と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

寂寥か、光明か。よ~~~~く考えないと、芭蕉の理解も間違ってしまう。世の中は怖いもんですなぁ。

2019年06月23日 06時55分08秒 | 演歌の精神史ネタ帳
芭蕉というのは、かなり尊敬されている。好きな方々も多いだろう。ボキもそうだ。ふるさとの山寺や最上川も出てくるから、いつのまにか暗唱して喜んでいた。

しかし、「猿蓑」に出てくる

憂き我を さびしがらせよ 閑古鳥

という俳句を見るに至っては、生命観の躍動がなくなっている。元禄2年9月6日~9日。『奥の細道』の旅を終えて、大垣から伊勢遷宮参拝に行く途中曾良の伯父の寺三重県長島の大智院に3泊投宿して作られた俳句である。もとは、

憂きわれを 寂しがらせよ 秋の寺

であったそうな。

あくまで寂寥なのである。寂寥の世界から抜け出ていない。しかも孤独な芭蕉がいる。ただし、妙な宗教的感傷もただよっている。光明が期待されている。

ボキは俳句のこともよくわからないのだが、芭蕉の宗教的な感傷にいたっては、あまり感心しない。

しかも、折口信夫は、芭蕉がこの俳句にも挿入している仏教的精神を批判しているのである。だから、アララギの手法を批判しているのだ。つまり、古代人にあった孤独と悲嘆と寂寥の中に、歓喜と感謝と光明の仏教的精神を取り入れることによって、歌の伝統を軽薄なものにしたと言っているのである。

「他力生活を知らなかった古代人には、孤独は孤独であり、感謝は感謝であった。『無即大』『空即色』など言ふ哲学はなかった」(折口信夫全集29巻38ページ)

もう折口信夫の言いたいことはこれでよくわかった。つまり、彼は自分自身も古代人であろうとしたのである。このような古代人が思ってもみなかった哲学を短歌に持ち込もうとしたアララギの人々が許せなかったのだ。寂寥と光明は没交渉であって、それを持ち込んだ短歌の世界にアレルギーを感じていたのであろうと思う。

ただし、折口信夫は短歌を消滅させようとしたのではない。あくまで短歌のためを思っていたから警告をしたのである。このあたりが、彼の偉大な部分である。哲学が短歌を滅ぼすと言っているのである。乾燥した哲学が、短歌の息の根を止めると言っているのだ。生半可な日常的感傷が、あるいは哲学が、短歌のためにならないということを言っているのだということである。

もっとも生半可な・・・なんて言い始めたらボキなんかそういうことを打鍵する資格もないのだが。

令和の時代になって、万葉集が注目されてきた。これでもって、もっともっと学ぶべきことが増えている。うれしいことである。やることがたくさんできたからである。


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古代人の寂寥は、なんだったのであろうか。ボキもまた古代人のように生きてきたとしか、思えないのだが(*^O^*)

2019年06月22日 06時46分57秒 | 演歌の精神史ネタ帳
短歌や和歌は死んでしまったのだろうかということを、この二・三日打鍵していた。

ボキの知人には、そちらの世界で著名な方もいる。しかも、上司であったから実は困った。なぜか。その上司は、理科系のヒトであって、短歌や和歌にはおよそご縁のない方だと思っていたら、まったく違っていたからである。当時の生徒に、あの壇上のセンセの言った短歌や和歌はどういう意味なのかと聞かれて往生したからである。ま、それだけボキに学力がなかったからでもある。しかし、その後は学習させていただいた。でも、自分で作るほどのレベルには達しなかったけど。

そこで、折口信夫を思い出したのだ。まだ四十代のころに、折口信夫に傾倒したことがあったのだ。事実、こうやって打鍵しているパソコンの目の前に彼の全集がくくりつけの書棚に鎮座ましましている。折口信夫は、國學院大學の生んだ俊秀である。憧れの大学であった。受験しても無駄だとは思っていたが、憧れだけはあった。

それに、ボキは集団就職列車でみちのくから上京してきたばかりで、さらに苦学生であったから、学費の高い國學院大學は当然断念の対象でもあった。進学させていただいていたら、ボキの人生は変わっていただろうけど。

