_^)ノ""""

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

去年の記事 震災について講演を拝聴した

2014年06月23日 22時47分32秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年
 
震災を経験して 生き延びることのできるものは、生き延びよ
群馬大学 片田敏孝教授講演「想定を超える災害にどう備えるか」 -3.11 東日本大震災の教訓に学ぶ-  ...
 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夫としての器量か・・・・騙されるのも器量のウチだなぁ~

2014年06月23日 19時59分17秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

もとシブがき隊の布川敏和氏が、離婚した。そして以下のようなことを云ったのである。

 

>つちやかおり(49)との協議離婚が成立した元シブがき隊の布川敏和(48)が23日、都内で会見を開いた。昨晩仕立て上がったと いうグレーのスーツ姿で登場した布川は「私、布川敏和とつちやかおりは協議離婚したことをご報告いたします」とあいさつ。「原因は、私が彼女に対する思い やりが欠けていき、夫としての器量がなくなったからだと思う。子供のためにと思っていたが、今回の話し合いの結果を子供たちに報告したところ、離婚を理解 してくれて、決断しました」と話・・・・(gooニュースより)

 

考えさせられるねぇ。

これって、離婚ばかりではなく、友人との別れとか、恋人との破局とかにも通じるものがあると思うのだが、いかがであろうか。マジに。

しかし、「器量」とは大きく出たねぇ。器量というのは、そもそも公的な、天下国家的なスケールで云うときに用いるべき言葉であって、離婚というような私的な関係で使うべきものだろうかとふと思ったからである。ま、当時者にしてみれば、天下国家を論じるときと一緒なのであろうから、これ以上は云わない。

友人間でもそうなのだろうか。

ある友人に多忙な中を教えていただいていた分野があったのだが、この3月に突然オレの目の前から消えてしまったのである。なんの連絡もなく。まったく突然にである。消去されてしまったのだ。

これもあれか?

オレの友人としての器量の問題なのかね。利用価値が無くなってしまったから切っちゃったってことなのか。笑っちまうなぁ。ただたんなる気まぐれとしか思えないのだが。たぶん、それは当たっているだろうと思っている。

それだけの友人でしかなかったということであろう。

騙されたオレもオレだ。ま、どうでもいいけどねぇ。

そういう輩に気をつけなはれや!ということを、天が教えてくれたのである。

 

わははっははははである。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

拙論の再構成と急ピッチで訂正作業を進めている、サウナにも行きながら

2014年06月23日 09時55分25秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

先週の金曜日に、お二人の師匠からご指導をいただいた拙論のことで、分厚いB5のノートで、再構成を試みていた。再構成自体は、この10日ほどやっていたのだが。やってみて、なるほど、なるほどといちいち納得がいく。対面講義をいただいていることの最大のメリットである。オレは、こういうことを希望していたのである。通教にはなかなかないことである。

それも教えていただいていることのよろこびである。

そしてどういうふうにそれを受け止めるか、受け止めて発展させることができるかということである。なかなか困難な歩みではあるが。それが楽しみでもあるのだけれども。

で、今朝の4時から、恐る恐る書き始めた。早起きしたのである。昨晩、また晩酌をちゅ~っとやったら眠くて眠くて、あっというまにbedで死んでいたのだ。しかしである。書きながら、なるほど碩学の云われることは、たいしたものであると思いながら、縦書きを命じられたので、一太郎で書いていた。縦書きだと、デスクトップ画面でないと全体が見えない。見えないから、縦書きを二分割にして書いていた。一太郎は、ポメラとの相性もいいから、今度はどこでもいつでも書くことができる。さらに一太郎の良い点は、脚注を書いている場合に、脚注の数字が書式にならってそのまま縦書きになる。これは大きな利点である。Wordはそれができない。ま、しばらくこのままハイピッチでいく。勝負は夏休みである。通学も新しく買ったSUV にしたから、ドライブがてら、毎日朝から晩まで大学に行こう。暑いしねぇ~。学生、院生で、知っている人はいねぇし、オレは知っていても、虫のようにムシされているし気楽なもんである。わははっはははは。唯一図書館と、大学院事務室の方々だけがオレとクチをきいてくださるだけだ。こういうのもなかなかいい。誰も知らないということは、邪魔する人もいないということだからだ。黙然と一人で黙考できる。悩んだら、図書館で放浪すればいいだけである。

