リアルですねぇ・・・・・・・!
【タイ・バンコク】現地採用のリアルな生活や声をお届け【その2】 Working in Bangkok, Thailand〔#61〕
リアルですねぇ・・・・・・・!
【タイ・バンコク】現地採用のリアルな生活や声をお届け【その2】 Working in Bangkok, Thailand〔#61〕
かなり良いことを言われてますねぇ。
タイ パタヤへ うつり住んでみたいという方、見てみて下さい 其の3
甘くはないんですねぇ・・・・・・・・
ロングステイの光陰 ~タイ・チェンマイ~
壁がない。
周囲に。
それに現地ガイドによると、タイ政府から公認されていない学校なのだそうだ。
それがちょっと哀しかったが。
こういう現実もあるのだ。
我が日本は恵まれていると思った。
学校に行けない、行かないという子供たちもいるからである。学校に行かなくてもメシを食っていられるのだ。まるで天国ではないか。そんな国世界のどこにあるのだろうか。ま、このことはそれくらいにするけど。
考えさせられる写真である。
むろん、ボキが撮ったものである。
この少女、11歳と言っていた。自分で。
かわいい少女だった。
しかし憂いなんてぇもんはなかった。
むしろたくましさを感じた。
織った作品は売れる。
かなりの出来である。
家人は一つ買ったが。
文化的な差異というものはある。
あくまで差異である。
異なっているだけで、どっちが上だとか下だとかいうつもりはない。
そんなこたぁ言えねぇではないか。
言えるだけの資格もないからである(^0^)。
バンコクのホテルで国民性にふれたような気がした。
ともかく明るいのである。
英語で写真を撮っていいですかと聞いたらこんな風に対応してくれた。
ありがたいもんである。
しかも、左側の若い青年は、自分からしゃしゃり出てきたのである。
こういう積極性が実にいい。
ボキなんかにはない性格であろう。
微笑みの国とはよくぞ言ったりである。
ボキも、微笑みでこれからも生きていきましょう。
良いことを教えてもらったもんである。
ヾ(@⌒ー⌒@)ノ
テレビによく出てくる電車である。
電車が来てから、線路脇にあるお店をたたんじまう光景を見ることがあった(むろんテレビで)。この写真がその電車である。一日に三回くらいしか、この線路を通らないのだそうである。だからできるのだろうけど。
ボキは、こういう話にはかなり興味がある。
なぜなら、交通安全の話をして歩いているからである。千葉県から命じられてやっているもう一つのボキの顔であるから(^0^)。
この写真もどっかで役に立つことがあるだろう。
しかし、おもしろい国である。タイは。
ゼータクだと叱られてしまうが、マジに座席が不安だった。エコノミー席だからである。なにしろエコノミー席だと旅行代が安い。国内旅行よりも安い。これが一番ありがたいのだ。
しかしである。ボキは、エコノミークラス症候群になってしまったのだ。まったく動かない、運動しないという生活スタイルでゴミ論文ばかり書いていたからである。定年退職後入学した某大学大学院博士課程で病気になっちまったのじゃよん。
で、今回ある意味チャレンジであった。
前回の西安は中国だから近い。時間がそんなにかからない。
タイは、往路が7時間ちょっとである。
だから不安であった。
しかし、タイ航空は評判の良い飛行機会社である。サービスも指折りの飛行機である。座り心地も良いのだろうと思った。間違いなかったけど。狭いのは仕方なし。所詮エコノミー席であるから。
エコノミー席でチャレンジしてみようと思った。これで大丈夫なら、アジア圏なら格安バーゲン旅行が可能になるからだ。これからもである。そのために、事前にずいぶん運動をした。歩いた。完全なる旅行のための運動である。
飛行機内でも運動した。
これはGymで教わったやり方である。
妙なジジイが、エコノミー席でせっせと運動をしていたのである。死にたくないからである。
・・・・・・・・・・
帰って来てから、またアジア圏なら行ってみようと決意した。
ボキの生涯学習ごっこのためにである。
なぜなら、藝能史の勉強をしてきたからである。
身体を壊してから、中断しているからである。
要するに、趣味と完全に一致している生涯学習ごっこである。
楽しいからやっている、行っているってぇやつである。
わははっはははっははははっはははっははは。
今日も運動をしてくる。
目標10キロ!
