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と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

6月29日(金)のつぶやき

2012年06月30日 03時45分35秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年
00:48 from gooBlog production
日本語ってなに?考えたこともなかったので goo.gl/oS7DK

22:20 from web
塾の夜なべ仕事終了。楽しいです。根っからのせんせなんですねぇ、アタクシ。国数英とやらせていただきました。国語は助詞。口語文法の助詞ですが、これってけっこう難しいんですよ。普段クチに出してしゃべっているからこそ、です。

22:23 from web
しかし、よくやるなぁ。殆どボランティアの仕事です。まったく収入なんか期待できまへん。もっともそんなつもりもなくてはじめたんだけど。そもそも、教育って限りなく無償の精神でないとできません。

22:25 from web
ま、一部のブルジョワこそ教育を受ける権利と義務があるとのたもう方も世の中にはおられるらしいですが。その点、日本は教育に関してまったくの平等だと思います。

22:26 from web
若い講師が、今日は感動的な指導をしておられた。

22:31 from web
全力でぶつかっておられる。いい! 実にいい! 若い講師は、技術ではナイ。全身で勝負しておられる。

22:33 from web
うらやましい。頑張れ、頑張れであります。両者ともです。こういう体験は買ってでもせよということを、感じました。いいものであります。教えていただいた生徒は、生涯の宝であります。

22:43 from web
明日から、三連ちゃんで集中講義を拝聴させていただきます。東京です。楽しみです。講師も一流の方。

22:46 from web
美学です。・・こんなことを書くと、またもやそんなことして何になるんだ?と罵倒されそうです。言わぬが花ですかね。

22:48 from web
行き帰りの電車では「古語拾遺」を読むつもりです。今日、自宅にAmazonから来ていました。今、スタディしている分野でおもしろそうなのがあるらしいんです。知らなかったです。まさかでした。

23:52 from gooBlog production
世の中は儚いです・・地井武男さんが亡くなって blog.goo.ne.jp/tym943/e/b8230…

by tym943 on Twitter
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儚さ

2012年06月29日 23時47分26秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 平家物語を読むのが好きである。

 なぜか。敗者の論理が実に哀れでならないからである。平家の人々の空虚さというものは、底知れないものがあるからである。政治に関わるとこうなっていくという見本のようなものである。現代でも、なんだか知らないが、きな臭い動きがあちこちで展開されているのを見ると、本当に方丈記の鴨長明のように、隠棲したくなってしまう。

 それが、愚生の弱さであり、限界なんだろうけれども。

 それにしても、ニンゲンナンテ、ずっとおなじことの繰り返しで、歴史を作ってきたんだろうなぁと思ってしまう。

 今日も、能楽の源流をいろいろと文献で探っていたのだが、やればやるほどこの現代と変わらないことをご先祖様達もやっていたんだなぁと思うからである。今日は、ちょっと息抜きに春日大社の写真付きの本を城国大図書館から貸し出しを受けて、興味のある分野をコピーさせていただいていた。繰り返し言うが、隠棲じゃなくて院生は無料である。当然、、愚生の研究テーマが、能と唯識である。南都仏教の研究も当然そこには入るからである。それよりも興福寺関連の資料をあたっていたら、春日大社と若宮が出てきたから、ちょっと調べ始めたのである。なんでもある本学図書館である。だから入学をさせていただいたのであるが、あるものは有効に、全部シャブリ尽くさないと申し訳無いではないか。本学の先生方にである。

 

 さらに就職してから冷房というものに全くご縁がなかったので、本学院生となってから、実に快適なのはこちらがびっくりした。こんなにも快適に読書ができるとは、仏様でも気がつくめぇである。

 

 今までなんだったのだ?校長室ですら、冷房なんて無かったし。これって、世間のヒトは全く知らないでしょうけれど。(^0^)/ウフフ

 

 もっとも冷房装置の中で、校長ヅラしていたら、母校を作ってくださった上杉鷹山公に叱られるですねぇ。馬鹿が!って。心頭滅却であるぞ!と。

 

 暑い時は、暑いままがいいのである。しょうがないじゃないかと思う。これって、けっこう心理的な安定にもつながる。たとえは悪いが、じょせーにモテないって悩んでいるわこうどにも申し上げたい。もてないときは、もてないママでいいんである。しょうがねぇではないですか。そんなんで、悩んだって。いつかきっとあんたを理解してくださる天女のような方が現れます。(そもそも天女を期待しているというその精神構造が気に入らないけど。そんなものいないでっせ)

 そうでなかったら、潔くあきらめましょう。それでいいんです。暑いのも、しばらくすると暑くなくなります。しのげばいいんです。世間万端。コツでありますよ。このことは。

 

 あきらめるというのは,断念するということではない。物事の本質がわかるということ。それがわかれば、なんも焦る必要はない。だって、現代は略奪してまで、結婚相手を捜す時代ではない・・・おっと、ここまで書いて「あ、しまった」状態。略奪というのは、戦(いくさ)を想定しているから。略奪コンなんとかって、普通に世間一般にはあるんでしたねぇ。スポーツ新聞には、そういう事例がたくさん出ていましたっけ。つい最近も。有名な歌手の記事が。

 

 戦(いくさ)の時代だけは来ないように祈るしかないですケド。

 

 

 

 ジョンや、ジョンと毎日のようにご老体を撫でているが、老犬の「ジョン」が持ち直している。

 一時は、危篤状態になって、ほんとうに心配した。もう17歳である。いつ逝っても不思議ではナイ。それでも、死んで欲しくないのだ。マジにである。こんなに憎たらしい犬もいないんだけど。

 だって、飼い主の愚生にまで何度も噛みついたんである。あふぉ~かと随分叱ったんだけど、ちっとも反省しないのだ。ソフトバンクのCMに出てくるカイ君よりも前から生きているし、白い体に赤い首輪はカイ君よりも前から「ジョン」のトレードマークだったのだ。

 近所の方々も、「ジョンや、ジョン」と声をかけてくださる。朝晩の散歩もすこしできるようになってきたのだが、近所の方々が心配して出てきてくださるほどだ。ヨレヨレと、あっちふらふらこっちふらふらと歩いている姿をみると、まったく涙が出てくる。オイラももうすぐこうなるのだという思いも当然ある。

 他人事ではないのだ。

 誰だって、こうなるんだから。

 身をもって老犬ジョンはそれを、愚生に教えてくれているんだ。そう思うことにしている。菩薩である。菩薩がジョンに変身して、オイラに教えてくださっていると思うことにしている。でないと、止めどなく涙がでてくるのである。死は、オイラにもジョンにもあるからである。

 それでも別れなければならないのである。

 死は、オイラとジョンを永遠に離れ離れにしてしまう。愚生は生まれ変わりを信じないから、そう思うしかない。

 

 永遠の関係性なんてないのである。夫婦だってそう。死は関係性を遮断する。そうした時に、どう受け止めるか。それが死生学である。

 俳優の地井武男さんが亡くなった。愚生の長女の母校の顔でもあった。確か、その高校のある土地の名誉市民をなさっていたのではあるまいか。儚いものである。


 平家物語も儚さを教えてくれる。

 たまらない世界です。



 お休みなさい。明日は、二番の電車で東京に行きますので。


 

 

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にほんごといふもの

2012年06月28日 22時17分37秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

1 はじめに

 日本語の特質について、愚生なりに考えてみろと言われて、ハタと困ったのである。確かに、これまで37年間も国語の教師としてやってきた。しかし、知識として日本語をどうとらえていたたのか、あるいはまた経験上、日本語が母語であるが故に、真剣に考えてこなかったという反省がある。特に、外国語文化圏から見た日本語の特質となると、まったくお手上げである。なぜなら、そもそも外国語ができないからである。

 語る資格がないということであろう。

 外国語ができないのだから。

 それでもこのブログに書き付けてみようと思う。

2 日本語の特質 

(1)公用語としての側面

 日本語というのは、希有な存在であると思う。なぜなら、基本語が一つであるからである。中国語は、北京語があるが、地方によっては非常に違う言語のようだと聞いたことがある。インドは、公用語としてヒンディー語、準公用語が英語、その他に地方公用語が17あるとのことである。

 日本語では東京弁が標準語と呼ばれている。東京弁もまた、方言の一種であり、関西弁とか博多弁、東北弁と変わらない。もっと言えば、江戸時代からの人口流入による各地方の混合された言語が東京弁であると言ってもいいと思う。これが明治維新によって、政治のあるいは権力機構の中枢がますます江戸に集中したために、政策的に作られた言語であると私は考えている。

(2)日本語は4種類の語種で構成されている

 日本語は、漢字・ひらがな・カタカナ・ローマ字で構成されている。

 文字の系統としては漢字圏に属しているから、中国系の言語であるかというとそうでもない。それはひらがなの存在があるからである。発音の面からひらがなを見ていくと非常に興味深いことがわかる。それは、原則として母音で発音が終わるからである。「a、i、u、e、o」のどれかで終わる。また、ヤ行とワ行は半母音と呼ばれ、その他は子音と呼ばれている。例外的に「ん」は、母音ではないが、英語のように子音で終わるということはない。