間で、旅行に行ってくる。中国福建省行きは断念したから、予定していた旅行資金を別の旅行に充当できる。またあちこち行くつもりである。それが唯一の息抜きである。一人で、あるいは古女房ドノと一緒に行く。温泉入って、旨い料理を食って、それで老後を楽しく過ごすつもりである。

夜は塾に行く。そして、中学生たちと一緒にアタマの体操である。数学がいちばんいい。体操には。分野が違うから余計いい。男の子は、おなごと違ってかわいいからなぁ。ホンネでつきあえるし。じじいのオレと友達になってくれるのだよ~ん。笑っちまうな。オレのことを「ヒデサン、ヒデサン」と呼ぶのだぜ。

わははっはっはっはは。

少年タチの希望の星じゃ。

女子にはまったくもてねぇけど(>_<)ゞ

 

さ、午前中にgymに行く。午後からなんだかしらないけど、大事な用がある。雲上人のような方と会わなくちゃならない。gymで運動して、サウナ入って、温泉入って、ひげを剃ってくるのだ。そう、化粧してくるのである。馬鹿なじじい生活でありまするよ。

じゃぁね~。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月22日(日)のつぶやき

2014年06月23日 05時57分53秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

中国語使う友達がほしいよん。誰も相手してくれないけど。(^0^)

目蓮救母劇を中国福建省に行って、撮影ならびに写真を撮ってきたかったのだが、... blog.goo.ne.jp/tym943/e/0e0dd…


熱田神宮の境外摂社である氷上姉子神社大高斎田(名古屋市緑区)の御田植祭に行った。子供の頃、田植えは普通の風景だったが、改めてこうやるのかと納得。 pic.twitter.com/Q3Nnj1VpyI

と~ま君さんがリツイート | RT

■「死者は生きているものに力と助言をさずける。」 【ホピ族】

と~ま君さんがリツイート | RT

@3_k_” RT @hey_muu ここのコンビニ近くだから行ってみようwww>>>【人気まとめ】大須 ファミマ店員 加藤さん【キレッキレで話題の人 動画】 ファミリーマート 6秒で爆笑, 面白いVine集 - YouTube youtube.com/watch?v=MXor2U…

と~ま君さんがリツイート | RT

■「泣くことを恐れるな。涙はこころの痛みを流し去ってくれるのだから。」【ホピ族】

と~ま君さんがリツイート | RT

去年の記事 いろいろあったなぁ~ goo.gl/dkUt9e


一太郎の「徹」というワープロの最新バージョンを買ってきた

師匠の指示で、縦書きにすることになった。何が?というと、オレの論文である。これまで実に不慣れな... goo.gl/6ZbUK5


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高次の欲求を満たすシニアの活躍が超高齢社会の課題を解決?

2014年06月23日 05時24分28秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

シニアが輝く時代

 

 

日頃、経済の観点からオレのようなじじい世代の生き方や生涯学習を考えるのは、避けてきたのだ。しかし、今朝起きてオレのブログにこられた方で「シニアが大学での学び直し」という検索語で記事をいくつか見られた方があった。にっこりした。まさに、オレはそういう類いのじーさんであるからである。

そして、オレもその検索語をたよりに、サーチしてみた。そしたら、あるあるあるの三乗であった。関連の記事や、ブログが。参ったね。その中に立教大学が、学び直しコースとか作っていて、入学条件は50歳以上とかあった。もっとあったが、ここでは省略する。いろいろな大学が新しいカリキュラムを作って、オレのようなシニアに再チャレンジを促しているのだ。少子化社会になって、大学に入学してくる若い世代が減っているから、新たな大学経営の手法であることくらい、いくらオレでも分かっていた。ま、法科大学院のような立ち位置とも違っているから、シニア向けの大学というのは経験上ありがたいし、オレもそれを利用させていただいている側面は否定できない。

