と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

ケツから大腸内視鏡を明日ぶち込まれるのだが、実は、あれはコツがある

2016年01月31日 09時11分53秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

大腸内視鏡がす~っとケツを通り過ぎるためのコツが、B6京大式カードにメモってある。呼吸法が一番大切である。ハラのチカラを抜かないと、それこそケツを通っていかない。七転八倒していたら、笑われる。ドクターに。マジに。

 

 

ケツから内視鏡をぶち込まれる。明日。朝9時には東洋一の巨大病院に出頭している。それから延々と下剤を飲み、トイレに駆け込み、benがサラサラになるまで待っていなくちゃならない。

毎年やってもらっている。もう今回で20回目。毎年の楽しみであある(ウソ)。

一昨年入院した時にも、やった。去年のクリスマスにその東洋一の巨大病院で人間ドックを受けたが、大腸内視鏡検査が無かったから、あえて主治医に懇願してやってもらうことにしたのだ。ちなみに、人間ドックはクリスマスにあわせて予約するにかぎる。なぜか。誰もクリスマスの晩に、人間ドックをやりたくはないから、空いているのである。もっとも、私はイエスの誕生日を祝う気にもならないから(バイブルなら読むけど)、関係ないと言えば、関係ない。

50歳になったばかりの頃、大腸にポリープがあり、切除手術を受けたからである。だから、毎年ケツからカメラを入れていただいているのである。

大腸癌は恐ろしいものであるからだ。以来、ずっと食べ物には気をつけていたのだが、問題はアルコールを制限していなかった。ここに落とし穴があった。大きな大きなアルコールの木が、私の側に立っていたのであった。この木が、にっこり微笑んできたのであった。誘惑という名の微笑でもって。うっかりのっかってはいけないのだったなぁと(_ _ )/ハンセイしているけど。

仕事が仕事であったから、つきあいというものが欠かせなかった。

バカなことをしていたものである。なにも健康を損ねてまで、つきあいをすることなんか無かっただろうに。しかも、美味くて日本酒を呑んでいたのだった。あちこちと銘柄を探しながら呑んでいたのであるから、話にならない。

さらに、二次会も大好きであった。しかし、スナックやバー、パブなんかも、徹底的に嫌いになってしまった。それほど行ったのである。バカにつける薬はないというのは、こういうことを言うのである。若いからと言って、好き放題呑んでいると、それこそアルコールに呑まれてしまう。逆にである。アルコールというのは、呑むものであって、呑まれるものではない。しみじみそう思う。

さすがに、退職してからは厭きた。秋田県である。

わははっははっはっははっははっはははっは。

今日は検査前日である。

朝から検査食を食っている。おかゆと薄い味噌汁である。ところが、けっこう美味い。

おかゆは味わいながら、ゆっくりゆっくり食う。これがコツである。ゆっくり食っていると、満腹感までとは言わないまでも、持つ。間食用にビスケットもついている。ジュースもついている。

ともかく明日まで持たせなくてはならない。

それとメモを見る。

大腸内視鏡がす~っとケツを通り過ぎるためのコツが、B6京大式カードにメモってあるからだ。呼吸法が一番大切である。ハラのチカラを抜かないと、それこそケツを通っていかない。七転八倒していたら、笑われる。ドクターに。

東洋一の巨大病院は、昔、大腸カメラも胃のカメラもヘタだった。痛くてたまらんかったのである。それで、幕張の人間ドック専門クリニックに逃げたのである。麻酔を使ってくれるからだ。しかし、それでも下手なドクターがやると痛かった。

要するに、ドクターとの相性である。幸運が左右するのである。マジに。

あああああああああ、と祈るしかない(*^O^*)。

 

さ、今日は晴天である。

Walkingは予定どおりやる。

体重は、今朝、63.1キロ。

血圧は、125。下が79。

順調である、順調。

昨日は、13202歩歩いたし。距離は、9.9キロ。

 

(^.^)/~~~

 

 

 

 

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1月30日(土)のつぶやき

2016年01月31日 06時22分53秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

「じいじ~、おたんじょうび、お・め・で・と・う」と孫が言うのでうれしがっていたのだが

また年をとった。

またまた冥途への旅が近づいた。

またまたまた時間的な... goo.gl/uQHmF0


人間の手によって投げ込まれたボールが、小さなネットにうがたれた穴を通過するたびに、その世界は外なるエネルゲイアが見事滲入を果たしたことを歓喜して、得点を加算する。このスポーツはアメリカの神学なのだ。~「バスケットボール神学」

Waishan Richunanさんがリツイート | 2 RT

【三重・狐の嫁入り】<2月3日>海山道神社の神使である福徳家の娘狐「福子」が、神使の総本家である助四郎家の小狐「助太郎」のもとへ嫁入りする道中を再現する神事。狐夫婦による豆まきも開催され、最後は仲人狐が「コーン」と三度鳴いて終了する pic.twitter.com/1bvB3j8Wgb

Waishan Richunanさんがリツイート | 45 RT

人間の無意識に、さまざまなあらわれをとることになる「贈与の霊」が流動をはじめるとき、その人の心には同胞への共感は呼び起こされる。このとき、私と他者たちの間には、「黄金数」という無理数の比率で表現されるような、ひとつの関係が生み出される。~「ディケンズの亡霊」

