と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

巨木、巨樹というもの

2013年02月28日 18時13分14秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 感想は思考の邪魔になる

 

 

 思考をすることと、感想を書くということは全く別物であって、どうもそのあたりのことができない。できないというか、わかっていないというのが真相である。曼荼羅みたいになんでも書いているから、緻密な思考ができないってことを思っている。スピード命ではならないのであろう。(_ _ )/ハンセイ

 だからブログばかり書いているとこうなるのだ。悪い見本である。思いついたことをバンバン書いていてはならないとは思う。しかし、ブログを書くことは指の運動にもなる。これでいいんだろう、これで。軽いタッチでやっていくしかない。所詮その程度のものでしかない。思いというものを優先させているから、こんなふうになるのだろうとは思う。

 のっけから反省の弁である。道遠しである。原稿直しをしていたのだが、むむむむであった。難しいものだ。内容は書けない。書くに値しない。そんな程度のものである。今日はこれから塾にいくので、夜、家に戻ってきたら、またやるけれども。充実した一日であった。

 文体的には、愚生の文は短文の重ね合わせになっていて、これもまた欠点の一つであろうと思う。すくなくとも長所ではない。わかりやすいんだろうが。書いている人の頭の程度にしか書けないってことでもある。(_ _ )/ハンセイ(今日はやたらと反省の言葉が多い。小学校の反省会みたいであります。)

 

 文章を書く時に思い出す人がいる。その名を南方熊楠という。天才である。非常に尊敬している方であるが、彼の文章はまるで曼荼羅である。あっち飛んで、こっち行って、突然話が変わったりする。ついていくのに躍起となるが、彼は自分でも書いているけれども、書くということが研究生活の非常に大きな柱でもあったのだ。粘菌類の研究で世界的な学者でもあって、精神衛生上、紀州に引きこもってしまったが、研究と書くこともまた生きるために必要であった。熊楠という名前も非常に面白い。なんでこのような名前になったのだろうかと思うこともしばしばである。

 名付け親は、紀伊藤白王子神社の神官であった。慶應三年(1867年)の4月15日に熊楠は和歌山市で生まれた。この神官の神社には、古いクスノキがあって、巨木だった。名前は楠の木にちなんだものである。いい名前である。南方熊楠。まるっきり宇宙的な雄大な広がりを、あるいは深みを感じさせると愚生は思っている。きわめて日本人的な名前ではあるが、熊と楠がドッキングしている。異様な感じがする。

 神社の巨木は、神聖なものであって、熊楠自身「楠神」が宿っていると言っている。彼が4歳の時に病になって、熊楠という名前がつけられたと書かれている。(「南紀特有の人名」全集第3巻 p.439) 自分の名前は、神樹との絆で選ばれているのである。このような場合、熊楠自身はどのように思ったのであろうか。非常に愚生は興味がある。ある種の不思議な感覚というものがあったのかもしれない。

 愚生も巨木、巨樹というものに近しく接すると、なんだか不思議な感覚に陥ることがある。不気味なものが漂っているような気がする。こういうのをなんというのであろうか。まだまだ不勉強であるから、わかっていない部分でもあるが。

 クスノキが生きてきた時間、それはおそらくは数百年もたっているだろう時間で、そのことは植物としての楠というものが、地球上に生きてきた何万年という時間を遡行していくようなものであろうと思う。

 クスノキに限らないが、巨木・巨樹というものは、石垣島にもあったし、西表島にもあった。屋久島にもあるのだそうだが、まだ見たことがないから、是非今年中に行って見てみたいものである。愚生の居住地の近くにも結構あるのだけれども。

 このような感覚は、実に古代的な意識の深層から出てきているのかもしれない。

 

 と、ここまで書いてきて、また感想になってしまったことを恥じる。

 しょうもないか。




 (^_-)-☆

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2月27日(水)のつぶやき

2013年02月28日 05時23分16秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

しとしと雨が降っています。でも、元気なじいさんは、ちゃんと在籍校に参ります。はははははは。やることがいっぺぇあるんです。


昨日、10冊も図書館から借りたし。ポメラで、読書ノートをとったのが、2冊。この2冊はお返ししてきまひょ。院生はかなりの数を借りることができるのです。人文科学系においても、非常にこの近在でも見たことのない大きな規模の図書館でありますから実に喜んでおるんです。


さらに、明日は別の大学に行って、道徳教育の論文の仕上げをせにゃなりません。最後に英文で紹介を書けと言われたので、心配しているんですけど。ま、なんとかなるでしょう。


そして道徳教育の論文が終わると、これで今年度のJobは終わり。そして、さらなる課題解決のために、読書ノートをテキストベースで打ち込み、同時に論文書きをしていかなくちゃ。去年の夏休みに、こんな感じでやっていたら、郷土史にもはまってしまったし。ライフワークになりそうです。


次に進学する大学のことも考えていますが。印度哲学か、中国仏教かもしれません。こちらの勉強も始めなくちゃならんです。なにしろ生涯学習大好き人間でありますかあら。ははははははは(力なく・・・とほほ)


