と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

今日で今年も最後

2010年12月31日 20時39分22秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

今日で今年も最後になります。
いろいろと思い出多い一年でありました。

進学も、2名が国立大学に合格しました。福島大学と、山形大学。
進路も順調にいっております。
年明けのセンター試験が勝負ですから、まだまだ油断はできません。
生徒諸君の奮闘に期待しています。

全員の進路が順調に決まることを望んでおります。



今年は水泳部の関東大会出場がありました。
健康体力の充実もまた大切なことであります。
なんと言っても健康でなくては、挑戦する機会すらないからです。



先ほどまで、大学・大学院の情報誌を眺めておりました。
生徒諸君もこの手の情報誌を見ていろいろと考えたのでありましょう。

また、就職もそう。
情報誌がたくさんありますから。こちらもわたくしの部屋にあります。同様な思いで見ておりました。

全員の充実した生き方が可能になるように、祈っています。
それでなくてはなりません。
みんな、幸せをつかむチャンスがあるのですから。

よく言われるのが、チャンスは前からつかむということです。
後ろからつかもうとしても、逃げていってしまいます。

視点は充実した生き方ができるかということでしょう。
極論を言ってはならないので、これくらいにしますが。

要するにやる気。
どこでも勉強はできます。
真の意味での実力をつけていただきたい。
そのためには、やはり大学や短大、専門学校等のシステムを購入することは尊い行為であると思います。

自分に自信があれば、自学自習をもって実力を身につけることも可能でしょう。
しかしながら、やはりそこには独学の限界もあります。
せっかくのチャンスがあるのなら、システムの恩恵は受けた方がよろしい。
素直に。

ただし、その恩恵を自慢してはなりませんぞ。
そんなのは実につまらない行為でしかない。

ソクラテスは、そういう輩を実に軽蔑しておったのです。

ついでに言えば、ソクラテスの奥様は、世界史上でも有名な奥様で実にクチうるさい方であったようです。


上智大学の元教授で、評論家の渡部昇一先生が、「知的余生の方法」なる新書(新潮社)を出版されていました。


この本にありました。ソクラテスの奥様のような妻を持った男子は、奥様に感謝すべし、と。
これもこれ以上ここに書くわけにはいかないようですから、これくらいにします。

来年の今頃の記事が大晦日の最後の記事になります。
とうとう明日から新年。
拙ブログにとっても、最後の年が始まります。

ことし一年の拙ブログへの訪問を感謝しつつ、擱筆とさせていただきます。



ありがとうございました。


 


 


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勉強力(抽象から具象へ)

2010年12月30日 23時57分29秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

認識心理学から勉強を分析した本があります。
書名は、「勉強力をつける」です。名古屋大学の教授をなされた梶田正巳教授の本です。ちくま新書です。



この本に書かれていることで、一つ気になったことがありました。
それは普段先生の授業を聞いていて、いざ試験があるとできない、あるいは応用力が無いというのはなぜかということでした。まじめにノートをとっているにもかかわらずに、です。そういう生徒は多いのかもしれません。本校生徒にもいるのではないかと、ずっと思ってきました。また、実感として感じるから興味深くこの新書を読了しました。

なぜでしょう?
結論から言うと、先生の指導されることを抽象から、具体的な事象にできていないということでありました。その逆もあります。
他にもいろいろと具体論が書かれているのですが、それはちまたに広まっている勉強論とかぶります。
しかし、この「抽象から具体的事象へ。そしてまた具体的事象から抽象へ」というご指摘はおもしろいものでありました。

なぜか。
それはわたくし自身が、日々を抽象から具体的事象の歩みの中で読書を試みているからです。
ノートをとりながら、思想書をまとめていっています。こちらは未公開の大学ノートです。B5の普通のノート。情報を、いろいろな哲学者からいただく。エッセンスをまとめているだけでは自分のものにはなりません。それを資料としてレポートを書く場合は、自分なりに定義を咀嚼しないと絶対と言っていいほど書けません。本の記述を写していいのなら話は別です。引用をしながら、自分の考えをまとめるのが勉強になるわけです。

定義と、その具象化と、相当な時間を要します。そんなことばかりこれまで何十年もやってきました。まさに本との闘いです。あるいはこんなわたくしでもまがりなりにも生きてこられたのは、こうした努力の積み重ねであったとしみじみ思います。エリートでもなんでもない凡夫だからできたことであったのです。ただの凡人。努力するしかなかったのです。努力は誰でもできますから、ね。良かったと思っていますよ、本当に。人の心の痛みも、悲しさも、寂しさも十分わかる人間にさせていただきましたから。



生徒諸君の場合、先生から教えていただいたことを自分のものにしていないから、応用がきかない。
また、英単語のように熱意と根性でやるものを回避していたのでは、もうお話になりません。
忍耐もかなり強い要素としてあります。
このあたりが理解できると飛躍的に伸びるのでしょうが、ね。

数学は暗記だというような本を書かれた先生のお話も紹介されていました。
それはそれで結構でありましょう。事の是非はともかくとして、抽象から具象へ、あるいは逆に具象から抽象へという思考システムは重要な学習論でありましょう。教科の先生方によっていろいろと違った考え方もおありでしょうから、このあたりにしておきます。

