と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

老人になれば誰も単純で気短になる

2012年11月30日 05時38分55秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

「老人になれば誰も単純で気短になる。」

吉川英治の言葉である。

愚生は、これを戒めとしている。毎日毎日腹を立てないで、生きていこうと思っている。波穏やかに、日々平安に過ごしたいものである。健康を害するほど仕事をするという場面も全くなくなってしまった。命を賭けてやることがないからである。こんな日本という国で定年退職をさせていただいたことに感謝である。

第二の人生なんてやれる国は、世界にそんなにあるわけではない。日本は実に恵まれているというわけだ。確かにそうであろう。

だからといって、コンビニやマクドナルドあたりで、若い店員さんを怒鳴りつけているってぇのはいかがなもんかと思う。あるいは、会社や銀行の受付のじょせーに偉そうにまるで下僕にでも物を言っているようなクチのききかたをする御仁がいる。

若い人でも手のひら返したように、そういう言葉を使うのがいるが、自分の程度の低さを自分で言っているようなもので、いただけない。あっち向いて敬語を使い、こっち向いてタメ口をきくって器用なことは、オロカナル愚生にはできないねぇ。まったく。まるで百面相ではないか、あれじゃぁ。いくつ顔があるんだかねぇ。

アタシャ、自分より年が若いからと言ってタメ口をきいたりしない。いつも敬語だ。年齢は関係ナイ。愚生と話をして、常体でクチを聞いたら、それは愚生がよほどこころを許した人間であるということの証である。

(^▽^)

 

 

脇道にそれた。

つまり言いたいことは、「すぐにキレてはならん」ということである。

コンビニあたりで、キレて、しつこく文句を言っているようではこの先短いと自戒すべきである。てめぇのバカさかげんを自覚すべきである。言えばわかるではないかとのたもう御仁もいる。そんなんで世間のトラブルが解決できるんだったら、トラブルは存在しない。

言ってもわからんのがたくさんいるから、問題が起きるのである。そういう意味では、愚生は悲観論者である。期待しない方がよろしい。むしろ用意周到に、相手を観察していたほうが面白い。こうやったら、ああ言ったら相手はこんな反応をしたということの方が楽しい。ノートにでもつけておくと、「ブログのいいネタ帳」にもなる。(これ、ホントにやっていたんです)

だから、キレて周囲に文句を言ってみたって、あんたはただのじじぃではないか。以前どんな仕事をしていたかなんて、誰も興味も関心もないのである。

以前の仕事をまだ抱えているんだろうなぁ。そういうヒトって。偉そうに。

 

老人になったからと言って、あまり物事を単純化しないほうがよろしい。相手の言っていることを、論理的に分析なさった方がもっといい。ふむふむと聞いていて、実は相手のアタマの程度を考えていると楽しい、楽しい。いわゆるお里が知れるというやつである。世間的にどんなにエライポジュションにいても、チョロチョロとそういうのが現れる人が必ずいるからである。

へぇ~~~~~と感じる場面もたくさんあるからである。

こんな立派な人が、そうなのかってことも多いからである。

 

じゃ、おめぇはどうなんだい?ってことになると、オレなんかスタートラインが最低から出ているからナンモ気にしない、気にならないんである。

ある意味、気楽症候群とでも言うのかなぁと思うことにしている。そもそもそんなモンだし。

それにキレることも無いからである。

そんなヒマがあったら、図書館で雑書でも読んでいたほうがよろしい。

昨日も、県立図書館で5冊古典の研究書を借りてきたし。今日大学に持っていって、またカードとりである。

あ、午後から修士論文の発表会があったっけ。院生は全員参加のことって書いてあったなぁ。ワスレテいましたよん。師匠に叱られるな。

今日は師匠の講義の日。楽しみである。たった1人の同級生と一緒に受けているから、厳しいものがあるけど。

それでも楽しみである。

 

 

 

 

 