それでは、雨の中をとぼとぼと出かけまひょ。ああ、楽しい。(^_-)-☆


原稿完了。在籍校とは別の大学の教授に。今、メールで送信した。ふうふうふふふふふううううううううう。かなりハードでありましたな。明日はその大学に行って、一緒に昼食もいただく。ははははは。


しかぁし、誤字脱字が多いねぇ。人のことは笑えないですなぁ。バカじゃんって言われそうだよん。どっかの自称秀才ドンに。ははははは。


なんじゃぁこりゃ鬼だよ@【東住吉女児遺棄】「夫の子ではなかったから」母親、出産直後の殺害を供述 - MSN産経ニュース sankei.jp.msn.com/west/west_affa…


むちゃくちゃですわなぁ・・・@【大阪女児不明】家族顧みず旅行三昧…遺体放置の母に“裏の顔”  - MSN産経ニュース sankei.jp.msn.com/west/west_affa…


ホンマに?@安い酒に「大吟醸」ラベル…社長「味大差ない」(読売新聞) - goo ニュース news.goo.ne.jp/article/yomiur…


【「体罰」を考える】(22)「先生が萎縮」「中傷を助長」「書き方は薄っぺら」…マスコミ批判も - MSN産経ニュース sankei.jp.msn.com/west/west_life…


【「体罰」を考える】(21)教頭の車が無残な姿に…授業中だった - MSN産経ニュース sankei.jp.msn.com/west/west_life…


【「体罰」を考える】(20)「これって口頭指導で解決しますか?」「監視カメラを」 教師へ暴力、器物破壊… - MSN産経ニュース sankei.jp.msn.com/west/west_affa…


22:28 塾から帰還。今日も楽しかったなぁ。数学でした。ははは。指導可能なのは国語だけなんですがね。数学も、英語もやるしかないっす。できなかったら、即辞表を出しますよん。国語も英語もまぁいいとして、数学はワスレテいる部分もかなりありますからねぇ。覚悟のアルバイトですよん。


かわゆいもんですな。考え方の指導をしているんですが、これって、オイラも勉強になる。できれば退職しないで、ずっとこれをやっていたいんですが。90歳くらいまで。塾生に心配されっちまいますねぇ。大丈夫ですか?って。(^0^)


帰り、ジムに寄ってサウナと温泉に入り、書庫でゆったりとデスクトップとにらめっこしています。明日は、大学にいきません。もう一つの大学に行きます。(こうやって書くから聞いておられる方は、混乱するんですね) 毎日、毎日あちゃこちゃ楽しいもんです。夜は塾だし。


これって哀れですよ、オレもやったからどんなに辛いかわかっているから。新聞配達@「楽をしたかった」10、9歳兄妹に新聞配達“強要” 配達員の父親を逮捕 大阪(産経新聞) - goo ニュース news.goo.ne.jp/article/sankei…


おじさん世代からすれば考えられないだろうな→“各私大が1学部あたりに用意した入試の数は平均5・2回にのぼる。”“現在も1学部1回限りの入試を続けるのは慶応義塾大、上智大、学習院大などごく少数の難関校だけ”(zakzakより)zakzak.co.jp/society/domest…

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好き勝手な老後の生活でありますけれども

2013年02月27日 11時22分12秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 これから指の運動をして、つまりこのブログに書き込みをしてから、原稿の訂正作業に入ります。ま、それもよし、あれもよし。広い意味での知的作業になるんでしょうから。それにしても、学生のいないキャンパスっていいもんです。静寂で、ゆったりと考えるのには最適です。あ、これは経営陣から叱られてしまいますねぇ。そんなことを言っていると。

 院生室には、昨日の博士後期の先輩しかいない。じっくり考えるのにはいい。さらに、この作業が終わったら図書館に行って、昨日読了した書籍を返してさらに2冊借ります。民俗学みたいなものにも手をつけているから、何冊借りても間に合わないんです。容易ならざることをはじめてしまったものです。

 知人と先日話をしていて、気がついたことがあります。それは、知人たちの職業によって、愚生のやっていることへの興味・関心がまったくちがっているということでした。かつて愚生がやっていた職業と同じことをやっておられる方は、どうしたら大学で教えることができるようになるのだということを聞いてきます。興味関心の対象が違っています。そんなことは簡単です。「天命」です。ははははは。

 それじゃ身も蓋もないですが。せめて大学院くらい出ていないと・・・とは思いますが、重要なことは大学の先生も定年があって、65歳だということに気がついていない。退職後にやれるような仕事ではないわけです。

 次に、塾の講師。これも今度は民間の方々が興味・関心を持つのです。収入にです。ささやかなパート社員だからと何度言っても、信用していただけない。週に3時間しか働いていないのも信用していただけない。「あれか、住宅ローンで生活に困っているんだろ?」とも聞かれる。そりゃ年金生活者ですから生活は、清楚なものであります。ただし、ローンはまったく無いのであります。ですから、子供たちとのふれあいのために、それだけが楽しみでやっているんです。ホンマに。

