どの健康法を信じるか【精神科医・樺沢紫苑】
一昨日ちょっとだけだが膝が痛くなった。家人曰く、歩きすぎだとのことだ。確かに。こういうときは、セーブするに限る。なにも歩くことの選手権大会に出るわけではないからだ。そんな大会なんぞあるわけもないが(笑)。
こういうときは、無理しないで休むことである。膝を痛めてまで、健康になる必要性はないからだ。無理は禁物。無理していると命を失ってしまうからだ。大学院の中退事件の大きな原因は、一気に無理をして学位を取ろうとしたからだった。あれを忘れてはならない。正規の在学年数(最小年数の3年)で博士になろうとしていたからである。あの体験があったのに、もう忘れている。
妄想があるからだ。一気に若返ってみたいとか、体重を減らしたいとか、博士になりたいとか、ジジイのくせして無理をしちゃいけないのだよん。なにをいまさらである。ちょっとだけ難しいことにチャレンジしていけばいいだけの話であるのだから。現状維持ではなくて、ちょっとだけ今より向上するというのを目標にしていけばいいだけである。
これを肝に銘じて生きていかなくちゃアカンですなぁ。
あせっているからだ。あせるというのは、オノレのこころに混濁があるからだ。純粋ではない。なにか別の目的があって、こだわりがあるからだ。こだわりを持つと、生き方を間違ってしまう。なんか別の人生コースに突入してしまう。こいつはよくない。
当たり前の人生を歩みたいもんであるからだ。普通と言ってもよし。自慢ばかりしていたいとか、他人をけなしてナンボの世界で生きているとだめになっちまうのだよん。そんなアホの世界に生きていちゃいけない。
そういう意味で、バイトは良いもんじゃ。今日も、一日やるけど、タノシミですらある。ボキのことなんか誰も知らないし、まったく新しい人間関係になるから楽しいのである。それに、拒絶されることから始まるからでもある。拒絶されれば、されるだけ新しい提案も提出できるからだ。これは楽しいものである。嫌われてもよし。相手にされなくてもよし。
どうせ人間なんてそんなもんだろうから。
今朝、起きたら膝はなんともなかったのであるが。
わははっはははっはははっはははっはははっはははっはは。
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【12分で解説】なぜハーバード・ビジネス・スクールでは営業を教えないのか?【営業は、拒絶から始まる世界一やりがいのある仕事】
朝、4時に起きて、5時にスタート。長女の子、つまり孫の小学校の運動会に行っていた。
7時ころ帰ってきた。
往復ボキの運転だ。疲れましたなぁ。
ま、こんな疲れなら大歓迎である。
いろんな意味で、子育て真っ最中なのだから、応援してあげるしかない。それにしても、全校体操でヤングマンをやっていたのは驚いた。これ、ボキも踊れるからだ。マジに。
学校の先生方も大変でございまするよ。
今日は、疲れてしまったので、これにて失礼。明日もバイトがあるので。
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なるほどねぇ。
然りなり。
経験上(笑)
夢を応援する家族、妨害する家族【精神科医・樺沢紫苑】
失敗したらどうしようと最初からたじろいでしまうのは、中退経験から来ているのはわかっている。63歳で大学院を中退してしまったのがトラウマになっているからだ。こっちは、それまでずっと通信教育でやってきたのが、この退学した某大学大学院だけは通学生で行っていた。国文学界ではかなり有名な憧れのM教授に一対一で教えていただいていた。幸せだったよん。院生仲間には、中国の大学で副教授をやっておられる方々もいた。かなり熱心であった。ボキも仲間も。脱落したのはボキだけだったが(笑)。
しかし、勝負を避けたということも言えますなぁ。病気になったから、それを言い訳にしている面もあるからだ。情けない。それに、大学院を中退してからは健康面にだけ注意しているだけであって、論文書きのペースは落ちた。所属している歴史の会に論文を投稿して、掲載していただいてきたけど、まだまだである。所詮素人であるから。
それにこの歴史の会は、半世紀もたっている千葉県屈指の会であって、所属メンバーには学芸員の先生方や大学教授も数多い。つまり専門家の集団である。だから、なかなかついていくことが困難なのである。しかも、今年からこの会を預かることになってしまったから、余計に始末に負えない。歴代の会長先生には、文学博士までおられるからだ。専門家中の専門家。ほかの役員の先生方でも著書がある方々が多い。
反して、ボキはなんにもない。だから、勉強したいと思うのである。必然であろう。周囲にそれだけ優秀な方々がおられたら、刺激されるからである。
しかし、ある不安がある。目のことである。白内障になったからだ。
でも、そんなの言い訳なのかねぇ。
あれこれとここに打鍵しているだけ、無駄か。
チャレンジしてみようと思っても、先に失敗したらどうしようと思ってしまうのだ。これはアカン。アカンたれである。
失敗したっていいじゃぁねぇかとなぜ思えないのか。一度失敗して挫折したなら、二度三度失敗挫折してもおんなじこったと思えばいいのだよん。
さっき、ドーハで行われている100メートルの競争を見ていて、そう思った。
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60歳以降や定年後の旅はこんな感じて企画すると生涯楽しめますよという話