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再就職先つらつら・・

2012年11月30日 04時52分18秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

定年になると、再就職先がある。健康で、まだまだ働けるうちは働いた方がよろしい。

ところがである。時給1000円もらえるという話にいさんで再就職をしたヒトから聞いたことがある。最初の半年は見習いだから800円でという経営者の話に、腹を立てて退職しちゃったのだそうだ。かつてのオレの実力からして、不当であるというわけである。

退職したら、条件面では悪くなるのが当たり前だと思っていたほうがよろしい。リタイアしたら、退職以前の仕事と同じようなことをしたとしても、「予備役」のようなもので、平時にはお呼びじゃないのである。

そのかわり、自由に別の人生も歩くことができる。ま、ある程度の拘束はあるけれども。例えば守秘義務を守るとか。そんなことは、長年やって来た仕事なら体に染みついているから安心である。

予備役で、自由に別の人生を歩むことがOKなら、どんな仕事でもやらせてもらえればありがたいではないかと思うのである。ある意味、退職後のマナーであると思う。

再就職先に文句をつけるとは、何様のつもりでいるのかということである。

ダレも期待していないからである。それよりも、就職できないで苦しんでいる若者の邪魔になっていないかということの方が、より深刻な問題であると愚生は思うのだが。

以前の会社がどんなに有名で、そこの組織でどんなに偉かったのか・・なんて言ったってダレも関係ないのである。以前の会社に用も無いのに、馬鹿面下げて、のこのこと出かけていくのは絶対に止めた方がよろしいでっせ。呼び出されたなら話は別ですがね。

ましてや、今でも毎日働いている後輩諸君にとっては大変な迷惑なのである。迷惑ついでに、あちこちの課を回っては、後輩の課長あたりを呼び捨てにして、「元気でやっちょるかね?」とやったんでは、まるっきりバカである。

だから、注意しなくてはならないのである。前の職場には℡すらしないことである。よほど重要な書類提出ということなら別であるが。それも、後輩諸君が書類のことでちょっと伺いますからと言ったら、必ずそれをありがたく一度はお受けして、自分から出かけるべきである。後輩諸君の時間とガソリンを無駄にしているからねぇ。しかも、出張扱いになって旅費まで無駄になっちまう。ドライブがてら、以前いた職場の近くをうろうろすることもまた楽し。伺いますというのは、本当は、オメェのところなんか今更行きたくもねぇという意思表示であるからである。面倒だろうなぁという思いやりが大切なんだと思うのである。

本当は、再就職先は選り好みしてはならないと思っている。

以前の仕事感覚を引きずっていると、どうしても退職前の感覚でやってしまう。学校の場合でも、高校から高校へというのだとそうなる。

可能ならば、できるだけ新感覚でできる仕事の方がよろしい。新しい別の世界に入っていくことで喜びは倍増する。学校の場合でも、学校種別がまったく違う世界であれば、これは実に面白い。今の愚生がそうである。3つほど顔がある。「大学院生」「大学非常勤講師」「大手学習塾講師」である。こうやって書くと漢字だからちゃんとしているようだが、内実は「予備役」である。どれも今までやったことがない世界である。だから楽しいのである。それぞれの世界で新しい人間関係が構築できてきている。

以前の仕事にこだわっていないからである。こだわっているひとほど、うまくいかないようである。オレは偉かったんだという思い込みが一番イケナイんである。

 

もっとも、自他共にエラクナイという評価をされている愚生は、好きなように毎日を送っているがねぇ・・・あはははは。

(^_-)-☆

 

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11月29日(木)のつぶやき

2012年11月30日 04時18分45秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

オレには、まだまだすることがいっぺぇあるんだ! goo.gl/xQp27


今日は一日中、家事手伝いをさせていただきました。感謝、感謝。家のことをしないと、追い出されてしまいますからな。楽しく、ニコニコとやらせていただいて、なんだか七面倒くさいお寺の縁起を読むのは、夜になります。まだ、自信の無い部分もあるからで。あああ、秀才がうらやましいです。


