と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

学級通信の紹介

2011年01月31日 21時56分23秒 | 先公ごっこ2008年から2012年


 


 


学級通信を写真で紹介させていただきます。本校には、このような実践をされている先生も何人かおられるのです。



実に懇切丁寧であります。

右側には、いろいろな行事の日程があります。

さらに大学の受験日も書いてありました。

本当にこころのこもった学級通信であります。

時に、担任の先生の自然から感じたことなども書いてあります。

書店の地域的分布の分析は実に興味深いものがあります。大学受験コーナーのある書店についてです。然り、然りです。楽しくて、一気に読ませていただきました。学級日誌のツイッター形式もいい。これは保護者の方々が見たらお喜びになることでしょう。



すばらしい教育的叡智であります。






これと同じようなことをどこかで経験したのを思い出しました。また昔話であります。ご笑覧を。なにしろ教育は体験が一番のベースになっておりますから。どうしても回顧録のような形式になってしまいます。仕方なし。仕方なし。



それは東北のわが故郷でありました。寒村であります。ただし、温泉町でありますから、それなりにあたたかい。つまり、お湯が。

否、そんなことではなく、生活綴り方を標榜される先生が多く、学級通信や学級文集等々いろいろ実践されている先生方に教えていただいたものでありました。

ありがたいかぎりであります。
しかしながら、そういう俊秀に教えていただいたわりには、悪文の見本みたいな文章しか書けません。それが心残りであります。

それでも教えてくださった先生がたのことは、今なお懐かしく、感謝の思いでおります。こんな悪童でも、指導の手を緩めることはなかったからです。本当に、先生方からの根気強いご指導をいただけなかったら、と思うとぞっとします。

お友達のような師弟関係ではなく、まさに師匠と弟子(こちらがわたくし)でありました。中学校の宿直室で、英語の渡辺先生からいろいろな文学者のことをお話いただいた時、しかもなんども教えていただきました。その後の道を歩むのに迷子にならなかったのは師とお慕いしているその英語の先生のおかげでありました。歩みは常人よりも相当遅かったのですが。

今で言えばいわゆるイケメン系の先生の才能、学才に憧憬したのでした。あのころずいぶん年長のベテラン教師のような気がしていたのですが、今思えば30代ではなかったでしょうか。なかなか勉強をなさっていた先生でありました。

位置関係もいい。秋の夜長に、中学校に押しかけていって、宿直室で先生に特別講義をいただく。そして、名月を眺めながら、家に帰る。こういうのが許されていたのです。いい教育をいただいたものであります。一生の財産であります。あの宿直室で漱石も、森?外も、太宰も、知ったのでありました。そして極めつけがドストエフスキー。はまりました。先生との出会いがなければ、生涯読む気もしなかったでありましょう。しかも全集で。



梅津先生という女の先生にも憧憬しました。小学校1,2年の担任の先生でした。亡母の大学の後輩でした。今、思えば20代半ばであったのでしょうか。大きな先生で実にやさしかった。音楽の指導でもすばらしい実績をお持ちでした。後日、モノにはなりませんでしたが、ピアノに挑戦したのはこの先生のおかげでありました。



こんなことを書き始めたら、もうとまりません。
お世話になった先生方は数限りなし。
しかも、未だに心に残っております。




担任をさせていただくということは、実にすばらしいことであります。
しかも、学級通信というかたちで、生徒のこころの琴線にふれるということが。もういっぺん学級担任をやってみたいものであります。17年連続でしかできませんでした。もうすでに遅いです。定年まで生涯担任であった亡母に嘲笑されそうですけれども。




外は寒風吹きすさぶであります。しかし、暖かさが本校にはみなぎっています。



 


また明日!