この冬休みにそんなことを考えてください。



もうひとつあります。
それは価値の一般化をしすぎないということにご注意いただきたいものであります。

たとえば、先日、福島県の道路で雪のために、立ち往生したニュースがありました。
この報道でまるで東北全部の道路が立ち往生していると誤解した人もおるようです。そんなことはないわけです。わたくしは東北の出身ですからよけいそう思うのです。事実と違った理解をしてしまいがちであります。

わたくしもこれについては十分注意しているつもりです。

また、西洋思想でも東洋思想でも、思い込みで評価をしてはなりません。
他人の評価をうのみにしてはいかがなものかと思うからです。

数回前の記事で、「他人に迷惑をかけなければ・・・・・・・・・・」という書き込みをしました。
あれは、、ドストエフスキーやニーチェの思想を理解しておられるということが、前提条件としてあったことを書かなかったことに気がつきました。
ミスであります。自分のことだけが、前提条件としてあるからです。

ですから価値の一般化を急いではならないのです。
前提は人によって違うからです。

進学校という前提もそうです。
何が進学校という定義なのであろうかと思うと、うかつなことは言えなくなります。
非常に怖いことであります。
基準が違っているからです。人それぞれ、分析をしている出版社によってそれぞれであります。よその土地の話ですが、地域の思い込みも誤解もある。自称進学校なのか、他称進学校なのかということです。また御自分が進学校を出たからと言って、その体験が全てではありません。(ただし、その体験は非常に貴重です)
このことも価値の一般化のしすぎであると思うのです。

勉強力というのは、NHKで放送された「テストの花道」のような、最初から具体論から入るのではなく、こうした理屈から入っていくのもまた「応用力」養成という点では大切なものであると思うからです。マニュアル全盛の世の中ですが、「勉強」だけならそれでもいいでしょう。「勉強+力」を扱うのならば、総合的な実力を身につけるという意味で、こんなことも考えていただきたいものであります。


寒い中ですが、風邪などひかないで頑張ってください。
センター試験を受ける3年生は特にですぞ。
心配しています。


 


 


また次回に!


 


 


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日記形式の持つ意味

2010年12月29日 13時23分33秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

昨日の記事の続きのようなものですが、文章でわかりやすく書くにはこのブログのような日記形式では限界があります。

つまり感想を書いているからです。


小論文ではこうはいかない。


なんでもいいからと論文を書くと、評価が低くなる。

なら、どうすればいいか。

あまり人のことは言えないのですがね。


それは「問題 結論 理由」というようにクイズ形式で書けばいいのです。クイズはこの形式になっています。問題があって、その回答がある。そしてその理由もある。

ところが難しいのが、この論文形式ですと、反論が可能になる。理由ということがポイントです。理由というのはそれこそ基盤が危うい。いろいろと論理のあらも見えてくる。議論というのは完璧はないのですから、当然ある問題課題について、賛成・反対がある。それでなくては議論はいけません。賛成も反対も当然あるわけですから。叡智もそこから生まれる。時々、自分の説とか議論こそ世界唯一の整合性を持つとか、絶対に正しいとか、絶対的真理であるとか言われる方がいます。そんなことはあり得ないわけです。時間だって、宇宙論からすれば、時間そのものの消滅を疑っている学者がいるそうですから、これは怖いことになります。不勉強で最近初めて知りました。

ですからこの形で拙ブログを書くわけにはいかないわけです。時事問題も、政治問題も、宗教問題も、経済問題もここでは取り上げられません。当然です。どちらか一方の立場に立つわけにはいかないからです。
故に、あくまで感想主体で、そのあたりの微妙な問題を避けながら、日々の日記を書かせていただくわけです。もっとも小説も、和歌も、俳句も日記のようなものであるという指摘をされる学者もいますから。

拙ブログにはいろいろな要素をちりばめてあります。
学校広報専門でもありません。
ブログですから日記のようなものでしかないわけです。よく言われるのが、なにかを見ながらそれを写しているのか?と聞かれます。無いのです。当然です。日記ですから。あたまに浮かんだこと、ぽっと出てきたことを、書いているだけであります。論文もこれくらい気楽に書ければ、苦労はしないのですが、ね。

そんなことを昨日から考えておりました。


 


 


もう今年もあとわずかです。


お世話になった師匠にさきほど御礼のメールを出しました。ほんとうに拙ブログのように、欠点だらけのレポートを辛抱強くご指導してくださいました。ありがたい限りであります。おかげで、ハイデガーを筆頭に西洋哲学や心理学について非常に勉強をさせていただきました。また新たな心理学にも手を伸ばすことができました。教師としての成長はまだまだ継続可能な気がします。書籍は、この4月から約200冊を購入したり、県立図書館から貸し出しを受けました。買った本は、インターネットで中古本でしたから、費用はそんなでもなかったのですが。

いつまでも師匠を持つことはいいものです。くだらない自慢、慢心を持つことがない。学び続けることが可能となります。

在校生諸君がうらやましい。
いつでも、本校の先生方に質問をし、勉強をすることができるわけですから。


生涯学習とはよくも言ったり。
生涯学習仲間でも友人を持つことができました。スーパーエリートと呼ばれる方々とも。全部年下ですが、ね。

ありがたいかぎりであります。


また次回にお会いしましょう!