それと拙宅のスキャナで、借りた本の部分PDF化をしておりました。明日、師匠の講義があるので、学校の図書館でも調べ物をしなくちゃならんですワイ。楽しいですなぁ。実に楽しい。


それと、さっきホームセンターで、明日師匠に提出する学会発表用資料をA3でコピー。二枚になったけど、こんなんでいいのかねぇとちょっと自信がないのです。pptの資料もこれまたたくさんあります。学会っていうのは、参加したことはあるけど、正真正銘発表は我が生涯で初めてなんどす。


pptの中で動画も紹介するんで、その挿入も成功したんだけど、これってメールで大会事務局に送れるのかねぇ。重いんじゃないの?むむ、、、、また自信の無い分野が増えてしまった。シマッタ、シマッタほいさっさ。


53歳で現役引退 キックボクサーの松葉 - MSN産経フォト photo.sankei.jp.msn.com/highlight/data…


日時計というのがあります。あれって、いつも太陽の方を向いているっていう方がいたけど、ま、それはそれとして、いいもんですねぇ。いつも太陽を見てくらしまひょと思います。いろいろと辛いことが多い世間ではありますが、そういうことであります。そういうこと。


53歳でキックボクサーを引退した方の記事をTwitterで拾っておきましたが、彼は彼なりに、いろいろなことがあっても太陽を見ておられたんだろうと推測しております。負けることの恐怖というのは、愚生もまた武道人の端くれにいますから、わかるような気がします。


負けたらどないしよう?と思ったら負けであります。負けて元々、それでいいんですわなぁ。勝つと思うな、思えば負けよというあの有名な美空ひばり様の歌は、こういうことを言われていたんでしょうなぁと。こだわりを捨てよということであったんでしょう。いい歌であります。若い人はダレも知らないケド


日時計主義で生きなさいということは、まさに現在の愚生のためにあるようなものであります。太陽に感謝、ワンコに感謝、ワンコと共に歩む道ばたの雑草に感謝であります。


そういうことです。そういうこと。塾から帰ってきて、しみじみと思いましたです。愚生のようなものでも。


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日時計の持つもの

2012年11月29日 22時01分37秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

なんかねぇ、最近愚生は思い上がっていたんだと(_ _ )/ハンセイをしている。

今日のTwitterには書いたが、ど~も日時計主義で、人生の明るい方面ばかりを見て暮らしてきたはずなのに、退職してからだんだんひねくれじじいになっちまって、他人の好意を素直に受け入れられなくなったのである。

これは自己分析をすると、思い上がっているということである。

唯我独尊になっちまっている。

そりゃ、クチでは、謙譲の美徳を発揮している。文章でもそうである。しかし、どっかに潜在意識としてある。人生の暗い面からのみ現象を分析している自分がである。

人間観というものが、正直に表情に出るというのが愚生の信条である。これは間違いない。人間を汚いものだと見るか、生来善性に満ちているかと見るのでは、かなりの差があるのである。

なんでこんなことを思うかというと、選挙が近いからである。

まるっきり、この愚生の考えていることを具現化しておるのが、マスコミを通して見えるところの政治家せんせではないのかと思うのである。

つまりそこには、思い上がっている愚生がそのまま映像として現れるからである。

愚生の支持政党はここでは書かない。

そんなの書いてもなんにもならないからである。

しかしである。

日時計のように常時太陽をむいて、時間を知らせてくれるような、そういう明るい話題を提供してくださる情報ツールはないのだろうかと思うのである。

あっちをむいても、こっちをむいても、みんな悲観論ばかりである。

耐えがたい情報しかないではないか、これでは。

誹謗中傷ばかりが飛び交っているし。

 

 

ま、こんなことを書いて、悲嘆している愚生も愚生である。

明日からは、太陽の方ばかりを見て過ごすつもりである。

どんなにオメデタイと言われてもである。

 

また明日!

