Indiaの美人は、実に印象的ですなぁ。
いいもんです。
マジに。
An American boy fell in love with an Indian girl from Ranchi on facebook and now they have decided to tie the knot.
Facebook love: American boy marries Indian girl
Indiaの美人は、実に印象的ですなぁ。
いいもんです。
マジに。
An American boy fell in love with an Indian girl from Ranchi on facebook and now they have decided to tie the knot.
Facebook love: American boy marries Indian girl
IndiaのFlash mob・・・・・・・・・・・・・・・・・楽しそうですねえ。
こういう一面もあったのじゃな。
わははっははははっはははっはははっははははっは。
So what happens when Dance India Dance comes back with its season 3, the nation starts dancing...and we mean it quite literally! DID3 made Mumbai sway to its beats! The flash mobs happened at Church gate, fashion street and flora fountain!
And when "DID" did a Flash mob - its called 'DANCEMOB'
Dance india dance 3 Flash mob Mumbai 2012!!!
prayer of jaina temple in sarnath,india ジャイナ教の夕方のお勤め
この動画けっこう面白いですねぇ。
これからの課題ですが。
1595+1580 Hindu Deitiesヒンズーの神々・クリシュナ=ディオニソス説)世界の宗教はひとつAll religions are One by Hiroshi Hayashi はやし浩司
お世話になりました。インド。
これでインド北部の旅は終了である。
デリー空港で、ガイドのナンダン氏と全日程を運転してくれたジョニー氏と記念撮影をして別れた。JALである。ビジネスクラスであるから、またデリー空港でラウンジに直行した。
出発は、20時20分。JAL0740便。
添乗員がいないから、自分で手続きして、自分で入る。もう慣れっこになってしまった。
*
今回は、いろいろと考えさせられてしまったなぁ。
女性の地位にかなり問題がありそうだということが一番である。身分制度がまだ残っているし、ガイドにも問題点の自覚がないとボキは受け取った。カースト制度がここまで凄いとは思ってもみなかった。
貧富の差があるからである。
確かにデリーは、近代化して高層ビルも建っている。もうすぐ中国を追い越すであろう。なにしろ両国とも人口が爆発的に多い。中国が13億、インドが12億である。これだけでも、パワーの源である。
両方の国家とも経済力をつけてきたら飛躍的な成長を示していくだろう。中国の場合は、政治的な制約がなくなったらさらに成長するだろう。インドには政治的な制約はない。だから、インドの方が恐ろしいとボキは正直思って帰ってきた。
二番目に考えたことは、宗教のことである。
ヒンドゥーの神々であった。ヒンドゥー教は一口では言い表せないという。いろいろと文献を読みあさっていったら、そう書いてあった。神仏混淆なんてもんじゃなかった。
でも、確かなことは、仏教よりも古いということである。インドというと仏教・・・というワンパターンの認識があるけどまったく違っていた。ガイドのナンダン氏も「仏教は、ヒンドゥー教をベースにしている」と言っていたが、さもありなん。
今回は、ガンジス川にも行っていないし、ブッダガヤにも行っていない。ゴータマの遺跡には触れずじまいであった。だから、またインドを再訪してみたいと思った。
遠藤周作も「深い河」で書いている。ガンジスのことを。これは傑作であった。ボキもガンジス川の河畔に立ってみたい。そして、生と死が同時に展開されている彼の地を見てみたい。ちなみに、インドには墓がないそうである。ガイドのナンダン氏に聞いたことである。火葬にして、川に流してしまうのだそうだ。これもまた潔いことである。生も死も同次元である。こいつに一番驚かされた。日本人は情緒的である。死というものに関しては。
ボキももうじきお亡くなりになる。いつだか知らねぇけど。
その時に、ジタバタしないで死んでいきたいものである。インドに行ってシミジミそう感じた。
三番目に感じたことは、貧富の差の冨の部分である。
あまりにも豪華なホテルであった。
これもまたこんなんでいいのかと思ったことである。外国人向けには、外面がいいということなのだろう。しかし、朝ホテルから出かけるときには、ホテルの前のゲート(しかもかなり厳重で警備員が何人もいた)に物乞いの子どもたちが待ち構えているのである。これは涙が出てたまらなかった。あまりにもかわいそうではないか。しかも寄付行為をしないでくれと言われた。何人も集まってくるからだという。このあたりに、身分差別があるのではないかと感じた。
女の子が、弟をだっこしてミルク瓶を持って物乞いをしていた時は、ボキは思わずゲートの外に出ていこうとした。ガードマンに制止されたが。
高速道路の料金所入り口に、若い母親が幼児を抱いて物乞いをしていたときは、さらに涙が出た。ボキの孫よりも小さい男の子らしかった。
四番目に考えたことは、就学事情も良く無いらしいということであった。学校に行っていないのではないかと思われる貧しい子どももいた。逆に、身分制度の上位の子どもたちなのだろうか、制服を着て、遠足にでもきているらしい小学生もいた。信じられないような格差である。
我々日本人は、現在の繁栄を感謝して過ごすべきであろうと思って帰ってきた。
五番目に考えたことは、交通事故死者数もインドは世界一多いということである。あの混雑では、むべなるかな。道路を歩いているのは、牛、馬、ラクダ、ノブタ、サル等々である。自動車の数もものすごい。車間距離もなんもあったもんじゃない。
それでもインドの方々はたくましく生きている。パワーがある。これである。これ。
生きていくパワー。
それこそが生死は一如であるということなのではないだろうかと思った。
明後日東金市の高校で交通安全講話をやってくるが、現代の高校生にインドの交通事故から話してくるつもりである。動画をMP4にしたから、もう作ってあるけれども。
*
今日はこれから高橋順子文学賞の審査委員会がある。それで出かける。
あれこれと好きなように生きていますな。
ボキは。
Bye-bye!