 


 


 


 


 


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わかるように語る

2010年12月28日 20時45分40秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

今日も、在校生諸君は学校で自習をしておりました。3年生主体です。
部活もやっていました。


なかなか熱心であります。
自己を鍛え、基礎力を養っておくことが、春の満開の花に結びつきます。



このことは終業式の中でもお話をいたしました。

また、レジメにはない「願わくは花のもとにて・・・」の和歌も紹介しました。西行です。山家集はとてもとても10代後半の時期には理解不能の心境がたくさんあって、ちょっと、在校生諸君に紹介するのは気が引けましたが、ついクチから出てしまったのでした。どれだけわかっていただけたのかという一抹の不安を抱えておりました。

☆☆☆


わかるように語るというのは本当に難しいものです。

あるいは書くという行為が、です。

毎日が、その連続であるような気がします。

一方的な情報の垂れ流しなら、だれでもできます。聞いているかどうかは別問題であるからです。あるいは理解程度もです。

それだけに、なかなか難しいものであります。


この間の小学生対象の日本語暗唱教室(BeCOM様主催)で、ずいぶん難しい話をしてしまったと反省しています。しかしながら、その時の様子が明日の夕方に銚子テレビで放送されるそうです。今日はアナウンサーの方から、広瀬淡窓の日本漢詩の題名について質問が電話でありました。アクセントについてでした。初めて経験する質問事項でありました。詩吟ならアクセントも問題になったでしょうけれども、放送ですとどうなりますやら。江戸時代にどう発音していたのかについては、門外漢でありましたから、お答えすることはできませんでした。これから勉強させていただきましょう。

しかしながら、小学生にずいぶん勉強させていただきました。
生徒の実態を知らずして、授業は成り立ちませんから。


NHKにおられて、今やニュース番組で民放のスター的存在になられた池上彰さんの新書「伝える力」を読了しました。昨日です。

これにも小学生にわかるように語ることの困難さが書いてあります。
池上氏は、NHK時代に子ども相手の実にわかりやすい子どもニュース番組(週刊こどもニュースでしたっけ?)のお父さん役をされていました。

小学生にわかるように教えることが、経験上最も尊いことであるとわたくしも思います。
その代わり聞いている小学生の実態把握が難しいのであります。高校の教員ですから、普段まったく接することが無い。

広瀬淡窓先生の住まわれた大分県と言っても、日田市と言っても、小学生にはなかなかのものでありましょう。何を言われているのかまったくわからないでしょうから。
それゆえにこそ、プレゼンテーションソフトで、写真を多用したのでありますが。

拙ブログも、動画を多用しているのは、まだ見ぬ中学生の方々も見てくださっている可能性があるからであります。なにしろ会ったことも無い中学生の方であります。

語ることもそうですが、文章でもそうです。
分かるようにするということが、最も困難であります。

前提をすっとばして、書いてしまうこともしばしばであります。
これくらいのことは分かってくださっているという思い込みで書いてしまうと、なかなか伝える力という点で難しいものがあります。

教えていただいている師匠からもご指摘をいただきます。
レポートを書いているとそういう場面にしばしば出くわします。

60までもうすぐであります。
まさかこの年齢になってもレポートを提出する日々があって、しかもこの4月から膨大な字数を書いて参りました。そのためのテキストファイル執筆専門の機器まで購入することになろうとは、夢にも思いませんでした。そして、まだまだ不満足なレポートしか書けない懶惰な自分に腹を立てている毎日であります。

一生勉強しているしかないようです。


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他人に迷惑をかけない

2010年12月24日 22時32分54秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

わたくしも幼いときから、「他人に迷惑をかけない」ことを今は亡き両親から教わりました。

そりゃそうです。当たり前の真実であります。他人に迷惑をかけているようでは、お話になりません。

しかし、この言葉の裏には、「他人に迷惑をかけないならば、なにをしてもいい」というロジックが隠されているような気がしてならないのです。これは今でも実感としてあります。36年ほど教育界に身を置いてきたからこそ、そういう実感を感じるのであります。

現代の高校生一般の傾向としてこのことが(つまり他人に迷惑をかけていないから、なんでも、なにやってもいいじゃんという傾向性を慨嘆しているのです)しばしばマスコミでとりあげられるからこの記事のタイトルにしました。



インド人は、親は子どもに「あなたは他人に迷惑をかけているのですよ」ということを教えるのだそうです。

これはすぐれた教育論であります。迷惑をおかけしているということは、まさに真逆の意味で他人への感謝と結びつきます。受け入れてくださっているだけで、ありがたい。つまり感謝の教育であります。見習うべしであります。

だから、この前提にあるかぎり、「何をしてもいい」というロジックにはなりようがない。

わたくしたちは、必ず他人にどこかで迷惑をかけているわけです。
時々冗談のように言うのですが、これはどうやら真実のようであります。もしかしたら、今のわたくしの仕事そのものも、100%の賛同をいただいているわけでもない可能性を有しています。好き嫌いで行動する方から見たら、嫌いな方には、わたくしの存在自体迷惑千万でありましょう。また、柔道でわたくしに数は少ないながらも負けた方は、わたくしの存在が迷惑であるわけです。もしかしたら、昇段試験でわたくしはその方の昇段を邪魔したのかもしれませんからね。

満員電車もそうです。
満員だと自分は不満足です。
不快だからです。他の乗客がなんで降りてくれないのだろうかと思うわけです。
ところが、その満員電車に自分も乗っていることに気がついていない。自分を棚上げしているわけです。みんな一緒に電車に乗っているのに、自分のことしか見えていない。

これは見事な逆説であります。



昨日、実は大都会で人間ドックを受けておりました。
休日でもやってくださるクリニックがあるのです。
そこまで行くのに、満員電車に乗ったわけです。
本当は休日ですから、真の満員電車ではなかったのかもしれません。
しかしながら、普段のんびりゆったりと電車に乗っているのでそう感じたのでしょう。
不平不満の分子になってしまったのかも知れません。

勝手なものであります。
そういう我が儘勝手な深層心理にとらわれているわけです。

この年末年始を深層心理の面から、自己分析を試みてみたいものだと思った次第です。


在校生諸君。
心理学という学問もまた楽しいものですよ。

ひとつのたとえ話ではありますが。


 




それでは次回またお会いしましょう!



