「弱さ」と「自立」の関係は?【精神科医・樺沢紫苑】
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豊川悦司と吉川晃司、『必死剣鳥刺し』殺陣シーンは真剣勝負/映画『必死剣鳥刺し』完成報告会見
老人大学で親しくなった独居老人の知人と偶然出会った。書店である。ショッピングセンターの中にある。銭はあるけど、妻がいないからいつもいつも旅行ばかりしている御仁である。老人大学には一緒に二年間通学した。結構気が合って、スマホも持っていなかったのに、今では名人だ。旅行の話題を何時もlineで送ってくれる。世界一周のクルーズ船の旅に二回も行っているのだ。お互い暇だなぁと大笑いしていた時期もあるが。
書店でなにをしていたかというと、図解でメモをとるというようなビジネス書を探そうとしていた。意中の書籍は見つからなかった。代わりに、ボキの執筆した居住地の写真集があったのを見つけた。1冊9980円である。山積みされていた。50センチはあったろうか。ようようと話しかけて知人に紹介した。あわよくば買っていただいて・・・・とした。ボキの原稿料の原資になるから。
それから世間話。
市会議員に出るというから俺が一票入れると言ってやった。大笑いである。そういう夢を持っているだけ、大したもんであるから。
それにしても退屈しない御仁であることよ。
おめぇはなにやっているのだ?と聞くからアルバイト三昧でござんすよと申し上げた。一番びっくりされたのが、某予備校の管理職をやっていることであった。しかも週に一回。
こんな変わりもんの爺もいるんだなぁといわれっちまったよん。
お互い様である。
わははっはははっはっはははっははっははっははは。
👋
なかなかのものである。今やっている生涯学習がである。レベルが高いからだ。ボキのことではない。所属している大学のことである。建物のことではない。通信教育だから、建物は関係ない。内容のことである。これはこれは。とんでもないモノに手をつけてしまった。(*_*) マイッタ。
書けるかどうかわからんが、やってみるしかない。最初から自信満々でチャレンジする人はいないだろうから。特に、史的な理解となるとこれはもう不可能である。あらゆる文献に通じていないと書けない。ボキごときでは、そんなことは不可能だ。だから史的な学問をやっておられる方々は尊敬に値すると思っているのじゃ。
全体を俯瞰してモノをいったり書いたりするってぇのは所詮不可能である。ふすまを貼る作業と似ている。小さな紙を貼る作業のことだ。全体のできあがりが良ければいいのだが、いちいち拘っていると、全体が見えなくなっちまう。
しかし、チャレンジするしかない。始めちゃったのだから。
何年かかろうと。
そうだ、何年かかろうとずっと学ぶしかないからだ。それだけ長生きできるというもんじゃよ。
わはははっはははっははっははっははっはは。
腰を痛めてから家に閉じこもっていた。これで思った。コロナで閉じこもった方々はやはり若干鬱になったであろうということである。つながりがないと、そうなっちまう。家にずっといろと言われてもねぇ。やることがないとそうなる。
しかし、ボキには生涯学習がある。成果もなんもないが、やることだけはある。ものにならないかもしれない。それはそれでよし。昨日も塾に行ったが、たった一コマしか働いていない。他の講師はすくなくとも、ボキなんかよりは働いている。すごいもんだ。最終コマが終わってから晩飯を食べるんだそうだから、10時過ぎる。しかも通勤時間がかかる。それから晩飯というんじゃボキにはできない。できないどころか、具合がわるくなってしまう。
バイトでも働けるだけありがたいもんである。
感謝!