Waishan Richunanさんがリツイート | 2 RT

宇宙の真理はああだ、こうだと理屈をいう必要はないのであります。論より証拠です。喜びと感謝の気持になって、生きてごらんなさい。理屈を言わないで。自然とあなた方の心の中に、大きな光明が輝き出すから。 bit.ly/P05d9V

Waishan Richunanさんがリツイート | 8 RT

【東京・田遊び】<2月11日>徳丸北野神社の五穀豊穣、子孫繁栄祈願行事。国指定重要無形民俗文化財。囃子に合わせて四方へ種をまき、早乙女を一人ずつ太鼓に乗せて胴上げし、太鼓上に田遊び用具を積み上げ、手を添えて稲むらをほめる。 pic.twitter.com/9BeNSa7NMJ

Waishan Richunanさんがリツイート | 14 RT

共産主義と資本主義は双子のようなものだと考えています。お互いの存在を証明する、敵対する双子とでもいいましょうか。共産主義が消滅した今、資本主義は突然独りでその存在の妥当性を証明しなければならなくなりました。そしてそれが不可能なために危機が訪れるというわけです。『筑紫対論』

Waishan Richunanさんがリツイート | 7 RT

【ドヤ顔で乗りたい】タイヤが三角で、雪道も走行できる日産車
news.livedoor.com/article/detail…

日産の車「ローグ・ウォーリア」は、雪道でもぐんぐん走行でき、最高速度時速100km、45度の傾斜を登ることもできる pic.twitter.com/Kzues25cx5

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Retweeted ライブドアニュース (@livedoornews):

【ドヤ顔で乗りたい】タイヤが三角で、雪道も走行できる日産車
news.livedoor.com/article/detail…... fb.me/7FRJJ5Djs


@3_k_” RT @tmaita77 納豆購入額、全国首位遠く 水戸5位に転落 | 2016年1月30日(土) - 茨城新聞社 this.kiji.is/65899282213651… 去年の『家計調査年報』が出たのか。

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Retweeted 瑤子◆小川洋子(旧姓:樋川) (@aotea27jp):

@3_k_” RT @tmaita77 納豆購入額、全国首位遠く 水戸5位に転落 | 2016年1月30日(土) - 茨城新聞社... fb.me/PAytznGz


本当に物事が分かっている人は、大声を出さないものである。

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Retweeted レオナルド・ダ・ヴィンチ 名言集 (@daVincibot):

本当に物事が分かっている人は、大声を出さないものである。


@DARPA” RT @tmaita77 不本意非正規雇用者の割合。
25~64歳の男性非正規では,4割が不本意(仕方なく)の者。 pic.twitter.com/LZcgzgdZ8c

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大学院博士課程修了生の進路(2015年春)。
修了時点の断面は,こうですがね。 pic.twitter.com/9PBmTJjJCF

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Retweeted 舞田敏彦 (@tmaita77):

大学院博士課程修了生の進路(2015年春)。
修了時点の断面は,こうですがね。 pic.twitter.com/uF1UAVZx38 fb.me/7zATL45ix


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はっぴバースディ・・・・また年をとっちまったよん

2016年01月30日 10時12分08秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

「じいじ~、おたんじょうび、お・め・で・と・う」と孫が言うのでうれしがっていたのだが

 

 

また年をとった。昨日。

またまた、冥途への旅が近づいた。

またまたまた、オイラの人生の時間的なほころびが目立ち始めた。

正確な年齢は言わない。書かない。60数年たったらしいけど。それに小僧っ子であるからだ。あるいは、生まれた時が記憶にないからである。オフクロに聞いただけである。それと戸籍にそう書いてあるだけだ。

生まれた時を知らないのであるから、死ぬ時も知らない。いつ死ぬのかということをである。ま、生きている者は、100%死ななくちゃならないから、そういうもんだろう。死ぬ時がわからないから、生きてられるのかも知れない。

誕生日なんて、冥途の旅の一里塚である。時間がたったということであって、それだけである。

およそ、祝いの対象になるもんではないだろう。

しかしである。

孫から「じいじ~、おたんじょうび、お・め・で・と・う」と電話でたどたどしく言われたときは、さすがの変人ジジイでもうれしくなっちまった。

なんでか。

それは、孫から言われたからである。

孫に入れ知恵した我が長女の影がチラチラしていたが、ここは素直に孫から言われたから喜んだのである。

いいじゃないか。

孫というのは、それほどめろめろになるもんである。

一度持ってみればいい。孫を。持ってから私のようなジジイを笑うことである。マジに。

孫ができると人生観が変わる。確実に変わる。それはオノレの遺伝子が伝わるなんていうような理科系の得意分野での話題ではない。

感情なのである。

バカみたいなもんであるが、それが素直な気持ちなのである。

今年は、長男の嫁さんから祝いを受けることになった。今日の夜、招待されたから長男のアパートに行く。これもまた嬉しいもんである。

家族を持つということは、このような喜びがあるということなのである。

やはり基本的なものが、家族という単位なのである。

自滅型の文学者にはとうてい書けない分野である。そして、そういうささやかな喜びというものを決してバカにしないことを、私は基本的な認識として持っているのだ。

破滅とか、自滅とか、虚無とか、そういうものをかっこつけて書いたり、言ったりするのは容易い。

薬物中毒とか、アルコールとか、不倫とか、破壊とか、自滅とか・・・・そういう生き方を好んでやっているのもいるが、いかがなものかと思う。

思うから、私は実に健康的な生活を送っている。つまり、何のおもしろみもないジジイである。酒も呑まねぇし、当然洟垂らしのおバカなミニスカオネーチャンのいるような基地外スナックやキャバレー・パブにも行かない。カラオケもやらない。やり方を忘れてしまったよん(ウソだけど)。