それをである。三菱総合研究所が、「プラチナ社会の実現に向けて」という論文をネットにあげていたのだ。非常におもしろかった。http://www.mri.co.jp/opinion/mreview/special/201311.html

 

>プラチナ社会の実現に向けて

―― 高次の欲求を満たすシニアの活躍が超高齢社会の課題を解決

Point

    超高齢社会の到来に伴い、シニアが活躍できる社会に転換していくことが必要。

    高次の欲求である「つながり」「認め合う」「自己実現」を求めるシニアが増加。

    シニアの活躍が、財政コストの増大や消費の低迷などの課題解決に寄与。

                                

上記のようなタイトルである。

超高齢化社会に向けて、シニアが活躍できるような社会とある。確かにそれは言えることであって、オレもそう思っている。しかし、三菱総研も云っているように「9時から5時まで働く」のは事実上無理である。無理は禁物である。早死にする。オレは100まで生きていきたい。若い人たちに囲まれて。そして、専門の分野でいろいろ議論しながら、そしてたまには海外旅行でもしながら、「悠々自適」で生きていきたい。若い世代に、オレのこれまで修行してきたものを若干でもお伝えしてみたい。事実、教えているほうの大学で、教師教育をさせていただいているから、それは実現してしまったけど。それがとてつもなく楽しい。将来の教師のたまごっちたちに、あの手、この手と教育そのものの根幹に関わること、授業の考え方、やり方、手法、コツ・・ありとあらゆることをお伝えしている。熱心な学生さんたちと楽しいひとときを過ごしている。また、教えていただいているほうの大学では、学生(院生)をさせていただいているのだから、自惚れがあっというまに崩壊して、いじけるどころかますますFightが沸いてくる。なんと美人のclassmateまでたくさんいるのだよん。楽しい、楽しい。

こうやって健康に生きて、学び直しをしているシニアは、経済的には医療コストの軽減につながるというところが、三菱総研らしい。さらに、オレのような学び直しをしているシニア層を後押しするようなマーケットができているというのだ。国内消費市場を拡大するとも書いている。笑ったなぁ。これまた三菱総研らしい。

 

シニアを支える「つながり」欲求を具現化すること。

これもまたシニアに」よる学び直しの効果なのだと三菱総研は云う。超高齢化社会は、じじいたちの出番を奪い、家に閉じこもりがちな高齢者を生み出してしまう。定年退職後、ずっと家にいて、女房殿と買い物に行くのはまだしも、料理の作り方まで文句をつけて、女房殿にプチ家出をされたりしている人もいるやと聞く。あるいは、非常に頑固じじいになって、近所のだれからもクチをきかれずに外出をしないというじーさまである。こういうのはじーさまが多くて、ばーさまは少ない。おなごは年取っても積極的に生きているから、みごとなもんである。(^0^)

つながりというのは嬉しいものである。ともかく人間としゃべっていると楽しいのだ。しかもそれが若い人だともっと楽しい。美人だともっともっと楽しい。わははっははははである。

 

シニアを輝かせる「認めあう」欲求の具現化。

シニアになっても、「働く」「趣味を究める」「学ぶ」ということは重要であるそうだ。三菱総研曰く。たしかにそうであろう。収入は少なくても「働く」ことは大切である。毎日出勤するのはもう卒業したのである。もう結構である。結構、毛だらけ、猫灰だらけである。ねらいは、プチ就労である。週に二回くらい、総計で3時間程度働く。まさにオレの塾がそうだ。プチプチ就労だ。辛くない。その程度なら。しかも、数学・英語・国語の高校受験程度を教える。英語と国語はちょっと上のレベルでも大丈夫だけれども、問題は数学だった。それも、この2年と3ヶ月の自己学習で自信がついてきた(^0^)。だいいち惚けている暇がない。楽しくて、楽しくてならないのだ。大学の非常勤講師もそうである。自ら求めて、「プチ就労」を楽しむべきである。

 