自己否定というか、現役で仕事していた時代を全否定したいなぁと思った。したがって、元****とか言われたくないということになる。言われたら否定していたが、それもやめよう。みっともない。
ろくなもんじゃなかったからだ。悪行三昧。およそ、人格高邁とはとても言えない生き方をしてしまった。取り返しがつかないではないか。ボキの人生返してよんと自分に言いたくなっちまうではないか。責任を他人に負わせるつもりはないけど、とてもじゃないが自賛するわけにはいかない。罪人である。
昨日も図書館でノート取りをしていた。図解をしながらB5の100枚ノートを使っている。これに図解をしているのである。中国仏教史の概説書を見ながらやっていた。破綻しているからである。ボキのアタマが。過去から未来まで破綻している。情けない。
まそれはそれでやるしかないから、やっているけど。
で、休憩中に図書館内から多田等観という人の伝記を持ってきて、ふと斜め読みしていた。そしたらはまってしまった。面白い、面白い。薄かったから全部読んでしまった。ウキセンセの解説によると以下のとおり。
>明治末から大正にかけてチベットに入り、チベット仏教を修行。日本への帰国に際して多数の仏典、文献を持ち帰り、斯界の学識経験者として活躍した。
1911年(明治44年)に中国で辛亥革命が勃発。ダライ・ラマ13世は留学生に一時帰国するように暗号文で連絡を寄せる。等観はすでに彼と親密であった留学生に請われて彼らのインド行きに同行することになる。そしてインドにてダライ・ラマ13世に謁見。その場でトゥプテン・ゲンツェンという名前を授かり、ラサにくるようにと要請を受ける。1年のインド滞在の後、等観はイギリス官憲の監視の目を逃れるため変装してインドを出発。ヒマラヤ山脈を越える過酷な道程を、高山病に苦しみながらもほぼ裸足で走破し、1ヶ月でラサに到着する。
このあたりが実にサスペンス小説でも読んでいるようでタノシカッタ。チベットに入ってからのことは、絶対にボキのようなアホにはできない修行ぶりである。で、逆にボキはどうすれば良いのだということである。
ジジイである。これからはおとなしく生きていくつもりだが、夢はある。ふうううううううううううううううううううううむ。なにか得たものがあるかもしれないということである。
以上!
「人を叩いている暇があったら、自分のところで誇りをもってやりなさいよ」と、池上彰氏が言っているのをインターネットの記事で読んだ。おもしろかった。朝日新聞とサンケイ新聞との戦いのことである。さらに、今をときめく週刊文春なんかとの戦いである。新聞屋さんもいろいろあるんですなぁ。
編集権と経営のかかわりというのは、なるほどそういうことだったかとも感じた。
政権を監視するということをマスコミはよく言うが、裏にこういうことがあったのだとよくわかった。理解できんボキがアホだということなのだが。
いつも思ってきたが、東京新聞の有名な女性記者が官房長官記者会見で当時の管長官に、罵詈雑言を繰り返し、他の会社の質問をさえぎってまで一人芝居をしているのはなんでかと思っていた。こういうことだったのだ。
要するに「イーハンをつけていた」のである。イーハンとは、麻雀のあがり役の単位のことで、小さい役をつけることで、元のあがり役より少しでも高い役をつけてあがろうとすることを、イーハンをつける、というのだそうな。麻雀すらやったことのないボキが、こういう理解はよくないのかもしれないが、つまり今の自分をもっと段階高く示していくっちゅうことなりなんだろう。
ボキは、もともとが低い人間だから、低迷しているだけだが。それに高く評価してもらいたいともなんとも思っていないし。
長生きしたいだけである。
細々と生きていればそれでよし。惚けないで、100歳以上まで生きていきたい(^_^)。欲張りだなぁとは思うけど。
昨日も図書館に行ったけど、今日も行く。ノートをとってくる。場所を変えてやっていればアタマが活性化する。惚けないためには必要だ。それに歩いていくからけっこう運動になるし、セロトニンが出る。鬱になっているヒマもなし。
嫌われるほど長生きしたい。
わはっははっははっははっははっははっははは。
政治が動いている。新首相になってから、動きが急だ。おもしろい世の中になったものだ。どうなるのか期待している。
国会が始まったからである。それにしても、野党諸君の手法はあまりにも見えすぎている。いつもいつも否定から入る。ご自分達が与党時代に何をやっていたのかは、知らんぷりだ。笑ってしまう。あげくの果てには、静岡の知事様のように総理大臣のことを蔑んでしまう。学者知事だから言いたいことはわかる。しかし、知事様もそんなにエリートではないではないか。これを週刊誌は大笑いしている。W大学とH大学の戦いだと。これまた大笑いである。どっちもどっちではないか。そんなものにつきあわされている、ワレワレ庶民はどうしたらよいかわからなくなっちまうではないか。
比較の手法にたっているからである。AとBを単純に比べているだけ。こんなのは小学校や中学校の通信簿レベルでしかない。通信簿というのは、励ますという点では効果的である。頑張れと言えるからだ。そして、未来のエリートができてくる。だから無くならいのである。
評価と無関係に生きるとなると、ボキのようなダメジジイになっちまう。だから若いヒトにはお勧めできない。
会社や組織で低評価されたらそれはそれで仕方がない。諦めるしかないではないか。自分勝手にエラクなれるわけがない。受け入れるしか無い。ボキなんか、それでずっと生きてきたからだ。受容しか無い。オレはエライ・エライと言っているだけでは誰も話はしないではないか。
最終学歴のことを自慢たらたら言ったり書いたりしている御仁・淑女も多いが、これまたいかがなものか。オレはエライ・エライと言っているだけであるからだ。
個人情報が大事だと言っている学者センセが、著書の最後に学歴や著書、論文を書いたりしているのは、そんな意味もあるのではないのか。ボキは、そんなもん絶対に書けないけどねぇ。笑われっちまうから。
BYE-BYE!