ガンバンベェ~~~~~~~~~~。
ヾ(@⌒ー⌒@)ノ
首長族の女性である。
このスタイルにはいろんな批判もあるようだ。しかし、ある意味選ばれた女性であることも間違いないのだそうだ。
ミャンマーとの闘いから逃れてきた民族である。タイ政府の手厚い保護政策の下に、暮らしているのだそうな。
ある意味、プライドも高いのであろう。
この女性は、赤ちゃんも左脇にいた。
年齢も聞いてみた。
22歳と答えてくれた。指である。
英語で聞いたのだから、英語もある程度わかるらしい。
文化的なショックも受けた。
ボキがである。
だからこそ、世界いろんなところに出かけて行って漫談旅行をして来るべきなのである。
惚けているヒマがないからである。
ま、惚ける前に、せいぜい旅行三昧で過ごしましょう!
タイ・チェンマイ怪人紀行2018年2月
ボキの思い出・・・タイ・チェンマイ漫談旅行です(^0^)。
結局タイ・チェンマイはどうだったのか?
タイ・チェンマイへの怪人紀行はタノシカッタ。
いろいろな出会いがあった。現地ガイドとの出会いもなかなかであった。まず勉強している。たいしたものである。タイ人であるから、タイのことを良く知っているのは当然としても、日本についてもなかなかのものである。
こういう方々のことを比較文化堪能人というのである。ボキの造語だけれども。
ま、格安弾丸ツアーであるから大したゼータクもできなかったのである。しかし、内容が良かった。少数民族の舞踊を見て、動画にしてきた。一時間以上である。貴重なdataとなった。感謝である。これが見たくてタイまで行ったのであるから。
それに暖かい。連日29度程度。日本に帰ったら寒いだろうなぁと思っていた。帰国したら、案の定。寒い。昨日の朝6時ちょっと過ぎに着陸したが、成田空港は零下である。九十九里浜は太陽が出ていたが、それでも寒い。九十九里浜に住んでから半世紀近くなるが、こんなに寒いとは・・・トホホ。
首長族の村にも行った。チェンマイである。今回、ここにもかなりの興味があった。村の入り口に入っていったら、年若い母親が、赤ん坊を脇に寝せていた。赤ん坊もかわいかったが、驚いたのは英語も日本語も通じるのである。年齢を聞いた。22歳と言っていた。家人が手編みのショールを買ったので、記念撮影もしてきた。三人で。
有名な老婆がいた。村の奥に鎮座ましましていた。話しかけてみた。年齢を聞いた。70歳と指で答えてくれた。えっと思った。老婆と思ったら、なんとボキと大して変わらないではないか。長生きをしてくださいねと申し上げて合掌してきた。穏やかないい顔をしていた。まさに生き仏様である。
首長族の哀しい歴史も勉強していったし、現地ガイドの解説もあったから、非常に満足した。やはり難民としての歴史が、色濃い地域である。ミャンマーからの影響も大きい。悪い意味での。
それに、教育が困難である、と現地ガイドに聞いた。村の中に学校もあった。8畳間くらいの高床式の学校であった。壁はない。そこで小さな子供たちが勉強しているのである。幼児たちが母親と一緒に遊んでいたが、どんな風に大きくなっていくのだろうと思った。哀しい歴史は繰り返して欲しくないとも思った。
これから写真をアップしながら、ボキの記憶のためにブログを整理してみたい。
なにしろ、明後日の10日(土)に千葉市民会館で話をしなくちゃならない。印刷資料もまだ不備である。パワーポイントはできたけど。74枚の大作である。
わはっははははっはははっははははっはははは。
ヾ(@⌒ー⌒@)ノ
タイ・チェンマイ旅行
2018年2月2日(金)から7日(水)
2月2日(金)
タイ王国を代表する大企業の一つで、スワンナプーム国際空港をハブ空港とするタイ王国の「フラッグ・キャリア」である。またアジアのみならず世界でも有数の規模を持つ航空会社でもある。
コンデナスト・トラベラーなどの旅行専門誌や、各国のビジネス誌などによるサービスランキングでは上位の常連であり、スカイトラックス社の「ベスト・キャビン・スタッフ&ベスト・エアライン」賞を2006年に受賞している。また、機材の新しさと整備技術の高さから航空会社の安全度ランキングでは「A」をマークする。
ボイルされたインゲンが絶妙にマッチ
なにより、ライスのコンディションがタイカレーにマッチしているのが素晴らしい。引き締まるタイカレーの風味に、ボイルされたインゲンが絶妙にマッチしているのもGOOD! サラダの小皿も評価したい。プリップリの激ウマな小エビがたっぷりとサラダにのっているのだ。
ミネラルウォーターが「木曽の水」
スイーツのロールケーキもなかなかの美味。シットリした生地が濃厚なクリームとあわさって最高のテイストに。驚きなのが、ミネラルウォーターが「木曽の水」という点。浦島太郎の伝説がある、大自然に囲まれた長野県木曽町の水!