それはともかく、折口信夫は、今のままでは短歌はダメになると言ったのである。「歌の円寂する時」という折口信夫の論文である。大正十五年(1926)に出た論文である。若干39歳である。驚くべき才能である。

この論文で折口信夫は、アララギ派の斎藤茂吉に論争を挑んだのだった。斎藤茂吉は44歳。折口信夫の5歳上。しかも、折口信夫はアララギの有力な同人であった。

しかし、アララギの斎藤茂吉や同人たちの万葉集至上主義についていけなかったのである。古今や新古今への愛着を手放さなかったからである。

折口信夫は、短歌を滅亡させようとしたのではなく、逆であった。救おうとしたのである。短歌再興論でもあったのである。

そして、折口信夫はこのあたりから、一気に言いたいことを言うようになる。それは、古代人に神が存在していたのかどうかということである。我々の祖先である古代人は、孤独の中で生活していたし、感謝の精神も持っていなかったというのである。まったくの孤独の中で、大いなる寂寥を味わっていたのである。呪うべき寂寥であった。

そこに文学の源があったと言っているのである。詩の魂が、チラチラと燃えている闇の世界があるということである。

古代人の寂寥こそが重視されるべきであって、仏教思想に裏打ちされた色即是空とか、他力本願もなかったのが古代人であった。その意味で、仏教伝来は古代人を変質させてしまったと言うしかない。

短歌の伝統と演歌というのは、こういう筋道でつながっていると思うのである。

また、後日このことについては打鍵してみたい。


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大衆芸能とか、低俗だとか言われる演歌だけど、ほんとうにそうか?・・・演歌はそんなにバカにしたものではないからだ。

2019年06月21日 06時50分58秒 | 演歌の精神史ネタ帳
短歌や和歌の伝統に比べて、演歌は低俗だとか大衆芸能だとか言われてしまう。

たしかにそうだろう。千年を超える伝統に支えられた短歌や和歌は、それだけで古典的評価を確立している。叙情というモノを確立してきたのである。演歌ごときに太刀打ち出来るわけがないではないかという評価はある意味正しい。

しかし、演歌も捨てたものではない。

なにしろ、大衆のものだからだ。大衆の悲しみを歌っているではないか。古典的評価を確立しているのならば、ボキのような庶民にはとっつきにくい。高校とか大学で教えるには、十分なのが和歌や短歌である。演歌はどうだろう。高校で、あるいは大学で、教えるに値するのだろうか。ボキは、そんな学校もあって良いと思っているのだが(*^O^*)。

なにもクラシックだけが、音楽教育では無いとも思っているからである。

千年を超える歴史と伝統を誇ってみても、発生は演歌と変わらないではないか。なぜ叙情を訴えるのが和歌や短歌であったのかと思うと、そこには必然性があったからである。万葉集はその点で優れていると思うのだ。なぜか。作者が貴族だけではないからだ。大衆のものである。

悲哀がある。大衆の。

これが愛欲まみれのどろどろした内容ではゲップがでる。貴族の遊びなんぞどうでも良いではないか。なぜなら、ボキは大衆だからである。

演歌の評価が、低俗だとか、大衆芸能だと言われて低いのが気になるのだ。そんなに貶めて良いのだろうか。大衆が歌を歌いたいという心理は、今も昔も変わらないのではないのか。

反社会的な歌を歌って流行に乗った歌手もいる。尾崎豊という歌手だった。あるいは、そういうやんちゃなポーズをとることによって、反社会的な行動をとっている若者に受けている歌手もいる。非常によくわかるような気がする。

かしこまって考えることはない。

歌いたいから歌うのである。こころに、訴えたいものがあるから、歌ってみるのである。

それで良いではないか。

なにもかしこまっている必要も無い。


さ、今朝も歩きながらイヤフォンを耳に差し込んで美空ひばりを聞いていた。危なくは無い。だって、たんぼ道を歩いていたから。

わはっはははっはははっははははっはははっはははっははははっは。



BYE-BYE!
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悲しい酒 美空ひばり

2019年06月20日 14時51分20秒 | 演歌の精神史ネタ帳

悲しい酒 美空ひばり

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川の流れのように / 美空ひばり

2019年06月20日 14時48分29秒 | 演歌の精神史ネタ帳

川の流れのように / 美空ひばり

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演歌はそんなに低レベルか?・・人生の真実を歌っている場合だってあるのではないのか。そんなことを思っているけど。