落語家の桂文珍師匠が大学の講師をしていたのはつとに有名だが、Kindleで師匠の落語を聞いていたら笑ってしまった。東京の三田にある大学で、と書いたらどこの大学かわかってしまうが、ギャラをいただいた。一回でこのくらいかと思ったら、なんと半年分だったというのであった。普段もらっているギャラが高いということなんだろうけれども、そんなもんだろうなぁとも思った。
収入と名誉がつりあっていないのだろう。ちなみに、ボキは両方ともない。ゼニも名誉もである。知人友人たちにも言われているからなぁ(^_^)。
宝くじが当たったら、ゼニは入るけどねぇ。当たったこともないし。当たったら絶対誰にもいわないつもりだから。
わははっはははっははっはははっははっははっははは。
今日からすこしだけヒマになる。Web授業がないからだ。それにしても、実力がねぇなぁ。漢文は好きだったはずなのに、しかもそれで半世紀飯を食ってきたはずなのに、経文の原文が出てきたらたちまちギブアップだったからだ。内容が違うといえばそれまでだが、それにしても実力がない。経文の原文も、出典はあったものの、どの部分からとったのかはまるきり書かれていないから四苦八苦である。関係する書籍もずいぶん買ったし、図書館から借りても来た。司書さんにも相談してみた。対応できなかった。グーグルセンセにも相談してみた。しかし、反応がない。いろいろとタメしたが、それにしても苦労した。
(*_*) マイッタ。
生涯学習もどうなることやら。また中退か。それならそれで受け入れるしかない。
また老人大学にでも行くか。やることないよりはいいだろうから。ヒマなじーさん、バーさんがいくらでもいるから。
腰を痛めて、ちょっと体重が増えてしまった。そんなに歩けないからである。一日5000歩程度である。それ以上歩くと腰にくる。治りたいのでねぇ。
今日は3歳の孫を保育園にお迎えに行く。孫の母親が今日は残業になるからだ。しかし、なによりの楽しみである。これしかない。かわいいから。
BYE-BYE!
ちょっと高いのだけど、孫の母親が買ってきてくれたから、夕食にいただく。この魚、かなりグロテスクなんだけど日本酒にあう。だから、ちょとだけいただく。
日本酒の方である。
今日も午前中Webで講義があったから疲れてしまったのだ。それにしても実力ねぇなぁと慨嘆している。しょせん無理があったのだ。漢文だけの経典を書き下し文にしなくてはならないからだ。こんなんじゃあぁ、ボキ某大学を中退せざるをえなかったのもわかる。
庶民だし、なんの力もないってぇことがよ~~~~~~~~~~~~~く分かった。当然ですなぁ。
いじけっちゃうけど、しょうがないです。
もう風呂にも入ったから、これから笑点を見て、それから世界遺産を見て、行ってQを見て・・・・・・ようやく寝る。
暇なジジイですよ。
さっきまで3歳の孫がいたから、楽しかったけど。
また明日から英会話講座を聞く。これもまた楽しみであるが。
(@^^)/~~~
経典の原文を書き下し文にして、現代語訳をつけるのが、実にたいへんだった。マイッタなぁ。
朝の9時からずっと授業だった。
能力ないから参りました。
でもやるっきゃないですなぁ。
趣味だもの。
生涯学習だから。
経文原文を書き下し文にして、さらに現代語訳をつける。
生まれて初めてのことをやっていた。
とうとう気が付いたら、夕方になっていた。
こりゃ俺にはできねぇと思った。
グーグルセンセに聞いても全く太刀打ちできないのだ。
いろんな本を借りてきたし、書庫に置いてある本もかなり見た。
こりゃぁ専門家の僧侶に聞いてみるしかないかと思った。
しかし、できない。
マイッタ。
漢文しかないからだ。
うううううううううううううううううううううううううむ。
これもまたあきらめるしかないのか。
能力ねぇなぁ~~~~~~~~。
(@^^)/~~~