と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

ううううううううむ、ボキの立場なんてないんだけど、周囲に迷惑をかけるのだけはダメですなぁ

2018年11月30日 16時30分10秒 | とーま君の流儀2018

ボキは五つものバイトをやらせていただいている。

しかし、派遣会社からの派遣でやっているバイトもあるのだ。それを忘れてオノレの立場に固執してしまった。昨日のことである。

で、さっそくその固定観念を修正した。今朝は、途中の巨大駅で快速の久里浜駅行きの電車に乗り換えて一路千葉市を目指した。そしたらいつも行っている各駅停車の電車よりたった2分早く着いただけ。

笑ってしまった。

バイト先に早く行って管理職の方に謝罪したかったからである。ボキは派遣会社の社員であって、バイト先の組織員ではないからである。そこのところを勘違いしてはいけなかった。

で、修正したから、今日は夕方の16:35には家に帰ってきた。

逆に考えればありがたいかぎりである。

早く家に帰れたのであるから。

でも、これから塾の夜バイトがあるけどね。

ボキの受講生たちも言っていた。かなり稼いでいるっしょ?って。大学、高校二つ、塾と定期的な稼ぎがあるからだ。他に年金もある。

ま、全部旅行に使って、本を買って、パソコンに消えてしまうのだが。

リラックスもリラックス。

こんなジジイ生活もないもんじゃよ。

さらに、来月は仙台で授業をやってくる。五つのバイトのうちの一つで、通信制高校のである。その新幹線の切符が、今日、送られてきた。

これもまた楽しみにしているバイトである。

「頼まれごと」だから、そしてそれをやっていると他人が喜んでくれるからやっているだけである。

疲れることを知らないからやっていられるのだ。

こんなありがたいことはない。

ある意味アホだけどねぇ。与太郎と一緒ですよん。



 

ヾ(*´∀`*)ノ

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銭が欲しくてバイトをやっているのではないなぁ、マジに。

2018年11月30日 07時38分52秒 | とーま君の流儀2018

教員というのは残業という意識がない。生徒が絡むからである。生徒のためには、夜遅くまで教材研究でもなんでもやってしまう。部活動もそうだ。給料が出ない。

悪しき現実である。

しかし、だからと言って銭が欲しいとなるとちょっと気が引ける。どこかに、銭のためにやっているのではないという意識があるからだ。

ボキだって、そういう意識はかなりある。

本当に、世間と没交渉になりたくないから五つのアルバイトをやっているのである。そしてそれだけなのだ。雇ってくださるだけ感謝である。しかも頼まれごとである。だからやっているだけなのだ。

しかし、組織に迷惑がかかってしまってはアカン。

昨日、いくつかやっているバイト先の一つで、ボキの受講生が動画を完成した。すてきなできばえであった。伝えるチカラというテーマで、絵コンテと動画を作らせてみた。あるグループが、まるでプロのような動画を作った。感動したねぇ。たいしたもんである。

そんなささやかな喜びがボキを支えてくれている。

ご縁を大切に、頼まれごとを淡々とやっていれば、他人に喜ばれる。

それだけである。それだけ。

ボキのシアワセは。

 

今日も、二つのバイトの掛け持ちである。

生き甲斐である。

マジに。

わははっははははっはははっはははっははははっはははっはははは

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11月29日(木)のつぶやき

2018年11月30日 06時21分04秒 | とーま君の流儀2018
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自分のチカラなんて、そんなたいしたもんではないのだ。

2018年11月29日 07時09分00秒 | とーま君の流儀2018

自分のチカラだけでなんとかしようとやっていたから、亡父は起業もできなかったし、失敗したのだった。



亡父は松下幸之助に憧れていた。なんもないところから、あれだけの大成功者になったからである。ある意味憧れに近い感情を持っていたのだろう。

銭をためて会社を打ち立てて、金持ちになりたかったのだろう。しかし、見通しは甘かった。成功しなかったからである。

学歴もない、貧しかったし、さらに病気もあったのが松下幸之助翁であった。だから優秀な人材を雇ったのであるし、ヒトを活用したのである。

これに気がついていなかったのが残念ながら亡父であった。

全部自分のチカラでなんとかしようとしていたからである。せいぜい、親類縁者を頼ってなんとかしようとしていた。事実、特許をとってある製品を製造して販売をしたのである。失敗した。これも残念ながらである。他に旅館の経営にも手を出した。

ボキは、ガキだった。けれども、どうも違うような気がしていた。亡父のやり方は。全部自分の手でやろうとしていたからである。

要するに集金力がなかった。営業力もなかった。

しょせん、田舎の役場職員の限界であったのだ。

さらにある。

それはヒトを頼ろうとしなかったということである。起業をするということは、資金が要る。会社組織にしていくには、他人のチカラが必要となる。全部自分の銭でまかなうことはできない相談である。