・タイ国際航空マニアの声
「タイ国際航空の機内食には、丸いパンとバターが出されるのですが、最高に美味しく食べる方法があるんです。バターを容器から全部出して、パンに全部つけて、バターごと一口でかじってください。パンは少なめにかじるのがベストです。めちゃくちゃバター味が濃厚!! 激しく美味しいですよ!」
◎ホテル モンティエン リバーサイド バンコク
モンティエン リバーサイド ホテルはビジネス向けホテルで、バンコクのバンコク リバーサイド周辺に位置し、近隣にはセントラル ラマ 3 世モール、ター プラ モール、スリ マリアマン寺院があります。その他の近隣の見所にはリバー シティ ショッピング コンプレックス、マレーシア大使館 もあります。
バンコクなら川沿いでしかもお部屋はリバービュー、プールも大きく南国ムード満点。
◎ソンブーン案内
バンコクの人気シーフードレストランといえば、この店をおいては他にありません。「プーパッポンカリー(蟹のカレー炒め)」が大人気のソンブーン・シーフードです。観光客のみならず、ローカルのタイ人にも絶大なる支持を誇るソンブーンの魅力と賢い利用方法を紹介しましょう。
「はたとガパオ揚げ」(380バーツ)。
ソンブーンはなぜ人気がある!?
スズキ目ハタ科の魚である石斑魚(ハタ)を揚げ、ガパオ(ホーリーバジル)をふんだんに使ったソースで仕上げた一品です。最近、日本でもタイ料理の「ガパオライス」が人気を集めていますが、そのガパオの風味が効いた魚料理とイメージするとわかりやすいでしょう。揚げたバジルがこんもりと盛り付けられた「はたとガパオ揚げ」は見た目も豪快で、タイ料理の魅力たっぷりです。
そのほか、「海老と春雨の蒸し煮」(Sサイズ300バーツ=約1,000円、Lサイズ500バーツ=約1,700円)、「川海老の黒胡椒炒め」(Sサイズ450バーツ=約1,500円、Lサイズ900バーツ=約3,000円)、「トムヤムクン」(Sサイズ300バーツ=約1,000円、Lサイズ500バーツ=約1,700円)など、海老料理も豊富に揃っています。もちろん、イカや貝をあしらった料理も盛りだくさん。
野菜料理では、シャキシャキとした食感がうれしい「空芯菜炒め」も定番の一つ。
空芯菜炒め
ソンブーンに来たら必ず頼むというファンが多い一品です(Sサイズ140バーツ=約460円、Mサイズ200バーツ=約660円、Lサイズ260バーツ=約860円)。
ソンブーンのメニューは写真付きで、かつ日本語も記載されているので、じっくりとページをめくりながらお好みの料理を選んで。
最後に、簡単にソンブーンシーフードの歴史を簡単にご紹介しましょう。創業は1969年。当時のお店のロケーションはチュラロンコン大学の近く。現在のサムヤン店のある場所です。オープン時から「蟹のカレー炒め」を提供し、人気を得たソンブーンシーフードは、1990年に2号店としてスラウォン店を出店しました。91年には本店をサムヤンから現在のバンタットン店に移し、この頃から、海外にも評判が広がり、多くの観光客が訪れる店となっていきました。
ソンブーン・シーフード(Sonboon Seafood)
2月3日(土)
バンコク市内観光
エメラルド寺院
黄金の台座の上に安置されている小さな仏陀像。王宮敷地内の煌びやかなワットプラケオに所蔵されています。
王宮敷地内に建つ王室専用の寺院であったワットプラケオ。正式名は、「エメラルド仏を安置した寺院の俗称」という意味のワット シーラッタナーサーサダーラーム。タイ王国で最も尊く、最古の仏陀象とされています。石の仏像が収められているため、タイ国外では一般的に「エメラルド仏寺院」と呼ばれています。
モザイクや滑らかな曲線などの要素を持つ煌びやかなワットプラケオは、ラーマ1世によって1785年に建設されました。王は、チャオプラヤ河の反対側によるワット アルンに収められていた本尊仏をワットプラケオに移したのです。
実はこのエメラルド仏、エメラルドの彫刻でもなければエメラルドは一切含まれておりません。緑色(エメラルド色)の翡翠の仏像なのです。チェンライの寺院に隠されていたのを1400年代初期に発見したものです。タイ周辺国では、このエメラルド仏に纏わる様々な伝説や言い伝えがありますが、製造年や製造者、その製作目的もわかっていません。ただ、タイではこの仏像に最大限の敬意を払っており、これを持つ者には正統性と繁栄、幸運がもたらされると信じられています。