 最後に、学生をやっていること。この話題になると混乱してくるようです。なにがなんだかわからんと。在籍校でも教えているんだろう?と聞かれます。とんでもない。愚生ごとき、大学はもちろんのこと、誰にも相手にされていませんよん、ただの学生ですよん、というとまたまた理解できないとおっしゃる。それでも食い下がってきます。学生やりながら研究生とかやっているんだろ?って。とんでもシンドバットです。(ずいぶん古い洒落だなぁ・・ひょっこりひょうたん島のダジャレだ) 愚生は学部も、修士も在籍校を出ていないし、だいいち学会での実績もまったくない。ないないづくしです。評価できないっちゅうわけです。これも「天命」ですなぁ。お前ごとき人間は、ひたすら誰にも迷惑をかけないで、勉強でもしておれ!っていうことでしょう。まったくそのとおり。ありがたくてありがたくて、涙が出ますよん、マジに。これだけ、自分の好き勝手に勉強させていただいて、在籍校に感謝しているんです。

 学会の発表だって、本当に好き勝手にさせていただいておりますし。自分でめっけてきたんですから、応募したらやってみぃってなっただけですから。そしたら、発表当日は、おそれおののいたっけ。愚生は筑波大学の博士後期と、大阪大学の博士後期の発表者とに挟まれていたんですから。日本を代表するスーパーエリートの方と、田舎じじぃの対象美?ってやつかな。笑うしかなかったなぁ。

 郷土史の方でもそうです。来週の土曜日に研究紀要の編集会議がありますが、そのメンバーにも入れていただいたし。これも自分で手を挙げてみたら、そうなっちゃったんです。相撲でいえば、全部自分で考え、自分で稽古して、責任は自分で負うことといわれているようなものです。失敗したら引退しかない横綱みたいなもんです。ただし、愚生には在籍校に師匠がおられる。こんなバカな不肖の弟子を、あたたかく見てくださっている。感謝しています。好き勝手な弟子に、指導してくださる。ありがたいものです。実にありがたいものです。

 

 

 それじゃぁ・・・また!

 

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2月26日(火)のつぶやき

2013年02月27日 04時34分10秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

胃が痛む「MITの競争生活」で学んだこと 市場原理で回るアメリカの大学院(東洋経済オンライン) - goo ニュース news.goo.ne.jp/article/toyoke…


花の乱のDVD第六巻を見終わったです。実に楽しいです。室町時代が迫ってきました。美しい能楽と共に。しかし、三田佳子さんはあまりにも日野富子とはイメージがちがいました。はははは


今日で定期券が切れるので、躊躇していたんですが。


今、在籍校は休みですから。


でも、さらに定期券を延長して買ってきました。これでまた毎日学校に行けますなぁ。新たな視点で論文を書くことができるってもんです。毎日書きためていかんと、寿命がいつ尽きるかわかったもんじゃないからですよん。


琉球学と、能楽論と、なんだかいろいろな神々たちと、愚生の駄文には多くの要素があって、たまらんですわい。(^0^)


やるっきゃないですな、やるっきゃ。鬼のごとく?・・・ははは、花の乱の影響を受けています。あ、こんなことを言ってもみていない人にはご理解いただけないでしょうけど。(^_-)-☆


今日は一日中、在籍校の図書館にいました。琉球学のホンも相当充実しているので、10冊くらいお借りして院生室で読んだりしておりました。いいもんですよ。実にいいものです。こういう老年が待っているとは、まったくありがたいものであります。感謝です。在籍校に。


それでは、これからリビングで読書タイムです。毎日、2時までやっておりますので。さらば!


なるほど@柔道暴力告発15選手、聴取拒否…全柔連に不信(読売新聞) - goo ニュース news.goo.ne.jp/article/yomiur…


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不思議なことがあって

2013年02月26日 16時41分04秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 不思議なことがあるものである。最近は八重山の神事のことを調べているが、なんだかいろいろと本での出会いがある。不思議なもので、これまでずっと愚生がやってきたことが、ほぼ間違いのなかったことであると気がついたのである。これは完全に石垣島に行ってみないとわからないことであったと感謝している。知らないでいたことだったのだが。

 ベースになる本があるのだろう、こんなに毎日くだらないことを書いているのは・・・とよく言われるのだが、そんなことはない。ベースになる本のとおりに書いているんだったら、愚生の狭苦しい書屋はたちまちのうちに本だらけとなってしまうからである。実際読んでもいないのに、知ったかぶりをしているのが高校時代にいたが、文芸部の部室にある日のこと、くだんの彼が種本を忘れていってたちまちのうちに彼へのリスペクトが失せた。ほんとうなんである。文学の概論集であったのだ。これじゃぁ誰でも文学の知ったかぶりができるって思ったものだ、その時は。後年それもまた大事なことだったと気がついたけど。はははは

 そういうことをやっちゃいけないと思っているから、愚生はやらない。当り前である。論文に書く以上、すべて原典にあたって、ページ数までメモをする。当然だろうと思う。根拠もなく、想像や予想で論文を書いてはならんのだ。競馬の予想屋じゃあるまいし。