亡父にカネを出してくれる他人がいなかったということである。

50人に手紙を出して、会社をつくるから一人30万出資してくれと頼んでみても、誰も出資してくれなかっただろうと思うからだ。

ましてや、退職金で起業してみようというのは、あまりにも大胆不敵である。

世渡りができなかったら、おとなしくしていれば良いのである。

つきあい下手なら、これもまた個性と思って、おとなしくしていれば良いのである。

そして、そういう個性ならば、断念することだ。起業なんて。

 

ボキは、断念させることも教育の大事なポイントであると思っている。

いつまでも夢を追っていて、それだけで果たして良いのだろうかと思っている。

現実を直視してから行動をしても良いのだ。

あるいは、教育とは他の可能性を捨てることだと言っても良し。

ボキが、美男俳優を志さなかったのは、そういう断念をしたからである(^_^)。

また、柔道家として一家をなすことも断念した。最初からである。途中、ベンチプレスで140キロ上がったときは、もしかしてボキのようなもんでも、もしかすると成功するかもしれないと思ったときはあった。しかし、ボキは平穏な人間で争いごとが苦手である。こういうのは、格闘技の世界ではまったく通用しない。

だから断念した。

最近では、大学院博士課程を断念した。こっちも身の程知らずであったのだ。自分の能力次第では、もしかして博士になれるかもしれないと思ってしまったのである。恥ずかしい限りであった。

 

だから、今だからこそ言えるのだ。

自分のチカラだけでなんとできるとうぬぼれるのは、もうヤメヨウと。

要するにいかに人間を活かして使えるかというその一点が最重要であるからだ。

 

さ、今日も元気でアルバイトに行ってきましょう。しかも昼と夜の二つ。

わははっはははっはははっはははっははっはははっはははっはははは。

 

ヾ(*´∀`*)ノ

 

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11月28日(水)のつぶやき

2018年11月29日 06時18分18秒 | とーま君の流儀2018
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古文書講座にるんるんと行ったら大笑いであった。まったくまったく。

2018年11月28日 12時03分50秒 | とーま君の流儀2018

今日の午前中は古文書講座であった。

講師の先生の都合でしばしば日程が変わるし、そもそも日程表がない。

だから事前に電話連絡をして、今日はありますか?初級の方ですよと聞く。

今日はありますよと言われたので愛車を運転して出かけた。

そして、教室に着いて驚いた。

まず人数がすくない。

それに見知らぬ方がいる。

あっと、思った。

もしかしたら、上級コースに来たのかって。

当たった。

まさに電話して教えてくれた方が勘違いしてしまったのだ。

大笑いをしてきた。

もう、惚けたか?って言われそうじゃなぁ。

わははっはははっはははっははっはははっはははっはははっはは。

 

もう惚けているけどねぇ。

 

おかげで、午前中はMetsで8000歩以上歩いた。

銀行にも寄った。ショッピングセンターにも行った。明日、駅前の駐車場にクルマを止めるので、不動産屋にも寄った。前日予約をしてきた。料金はむろん払ってきた。二日間で600円である。駅前にあるのに、この料金なのである。感動的である。つまり、田舎なのである。だから、格安料金だ。明後日もこの駐車場を利用する。なぜなら、明日と明後日は、千葉市のバイト先で時間外で働くからである。期末試験前のサポート授業なのだ。喜んでやらしていただく。なぜなら、もう二度とこんなことは経験できないだろうから。

そして、居住地の駅に帰ってすぐ塾に行かなくちゃならない。

忙しいジジイでございまするよん。

 

ヾ(*´∀`*)ノ

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忘年会のお誘いを受けた。実に久しぶりである。

2018年11月28日 06時20分52秒 | とーま君の流儀2018

忘年会に参加させていただくにしても、二合までと宣言してである(^_^)

 

 

アルバイト先から忘年会のお誘いを受けた。五つのうちの一つである。ありがたいかぎりである。だから快諾した。

こんなつまらない人間のボキでも誘っていただけるのだ。しかも、この9月からやっているのだから、そもそも参加できるような人間ではない。

ま、事実誘っていただいても、日本酒で二合までと宣言して会場に行く。二合も呑むのかと言われそうだが、しかたなし。それ以上呑んだら酔っ払うからだ。あたりまえである。呑んだら酔っ払う。ドクターストップがかかっているからと言うつもりである。ホントは、ドクターは一・二合ならOKと言ってくださっているのだけれども(^_^)。

飲み会では、以前の仕事の話はしない。いろいろと教育のことについて聞きたいと言われているが、あまり答えないことにする。言ってもやわらかくである。なぜなら、現役の仕事人はプライドがあるからだ。それを否定しちゃいけない。俺の方がなんとかかんとかと知ったかぶりをして言っていると、相手を怪我させてしまう。だからだ。