 

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昔は良かったと思うようでは

2012年11月29日 13時45分48秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

昔は良かったと言ったり、そういう感慨にひたるときは、要注意である。

現在が不幸だからそう感じるのである。

友人達と、「オレも昔は、こんな仕事をして、成果を上げて、おかげで出世して」とか「オレは優秀だったから、某一流大学を出て、おかげで順風なサラリーマン生活をして・・・・」とか、居酒屋で聞くこともあった。愚生は「」の中のような台詞を吐ける経験はまったくしていないので、一言も言ったことは無い。

今は、その居酒屋にも出没できない経済状況になったから、行かない。ついでに言えば、今の愚生は忘年会も全くない。アルコールと香水の匂いがするところに行くと、吐き気がするんである。(ホントか?)

忘年会をやらんから、新年会をやるつもりである。拙宅である。夫婦単位で、10人くらいでやる。それが唯一の楽しみである。未来のことを話するのである。忘れたいような哀しい話はお断りである。

つまり、人間、絶好調の時は、現在に生きているから、過去なんて思い出すヒマもないのである。どうせ死ぬまでは生きているのである。ぐちぐちと現在のことを、周囲に触れ回るというのは、もう止めた方がよろしい。現在の不満を、過去のことを愚痴ることによってバランスをとっているという可能性もあるから、これ以上は書かない。

映画の3丁目の夕日というのも、過去を懐かしむということでバランスをとっているのであろう。だから、愚生は見ない。昭和30年代のことは、覚えていない。第一、記憶力が甚だしく悪い。劣等生だったから(今でもそうだよん)、思い出したくもない。恩師の先生達にご迷惑をおかけしたし。暴れん坊だったし。

だから、愚生は「現在が絶好調」なんである。

これまでも、これからもである。

来年どうなっても、「現在が絶好調」なんである。こだわらないのである。本学を退学になっても、次の手を考えてある。あの手この手である。たびたび書いているが、ライセンスを取得できなくても、それはそれ。だって、それは他人が評価するものであって、自分で決めるものではないからである。

いろいろと外部にて、論文を書かせていただいたり、話をさせていただいたり、暴れていればそれで満足・マンゾクである。

「現在に生きることができる」からである。

 

公園のベンチに座って、亡くなった親を、あるいは過去を思い出して涙にくれる。・・・そんな生き方は愚生には似合わない。過去を思い出しそうになったら、危険ゾーンに入ったと思うことにしている。

だから、定年後に家に閉じこもっていてはいけないのである。体を鍛えるのもいい。スポーツジムで汗を流して、若い人たちのいききとした姿を見るだけでもいい。レオタード姿の若い女性なんぞは、実に目の保養になるから。

(^-^)/

 

働き場所が無かったら散歩してみてもいい。くたくたになるまで、動いてみることである。

あくびをして、オレにはもうすることがないんだと言っていてはならないのである。

「オレには、まだまだすることがいっぺぇあるんだ!」と、息巻いているほうがうんといいでっせ。

愚生のように。

 

(^_-)-☆

 

 

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第二の人生は延長戦か

2012年11月29日 13時19分41秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

第二の人生ではすべてを失ってしまう。

まず、名刺を失ってしまう。愚生も処分した。ついでに、本学の先生から名刺をいただくことがあったが、お返しに差し上げるべき名刺がない。処分したから、ない。ナイナイついでに、肩書きもない。あははははである。まさか、教えている方の大学の名刺を差し上げるわけにはいかないし。

困ったから、郷土史の会員になっているという名刺を最近作ったが、これもまた10枚作って全く使う機会が無い。作らない方が良かったのだと後悔している。

困るのは、いろいろな場所で、ご職業は?と聞かれることがある。温泉でもそうだ。そういうときは「無職」と書かせていただく。わははである。何を恥じらう必要があろうか。

Facebookでも、「無職(年金)」と書いている。そんなものである、そんなもの。

ところがだ。世の中には勘違いしているバカがいるらしい。あるレストランで、客が混んでいたのでつい腹が立って「オレをダレだと思っているんだ!・・この間まで某一流企業で役員をしておったんだぞ」と凄んだのがいたそうである。