 ただし、綿密にノートやカードを、それこそ綿密にとることもしなくなった。もう時間がないのである。人生の時間が。いつ寿命がつきるかわからんではないか。本当に、安穏と過ごしていたら、自分が食われるのを知らない豚さんにも劣ると思うからだ。だから、メモは、いろいろなツールで(ポメラとかタブレットとかデスクトップとか)テキストファイルにしておく。キーワードや、著者名とか、出版社名とか、出版年とか、参照したい部分はざっと打ち込んでおく。後で検索をかけると、コンピュータだから出てくる。こいつはありがたいものである。

 難儀なのが、仏教経典。難字のオンパレードである。しょうもないか・・・・。

 よって、手書きのノートはとることはとるが、あまり活用していない。後で検索がきかないからである。さらに悪いことに、段ボール箱に行ってしまうことも多い。活用されないからである。比較的にカードは活用しているけれども。はがきサイズだから、はがき保存ファイルが安価に入手できる。これで持ち運びもしている。講義もカードでメモしている。徹底的にノートしたいものは、例のB5サイズ100枚ノートを使っている。あ、はがきカードは塾の指導のときにも使っている。生徒たちには、好評である。「手品カード」とも呼ばれている。ピンクの色を使っているから、記憶に残るのだそうな。しかも、100円ショップで非常に安い。ちょっとしたコツでもある。

 けふは、広い院生室に博士後期課程の一年先輩と一緒に勉強させていただいていた。先輩は、年齢は愚生などよりずっと若いが、外国の外語大学の助教授である。要するに留学してきておられる。愚生も、これまでいろいろとご指導をいただいていた。たわいもないこともお話したが。しかし、さすがである。ものが違う。ワープロの論文作成上の愚生の悩みも聞いていただいた。脚注の縦書きの問題である。先輩の論文は出版社が訂正してくださるから、そんなことで悩んだことはなかったとのたもうていた。愚生の方は、つまらん話題であったけれども。いいヒントもいただいたから、ま、よしとしましょう。

 世の中には、自分に安住せず、こうやって勉強している方がたくさんおられるのである。先週の土曜日にお会いした郵便局勤務の老年学博士後期の女性もそう。彼女は修士をとったときのやはり一年先輩である。凝り固まっているのが一番よくない。

 一生安定した、あるいは安住できる仕事なんかないのと一緒で、常に自分磨きをしていないと、最後はどうなるかわからんですな。愚生も人のこたぁ言えないっすけどね。

 なんにもなっていないんだから。

 はははははははは・・・自嘲です。


(^_-)-☆

 

 

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2月25日(月)のつぶやき

2013年02月26日 04時36分23秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

郷土史の原稿をお送りしました。これで後は道徳教育のみ。ふうう。


こんなもんでしょう。さらに興味関心を大きく広げていきたと思っています。


習合を目指すべきでしょう。習合ですよ。集合ではないですよ。


ケン・ウィルバーの言うごとく。


狭い専門性に閉じこもることなく、幅広くやっていきたいものであります。あ、もっとも愚生に専門性なんてなかったか(^0^)


干立の節祭(シチ) - 沖縄の西表島と心の旅 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/cho_chune/2925…


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在籍校で四苦八苦でした

2013年02月25日 14時24分23秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 まいったです。西洋ワープロで、郷土史の会に提出する縦書きの文章を書いていたんですが、どうしても脚注がうまくいかない。横書きなら実に軽くていいワープロなんですが、ほかの大学の先生方との受け渡しができないので、高い金を出して(なにしろ年金生活者でありますから)買ってみたんですが。とほほでした。

 今も大学(つまり在籍校)で、校正をやっていたんですが、脚注で苦労していました。国産の方がやっぱりいいですなぁ。まいった。

 校正をしていて思ったのですが、だんだん愚生のやってみたいことが明確になってきています。その各章をもっと増やしていく作業が愚生には必要になってくるんでしょう。今月からまたまたチャレンジしていきます。これが天の意思なんでしょうから。そう思っているんです。マジに。天命という考え方をしていると、実にいい。ついでに言えば「敬天愛人」という言葉もいい。居住地の近くにもその精神をモットーとした私学もあって、好きな言葉でもあります。

 天を敬い、人を愛するというのは、実に崇高な理念であります。愛するというのは、普通にいう愛ではないと思っておりますが。どうでしょうか。仏教でいえば悟りに近いかなぁとも思っています。無論イエスキリストの言った愛でもありましょう。西郷隆盛がもしかしたらクリスチャンであったのではないかというのは、ここらあたりから来ているらしいのですが。

 それにしても、NHK大河ドラマ「翔ぶが如く」で西郷隆盛を扱っていて、全部をレンタルビデオから借りてきて見終わったんですが、最後の方はなんとも忍びがたいものを感じていました。かわいそうでなりませんでした。大久保利通も、なかなか面白い視点から描かれていて、この二人はやはり不世出の英雄であったのだと思った次第です。

 自己がない。天の命ずるままであったと思うのであります。ま、批判する方は批判するでしょうが。なかなかできないことであったろうと思うのであります。

 西郷の研究書もたくさんあって、現役時代はいろいろと読んでいました。特に山形県の庄内地方では、西郷隆盛の信奉者がたくさんおられて、文庫本で南洲公遺訓を出しておられる。それほど山形県にはファンが多い。愚生もその一人なんですが、それはそれでいいもんです。ロールモデルというものであります。絶対到達不可能な。

