と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

11億持ってフィリピンで早期リタイアに失敗した僕が、正しいリタイアの考え方を解説する, AkiraSenpaiPhilippines

2019年11月30日 20時10分04秒 | とーま君の流儀2019
11億持ってフィリピンで早期リタイアに失敗した僕が、正しいリタイアの考え方を解説する, AkiraSenpaiPhilippines
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ヨーロッパ列強の野望に気がついた秀吉は偉かった

2019年11月30日 19時26分08秒 | 南米マチュピチ2019年11月
インカ文明滅亡の後を見てきたわけだが、今回のマチュピチ旅行では。雄大な自然の中にあったから、なおのこと感動はあったのだ。しかし、ペルーの人たちが、スペイン語しか話していなかったのは、なおさらショックだった。

ボキの英語はむろんつたない。トラベル英語レベルでしかない。そんなたどたどしいボキの英語がまったく通じないのだ。あたりまえである。そもそもが、英語圏にないからである。

なぜスペイン語か。

それは、インカ文明がスペインの攻撃によって滅亡してしまったからである。その残骸がマチュピチなのだ。

現地案内の方が言っていたのだが、インカ人は、マチュピチから四方八方に逃げ去ったらしい。このマチュピチだけはスペイン軍も知らなかったらしいが。あまりに山奥にあって。

悲劇の歴史であったのだ。

で、スペインは(他の欧州列強も)我が日本にも興味を持った。つまり、黄金の国日本にである。ここであっと思ったのである。つまり、インカ帝国も黄金の国だったのだ。だから、興味関心が日本の黄金にあったということは、容易にわかってくる。

要するに、ゼニカネだけでの問題であり、愛を説くキリスト教と鉄砲を持った欧州列強軍隊は一致しているのである。植民地にしたかったのである。欧州列強は。

そこのところにいち早く気がついたのが、秀吉である。

さらにそれを受け継いだ家康であると思ったときに、あああああああああああああああああああああ良かったとなったのである。

日本が植民地になっていたら、現代の日本はなかったに違いない。

そう思ったからである。

あまり西洋かぶれしているとだんだんと自分の立ち位置がわからなくなってくる。




しかし、それでもドンドン海外に行っていろんなものを見てこようっと思った。

どうせボキは、かぶれているから(^_^)。
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今日は幕張に行っていた 研修会講師で

2019年11月29日 20時09分11秒 | とーま君の流儀2019
朝6時の電車に乗って幕張に行っていた。センセ方の研修だった。講師だった。分科会の。10名くらいいた。

夕方の4時過ぎまでやっていた。

安心した。なぜなら、センセ方が実に明るかったからである。積極性もある。人間関係でウジウジと悩むようなキャラにない。そもそも、そういう弱さがあったらセンセなんかできるわけもない。

レポートをあらかじめ提出していたので、一人一人と対話しながらであった。タノシイ研修であった。もっとも、そのレポートはボキが日本にいない間に自宅に来ていたんだけど。

そのつどコメントをしながらであった。

心地よい一日であった。

全員熱心である。

ともすれば、マスコミはセンセたたきをしてはオノレの収入アップをはかっているけど、そんなレベルのセンセはいなかった。

最後に、講評というのをやらされた。おこがましいけど。

何を言ったかというと以下のとおりである。

まず、一番目はセンセ方が実に明るいということである。明るくなければセンセはやれない。第一生徒がついてこない。安心した。こういうセンセに、しかも若いセンセに教わったら人生の活路が開けるではないか。

積極性ということでもセンセ方をほめた。人生に対して覇気がなければ、教育はやっちゃいけないとまで申し上げた。

二番目には、複雑な人間関係の中で、けっして鬱になることなく職業生活を続けていただきたいと申し上げた。教師は、よい子であったから教師になることができたわけである。よく勉強もして、素直に学校生活を送っていたのだろうから教師になれたのだ。しかし、ここに落とし穴がある。「よい子アイデンティティ」の弊害があるからである。極端な悪いこともしないかわりに、天才でもないからである。だから、打たれ弱い。それを心配していると正直に申し上げた。