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


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大衆日報に掲載されました

2011年01月28日 19時26分46秒 | 先公ごっこ2008年から2012年


 


平成23年1月28日(金)の大衆日報様朝刊です。
掲載をしていただきました。
ありがたいものであります。


ありとあらゆるツールを用いて、われらの県立銚子を広報してまいりましたが、大衆日報様のような地域に根ざしたマスコミに取り上げていただくことが、なによりであります。第一、パワーが違います。編集能力も、企画もまったく別レベルであります。

こころから感謝申し上げます。

聞くところによると、本校の卒業生の方々もかなり楽しみにしていただいているとのこと。さらに、本校の卒業生以外の方でもそうだそうです。むろん、保護者・在校生もです。当然でしょうけれども。



「地域に根ざした」というフレーズは、職業教師の世界では常套句であって、もうそれは常識の世界に属しております。

先日、大都会で本校以外のわたくしよりは若い先生方にお話をする機会があったのです。そこでも、このフレーズが出てきました。そこで、その言わんとするところを質問しました。具体的にどうするのですか?と。

そうしたら、HPの充実、回覧板というお答えでした。わたくしの反応は、申し上げません。アイディアが欲しかったのですが。誰でも言えることですから、ね。もっとも、これは自分に戒めとして言っているのですが。

新しい考え、創造的な精神、意欲、勇気、覇気。
そういったものが欲しくてなりません。だから若い人に学ぶのです。

自分勝手に作った私的マニュアルどおり、去年のままに惰性で仕事をしていってはならないと自戒しているのです。

固まってしまったら、発展はない。エビのごとく、変わっていきたいものであります。ただし、伝統(不易も)は尊重しています。地域性に根ざした文化・哲学がそこにはありますから。




日野原重明医師がおられます。
わたくしは、この医師をこころから尊敬申し上げております。
100歳になられます。

先日老犬と朝の散歩をしていましたら、ラジオから聞こえてきたのですが、なんと筋トレを始められたとのこと。
仰天しました。

さっそく、わたくしも挑戦。
この間まで、40キロがやっとのベンチプレスが、昨日はようやく米一俵分上がるようになりました。60キロです。やればやれるのでした。それでも現役の時から比べたら半減です。情けないことかぎりなし。

そしてジムで隣の体格のいい男性を見たら、なんと片手で30キロのダンベルを軽々と振り回している。よく見たら、柔道教室のうら若き指導者でした。むむ、やるなぁと語りかけ、いろいろと指導をしてもらいました。

これもまた挑戦、挑戦であります。


在校生諸君も同様であります。
やってやれないことはないのです。




また来週!


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どんな強度にも耐えうる強靱な

2011年01月27日 19時41分54秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

学ぶことの最良の方法は教えることだ、とよく言われます。

福沢諭吉先生の学んだ適塾もまた然り。
お互いに教え合って、相互向上をしていたからです。

教師としても経験上これは当てはまります。
教えるためには、自ら学ばねばなりません。どんどん範囲が広がってきます。これは貴重な経験になります。

ですから、わたくしは教えてくださる方を大事にいたします。いろいろな方々が、貴重な知的財産を教えてくださることはほんとうにありがたいものです。

歴史上では、徳川家康も同じであったらしく、高名なる山本七平先生の大作「徳川家康」(プレジデント社 P.140)にも書いてありました。学問好きであった家康公ではありましたが、実は漢文が殆ど読めなかったそうであります。もっとも戦国の大名は戦乱に生きたのですから、そういう時間はなかったわけです。(ちなみにこの本は本格的な内容で、しかもかなりのページ。読了するのに7日かかりました。)

じゃぁどうしたのかというと、学問のある「物読み坊主」と言われる僧侶の方々に教えてもらっていたと書かれてありました。

これは仕方がないと言えばそうかもしれませんが、学びの姿勢としてはいいものであると思います。

苦手な分野がありましたら、人に聞けばいいのです。ただし、自分の努力は前提としてあります。なにもせずに、聞いてばかりでもそれはいかがなものかと思いますから。



これもまた哲学者の鷲田小彌太先生に学んだのですが、(「学ぶことの法則」 丸善ライブラリー P.40) 先生の大学に入ってくる学生に最初に「学問」を英語でなんというのかとお聞きになるそうです。studyとか、learningとか返ってくるそうです。鷲田先生は、それもいいが、「諸学」がいいと言われる。sciencesなんだそうです。さすがに哲学者らしい。

じゃ、勉強は?
ここで実にユニークな鷲田先生の説が出てきます。やはりいろいろな答えがあって、先生はworkなんだそうです。(※あくまで鷲田先生の受け売りですから、受験ではちょっと留意されたし)


目から鱗でありました。
なるほど、なるほど。

だったら受験勉強を嫌がることはないわけであります。労働、仕事なんですから。学校を出たら、仕事を持って誰しも労働をしなくてはなりません。まさか、雲にのって、天上をふわふわ浮かんでいるわけにはいきませんから、ね。

しかし、この鷲田先生のご指摘には鼓舞されます。
いくつもあって、不勉強なわたくしには実に強烈な文章が迫ってきます。
その中の一文を紹介して、今日の記事を終わりましょう。

「脳も肉体なのだ。しかも、どんな強度にも耐えうる強靱な肉体だ」(P.65)

柔道で強烈な背負い投げをくらったような感覚でありました。


 


 


また明日!