 そもそも、あまりにも険しい目標であります。そんなもんできるわけない!そもそも、そんなもんをこんなくだらんブログに書いている暇があったら、善行をせよとしかられそうです。

 そもそも能力もないので、駄文がホンマに駄文になっちまっている。それでもめげないでやってるというのは、愚生のいい点なんでしょうなぁ。恥を知らないのでねぇ。ははははははははははは。

 

 それでは、けふは3時の電車で帰ります。夕方、ジムに行って、サウナに入って、それからおいしく夕食をいただいて、感謝をささげる。これでほぼ一日終了であります。9時ころから、また読書タイム。最近SkyDriveというのを教えていただきまして、読書メモをその空にあるデータの金庫にしまうのを覚えてから、楽しいこと限りなし。こたつに入って、読書メモを天の金庫にしまって、天の命令を聞く。

これぞまさしく「SkyDriveを敬して、人を愛す」でありますなぁ。

 

ではまた!

 

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2月24日(日)のつぶやき

2013年02月25日 04時40分17秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

おはようござます。快晴ですね。すっきりと起床できました。これでほぼ今年度の重要事項は終了しましたが、後は別の大学に道徳教育の最終稿をお送りしなくちゃならないのと、郷土史の短縮原稿をお送りするのみです。肩の荷がどんどん軽くなっていきます。充実した一年間でしたよ。


まだ終わっていないけど。


けふ、退職校長会からの資料が送られてきたのだが、懐古談のオンパレードであったのです。さっき、ささささと拝読したけど、今の愚生には必要ないですねぇ。懐古談なんてしている暇がない。はははははははは。


今現在をどうするか、これからどうするか、原稿をどうすんじゃぁ!って、まったく息つく暇もにゃぁ~~~です。年取っている暇がないです。けふも原稿の短縮作業で、おおおおおおお忙し。郷土史の編集長にお送りする封筒を先に書いてから、午後また原稿とにらめっこだん。


さらに、さっきプリンターのインクカートリッジを、買ったところのボックスに返してきたし、県立図書館で、岩波の能楽講座と、八重山の民話、中沢新一センセの精霊の王を借りてきたから、そっちも読まなくてはならないっす。


夕方にはジムにも行かなくちゃ。昨日行っていないからねぇ。温泉とサウナにも入ってこないと。あふぉ~な一日ですねぇ。


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まったく異界の人間になっちまったです

2013年02月24日 23時45分43秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 ジムでえっちらおっちらトレーニングをしていた。そしたら知人がいて、しばし歓談をした。こういうのがあるから、世の中に出ていくのはいいものである。その知人、愚生より後輩であるが、ある学校のトップである。話しは必然高校入試のことになった。

 そして愕然となった。まったく何も知らなかったという愚生の、のんき度に。後期選抜の各高等学校の倍率にである。そういうことにあまりにも関心が高くて、元教員かぜをふかすのもいかがなものかと思っていたが、こうまでのんきにやっているオレもオレである。

 愚生が毎日読んでいる新聞では全く出て来ないからである。しかしである。インターネットで調べればわかるはずではないか。そう責められても仕方なし。ま、今は大学でやらしていただいてる分野しか関心がないと言えば言えるけれども。

 もう住む世界が違っている。異界に行ってしまったのだ。オレの方が。つまり、寿命がつきたのだよ。オレは。そういうことだ。そういうこと。だからぐたぐた言わないほうがいいんだろうけど。

 知人は、知人である。よくも言ったりである。ただ単に知っているという関係であるから、当然愚生が今何をしているかということなんかなんにもご存じなかった。当たり前である。愚生なんか、吹けば飛ぶような軽い存在であるから。ははははははは。

 四方山の話しをしていた。楽しい話題であった。大学の機能とか、学者センセのクチの悪さぶりとか出てきて、呵々大笑した。まったく、学問をやるってぇことは人格向上のためにはならないんじゃないかと。確かに、論文を読んでいろいろ欠点を指摘するというのは、学者センセのお仕事でもある。だから、下手をすると無明を生きていってしまう危険性はある。

 しかし、そんなことを言ったら、どんなレベルの学校の教員にもそれはあることであって、そんなもんにいちいち腹を立てていたら生きていけない。愚生だって、何を言われているかわからんであろうし。気にしないことである。他人は悪口を言うのが大好きであるからだ。なぜなら、人を貶めていることで、自己をいったん棚上げできるからである。これは快感であろう。

 上から目線である。どこまでも上下の関係なのだ。100円ショップに行くのが好きでかなりいくが、あんな安価な買い物でも極端にお客様ぶっているのがいる。金を払えば、王サマであるという意識丸見えのバカがいる。ぞんざいなクチを店員の方々にきいて、ぶん投げるように代金を払っている。まったく無明を生きているなぁと思う。しかも、100円ショップですぜ。何様だと思っているのかね。こういうのが、学校の保護者ぶって・・・・もうやめましょう。異界にいっちまったんですから。ははははは。同じレベルになっちまうから。