次に、「趣味を究める」ということである。郷土史の勉強がオレには当てはまるなぁ。しかもオレの場合は、「民俗芸能」である。地方に伝わっている神楽や、踊り、唄を取材して映像にして、それを論文に書かせていただくのだ。学会で研究発表もさせていただく。研究発表は、学び直しを始めてから、まだ2年3ヶ月だが、11回ほど登場してきた。出しゃばりも程があると云われたけど、こいつが実にたまらないほど楽しいんだよん。民俗芸能は、調査旅行も含むから、こっちも楽しい。古女房ドノを巻き込んで全国各地をさまよえることになる。そう、「さまよえる老夫婦」なのである。たまには海外も行くし。温泉つき、旨い料理つきだと、配偶者はもっと喜ぶ。夫婦仲は万全である。わはははっははである。わはははは。

 

最後に「学ぶ」である。

いつまでも完成はないからである。なんでもチャレンジである。居住地の公民館とかで行われる各種講座にも積極的にチャレンジしている。中国語に今はチャレンジしている。なかなかモノにならないのが楽しいのである。留学生から見たらあふぉ~なじじいだろうけれども、オレはそれでもいいのである。中国語が難しいとわかっただけでも、オレには収穫があったと思っているのだ。本当である。

来年はもっとあちこちの講座に出かける。ものになるかどうかということではなくて、出かけることがいいんだ。異世代間のしかも共学である。若返るっちゅうもんである。子供や、孫のような世代とひとときを過ごさせていただくことは、長寿の仙薬をいただいているようなものだからだ。

世代を超えて多くの人を仕合わせにする「自己実現」を目指せと三菱総研は云っている。ありがたいものだ。

なんだか、まだまだくたばりそうもないオレ。

そんなことを考えていくと実に楽しくなる。

さ、今日も一日、楽しく老後を過ごしますよ。

 

(^_^)ノ””””

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まじめなじじいは一太郎というワープロを使う

2014年06月22日 20時33分03秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

一太郎の「徹」というワープロの最新バージョンを買ってきた

 

 

 

 

師匠の指示で、縦書きにすることになった。何が?というと、オレの論文である。これまで実に不慣れな西洋ワープロのWordというのを使っていたのだが、縦書きならWordは使わない。縦書きは日本語専用ワープロの純国産ワープロである一太郎がダントツである。

それで今日一太郎の最新バージョンを買ってきたのである。これまで無理してでも、Wordを使ってきたが(学会投稿とか他大学とのデータ交換には必須)、縦書きならやはり一太郎の方がいい。懐かしい。オレを捨てていった恋女房のようである。?。まだオレは捨てられてはいなかったのだな。わははははっはは。実にありがてぇよん。これからはわかんねぇけど。(>_<)ゞ

横書きというのは、日本語には似つかわしくない。適性がない。オレと大学生の相性がよくないのと一緒だよん。まったく、まったく。そもそも根本が違うのだ。つまり、年齢が違い過ぎる。しょうも無いことである。それをあえて学生にさせていただいたのだから、ここは我慢のしどころである。我慢、我慢である。この間の集中講義のときも、オレの発言を笑うご同輩もたくさんおられたからである。オレのことを知らない学生、院生は確かに、オレのことを妙なじじいで、変わりもんで、なにかよからぬ目的で大学に入学してきたのだろうなと思っているらしいのだよん。オレ、それにはちょっと異議があるのだ。オレのことを知っているご同輩は、オレがどんなにまじめで一生懸命努力しているかを知っておられるだろうと思っているのだが(そうでもないか。そもそもオレのことを知ってる院生っていねぇじゃんか・・・トホホ)

昨日から今日、明日とある準備作業で多忙である。内容はまだ明かせない。楽しみにしていることであるからである。道楽であるから、そういうのは他者にはなかなか告白できないのである。

告白なんて今までやったこともないからなぁ。相手してくれるのがいねぇからな。オレと一緒に食事してくれはる人もいねぇし。古女房ドノ以外は。当たり前だけど。わはははっはは。