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終業式レジメ

2010年12月22日 08時12分23秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
今日で二学期も終わります。
この4月からいろいろなことがあって、時間的には上流から下流へと順調に流れていったような気がします。
百周年記念事業もありました。加藤登紀子様をお迎えして、規模はささやかなものであったかもしれませんが、清流のごとき清浄な感動体験をさせていただいたと思っております。つまらない世間体ということにかかわるような自慢話とは一切無縁の学校が、わが県立銚子であります。粛々と101年目を目指した教育的営為を積み重ねていくこと。これが本校らしい姿であります。
つまりどんなことに価値を置くかといういうことです。現象面だけの、薄っぺらな価値を最大なものとするのかということであってはならないと思います。すべては変化するのです。いつまでも変わらない物質や現象などは無いのです。そんなことに執着していると、迷いの世界から抜け出せなくなります。
世間のしがらみから一歩脱却して、勉学に励みたまえ。世の移ろいに関わって、俺が俺がの執着的自我にとらわれることなかれ。もっともっと、他者のためになることができる、社会のためになることで活躍をしていただきたいと思います。

さて、三年生の進路ではよく頑張っていただいていると思っております。本人の努力は言うまでもなく、ご指導なされた先生方のすばらしい教育的実践にこころから感謝申し上げます。

喫緊の課題としては、年明けのセンター試験です。こころから成功を祈ります。

部活動や、種々の特別活動で活躍された生徒諸君、ご指導下さった先生方にも感謝申し上げます。水泳部の関東大会出場も横浜まで応援に行ったこともあって、思い出多きものとなりました。

一昨日、諸君達が受賞されたたくさんの賞状を紹介しました。時間がかかりました。数が多かったからであります。指導部長からもご指摘がありましたが、以前とは全く違う展開になりました。これだけたくさんの賞状をいただいてくるということは、実にすばらしいことであります。運動系、文化系に関わらず活動が活発であるということです。勉強もさらにしっかりとやっている。
これこそ世間に出たら、大きな力となるのです。生きるための原動力であります。
思うに、たくさんの賞状はほんの一端であって、諸君達の日々の訓練・鍛錬・稽古の土台が水面の下にしっかりとあって、その成果が花開いたものであろうと感じています。見えない努力を誰しもやっているから、その成果が水面にぽこっと浮かび上がってくるのであります。
花の美しさを愛でる方は古今東西数知れずであります。山家集をはじめとした和歌集にもたくさんあります。そうした花は、突然変異で美しく咲いているのではありません。花たちの先祖から受け継いだ遺伝子のもと、野に咲く花は手がかかっていないぶんだけ強く、たくましい。また、人の手がかかっている場合でも、花を支えている土壌の面倒を見、水分を補給してやれば見事な花になります。もうじき訪れる厳寒を耐え、春になったら満開の花を咲かそうとしっかり栄養補給を怠らない花たちもあります。

こうしたことはすべて学問への精励、健康体力の向上、人物としての器量を大きくするということにつながります。

最後に、毎回のように言っています。吉田松陰先生のことです。先生は、松下村塾で「勉強なさりませ」と生徒達を励ましたそうですが、わたくしも申し上げたい。
「努めなさりませ」「励みなさりませ」と。

                                   (平成二十二年 二学期終業式 外山日出男)
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この一年は

2010年12月21日 21時57分06秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

とうとう明日は終業式であります。

今日はいろいろな会議を行っておりました。在校生諸君のがんばり具合をいろいろと知ることができました。


努力はあなたを裏切らないものであります。


やったらやっただけのものは返ってきます。


それをあざ笑うことも良くないのです。他者の努力は見習ってこそ価値があります。逆に自己卑下をするこもないのです。世間的な評価とか、なんとかというようなものはすべて表層。永遠にずっと存在する物質も、現象もないのですから。

今学期、なかなか成果の上がらなかった生徒は、ますます努力なさいませ。
具体的な手法はこのブログにも書いてあります。
校長室に来ていただければ、実物をお見せします。
ノートも、情報カードも、はがきカードも。
考え方を手に入れれば頭がよくなるというNHKの番組「テストの花道」のようなことを言っていますが。





今日は外に出かけなくてはならない急な仕事で、時間をぬってほんとうに目の回るような思いをしておりました。
それも二度同じ場所にでした。

これはかなりきつかったのです。
会議を午後から二つ背負っていましたから。

ま、こんなこともあります。
それがわたくしの仕事です。



明日が終業式だと思うと、この一年を振り返ってしまいます。
学校のこと、仕事のこと、自分自身の勉強のこと。
趣味である柔道のこと。
今年の一番の収穫は、ほんとうにすばらしい先生方と、在校生諸君にめぐりあえたことです。