 だから愚生は知り合ったばかりの人間にため口をきかれるのを嫌う。愚生を知っている方は、愚生が異常に敬語を使うのを不思議がる。愚生はなかなかため口をきかない。なぜか。他者とはある程度の距離感を持っていたいからである。あまりべたべたした人間関係は不要であるからである。つかず離れずというのがいちばんいい。それに愚生は、言葉がきつい。ため口をきくと、たいていの方は愚生を暴力団関係者のように思われる。そしてヘッドスキンである。だから丁寧になるのだ。言葉が。

 それだけであるけど。

 

 それにしても今日は反省した。あまりにも異界過ぎる。イカンゾォである。明日からは、まともに生きていきまひょ。



 (^_-)-☆

 

 

 

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2月23日(土)のつぶやき

2013年02月24日 04時34分32秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年
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最終バスを覚悟していたけれど

2013年02月24日 00時17分57秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

  学会勉強会が無事終わった。

 会場の武蔵野大学の前のレストランで打ち上げをしていて、もう何度も参加させていただいているから、千葉駅発の居住地までの最終電車にはどうやっても間に合わないのはわかっていた。だから、東京駅発の銚子行き高速バスが最終10時20分くらいだったっけか、それには間に合うように呑んでいたのだが。打ち上げ終了後、大学の前ですぐバスがきて、飛び乗った。そしたら吉祥寺駅行き。しまったと思った。つまり土地勘がないから、わからないのである。ま、たぶん大丈夫だと思って、そのままのんびり乗っていた。そしたら案外早く吉祥寺について、またまた幸運なことに東京駅行きの快速電車がきたのだ。八重洲側に高速バスの発着所があるが、5分もしないでバスがきた。ラッキーであった。実にラッキーな一日であった。明日になっちまうと思っていたが、23:51こうやってワープロを打っていられるのだ。

 ラッキーついでに、二時間も学会関東勉強会で独りでしゃべるのかよと、おののいていたが、こっちもあまりとっちめられないで済んだ。と思っているのは自分だけかな?十分ご指導をいただいたと書くべきか。質問の嵐であったし。さすがに思考法が論理的である。発表要旨で、二元対立論から習合へというようなことを書いていたのだが、これにもヘーゲルまで持ち出されてしまった。あああああ、ついていけない(^0^)

 琉球文化についても、いろいろな視点をいただいた。これはありがたかった。なにしろ先週石垣島に行ってすぐ書き始めたばかりである。文献でいろいろやっていたけど、実地に石垣島を見たのは初めてである。まだまだ本物では無い。だったら書くなよと言われそうだが、愚生の悪い癖でどんどんやってしまう。

 映像資料も画面の中に文字を入力するんだったら、もっと字数を増やしてやったほうがいいのではないかともご指導をいただいた。映像の分析でも新しい視点をいただいた。これもまたありがたいことであった。

 しかし楽しい二時間であった。説明している愚生の写真も撮っていただいたが、非公開にする。だって、アタマがテカテカに光っているから(^0^)

 ま、気が向いたら公開しますよん。

 一番びっくりしたのが、同窓生で郵便局の女性局員の方。当然愚生なんかよりも若いが、修士をとった後(働きながらですぜ)日本で唯一の老年学を学びに桜美林大学大学院博士後期に入学していたこと。凄いなぁ。またまた生涯学習の権化になっていたんだ。退職してないんですぜ。仕事はそのままですよん。凄いな。老年学は愚生もやらしていただいたので、この桜美林大学には関心があったのだが、東京に住んでおられるからできるとは言うものの、たいしたもんである。

 大学院は学部に比べると学費も安いし、社会人も十分学べる。ここがいい点であると思っている。大いに利用しましょう。

(^-^)/

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二時間もやるのか・・・・とほほ

2013年02月23日 08時24分28秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

そうか。。二時間もやるのか

 

 

 けふは、東京の三鷹にある武蔵野大学に行って発表の機会を与えていただいたから、行くのであるが、ある方に二時間も・・頑張って!というmailをいただいた。そして改めてそんなにやるんだと実感したのである。普通学会発表というとそんなに一人で長時間はやらないから、そうかそういうことだと妙に納得していたのだ。今朝は、早起きしたので。なにしろ、居住地から遠いので。それにいろいろ準備もある。12月の龍谷大学で発表させていただいた時に、いろいろとご指導をいただいたものに新たに書き加えてみたのだが、すでに新作と言っていいくらいだ。(相当の分量だけど) 琉球文化と、名古屋大学の阿部泰郎教授、学習院大学の赤坂憲雄教授、ケン・ウィルバーの文献をこれまでもずっと読んでいたから、かなり視点が違うものにもなっている。

 楽しいものである。なにしろ愚生には「頑張る」という発想がないのである。息もしないで、緊張して、これに賭けるというのが。ダメなものはダメだし、いいものはいい。そういうことである。天命というのを、愚生は信じているから、自分の力だけではいかんともしがたいものがあると思っているし。努力だけはするけどね。それも天がご存じであろうから、自己宣伝はしなくても済むのである。