世の中、女房以外の人と食事したり、遊んだりしているというそういう遊び人が多いとは知っていたけど、これほど多いとは思ってもみなかったねぇ。いろいろ聞いたのでまさかとは思っていたら、それをfacebookとかブログで公開しているのがいるのである。男も女もである。笑ったね。バカじゃねぇの?まったく、若いおなごとデートしているじじいとか、いくらでもいるということを知って愕然となったぜよ。わははっはははっは。バカじゃねぇ~の。

他にやることないのかね。

無いのか。

無いから遊んでいるのか。ふううううううううむ。そんなんでいいのかね?なんだかわけのわからない世の中になってきているな。じじいたちも何を考えているのだろうかね。それのチャンピオンが失楽園を書いた某作家か・・・。もっとも初期の頃はかなりまともな作品を書いていたんだけど。医学生がなぜ文学をやるのかということでは、某作家の右に出るものはないからである。

どうでもいいか。

しかし、やはり一太郎はいいな。実にいい。軽いし。

じゃぁねぇ~。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

去年の記事 いろいろあったなぁ~

2014年06月22日 18時33分34秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年
 
チャレンジするのは、若い方だ。

[芋も、若いサルから洗ったのだ]   石川啄木の「時代閉塞の現状」を読んでいる。火曜日までの宿題である。ま、ゆるゆるとやって...
 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「今が一番たのしゅうございます」と、お答えしたら、「長生きできますよ」と・・感謝!

2014年06月22日 08時09分00秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

中国語使う友達がほしいよん。誰も相手してくれないけど。(^0^)

 

 

 

目蓮救母劇を中国福建省に行って、撮影ならびに写真を撮ってきたかったのだが、とうとう師匠に断念しましたと報告をしてしまった。仕方がない。中国語も英語も話せない。英語なら和訳はちょとだけならできるが、どうにもこうにも・・とほほである。旅行会社にもきつく云われた。一人で中国行きたいなんてやめましょう!って。年齢も高いしなぁ。事故にあったら、対処できないでしょとも云われてしまった。どうやって帰ってくるのですか、とも。それはそうだな。知人もまったくいないし。中国関係の方は。

これもご縁がなかったと諦めるしかないのか。もっともあれか。旅行にさしつかえないくらいの会話ができるようになるまで、勉強するしかないのか。いつになったらそんなことが可能になるのだ?意欲がないからなぁ。今、学生をさせていただいている大学では、中国の留学生が多いけど、オレ、毛嫌いされているからな。話しかけたら、無視されるだけである。下手したら、セクハラじじいになっちまうしねぇ。あははっははである。

絶対学生にはみえないしなぁ。しかも、オレは来年は在籍校からは去らねばならない。もう学費は無くなってしまったからである。最初から3年でやめるつもりだったし。

講師を務めさせていただいている大学の方でサークル活動でもさせていただくかなとも思っている。留学生もいるから。でも、ちょっと国が違っているのと、理系の大学だからオレと話があわない。

参ったね。参った。

中国語の友達が欲しいよ。まったく誰も相手にしてくれないっていうのは、辛いもんじゃ。

 

 

昨日から、論文書きはストップしている。ノートを手にして、構想の練り直しをしている。素人だから、この辺りが苦しいのだ。もっともオレがこれまでやってきたことの集大成になるのだから、材料はかなりある。それだけでも勝負できるのだが、問題はオレが研究者でも学者でもなんでもなかったということで、これは苦しい。下地がないからである。書き方もよくわかっていないからである。

それでも、オレの論文書きはずっと死ぬまで続けられる営みである。今、学生をさせていただいている大学だけに論文を書いているのではない。他の学会や、研究誌等々でこの2年3ヶ月で11回登場したのだ。非常に積極的に、怒濤の如くやってきた。生き急いでいるのではないかとも云われてしまったっけ。

いいんだ、いいんだ。

そればかりやっているわけでもないからである。古女房ドノと一緒に旅行もかなり楽しんでいるからである。

だから、一昨日もう一人の師匠に「いつの時代が楽しかったですか?」と問われた時に、「今が一番たのしゅうございます」とお答えしたのである。その時、オレは在籍大学の先生方だけが利用できる大学のレストランで、昼食をおごっていただいていたのである(^0^)