 


 


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お世話になった教室に感謝

2011年01月26日 20時03分26秒 | 先公ごっこ2008年から2012年







平成23年1月26日(水)の3年生。

お世話になった机の脚を丁寧に磨いておりました。

椅子も心なしか喜んでいたような気がしました。



これでこそ、これでこそであります。

学ぶ姿勢は、足もとからであります。

実践あるのみ。

実に尊い姿を見させていただきました。


 


 


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今日の3年生

2011年01月26日 20時00分07秒 | 先公ごっこ2008年から2012年



大学の試験目指して今日も学校で自習をやっていました。

美しい姿であります。

こういう姿勢から、学びたいものであります。


 


夕刻でありました。

輝いています。

ドストエフスキーの作品に葉脈の輝きの描写がありました。あれを思い出しました。すばらしい光景であります。




頑張れ、頑張れ!


 


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ノートを1冊作りました。

2011年01月26日 19時56分00秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

今日は一・二年生諸君の実力テストでありました。
午後の4時くらいに終了でした。
たいしたものであります。
こういう厳しい鍛えの時期を経ているからこそ、将来が楽しみになります。ちょっとでもそれにかかわらせていただいたことに感謝をしたいと思いました。


 


 


 


今日は、「人間はなぜ悪事を働くのか」というタイトルのB5の大学ノートを作りました。
大まじめにです。このことについて、職として自分の言葉で語れという課題をいただいているからです。

非常に厳しい、大きな課題であります。
また、西洋に原罪論というのがあることも知識としては知っております。それにつけても、これは難題。

やってはいけないということを知識としては知っていても、なぜ行動に移してしてしまうのかということ。

知と実践のズレ?
何を価値として、何を指標とするのか?
人格
教育
思想
無頼
風土
国土
文化
潜在意識
深層意識
氏素性
いろいろな条件(身体的、心理的)
人間そもそも論
DNA
ニヒリズム
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


あと何があるのでしょうか。考えてみたいことの最優先課題です。

昨日の夜に、インターネットでいくつか関連書籍も注文しました。
翻訳版で、いろいろ哲学書も。学が無いので、とてもとてもドイツ語の原書で読むことは不可能であります。これが一番残念。

18歳の頃、ドストエフスキーにちょっとあったのも思いだし、わたくしの部屋にある全集もひっぱり出しました。そして、思ったのが、こんなことを18歳以来もう41年もやってきたのだなぁという思いと、未だ解決がつかないということ。ましてや、古代ギリシア時代以来の西洋思想、古代印度哲学、中国をはじめとする東洋思想でも、なかなか解決のヒントが見当たらない。

もっと勉強しておけばよかったと思います。

今更ながらです。




生徒の学ぶ姿を拝見しながらそんなことを思いました。


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


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3学年だより発行

2011年01月25日 21時53分59秒 | 先公ごっこ2008年から2012年


3学年から、学年だよりが発行されました。
昨日のうちに入手しておりましたが、画像アップをしてここに紹介します。

これから進学のために転戦をする3年生への熱い応援歌です。

実に細やかな配慮に満ち満ちています。

こういうところにも面倒見の良い学校、県立銚子のポリシーがあらわれています。

頑張れ、頑張れ。


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いろいろと

2011年01月24日 21時19分16秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

 


ここのところ、いろいろと情報収集をさせていただいておりました。

そして、あの松下幸之助さんについての永年の疑問について、わかったことがありました。PHPという研究所があります。そこも松下翁が作られたのです。そして、ありがたいことに優秀な内部の研究員がたくさんおられる。しかも、まったくありがたいことに、論文をPDFで公開されているのです。これは第一級の資料です。

PHPも松下政経塾もなぜ、これほどの成果をあげておられるのだろうかと密かに注目しておりました。そして、それはある仮説のもと、もしかしたら松下翁はある思想というか哲学というか、それにヒントを得ておられたのではないかと思っていたのです。