堅物過ぎるのである。行動が。

挫折ばっかりしてきたしねぇ~。

臆病だったし。

慎重に生きてきたし。

(ホントか?)

それで思ったことがある。

亡母の亡くなった年を超えたいということである。亡母に恩返しをしたいと思っている。それしかできないからである。

オロカな息子であったから。

今でもそうか。

オロカであるということに関しては。

今日も雨である。

さ、これからショッピングセンターにでも行って、walkingをやってこようっと。

Bye-bye

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1月29日(金)のつぶやき

2016年01月30日 06時31分24秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

日本を明るくするのが、高齢化社会であると断言できる。なぜなら、私のジジイ生活そのものが証拠である。明るく、明るく、実に明るく生きているからである。

年をとった、さぁ仏道... goo.gl/Z6sx0i


雨が降っているから「許して」、転びそうになるから「コロンバン」

「許してコロンバン」・・・・なんのこっちゃ?

直前の記事があまりにも、らしくないお堅いのを書いてし... goo.gl/AIG7QF


重要なのは、物質でもなく精神でもない、モノの深さを知って、それを体験することだ。モノの技術は本質をあらわす。そしてそれは同時に、宗教と倫理のはじまりにつながっている。精神と物質を分離した瞬間に、そういうモノは見えなくなってしまうのである。~「モノとの同盟」

Waishan Richunanさんがリツイート | 2 RT

【岩手・巻掘神社祭礼】<旧暦8月3日>1459年創立の巻掘神社にて縁結び、子宝、安産の守護神として崇められる金精信仰の源、金勢大明神のための祭事。高さ60㎝ほどの黄金に輝くご神体が見守る中、奉納神楽、奉納相撲が行われる。 pic.twitter.com/FsXNpfwV89

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私たちは、人間科学の領域で現代数学と同じ精神に立った変革を実行しようと思う。「不思議な環」を組み込むことによって、現実をみるべき新しい眼が獲得できるようになる。またそこから生まれる思考は、人間の営みに密着しているので、妄想やイデオロギーや頑なな思い込みから自由でいることができる。

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圓證寺普賢菩薩騎象像:本尊釈迦如来坐像の左脇侍。当寺はこの地一帯を支配した戦国大名・筒井順慶の父である筒井順昭が菩提寺とした。順昭が亡くなった時に立てた影武者が木阿弥(黙阿弥)という盲目の僧で、「元の木阿弥」という諺の語源となった。 pic.twitter.com/geC37RvhQR

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【高知・御田祭】<西暦奇数年5月3日>御田八幡宮の拝殿を舞台に田作り~収穫までの所作15演目が能楽風に演じられる。「酒絞り」ではお酒を絞っているときに子どもが生まれたとして、神の子である人形を社殿上の女性たちが奪い合う。 pic.twitter.com/TGiJGygLoJ

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大月市初狩、「山本周五郎生誕之地」(実際の場所とは少し異なる)の石碑と、その近くに立つ豊蚕祈願の「廿三夜」塔。周五郎の生家は繭の仲買いを営んでいた。 pic.twitter.com/jLLbwvK5sq

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Retweeted レオナルド・ダ・ヴィンチ 名言集 (@daVincibot):

希望が死ぬと願掛けが生まれる。


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「許してコロンバン」

2016年01月29日 09時23分10秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

雨が降っているから「許して」、転びそうになるから「コロンバン」

 

 

「許してコロンバン」・・・・なんのこっちゃ?

直前の記事があまりにも、らしくないお堅いのを書いてしまったので、肩がこった。肩がこったら、やわらかくするしかない。

だから、許してコロンバンなのである。

なに、たいした意味はない。

今朝は、雨が降ってきたから、勘弁してよ~んという意味で「許して」なんである。

「コロンバン」は、これ以上寒くて、雨が降っていたら、ジジイのこっちは、足を滑らして転びそうになるからである。だから、転びたくないからコロンバンなのである。

つまりこじつけである。なんの意味もない。どうせどーでもいいことしか、バカブログに書いていない。なんの意味もないのだ。

しかしである。

許してという態度のかけらもない事件が多すぎだ。

昨日も、幼児を殺してしまった鬼のような若い男女が報道されていた。こんなことがあっていいんかい?と思ったからである。ちょうど、私の孫と一緒の年齢ではないか。よくまぁこんな鬼のようなことができるもんだ。

鬼の舞を見ることが好きだが、鬼は、オノレにも他人にも潜んでいる悪業(原罪と言ってもいい)を指さしてくる。

オノレ!畜生にも劣るバカ・基地外ではないか!

