養老 孟司(解剖学者・東京大学名誉教授)センセがここにも出ておられるのだよん。
凄いなぁ・・
なんでも出来るのだな。
大谷大学キャンパスツアー/第5回親鸞フォーラム-親鸞仏教が開く世界-
養老 孟司(解剖学者・東京大学名誉教授)センセがここにも出ておられるのだよん。
凄いなぁ・・
なんでも出来るのだな。
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過去のことに縛られてはならんぞな
3月31日、今日で完全に年度末である。
明日から年度はじめである。日本独自の制度なのかもしれない。ある意味、新年を迎えるよりも新たな気持ちになるのかもしれない。テレビ番組も顔ぶれが変わった。朝や夜のNHKのアナウンサーの顔も変わった。ニュースのである。だからである。だから変化の兆しというのも、私のような庶民には楽しみでもある。
年度末人事異動でもって新たな職場に変わった人もいるだろう。あるいは退職してしまったという方もいるだろう。
それはそれでいい。自営業の方を除いては、そういうこともまた甘受しなくてはならないこともある。収入を度外視してはならないからである。一度ある一定の仕事を選択した以上、耐えなくてはならないときはあるからである。
しかしである。
一つの仕事を選択したからといって、その仕事の世界が世界のすべてであるとは思わない方がいい。
狭い仕事の世界が、どんな世界でも通用するワケがないのである。会社員とか公務員の世界もそうだ。オレのことを知らないのかという勘違いをしてはならない。隣近所においては、そんなことまったく関心が無いからである。あ、そんな仕事をしていたのかという程度である。辺りを睥睨して、まるでオレは大物であるとばかりにエラそうにしているバカがいくらでもいるからである。**長とか経験したとか、自慢げに言っているのもいる。たいてい、そういう輩は耳が悪い。耳が悪いから他人の言うことは聞こえない。自分のことしか言わない。自慢話である。聞くにたえない・見るに見かねるということとは、こういうことなのかと思ってしまう。
こういう爺や婆は悲惨な老後を迎える。誰だって若いときの、あるいは現役時代のことなんか聞きたくもないからである。自慢話だからだ。そんなことよりも、「今」なにをしているかということである。過去のことしか語るものがないというのは、悲惨である。過去のことは過去のこと。思い切り捨てることである。
だいいちつまらねぇではないか。
いつまでも過去のことでもってしばられていたら。
それよりも、未来を語ることである。未来は何があるかわからないから楽しいのである。若い人々と、である。彼ら彼女らの未来を考えるだけでもワクワクしてくるからたまらないのである。
そうなのだ。
それはある意味、私は死ぬのを待っているだけの存在であるからだ。
生きて、老いて、病気になって、後は死ぬだけであるからだ。「生老病死」である。これだけは真実である。まったくそう思う。愛だの、恋だの、不倫だの、なんとかだのというのは、かりそめの人生でしかない。生きているのが前提で進行している事象というのは、かりそめでしかないからである。永遠はないからだ。すべては滅びるものであるからだ。永遠に存続する会社も組織もない。国家だってそうだ。世界史は、まったくもって国家の存亡史でしかない。あの大ローマ帝国だって、サラセン帝国だって、フビライハーンの作った元という国だって永遠ではなかったではないか。世界のあちこちを植民地化した欧州の国家だって、今は見る影もない。永遠はないのである。だから、死ぬまではおおいに楽しむがいい。
私も、死ぬまでは楽しむつもりである。
春めいてきたからでもある。
春めいてくると、そぞろ歩きをしたくなる。旅である。春になったみちのくに行きたくなった。旅行会社からいくらでも資料が送られてくるから、こっちも楽しい。見ているだけでも楽しい。
今のところ、玉川温泉に関心を持っている。秋田県である。有名な温泉である。台湾に今月行ったときも、台湾の方々が言っていた。ラジウム温泉だからということを。玉川温泉がそうであるとも知っていた。びっくりした。だから、行ってみたくなった。以前からそう思っていたのだけれども。
こっちは(私は)、余生を過ごしているだけであるから、旅といっても、最初に経済条件がくる。カネがかからない旅がいい。カネがかからないと言っても、タダといわけにはいかない。そこそこ安価な行程がいい。それに無理の無いプランがいい。体力がモタナイプランでは、どうしようもない。