 漢字があるというが、日本語における漢字というのは、それほど多数存在するわけではない。常用漢字というのがあって、1945字程度、その他ひらがな、カタカナ、ローマ字全部を入れても2100字程度で文章が書けてしまうのである。これだけでいろいろな文学作品や、言語体系が成立しているというのは考慮に値する。本来大修館の大漢和辞典で親字が5万字である。康煕字典至っては、49,030字、そして、日本で歴史的に作られ使われてきたいわゆる国字、地名、人名に用いられてきた異体字も含めると、8万字。略語や記号類も含めると、おおよそ約10万字である。常用漢字の漢字は意外と少ないのである。

 また、漢字でもって新しい単語を作ることもできる。また、カタカナやローマ字で、外国語をそのまま持ってくることも可能である。外来語にも柔軟に対応できる。さらに、擬音語、擬態語、擬声語を自由自在に創作できるのである。

 漢字が日本語に与えた影響は大きい。ひらがな、カタカナは漢字から派生したものであるし、その影響は大きい。しかし、それよりも文字文化になる以前から、日本語には「和語」と呼ばれる言語が存在していた。日本古来の言葉である。これを表記したのが、万葉集などに見られる漢字を用いた万葉仮名である。和語をそのまま音を用いて、漢字で表記したものである。これが大きな日本語の特徴であろう。

 ところが日本語学習者にとっては、日本語の4種類の語種というのは大きな障壁になるだろうと思われる。母語を外国語としておられる方々で、日本語をほぼ完璧に扱うことができる本学大学院の博士課程在学者を見ていると、そもそもそれだけの学習に対する意欲と、能力に畏敬の念を抱かざるを得ない。それほど学習が困難であると感じる。

(3)日本語の文法の特色

 日本語の文法の特色を外国語と比較しながら考えてみると、いくつかの傾向があることが理解できる。最初に、「人称による動詞の変化が少ない」ことがあげられる。例えば、英語では一人称の「I」と関連する動詞と、第三人称の「He」に対応する動詞では、「動詞+s」がついたりする。

 二番目には、名詞に複数形は存在するが、文法には影響しない。女性名詞、男性名詞の変化もない。言葉としてはあるが。これはフランス語などとは違っている。

 三番目が、文の終わりまで聞いたり、読んだりしないと結論がわからないということである。文末に動詞がくるのである。これも英語と全く違う。

 四番目に、連体修飾語が名詞の前に来るのが基本である。「黄色い服」のごとくである。

 五番目に、時間表記、場所、宛名、姓名等々は大きい方から書いていく。2012年6月28日とか、千葉県船橋市**のごとくである。

 六番目に、敬語表現が非常に煩瑣である。時と場所、あるいは登場人物の関係で全く違った表現をする。できないと、社会的マナーの欠けている人間というレッテルまで貼られる。

 七番目に、数詞の読み方が非常に複雑である。一つという概念を表現するのでも、一個、一本、一回、一枚、一匹、一丁、一坪、一口、一合等々、敬語表現と同等の複雑さである。

(4)日本語の表記について

 日本語で用いる漢字は常用漢字にある漢字を使用するのが原則である。範囲外にある漢字は、言いかえるか、カタカナを使用したりする。

 次に、常用漢字以外、あるいは特殊な読み方の場合はルビを振る。固有名詞、栄典、称号、官職名、文芸作品、美術品、映画、歌謡曲、古典芸能、学術用語等々である。もっともこれは最近の傾向としてはあまり守られない。

 三つめには、連体詞、感動詞、助動詞、補助動詞、形式名詞、接尾語等々は原則としてひらがなである。意図的に「なり」を「也」と書く場合もあるが、その場合も時と場面が異なってくる。

 四つめは、外来語や中国・朝鮮を除く外国の地名はカタカナが多い。ただし、西洋・米は例外的にそのまま外国語の表記を用いる場合もある。

 五つめは、接続語、副詞、代名詞等々は原則としてひらがなが多い。

 

 もっとも面白いのが、たった一字で意味を了解することができるというのが、日本の特質であろう。あるいはこの場合は漢字文化の恩恵を受けていると言った方がいいのだけれども。例えば、「火」である。この一字で理解できるわけである。漢字だからである。しかし,英語ではそうはいかない。「fire」と書かなくてはならない。英語は27文字しかない。しかし、その組合せによっていろいろと意味も文章も違ってくることは、むしろ日本語の特色でもある。

 まだまだこれからの課題である。

 

 

 

参考文献 金田一春彦 「日本語(上)(下)」 (岩波新書)

 

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ふうう

2012年06月27日 23時38分59秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 今日は、もうひとつの記事をさっきアップしたのだが、随分肩の凝る記事を書いてしまった。能のことを、ノートがわりに書いているんである。(能 能と=ノート Oh Noh だじゃれのつもりです) あるいは唯識を。今日一日隠棲室でしゃかりきになって、カードをとっていたのだ。

 なんてったって、愚生は日比谷高校のような「シティボーイの都会性」と「強烈なエリート意識」と「小市民的なエピキュリズム」に「文学的ミスティフィケーション」なんていうものはまったく持ち合わせていない。(当たり前だ) 

 さらに、ひねくれているしなぁ。遅いんですよ。読書も記憶も。 (^0^)/ウフフ

 たまにはいいか。あんな小難しい記事も。と言いながら、ノートの代用品書庫には、まだまだ書いていくつもりだけど。どうせ、愚生の記事なんぞ、このブログの背景のような居酒屋炉辺談話風の雑談でしかないからである。なんということもないんだけれど、昨日のアクセス数にはたまげた。660を超していたのだ。ありがたいが、これは要警戒である。

 アタシャ、アクセス数が伸びたからと言って単純に喜ぶタイプではナイ。もしかしたら、どっかで炎上している可能性もあるではないか。こんなつまらんブログを読んでくださる方は、ほんの一部の方しかいないだろうと思っているので。だから、少数の読者様に感謝しているのである。

 想定内読者様、そう、あなたも、そこの君も、あっちのそなたさまも、こっちのこなたさまも大切なんですから。(^-^)/

 ホンマに。

 

 さて、最近困っていることがある。オイラの風貌を見て、挨拶される方が本学におられるんである。学生も、先生方も、職員の方もである。違ってます。アタシャ学生なんです、と大声で叫びたい。(^0^)/

 大学院の事務室の職員はアタシのことを知っているから、これはこちらからも挨拶をします。しかしである。見ず知らずの方にされる機会が徐々に増えているのだ。基本的に知らない方と、さも以前からの知り合いのようにクチをきくのは苦手でして。そりゃ、ちゃんとあいさつのお返しはしますよ。

 もしかしたら、もしかしてである。愚生のことを学生だとは思っていない方がおられるのではないかと、はたと気がついたのである。今日である。清掃専門会社の社員の方にもあいさつされたのだ。これって、かなりの勘違いである。オレは学生なんです、あいさつはオレの方からしなくちゃいかんです。いつも学校をきれいにしていただいてありがとうございますって、である。

 学内の売店の職員の方も、「先生ですか?」と聞くので、買い物もできない。あああああ、オイラ学生なんですぅ。髪の毛はアタマに一本も無いケド、ほんまに学生なんです。しかもこの間入学させていただいたばかりの、新米、新入生です。本来なら先輩がたの地獄の特訓に堪えなくちゃならんのです。もっとも、こんなの誰も相手にしれくれへんですがね。

 

 困ったものだ。何千人という多くの学生がいるんだから、オイラなんか吹けば飛ぶような将棋の駒もいいところではないか。そっと片隅で生きているだけの、学食唯一の楽しみの、老僕的存在のじじいでっせ。お願いだから、そっとしておいてほしいのである。

 千葉科学大学なら話は別である。あっちではせんせだからである。なんと、ネクタイまでしているんだから笑いますなぁ。へん~しんである。

 しかし、城国大ではリッパな(?)学生さん。学費だってちゃんと払っているんです。学生証も、写真はじじいだけど、ちゃんと持っているんです。カオも性格もかわゆくないのが、たったひとつの大きな欠点ですが。(^-^)/

 

 ま、学力劣等で城国大を放出される可能性も十分あるから、オイラはそれを避けるべくして、オオイニ勉強しているつもりだけども。実績もぬかりなく積んでいるつもりであります。他の大学の学会誌に掲載可能になったし、今のところは順調であります。もっとも、横山紘一師にはその辺はいろいろ言われましたが。自覚はしております。そもそも、これから出世するわけもないし、一端リタイアしたんだから、静かに余生を送りたいもんである。そのつもりであるから、なんの悩みもないんである。ダメだったらダメで仕方ないしねぇ。そもそもそんなの(実績とか)、他人が評価するもんドス。これまでも、世渡りは実にへたくそだったなぁ。これからも、ね。

 そもそもシティボーイではないから。日比谷高校的な知性もまったくないし。あんなこと書いたら殴られるような、ちょ~田舎の人間だしねぇ。

 今でも、東京の山の手と称するところには反感を感じてしまいます。だって、オイラ庶民だもの。だから下町で、新聞奨学生として苦学させていただいた時は、下町の方々の温かみは忘れられないんです。本当に、感謝申し上げます。こんな、東北の山奥から出てきた熊みたいな男を、激励してくださった方々がたくさんおられたのだ。集金に行くと、あ~た学生だってねぇ、ハラ減ってないかい?ってお菓子くれたヒトもいたっけなぁ。ホンマにありがたいっすよ。思い出すだけで、もうウルウルになっちまう。