なんのつもりで、他人を糾弾してアホの如く喜んでおるのじゃ!

そんなにオノレは、エラいのか?

これまでどんなに悪業を働き、罪を犯し、親にも、兄弟姉妹にも、親戚にも、他人にも迷惑のかけどおしではないのか!

少しはためになることをせい!

そんなふうに言われているようである。だからあちこちの鬼舞を見るのである。つまり、オノレを映す鏡のようなものである。

思えば、日本の神社には、本殿に鏡が置いてある。参拝すると、鏡がじーっと悪名高い凡夫のボキを見返してくる。ぎょっとする。

だから、他人のことを悪く言ってはならないのであるが。他人のことを言っている場合ではないからだ。

オノレの悪業を是正することが最優先である。

少しは(_ _ )/ハンセイせよ!ということである。

 

雨が降っている。

午前中のwalkingができない。

困ったな。

図書館に歩いて行ってきてもいいが、びしょ濡れになっちまう。これもまた辛いものがある。

びしょ濡れになってまで・・・・とも思うからである。

あ、そうか。

ショッピングセンターでも行ってくるか。

万歩計の歩数だけは稼ぐことができるから。

それがいい。それが。

 

しかし、どーでもいいことしかしてないジジイですなぁ。

鬼に叱られてしまうですよん。

 

Bye-bye

 

 

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高齢化というのは、暗い話ばかりではない(^0^)

2016年01月29日 07時31分39秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

日本を明るくするのが、高齢化社会であると断言できる。なぜなら、私のジジイ生活そのものが証拠である。明るく、明るく、実に明るく生きているからである。

 

 

年をとった、さぁ仏道に励もうという方がおられる。しかし、そんなことはもう無理である。あるいは、時間の無駄である。

徒然草の時代にもうそんなことが書いてある。

以下に引用してみよう(49段)。

「 老来りて、始めて道を行ぜんと待つことなかれ。古き墳、多くはこれ少年の人なり。はからざるに病を受けて、忽ちにこの世を去らんとする時にこそ、始めて、過ぎぬる方の誤れる事は知らるなれ。誤りといふは、他の事にあらず、速かにすべき事を緩くし、緩くすべき事を急ぎて、過ぎにし事の悔しきなり。その時悔ゆとも、かひあらんや。

人は、たゞ、無常の、身に迫りぬる事を心にひしとかけて、束の間も忘るまじきなり。さらば、などか、この世の濁りも薄く、仏道を勤むる心もまめやかならざらん。

昔ありける聖は、人来りて自他の要事を言ふ時、答へて云はく、『今、火急の事ありて、既に朝夕に逼れり』とて、耳をふたぎて念仏して、つひに往生を遂げけりと、禅林の十因に侍り。心戒といひける聖は、余りに、この世のかりそめなる事を思ひて、静かについゐけることだになく、常はうづくまりてのみぞありける。」

 

以上である。以上。

これじゃぁただでさえ少ない拙ブログの読者を失うから、もうちょっと書かせていただく。(^0^)

この原文、一言で言えば「人生は短い、一刻も早く仏道に励まねばならない」というようなことを言っているんだけど、なるほどである。目から鱗である。

年取ったから、空虚さをまぎらわそうとして、特に宗教関係に新たに目を開くというのは、志は尊い。だがである。残された時間はないのだ。

若い修行僧と一緒に修行できるか。一緒に。

私にはできない。

その前に、そもそも修行をしてやろうという意欲に欠けているし。

兼好法師は、道ばたにある墓をご覧なさい、皆若くして死んでいるではないですか?とも言っているのである。

つまり、「老い」というのは避けられないということをである。今、オレはワタシは若いと思っていても、早く老いはやってくるということである。

もし、老人を「こんな奴は要らない」ということ、「こんなのは捨ててしまえ」ということなら、若いと思っている方も、今に不要にされて、捨てられてしまうのである。

若いとき、あるいは現役のときに、どんなに華々しく活躍した人でも、周囲から用いられることもなくなってくる。それどころか、他人の世話にならなければ生きていけなくなってしまうことは現実である。

そのためか、多くの高齢者は「他人に、周囲に迷惑をかけないで死にたい」と言う方が多い。

しかし、この考えは暗い。あまりにも。そんなことは思わない方がいい。

高齢化というのは、暗い話ばかりではない。

「社会に貢献しながら老いていく」という方法はいくらでもあるからだ。同じ一生を生きるなら、その方がずっと楽しい。そのためにも「賢く老いていく」ことが、大切であると私なんかしみじみ思うのである。

高齢化社会は、世の中を明るくする。

日本を明るくするのが、高齢化社会であると断言できる。

なぜなら、私のジジイ生活そのものが証拠である。明るく、明るく、実に明るく生きているからである。

ボランティア活動ばっかりやっているし。

拙ブログの自己紹介でも書いている。

「ボランティア活動として、古文書講座と歴史講座の手伝い、大学と専門学校で、交通安全講話で、学習塾で、タイ国相手の国際ボランティアも展開中。老人大学・中国語・古文書講座・Gymで生徒として教わってます」

これである。これ。

若い時から、爺むさいのもいるが、同じ生きるなら、明るく積極的に生きるべしと思うからである。

さ、皆さん!