笑ったなぁ。こういう程度が、某一流企業で役員なんかしているから、日本経済は発展しないのだと思うねぇ。

 

ロックフェラー1世が、同じ場面でなんと言ったか。

同じように、「オレをダレだと思って・・・」と思ったのかもしれない。ところが、世界の金持ちは違う。やることが。あっと言う間に、その店を買い取って悠々と一人で食事を楽しんだそうである。ある本に書いてあったから紹介しているが。

威張りたいなら、これくらいのことができるようでないといけませんなぁ。

 

第二の人生は、第一の人生とはまったく違う世界である。まったく新しい人生である。そうでないと、つまりいつまでもこだわりつづけていると、人格を疑われる。あるいはオオ恥をかかされて、バカかと言われてしまう。

第二の人生には、素のママの人間しかない。

失ったものは、

①社会的地位

②肩書き

③人間関係

の3つである。

あっさりと無くなってしまったのである。これを自覚していないと、生きていくのはますます厳しくなる。

 

愚生のモットーでもあるが。上記のことは。

ま、大したことではないのだけれども。

 

 

 

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11月28日(水)のつぶやき

2012年11月29日 04時26分23秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

いろいろとあります、世間には。選挙も近いし。どうなりますやら。それにつけても、今の政治状況をルース・ベネディクトの菊と刀にひっかけて論じられていた識者には脱帽した。視点が違います。さすがであります。


この菊と刀は子育て論もよくてですね、英和の対訳シリーズで読んでいるんですが、なかなかのものがあります。日本の母親は、我が子に比較をすることによって、つまり男の子でしょ、となりの**ちゃんはというノウハウを使いますってな指摘にえらく感心しました。


訳者が西海コエンさん。発行所はIBCパブリシッシングというところ。2011年の発行です。古本チェーンから八百円でした。電車の行き帰りに読んでいます。今は。


夕食をたべさせていただいて、感謝のうちに過ごしながら食後の一休みをしておりました。そして、孫と愚生、孫と女房殿とが映っている動画を鑑賞していました。Tabletをテレビにつないで。なかなかおもしろい。かわいいもんです。終わる命と、これからの命が、同じ画面で存在している。


明日は曾おばあちゃんのところに行って、さらに鑑賞会。3人で。周囲の人たちのこうしたささやかな期待が、やがて支えとなっていくのでありましょう。孫が高校に入学したら、愚生は76歳になっています。なんとか健康で、生涯学習三昧で生きていたいものであります。もともととぼけていますが、ね。


明日は、師匠に提出する資料をA3で用意してご許可をいただいてから、八日の提出資料の完成としたいと思っております。2枚ほどになります。それにpptです。あああ、京都まで持っていけるかしらん。前日は師匠の講義を拝聴してから、12:50ころの電車で東京に向かいます。夕方に京都着です。


さ、これからもうヒト踏ん張りでございますです。お茶でも飲むかな。リビングで。ダレもいないけど。あ、老犬が玄関で寝ているか・・・・・(^▽^)


平仮名:9世紀後半の土器から発見 最古のものか mainichi.jp/select/news/20…


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1年前の記事を

2012年11月28日 23時28分09秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年
 
犬吠の駅で考えたこと
銚子電鉄犬吠駅これもまた犬吠駅にいます。犬吠駅に見に行くと会えますよ。これってわんこが吠えているんですかね?・・・・・・・・・・・土曜日に銚子電鉄犬吠駅から歩い...
 