 いたところは、あの有名な葛飾柴又の隣町の金町。

 いいところでした。人情味があって。

 

 

 また明日!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「大和猿楽考」の部分読み

2012年06月27日 23時23分03秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

能楽源流考を読む 和猿楽考」部分読み (pp.253-322



 今日も、ずっと読書感想文を書いていた。

 なかなかまとまらないが、若干のヒントもあった。

 やはりにらんだとおり、キーワードは興福寺である。

 奥行きも深いが、幅も広いのである。

 これでは大衆の人気があったと思うのである。

 そして興福寺がなんの教義を持っていたのか。それがヒントであった。

 以下にノートとしてまとめてみる。



 

 安時代の大和猿楽についての記録が殆ど無いということはまことに残念なことであるが、観時代の薬師寺猿楽については東大寺要録所載がある。

 た、日若宮時代には、初の保延時代からすでに猿楽が参勤していたことが、宮祭礼記に出ている。楽の咒師と思われる者が、寛の頃には般若坂下に住んでいた。こは重大なの歴史があって、師の起源を考える上で欠かせないことの一つである。

 和猿楽の重大な行事は、院の行事に出勤することであって南都諸大寺が階級者に対して絶対的な支配権を持っていたということとの関わりを無視してはならないことである。さらに、都大寺院は、民猿楽者の保護者でもあった。

 福寺と日社の猿楽は、薪猿楽であって、勢今朝次は興福寺修二月会に参勤の咒師猿楽に源を発しているとする。(p.254

 先人の研究としては、田東伍博士の研究がすべての基礎である。

 田博士は、能は薪宴タキギノエンの遺風であるとされた。朝廷献薪の風を興福寺において摸し、福寺より河上、室、の両宮に上分を進め、の際に列参・歌舞をなし、れが祝祷の意を持つにいたって薪宴となるとされた。

 かし、薪宴の薪が興福寺の寺家から、上、室の両鎮守に献ぜられたとするが、福寺の西金堂の本尊は光明皇后の化身であるとすることで、吉田説には若干の不安がある。

 の宴は朝廷の御籠木を摸したものとするのも不安がある。時日の点である。れは、廷の献薪はすべて正月十五日であるのに対して、福寺のみに限って二月の三日なのは何故かという問題があるからである。

 勢碩学は、「宴は興福寺の東金堂および西金堂の修二月会に用いられる薪を迎える儀式である」とされる。(p.262

 の薪迎とは、二月会行法に用いる薪を東西両金堂に迎える儀式である。西金堂は、上より列参させ、金堂は氷室より行列を立てて練り込む。材は花山にこれを求めたものである。すると、故河上や氷室に集合するのかということが問題となる。れは、西両金堂の地主神であるが故にである。まり地主神から興福寺に納めるという形になるわけである。

 薪迎は、福寺に限って行われたものではない。大寺も同じである。

 

 猿楽は、二月会参勤の猿楽であるとするのが吉田説であるが、猿楽が薪宴の風俗歌舞に起因するというのは能勢博士は間違いであるとする。(p.265

 「教訓には、西金堂は基駒を謡い、金道堂は風俗の大島を謡う。楽は、舞の代用ではないとする。

 うすると薪猿楽はなにによって発生したものであるか。このところが非常に関心のあるところである。

 勢博士は「正月会、二月会と咒師の関係から猿楽との関係から解明できる」とする。(p.266

 正会に咒師や散楽が参勤したとは書かれていないが、咒師は参加しているのである。れが重要である。咒師は僧侶であるからだ。ころが、福寺では修二月会に咒師や散楽が参加しているのである。

 こに興福寺の大衆性を示す好例がある。

 長七年、まり教訓抄の天福元年の二十二年後に、実に愉快な事例が書かれている。「春日若宮神主祐茂記の同年二月六日の記に、小便を春日社でしたこと、たがってそれに対して、祓いをしたことの記述が見える。

 西両金堂を離れて、興福寺南大門に薪猿楽が移されて、衆がこれを見物できるようになってからで、このところに宗教性のさらなる拡大があったと私は思っているのだが。「興福寺諸堂伽藍記や興福寺の「徒記録をもっと精査してこれから読みたいと考えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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平家物語を読んでいると

2012年06月26日 00時49分38秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 昨日は、またまた東京の紀尾井町というところにある本学のキャンパスで、平家物語講座を拝聴させていただいていた。ほんとうに毎回、毎回のことであるが、無知を自覚させられる。こんなことになるんだったら、高校時代にもっともっと古典や漢文の授業に身を入れておけばよかったという慚愧の思いになる。所詮、愚鈍の固まり「と~ま君」である。後悔は後から後から沸いて出てくる。

 しかしである。平家物語を読んでいると、まったく今の政治状況と変わらんなぁと思う。なんだか今日もきな臭い。どうなるんだか。千葉県選出の首相だからという論理では相当おかしいのはわかっているけど、なんとなく期待していたし。

 ま、このなんとなくというのは、愚生のような一般ピープルには特性なんでしょう。日本語しか話せないし、米を食べて健やかに成長させていただいたし、原発がおかしくなっても、津波が来ても、どこにも逃げていくあてもないんだし。この狭い日本という土地にずっと住まわせていただきたいんである。だから、これから日本はどうなるかについて興味を持っていきたいと思っているのだケド。あくまで、戦争だけは避けたいもんであると心から思っているんだが。なんだか、きな臭いでありますなぁ。よくわかんないですがね。政治のことは。

 講座の後、横山紘一先生の「唯識・仏教辞典」を神田の書泉グランデで購入した。大枚、一万円である。わぁお~とめがねがずり落ちるほどのショック。でも、買うしかない。年金生活者になってから、書籍購入の金額ががくんと落ちた。かなりの低レベルである。サンスクリットの説明もされていて、これまたすばらしい。さすが東大の印度哲学はものが違います。

 高校の時に倫理社会で東大の印度哲学を出られたU先生に出会わなかったら、愚生は、ここまでのめり込むことはなかった。歌手の小椋佳さんも、東大法学部から、文学部、大学院修士で印哲をやっておられる。モノが違うけど。とんまのと~ま君とは。

 そういえば、この間、退職の挨拶ということで、高校時代の同級生でT女子大の教授をやっているのに℡したら、「まだそんなことをやっているんか」と言われた。(^0^)/ウフフ

 そうなんです。真実一路。真実かどうかは別として、一路であることは間違いがない。これしかできなんだしねぇ。

 昨日は小侍従のことを平家物語講座でいろいろ教えていただいていた。こんなに詳しく教えていただいたのは、初めてであった。そして、小侍従と和歌のやりとりをしていた藤原隆信との話は、実に興味深いモノがあった。老いのわびしさのごときものが書いてあったからである。なにしろ、小侍従と言えば、モテた女性である。だからなんだと言えば言えるのだが、アタシャそういう話には先天的にダメなんである。だって、まったくご縁がございませんから。平家物語に登場するとしたら、野蛮な比叡山の僧兵で、クチのききかたも知らないという暴徒でしかないんでしょうからね。

 だから、雅な京都風というのにかえって憧れてしまうんですかねぇ。まったく少年のように、京都の美しい庭で、琴とか茶を点てておられるニョショウを拝見すると、感動してしまうのだ。やはり、日本的な趣向には和服が似合う。まかり間違っても、妙ちくりんなミニスカートとか、足底30センチもあるようなぽっくり的サンダルではない。このあたりについては、かなり現代女性に対して文句があるんだけれど、書かない。どっかで叩かれたらしょうもないので。

 今は、ひたすら静寂の境地を生きておりまするので。(ホントか?)

 

 今日はまたまた隠棲室で、唯識の情報カードを作成していく。さらに、能の源流を探っていく。能勢先生と林屋先生の両巨頭の書籍を読み上げなくてはならん。かなり遅れている。そもそも亀のような歩みであるから、遅いワケだが。

 もっとある。日本語の特性について、オノレはどう考えるのかというA4で2枚のレポートも仕上げなくちゃならん。一枚40行という指定であるから、その2倍の80行だ。仕込みはしてある。あとはさくさく書くだけだ。もっとも、ブログのように書くといかんから、そのあたりは配慮するけれども。

 家のゴミ出しも終わった。草取りも終わった。11:15分の電車でのろのろと、またまた出かけるのである。楽しみである.実に楽しみ。ただし、京都とは違って、和服を着ている人はまったくいないが。

 

 今日も一日爽快に過ごさせていただきます。

 ありがとうございます、であります。

 

 

 

 

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師を持つということ

2012年06月24日 23時56分38秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 師を持つということは、実に幸福なことである。それは、私に関して「こいつはナンモ知らない」ということを知っている人=師との出会いから始まるからである。

 「オイラは、ボクは、ジブンは**ができる」ということを量的に拡大していくことが教育なのではない。むしろ私は**について知らない、**についてできないという事態を適切に言語化していくその仕方を学ぶことが教育なのである。

 だから師が必要なのである。師とは、成長の過程で最初に出会う他者である。私の知識も、経験も、理解も全部を超越したところの知的環境の中におられるという方が師である。師事するということは、そういうことである。