三番目に申し上げたのは、ゲシュタルトの祈りであった。我は汝のために生きるにあらず、汝も我のために生きるにあらず。汝は汝、我は我。そしてたまにふれあいがあらばそれでよしというようなフレーズである。

タノシイ一日であった。

感謝感激であった。




○ゲシュタルトの祈り

「わたしはわたしの人生を生き、あなたはあなたの人生を生きる。
わたしはあなたの期待にこたえるために生きているのではないし、あなたもわたしの期待にこたえるために生きているのではない。
私は私。あなたはあなた。
もし縁があって、私たちが互いに出会えるならそれは素晴らしいことだ。
しかし出会えないのであれれば、それも仕方のないことだ」
(原文)
I do my thing, and you do your thing. I am not in this world to live up to your expectations, And you are not in this world to live up to mine. You are you, and I am I, and if by the chance we find each other, it’s beautiful. If not, it can’t be helped.


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現役時代は、仕事のことしかなかったけど。今はヒマだからボランティアでも、なんでもチャレンジできるですねぇ。

2019年11月28日 07時26分34秒 | とーま君の流儀2019
忙しいというのが、自慢だった現役時代。仕事に燃えて、仕事に生きて、仕事と心中しても良いくらいに思っていた。ところが、放り出されてしまった。定年である。それから、ボキは変身したのじゃ(^_^)。

ヒマだから、大いにがんばれることもあるってぇことがわかった。失敗してもよしである。成功しなくてもよしであったからだ。成果もなんも求められることはない。好きなように生きて、好きなことをやっている。ボランティアもやっている。それぞれの人間関係もふわ~~~~っとしているからトラブルもなんもない。あるわけない。ヒマだからである。

で、ボランティアでなにをやっているのかということ、以下の画像のとおりである。





これである。まったくの偶然で始めたボランティアである。今では生き甲斐に直結しているから人生はわからないものである。

これ、退学した某大学大学院に在籍中に入会させていたいたものである。論文を書くのに役に立つと思ったからである。それもヒマだからできることですなぁ。

今回の南米行きもヒマだからできた。10日間も日本にいなかったからだ。しかし、勉強になった。英語圏というのが、そんなにでかくないというのもよくわかったし。それになにより、ポケトークを買っていったのであるが、スペイン語に翻訳するのが実に遅い。

(*_*) マイッタ

ま、ヒマヒマ人の戯れごとでございます。

わはははっはははっははははっははははっははははっはははっっははは。


こっちが正式なご案内であります。


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全行程でございます 旅のしおり こんなもんでも作らないと迷子になっちゃうから

2019年11月27日 05時40分40秒 | 南米マチュピチ2019年11月

11月17日(日)

成田空港へ ラウンジに行く ANA

16:00 ANAビジネスで出発 NH0176 ロスアンゼルスへ 9時間40分

 

 

ロスアンゼルス着08:40 乗り継ぎ ラタム航空へエコノミークラス

ロスアンゼルス発 13:00 所要時間8時間40分

 

 

11月18日(月)

00:40 ペルー到着 その後ホテルへ

02:00 ホテル到着 午前は自由行動 要するに寝ていろということなり

12:00 ホテル出発 

    昼食後リマ市内観光 世界遺産等々

 

 

シェラトン・リマ

アルマス広場

ペルーの首都リマの旧市街にある広場。16世紀、スペインのピサロにより築かれた町の中心地にあたる。大統領官邸やリマ市庁舎のほか、南米最古のリマ大聖堂やリマ大司教宮殿博物館がある。広場を含む旧市街は、1988年に「リマ歴史地区」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録された。マヨール広場。

ペルー南部の都市クスコの市街中心部にある広場。インカ帝国時代から神聖な場所とされ、インカの版図となった地にこの広場の土がまかれたといわれる。東側にクスコ大聖堂がある。