【武田邦彦】絶対にダマされないでください!あの国連16歳の正体。日本でいえば"あの女性政治家"と全く同じ臭いがするのです・・
自分が成長するためには、ちょっとだけ難しいことにチャレンジすることだと、昨日拙ブログにアップした動画で知った。精神科医の樺沢先生のである。なるほど、現状維持ではつまらない。昨日のボキも、今日のボキも変わっていない。これはつまらない。樺沢先生は、ちょっとだけ難しいことにチャレンジしてというのを、勝負しろという言い方で表現されていた。なるほどである。やってみなくちゃわからないからだ。すべてのことは。博士にはなれなかったけど、ボキ、やる気だけはあったのだから(笑)。
ボキなんか、朝起きたら生きていてよかったと思うくらいである。夜のうちに死んでしまったら、朝起きられないからだ。
だからありがたく思う。そして、書庫の中にある線香に火をつけて、しばし目をつぶる。これが毎朝の習わしであるからだ。
しかし、成長していないなぁとは思う。みっともないオノレが、いるからである。他人になんにも自慢できるようなモンがまったくない。しょうもないジジイでありまするよん。
現状維持より、現状打破である。これでボケ防止になる。マジにである。
歩いていても、歩幅をちょっと変えたりしている。しかし、こいつがなかなか難しい。なにしろ時間が長いから(歩く時間)、継続しない。柔軟性も失われてきている。屈伸運動でも足が伸びない。ロコモティブシンドロームも怖いから、かなり気をつけているのだよん。NHKの今日の健康という番組でも、昨日やっていたから気にしているのだ。
楽しいことがなくなってきたらアブナイ。さらにある。食欲が減少してきたらこれまたアブナイ。歩いていても、後ろから来た人に追いぬかれていったらこれまたアブナイ。いばりたくなってしまったら、こっちもアブナイ。自慢話しかできないようでは、ジジイ失格である。ジジイの話なんか誰も興味を持ってくれるわけがないからだ。そんなもん。こっちの自慢なんかしないで、相手の自慢話を聞いていればいいのである。ふんふんと聞きながら、なんてまぁアホなことばかり言っているのかねぇと思っていればそれでよし。
要するに自分はそんなアホなことをしなければよいのであるから。
生涯学習を復活させたいと思っているから、いろんな資料を読んでいる。読んでいてハタと気が付いたことがある。それは、今やっている太極拳も生涯学習だったということである。退学した某大学で講座をやってくださっているから、すでに申し込んである。
気になっているのが病気である。病気になって中退したのだから。あまり根をつめるとろくなことはないからだ。
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【開成→東大卒が教える】現代文の勉強法 基礎編! 理解のための4ステップ
一昨日から始めたバイトが組織の理念としてかかげているのが夢育である。非常にいい言葉だ。making dreamともトップの名刺には書かれている。これだ。これを忘れておったよ、ボキ。
すべて後ろ向きの発想からはなにも生み出されない。そういうことにおおいに共感したからこそ、雇っていただいたのだ。ありがたいではないか。
ボキは、某大学大学院を中退して、夢を失ってしまったのじゃ。病気になって、16日間入院していた。だから中退したのだが、同時に夢を失ってしまったのだ。中退後は、リハビリをかねて老人大学に入学して、友達を作った。それはそれでよかった。旅仲間もできたし、居住地の老人たちと歴史の会で語りあったりしているから。
しかし、夢はなくなってしまった。
ううううううううううううううううううううううううううううううううううううううむ。
今度のバイトも学校関係だから、消費税実行の日にスピーチをすることになっている。studentにである。そこで、夢育、making dreamのことを話そうと思った。今朝である。歩きながらである。
ボキは、夢の実現のために、通信教育を核として生涯学習をやってきた。無駄だったとはちっとも思っていない。しかし、自慢しようとも思っていない。自分の能力のなさを自覚しているからこそやってきた。ボケないためにでもある。
だから成果がでなくても、それでよしとしてきた。家人からは道楽だと厳しく言われてきたが、自分の小遣いで生涯学習をやっている分には良いだろうと思っているのだ。
放送大学も通信教育だった。大学院で教育学を学んでいた。これもかなり勉強になったのだ。現役の教師だったから、役立った。
武蔵野大学大学院も通信教育だった。こっちも現役の教師だったから、これもまた役立った。役立ったどころか、老年学や死生学、ターミナルケア等々を学んでいたのだ。もう間もなくあちらの世界にいくのだから、こんなに役に立った学問はなかった。誰でも死ぬのだからなぁ。
残念なのは、最後の博士課程であった。中退したからだ。でも、夢を捨ててはアカン。今回のバイトでお世話になっている組織の理事長にそれを教えていただいたのである。
そして、そのことを来週10月1日に語ろうと思ったのである。若い人々は、夢を捨ててはならない。夢は作るものだからだ。創造と言い換えてもよし。
making dreamである。
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