こころから良い学校に来させていただいたと思います。



とうとう本校で教職生活を終わりそうです。
一校だけの校長ですが、こんなにやりがいのある学校はありません。県銚だからであります。

全国誌にいろいろと出させていただきました。さらに、来年の1月にまた全国誌に登場させていただきます。私立大学の経営に学ぶというタイトルで書かせていただきました。大学アドミニストレーターという学問が大学の広報担当の学問としてあるのですが、高校もまた同様の、否、それ以上の発想をしていかなくてはならないと思っています。銚子市内に千葉科学大学があります。広報戦略のよいお手本が本校から2キロくらいのところにあるのですから、こんなに恵まれた地域はありません。

私的には、実に多くの示唆をいただいた一年でありました。
生涯学習でほんとうに勉強させていただきました。多くの先達者たちに、師匠様に感謝しております。
年はわたくしより若くても、師は師。
いい師に恵まれました。

来年はどういう姿で勉強をしているのでしょうか。
鏡を見るのは大嫌いですが、楽しみではあります。


 


明日の終業式レジメは、明日の朝ここにアップします。


待っていてくださいね。


学級には、今日、コピーを配ってくださいとお願いしてきましたから。


もっともレジメどおりに話をするわけではありませんが。


 


 


では、明日またお会いしましょう!


 


 


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日本語暗唱教室動画アップ

2010年12月20日 21時04分44秒 | 先公ごっこ2008年から2012年







 



 



 



平成22年12月18日(土)に、銚子市のNPO「BeCOM」様主催「日本語暗唱教室」に、ボランティアとして4名の本校生徒と共に初参加させていただきました。(※ボランティアとは無報酬という意味ですよ、お間違えなく)

動画もBeCOM様のご許可をいただいて、アップしてあります。本校生徒と生徒達、役員の方々を紹介できないのが、実に残念でありますが。

後ろで見ていたことは何度もあったのですが、今回ばかりは冷や汗かきながら、やらせていただきました。ピンチヒッターで初登場でありました。

小学生の低学年ですから、恐ろしい思いを抱かせてはならぬと思って登場したのですが、「怖そう・・・・・・・・・」とのっけから言われてしまったのは、不覚でありました。

髪型は大事なようであります。
しかしながら、わたくしの髪型はもういじりようがない。

しかし、かわいいものです。
柔道の子どもたちもかわいいですが、知的なものを追求されている子どもたちもまた別の意味でかわいい。

広瀬淡窓先生を扱ったのです。
すでに意識は江戸時代に飛んでおりました。
私塾の先生にでもなったつもりでいたのです。
これは笑いました。

わたくしごときが、江戸時代の私塾や藩校の講師を務められるワケがない。
米沢の藩校の教授とか講師は、なんと言っても憧れの的。

しかし、難しいものであります。
つまり小学生には難し過ぎました。

いい体験でありました。


生涯最後の授業になりました。
記念碑です。


それがしかもあんなにかわいい子どもたちと共に時間をすごさせていただいたことを、感謝申し上げます。


別れ際、生徒の弟さんでしょうか、三歳くらいの男の子が、わたくしに近寄ってきて、左の手をパチーンとたたいて、「さよなら」。

これも最初は怖そうであったのが、たんそうさんのゆるキャラになったのだなぁとしみじみと感じました。


 


みんな勉強なさいませ!


 


 


 


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鍼灸師の向後先生に講話を

2010年12月17日 23時32分43秒 | 先公ごっこ2008年から2012年














今日は人権教育講演会を実施させていただきました。

鍼灸師の向後文雄先生を講師としてお迎えいたしました。


普段、なかなかお聞きすることのできない御講話をいただきました。

目の不自由な方への接し方とか、食事の時に料理の位置をお教えするのにクロックの位置でというようなことを教えていただきました。

JRC部が本校にはあります。
介助の仕方を実際に壇上で示してもいただきました。旧制高等女学校以来の伝統をふまえて、福祉や介護、看護関係に進学していく生徒もいるものですから、そうした進路を考えている生徒には大変参考になったと思います。大変大切なことであります。


盲導犬のお話も印象に残りました。
かわいいと言って、触ってはいけませんということでした。盲導犬に対するストレスになるのだそうです。

在校生諸君の態度も良かったと思います。

わたくしは体育館のギャラリーにいて、動画を含めて、写真を撮っていましたので、生徒の様子がよくわかりました。その写真を一部だけ、この記事に紹介してあります。

大切な研修であります。

絶対的価値のあることです。

思いやり、愛、福祉、ボランティア等々。

後は、理念だけではなく、実践あるのみであります。


 


向後先生、まことにありがとうございました。



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あるドキュメンタリーを見て

2010年12月16日 20時53分03秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

東京の新葛飾病院の院長先生の清水陽一先生(61)は、ご自分が余命2年の大腸ガンであるにもかかわらず、患者さんのために、朝も夜も一日中治療にあたっておられるということをテレビで知りました。

年齢も近いこともあり、また最近興味を持っているターミナルケアやグリーフケアにも関わることですので、たった10分のドキュメンタリーでありましたが、非常に感動させていただきました。

このような医師が他にもおられる。

国立千葉病院の精神科医であった西川喜作先生です。以下に先生のことについて書いたわたくしの駄文を紹介しましょう。


 





 