だから、「今が一番たのしゅうございます」と、お答えしたのである。縁語のつもりで申しあげたのである。そしたら、その先生のご友人の先生から、長生きできますよと云われた。わはははっははっははである。

本当である。オレは長生きするんだろうなぁとこころの底から思っているのだ。

気楽だからな。

 

今日も一日、気楽に生きていきますけど。

 

じゃぁねぇ~。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月21日(土)のつぶやき

2014年06月22日 05時50分23秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

夕刻、酒を一合呑んだらバタンキュー

金曜日は疲れる。当然である。学生じじいの役割を演じているからである。朝の、9時30分からずっと講義をいただいたり、ゼミに出席したり、... goo.gl/e2ORFO


去年の記事 生涯学習の欠点かも goo.gl/FZVlX7


スイス、移民「定員制」2017年導入へ=EUは協定違反と反発 - 時事通信 bit.ly/1wdy8HY 2014-06-21 10:01:30

と~ま君さんがリツイート | RT

【富士登山の子ども 半数超が高山病の症状】世界文化遺産への登録で大勢の登山客が見込まれる富士山で、医療関係者などで作る団体が登山に訪れた子どもたちの健康状態を調べたところ、半数以上が頭痛などの高山病の症状を訴えていたことが分かりました。nhk.jp/N4Dy6STG

と~ま君さんがリツイート | RT

人格は、一つの自由な意志にとっての現象であるとはいえ、けっして自由ではない。なぜなら人格は、ほかならぬその自由な意志の自由な意欲によって決定づけられた現象だからである。

と~ま君さんがリツイート | RT

西欧哲学にあって、諸個体は様々な力の担い手に還元される。その力が、知らず知らずのうちに個体に命令を下すのである。個体は、だからその意味を全体性から借り受けていることになる(つまり、個体の意味はこの全体性の外部では不可視である)。-全体性と無限-

と~ま君さんがリツイート | RT

先日開催したトークライブ『宿坊でできる7つの修行』のレポートを、ブログにアップしました! おかげさまで多くの方に宿坊の楽しさをお話することができましたよ。

syukubo-blog.com/2014/06/20/5733

と~ま君さんがリツイート | RT

■「インディアンはまっすぐな舌を愛し、先が二つに割れた舌を憎む。」【インディアンの言葉】

と~ま君さんがリツイート | RT

性善説は、古ぼけた説とも、素朴な説とも思われない。人間は、他人とともに生きねばならず、生きるとは他人を信頼する事だ、そういう智慧には、社会教育による後天的なものと考えるには、余り根本的なものがある。 (金閣焼亡)

と~ま君さんがリツイート | RT

シーギリヤ遺跡(シギリア遺跡) スリランカ中央部の古代遺跡。カシャパ王(King Kasyapa、西暦477 - 495年)時代の宮殿跡があるのです
(シギリア/シーギリヤ/シギリヤ/シーギリア) pic.twitter.com/Ccuig3CnRX

と~ま君さんがリツイート | RT

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

去年の記事 生涯学習の欠点かも

2014年06月21日 18時40分02秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年
 
作業化してはならないのだなぁ

 生涯学習をやっていると、勉強が作業になってしまっていることに気がつくことがある。愕然となる。つまり、あまりにも日常的になりすぎて、連続した日々のあるひとこまでしかなくなってしまう...
 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学生じじいという役割を演じていると

2014年06月21日 04時45分18秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

夕刻、酒を一合呑んだらバタンキュー

 

 

金曜日は疲れる。当然である。学生じじいの役割を演じているからである。朝の、9時30分からずっと講義をいただいたり、ゼミに出席したり、午後3時からは場所を変えて在籍大学の成東インフォメーションセンターで留学生による中国語講座を受けていたのである。全部勉強になる。ありがたいことである。