食事はどうでもよくなった。あまり豪勢な食事では病気になる。そこそこ清潔で、きれいな布団があって、温泉であればいい。それだけである。二次会に行きたいというようなスケベ心も無くなったから、場末の飲み屋に行きたいというのもない。オネーチャンなんか見たくもない。だから気楽である。オネーチャンより、景色である。その点、日本はいい。実にいい国である。
古代からそうだ。
古代人というのは、地域認識を明確に持っていた。多島・多地域の意識というものである。邪馬台国の伝承も楽しいものであるが、あの時代から、日本というのは島々からなっているという意識が豊かにあったのである。記紀神話にしてもそうである。イザナキ、イザナミが産んでいった子どもたちは、いろいろな島々を形成していったではないか。
逆に言えば、本州意識が薄いということにもつながるのではあるが。それはまた地域の創造神話の形成にもつながる。これがたまらない程、面白い。
中世史までつながっていることでもある。
こうなると旅がもっと楽しくなる。
歴史と連動しているからである。
こういう旅は楽しい。
歴史と敢えて連動させて、プラス温泉があるともっといい。
余生の旅は、こういうstyleでやるつもりである。
それが私のささやかな老後の送り方であるからだ。
そして生涯学習にもつながっている。
若いときのことを、周囲に自慢しているばかりが、爺のやることではない。断言できる。
そういうことをやっちゃいけない。
バカにされるだけである。
もっとも、あれか。
バカは最初からバカか。
分かっていたけどねぇ~。
(^_^)ノ””””
今日も良い一日でありますように
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不思議な世界を教えてくださっているのですね。
感激します。
種智院大学 Shuchiin University - 仏像彫刻教室 仏教美術史 Buddhist Art History & Sculpture Classes 2013
今日も良い一日でありますように
生涯学習の御同朋(仲間、友人。特に、志を同じくする仏道修行の仲間)のブログを毎朝チェックしてから、私の一日は始まる。
そうなのである。生涯学習が余生のなによりの楽しみであるからである。なにしろ、こっちには定年がない。ないから、いつまでもやっていられる。それがなによりありがたい。私と同年の方の生涯学習のブログには特に勇気づけられる。頑張っているからである。
されど、私も含めてこういう余生を送っている人間を揶揄する輩も多い。時間とカネの無駄だ!というわけである。大きなお世話である。そんなこたぁ先刻承知の上で始めたのである。確かに学費もかかる。時間も無駄になるのかもしれない。
しかし、そんなのどうだっていいではないか。リタイアしたのである。学び直しをして何が悪いか。なにも、若い人のご出世の邪魔をしようと思っているわけではないからである。だいいち、若い人に相手にされない。爺が(あるいは婆が)これから出世して、なにかになってやろうというのでは、教えている方々だって嫌になるだろう。それこそ何を血迷っているんじゃということになる。まだ名誉や地位が欲しいのかということになる。
私は、「こたつ・みかん・ねこ」の老後だけは送りたくない。だからである。だから、生涯学習を始めたのである。こたつにあたって、みかんを食べて、ねこをだっこして、ウトウトと寝ていたら、もともとバカがもっとバカになる。そんなことより、古文書である。郷土史である。中国語講座である。男の料理教室である。そして、なにより楽しみにしている海外旅行である。古女房ドノの誕生日に行くのが一番いい。口実になる。旅行に行く理由になる。これだと誘っても反対しない。あっちが。(^0^)
古文書も爺になると楽しいもんである。昨日は蜻蛉日記の影印本を注文した。Amazonからである。こっちは800円くらいした。むろん古本である。800円で毎日楽しむことができるのは実にありがたい。土佐日記の影印本読解も終わりそうだからである。ノートにコピーを貼り付けて、それでやっている。
5月からは毎月一回千葉市で古文書講座があるから、こっちも楽しいものである。こっちはかなり難しいのであるが。ついていくだけでも息があがる。アップ、アップである。しかし、楽しい。楽しいからやっていられる。もっとも、私は運営側にいるから、雑用ばかりやらせていただいている。これもまた生きがいである。「こたつ・みかん・ねこ」ではない。すくなくともない。