 したがって、師事をするということは、自分の不能・半端な知識・能力の無さを謙虚に受け入れて、そのこと自体を語ることができるか、できたかということである。うぬぼれて、お高くとまって周囲の人々を、あふぉ~扱いにしてオノレだけが価値ある人間のように考えていてはならんと思うのである。

 ところが、学級崩壊とか言われて久しいが、こういう現象の中には、師を持つことのできない種類の人間がいるのではないかと思うのである。同一ジャンルの情報量の拡大と、緻密化以外に、知的な世界というのはまだまだあるということに考えが及ばなかったという悲劇のヒトである。保護者も含めてである。師を持つことができなかったというのは実に痛々しいことである。見ちゃおれないくらいである。師を持つことができなかったから、モンスターペアレンツになってしまったのである。その証拠に教師が馬鹿に見えて仕方がなかったんでしょう。少なからずである。師を持つ気が最初から無いのである。どこまで傲慢なのであろうか。カミのようになんでも知っている、知っていらしゃるのであろうから。完全無欠なんていう人間なんているわけないでごじゃりますよ。だから、自己の知的な謙虚さを無視してはならんのであると、不完全で愚かなアタクシは思うのである。

 先日、あの有名な日比谷高校の全盛期を過ごした方のエッセーをインターネットで拝読した。どうやら同窓会のような組織への投稿らしい。愚生と同年配の方々なら、どれだけ凄かったか知らないひとはいないだろう。殆どが東京大学にあたりまえのように入学していった高校である。

 その方は、日比谷の雰囲気を「シティボーイの都会性」と「強烈なエリート意識」と「小市民的なエピキュリズム」に「文学的ミスティフィケーション」と書かれている。これはその辺の地方進学校が書いたら、殴られるような要素である。しかし、日比谷なら嫌みにはならない。あってしかるべき日比谷のミッションであるからである。どうしたって、エリートは必要であるからである。

 さらに、日比谷では、まじめに受験勉強をすることが禁忌だったという。「勉強しすぎたせいで成績がいい生徒」というのは、日比谷高校的美意識からすると「並みの生徒」でしかなかったからだと言われる。試験直前まで、体育会系のクラブでアセを流したり、フランス語の詩を暗唱したり、それでも日比谷で抜群の成績を取るような生徒が周囲のリスペクトを獲得したのである。

 日比谷的秀才と言うのは、僕らはなにも深いことなんか考えていませんよ、なんとなく周囲に合わせて気楽にやっているだけなんです。成績なんて気にしたことないですよというスタイルをとっていたのである。それも感じよくアピールするのだそうだ。所詮、旧制帝大に50人以下ぐらいしか進学できない自称地方進学高とはワケが違うのである。これはシビアなのである。だから、オレのところは進学高であるなんて言っちゃいけないのである。マジに。

 嫌みな学校であるととるか、さすが日比谷であるととるか。愚生は後者である。そういう秀才ばかりに囲まれていると「原器」となる模倣したくなるような生徒が出現する。感じよく、あくまで謙虚で、そっと勉強をしている。目が血走っていない。そしてあれよあれよという間に、日本を背負って立つようなポジュションを獲得していく。

 それもまた「師」なのである。だから、日比谷のようなスーパー進学高というのは強いのである。

 またいつものとおり前振りが長くなった。シティーボーイではないちょ~田舎人の愚生である。さらに非スマートだからできることばかりを追求して来た、凡人「と~ま君」である。お許しを。

 なぜここに書いたようなことを思うか。

 それはよって来るところの「自分」とは何かという考慮をなさずして、成長してきてしまったのではないかと思うからである。アタシもヨソの人もである。全部自分が基準で、自分のことしか考えず、就職や進学のみがすべての価値に優先すると勘違いをしてきたからである。それでは自分とは何か。その問いに愚生なら、「自分なんて無いとしか答えられない」と思うからである。あまりにも、自分・ジブン・jibunというモノに執着して、迷いつつ過ごしているのがアタシもヨソの人も多すぎると思うのである。

 それは他人に対してもそうなのだ。

 何をもって他人はアタシのことを「と~ま君」というのであろうか。目か、ハナか、耳か、眉か、めがねか、髪の毛か。しからば愚生のように髪の毛が一本も無いのはどうするのか。人間を規定しているものはなんなのか。是非とも自称天才・秀才の方々に教えていただきたいことである。

 時々冗談のように言うが、美人が美人に見えるというのは何をもって美人というのか。なんの根拠もないのではないのか。

 昨日は、唯識学の碩学横山紘一先生に少人数で講義を受けていた。仏教心理学会であった。東京である。そして、一献の美酒を通して、夕方さらに教えをいただいていた。愚生の知らないことを、師に方向性を示唆していただいていたのである。知らないということを表明するから、師は愚たる自称弟子に教えてくださるのである。そこには、「知」か「無知」かということについての、対話があるのである。それこそが、師を持つことの幸せである。

 時々言われることがある。「何が不満で、そんなにあちこち学校に行っているんだ?」と。 え?って聞き返すことがある。学校って、不満のはけ口で行くところなんですかねぇ?と。上昇志向というか、何かもっと収入のいい仕事をしたいとか、高次のライセンスを取りたいとかというのが、およそ一般的な進学の動機だからだそうだ。ホントかねぇ?そんなもんで進学するんですかねぇ?それって、アメリカ的ビジネスマン的な、エリートを想定して言っているんじゃないでしょうかね。アメリカのような文化が全てにおいて優れているとは、到底オロカナル愚生には思えないのでありますが。(^0^)/ウフフ

 「道楽ですよ、道楽」と申し上げると、「まだ不満の段階に達していないからだね」と言われることがある。これまた、え?って言ってしまう。道楽で勉強していてはならんのだろうか。趣味で。好きで。

 動機がなければ、学校に行くはずがないと言われる方は、日比谷高校的知性というのをどう考えられるのであろうか。

 どうでもいいような話ではあるが。もっともどうでもいいんだったら、こんなモン書くんじゃねぇってお叱りを受けそうだが。それでも愚生は反論なんか一切いたしません。だって、オイラとは考えが違うんですからね。それを説得しようなんて気はさらさらありませんから。だから、拙ブログに何を書かれても、一切反論しないのであります。もっとも、コメントをいただいても、掲載するかどうかについてこちらに選択権がある以上は、ショウガナイのでありますが。

(^-^)/

 

 

 

 

 


 

横山紘一先生である。弟子を僭称させていただいている。




横山 紘一(よこやま こういつ、1940年 - )は、日本仏教学者。唯識塾塾長。立教大学文学部名誉教授。鹿島神流師範。

経歴 [編集]

著書 [編集]

  • 唯識思想入門』(第三文明社[レグルス文庫]、1976年(昭和51年))
  • 『君はなぜ生きてるか』(渓声社、1976年(昭和51年))
  • 『唯識の哲学』(平楽寺書店1979年(昭和54年))
  • 『仏教思想へのいざない』(大明堂1984年(昭和59年) → 大法輪閣、2008年(平成20年))
  • 『唯識とは何か』(春秋社1986年(昭和61年) → 2005年(平成17年))
  • 十牛図の世界』(講談社1987年(昭和62年))
  • 『十牛図・自己発見への旅』(春秋社、1991年(平成3年) → 2005年(平成17年))
  • 『わが心の構造』(春秋社、1996年(平成8年) → 2001年(平成13年))
  • 『「唯識」という生き方』(大法輪閣2001年(平成13年))
  • 『やさしい唯識 心の秘密を解く』(日本放送出版協会[NHKライブラリー]、2002年(平成14年))
  • 『争はいやだ!!「雨ニモマケズ」の理念に生きる』(共著:田中治郎、佼成出版社、2006年(平成18年))
  • 『十牛図入門 「新しい自分」への道』(幻冬舎新書2008年(平成20年))
  • 『唯識でよむ般若心経』(大法輪閣、2009年(平成21年))
  • 『唯識入門講座』(大法輪閣、2010年(平成22年))
  • 『唯識仏教辞典』(春秋社、2010年(平成22年))
  • 阿頼耶識の発見 よくわかる唯識入門』(幻冬舎新書、2011年(平成23年))

Wikipediaから

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ジョンや ジョン

2012年06月22日 23時25分05秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 内田百先生のことを記事にしたことがある。拙ブログで。たわいもないことを書いてみたことがあった。(たわいもないのは、いつもどおりだケド) 

 しかし、ある意味、あの百先生の仏頂面というか、なかなかのツラだましいというか、漱石門下、天下の大秀才。東京帝大独文科卒。目もくらむようなインテリ。媚びない、群れない・・・要するに愚生の好みなんである。

 その百先生の文庫に「ノラや」(中公文庫 105円の中古本)があって、このところ楽しんで読んでいたのである。まさか、あの百先生が猫が好きでたまらん先生であったとは、気がつきませんでした。

 ふとした縁で百先生、家で猫を飼うことになる。むろん捨て猫である。その様子も実におもしろい。かわゆくないようなふりをしながら、ホントは気になって気になって仕方がないっていう雰囲気が伝わってくる。