明るく生きていきましょうや。

どうせ100%死ぬのなら、今を精一杯楽しく生きるこってすよん。

 

Bye-bye

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1月28日(木)のつぶやき

2016年01月29日 06時29分12秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

あばよ!って言って去っていくつもりである( ´▽`)←なんの話じゃ?

これから蕎麦打ち講座をやってくださっている蕎麦店主の店に出かけてくる。

昨日の男(おじいちゃ... goo.gl/vE2iT9


憲法九条は修道院みたいなものなんですね。(中略)普通に考えたらありえないものが、村はずれの丘の上に建ってるというだけで、人の心は堕落しないでいられる。そういうものがあったほうが、人間の世界は間違いに陥らないでいられるんでしょう。~『憲法九条を世界遺産に』

Waishan Richunanさんがリツイート | 5 RT

【島根・隠岐古典相撲】<不定期>隠岐の島内で神社の遷宮、学校開校、公共事業完成などの祝い事があった時のみ開催される相撲大会。一昼夜に渡って人情相撲や柱相撲など、さまざまな取り組みが行われる。大関、関脇、小結など役力士も居る。 pic.twitter.com/91NwxAJqoe

Waishan Richunanさんがリツイート | 14 RT

バッハは、音楽をとおして、ぼくたちの知性の深層部で語りつづけている、人間の知性よりもさらに巨大な知性体の実在を浮かびあがらせるために、夜を日についで、作曲のペンを走らせた。~『バルセロナ、秘数3』

Waishan Richunanさんがリツイート | 3 RT

【山梨・無尽・貯金会】富士吉田市で鎌倉時代に始まった庶民同士の融資制度。冠婚葬祭でお金が要る時に助け合うため行っていた。現在は仲間内で旅行費用等を積み立てるグループもあるが、単に特定メンバーで定期的に会合を開くことを示すことも多い。 pic.twitter.com/nkC5Ismklo

Waishan Richunanさんがリツイート | 15 RT

goo.gl/DC8H9H 鎌倉大仏は55年ぶりの保存修理工事中です。報道公開があり、間近で大仏さまの様子を撮影してきました。 pic.twitter.com/6Gww803op8

Waishan Richunanさんがリツイート | 369 RT

話題の小保方晴子さん「あの日」が本日入荷致しました!凄い勢いで売れていますので、欲しい方はお早めにどうぞ。 pic.twitter.com/ayNba5gtf6

Waishan Richunanさんがリツイート | 16 RT

隣集落の和田町「柴」にも大蛇があるが、午前中に設置場所を確認したが古い大蛇の残骸があるだけで、変化はなかった。集会所・神社・寺にも人はいなかった。いつどこで作られているのか不明。「柴の大蛇」は四ヵ所に設置される。

Waishan Richunanさんがリツイート | 1 RT

Retweeted 毎日新聞写真部 (@mainichiphoto):

goo.gl/DC8H9H 鎌倉大仏は55年ぶりの保存修理工事中です。報道公開があり、間近で大仏さまの様子を撮影してきました。... fb.me/4ccwsxwRD


Retweeted 中沢新一語録 (@nakazawa_quotes):

バッハは、音楽をとおして、ぼくたちの知性の深層部で語りつづけている、人間の知性よりもさらに巨大な知性体の実在を浮かびあがらせるために、夜を日についで、作曲のペンを走らせた。~『バルセロナ、秘数3』


Retweeted 房総の祭事記 (@BosoSaijiki):

隣集落の和田町「柴」にも大蛇があるが、午前中に設置場所を確認したが古い大蛇の残骸があるだけで、変化はなかった。集会所・神社・寺にも人はいなかった。いつどこで作られているのか不明。「柴の大蛇」は四ヵ所に設置される。


わくわくしないと、なにをやっても面白くないのだ

わくわくすることがないと、なにかの専門分野に興味関心を持っていきながらあちこち資料を読みこなすこと、すくなくても研究の維... goo.gl/9Uemy5


5千年前の土器再現 「ちば縄文フェスタ」開幕 講演、体験コーナーも 千葉市生涯学習センター goo.gl/fb/N2hv5V

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Retweeted 千葉日報 (@chibanippo):

5千年前の土器再現 「ちば縄文フェスタ」開幕 講演、体験コーナーも 千葉市生涯学習センター goo.gl/fb/N2hv5V fb.me/142mtQrns


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わくわく、ワクワク、wakuwaku!

2016年01月28日 18時10分27秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

わくわくしないと、なにをやっても面白くないのだ

 

 

わくわくすることがないと、なにかの専門分野に興味関心を持っていきながらあちこち資料を読みこなすこと、すくなくとも研究の維持発展はできないのだろうなぁと思う。学会誌には、そういうわくわく感があふれている。楽しいものである。書いている若手研究者が楽しんで書いているのがあきらかにわかるからだ。しかも、若い研究者がいくらでも出てくるから、そういうような学会誌を見ていると読んでいるこっちも楽しい。

だから無理をして、楽しくもないものを読んだり、見たりしないほうがいい。

たとえば、能である。千駄ヶ谷の国立能楽堂でつまんなそうにしている人もたまにいるが、寝ている人もいる。能楽には、精霊のパワーもあるから、寝たいときは寝てもいいと基本的に私は感じているのだが。

