・憶測で、つまりいい加減な推測でものを言っては、たいへんに危険であります。
・このことを最近は実に感じるからであります。将来に渡ることで、数値化されることを簡単に言わない方がよろしい。たとえば、数年後の本校のこと。
・いろいろなことを言われてきましたが、全部当たっていなかった。むろんこれからもどうなるかは天のみぞ知る。未来永劫継続する組織なんぞありませんから。
・よく思うのが、徳川幕府。これが明治維新で無くなるとは、当事者だって予想していなかったのではないでしょうか。ましてや、同時代を生きていた江戸時代末期の人々がどれだけ意識して明治維新に突入していったのでしょうか。このことを思うと実に不思議な感覚になります。
・歴史はやはり後から作られていくのでありましょうか。門外漢の愚生にはとても太刀打ちできない話題ではあります。
・観客として見物しておるんだったら、これは他人事ですから気楽なもんでありましょう。しかし、いつもいつも観客だけで世の中を渡っていけるんでしょうか。試合に出ないで、あれこれ評論しているのと一緒で、そんなのは実に気楽な身分であります。
・下北半島の大間というマグロ漁で有名な岬から、北海道側を見たことがあります。快晴ですばらしい眺めでありました。函館も見える。恵那山も見えた。なんと言っても、400キロを超すマグロの記念像にも度肝を抜かれたものでありましたが。
・思ったのは、明治維新で彼の地に渡った方々のことでありました。悲劇の体験をされた方々も多くおられる。中公新書の「ある明治人の記録」(石光真人編著)は、会津人の維新前後のことを扱った誰でも知っている名著で、しばしば読書論に登場してくる書物です。この本のことを思い出しながら、大間の岬にたたずんでおりました。
・どうやって本州から北海道の地に渡っていかれたのでしょうか。その方法手段について思いを巡らしたことがありました。愚生は、津軽海峡を苦心惨憺して渡っていかれたのであろうと推測するのでありますが、これもまた体験できない事実ですから、何とも言いようがない。
・その時代に生きていないのですから、ほんとうにいい加減な推測でしかない。
・なぜそんなことを考えるのかというと、教育をするということは、そういう憶測で、あるいは推測でものをいうことではないということを肝に銘じているからであります。他人の受け売りで、あるいはエリート達が書いている、作っている通信媒体が言っているからというそれだけの根拠でものを考えていると後でかなりのしっぺ返しがきます。
・名言集を集めて、それでもって学校を運営しているわけではないからです。多くの俊秀の書かれたものは参考にさせていただきます。しかし、それはそれ。
・アイデンティティという言葉があります。いろいろな場所で使われます。愚生もまた当然のように使います。されど、この言葉はある種の危険性も含みます。根拠がなにかというその一点において。
・難しいものであります。
・人間は思い込みや、独断、憶測から逃れられないようです。自分のことは、自分が一番知らないからであります。愚生もまた同様であります。愚生は神道の信者ではないのですが、神社に行くと本殿奥にたいていは鏡があって、参拝する方に自分を見つめよと言っているような配置になっています。これもまた自分を知らないからこその先祖の智慧なのでありましょうか。愚生のつまらないノート形式の名言集ですと、たしか松本清張の本にそんなことが書いてありましたから。
・また明日!