 ところが、ある日突然ノラは庭の茂みから消えてしまう。野良猫であった「ノラ」。ついで居つきながらも病死した迷い猫のクルツ。

 愛する猫のために、新聞広告から英文チラシまで作り、配布。これだけ情熱的にできるもんであろうかと思います。

 「ノラや、おまえはどこへ行ってしまったのか」と涙が止まらない老百先生。九州に仕事がらみの旅行に行っても、寝台車の中で、枕をぬらし、「ノラ」を想う先生。時代が時代だから、JRの旅ものろのろである。しかし、この時代のJRの旅って、いいなぁ。いろいろな駅に停車して、待っている時間もたっぷりある。駅弁を買ったり、駅構内のバーでおいしいバーボンか何かを含みながら、雑談をする。これもまた良し。乗り継ぎがあったからこそ、松本清張のミステリーも成立したんだろうしねぇ。

 山形新幹線ができる前に、愚生は故郷の山形に帰省するとき、今で言えばアテンダントと言われるかたにお世話になったことがある。女性だった。けがをしていて、本当にお世話になったのである。カットバンをいただいたのであった。いただいただけでなく、貼っていただいた。ありがたや、ありがたやである。世の中には親切な方もおられるのだ。なかなかできへんことであります。

 山形も近くなりすぎて、困っているのだ。東京を起点とすると、銚子よりも時間的には早くなってしまったのだ。風情もなんもありゃしない。昔は、米坂線というのがあって、スイッチバックで機関車があえぎながら上ったのだった。峠という駅で(駅名もなかなかいい)、食べる駅弁がたまらんほどおいしいのだった。峠の力もちというのも売っていて、高校の競歩会で食べた時のあの味は忘れられない。

 JRは、義父と義兄の生涯を賭けた職場である。だから思い入れが人一倍あるのかもしれないが。


 百先生の方は、全部が全部実話とは思えないけれども、しかし、もしパロディだとしてもなかなか愉快である。余裕である。人生を客観視している。この作品を読んでなんだばかばかしいとハラを立てているようでは、いかん。余裕がなさ過ぎます。ただのペット好きではないかとさげすんでは、ことの真相を見誤る。

 百先生のことだ。諧謔に満ちていると受け取った方がよろしい。諧謔です。諧謔。愚生の一番好きな単語です。意味は、「こっけいみのある気のきいた言葉。しゃれや冗談。ユーモア。 『―を弄(ろう)する』」とある。これって、もっとシビアに考えると、ひねくれ者と考えてもいいのかもしれない。世間を斜めから見る諧謔もあってよろしいのではないか。百先生のように、である。

 愚生が当てはまるからで・・・・。あんまり斜めに見すぎて、一回転して、もとに戻ったりしたらこりゃたまらんケド。

 なぜこんなに前置きが長くなったか。

 それは、愚生も犬が大好きなのである。しかも、百先生ばりに「ジョンや、ジョン」と毎日のようにワンコと話をしておるのだ。なんでか。

 具合が悪いのである。17歳のスーパー老犬である。もういつ逝ってもいいとお世話になっている獣医の先生には言われているのだ。最近、とうとう老人性のいくつかの兆候が出てきたのだ。まっすぐ歩けない。散歩にも行けない。柵でぐるっと囲った庭で放し飼いをしているが、どこに自分の犬小屋があるかもわからなくなってしまった。わからないどころか、中にもぐり込めなくなってしまった。出てこれないからであろう。しかも、本宅と別宅と二軒用意してあるにもかかわらずである。

 獣医の先生にはこれまでも随分お世話になってきた。しかしである。とうとう来るべきものがきたのかもしれないと感じている。

 毎日ワンコのことを考えている。名前を「ジョン」というのである。紀州犬である。イノシシ狩りに使うくらいだから、俊敏な動きの犬であって、なかなか賢いのである。こればかりは飼い主に似なかったのである。だからかわいいのである。自分と違った存在というのは気になるものであるからだ。

 しかし、老いは確実に来る。犬も、飼い主も。同時展開をしているようなものだ。

 だから、ジョンのことを想うとハンカチが濡れるのだ。今日も本学で、修士論文の発表を聞きながら、ハンカチをじっと握りしめていた。ふんふんと拝聴しながら、ふとジョンのことを思い出すのである。今頃、あの狭い庭で、何をしているのだろうかとか、目も見えず、足腰もふらふらで、歩けず、食欲も無く・・・・・ああああああ、まるで人間のようではないか。我が身もまた同様の末路を迎えつつあるではないかと考え始めると、本当にうるうるとしてしまうのである。

 修士というのは、学部の次に学ぶものであるから、発表なさっている方々は当然お若い。これからの方々である。希望に、夢にメラメラと燃えている。たいしたものである。むろん、諧謔性に満ちた愚生である。学生だから、公式質問の時間は絶対に質問をしたりはしないが、終わったら脱兎のごとく走っていって、若い院生に質問をさせていただいた。詩人の研究をなさっている修士の方に、仮相と実相から分析というフレーズがえらく気にいりましたので、現象学的にどう展開なさるおつもりかとかなんとかお聞きしました。こっちもよくわかっていないんですけどね。

 あ、学部の次に学ぶから当然お若いというフレーズは、論理的に矛盾していますな。アタシャ、学部の次に修士をやっとこさとらしていただいたのは、60歳だったので。もっとも、こういうのは突然変異というか、ただの変わり者というか、そんな程度のものでしかないケド。

 なにしろ悪相をしている愚生である。比叡山の僧兵みたいであるから、いつも学生証を見せてはお話をさせていただく。もう、名刺なんか持ち歩かないからである。現役ではないしねぇ。それに自分で作った新聞ガミのような名刺は、書庫の棚に放ってあって、もう永久に日の目を見ることはないだろう。だって、肩書きもなんもないのであるから。学生証しかないのだから。

 それに、60のじじぃが学生だの、院生だのと言っても信用していただけないから。そしたら、今日は質問を快く受けていただいた方に、もう一度学生証を見せていただけますか?と言われた。え?っと言ってお見せしたが、それほど怪しいおとこに見えたんでしょうかねぇ。(^0^)/ウフフ

 そんなことをやっている暇に、ジョンはだんだんと命の炎を細くしている。

 たまらん。

 今日は、大雨の後遺症で、本学まで自分のクルマで行ったから、早く帰ってきたのだ。心配でならんからである。ジョンや、ジョンと言いながら運転していたんじゃ事故を起こす。

 明日も、愚生は別の学会に参加する。また東京に行かなくてはならん。こっちはかなり大切な会議になる。日本を代表するような唯識学の碩学に少人数で直接ご指導をいただけるのだ。NHK講座の講師もされたかたである。楽しみである。実に楽しみ。

 東京で、またジョンのことを思い出すのだろうなぁ。

 まるっきり二人三脚で生きているようなもんだから、ジョンとは。

 

 では、またあした!

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咒師のこと

2012年06月20日 23時53分31秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 咒師(ジュシ)のことで、今日も相当時間を割いた。

 気がついたら、お昼に学食で冷やし梅そばを食べてから、ずっと休み無しで5時間たっていた。トイレに行くのも忘れていた。マジに。これじゃぁ健康を害するなぁ。イカンゾウ。胃と肝臓を悪くしたら、イカンゾウになっちまうですよ。

 15センチもある「能楽源流考」を読み解くのは容易ではない。慨嘆ばかりしている。所詮、鈍才と~ま君である。と~まの正式名は「とんま」である。だから「と~ま」にしたのだから。(^0^)/ウフフ

 それでも、めげずに、マインドマップ法でノートを作成中である。そして、今日はハタと気がついたことがある。

 それは興福寺の、興福寺衆徒記録の所伝であった。江戸時代の記録で、「衆徒記鑑古今一濫」である。奈良市の菊間某氏の所蔵である。目が釘付けになったのである。元来、咒師が行う行事の外想を、猿楽の徒をして代理せしめたということが、書いてあったからである。

 能勢碩学の、法咒師と猿楽咒師との関係という章を読んでいたのである。咒師というのは、密教的修法を行うもので、東大寺の修二会にも見られる。そもそも最初から愚生のターゲットは興福寺であるが、ちょっと東大寺に回りミチをすることを許されたい。

 咒師の母胎を、咒禁師(ジュコムシ)とすることから能勢碩学は説かれている。咒禁師は、陰陽道の方術者である。当時の医療の補助として存在していたのである。そもそも、その辺りから当時の祈りの世界というのは興味深いことである。そして彼らは最初陰陽師に帰属して咒文師とも呼ばれていたのだそうな。また、仏寺には、咒願師なるものもいたのだそうな。そこでである。仏寺の行事で、咒師が猿楽をなしたのである。なんのために。当然、仏寺には参拝をする観客があってしかるべきである。そのことをふまえてである。

 咒禁師が我が国に渡来したのは、日本書記によれば、敏達天皇の御代の六年、百済より寺院関係者としてである。加持祈祷のごときものであった。

 また、猿楽の咒師は、藤原道長の時代であって、大鏡の道長伝の治安二年法成寺落慶法要の記事にある。

 能勢碩学は、ここで、咒師は咒禁師から発生したものであるかは疑問であると書かれている。むしろ、唐猿楽を咒師の母胎であると見ることを有効であるとされている。相撲節会の猿楽の記事でも述べられていて、猿楽について、ここでは触れている暇がないが、さもありなんである。能の起源をさぐる上では、猿楽は見落とせないからである。

 そもそも修正月会は、国家的行事であって、毎年正月には、全国(と言ったら言い過ぎか・・)の国分寺で行うものであった。8日から14日にかけてである。修二月会は、東大寺が有名である。