一番つまらないのが、能楽の解説書を見ながら席に着いている輩であろう。

解説書を見ていて、舞台を見ない。そりゃなんで?と思う。あらすじがないと理解できないというのなら、あらかじめ読んでくるべきである。

しかし、知識優先というのは能楽にふさわしいのであろうか。単純に楽しめばいいだけで、なにも格好をつけて知ったかぶりをしない方がいいとも思うのだが。

さらにその知識を周囲にまき散らさない方がいい。

迷惑なだけである。

私の好きな鬼舞でもそうだ。

知識優先で見ていると、面白くもなんともない。わくわくするようなものがないと、見る気もしない。

それでいいのである。それで。

で、考えたのが、去年の年末までに投稿しようとしたゴミ論文である。結論から言って、投稿を断念したのである。なぜか。わくわくするものがないのである。

書いてみたかったことは明確であったが、自分がわくわくしない。これは困った。いちおう15000字にはなったが、つまらないのだ。結局断念した。

面白くないからだ。書いていて。つまりオクラ入り。永久に浮上しない沈没船である。

人と会っていてもそうだ。

会って、あ、こいつはわくわくするだけの器を持っているな、話をしたらどれだけでかい話をするだろうかと期待してしまうような人間が、たま~にいるからだ。だから、そういう人間と会うのは実に楽しい。

立場とか、地位とか、金持ちかどうか、アタマがいいか悪いかなんていうことはまったく関係ない。

器である。器。

お、なんか違うぜこいつは、というのがあるのがいいのだ。マジに。男でも女でもである。

ふざけ半分でも、人と違った生き方をしてきた人は輝いているからだ。

小説もそうだ。

義理で読んでいる小説なんか、まったくつまらん。時間の無駄である。常識だから、文学部に入っているから、クラスメイトが読まないと恥だというから・・・というようなくだらない理由で仕方なしに読んでいると、空しくなっちまう。

面白いから・・・という理由だけでいいのである。それすら感じなければ、つきあっている必要はない。

女だってそうだろう。綺麗なだけで、中身がなかったら、クチをきく必要もない。化粧と服だけしか興味のなさそうな基地外みたいなアホとかいるからだ。

男だってそうだ。中身のない男もたくさんいるからである。仕事と学歴、愛車しか自慢するもののないアホとか、いっぱいいるではないか。

そういうおめぇはどうなんだ?と聞かれたら、アタシャ逃げるしかないけどねぇ~~~。

わははっはははっははは。

さ、今日はこれから塾がある。ボランティアみたいなもんである。

これも高望みして、経営陣に加わりたいとか考えないほうがいい。

所詮ボランティアみたいなものであるから。

 

では、これくらいにします。

 

Bye-bye

 

 

 

 

 

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死んだら、病院にあるボキのビッグデータは、露のごとく消えてしまうのだよ~ん

2016年01月28日 09時27分11秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

あばよ!って言って去っていくつもりである( ´▽`)←なんの話じゃ?

 

 

これから蕎麦打ち講座をやってくださっている蕎麦店主の店に出かけてくる。

昨日の男(おじいちゃん)の料理教室で、隣のおじいちゃんが、蕎麦打ち講座を受けたということを言っていらしたからである。この店の店主に教わったのだそうな。

そういえば、老人大学でもこの店主から教えてもらう講座を企画していたっけ。申し込みするのを忘れてしまったから、もう無理だろうけど。

健康にはいいんだろうな。蕎麦は。カロリーも高くなさそうだし。カロリーどころか、枯れてきたボキのようなジジイには最適であるよん。

枯れてきたというと、昨日の男(おじいちゃん)の料理教室の会場から出ようとしたときに、「おおおおおおぃ!」と言う声と、次に私の名前を呼んでいる枯れた声がきこえたので振り向いた。

そしたら、なんと知人であった。この会場に定年後勤務(再雇用)している御仁であった。だから、私なんかより若い。どうでもいいようなことであるが。でもその御仁が、枯れていたのである。若いときは、もっとスマートであったからだ。

ずいぶん太ったねぇ・・・・と思ったが言わなかった。気にしたらしょうもないからだ。

しかし、知人からは「やせたねぇ~」と言われた。

またその話題かと思ったけど、今は健康になっているので、四方山の話をして大笑いをしていた。

出かけていって、知人と出会うというのはなかなかいいもんである。

それだけご縁があるんだろうから。

ちなみに、知人は私と大学が同窓になる。同窓と言っても、彼は、某大学の学部卒であるから40年前だ。卒業したのが。アタシャ、退職してからの大学院卒であるから(退学した方の大学院ではない)、その間に40年以上のタイムラグがある。さらに言えば、学部も別の大学である。アタシの場合。知人が学部、アタシャ三つ目の学校が一緒というだけである。(なんだかナニ書いているのか、ごちゃごちゃですな・・・もうやめよう)

関係ないと言えば言えるかもしれないけど。でも、ご縁は感じるのである。

午前中は、巨大病院の売店に歩いて行ってくる。

来週の月曜日に大腸内視鏡検査を受けるからである。前日に食べる食事を買ってくる。もうこれで大腸内視鏡は、20回目になる。

胃の内視鏡も人間ドックで受けるから、言わば焼き鳥状態である。

クチから内視鏡。

尻の穴から内視鏡。

上から下から、内視鏡をぶっ込まれて、あわわわわわわわわわである。

これもすべて健康のためなるぞ!