2019年06月20日 12時31分14秒 | 演歌の精神史ネタ帳
ボキは、現役の職業人だったころはカラオケをよくやった。社交だと思っていた。今は、そんなことはない。呑む席には行くことがあるが、たまにである。だからおもしろくもなんともないジジイである。

しかし、こんな風になるとは思ってもみなかった。友人と会うのが楽しみでもあったからである。今は、できるだけヒトと会わないことにしている。アルコールがからむからである。それほど好きだったのである。残念ながら。

なにが残念だというと、ボキはそれで人生を失敗したからである。健康を害したからだ。

最近は、結婚式も神前とかでやららない。友人の前で誓い合う。しかし、ある種の危惧がある。友人の前で誓っても、そんなの破り捨てられてしまうではないか。

だから離婚が多いのでは無いのか。

友人なんて、ある一定の距離があって初めて友人なのである。神とか仏とは誓う対象が違う。だから真剣味が不足しているのである。

ま、これくらいにしよう。

で、カラオケのことなのである。歌のことなのだ。しかも演歌である。ボキはこれくらいのタノシミは持っているからである。

つまり、歌がヘッドフォンの中に閉じ込められて、空中を飛ばなくなったということなのである。

阿久悠という作詞家が、「前略 歌が空を飛ばなくなったと申し上げたことがあります」と、「書き下ろし歌謡曲」(岩波新書)に書いているのだ。「近くには、ミュージックはあるがソングはない」とも。

あっと、驚いてしまったのだ。

そう言えば、老若男女ヘッドフォンというか、イヤフォンというか、そんなもんを耳につけている光景が目に付く。電車の中でもスマホ全盛である。なかには、自転車に乗りながらスマホで音楽を聴いているのもいる。危ないこと限りなし。

ボキは、そういうミュージック全盛の時代にあっても、演歌が好きである。つまりソングが好きである。

特に、美空ひばりが大好きである。

ある種独特の悲哀感がただよっているではないか。名曲「川の流れのように」もそうだ。人々の胸の内に浸透し、その内向する心の扉をこじ開け溶け込んでいく。

世代を超えて、感情の高ぶりや不安を慰めてくれる。悲哀感というのは、母心のようなモノなのかも知れないとボキは思っているのだけれど。

比べて短歌や和歌はどうだろう。

短歌や和歌は、文学のカテゴリーに属していて、ある種高尚な構図を持っている。同じ感傷を扱っても、短歌や和歌には一筋の清流のごとき感じすらする。同じ愛や、死を悼み・・・ということですら、高尚になってしまう。

比べて演歌はどうだろう。底流に流れる軽薄な遊戯という感すらある。恨みとか未練、恋情などの解毒作用を持ったソングでしかないとされてきた。

しかし、ほんとうにそうだろうか。

短歌の勇者である斎藤茂吉と、美空ひばりを比べてみても、まるで違う。斎藤茂吉の場合は、上品・高等、美空ひばりは通俗だと言ってさげすんでも良いのかと感じてきたからである。

「悲しい酒」という名曲なんかには、人生の真実がある。

ううううううううううううううううううううううううううむ。

あれ?

2000字になろうとしている。

止めよう。

またこの続きは明日打鍵してみるけど。


BYE-BYE!