 法咒師は、広義の猿楽の中に含まれて、僧侶の行うべきものであった。だから法+咒師という語句になっているわけである。猿楽を僧侶が行うのである。これは非常に重要である。任務は密教の行事であったのだろうが、非常に関心のあることである。

 最初、薬師寺において、発生がみられ、次に興福寺において貞観十一年始められたものであると能勢碩学は言われる。

(「能源流考 pp.101-110」)

 

 猿楽咒師と、僧侶が行った法咒師との間にはなんらかの交流関係があったと見るべきで、両者が同一であったとは考えにくい。何故なら、猿楽咒師は、特定の職業集団であったからである。この点で我が国で発生したものであるとするのが穏当であろう。

 そこでである。

 興福寺の能が非常に興味深いものに愚生には映ずるのだ。なぜか。興福寺の能は観客が多いからだ。そして、そこには人の集合離散がある。まだあまり書くわけにはいかないが、そこに謎があるのである。これは実におもしろい対処である。だから、8月に行くのだ。興福寺と、高野山と。ただの旅行ではナインである。(ホントかねぇ・・)

 子別れの物語が能には相当数ある。

 好きなのは「百萬」である。退職後の名刺に刷ってある。退職の挨拶にも写真を刷った。それくらい好きである。なぜか。子を喪った母性の物語がたまらないからである。そして、興福寺がキーワードとなるからである。

 これくらいにしよう。これからの愚生の勉強課題であるからである。

 最近、孫の顔を見に茨城の櫻川を通った。否、昔からあそこの土地は通っていた。そしたら、能の「櫻川」の土地であったそうな。知らなんだ。櫻川も母性の物語である。子掠いの被害にあった母子の物語である。なんという哀れな物語であろうか。

 先週の金曜日に見た能「葵上」のような恨みの能とは違う。愚生のような一般ピープルには、むしろこのような子別れのような物語の方が、無学であるがゆえに好ましいのである。それが愚生の限界であろうけれども。もしかしたら、オイラのお袋も、こうやってオイラを捜し訪ねてくれたのだろうなぁと思うことによる安心感や、いつまでもお袋を慕っている甘さがあるからなのかも知れないけれども。(そうなのだ・・無知で、目もくりくりとしてかわゆい童顔だった童子のと~ま君は、あらゆる場所で、たびたび迷子になっては亡母の逆鱗に触れていたからである・・お世話になりました、お袋さんよ)

 

 

 院生室(隠棲室)に座布団を持っていって、イスに置いて帰りには自分のロッカーに入れている。これで、やっとケツの痛いのが解消した。ありがたや、ありがたや。温泉の効果もあったかとは思うが。

 クラスメィトも相当頑張っておられる。ある意味、愚生なんかとは違うから真剣度において差がある。しかし、オイラは周囲の方々に恵まれているなぁと思う。今日はクラスメィトのお一人から、中国語の勉強していますか、と聞かれた。相談したからである。赤面した。NHKの講座もいいなぁとは思うが、あれ長続きしたことはただの一回もないのだ。(^0^)/ウフフ やってみたいけれど、師匠がいない。まさか、研究活動で忙しいクラスメイィトに教えてくださいと言えるほと厚顔無恥ではない。第一、クラスメィトと思っているのはアッシだけでしょうから。こんなじじぃにクラスメィトなんて死んでも言われたくないでしょうからねぇ。

 どっか他所で勉強したいが、時間がない。今は、行き帰りの電車では英語をやっているから・・・完全に言い訳ですな。

 あ、そうだ。今日は夏季集中講座を予約してきた。6月の最終土曜日と日曜日、そして月曜日。あけて、もう7月になるが、3日間一限目から五限目まで、つまり9時から6時まで東京で缶詰で連続講義をうけさせていただく。美学史だ。クラスメィトも一緒だそうだ。ご迷惑にならんようにしよう。大学院事務室に宿泊先はどうするんですか?と聞かれた。ご心配をおかけしている。本当に申し訳無いです。なんとかなるでしょうとお答えした。まさか、野宿はしませんから。(^0^)/ウフフ

 今日は唯識についても新発見があった。これはもう書いている暇がない。なぜなら、明日銚子の大学で授業を行うからである。もっとも、もう教材研究は終わったケド。その後、夕方7:40から9:10まで塾もある。こちらの方が心配である。先週宿題を出した子どもたち、できたかな?って思っているからである。

 

 じゃぁ、また明日の晩お会いしましょう。

 

 

 

 

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6月18日(月)のつぶやき

2012年06月19日 04時45分06秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年
22:44 from web
それにつけても、だんだん田舎の野球無名校が甲子園に出たいって、言っているような気になってきましたねぇ。

22:45 from web
努力だけではなんともならんものが、今やっていることの陰にはあると気がついてきましたよ。

22:46 from web
センス、才能、絶対的な努力というものが、勝負を決するんでしょうね。スポーツでも絶対的な平等というのはあり得ませんから。

22:49 from web
師匠の平家物語講座を拝聴して、まったく無知だなぁと思い知らされて参りました。

22:51 from web
それから、麹町から、市ヶ谷、千駄ヶ谷と電車を乗り継いで、国立能楽堂へ。葵上を見に行きました。楽しかったですねぇ。さすがに観世流。

22:53 from web
怨霊が怖いですな。真に迫るものがある。恨みという語句が何度か出てきましたが、ぞっとします。それだけ真に迫るものがあります。

22:55 from web
都会に住んでいるとこういう機会に恵まれて、それはそれはうらやましい限りです。なかなか東京に出るのでさえ、容易ではないんですから。遠くて。

22:56 from web
今日は有楽町の三省堂でまたまたお買い物。毎週この書店で買っているなぁ。なんでもあるし。

22:57 from web
開店と同時に行くから、朝の挨拶をいただきながらお買い物をするんです。気持ちいいですよね。ご苦労様でございます。

22:59 from web
講談社学術文庫の「謡曲入門」伊藤正義先生のを一冊購入しました。新潮社の古典集成の謡曲集を座右の書としていますので、これはまた傾向の違った本でありました。

23:03 from web
知っている作品も多かったので、さくさくと読みすすめました。いわゆる仕込みであります。また明日学校に行って勉強してまいりましょう。

by tym943 on Twitter
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千駄ヶ谷で 激しい嫉妬を見る

2012年06月18日 23時48分21秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 能「葵上」を見た。千駄ヶ谷の国立能楽堂である。

 平家物語講座を終わってから、急いで地下鉄を乗り換えて、行ったのだ。平家物語講座修了が12:40分。能楽堂に13:30まで来なさいと言われていたので、師匠にご挨拶もすることなく、焦って行った。焦っていても昼食の心配をしながらであるから、のんきなものである。結局、能楽堂の前にある中国料理の店で、ランチを食べたのだから、時間的余裕はあったのである。中国風の唐揚げカレーライスを食べた。あれ、けっこうおいしかったな。大枚500円である。おいしい上に、ワンコインだ・・(^0^)/ウフフ

 カレーにしたのは、すぐ出てくるからだ。しかし、丁寧なんだろう。出てくるのがちょっと遅くなってしまったから、ぱくぱく食べた。胃腸によくないですねぇ。もっとも、あれはあれで、次回はゆっくり他のを食べてみよう。夜もお酒がおいしそうだった。今度はお酒をぱくぱく・・?・・呑もう。もっともオイラ一人で呑んでいたら、面白くもなんともないな。千葉に帰るしかないですねぇ。あぜくら会という能楽堂の会には入っているのだけれど、なんだかみんな高級そうなお方ばかりで、クチをきく気がしないんです。ワンコインのカレーなんか誰も食べてなさそうだし。

 

 いやぁ、そんな話ではない。能である。今日の演目の「葵上」は、源氏物語にもいる、言わずと知れた光源氏の正妻である。しかし、これは、六条御息所の怨霊が姿を見せて物語が展開されていく。こちらの方が主人公である。葵上は、イメージとして、舞台の上に小袖が置かれているだけである。

 朱雀院の御代、左大臣家では、息女の葵上が物の怪に憑かれ重態になっている。そこで、困った人々は物の怪の正体を知ろうと、梓弓の音で霊を呼ぶ梓の法の名手である照日の巫女が呼ばれる。この照日の巫女の面はユニークというか、なんとなくユーモアのある面である。霊を呼ぶという人間は、こういう人と違ったイメージというものを持っていると中世の人々は考えたのであろうか。

 グランド・ボックス席しか空いていなかったから、そこに座った。ワキ正面でも、これは見ようによってはなかなかいい。いつも正面からばかり見ていてもそれはそれでいいのだが、たまにはいい。

 そして、六条御息所が出てくる。美しい。実に香るような美しさである。むろんイメージとしてである。源氏物語で随分10代後半に鍛えられたから、彼女のイメージは持っていた。しかし、能を見ると全く違っていたのだが、これはこれでいい。

 しかし、彼女は嫉妬にかられて、葵上を後妻打ち(うわなりうち)をするのである。正妻が若い妾を憎んで打つことである。恐ろしいほどの迫力である。

 次の場面では、偉大な法力を持つ修験者の横川の小聖が呼ばれる。彼が加持祈祷をすると、六条御息所の心の底に巣くっている(まさにアラヤ識だ)嫉妬の気持ちが形となって、鬼女が登場してくる。小聖に襲いかかる。しかし、激しい闘いの末、六条御息所は祈り伏せられて、成仏するというものである。

