感想は思考の邪魔になる
思考をすることと、感想を書くということは全く別物であって、どうもそのあたりのことができない。できないというか、わかっていないというのが真相である。曼荼羅みたいになんでも書いているから、緻密な思考ができないってことを思っている。スピード命ではならないのであろう。(_ _ )/ハンセイ
だからブログばかり書いているとこうなるのだ。悪い見本である。思いついたことをバンバン書いていてはならないとは思う。しかし、ブログを書くことは指の運動にもなる。これでいいんだろう、これで。軽いタッチでやっていくしかない。所詮その程度のものでしかない。思いというものを優先させているから、こんなふうになるのだろうとは思う。
のっけから反省の弁である。道遠しである。原稿直しをしていたのだが、むむむむであった。難しいものだ。内容は書けない。書くに値しない。そんな程度のものである。今日はこれから塾にいくので、夜、家に戻ってきたら、またやるけれども。充実した一日であった。
文体的には、愚生の文は短文の重ね合わせになっていて、これもまた欠点の一つであろうと思う。すくなくとも長所ではない。わかりやすいんだろうが。書いている人の頭の程度にしか書けないってことでもある。(_ _ )/ハンセイ(今日はやたらと反省の言葉が多い。小学校の反省会みたいであります。)
文章を書く時に思い出す人がいる。その名を南方熊楠という。天才である。非常に尊敬している方であるが、彼の文章はまるで曼荼羅である。あっち飛んで、こっち行って、突然話が変わったりする。ついていくのに躍起となるが、彼は自分でも書いているけれども、書くということが研究生活の非常に大きな柱でもあったのだ。粘菌類の研究で世界的な学者でもあって、精神衛生上、紀州に引きこもってしまったが、研究と書くこともまた生きるために必要であった。熊楠という名前も非常に面白い。なんでこのような名前になったのだろうかと思うこともしばしばである。
名付け親は、紀伊藤白王子神社の神官であった。慶應三年(1867年)の4月15日に熊楠は和歌山市で生まれた。この神官の神社には、古いクスノキがあって、巨木だった。名前は楠の木にちなんだものである。いい名前である。南方熊楠。まるっきり宇宙的な雄大な広がりを、あるいは深みを感じさせると愚生は思っている。きわめて日本人的な名前ではあるが、熊と楠がドッキングしている。異様な感じがする。
神社の巨木は、神聖なものであって、熊楠自身「楠神」が宿っていると言っている。彼が4歳の時に病になって、熊楠という名前がつけられたと書かれている。(「南紀特有の人名」全集第3巻 p.439) 自分の名前は、神樹との絆で選ばれているのである。このような場合、熊楠自身はどのように思ったのであろうか。非常に愚生は興味がある。ある種の不思議な感覚というものがあったのかもしれない。
愚生も巨木、巨樹というものに近しく接すると、なんだか不思議な感覚に陥ることがある。不気味なものが漂っているような気がする。こういうのをなんというのであろうか。まだまだ不勉強であるから、わかっていない部分でもあるが。
クスノキが生きてきた時間、それはおそらくは数百年もたっているだろう時間で、そのことは植物としての楠というものが、地球上に生きてきた何万年という時間を遡行していくようなものであろうと思う。
クスノキに限らないが、巨木・巨樹というものは、石垣島にもあったし、西表島にもあった。屋久島にもあるのだそうだが、まだ見たことがないから、是非今年中に行って見てみたいものである。愚生の居住地の近くにも結構あるのだけれども。
このような感覚は、実に古代的な意識の深層から出てきているのかもしれない。
と、ここまで書いてきて、また感想になってしまったことを恥じる。
しょうもないか。
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