ワットポー
アユタヤ王朝末期のプラペートラチャ王時代(1688~1703年)に建立されたといわれる、バンコク最古の寺院。その後、バンコク王朝のラーマ3世(1824~1851年)が17年をかけて長さ46メートルの涅槃像を祀る本堂とその回廊、礼拝堂、71もの仏塔を建立させました。また同時に、タイに古くから伝わる医薬資料を集め、それが後にタイ初の古典医療の拠点として発展することにつながりました。見どころとしては、巨大な涅槃像をはじめ、お釈迦様にまつわる言い伝えやインドから伝わった古典文学のラーマヤナなどを描いた本堂の壁画、そして境内のいたるところに見られる石造の面白いレプリカなどがあげられます。
暁の寺
「暁の寺」としてタイでもっとも有名な寺院のひとつ。1767年、タークシン将軍はビルマによる侵攻で荒廃したアユタヤの地を離れてチャオプラヤー川をくだり、とある夜明けにこの寺に辿り着きました。そしてこの周辺を拠点に、現在のバンコク王朝の前身にあたるトンブリー王朝を開き初代の王に。当時ワット・マコークと呼ばれていた小さな寺院は、そのことから「暁の寺」と呼ばれるようになったという言い伝えがあります。また、ヴィエンチャン攻略で戦利品として持ち帰えられたエメラルド仏(持ち帰ったのは当時タークシン王の部下だったところの後のラーマ1世)が祀られ、「王宮寺院」となっていた時期もありました(現在エメラルド仏はワット・プラケオ内でみることができます)。ラーマ2世の頃に建設が始まり、ラーマ3世の時代に完成した現在の美しい仏塔は、バンコク様式で、10B硬貨にも描かれています。
昼食後アユタヤへ (80キロ)
世界遺産アユタヤ観光
ワット・ヤイ・チャイ・モンコン
1357年、アユタヤを建都した初代ウートン王がセイロン(現スリランカ)に留学中の修行僧たちの瞑想のために建てた寺院で、別名を「ワット・プラ・チャオプラヤータイ」といいます。また、遠くからでもひときわ目立つ高さ72mの仏塔は、1592年に19代ナレスアン王が象にまたがり一騎打ちでビルマ王子を敗り、ビルマ軍との戦いに勝利した記念の塔です。当時、ナレスアン王はビルマが先に建てたチェディ・プカオ・トンのパコダに対抗してこの仏塔を建立しましたが、高さはわずかに及びませんでした。
ワット・マハータート
1369年~70年の2代ラーメスアン王が建てたという説と、1370~88年の3代ボロムラーチャー1世が建てたという説がある13世紀の重要な寺院の一つです。かつては塔の頂上が黄金に輝いていたこの寺院もビルマ軍の侵略により廃墟と化し、今は木の根の間に埋め込まれた仏像の頭や、頭部がない仏像、崩れ落ちたレンガの壁や礼拝堂の土台が残るのみとなっています。1956年の修復の際、塔の跡から数々の黄金仏や宝飾品などが発見され、これらは現在チャオ・サン・プラヤー国立博物館に展示されています。
ワット・プラ・シー・サンペット
アユタヤ王宮内にあった最も重要な寺院で、バンコク王朝におけるエメラルド寺院のような存在。トライローカナート王時代の1448年に建立され、以降はここで宮中儀式が執り行われてきました。寺院のシンボルは、東西に並ぶ3基の仏塔で、それぞれにトライローカナート王(1448~1488年)とその王子らの遺骨が納められていたと言われています。仏塔の東側に本堂が後に建立され、高さ16メートル重さ171キロの、純金に覆われた立仏像が置かれていました。この仏像が寺院名にもなった「プラ・シーサンペット」といいます。1767年のビルマ軍による第2次アユタヤ侵攻で寺院そして仏像は悉く破壊されましたが、戦後になって修復され、現在の姿となりました。
昼食はコカレストラン タイスキを
コカレストランは、創業から50年以上経つ老舗のレストランです。
タイ国内以外でも日本を含んだ9ヶ国に支店を持っており、「タイスキといえばコカ」と言われる程有名です。
日本の店舗は、タイ料理自体がまだマイナーだった1992年に東京に現れ、現在に続くタイ料理一般化に一役買いました。
タイと日本、両国の店舗ともサラリーマンを始め日本人に大ヒットしており、そのあまりの人気っぷりは鍋料理であるにもかかわらず「一人タイスキ」という言葉が生まれたほどです。