学歴もである。最終学歴は自動車学校卒と言うつもりである。これも聞かれても相手にしないことである。そんなもんで、相手を評価しようというのが気に入らない。そもそもがだ。他人に学歴を聞くなら、自分からのたもうべきだ(^_^)。

そんなものである。

要するに「実践」で評価しなくちゃアカン。家柄とか学歴とか、そんなもんが何になろうか。なんにもならんのである。そういうもんを自慢してちゃ、お先が知れているってぇもんだ。

理想論をくっちゃべっているというのは、楽である。実践がともわないからである。理想だけ言って、あとは昼寝していたらこりゃ楽である。

評価は自分でするのではない。他人サマがしてくれるのだ。ボキの場合は、授業が根本にあるから受講生が評価してくれる。そして、その接点は実に楽しいものである。

来年の3月には去らねばならないから、厳しいのである。そういう契約だからだ。そして、いつも去らねばならないことを前提にバイトをさせていただいているのだ。

昨日ちょっとだけそのことに触れた。来年のセンセにご迷惑をおかけしたくないというようなことをちょっとだけ言った。本音である。そしたら、受講生が来年もやって欲しいと言った。楽しみだからと言われた。これもまたありがたいことである。動画の作成なんかも一緒にやっているが、こんな授業は受けたことがないとのたもう。確かにそうだろうなぁ。

こういうジジイセンセだけれども、楽しみにしてくださるだけありがたいものである。

ヘアスタイルも変わっているし、ネクタイをせず、ループタイで授業をやっているのも原因の一つなのかもしれない。

根本的には、淡々とやっているからだろう。まさに受けを狙っていないからだ。冗談も言わないし、黒板も生徒を前に出して、積極的に動かす。これが良いのであろう。

そして、これが最後と思っているから充実したアルバイトができるのだ。

本当にありがたいもんである。

 

今日は歩こう。

ここんところ体重が徐々に増えているからだ。

運動である。運動。

健康あってのアルバイトである。

 

ヾ(*´∀`*)ノ

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11月27日(火)のつぶやき

2018年11月28日 06時20分05秒 | とーま君の流儀2018
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静かで平穏な人生こそ理想なり

2018年11月27日 21時16分11秒 | とーま君の流儀2018

静かに生きていきたい。

波瀾万丈はごめんである。

いまさら、波瀾にミチミチていたらくたびれる。

さらに、平穏な生活も送っていきたい。

もう戦いはごめんこうむる。

競争も似合わない。

所詮負け続けの前半生であったから。

さらに、なにをトチクルッタか大学院中退事件。

波瀾は要らない。

そのためには、平常からおとなしく生きていくことである。

淡々と。

こころ動かされず。

もの欲しげな顔をしていないことである。

つまらない人間だからこそ、無口でもいられる。

そうなのだ。

黙っていろ!と言われたら何日でも黙ったまま生活できるのがボキである。

(^_^)

 

明日から、また新たな感覚でアルバイトをやるつもりだ。

ずっとノートとりをして、ひたすら淡々としてみる。

ヾ(*´∀`*)ノ

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11月26日(月)のつぶやき

2018年11月27日 06時15分08秒 | とーま君の流儀2018
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人生の結果をヒトのせいにすることなかれ

2018年11月26日 07時49分16秒 | 精神のありかた

高校卒業間近になって、ボキはどこの大学にも行けそうになかった。むろん、成績が良くなかったからである。要するにアホだったからである。勉強もできなかったからなぁ。

それに、親の理解もなかった。出来の悪い息子に絶望していたんだろう。せめて地元の国立大学に入ってセンセでもやってくれればと思っていたのだ、ボキの親は。ボキの高校は、地元の山形大学くらいなら、総計で七〇人は進学していたから可能だったのかもしれないけど。

亡母はなんにも言わなかったが、地元の国立大学の卒業生であったから、期待はしていたのだろう。

結果として、ボキは、どこの大学にも行けそうになかったから、唯一拾ってくれた五流大学に進学した。後にも先にもこれだけであった。なんと言っても、これしか受験していなかったのだから、受かったのはこれだけなのである(^_^)。

それしか合格できなかったからだ。よくまぁ合格できたものだった。冷や汗が出たものであった。滑り止めもできなかったし、今は母校となっている五流大学に感謝しているのだけれども。受験機会が一回だけというのもスリリングでたのしかったですよん。