そういう東洋一の巨大病院の神サンが言っているような気がしているんじゃよ。

人間ドックでは大腸内視鏡がなかったからである。受けるのは。一昨年までは、幕張の人間ドック専門病院で、高い料金で受けていたが、去年入院してからは変更した。つまり、あらゆる私のデータが、この東洋一の巨大病院にはビッグデータとしてあるからである。

もう諦めた。

死ぬときは、この巨大病院でと決めたからである。

マジに。

そして死んだら、私のビッグデータは露のように消え去るのである。しょうがねぇのだ。その時は、その時。

あばよ!って言って去っていくつもりである。

誰だって、100%死んじゃうのだから。

 

じゃぁ、これでwalkingがてら、巨大病院に行ってくる。

あばよ!

(失礼・・・・とほほ)

 

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1月27日(水)のつぶやき

2016年01月28日 06時29分14秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

くさった栄光どころか、くさったりんごじゃよ。ボキの場合は(*^ー゜)

これから「つみれ鍋」の男の料理教室に行ってくる。

こんな企画をしてくださる居住地の市役所に改... goo.gl/5aBXwS


なかなかここまで来るのは、大変でしたのじゃ。

我がご同輩たち。

と言ってもミンナ、ボキより先輩。

ボキなんか、まだまだ小僧っ子だよん。

イワシのつみれ... goo.gl/snejh4


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男(おじーぃちゃん)の料理教室の作品例なのじゃ

2016年01月27日 14時49分48秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

なかなかここまで来るのは、大変でしたのじゃ。

我がご同輩たち。

と言ってもミンナ、ボキより先輩。

ボキなんか、まだまだ小僧っ子だよん。

イワシのつみれ鍋を作成中!

誰だ?

きったねぇなぁと言っているのは。これでも、かなりのレベルだと講師センセには褒められてしまったのだ。

ただいま、盛りつけ中。

この後、全員で会食をするのだ。

これまたタノシミである。

ご飯の配膳中。

我が班は、炊飯器が足りなくて、ご飯を食うことができないのではないかと不安になって、よその班にもらいに行ったのである。完全に不安感が増したけど。

こんなの初めてじゃな。

それにつけても、楽しいもんじゃ。

また参加しようっと。

 

 

ヾ(@⌒ー⌒@)ノ

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そんな過去の栄光なんか捨ててしまえと・・・

2016年01月27日 08時37分39秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

くさった栄光どころか、くさったりんごじゃよ。ボキの場合は(*^ー゜)

 

 

これから「つみれ鍋」の男の料理教室に行ってくる。

こんな企画をしてくださる居住地の市役所に改めて感謝である。

独居老人になっても、料理だけはできるようにしておいた方がいいからだ。

料理ができれば、健康になる。そして、いつまでも健康でいれば、東洋一の大病院にお世話になることもないからだ。一市二町立でできた病院であったが、いつのまにか2300人もの方々を職員として雇用している大病院に生まれ変わっていたのである。したがって、我々市民はできるだけ、健康に生きていくことが、市の財政を圧迫しないっちゅうもんである。もっとも、あまりにも巨大過ぎて、市の財政を予算規模ですでに上回っているから、一介の庶民が心配するような話ではない。

食う、寝る、行動するっていうのは、健康の基礎である。食わなくちゃアカンし、寝付けないようではもっとアカン。行動もそう。じっと閉じこもっていじけているようでは、ジジババ失格である。

そうなんだよん。積極性こそ、ジジババの特権である。ドンドン出かけるべきである。

過去の経験を忘れて。

輝かしい栄光をもっていたら、そんな過去の栄光なんか捨ててしまえと言いたい。

もっとも、あれか。オレには栄光もなにもないからなぁ~。くさった栄光どころか、くさったりんごじゃよ。

ぎゃはははっははっはははっは。

あ、エプロンを用意するのを忘れた。

ナニを作ったかは、午後一番に写真つきで記事にします。

では、ごきげんよう!

 

Bye-bye

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1月26日(火)のつぶやき

2016年01月27日 06時21分07秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

九月十一日のあの夜、砂の城のように崩れ落ちていく高層タワービルの映像を見ているとき、そこに同時に、透明で巨大な鏡が立ち上がるのを、確かに見たのだった。その鏡は無慈悲なほどの正確さで、私たちの生きている世界の姿を映し出していた。~『緑の資本論』

Waishan Richunanさんがリツイート | 2 RT

【茨城・常陸太田市のかかし祭り】<11月上旬>千人鍋やしし鍋などが振る舞われる「さとみ秋の味覚祭」と同時に大中町の里見ふれあい館で行われる。コンクール形式で一般公募したユニークなかかしが90体以上集合し、会場の広場を埋め尽くす。 pic.twitter.com/Yy45e2oMKT

Waishan Richunanさんがリツイート | 53 RT

ことばは思考の源泉であり、母国語の深みでわたしたちは思考を超えた存在の根にふれることができる。折口信夫の思考と文章をとおして、日本語というローカルなことばの全能力は開かれ、思考のことばが存在の根になまなましいほどの感触をもってふれる奇跡が実現されtれいる。~『古代からきた未来人