PHPの研究員の論文にそのままずばり書いてありました。


松下幸之助COMと言うサイトです。非常に嬉しい思いをさせていただきました。研究員の紹介のページからPDFで研究成果を拝見することができるからです。

実に永年の疑問が解決しました。
嗚呼、これまでなんという回り道をしてきたのだろうと後悔です。

それも勉強、これも勉強であります。



先週末に、世阿弥のことを書かせていただきました。

土曜日に、柔道教室の稽古を終えて、例の古本チェーンに行きました。またまたあちこち書棚をふらついておりました。

そうしましたら、岩波アクティブ新書で「処世術は世阿弥に学べ」土屋恵一郎著という古書があって、これまた嬉しい価格。300円。購入したのですが、驚いたのがそのタイトル。まさか、まさかこんな意味で今まで読んできたことはなかったので。この書籍もなかなかだなぁと思いながら斜め読みをして、読了。

こういう読み方もあるんだと感心しきりでありました。

「時節感当」という言葉について、実におもしろい読み方をなされていたのです。ここのところだけ読むために買ったようなものです。

時節とはこの瞬間のことである、その時節に当たることが能の大事だというのです。タイミングをつかむ能力のことだと著者は言われている。

なるほど、でありました。次の日、NHKから放送されている大河ドラマに、織田信長が出てまいります。あの方を思い出しました。非常に時代を見ることについて、先見の明がありすぎました。結局悲劇的な生涯になってしまいます。

で、昨日の晩は、その大河ドラマを堪能しておりました。この時代は、実に興味深いからです。主人公の姫様の生涯も殆どそらんじることができますから、歴女ならぬ歴爺さんかもしれません。主人公の姫様が、信長に入れ込んでいく心理状態の演技も実にあざやか。

時節感当ということと、信長という一人の天才の生き方が重なってきました。さすがに天下のNHKです。おもしろい大河ドラマを作って、放送してくださいます。ありがたいかぎりです。こちらは、実に楽しい。


しかしです。
その日同時に購入した尊敬する鷲田小彌太先生の「学ぶことの法則」 丸善ライブラリーなる古書に愕然となりました。

先生は知る人ぞ知る秀才。

その大学生時代のカントについての学習ぶりがまさに凄まじい。原語でカントをじっくりと読んでいかれる。凄いのが、鷲田先生の恩師の先生方。日本訳で勉強したなどと言うと、天地がひっくり返るようなことになる。つまり本物でないということなのでしょう。わたくしはそう理解させていただきました。

そうなるとわたくしごとき者は、やはり山麓の洞窟で、じっと無言で座っているしかなくなります。

言葉というのは、それほど恐ろしいものであると感じました。




だったら、こんな拙ブログなど・・・・と言われそうです。


もう少しお待ちください。
必ず居なくなりますから。

じゃぁ、今晩はこのあたりで。


 


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「時分の花」か「まことの花」か

2011年01月20日 23時33分12秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

世阿弥が「風姿花伝」の中で、<時分の花>を<まことの花>と峻別していることについて、思うことがあります。

在校生諸君もわたくしの普段の話しぶりから感じるでしょうけれども、およそ現代の新しい歌手とか芸能人、役者について殆ど知らないのであります。覚えようという気もない。

ところが、そういうわけですから、あまりにも華美なる格好で出てこられるそういうたぐいの方を家人といわゆる電子映像機械(テレビ)で見ると、冒頭の世阿弥を思い出してしまうのです。嫌な性格をしているなぁと感じてはいるのです。しかし、仕方なし。

世阿弥は能役者で、若々しい勢いを持った役者を<時分の花>としています。そのみずみずしい若さで、時流に乗れば多くのファンを持つことでありましょう。それはそれで結構です。

しかし、世阿弥は、若さだけ、みずみずしさに頼っているだけでは芸の大成は望めないとも言っています。

結論は、<まことの花>を目指していきなされということなのです。


 


 


現代の若者文化を見ていると、世阿弥の心配していたことが当たっているかもしれないと感じてしまいます。安易さに流れていってしまっているのではないかと思うのです。「成熟の文化」ということをどこかに置き去りにしてしまったのではないかとも思います。万人が若やいだかっこうをし、わたくしのような年齢よりも老けて見られる人間のことを嫌う文化というのはいつできたのでしょうか。そこには成熟を厭う文化がありはしませんかと思っているのです。軽薄や、おもしろおかしみのみを重視するばかりではいかがなものか。