それでも昨日は疲れた。

晩酌を一合くらいやったら、もうバタンキュ~であった。すぐ寝てしまった。で、4:19である。そう早起きしたのである。Gymにも行かなかったのだ。参ったね。参った。こんな時もあるのだ。疲れたら寝た方がいい。オレは無理はしないのである。だからなにをやってもモノにならなかったのだなぁ~と思う。そもそも、こんなじじいになってから、大学院に入学したのが間違っていたのだろうし。まだ、2年と3ヶ月しかたっていないが、これで良かったのだろうか?という疑問もちょっとはある。専門の研究者とか学者を目指せるほどアタマ良くねぇし。しかし、過去は取り戻せない。このままあと半年置いていただいて、じじい街道を驀進するしかないようである。

論文書きも、訂正作業をしていく。構想そのものが素人であるから、再構築である。量的な問題はクリアーした。しかし、やはり素人である。ここが哀しいですなぁ~。駄文である。まったくの駄文。厳しいものである。昨日はちょっとそのせいもあって、ちょっとだけだが、メゲテいたのである。そうなのだ。一見、気楽なじじい稼業であるが、学生でもある。評価が絡むと、メゲル時もあるのである。

中国語講座では、蛍の光の中国語バージョンを教えていただいて勉強した。唄がうまいと褒められてしまった。照れた。しかし、そんな問題ではなくて、読めるかどうかが問題である。まだまだですな。まだまだ。そして、気がついた。こういうように、在籍校の生涯学習センターの企画に沿って、勉強させていただくのも悪くはないのだなということをである。所詮、オレにはこういうのが似合っているのだ。その程度のものでしかないのだ、っていうことをである。

人生、高望みをしちゃいかんのである。亀は甲羅に似せている。甲羅よりでかくなってはいかんぞーである。それはオレでもわかている。甲羅よりでかくなったら、死んじゃうからなぁ。しかし、まだ死にたくはない。しぶとく生きていきたい。

 

で、今日である。

今日は、こんどは教えさせていただいている大学で講師をする。土曜日だが、朝の9時30分から講義をさせていただく。補講なのである。詳細は省く。いなくなってしまうからである。オレがである。一回分の講義の補講である。学生さんには申し訳無いのだが、そういうこともある。しかし、昨今の大学はまじめだなぁと思う。オレが学部生だったころは、休講だらけだったものである。しかも、ヨソの大学学生が、ヘルメットかぶって、ゲバ棒を持って、大学の窓ガラスを壊しに来ていたのだった。学生運動華やかなりし時代であった。

ま、今日も疲れて帰ってくるのかな?たぶんそうだろう。ありがたいものである。感謝である。

 

さ、別のパソコンで論文書きを再開する。

 

じゃぁねぇ~!

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月19日(木)のつぶやき

2014年06月20日 05時56分27秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

「とーま、カムバック」・・・?

起きていることは偶然ではない、すべてなんらかの因果関係で必然的に起きているなんてことを、一昨日あたりから書いている。

然りですなぁ... goo.gl/QrjYh7


私のオリジナルアイコンで作った人はすでに居ます RT @226trax @__obake @madoka3618 これでTシャツとか作ったらいいと思うんですけど、どうでしょう。 #放送大学

と~ま君さんがリツイート | RT

葬式出来ないー!とか言ってるけど普段から撮っておけば葬式なんてしなくてもいいんだけどね!!!

と~ま君さんがリツイート | RT

慈眼院十一面観音菩薩坐像:山梨県にある臨済宗妙心寺派の寺院。妙心寺派は末寺3400余か寺を持つ臨済宗最大の宗派。本尊は江戸時代初期に「観音様」として崇拝された。twitpic.com/dwxhm0

と~ま君さんがリツイート | RT

■「自らを愛し、こころの赴くまま行動せよ。問題解決に尽力し、平和であれ。」【ラコタ族】

と~ま君さんがリツイート | RT

ユーロ圏の利下げ、スイスに及ぼす影響注視=中銀総裁 - ロイター bit.ly/1vWLIiP 2014-06-19 17:39:13

と~ま君さんがリツイート | RT

人間は、元々そんなに賢くありません。勉強して修行して、やっとまともになるのです。

と~ま君さんがリツイート | RT

人間というものはいかなる場合でも、好きな道、得手の道を捨ててはならんものじゃ。(「竜馬がゆく」) goo.gl/ufbs

と~ま君さんがリツイート | RT

【関根麻里】大学を首席で卒業 父・勤さんは遊び相手としてのペット!? - ZAKZAK zakzak.co.jp/people/news/20… @zakdesk