医師西川喜作は、前立腺癌患者となった。
癌の受容に関しては揺れ動き、悩み、動揺を隠さない。その人間的な悩みは、共感できる。「高僧と 癌」の話ではないが、悟り切ったとされる高僧であっても、死は恐怖であるし、動揺する。

しかしながら、西川医師は、死の医学を真剣に考えて行く中で、「自分は何かをしなければ」という思いをつのらせていった。
「たとえ世界が明日終わりであっても、私はリンゴの樹を植える」という文章は、癌患者の存在のあり方を問われし者として、何を応答すべきか、何をもって生を全うすべきかという解がそこにはあると言わなければならない。

残された時間をいかに生きるかについての西川医師の語られたことは
・医師として可能な限り学び続ける
・学んだことを、患者の診療の中で実践する
・自分の経験したことを発表して、人に問う
である。
学び続けるという視点。これこそが、生き甲斐を生み出すもとではないのだろうか。


 


(※西川喜作先生が登場する動画はYouTubeで見られます)


 


 




 


人間とは実に興味深い存在であります。


なぜこういうことが可能なのでしょうか。
余命・・・・・・という段階でさらに仕事に没入できるという精神的な強い構造がすばらしいのですが。

あなたも考えてみませんか?

これもまた学問の一つの分野になります。



☆☆☆☆☆



さて、昨日の記事に人間とはおもしろい存在で・・・・・・とか書きました。


これはほんとうにそう思います。

世間話や、噂話、悪口等々。
時間がもったいないではないかと思うことしばしばであります。


わたくしも知らない人間関係を他人が知っていたりする。つまり噂というやつであります。それをまことしやかに流言される。会ったこともない方と、噂で友人になっていたりします。確認をしていないワケです。

そういうことばかりやっていると逆利用されてしまいますから、十分留意されたし。人のことを悪く言うなという格言は、老人の智慧でありますなぁとしみじみ思います。ところが人間は、そこのところが理解できない。だから人間は実におもしろいのです。わたくしも含めてではありますが。

現代人の課題ということで駄文を書いていましたら、いろいろな課題をいただき、それの解を提出いたしました。2500字。たいしたことは書けません。しかしながら、それで課題を考え、理由を考え、解決方法を考え、結果を考えるというのは実にいい。


「問理方結」というパターンでいつも考えます。
問題、理由、方法、結果という思考パターンです。

これで考えると、世間で言われている世相万般が、問題になり、課題になります。そして、なぜそういうことが取り上げられるのかという理由、解を求めての方法、最後に結果という流れになります。

相手の思考パターンを探る上でもこれは実に有効であります。このお方は問題・課題をどういう理由で主張されているのか、もっと言えば前提は何かということを、拝聴しながらいつも分析させていただきます。

そして、現代人は、太陽も地球も人間も永遠に存続し続けるという前提で行動しています。命も永遠だと思っている節もある。

去り方(職場も人生からも)の方法をちょっと話題にしただけで、冗談を言っているとしか受け止めていただけません。

わたくしは、永遠に学校の先生をしているわけにはいかないのです。また、向老期にむかっていかに過ごすかということも喫緊の課題であります。

自我ということをちょっと書いたことがありました。自我は、現象としてはあります。鏡を見れば、そこにわたくしもどきが映っている。しかし、それは実体としての、真の自己ではありません。光線になって、映っているだけのものです。わたくしもどきでしかない。じゃぁ、自己とは何か?ということが、最も重要になります。それを考えるのが、哲学であります。

古典を読み、じっくりと思索することによって、毎日が実に楽しくなります。


 


 


それを今日は清水陽一医師に教えていただきました。
命は限られているからであります。


また明日!


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今日は試験の返却日でした

2010年12月15日 23時18分09秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

テストの返却日でした。
結果はいかがでしたかな?

良かった人とかいろいろあったと思います。
頑張れ!
頑張れ!

やるとき、やれるときにやっておかないと後悔しますよ。
まったくそう思います。
わたくしの仕事はそういうことを、人を激励することです。

在校生諸君の勉強する姿が実に好ましい。
それが、学校の姿になっていくわけであります。


知ったかぶりをしているよりも、真実の知を身につけてください。
知らないから、知を求めるわけです。
無知の知であります。
無知を自覚していると、知ることがとても大切になります。
実力も無いのに、他をけなしたり、試してはなりませぬ。
そういう意味で生涯学習は大切なのです。

だからわたくしは生涯学習の鬼と化しているのです。無知を自覚しているからです。知識を身につけたと思っても、どんどん忘れていってしまいます。常に復習を心がけていないと、まったくどうしようもなくなります。

ソクラテスの言ったことはそういうことです。
自分だけが神のごとく優秀だとうそぶいていると、天地がひっくり返りますぞ。
優秀な人間はそれこそ星の数ほどいるのです。

ですから、わたくしは教育に謙虚でありたい
と思ってきました。
あるいは学のある方への尊敬の念を絶やしたことは無かった。
「吾以外皆師」という作家の吉川英治先生のような心境です。
年齢は関係ありません。

このことは自己にとらわれていてはいけないということでもあります。
自分しか見えていないと、我が儘勝手な自己中心主義に陥ります。
相手を引き下げることしか考えていない、あるいはそうすることによって相対的に自分の方を引き上げることを無意識にやってしまいがちであります。