5月といえば、郷土史の会で出している研究誌にも論文が出ることになった。「鬼来迎と目連救母劇」である。19頁もある。昨日、最後の校正を終えた。
これも楽しみである。出るのが。もう、これで投稿は最後にする。連続で出していただいたからである。感謝している。ありがたいものだ。所詮素人の手慰みである。だからである。私の相手は、全部玄人である。大学教授とか学芸員の先生とかが多い世界である。勉強になる。相手は、玄人だからである。なにしろ視点の持ち方が違う。
こういう世界で揉まれている。だから、やりたいことが山ほどあるのだ。
さらに、昨日は毎日のように通っているブックオフという古本チェーンで、良い買い物をした。中央公論から出ている「日本の古代」というシリーズ本を買った。一冊108円。それが九冊も出ていた。投げ売りである。売った方に感謝である。だから、全部買ってきた。自分の本だから、メモを書き込むことができる。さらに折り曲げもOKである。ノートのように使う。自分の本だからできる。そして、抜き書きをするのだ。これでもって、またまた退屈をしないで、日々を過ごすことができる。ありがたいものである。実にありがたい。
4月から、塾は木曜日と金曜日になる。大学院を退学したので、もう通学する必要はなくなったからである。経営陣からは、もっとバイトの回数を増やして欲しいと言われた。断った。一週間に3時間やらせていただくだけでも、感謝しているからである。さらに一週間に4時間とか5時間とか働くと、今度は体力がモタナイ。なにしろこっちは病人である。今も、通院治療をしている。もう具合が悪くなるのは勘弁して欲しいからだ。
金曜日、塾で教えるとなって、そのやりとりを聞いていた女子高校生が「きゃぁ~」と言ったので、こっちがびっくりした。今月まで中学三年生で、来月から地元のS高校という進学校に行く女生徒であった。経営陣が、「**ちゃん、良かったじゃない」と言っている。そうなのである。と~ま君に教えてもらいたかったのだそうな。ありがたいものである。
こっちも完全にバイトであるが、なにしろふれあいの喜びというのがある。つまらない日常が実に楽しいものになる。これがありがたいのだ。しかも、ささやかながら小遣い稼ぎになる。ブックオフに献金できる。本しか買わないからだ。私の場合。趣味、読書だからだ。それに認知症予防にもなる。数学と英語を自学自習していると、もともと悪いアタマが活性化するような気がするのだ。国語専門で生きてきたから、難儀しているのだ。しかし、塾講師も四年目になろうとしている。大体のコツはつかめてきた。数学と英語だ。国語は大丈夫だが。しかし、数学と英語はまだまだやることがいっぺぇある。素人だからだ。専門外だからだ。(国語もそうか・・・・トホホ)
教えるから、勉強になる。まさに、教えるものこそ学ばないとアカンとしみじみ思う。教えるから勉強もする。
こういう体験を非常勤講師をさせていただいている某大学の学生たちに語りかけている。教師のたまごっちたちにである。こちらも、ふれあいの喜びがある。映像を駆使して、いろいろな分析を行っている。これはなかなか面白い試みであろうと思う。自画自賛かもしれないが。なにしろ私の方は、経験値が学生たちとは違っている。さらにやる気をアップさせるために、「基準値」を上げることをいつも学生たちには要求している。
そうなのである。
生涯学習というのは、まさに「基準値」を上げることの連続であるからだ。こいつは大学生だって同じなのだと思っているからだ。
自分自身に対しての。
さ、これくらいにする。
今日も良い一日でありますように。
(^_^)ノ””””
大久保は儒教的な思弁性を好まなかったが、かといってヨーロッパずきでもなく、また文明開化をすすめながらも軽桃なところがなかった。冷厳あるいは冷酷なほどに現実を見つづけた人物で、太政官のたれもがそういう大久保に畏服しきっていた 司馬遼太郎 著 『この国のかたち』 より
このページのやりとりは実際のまんまだった。「学校では辞書の引き方を覚えればいい」星野教授の名言で俺は以降その通りの生き方をしてるつもり。 RT @akitaroh: なんかちょっと泣けて来ちゃったよん。 pic.twitter.com/LDea7cmhEx
まぁ…古賀さんの勝ちかなぁ…。 #BLOGOS blogos.com/outline/108955/
すべて、私には無縁のことである。無縁坂である。
悲喜こもごもである。
なんでか。
年度末の人事異動の時期だからである。
?