Waishan Richunanさんがリツイート | 3 RT

高山寺木彫狗児:京都の栂尾の寺院で世界遺産に登録されている(古都京都の文化財)。当像は高山寺を開基した明恵が座右に置いて愛玩した遺愛の犬である。白樺派の作家・志賀直哉は「時々撫で擦りたいような気持のする彫刻」と記している。伝快慶作。 pic.twitter.com/VeG2pEe6tu

Waishan Richunanさんがリツイート | 54 RT

なぜスードラは人間あつかいされないのですか?ぼくたちと同じ顔なのに!!(アジャセ王子)

Waishan Richunanさんがリツイート | 1 RT

Retweeted 手塚治虫ブッダbot (@tedukabuddhabot):

なぜスードラは人間あつかいされないのですか?ぼくたちと同じ顔なのに!!(アジャセ王子)


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老人大学から帰ってきたら、千葉市へ、そして明日は男の料理教室だ

2016年01月26日 06時27分23秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

ひたすら、どーでもよくなっちまったんである。およそ、仮面でしかないのかもしれないけど、欲望というのが食欲以外はなくなっちまったようだから・・(*^O^*)

 

 

今日はこれから老人大学に行ってくる。

昼飯を食って、それから飛んで帰ってきて、千葉市に出かける。浮き世の義理である。前世の報いがたたって、未だに呼び出されるのである。仕方がない。行くしかない。電車で行く。午後からである。夕方5時過ぎには、エラそうな方々との宴会がある。こっちはエラくないから、かしこまっているしかない(そうでもないか、好き勝手にしゃべってくるだけか)。

たまには、前職の人間達と会わないと、浮き世の義理が果たせないからである。

人間そういうことも往々にしてあるんだよん。

まったくご縁を切っちゃうこともできないしねぇ。それだと失礼になるってぇわけで怒り出すのもいるだろうから。

それにしても、いい加減な爺ですな。

アタシャ。

ホントにどうでもいいようなことばかり書いているから。

それにネクタイもしていかない。

ブレザーくらいは着るけど。

あ、ジャージも着ていかない。ズボンをはいていく。靴もスニーカーではない。靴下も、五本指のは遠慮していこう。相手に対して非礼になっちゃいけないから。

でも寒いだろうな。

こっちは光頭だからだ。つまりハゲ。冬の寒さが身にしみるからだ。防寒対策をきちんとしていかないと、風邪をひいてしまうからである。

ホッカイロも抱いていこう。三つくらい。でないとマジに体調を崩しそうだ。今日は。

つまり、千葉市はそれだけ寒いのである。

というより、私の棲息している九十九里海岸は、冬なお暖かいのである。それを言いたいから、書いているだけだ。

明日は、男の料理教室があるから、実は早く帰ってきたいのである。エプロンを用意したり、三角巾を買ってきたりしなくちゃならん。

料理名は「鍋料理」である

楽しみにしていたのである。そうなんだよん。独居老人になっても一人で生きていくことができるようにしなくちゃならないからだ。それくらいの用意周到さはこれからの爺には、不可欠である。

鍋料理が会費五百円で食えるのだ。明日は。さらに、プロが教えてくださるから、おいしいのである。味付けも本格的だし。

ホンマに楽しみである。食い意地が張っているんだね。ますます。これが爺になってのみっともなさなのかもしれないけど、仕方がない。いつまでも、食欲には勝てないのである。そのほかの欲望はなくなっちまったけど。つまり、相手のいる欲望なんて、無縁であるからだ。いまさらである。いまさらナニを血迷って、ナニが欲しいとか、アレがオノレの思うままにならないとか、そんなもんはない。まったくない。

ひたすら、どーでもよくなっちまったのである。

綺麗な美女があっちからやってきても、まったくこころときめかなくなったし。宝くじの売り場にも興味がなくなったし。所詮宝くじなんか当たりそうもないし。飲酒の癖も消滅してしまったし。カラオケも楽しくないし。

まったくまったくナニが、ストレス解消になるんだろうかね?

そうだ、その前に、オレにはもうストレスなんかないのであるということに気がついていなかった。

ストレスを感じたくても、仕事はないし、あってもバイトだけだし、論文書いていたら死んじゃうからできないし。

わはははっはははっははははである。

笑って生きていれば、そのうち死んじまうだろから、これからも気楽に生きていきましょ。

 

さ、それでは出かけてまいります。

 

Bye-bye

 

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1月25日(月)のつぶやき

2016年01月26日 06時21分21秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

血圧がそんなに心配なら、せんべいなんか食わなきゃいいのに

寒い、あああああああああああああ寒い。

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わくわくすることでないと、論文なんか書いちゃいけねぇですなぁ~。なんかのためにする論文なんて、ゴミと一緒。そう思うことにしたよん。マジに。


柔道もそうだったのだ。管理業務になった時で、すでに終わったのである。現役という意味でもそうだったし、指導者としても終わったのだったなぁ。しがみついていないで良かったよ。あの時から、武道は捨ててしまったのだよ。そういうこと、そういうことだ。


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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/