 

やや懐かしい。

去年は、犬吠駅から歩いて宴会に行っていたのだった。

これはこれは・・・・・・

良い写真です。

さらにFacebookの知人まで出てきています。

ありがたきかな、ご縁です。

 

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Q&Aをつくりながら

2012年11月28日 13時56分15秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

14:10である。

朝から隠棲室で、お寺の縁起の漢文に訓読をつけて、ずっとやっていた。ふううううう。難儀なもんじゃ・・・・・。ちょっとケリがついたので、後は茅屋の書庫でこもってやる。

ちょっと文法的にいかがなものかという原文であるから、難読が多い。ま、この時代にワープしたつもりで、どんどん訓読を書いていった。むろんフォルダーを別にしてあるから、発表資料とは別物である。

なんと言っても来月の8日の相手は、博学の士である。とくに大学院枠では、筑波と阪大の博士である。キンチョウシマクラチヨコである。

というようなことを書いていたら、怒られるな。

なめとんのか?である。

そんなことはない。やればやるほど、どんなに愚生が馬鹿であるかがよくよくわかってきたのである。もっともそれはずっと以前からではあるが。

能楽の学会で、吉田東伍先生が明治の御代に登場なさった時に、並み居る大学者先生が沈黙してしまったことがあったんだそうな。今でこそ、吉田東伍先生と言ったら、能楽研究のトップであるし、学恩を受けた大学者先生は数知れないのである。

表 章先生が、DVDでそう言っておられたのであるから間違いない。

吉田東伍先生というと、明治維新のときに育ったために、全く学歴というものが無い学者であった。北海道で漁業もやっておられたことがあったのだそうである。それが、学問好きで、後に読売新聞の記者となって、それから頭角を現したのだそうである。早稲田の教授にまでなられたのだ。

こんな駄文で、研究発表と言えるのか?って笑われてしまいますなぁ。

人に教える資格があるのかって。。。。。

紀伊和歌山の生んだ大学者南方熊楠もそうであって、学歴が無い。それでも、あれだけの実績を残されたのだ。

才能がない。

資質もない。

しかし、試してみなくちゃわからんではないか。

 

いいんだ、いいんだ。誰かに認めてもらいたくてやっているんじゃないから。自己満足である。それでいいのだ。それで。

漫画の赤塚不二夫さんみたいな台詞だな、こりゃ。

 

それでは今日はこれで帰ります。

 

感謝です。本学に。今日もいろいろ施設を思い切り使わせていただきました。

 

(^_-)-☆

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なんのために

2012年11月28日 08時49分03秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

このブログはなんのために書いているだろうかと、ふと思うことがある。

生涯学習を志向している方々のお役に立てるようにというのもある。

ちょっとだけであるが。

そんなにお役に立っているという自覚もないけれども。

それはそれなりである。

どっかにも書いたが、駄文書きを大学でやっているから、そのための事前トレーニングという側面もある。ちょっと書いてから、いろいろと考えたり、カードをとったり、ワープロで書いたりするからである。ま、それはそれで自分のためにはなっている。

先日、修士の時に同級生であった方(関西在住)から激励が来た。来月の八日に発表をさせていただくので、頑張れ!というわけである。非常に嬉しかった。同年である。しかも、生涯学習を志すおたがい大学生である。可能ならば、京都の龍谷大学でお会いしたいが、ムリは禁物であろう。都合というものがある。

そういうささやかなふれあいが嬉しいのである。なかなか濃密な関係性というのは構築できない。もう、こういう年代にいたっては、である。それまでの人生経験が違っているのだから。だから愚生よりお若い方であっても、愚生はそういう方をまだまだ若いとか罵倒したりはしない。それなりに人生経験を踏んでおられるからである。

愚生くらい上下関係にうるさくない人間はいなかったであろうと思っている。そういう感覚で現役時代は過ごしていた。当然である。それそぞれの学問の経験とか、人生体験には、愚生如きかなわないからである。尊重させていただいていたからである。愚生如きが及びもつかない知性と経験があるからである。

だから、自分よりお若い方々を、まだガキじゃねぇかとか言っている輩を信用しない。愚生よりも年長であってもである。そういう方は、愚生をも罵倒される。まだガキじゃん?って。

これって実に笑いますなぁ。

論理的に破綻している。

あははははである。

 

さ、今日からはまた民俗学のカードとりに。

B6の京大情報カードでやるつもりである。本格的な読書は、こっちがいいのである。普段の雑書は、はがきサイズの読書カードであるが。専門書はこっちである。

 