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サイエンスオデッセイ 地球探求の旅 (5)史上最大の生物大量絶滅事件 goo.gl/hFDcEc
[ ]:青年に対し、社会的な責任・義務がある程度猶予された状態。この状態の中で青年はさまざまな模索をおこない、アイデンティティを獲得してゆく。モラトリアム
これは(日本で)近い将来に十分ありうることですが、経済が少し傾けば、そうすればいわば全国民的な神経虚脱症を引き起こしてしまうのではないでしょうか。個々の人間が、近代工業社会の過度の要求にまいってしまうと思うのです。 『エンデの文明砂漠』(管理者注:1991年に出版されたもの)
【明治時代の仏像の特徴】明治新政府によって発せられた神仏分離令によって廃仏毀釈運動が広がり、寺院が破壊され、価値ある文化財が消失した。また、運動の余波による仏教の危機は仏教界の反省を促し、伝統仏教の近代化に結びついた。そのため、芸術と結びつく形で逆風の中でも仏像制作は行われた。
後世、饗宴の風、其宴席の爲に正客を設け、名望ある長老を迎へる事を誇りとする樣になつたが、古代には尊者の爲の饗宴であつて、饗宴の爲の正客ではなかつたのである
先日初版道さんが石丸久遺稿集『老いの小文』を推奨しておられたが、我が書架から石丸氏『魂ぞかへらむ』(昭50)が出てきた。戦時中の短歌と、兵営にあったおり、早稲田の師五十嵐力から送られた書簡を収めたものだ。多くの同級生を戦争で亡くした無念の思いが籠っている。戦後の歌は半寒抄という。
何より重要なのは、ハングリーな気持ち。常に何かに飢えている緊張感が、僕の健康を支えている。もうこれで十分満足、と落ち着いた途端にスタミナが切れて、ダウンしてしまう気がする。
【著作紹介】「竜馬がゆく」goo.gl/CCII 「薩長連合、大政奉還、あれァ、ぜんぶ竜馬一人がやったことさ」と、勝海舟はいった。坂本竜馬は幕末維新史上の奇蹟といわれる。竜馬の劇的な生涯を中心に、同じ時代をひたむきに生きた若者たちを描く長篇小説。全八巻。
CiNii 論文?-? 南北朝期における摂津国多田院と佐々木京極氏--分郡守護論(守護職分割論)の再検討を中心に ci.nii.ac.jp/naid/400060237… #CiNii
【全国のトップを切って 東京で桜満開】 tenki.jp/forecaster/dia… 3月29日午後2時前、全国のトップをきって、東京でサクラ(ソメイヨシノ)が満開になりました。平年より.. pic.twitter.com/jB40ci0tCi
【上野戦争】江戸総攻撃を回避すべく無血開城を選択した幕府中枢部に不満を持った彰義隊(征夷大将軍の警護部隊)が上野寛永寺に集結し、大村益次郎(近代陸軍の父)率いる新政府軍を迎え撃った戦い。結果、彰義隊は壊滅し、寛永寺は焼け野原となった。 pic.twitter.com/rBuAUkYHv9
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