落語を聞くのを趣味としています。
あの世界は、やはり成熟の文化です。若い落語家では聞くに堪えない。芝浜でも、立川談志の芸にはしっとりとした趣さえ感じてしまいます。主人公の魚屋さんの女房役を演じたら天下一品。20代の頃から、ずいぶん落語には通いましたから。

また歌舞伎でもそう。成熟の文化がある。これはどうしようもない。

俳句や和歌の世界でも、成熟しているか否かはすぐわかります。小説でもそうです。

いいかげんにしましょう。
こんなことを書き始めたら終わることなし。
本来大好きな分野でありますから、


これらのことについては、また別の機会に記事にします。




ともかく、自己脱皮を常に図り、成熟することへの意欲を持ち、強靱な心身を鍛え、<まことの花>になっていただきたいと思うからであります。

過去に安住し、惰性化し、停滞した後に、あっと言う間に消えてしまう<時分の花>ではいかがなものかと、ささやかながら考える時もあるからです。



こういう視点から、電子映像機械を見ておりますと、わたくしの知っている歌手、芸能人というのは、本当に少ししかいないことに気がつきます。

もっともこれはただ単に向老期にむかっているわたくしの嘆きでしかないのかもしれませんが。しかし、このことは学校における学問、健康体力養成、人物の向上を目指す活動においても同じことなのではないでしょうか。

もっと煮詰めて考えてみたいことの一つでもあります。
これからも。


 


 


 


明日は更新不可能だと思いますので、明後日お会いしましょう。


 


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インフルエンザに注意しましょう

2011年01月20日 18時21分50秒 | 先公ごっこ2008年から2012年



だんだんとインフルエンザが流行の兆しを見せています。
在校生諸君には、今朝資料が配付されました。
養護の先生の作成された資料です。
手洗い、うがい、マスク等々の細かい指示がありました。裏には、冬の健康管理上食物にも注意をしてほしいと書かれておりました。家の人にも見せてください。

これから3年生は、受験のために移動を行います。
心配しています。

1,2年生も大切な時期です。
進級を控えています。
さらに来期の飛躍のために十分な実力を養っておくべき時期です。
油断召されるなと言いたい。
本当に。

健康管理も資質の一つですよ。
高校生としての。

わたくしは、さっそくこの資料を校長室の書庫に貼り付けました。
いつもこれを見て自戒しようと思ったからです。

なんと言っても健康第一。
熱があったら、英単語も頭に入りませんから、ね。

ではまた次回!


 


 


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県銚ニュース19号をお送りします

2011年01月19日 19時34分30秒 | 先公ごっこ2008年から2012年



県銚ニュース19号を作成しました。

明日、各中学校宛て発送をしますから、ご笑覧ください。

大変遅れました。言い訳は致しません。遅れたものは遅れたのですから。

今日の10時に作成を始めて、3時くらいにはなるかと思いましたら、午後1時にはできましたので、さっそく関係の先生にチェックをしてもらいました。なぜ、そんなに時間をかけずにできるのかとよく言われます。それは、このブログがあるからです。全部記録していますし、写真まであります。実にいい日誌であります。わたくしにとってはです。

本校の公式ホームページからも見られるように設定してあります。そちらにアップされましたらよろしくダウンロードでもしてみてください。



こういう編集作業は所詮素人ですから、いろいろと未熟であります。ご専門の方から見たら、テクニックとしては疑問もお持ちでしょうが、いい学校にしたいというただそれだけの思いでやっていることでご勘弁いただきたいと思います。

老校長のたわいもない新聞づくりではあります。しかし、中学生のみなさんへの「思い」だけは誰にも負けないつもりであります。

在校生諸君には、今日の放課後いつもの廊下掲示板に貼っておきましたから見てください。



放課後、封筒に詰めて、のり付けをして、一生懸命作業をしておりました。わたくしの気持ちが少しでも中学生のみなさんに伝わるようにと、一校一校こころを込めて作業をさせていただきました。本当なら、各中学校様に出かけていって、みなさんの反応を見てみたいのではあります。しかし、それもなかなかできないですから、じっと我慢であります。


また明日!