さらに学費もなかった。入学金もなかった。

しょうがないから、日本経済新聞の新聞配達を選択した。いわゆる苦学生である。選ばざるを得なかったから選んだのである。

しかし、こいつがボキの前半生を決定的にした。

人生にシナリオがあると思ったのはこの時である。

思ったとおりにはならないのが人生のシナリオである。

選択の余地はなかったのである。

そうせざるを得なかったのである。

そして、そうせざるを得なかったことで、亡父・亡母から「独立心」を教えられたのである。これがありがたかったと思うのだ。

こいつは、生まれる前から決まっていたことなのだ。

シナリオは決まっていたのだ。

銭のかからない長男だから、亡父は喜んだ。亡父は、役場の職員をやっていたが、大学というものをまったく知らない。学費がどれくらいかかるかも知らなかった。亡母は知っていたが。

だから、まったく銭のかからない長男の進路選択を喜んだのである。

亡母は、そんなことをしたら、長男は家に帰ってこないと亡父を叱っていたが、結果的にはそうなった。

あのとき苦学をしようと決断したことが今を作ってくれている。

ありがたいものである。

人生の結果は他人(親も含む)に責任をおしつけるようなもんではなかったのだ。

自分で選んだのであるから。

 

ヾ(*´∀`*)ノ

 

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11月25日(日)のつぶやき

2018年11月26日 06時23分51秒 | とーま君の流儀2018
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一喜一憂することなかれ

2018年11月25日 07時49分11秒 | 精神のありかた

いちいち一喜一憂していたら、たまったもんじゃない。

人間関係の破綻とか、他人と言い争いをしたとか生きているといろいろある。

もっとも、言い争いというのは家人と一番数多くやってきたか(^_^)。

家人とは、垣根がないからである。つまり遠慮がない。わかってくれるはずという甘えがあるからだ。言いたいことは言い放題。聞きたくないことは急性の難聴になってしまうのじゃよん。よくまぁ、これまでの言いたい放題を許してくださっていたもんである。感謝。

しかし、他人との関係でいちいち一喜一憂していたら、もっとたまったもんじゃない。

ただ黙ってじっと耐えるしかない。

そもそもがである。人間関係なんて「ゼロ」から出発しているだけではないか。全部他人である。ボキだってそうだ。他人でないのは、ボキと亡父亡母、そしてボキの子どもたちと孫だけである。

他人に囲まれて生きているのだ。

そして全部「ゼロの関係」である。

損得勘定で考えていれば、他人に腹も立たない。

待てよ、ここで怒鳴ったらマイナスになると思っていれば良いだけである。損得勘定から言ったら、これまでつきあってきた時間も無駄になる。経費もそうだ。さんざん宴会なんかで、人間関係構築のためと自称して飲み食いしてきたのだ。それがすっかりパーになっちまうではないか。もったいないというものである。

あまり経済関係の思考スタイルは好きではないのだが、人間関係に関しては、損得勘定は重要である。

そして「淡々と生きる」ことである。

つまり、「威張らない」ことである。さらにある。

ゼロからの出発である。

おとなしく生きているに限りますなぁ。

 

今日は天気が良い。

相変わらずなにもすることがない。

図書館でも行ってくるか。歩いて。

 

あ、小学館版の徒然草が昨日AMAZONから来たから、教材研究でもやるか。千葉市のアルバイトも残り4ヶ月である。もう一生涯声がかからないだろうから、思い切って良い授業をやってみたい。それだからである。冥土への土産話にちょうどよい。

ヾ(*´∀`*)ノ

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11月24日(土)のつぶやき

2018年11月25日 06時25分47秒 | とーま君の流儀2018
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一言日記が一番難しいですね

2018年11月24日 07時45分27秒 | とーま君の流儀2018

一言だけを打鍵してみると、これがなかなか難しい。拙ブログのタイトルにもなっているけど。

しかし、短ければ短いほど、文章というのは難しいものである。

俳句が難しいのと一緒だ。

冗長というのが、ボキのブログには当たっている。

ただ長いだけであるからだ。

ま、これもまた惚け防止のためだと思うと耐えられる。

間違っても、自慢話だけはせんことである。

威張ったって、だれも聞いちゃくれないからだ。

図書館の人に、たくさん本を借りますねぇと言われた。

知人だからだ。図書館の関係者でもある。

で、ついつい歴史の会で論文めいたもんを書かせていただいているのですよと言ってしまった。水曜日のことである。

そんなもん知人には関係ないではないか。なんの関係もない。

立場とか、役職とか、ボキにはなんもない。

アルバイターでしかない。

年金生活者というのもあるか。肩書きとしては。そんなもん、掃いて捨てるほどある。名刺に刷っていたらアホかと笑われてしまう。

どうにもこうにも、世間から離脱していないようである。

しがらみなんて捨ててしまえ。

どうでもいいのだから。

マジに。

ヾ(*´∀`*)ノ

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/