 非常に興味深い展開である。

 

 人が、人を想い、愛し、裏切られ、その末に憎悪をいだくという展開は現代にも通じることである。むしろ現代の方が軽々しく愛しただの、つきあっただの、なんとかだの、速攻で結婚しただの、キレタだの、ワカレタだの、あんだのとか、かんだとか・・・もう表現しようのない複雑怪奇な様相を示しているから、驚かないケド。(こういうの一切関係ナイのでホンマに関わりたくありましぇ~ん)

 在原業平という男がいたのだそうな。これは稀代のモテ男であったそうな。戦略的には、こういう美男を遠い土地に派遣して、その土地の有力者の娘を手なずけて支配下に置くための方略であったと書かれるカタもおられて、これはこれでたいへん目のつけどころがすばらしいというか、面白いというか、なかなかのものである。

 源氏物語から材料を仕込んだという感じで、源氏物語そのものが展開しているような錯覚に陥るが、しかしそれは違う。源氏物語の方は、こちらの読解能力不足もあって、なかなか閉塞的な状況であって、あまり愚生は楽しくない。はっきり言えばである。しかし、この能の方の六条御息所は激しい。かえって魅力的である。こんなに激しくなれるもんであろうか。そうだとしたら、女性の本質は恐怖であると感じてしまう。それくらい、激しいのである。しかし、それがこの能の最大の魅力であろう。

 

 愚生などには永久にわからない世界ではあるが。

 

 

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鬼怒川の温泉フォト

2012年06月17日 22時02分47秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

最近、肩の凝る記事ばかりでしたので、今日は気楽に。

先日の火曜日、水曜日(12日、13日)に孫のところに行って鬼怒川の温泉でゆっくりしてきた時の
フォトであります。

今回は孫のフォトはなし。

愚生のPersonal Computerの中に背景画像としてにっこり微笑んでいます。

毎日それを眺めてはにこにこしています(^0^)/ウフフ

 

↓ 鬼怒川グランドホテルです

 

「秋   心ばかりと 風に舞う 錦の秋の おもてなし」

・・・心憎いほどのセンスですねぇ・・・

朝の露天風呂

あじさいがきれいでした(たぶんあじさいだと思うだん)

それではまた明日!

 

 

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想定内読者E氏と語らって

2012年06月16日 23時17分56秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 このブログの想定内読者にE氏(会社社長)がおられる。金曜日に城西国際にこられて、しばし学食で歓談させていただいた。年齢的には愚生よりかなりお若いが、いろいろな意味で愚生の師匠であるから、実に有意義である。尊敬もさせていただいている。マジである。

 私立大学のあり方、あるいは私立高校のあり方、さらには県立高校のあり方等々にまで話が及び、こんな会話を経営中枢におられる方々のために内緒で録音しておったら泣いて喜ぶ人もあろうかと思ったのである。それほど中身が濃かった。経営学をやっている城西国際の学生も周囲にはあまたおられるのであろうと思う。ま、愚生は実践しか知らないから理論はできない。だから、しょうもない話ではあるが。

 政治の世界がきな臭い。毎日、いろいろなことが起きている。政治の話は興味はあるが、ここではしない。されど、政治主導という公約を掲げて躍進した某政党の公約についていろいろ考えていると、教育にもあてはまるのではないかとしみじみ思うのである。

 政治主導を、保護者主導と言い換えてみると教育界にぴったり当てはまるではないか。いつの頃から、教育界を官僚と一緒として理解して、公務員批判と同じレベルでの論理的展開を図り、批判の矢面に立てようとしてきたグループができてきたと感じるからである。

 今、その両者とも破綻している気がするのである。どちらも、優秀な頭脳を生かし切れなかったという過去形で表現するしかなかったと思うのである。

 やはり政治主導は専門性のある方々にはかなわなかったと思う。むしろそういう人材をどのように使うかという視点が重要なのであって、政治家がスーパーマンのように、まるで神のようになんでも理解し、指示できるかという点でなかなか納得できない部分もあるからである。それは教育にも言えることである。保護者は神ではないからである。オールラウンドプレーヤーでは無いからである。

 このあたりを、みんな勘違いしたのではないだろうか。政治家も、保護者も。

 基盤に、他者不信があるような気がするのである。自分以外のモノは全て、馬鹿であり、悪人であり、くだらない人間であるというような他者不信である。差別と言ってもいい。

 では、蘇るにはどうしたら良いのか。

 E氏といろいろと議論をしていた。

 最初に言うと、結論はない。なにしろよって立つところの基盤が違うのである。ある場面で成功した事例をそのまま当てはめるわけにはいかない。どんなに成功した事例を研究しても、それに普遍性があるとは誰も言えないであろう。MBAの方々に叱られるかもしれないが。ハーバードをはじめとして、事例研究は根本の研究方法であろうから。

 しかしである。事例こそ万能であると、もしそういう乱暴な人がいたら愚生は黙るしかない。ご自分がそれで正答であると思われるのなら、それが世界で一番の答えであるからである。

 しかし、目が離せないことになっている。政治も、教育も。これからどれだけ変化していくだろうか。その一例に、法科大学院の事例がある。これをどうとらえるか。システム作りの失敗と捉えるのか。あるいは、またしても政治の責任にするのか。識者と言われる方々のご意見をお伺いしてみたいことの一つである。

 法曹をどうやって作っていくのかということをいろいろとやってこられた方々がいる。この法科大学院のシステム作りと、いくつかの法科大学院の学生募集停止という破綻の事例は非常に興味深い。なぜか。教えられる部分が多いからである。教育内容の面、指導陣の面、大学経営の面、あるいは経営陣の面、さらに国家の法曹育成方針をどのように見誤ったのか、その他もろもろ。

 もう一度学校経営に戻るような機会があれば(そんなことはぜ~ったい無いケド)、今回のこれらの事例はたいへんに勉強になる。

 現在、塾の非常勤講師をさせていただいている。民間である。民間であるから実に経営上はシビアである。たいへんな興味を持って観察させていただいている。当然である。なんの責任もない一介の講師であるからである。つまりコマでしかないから、かつて一校をお預かりさせていただいて、学校経営に関わらせていただいた身としては、いろいろと考える部分もあるからである。つまり、オレならこうする、オレならこうはしないという部分がわかるからである。

 そんなつまらんことは、そっと胸にだきしめて、墓場まで持ち込むつもりだけれども。(^0^)/ウフフ

 しかし、生徒に教えるということは楽しいものである。孫のような生徒様に接していると、かわゆくてたまらんのである。本当に、なんの稼ぎにもならん講師生活を楽しんでおりまする。ホンマに。

 

 明日は、どういう明日になろうか。たぶん、県立図書館でとぐろをまいております。

 また明日!


 

 

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鬼と呪い

2012年06月14日 23時30分56秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 今月の18日、月曜日にまた師匠の平家物語講座を拝聴しに東京紀尾井町に行く。今週は「今物語」を拝聴させていただいた。講談社から出ている師匠単著の「今物語」(講談社学術文庫)を買ってあったから、これ幸いと書き込みを行った。さらに、同じく講談社学術文庫の「徒然草」も、4冊全部師匠の単著全訳注つきで出版されているから、ノートを取り始めた。ノートは縦書きのやつ。2行空きで師匠の本から原文を視写して、ワキに師匠の語釈をメモしていくのだ。これは楽しい。実に楽しい。師匠がそばにいらして、直接教えをいただいているような感じになる。師匠には、週に二度直接お会いできる。これでこそ、通学生の醍醐味である。ありがたいものである。

 さらに、同日は国立能楽堂で能「葵上」を午後から見させていただく。産経新聞に載っていたので、今日の夕刻℡をしたら、予約がとれたのである。これもまた見るのが楽しみである。しかも、通常3000円はかかるのだが、愚生は学割がきくのだ。(笑) 1300円である。こいつは実にリーズナブルである。ありがたい、ありがたい。本当に幸せものである。そして、今度は得たものを若い人たちにお伝えしていきたいと思っている。どっかの居酒屋でもなんでもいいから。

 さらにさらに、その週の土曜日には唯識学で有名なY先生の講義を直接母校武蔵野大学の仏教心理学会で拝聴できる。直接である。東京大学印度哲学科卒の愚生らの世界では有名人である。楽しみである。ほんとうに楽しみである。 

 ここで冷や水。 

 それはね、「そんなことをしていてなんになるのだ」ということである。鬼怒川で、それこそ鬼に言われたのである。夜分、鬼怒川の川底から立ち上ってくる霧に乗じて、そういうことをささやいた鬼である。(^0^)/ウフフ

 そのとおりである。なにかのためにやっているのではないからである。あるいは、収入に直結していないからである。第2の職場に就職もしていないし、全部非常勤であるし、週に5時間しか働いていないし、まるっきりこれでは遊び人ではないかと鬼達は言うのである。そのとおりである。肯定するしかない。

 普通は、第2の職場に再就職をして、これまで培ってきた学力で教壇に立つのが常識であろう。ところが、愚生はそうしなかった。学力も無いし、そもそも。これがそもそもの間違いであると鬼達は言うのである。 