 なんども書いてきたが、なにかになろうというのがないのであるから、こりゃぁ趣味ですな。モラトリアムでもない。生涯学習をやっているかたというのは、自分探しの旅をしている方もおられて、そういうことにつきあわされる大学の先生がたも大変ですねぇって言ったこともあったから、愚生はいろいろ考えながら生涯学習をやっているつもりなのである。誰もそんなことは言ってくれないが。

 要するに、すけべぇ根性がないんだ。だから、純粋に楽しむことができる。学会を足がかりに、ステップアップしようというのがない。愚生ごとき、なにをかいわんやと思っているし。実力どおりに生きていくしかないではないか。そもそも、大したことはない実力だし。一介の元高校教師だし。自己評価は非常に正しいと思っているのだ。それで食ってきたしねぇ。教育って、評価の連続でござんしょ?(^0^)

 それでも世の中には勘違いしている輩が多くて、まるで漫才でありまするよん。「先生は偉いか」ということを愚生は、常に意識しながら生きているんだけれども、どうもそう思っていない輩がたくさんである。先生なんて偉くもなんともないのである。ちょっとだけ先に勉強しているからということなのである。だから先生と言われているだけで、オールマイティではないのだと思っている。当たり前である。全知全能のニンゲンナンテいるわけがない。

 前提というものがある。***だからオレはエライというのが。その***の部分である。ナニナニ大学のセンセだから、フムフム高校のセンセだから、オレはエライのだという文章である。その前提がホントウに正しいのかどうかということは、疑ってかかるべきであるからである。なにも愚生はいじけて言っているのではない。なんだか勘違いをされている方もいて、愚生を励ましてくださる方もいるからである。いじけて言っていると思われているみたいだから。そうではない。愚生は本当のことを言っているのである。鏡を見ると、正真正銘、その鏡には完全なじじぃがいるんだからどうしようもない。みっともない悪あがきはせんことですわい。

 じじぃであると書いて、そんなことはないと言われることもある。体力的には、まだまだ若いのだ、愚生は。されど、じじぃはじじぃである。還暦を過ぎているのだから。なにもムリすることはない。アンチエィジングなんてムリをすると、早死にしてしまいまっせと思っているから。

 唯一こころがけていることがある。それは無明を生きたくないってことである。しかし、それは不可能であろう。無明をさまよいつつ、生きるしか無いのがオレのような庶民であるから。



  じゃぁ・・・行ってきます。



 

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2月22日(金)のつぶやき

2013年02月23日 04時34分31秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

神道学科2年の時、神仏習合の本を呼んでいたら、同期から「般若心経できる?」と声をかけられたことがあります。話を聞くと、彼は修験がさかんな地域の神社の跡取り。なので祝詞は勿論、般若心経も読め九字もきれないといけない。神仏習合のあり方を、身近かつ切実に感じた瞬間でした。

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たしかに、研究者のポスト問題が深刻化して以来、「研究で」出世しようという考えの若い研究者が増えてこれは非常にまずいと日ごろから思っている。食い扶持は研究ではなく教育で得るものだという規範をもっと強調しないと。

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Now is the time to reduce gun violence. Share why you support the President's plan to make it happen: OFA.BO/VrDdqY #WeDemandAVote

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高学歴ニートに陥りやすい男の見抜き方 | ハウコレ howcollect.jp/article/3742 「心が少年のままの男:心が少年のままだと、これからの将来よりも自分が一番楽しいことを優先してしまいます。こういったタイプは、機械系男子や、科学者系男子に多いのです」。

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尖閣で中国と連携せず、理由を台湾が初公表 日台漁業協議干渉や軍備増強でも中国を批判 trib.al/OoWlVyQ @zakdeskさんから

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早々と5月の興福寺薪御能の番組が送られてきた。17日金春流「翁」金剛流「竹生島」大蔵流狂言「飛越」金春流「熊坂」18日金春流「猩々」観世流「巴」大蔵流狂言「棒縛」宝生流「阿漕」←これ辰巳満次郎師ね。今年から、般若之芝でできるみたいですね。

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わはははははははははははは@すぐキレる妻よ見習えLED サラリーマン川柳入選作100句発表 ベスト10発表は5月下旬 - 政治・社会 - ZAKZAK zakzak.co.jp/society/domest… @zakdeskさんから


今日は、「鳥追船」狂イの稽古を付けていただきました。「様式と写実の狭間に身を置いて舞うべきものだが、その意味は?」が次回までの宿題になりました…(@_@;)

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生徒を平手打ち…県立高教諭を戒告処分 千葉県教委 - MSN産経ニュース sankei.jp.msn.com/region/news/13…


【「体罰」を考える】(19)「殴ってみろよ!」「傷ついた。死んでやる」 教師を挑発する生徒たち  - MSN産経ニュース sankei.jp.msn.com/west/west_life…


<枝垂れ梅>滝のように枝が流れまんまるのつぼみが行儀よくならんでいる。いい子の梅はこうでなくちゃいけない。これからが佳境である。 #jtanka #tanka twitpic.com/c5vdc2