関係性という言葉が最近多用されますが、これは昔から言われている「みんなつながっている」ということでもあります。



自分だけの世界はありえません。
他人と関わってきて、はじめて人間は人間であり得ます。

だからと言って、相互の比較だけで生きるとか、相対的な関係性だけでものごとを把握していると、悩みが出てきます。
あの人と比較して、自分は******だとか、あるいは・・・・・・・・・・だとかの勝手な自己規定をしてしまいます。

人間というのはまことにおもしろい存在であります。

歌手の小椋佳という方は、東大の法学部を出られて銀行員となり、歌手をしながら、再度東大に学士入学。それから文学部を経て、大学院で哲学を修められた。人間学をやったということでした。人間観察をするために銀行員になったとも書かれていました。たしか修士課程では、日本思想を学ばれたと思います。

たいしたものであります。

こういう方こそ、偽物ではない本物の知を求めるかたであろうと感じ入りました。



さ、明日から、否、たった今から在校生諸君も本物の知を求めて頑張りましょう。




 


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期末試験どうでしたか?

2010年12月14日 21時23分44秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

生徒諸君!

期末試験終了しましたね。

ごくろうさまでした。

できばえはどうでしたかな?

結果を気にしすぎるのも困りますが、まったく悠然と構えているのもいかがなものかと思っています。
それなりに、努力しましょう。

今日の放課後から部活も始まりました。
雨が降っていたので、校舎内で練習している部活もありました。

ご苦労様です。

まさに「君は川流を汲め 我は薪[たきぎ]を拾わん」の世界です。


尊敬している広瀬淡窓先生の漢詩です。
これでこそ学舎であります。

18日(土)午後1時から、市役所のわきで、小学生低学年に、銚子市内NPO BeCom様主宰の日本語暗唱教室でお話をさせていただくことになりました。(ボランティアです)

広瀬淡窓先生の日本漢詩を扱います。

相手が童子です。
できるのでしょうか・・・・。
不安だらけです。
わたくしの海坊主のような顔を見て、泣き出されたらどうしようと思っています。

優しい声に生まれなかったことを悔いております。

朗読もひと工夫をしてみました。
詩吟も取り入れてあります。

ゆるキャラの紹介もしてあります。
さらに、目玉おやじも登場します。
プレゼンソフトの中でです。

視点論での国語授業は低学年では中学生までしかやったことがありません。
生徒の実態把握ができていないまま突入するのは、冒険であります。

それでも楽しみ、楽しみ。
基本的に童子たちと接しているのが大好きです。
柔道もそうです。
ある意味人間好きでないと教師は務まらないのではないでしょうか。
ニヒリストにはできないと感じてきましたが、たぶん当たっていると思います。

そしてその夜は、ここのところ多忙で稽古に行けなかった柔道をしに夜出かけます。
やはり相手は童子たち
おもいきり投げられて、褒めまくります。

こんな半生を送ることになろうとは、思ってもみませんでした。
東北の山奥で、小学校の分校教師として生涯を過ごした亡母が見たら、笑われてしまうなぁとしみじみ思います。
亡母の生き方に反抗をして、高校生期にある種の慢心を持って決別をしてきたつもりでした。先祖代々のように地元の師範学校を出て、教師になっていたという血の流れに逆らったつもりでありました。

ところが、辿り来て、亡母の手のひらの上を泳がされたというだけであったと、向老期になってつくづく感じているのです。
結局のところ、亡母が一番わたくしの適性を知っていたのでありました。

ほんとうにありがたきことでありました。


これから教職を希望するかもしれないという在校生から4人(男子2、女子2)、アシスタントとして手伝いをしていただくことになっています。ボランティアです。これもまたいい経験になることでありましょう。
今日、広瀬淡窓先生の日本漢詩を渡して、土曜日まで暗唱してきてくださいねと頼みました。4行しかありませんから。

当日は、動画も自分で撮るつもりです。教室後方に自分で三脚を用意していれば、流し撮りで十分です。こんな機械音痴のわたくしでも後で編集可能ですからね。

生涯最後の授業になります。
そして、生涯最後の記念碑に。

楽しみです。
全く楽しみ。


 


 


 



また明日!


 


 


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今日は寒かったですね

2010年12月13日 19時30分28秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

今日は寒かったですね。
本当に年々歳々寒さが辛くなってきます。
銚子でこんなに寒いのですから、よその土地はいかばかりか。

余計な心配ですかな?

期末テストが大詰めであります。
生徒諸君が一生懸命勉強されて、それで評価がされるわけです。
学生である以上仕方のないことでもあります。

でも、評価があるというのはある意味楽しみではないのでしょうか。
わたくしもあるレポートの評価を楽しみにして待っています。生涯学習をしているからです。楽しいこと限りなし。むろん、いい評価をいただくこともあれば、激励をいただくこともたくさんあります。

それが楽しいのです。
実技だともっとシビアです。
書道は、きつかった。本当に悪筆で、まだまだ治りません。
発声法も駄目。なまりがどうしても抜けません。
もう諦めました。このままでいいと思っています。

実技というと、柔道もそう。まったく体がままなりません。健康のためにやっているようなものです。しかし、心意気だけはまだ若いようで、昨日のグランドなんとかという柔道大会で90キロ級の選手が仕掛けた技に「反則、反則」と思わす、テレビ画面に怒鳴ってしまいました。結果は反則で日本人選手の勝ち。まだルールを覚えていたのですね。