それにしても、寒いなぁ。。。。。。。

アタマが。

 

(^_-)-☆

 

 

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11月27日(火)のつぶやき

2012年11月28日 04時25分48秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

pptを再編集しています。難物ですねぇ。結論がなかなかです。いいんだろうか?こんなんでって思ってしまいます。学者のせんせがたって、研究手法も独特なんでいらしゃるんでしょうね。


おにぎりを食べながら、ほぼできましたが。


今日も、修士の院生から「せんせ」と呼ばれてしまったです。困るなぁ。実に困る。そんなにセンセヅラしているのかねぇと、反省しています。アタシャただのじじぃです。学生とか院生にも値しませんです。能力ナイモン。それに、自分で勉強しているんですから、せんせと言われた時点で、破棄するしかない


学徒という資格をです。


警備の方も、いくら言っても愚生をせんせと思っているらしくて、敬礼まで今日はされてしまった。しまった、しまった。困るなぁ。実に困る。初々しいおちょぼ口の学生ではござんせんか・・・(^0^)


だから着るもんがどんどんフリーになってくる。入学当初は、スーツで通ったのです。これは学部で別の大学で42年前に勉強していたときに、院生はスーツで通っていたからです。次に、おいらはジャケットになった。最近はせんせと言われたくないから、ジャンバーにハンチングです。怪しいっすねぇ。


グラサンかけて通っていたら、完全に正門をくくらせていただけないですな。(^0^)・・・ま、どうでもいいような話ですが。ある意味、これが唯一のカルチャーショックでもありましたかな。


スキンヘッドなんですから、なにを今更格好を気にする必要があろうかと、思っています。まだまだ捨てきれないんですねぇ。頭髪は完全に捨てたのに。


無明を生きていますなぁ。いろけも、食い気も、名誉欲も、金持ちになりたいという欲も、温泉に入りたいという欲も、全部捨てられないんでありますよ。迷える衆生であります。(^_-)-☆


ううううううむ。来年どうするか・・うううむ。


明日のことは、明日であります。常勤で働いたら、大学は辞めなくちゃならんし。(^0^)


大好きな温泉研究家としては、これまた残念であるし。・・・何を言っているのか、自分でもよくわからんでぇす。


誘惑が多いです。誘惑が。働かないか?ってささやき。。(^_-)-☆


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動画撮影機器が壊れて

2012年11月27日 08時41分26秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

愛機の動画撮影機が壊れた。

というより、バッテリーが予備も含めてモチが悪くなった。バッテリーだけで、同じ物を五つ買って使い切ったのである。他にもいろいろ具合が悪くなってしまった。

この機械はかなり活躍してくれた。

現役の時に、動画をたくさん撮ったからである。

それを広報に使った。

今でもそれを見たという人がいて、実にありがたい。

 

今は、孫を撮しているだけだ。

ささやかな小旅行でもそうである。

静止画よりも、動画は楽しい。

編集ができるからである。

Youtubeにアップしたりしていると、もっと楽しい。

ただし、コンピュータはわからない。

素人であるからである。

あまり、興味もないし。

手段でしかない。

これを専門に深くやってみようとは思わないからである。

そもそも、今回の発表でも、pptを使うのかどうかになって、使ったらおかしいのではないかと師匠に相談して、そんなことはない、やってみなさいとご指導を受けた。国文学関係は、あくまでテキストが勝負だと思っているのであるからだが。

こだわりなのかもしれない。愚生なりの。

 

 

昨夜、スポーツジムに行く前に、大型電気店に寄った。

動画撮影機を物色していた。

今使っている機械の後継機が売っていた。

値下がりしていた。

今の機械よりはるかに安価で、高性能である。

 

学校から帰ってきたら、買いにいきまひょ。

配偶者も賛成してくれたし。

 

もっとも、「孫を撮すから」という決めぜりふがあったからだけどね。

 

