長屋の隠居ジジイのバカ話であるけど・・・まだ履歴書を書かせられるから
塾で履歴書を一年に一度書かせられる。
所詮アルバイト社員であるからである。塾にとっては学歴が最重要なんであろう。特にどの高校を出たかというのは、関心度が高いのだろうと思う。高校受験が生徒にも親にも最大の関心事であろうから。
で、履歴書である。
最終学歴になんと書くのか。自分で自分を大笑いしている。「老人大学在学中」と書くしかあるまい。まったく笑いますなぁ~。そもそも老人大学っていうのは、生涯学習の手段であって、正式な学校でもなんでもない。だから、履歴書にそんなのを書くというのは通用しないだろうけれども、正直に書くしかない。それに、私のような老人アルバイト講師の履歴書なんか誰も注目しないだろうから、どうでもいいようなもんだが。
学歴が欲しくて、生涯学習ごっこをしているのではない。これはマジである。
そんなことはあるめぇ、学歴が欲しいからだろう?という御仁もいた。そう言われた。
そういう御仁は、だったらなんで東大あたりの超一流大学院に行かないのだとも聞いてきた。学歴ロンダリングのことを言っているのである。もっともアレだ。どう天下がひっくり帰ったって、私が入れるような大学ではないけどねぇ~。まったくまったく。それを知っているからわざと聞いてきたんだろうけど(・u・)>ベー。
しかし、バカバカしい。そんなことをしてまでも、「東大卒」の称号が欲しいというのは、どっかで間違っている。学歴追求が生涯の目標なら、そんな寂しい一生はない。
?
私?
大丈夫、大丈夫。学歴なんか関係ないからである。仕事人時代の履歴書は、最初の学部卒でもって就職したのだし、それに退職するまぎわで修士をとったのだし(七日前)、もう関係ない。博士は取れなかったけど。退学したからである。満期退学もなにもない。あるわけない。Qualify testすら受験できなかったアホである。受験できるわけもない。学業劣等、健康不安があったんでは。そもそも専門分野の選択を間違っていたし。ま、いいか。あまり書くといろいろご迷惑をおかけしそうだから。
今日は、なんでこんなことを書き始めたかというと、例の理研で問題のあった小保方博士の博士号取り消しの事例が、浮上してきたからである。天下の早稲田大学がそういうことをやるらしい。まだはっきりと報道されていないけれども。
もしそうなったら、小保方さんの学歴はどうなっちゃうんだろうと思ったからである。
学歴も取り消される?
そんなことはないだろうと思っているけれども、どうなるのやら。博士をとったから博士課程修了となるんだったら、取り消しだと学歴そのものが危ういのではないのか。
基本的には、小保方博士に同情しつつ、やったことのけじめはつけられた方がいいと思っている。しかしである。どこまでホントなのかという疑問はある。報道のされ方がである。実験結果の再現性がないというのなら、心理学なんかどうなんだ?とむしろ世の中のエリート層に聞いてみたいことである。さらに、人文科学系の論文ではどうなのかと思う。歴史学だって、根本の文献が信頼できなかったら、そもそも研究が成り立たないことになる。今昔物語だって、発見された時期と状況から言って怪しいものになってしまうからである。民俗学だって、いろいろな方々への聞き取り調査でもって成り立っているようであるが、それもねつ造だったらどうなるのか。柳田国男の「遠野物語」だって、怪しくなってしまうではないか。あれも、柳田国男の聞き書きである。冒頭にそう書いてある。正直に。だから私は、好きになったのであるが。
映画だって、小説だって、コピー文化ではないか。種本があるから、映画を撮ったり、小説が書けるのである。そもそも撮影方法だって、カメラマン独自の手法でもって撮影しているわけではないだろうに。先人の多くの技法や手法が生きているから、現在の自分があるわけである。先人に学んでいるわけである。
荻生徂徠もそういうことを言っている。すべての学問は、先行研究があってその恩恵を受けつつ、先行研究を否定したり、賛同したりすることによって自分の論が成立するわけである。それはコピーではない。そういうレベルではない。しかも荻生徂徠のように古典の素養が半端ではないレベルの学者である。私如き素人が、ゴミ論文を書き散らしているのとはワケが違う。天下の荻生徂徠センセであっても、先行研究あってこそなのである。
そういうもんだろう。学者とか研究者の先生方というのは。だから尊敬しているんである。私如きモンがついていける世界ではない。
ついていけない世界というと、小保方博士の分野もそうである。まったくの門外漢である。理科系の学問まで知ったかぶりをする気はサラサラないからである。根本から勉強しても、そもそも適性がない。まったくない。今更である。時間もない。理科系の学問は、高校時代の文系理系の選択でもって、脱落したからである。当然である。それくらいの謙虚さは、いかに私でもあるからである。
知ったかぶりだけはイカン。
ま、それでも、惚け防止のためにはいいかもしれない。長屋の隠居みたいにである。デタラメな知ったかぶりをやっていて、観客に笑っていただくというのもオツである。観客というのは、拙ブログに来ていただく方々である。
そうなのだ。
このブログのようにである。
わははっははははっはははっは。
長屋の隠居のバカ話でございました。
これにて退散します。
ヾ(@⌒―⌒@)ノ