ニューハーフショー
2月4日(日)
ダムヌン・サドゥアク水上マーケット
かつて「東洋の水の都」と呼ばれていたバンコク。昔ながらのスタイルで小船に積まれたフルーツなどが売り買いされる水上マーケットではタイらしい雰囲気を満喫できます♪
昼食はバンコク市内レストランで 午後宝石店、健康寝具店へ
空路チェンマイへ 国内線80分
タイ料理店で夕食
ホテル
フラマチェンマイ
チェンマイ北部で商業地区の外れに位置するエレガントな4つ星ホテル。 チェンマイ国際空港や鉄道の駅からは車で約15分。 官庁、有名なチェンマイ大学、繁華街にも近い便利なロケーションで、チェンマイ北部の商業地区近郊の高台に建っている。ロビーは広く、近代的なランナー スタイルの装飾が、リラックスできる雰囲気を演出している。 ゆっくり寛げる場所であり、待ち合わせにも最適である。ホテルには、3軒のレストランと1軒のラウンジがある。 伝統的なタイ料理から豪華なフランス料理まで、プロのシェフが作り出すメニューは、素晴らしい眺めとともにチェンマイのユニークな食文化を体験させてくれる。美しいセミナー & 会議室が7室あり、最大200名までの収容が可能となっている。 10名ほどの重役会議から200名までの宴会まで、多目的に利用できる。 高い天井や格調高いエントランスが目を引き、顧客のあらゆるニーズに対応できるよう近代的な視聴覚設備とサービスを提供している。 また、ホテルのプールではリラックスした時間が過ごせる。 広い屋外プールからは、チェンマイの素晴らしい街並みが見渡せる。 他にも、プライベートな雰囲気のプールやジムがある。 ビジネス旅行の顧客に配慮したビジネス センターでは、プリンティング サービス、インターネット接続、セクレタリアル サービスが利用できる。
客室からはドイ ステープの山並み、もしくは賑やかなチェンマイ市内の様子が楽しめる。 アメニティの種類も豊富で充実している
2月5日(月)
チェンマイ観光
ドイステープ寺院
ドイステープは、ラーンナー王朝(チェンマイ王朝)時代に建立されて、金色に輝く仏塔が有名な仏教寺院です。標高1080mのステープ山頂に建つこの寺院は、チェンマイを代表する名所です。1383年に当時のクーナ王によって建立され、特に高さ22mの金色に輝く仏塔は、緻密な装飾の美しさが実に見事。中には仏舎利(イム陀の遺骨)が納められ、今も人々の篤い信仰を集めています。
(引用:タイ国政府観光庁WEBサイト)
上記写真が、ドイステープ観光のメインである「金色に輝く仏塔」になります。この金色の仏塔には、スコータイから運ばれてきた仏舎利(お釈迦様の遺骨)が納められてます。
チェンマイ市内を見下ろす姿が圧巻ですよね。金色の仏塔の周囲には、他にも見どころがあるのでのんびりと寺院をまわってみて下さい。心が落ち着いたら、ドイステープの儀式に参加してみましょう!
ボーサン
タイ北部の都市チェンマイの市街から東へ約10kmほどのところにある、チェンマイの工芸品の一つになっている日傘づくりで知られる村。村内の工房では、独特の絵柄の手づくりの傘の工程を見学できるほか、購入も可能。◇別称は「アンブレラビレッジ」。ボーサンの傘には、木の皮の繊維をすいてつくったサーペーパーが使われ、独特の凹凸のある風合いが特徴。花などをすき込んだサーペーパーを用いた傘もある。また、サーペーパーを使ったノートやアルバム、レターセットなども販売されている。毎年1月にボーサン傘祭りが開かれている。
サンカンベーン
サンカンペーンの工芸村へ。タイシルク手織りの実演を見たり、銀細工屋さんでは純銀のバッグと黒曜石のネックレス・ブレスレットのセットを大奮発。手すきの紙製品屋さんも何軒もあって、絞り染めの紙細工など、日本の民芸品店でみかけるものも沢山。あれって和紙じゃなくてタイ紙だった
ナイトバザール
伝統工芸品から食べ物、衣類などの約700の店が軒を並べる、チャンクラーン通りのナイトバザール。この周辺はホテルや買い物施設センター、レストランなどが集中する市内で最も賑やかな場所のひとつ。食料品を中心に扱うアヌサーン市場も近くにあり、そこから100メートル先の「カレー・ナイトバザール」では、伝統舞踊を無料で見れるステージも併設しています。
夕食はカントークデイナーショー
北タイ郷土料理を食べながら伝統舞踊が見える!