まだ覚えていたのだなぁとしみじみ言っていましたら、家人に笑われました。それでもいいのです。なにも柔道の専門家でもありませんし、それにこだわる気持ちもありません.柔道家として・・・・・・をしなければならないとか、そういうのがないのです、わたくしには。

要するに何を言いたいかというと、固定観念とおさらばしているということです。
「・・・・・・・・・・・でなくてはならぬ」ということからフリーでいます。少なくとも精神的には。自分を縛ることは、少なくとも道徳的な縛りを除いては、あまりありません。そりゃそうでしょう。やってはいけないことは、やはりやってはいけない。

そうではなくて、人に好かれなくてはならないと思うより、人に好かれるにこしたことはないと思うようにしているのです。

そんなことは相手がすることです。

論理療法というものから学んだことであります。


 


 


それではまた明日!


 


 







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学習メソッド・筆記用具の工夫

2010年12月09日 19時30分13秒 | 先公ごっこ2008年から2012年


直液式水性ボールペンです。
これがこれまでのところ一番相性が良かった筆記具です。
最近なかなか売っている店がないので、困っています。





マーカーです。
基本的に、重要項目と記述にピンクを。
概念規定にブルーを使っています。




こちらは、マーカーペンで印をつけるほどでもない部分をチェックするためのもの。
赤は、重要語。
水色は、その説明部分。
緑色は、追加の部分。





言わずもがなのシャープペンシル。
ただし、シンの太さが違っています。


手書きレポートの場合は、タイトルを0.9ミリで書いています。
地の文は、0.7ミリ。
通常は、0.5ミリ。


プレゼンをする場合、他人に読んでもらうときは、こういうちょっとした工夫も必要かと思ってきました。





これもだれでも知っている色鉛筆。
赤と青を好んで使います。
マインドマップを作るときには、欠かせないツールです。
マインドマップを知らない在校生諸君ならば、インターネットでちょっと調べれば、そんなに難しくはありませんから、試してみましょう。これは右脳を使った実にいい記憶法です。


 



 


ここのところずいぶんと、こういうツールやノート、カードを紹介してきました。

もういいかげんにしましょう。これくらいで。

なにかの参考になればいいと思っているだけです。

真似をしてはいけないとまでは言いませんが、形式や、ツールにこだわってすべての情報を同じ手法でやろうとすると、情報収集地獄に陥ります。時間をかければ勉強した気になるという悪循環に陥ります。

結局は頭にはいればいいのであって、ツール研究を専門にやってはいけないですよ。もっとも、それを職業にしていきたいのなら話は別ですが。

あくまでもわたくしの体験談です。
ほんとうになにかの参考になればと思っています。



 


昨日でした。
ある中学校に参上して、いろいろと生徒募集のことをお話させていただいておりました。

そうしたら、校長先生とこのブログの話になりました。
わたくしと、生徒会の副会長と書記が県銚の魅力について語っている動画があります。
これを激賞していただきました。


上品な生徒が多いとのことです。
嬉しくて舞い上がってしまいました。


県銚は、たしかにそういう学校であります。
品性もまた人間の身につけるべき価値でありましょうから。

そういう意味で、このブログを来年度の途中で削除することはないのではないかと思い始めました。

少なくとも、退職までは職務としてずっと続けた方がいいのかもしれないと。

広報をしなくても、生徒がどんどん受験してくださるような学校でありたいというのが、どこかに無意識としてありますから。

と、ここまで書いてきて、この数年深層心理学をずっと学んできた懶惰な自分ではありますが、やはり基本的な地盤というものからは離反できないもののようであります。

昨日の夜、アドラー心理学をちょっと調べていました。
そしたら、アドラーさんは、かなりエライ学者先生で、とてもとてもわたくしごときものが読んでいていいのだろうかと思ってきたのです。それが、実は劣等感との戦いであったというアドラー心理学のそもそもについて書いてあって、まさに目から鱗。

こんなことも、これからは書いてみたいことの一つであります。
悩んでいる生徒への励ましになれればと、ささやかながら思っています。



また明日!


 


 


 


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学習メソッド・はがき活用法

2010年12月08日 21時00分32秒 | 先公ごっこ2008年から2012年


 



このカードはレミゼラブル読書用です。


これは重宝します。


長編小説を読む機会が多いからです。




ラベルを使ってマインドマップにしています。









カラフルなフォルダーに入れて持ち歩くと楽しいものです。

何度かこのブログで紹介をしてきたはがきサイズの情報カードです。

100円ショップで売っているはがきをそのまま使っています。

安価で、枚数も多いからあまり気にしないで使えます。

さらにいいのが、パソコンとの相性の良さ。

年賀状作成ソフトが出回っていますから、はがきサイズの印字は実に優れています。

関係の資料でインターネットから探したものも、貼って持ち歩きます。

フォルダーも安価で売っていますから、なんでもそろいます。

胸ポケットにも入れておけます。

ほんとうにこれは重宝しています。

ただし、授業ノートには使わないこと。


先生に提出を求められた場合には、提出のしようがない。授業は普通のノートに限ります。これはあくまで暗記用。頭に入れるときのツールです。

重宝するのは、長編小説を読むとき。
上のふたつの写真は、レミゼラブルを読んだときの読書カードです。


こんな使い方もあるのです。


あくまで、ツールとして自由自在に使いこなしてください。



また明日!

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/