(^_-)-☆

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場によって文は

2012年11月27日 08時21分45秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

ブログの記事と、論文体というか、そういう場によって文章は違ってきて当たり前である。

およそ、愚生の文なんぞ、論文体とはほど遠いので、苦心惨憺なのである。

能力がないといえば、そうである。認めざるを得ない。

ま、許されよ。

この程度でしかないのだから。

だから、ムリはしない。

ダメだったら、ダメでしかたなし。

それだけの器でしかなかったからである。

諦めるしかない。

 

よってである。

よって、愚生は自分の器を大きく逸脱して、他専門分野へ手を出そうとする気はない。雑読はするけれども。でないとつまらんではないか。いつもいつも専門分野だけの本を読んでいるってぇのは。

 

知人で、なんでもござれの大秀才がいる。

経済がご専門で、なんとまぁ日本古典文学の大論文も書かれる方がいる。

美術が専門で、古代史の論文を書かれる方もいて、この人とは時折旨い日本酒をかたむけることがある。大河利根川のほとりで、店主の日本酒のうんちくを拝聴しながら、一献一献また一献とやるのである。

こういうつきあいは楽しい。

比較がないからである・

どっちが能力があって、どっちが認められるかというような妙な競争心がないからである。

もうじじぃである。

そんなあほなジェラシーなんか、吹っ飛ばした方がいい。

 

ただし、評価は謙虚にいただく。当たり前である。内容に齟齬があってはならないからである。それくらいの理性はある。がっかりしないだけである。

そもそも最低の評価からスタートしているからである。

 

だから後は、ひたすら学ぶしかないのである。

だから楽しいのである。

ひろく学んでいると、時々いい宝物を拾うこともある。

チャンスというやつである。

出会いと言ってもいい。

 

今回の「一遍」がそうである。

なんだかまたのめり込みそうだ。

 

今日は寒いけど、これから暖かいうちに登校して、下校する。

オレ用のランドセル背負って。

 

(^_-)-☆

 

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11月26日(月)のつぶやき

2012年11月27日 04時23分59秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

関東は大嵐ですねぇ。(*_*) マイッタな。


旅先では、ほんとうに旨い日本酒をちょっとだけ呑むことにしているんですが、このちょっとだけというのがいいですねぇ。我慢比べみたいで(^▽^)


相手が配偶者だからよけいいいんですよ。我慢大会になっているから。年をとると、みんな抑えられるんですわい。あはははです。


ちょっとおとなしくなってきましたか、、、、雨。


しかし、凄かったですねぇ。豪雨。あたたかくなってきたののも、なんか異常でした。クルマのサイドミラーが曇ってきたのはびっくりしました。


住んでいる土地と、旅先の土地では、こうまで違うんですねぇ。まったく不思議です。


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性懲りも無く

2012年11月26日 18時31分14秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

孫のところに行くふりをして、ほんとうは温泉に行っているんだろう?って聞かれることがあるんです。

(^-^)/

事実です。

否定しません。

孫のところにも行っていたのはこれは事実ですから。

今回も温泉に行ってしまったんです。たいしたところではないっすけど。

そして、ホテルで、ずっと「親鸞と一遍」を読み、カード取りをしていたんです。

NHKでスケートもやっていましたが、昨日の晩は見ないで、ひたすら読む、書くの作業をやっとりました。

図書館から借りて来た本でありますから、急いでいたのであります。

問題意識が、この辺りにあるからです。

差別と救済ということです。

料理をいただき、

運転をして疲れたからと言って、

実にささやかな冷酒を

ちょびちょびといただき

ゆったりとしておりました。

今朝も、温泉に入ってきましたので、ちょっとお疲れモード。

 

そして、パソコンをあけたら、メールをたくさんいただいておりました。

ありがとうございます。

 

このブログへのコメントもいただいておりました。

ありがとうございます。

 

 

疲れましたが、

愚生は、

夕食後に、この雨の中を性懲りもなく、スポーツジムに出かけます。

お笑いくださいませ。

 

(^-^)/

 

 

 

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/