チェンマイがあるタイ北部地方の郷土料理がカントークディナー。ルーツはランナー王朝の宮廷料理にあるらしいです。カントークというのは、円卓のことで、結婚式などの特別行事の時にそのテーブルを囲んで食べる食事をカントークディナーといいます。
ホテルは連泊
2月6日(火)
メー・サー・エレファント・キャンプ
市内から30分に位置するメーサー・エレファントキャンプは1976年のオープン以来、象の調教から保護までを担うキャンプ。象に乗って起伏のある山道を散策できるトレッキングや起用に絵を描く様子やサッカーなどの芸を見学することができます。ショーは毎日3回(08:00~, 09:40~, 13:30~)
オーキッド・ファーム
メーリムにある、タイ屈指のランの栽培場兼即売場。カトレアやデンドロビウムなどもあり、生花を加工してブローチにしてくれるコーナーもあります。施設の奥には蝶の飼育場『バタフライ・ファーム』も併設し、美しい熱帯の蝶を鑑賞できます。
少数民族村首長族
タイとビルマとの国境付近には山岳民族の居住地がある。
いろいろな考え方があるとは思いますが、今回の旅の目的は彼等に会いに行くこと。
それまでのバンコク、ポイペトはある意味おまけ。特に、首長族の方とお会いするのが主目的。彼等(だけではないですが)は、もともとビルマ側に住んでいたようですが、現代社会(というか政治というか。。)に翻弄され、居住地を追われ、一部の方が越境してタイに住んでおられます。また、これらに限らずビルマの伝統は、辺境に住む少数派民族の
女性に、纏足、顔への刺青なども含めて厳しい文化を押し付けてきており、始まった経緯から考えても(といっても説はいくつかあるでしょうが)、既に必要のないと思えるものもありつつ、ビルマ内でも、観光のために利用されている側面もあるという話もあります。
そういった経緯からも、彼らが住む村がタイで観光地化しているのは、賛否両論分かれるところだと思いますが、好奇心が抑えられず、難しいことは横に置いて行ってきました。
ワット・プラ・シン
チェンマイ市内で最も大きい寺院。ランナー王朝第5代パユ王(1336~1355年)によって建立され、リーチェンプラ寺院と呼ばれていましたが、後に第7代王のセーンムアンマーがチェンライからプラシン仏像を迎え入れてからは、プラシン寺院として市民の間で親しまれるようになりました。幅31インチ、高さ51インチのこの仏像は現在、奥にある「ウィハーン・ラーイカム」というこぢんまりとした礼拝堂内に祀られています。お堂の壁には色とりどりの壁画が施され、見どころのひとつとなっています。また毎年4月13日前後の水掛け祭の際には、大勢の市民に参拝してもらえるようにと台に乗せられて市内を巡回します。
ワット・チューディー・ルアン
1391年、メンラーイ王朝第7代セーンムアンマー王(1383~1402年)が亡くなった父を偲んで建立したと伝えられる、チェンマイで最も大きな(ルアン)仏塔(チェディ)のある寺院。仏塔は、創建当時で高さ約80メートル、四角いかたちをした基壇の一辺も約60メートルと巨大なもので、チェンマイ市の真ん中にそびえ立っていました。当時の王は仏教の宇宙観に従って、都の真ん中に須弥山(しゅみせん)に擬えた大きな仏塔を置き、それを囲うように8つの方向にもひとつずつ寺院を建立すると、王朝の繁栄がもたらされると信じていたとか。現在の仏塔は1545年の大地震で先が壊れ、後に文化庁が現在のかたちに修復しました。入り口付近に建つ本堂は、ランナー様式の仏像が数多く祀られています。境内には、他にもさまざまな建物があり、年中観光客で賑わっています。
帰国便に乗る
タイ国際航空TG0640便
ホテルなし
【チェンマイ・タイ旅行】 タイの有名な首長族!カレン族!に会ってきました!