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夕焼け 小焼けの 赤とんぼ・・・・の叙情は捨てがたいものがある。塾通いで忙しい小学生は見たことがないだろうけど。

2019年06月19日 06時12分36秒 | 演歌の精神史ネタ帳
叙情が喪われて久しい。最近のただただうるさいだけの歌にも閉口してしているが、無駄に明るいだけの若者もずいぶんいる。あ、これは若者だけではない。ジジイやババアもそうだったよん(^0^)。

ボキがその典型だった。無駄に明るいだけのジジイであった。

(_ _ )/ハンセイ

昨日、梅雨の晴れ間に夕方九十九里浜にあるスパに行った。昨日も記事にアップしたが、フロと洗面台の交換工事をしているから使えないのである。使えないのは、ボキもそうだが。無用の長物だから。

わははっはははっはははっははっはあっははっはははっははは。

それで、帰り家人と一緒にボキのクルマで家に向かったのである。そしたら、九十九里平野のむこうに沈んでいく夕日がなんとも言えないほど良かった。美しき黄昏である。人生の落日。沈み込む希望。さりとて絶望もない。絶望なんか、とっくの昔に捨ててしまったからだ。なんの憂いもないままの日常。明日も生きて起きていられるだろうかとは思ってもみないけど。

まさに、ボキ等夫婦と一緒である。ボキ等は同い年だから、運命共同体。どっちかが早く死ぬだろうが、同時に死ぬということはあり得ないだろう。飛行機事故を除いては。

で、珍しく家人と夕日を見ながら、良いモンだねぇと会話をしていたのである。こんなことも夫婦そろって会話できるだけ、シアワセというもんである。ありがたいことである。こんな定年後の生活が待っているとは思ってもみなかった。

某大学大学院を中退して良かったとしみじみ思った。あのとき、死んでいたらもう夕日を見てしみじみと現在のシアワセを感じることなんぞなかっただろうからである。

もうなんの未練もない。博士にはなれなかったが、これも運命。生まれたときからのシナリオどおりであったのだ。断念することも教育の主要な柱であると考えてきたが、正解だったのである。

それで、夕日である。

夕焼け 小焼けの 赤とんぼ

負われてみたのは いつの日か

という歌詞がある。

これである、これ。ネェヤの背に負われて見ていた夕日だとか、否、母の背に負われて見ていたという説があるが、どっちでも良いような気がする。

その「いつの日か」が、かすれてしまっている。記憶がはっきりしない。もう遠くの世界に行ってしまっている。

この歌詞の最後は、

夕焼け 小焼けの 赤とんぼ

とまっているよ 竿の先

で終わっている。子どもはあったかそうな、愛情たっぷりな背中で竿の先の赤とんぼを見ている。その遙か彼方に、夕焼けが広がっている。子どもの視線は、赤とんぼに止まっているが、子どもは夕焼けに包まれている。遠くに夕焼け、近くに赤とんぼ。そういう構図である。美しいではないか。

こういうのを叙情というのである。

しかしである。こういう風景を見たことの無い小学生が43%もいるのだそうな。ある調査によると。

遠景としての夕焼け、全身を包み込むような落日の光景が消えつつあるのだ。

この歌の歌詞は三木露風、曲は山田耕筰であるが、このことを知ったらなんと言うだろうかと思う。

さらにある。三木露風が住んでいた三鷹市の駅前にあった「赤とんぼの碑」は、心ないものに破壊されていたのだ。三木露風は、5歳の時に母が家を去っている。離婚したのである。山田耕筰も、17歳のときに母をガンで喪っている。だからというわけではないが、この歌には母を慕う叙情がただようと思うのも必然である。

叙情というのは、忘れがたい。

歴史の会で、来年の三月第二週に千葉市民会館で2時間ほど話をさせていただく。ボキがやるのである。良かったら来てみませんか。「日本芸能の観点から見た語りと歌」という話である。動画もふんだんに出てくる。実物のボキが見られる(*´∀`*)。・・そんなヒトいないか。




BYE-BYE!
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【紅く染まりゆく ひつじ雲】夕焼け景色のタイムラプス動画4K60fps

2019年06月19日 04時26分34秒 | 演歌の精神史ネタ帳

【紅く染まりゆく ひつじ雲】夕焼け景色のタイムラプス動画4K60fps

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時宗総本山「遊行寺」(藤沢市)-「捨て聖」の「一遍上人」をお参りす❹

2019年02月23日 09時09分48秒 | 演歌の精神史ネタ帳

時宗総本山「遊行寺」(藤沢市)-「捨て聖」の「一遍上人」をお参りす❹

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/