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663 種々なる貪欲に耽る者は、ことばで他人をそしる。彼自身は信仰心なく、物惜しみして、不親切で、けちで、やたらに陰口を言うのだが(スッタニパータ)

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515 あらゆる事柄に対して平静であり、心を落ち着け、全世界のうちで何ものをも害うことなく、流れをわたり、濁りなく、情欲の高まり増すことのない<道の人>、かれは<温和な人>である(スッタニパータ)

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けふは武蔵野大学にいます

2013年02月23日 00時42分41秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

  けふになった。1:15である。やっとパソコンから解放である。

 けふは、午後から武蔵野大学で、学会勉強会の講師をさせていただく。オイラが最低の講師だったと言われたらおしめぇですからねぇ。経歴的には最低である。一介の元高校教師だし。学者として生きるにはT大を出ていないと話しにならんという世界からは大きく逸脱しておるし。

 さっきまで、資料を作っていた。いろいろ資料を眺めていたら、実に誤字脱字が多い。一つの資料はやり直した。250枚くらい印刷を再度やったのだ。マレビトと心理療法という京都文教大学の先生が書かれた論文を、印刷していたんだ。最後まで迷っていた資料である。持参すべきかどうかというその一点で。所詮、オイラは心理学でも素人であるから。しかし、テーマと密接につながっているのだ。マレビトと芸能の源流と宗教というのが、けふのオイラのテーマであるから。

 今日の参加者は、研究者と学者先生だから、資料は慎重に準備しなくてはならない。でないと、師匠にご迷惑をかける。在籍校にも同様である。肩書きで在籍校を書かなくちゃならんから。当然であるが。そんな程度の院生なのかと言われたらどうすんじゃぃ!速攻で退学するしかない。それくらいの自尊心は、いかなオイラでもあるから。

 資料を作成していて思った。誤字脱字である。話しにならん。これだよ、これ。研究者とか学者の資格がないっていうことだよん。師匠が最も厳しく言われることである。けふのことは師匠にも報告しなくちゃならんから、どうなることやら。

 不肖の弟子だなぁとしみじみ思う。論語の子路のようだね、オイラは。体育会系だし。武闘派でありますし。

 しかし、言い訳は許されない。当たり前である。それがたとえ生涯学習者としてスタートしたとしても、それなりの自覚は要求されるからである。学ぶものとしての当然の最低の条件である。だから、オイラは謙虚に生きているつもりである。オイラの書く文章なんて実につまらんものが多いから。

 昨日かな、哲学者の鷲田小弥太先生の本をまた読み直していたら、「論文を書きなさい」というフレーズに行き当たった。誰でも書けるはずだし、生涯に一本でもいいから納得のいく論文を書きなさいという教えである。ちなみに、鷲田先生からは直接メールもいただいたことがあって、大好きな先生なんであるが。しかし、納得のいく論文ってこりゃ難しい。書けないです。でも、それでも挑戦しなさいと言われる。そうか、それでいいのだ。オイラのような者でも、挑戦することだけは許されているのである。

 ありがたいことである。

 けふは二時間もしゃべるけど、やるっきゃないですね。まったく。

 

 (^_-)-☆

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古今和歌集東歌メモ

2013年02月22日 23時03分03秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

あづまうた)
みちのくの歌

1087 阿武隈(あぶくま)に霧立ちわたり明けぬとも君をばやらじ待てばすべなし(1733)

1088 みちのくはいづくはあれど塩竃の浦漕ぐ舟の綱手悲しも(1734)

1089 わがせこを都にやりて塩竃のまがきの島のまつぞ恋しき(1735)

1090 をぐろさきみつの小島の人ならば都のつとにいざと言はましを(1736)

1091 みさぶらひ御笠と申せ宮城野の木(こ)の下露は雨にまされり(1737)

1092 最上川のぼれば下る稲舟(いなふね)のいなにはあらずこの月ばかり(1738)

1093 君をおきてあだし心を我が持たば末の松山波も越えなん(1739)

相模歌

1094 こよろぎの磯たちならし磯菜摘むめざし濡らすな沖にをれ波(1740)

常陸歌

1095 筑波嶺(つくばね)の此面彼面(このもかのも)に陰はあれど君が御陰にます陰はなし(1741)

1096 筑波嶺の嶺の紅葉葉おち積もり知るも知らぬもなべて悲しも(1742)

甲斐歌

1097 甲斐が嶺(ね)をさやにも見しかけけれなく横ほり臥せる小夜(さや)の中山(1743)

1098 甲斐が嶺を根越し山越し吹く風を人にもがもや言伝てやらん(1744)

伊勢歌

1099 おふの浦に片枝(かたえ)さし覆ひなる梨のなりもならずも寝て語らはん(1745)

冬の賀茂の祭の歌             藤原敏行朝臣

1100 ちはやぶる賀茂の社の姫小松万代経(ふ)とも色はかはらじ(0598)


 

◎古今和歌集を一番最後からみなおしてみると、実におもしろいことがわかってくる。メモにしながら毎日眺めていきたい。

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/