 言い訳がある。それは、管理職を長いことさせていただいたから、受験勉強おんりーの授業だけではできないと踏んだのである。少し時間をくださいと思ったのだ。ところが、計算どおりにはならなかった。随分お叱りをうけた。おらっちの学校に来い!と言われるわけである。そんな今更大学院なんて行ったってしょうがねぇだろうというワケである。それよりも月収だろうがよぉ!と言われるのである。実にありがたい仰せであった。しかし、愚生は1年間だけ時間をいただきたかった。受験勉強スタイルにもどるのには時間が必要だったということである。それだけである。いわゆる勘を取り戻すのに時間が必要だった。

 教材研究をデタラメにやってはならないと思うからである。これだけはまじめに考えている。当たり前である。プロの教師であるからである。

 だから、直接授業をやっていなかった管理職としての16年間のブランクは大きいと受け止めているのである。そりゃ、学校経営とか、なんとかということになったらそれは経験知がものを言う。いつでも発言可能である。だから、直接再度生徒達に古典を、現代文を、国語表現を教えるということには慎重にならざるを得なかったのである。せめての愚生の良心であったのである。

 

 

 なんだか世間がきな臭い。政治的な動きがいろいろと報道されている。愚生は、そちらの方面にも疎いので、黙っているけど、鬼達がうごめいているような気がしてならならないのだ。

 昔から、政治的な人間は多く、それだけに命を賭けたモノが多い。しかし、たいていは挫折をしていく。そちらの世界で成功する方はなかなかないない。日本の古典文学でもそうである。特に歴史物語は、そうである。「平家物語」も「太平記」も「吾妻鏡」も「増鏡」も「大鏡」も「義経記」も、たいてい政治的な挫折の物語である。成功者はホンの少ししかいない。挫折しているから、そこに哀惜を感じるわけである。滅ぶことへの同情、世間から、政治から退場をせざるを得ない人間達の姿に空虚さを見るわけである。義経だってそうである。彼が政治的に大成功をしてたら、あれほどの人気はないわけである。 後白河院もそう。大変魅力的な方ではある。また、別の意味で、織田信長も、豊臣秀吉も結局は挫折をしているというテンで考えるべきであろうから。さらに、愚生の同世代で、政治運動に身を投じた方々たちが多いのだ。みんな、学部時代だけご活躍をされて、時間が立つと、せっせとポマードをたっぷりつけて髪を七三に分け、さぁ~っとどっかの一流会社に就職して行ってしまわれた。政治的には転向というのだそうである。転向文学というのがあって、学部卒論はこれを扱った。余計なことだが。

 実は、そこに呪いがあるわけである。挫折せざるを得なかった数々の失敗が、ゴマンとうごめいているのである。それが呪いである。

 各地に残っている大きな神社はそうした政治的な、あるいは闘いの敗者への鎮魂歌であると聞いたことがある。そうかもしれない。呪いを鎮めるために建立されたというわけである。松本清張の法隆寺に関する卓見は、ことの学術的な価値は別として、震えるような感動をした覚えがある。実際、法隆寺は謎の寺である。松本氏は、鹿島神宮に関するエッセーもあり、奈良の春日神社と藤原一族と鹿島神宮との関わりや、古事記を編纂した太安万侶の縁故を、茨城の大生神社に求めたり、実に博覧強記である。これはちょっと余談が過ぎるが。

 いくつもの神社を拝見させていただいてきた。各地の神社を拝見させていただくのも好きだからである。

 なぜか。鬼達の声が聞こえるような気がするからである。希望が成就しなかった御仁。あるいは、思わぬ方向に人生が行ってしまった方々たち。さらに、人間関係が破綻した人々たち。思ってもみなかった失敗。そういうもろものの体験が、人を鬼にするのである。それでもわれわれは、鬼にはなりたくないのである。普通に、翁になっていきたいわけである。あたりまえである。人間はトシをとったら翁になるからである。呪いの人生を送ったのではたまらないことである。

 そんなことを扱っているのが、「能」である。すくなくとも愚生はそう感じている。


 鬼怒川という名前の川を眺めていたらそんなことまで、考えてしまったのである。

コメント (2)
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年齢とはなにか

2012年06月14日 17時55分58秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

  哲学者というと叱られてしまうが、亡くなられた池田晶子女史(文筆家)の本を読むことが好きで今回もまたとりことなった。注1

 

  いろいろと示唆に富むことが書いてあったので、ふんふんと肯定しながら半分否定しながら読んでいた。中に、ブログ否定論のようなことも書いてあって、なかなかのことであると思った。例えば、病気になって死ぬまでの間を、ブログで報告するというある青年の試みについて書いてあった。自分一人で死ねない症候群とでも言うべきことであろうかとも書いてあった。なるほど、他者に観察されていなければ、死ぬこともできないという人間はたしかに存在しているであろう。注2

  しかしである。言語的表現をツールとしてブログに書いたりすることが、女史の言うごとく有名病にかかっているとするならば、同床異夢ではないかとも思ったのである。それは文筆で身を立てている方々ならば、書籍で発表することと、ブログで発表することの違いはどこにどうあるのか。読者数の違いであるのかともかんぐりたくなる。5名くらいしか読者を想定していない(世界で最も大切な5人ですケド)拙ブログのようなつまらんものもあるから、アタクシごときなんにも言えないですがね。

 女史も書いておられるように、人生は暇なのである。だから生きがいとか、目標とか持ってしまうのである。それはそれなりに納得している。自分自身の経験からである。生涯学習だって、暇人で無いとできない。もっと、こっぴどく言われたこともあったが、気にしない。(貧乏人の暇つぶしとかね・・)

 あらゆる批判に私は反論しない。他者が批判したいというなら、それは正論なんでしょうから。(自分でそう思っている以上) そして、こちら側の私はそういうことについて肯定をしないでのである。肯定も否定もないのである。関係性自体を視野に入れていないのである。

 有名になりたいからブログを書くというのには、笑った。だったら、いまだかつて無名人のアタクシごときはその成果を上げていないということになります。そんな気も無いけど。

 有名になりたいというのは、若者がタレントになりたいという心理と一緒なのであろう。AKB48だかなんとかというのもそうであろう。それはそれでおやりになりたい方はどうぞという世界でしか無い。芽が出るも、出ないのも、本人次第であるから。そういう世界なんでしょうから。

 女史の言われるように、有名になったどうする? という問題設定の仕方もあると思う。それはそれで本人が望んでいるならばそれでいい。それっきりのことである。好きなようにおやんなさいよと言うしか無いではないか。有名病というのはそんな程度のものでしかないと思うのである。

 これって、社会的なポジュションが高いと言われている職業にも当てはまるのではないか。なんだかそう思うのである。狭苦しい人間関係の中で、有名病にとりつかれて、学閥とか門閥とか順番待ちとか、ぜ~ぜ~と苦しんでいる方を多く見かける。随分くたびれるんだろうなとワキで見ていて感じる。成果を残さなくてはならないとか、30分でも早くあいつよりは出世したいとか・・・・いろいろあるんでしょうなぁ。たいへんなものである。生涯学習人にはいっさい関係なし。だってそんなの視野にすら入ってこないんですからね。(^0^)/ウフフ


 女史の珠玉のような文章の中で「私は年齢である」(注3) というのがある。

 還暦の愚生にふさわしい文である。まるで愚生のために女史から贈り物をいただいたような感じがしている。感謝である。こんなすばらしい文章はない。

 その中に小林秀雄の文章を紹介してくださっている。

 「年齢とは、これに進んで応和しようとしなければ、納得のいかぬ実在である」と。小林秀雄が「還暦」という作品の中で書いているのだそうだ。初めて知ったので、またまた女史に感謝である。小林秀雄全集をひっくり返してみなくてはならんです。

 確かに、自分の年齢というのは、実際の年齢にふさわしくないと思う。還暦だぜ!と言われてもまだ腑に落ちないのである。そんなにトシをとった気がしないのである。周囲のじじばばたちも、いつまでも若いような気でいる。そして、他人は、実際にトシをとった人間に年齢のことを触れるのを避ける。「いつまでもお若くみえますねぇ」とか、嘘を並べるわけである。ベロを出しながらである。

 根底に、老いることは敗北であり、若さだけが価値あるものであるというなんだか知らない妄想があるからではないのか。40歳の肉体に、40歳の頭脳、しかし実年齢は105歳という人もたまにはいるだろう。しかし、それは不可能である。スーパーマン以外は。

 愚生などは、この反対に実年齢は20歳でも、100歳の経験知と頭脳を持ちたいものであると思ってきた。なかなか実現しないが。

 

 鬼怒川のせせらぎのワキでそんなことばかり考えてきたのでありました。

 めでたし、めでたし。

 また明日。

 

 

注1 彼女は実に立派な哲学者である。文筆家というのは、ご謙遜であろう。この記事は、池田晶子著「知ることより考えること」 新潮社版 2006年を読んだ感想文である。

注2 このあたりは池田女史に論迫したい。戸塚洋二著「がんと闘った科学者の記録」文芸春秋社版 2009年をどうとらえるかということをである。この戸塚先生の書物で愚生は死生学を知ったのである。大切な思い出の書である。

注3 池田晶子著「知ることより考えること」 新潮社版 2006年 pp.35-37


コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/