憧れのタージマハルである。今回とうとう見てしまった。だから、あとはいつ死んでもいいってか。そりゃたまらん。まだまだ行きたい外国の国はあるからである。さらに、インドも北部しか見ていない。まだまだしつこく生きているつもりである(^0^)。
テロの警戒がすごい。
お菓子まで取り上げられている。小さい子が、お菓子を取り上げられて大泣きしていた。
ボキもやられた。
リュックの中にプルーンを持っていたからである。
海外旅行に行くと便秘になるので、便秘薬だと主張した。門番の方に。警察なんだろうけど。やっと許してくれた。ガイドのナンダン氏が大笑いをしていた。プルーンを持ってきて、便秘薬だと言ったお客さんは初めてだと言っていた。ボキも大笑いをした。
どうみても、ボキは、テロリストではないから。
しかし、これはアメリカだったら速効で取り上げられるなぁ。
それにつけても、日本のチェック体制は甘いとしか言いようがないとも思ったけど。人のことはいえないが。
アーグラ城塞(-じょうさい、英: Agra Fort)は、インドのアーグラにあるムガル帝国時代の城塞。赤砂岩で築かれた城壁の色から「赤い城」(ラール・キラー, Lal Qila)の名がある。ただし、デリーの城も同じく赤い城と呼ばれ、単にインドの「赤い城 (Red Fort)」と言えば、通常はデリーのほうを指す。デリーからアーグラへの遷都に伴い、皇帝アクバルが1565年に着工して1573年に完成した。その後ジャハーンギール、シャー・ジャハーンまで3代の居城となった。アウラングゼーブが兄弟間の後継者争いに勝つと、父であるシャー・ジャハーンをタージ・マハルの見える城塞内の「囚われの塔」(ムサンマン・ブルジ)に幽閉してデリーに移った。外側から見ると赤砂岩主体の「赤い城」であるが、城内の宮殿には白大理石も多用されている。ムサンマン・ブルジの内壁や床は幾何学的な装飾が施された白大理石でできている。1983年にユネスコの世界遺産に登録された。
ターマジハルを作った父王を幽閉した息子もそうだが、なんのためであったのだろうかとしみじみ思ったですなぁ~~。
すべては空虚でございまする。
(^-^)/
王が幽閉されたところ・・・・・虚しいもんですなぁ
これはこれは。
実に印象的な神々であった。
日本の阿弥陀如来みたいなものまであったのだ。
一生懸命カメラで写していたら、ガイドのナンダン氏に呆れられた(^0^)。
なんでか。
ナンダン氏によると、この神々は、ちんちんの神だからである。まったくボキにふさわしいではないか・・・・トホホ。
だから、もっと笑った。
そういう神々が、こういう普通の光景にすっきりと溶け込んでいるからである。
すぐ近くにいた少年達が、いろいろと指で示してくれた。
妙な東洋人のじいさんが、基地外のようにカメラで写しているからである。
英語で話しかけてみたが、まるっきりわからない彼らであった。しかし、ナンダン氏が通訳してくれて仲良しになっちゃったよん。
ボキは、どんなところでも子どもたちとは、仲良しになってしまうのじゃなぁ~~~~~。
わははっはははっはははっはははっはははは。
仲良しになっちゃった少年達と。
腕組みポーズである。
しかし、ミンナイケメンですなぁ~~~~~(^0^)。
わはははっはははっはっははははっはははっはは
朝、5時に起きて、バスでヤムナー川の辺に出かけた。
タージマハルが見えるポイントだそうな。
ナンダン氏によると。
見えなかったが。
太陽が出てきた。
まるで、ドストエフスキーである
神々しいものである。
タージマハルを作った王族の物語を見た。
オプションで、5000円であった。
翻訳してくれるから理解できたけど。
西洋人が圧倒的に多い。
中国人はさすがにインドにはあまりいないけど。
なにしろビザが出ないようだから。
インドのおとーさんと英語で話をしてみた。
かわゆい幼児を写させてもらった。
こういう体験が海外ツアーではできるからありがたいもんである。
中国人ともドライブインで話したけど、こちらはたちうちできなかった。
台湾人らしかった・・・・・よくわからんかったが。
まさに一言しかできなかった(^0^)