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挑戦あるのみ

2011年01月18日 20時17分59秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

ある古文を読んでいましたら、履歴禅という単語にひっかかりました。宗教のことは言ってはなりませんから、簡単に済ませますが、履歴のためになにかをやる、履歴のために学問・修行をするというような意味でありました。

これはなかなか味わい深い。
わたくしのような凡夫は、履歴が欲しくて努力しているのでは無いと自覚をしているつもりです。しかし、なかなか凡夫であるが故に、それを割り切ることができませぬ。人付き合いも、自分の履歴のためにやっておるのではないかと自省をしています。凡夫であるが故に、そんな履歴なぞたいしたことはないのにです。

よく自慢がてら、ご自分の履歴をご披露なされるお方が多い。ほんとうにわかっているのかどうかと、師匠に聞かれたら参ります。その場を即逃げ出すしかありません。



 センター試験が終わりました。
思うような成績をとることができなかった生徒もいることでしょう。それはそれで、いろいろと学校内で反省材料として検討をしています。困難なことですが、やるからには成果もあげたい。

それにつけても、全国にはすばらしい進学校が多い。ため息が出ます。ちょっと基準点がわたくしの場合高すぎるのかもしれません。それはそれとして、毎日ため息ばかりついているのもこれは辛い。
 
学校としての履歴が欲しいと言っているわけではありません。そういうのはあくまで相対主義で、相手との比較から考えているだけであります。下世話に言えば、他校との比較。こんなものを考えておるようでは、話になりません。


西洋思想の言う二元論というものから、もういい加減に脱却したいというのが、向老期になったわたくしの心底からの願いであります。

 学校教育にどう活かせるか。
 困難なことであります。しかし、これはやってみたいことの一つであります。今は、伏せましょう。なんのことを言っているのかは。



これからまだまだ在校生諸君の挑戦は続きます。
やるっきゃないのです。 自信を持って、自分を信じて。相対主義とはまったく逆の闘志をもって挑戦あるのみ。



頑張りましょう!


 


 


 


 


 


 


 


 


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ここのところ

2011年01月17日 20時42分39秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

先週の木曜日から、非常に忙殺されておりました。
仕事の内容は言えませんが、ま、これも宿命であります。
まだ片付いておりませんから、なかなか困難であります。

途中で、Accessというソフトに挑戦しているのです。しかし、これもまた苦戦。
とうとうデータを壊してしまいました。テーブルというのがこのソフトの基本になっているのです。それをです。
こういうときは実にがっかりします。

リレーションという特質も持っていて、こちらに挑戦していましたら、なんとテーブルが・・・・青くなってしまいました。過去20年くらいせっせと入力してきたデータですから、ね。

幸い、バックアップをとっていましたから、たいした損害にはならなかったのです。
しかし、怖い。実に怖い。所詮、素人ですから、用心にこしたことはない。

あまり用心しすぎて、なにも挑戦しないというのも困りますが、まったく慎重さを欠いてもこれはいけません。
わたくし個人のこれは戒めであります。



古典を読んでいても、慎重な読みに欠けるようで、もっと細やかに読んでいかねばならないと反省をしています。和歌もじっくり調べたいのです。時間がないから、どうしても不十分な学習になってしまいます。とばし読みもします。付箋をあちこちにつけて、内容読解を急ぐときも非常に多いのです。

こういうことだから、学習の成果があがらんのだと思うときが、しばしばであります。
大量読書、大量情報収集よりも、もっとやるべきことはあった筈でありました。

だったらこのような拙いブログなぞやっていないで、勉強をせよと言われそうです。
沈黙を守り、山の中腹の洞穴にじっと座っていて、黙考する。
そんな生き方もある種憧憬の対象であります。

しかし、そういう世間離れのしたようなことをやっている場合でもないようです。

センター試験は終わりました。さらに、高校入試も近いからです。



中学生のみなさん!


待っていますよ。




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センター試験自己採点

2011年01月17日 20時26分26秒 | 先公ごっこ2008年から2012年


















 



 



センター試験自己採点の時間を過ごしている3年生の姿です。


どれだけとれたかな。


ご紹介まで。


 


 


また次回に!


 


 


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健闘を祈る 明日センター試験

2011年01月14日 19時39分46秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
























今日は、明日のセンター試験の下見を3年生が行いました。千葉科学大学が会場です。


受験者数119名。


健闘を祈る!


 


今日の晴天のように、実力を出し切れ!


 


 


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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/