と~ま君さんがリツイート | RT

ギリシャもコロンビアもコートジボワールも、全部みんぱくで展示しています。折角ですから、サッカーも文化も楽しんでください。 pic.twitter.com/qfDSOWqzSC

と~ま君さんがリツイート | RT

Facebookボタンやコメント、復旧したようですね、お騒がせしました。

と~ま君さんがリツイート | RT

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美人

2014年06月20日 01時36分33秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

美人というのは集団が・・・

 

 

美人というのは、一族郎党寄ってたかって作り上げるものだそうである。なにかの本で読んだことがあるが、本の名前は忘れてしまった。

これは民族学的・人類学的には正解であろう。レヴィー・ストロースの云いそうなことである。なぜなら、女子は、村落共同体にそのまま居座ってもらっては、困るからである。血縁が濃くなると困るのは集団である。だから贈与として、村落共同体は磨きをかけるのだということを読んだのである。美人をつくりあげるためにである。

自明のことである。父と娘、あるいは兄と妹、姉と弟、母と息子という婚姻関係をタブーとしていたのは、人類の智慧である。当然であろう。

だから婚姻とか、恋愛というのは、所属している集団にとって重要なのである。何をやってもいい、なんでもOKでは集団そのものが滅びてしまうのである。こいつはなかなかおもしろいことである。人類は、そもそも近親相姦をやってしまってから気がついたのであろうからである。つまり失敗してから初めて気がついたわけである。これじゃぁ我が集団は滅亡してしまうというわけである。

そこで冒頭の「美人」である。

世の中には本当に、目の覚めるような美人というのがいる。大都会に行けば行くほどいる。たまげたもんである。現代的美人というやつである。オレは、現代民俗学というものもやっているから、そういうことにも興味があって、なぜ美人というものが地域的に差があるのだろうかと真剣に悩んでいるからである。本当である。

そこで「秋田美人」のことである。

経験上、秋田には美人が多い。雪の降っている夜に、秋田市内でささやかに呑んでいると、幽霊に化かされているのではないかと思うような美人に出くわしたことが幾度かあったのである。そんなに秋田に行ったことはなかったのだが、大人になってからはそういう経験をしたことがあるのである。

そう、オレだって、バーにいくこともあるしということである。

もっとも、アルコールと香水の匂いには辟易させられることが多々あったのだが。これはいまでもそうで、いわゆるパーティというのが苦手な原因である。

あ、中国語講座で聞いたのであるが、中国ではオレのようにマイペースで呑んでいると、組織でははじき出されるのだそうだ。笑ったな。そうか、オレは中国でも排除される対象なのだなとよーく分かったからである。中国ではカンパイというのは、一息で飲み干すのだそうである。特に、エライ方との宴会ではそれができないと出世できないんだそうである。中国語講座の他の方々で、日本から所長とかで長期出張されていた方々が言われていた。

それにあれだな。中国の女性というのは本当に美人が多いから、オレのような朴念仁には目のやり場に困る。チャイナドレスというのも、どこを見ていればいいのか困っちまうではないか。どうでもいいようなことであるが。

秋田と中国には美人が多いようで、これはこれで結構なことである。

もう一つある。ロシアにも美人が多い。統計学的な話ではない。経験上である。(^-^)/

全部行ってみたいねぇ~。

中国も、ロシアも、秋田県も。

 

わはははっはははである。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

去年の記事 もう目標は・・・

2014年06月19日 18時53分43秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年
 
A4で200枚・・人生の目標なり

A4で200枚=オイラの目標である   1 今日は歯医者で、歯のお掃除である。ここ、気にいっていて、歯科技...
 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/