学級通信を写真で紹介させていただきます。本校には、このような実践をされている先生も何人かおられるのです。
実に懇切丁寧であります。
右側には、いろいろな行事の日程があります。
さらに大学の受験日も書いてありました。
本当にこころのこもった学級通信であります。
時に、担任の先生の自然から感じたことなども書いてあります。
書店の地域的分布の分析は実に興味深いものがあります。大学受験コーナーのある書店についてです。然り、然りです。楽しくて、一気に読ませていただきました。学級日誌のツイッター形式もいい。これは保護者の方々が見たらお喜びになることでしょう。
すばらしい教育的叡智であります。
これと同じようなことをどこかで経験したのを思い出しました。また昔話であります。ご笑覧を。なにしろ教育は体験が一番のベースになっておりますから。どうしても回顧録のような形式になってしまいます。仕方なし。仕方なし。
それは東北のわが故郷でありました。寒村であります。ただし、温泉町でありますから、それなりにあたたかい。つまり、お湯が。
否、そんなことではなく、生活綴り方を標榜される先生が多く、学級通信や学級文集等々いろいろ実践されている先生方に教えていただいたものでありました。
ありがたいかぎりであります。
しかしながら、そういう俊秀に教えていただいたわりには、悪文の見本みたいな文章しか書けません。それが心残りであります。
それでも教えてくださった先生がたのことは、今なお懐かしく、感謝の思いでおります。こんな悪童でも、指導の手を緩めることはなかったからです。本当に、先生方からの根気強いご指導をいただけなかったら、と思うとぞっとします。
お友達のような師弟関係ではなく、まさに師匠と弟子(こちらがわたくし)でありました。中学校の宿直室で、英語の渡辺先生からいろいろな文学者のことをお話いただいた時、しかもなんども教えていただきました。その後の道を歩むのに迷子にならなかったのは師とお慕いしているその英語の先生のおかげでありました。歩みは常人よりも相当遅かったのですが。
今で言えばいわゆるイケメン系の先生の才能、学才に憧憬したのでした。あのころずいぶん年長のベテラン教師のような気がしていたのですが、今思えば30代ではなかったでしょうか。なかなか勉強をなさっていた先生でありました。
位置関係もいい。秋の夜長に、中学校に押しかけていって、宿直室で先生に特別講義をいただく。そして、名月を眺めながら、家に帰る。こういうのが許されていたのです。いい教育をいただいたものであります。一生の財産であります。あの宿直室で漱石も、森?外も、太宰も、知ったのでありました。そして極めつけがドストエフスキー。はまりました。先生との出会いがなければ、生涯読む気もしなかったでありましょう。しかも全集で。
梅津先生という女の先生にも憧憬しました。小学校1,2年の担任の先生でした。亡母の大学の後輩でした。今、思えば20代半ばであったのでしょうか。大きな先生で実にやさしかった。音楽の指導でもすばらしい実績をお持ちでした。後日、モノにはなりませんでしたが、ピアノに挑戦したのはこの先生のおかげでありました。
こんなことを書き始めたら、もうとまりません。
お世話になった先生方は数限りなし。
しかも、未だに心に残っております。
担任をさせていただくということは、実にすばらしいことであります。
しかも、学級通信というかたちで、生徒のこころの琴線にふれるということが。もういっぺん学級担任をやってみたいものであります。17年連続でしかできませんでした。もうすでに遅いです。定年まで生涯担任であった亡母に嘲笑されそうですけれども。
外は寒風吹きすさぶであります。しかし、暖かさが本校にはみなぎっています。
また明日!