チリの首都サンティアゴの旧市街中心部にある広場。チリを征服したペドロ=デ=バルディビアの騎馬像があり、周囲をサンティアゴ大聖堂、中央郵便局、市庁舎、国立歴史博物館に囲まれる。

キューバの首都ハバナの旧市街にある広場。16世紀初頭に建設された市内最古の広場として知られる。第一次キューバ独立戦争を開始し、同国独立の父と称されるカルロス=マヌエル=デ=セスペデスの像が立つ。また、東側にハバナ創設を記念して建てられたエル‐テンプレーテが隣接する。

 

 

ペルーの世界遺産「クスコ市街」にあるアルマス広場にはインカ帝国時代、「ワカイパタ」と「クシパタ」という2つの広場がありました。

 

ワカイパタでは、太陽の祭や豊穣を願う儀式などが毎月のように盛大に開催されました。広場には色鮮やかな衣に眩い金の衣装を身に着けた皇族や貴族が集まり、歴代の皇帝のミイラも並びました。豪華な食事が振舞われ、神への生贄に数万頭の家畜が捧げられることもあったと言います。

 

皇帝は即位と同時に新宮殿を建造したため、広場周辺には歴代インカ皇帝の宮殿が建ち並びました。どの宮殿にも、数千人を収容する大広間や壁一面が黄金で飾られた居室などがありました。

 

帝国の繁栄ぶりを聞いたスペイン人のフランシスコ・ピサロは1532年、黄金を夢みて帝国北部に到着。翌年、クスコに入城。広場を囲う壮麗な宮殿群にあった金銀財宝を奪い、さらに財宝の隠し場所があると知ると、多くの建物を破壊しました。帝国全土から略奪した金は、この時約6トンにも及んだと言います。

 

その後、スペイン人は布教という名目のもと、宮殿や神殿のあとにキリスト教の聖堂や修道院を建てていきました。広場に面した大聖堂や、バロック様式のラ・コンパーニア聖堂は、宮殿を壊して建てられたものです。かつて聖なる儀式が行われていた広場は今、キリスト教徒となったクスコの人々の信仰の中心地となっています。

 

 

カテドラル

 

リマの大聖堂「Catedral (カテドラル)」。

世界遺産であるリマ旧市街・歴史地区の中心に佇むこの美しい建造物は、南米大陸最古の大聖堂です。

インカ帝国を滅ぼしたスペイン人侵略者フランシスコ・ピサロが、

植民地支配を本格始動するその拠点としてリマを建都したのが1535年。

同時に、カトリック布教の中心となるカテドラルの建設も開始しました。

現在カテドラルがそびえ建つこの場所は、インカ皇帝シンチ・ロカの子孫にあたる

シンチ・プマという王子の宮殿があった場所だったと言われています。

1540年3月11日、すでに完成していたその教会に初めて聖体が安置されました。

ペルーで最も重要な教会が献堂された日です。

 

 

大統領府

 

副王庁の時代からペルーの統治に君臨してきた堂々たる建物。平日の正午には衛兵の交代が見られます。

 

 

 

 

 

サンフランシスコ教会

 

 

 

 

 

 

 

いくつもの歴史的建造物が建ち並ぶリマ旧市街。中でも最も重要な建築物の1つに挙げられるのが「BASILICA Y CONVENTO DE SAN FRANCISCO DE LIMA/リマのサン・フランシスコ教会・修道院」だ。すらりと伸びた2棟の鐘楼とバロック様式のファサード(正面装飾)が有名なこの教会が、ユネスコの世界文化遺産に登録されたのは1988年(リマ歴史地区全体の世界遺産登録は1991年)。カトリック信仰の場であると共に、今ではリマ観光に欠かすことのできない名所となっている。見どころは地下にあるカタコンベ(地下墓地)だ。狭く暗い地下室に眠るおびただしい数の遺骨は、見る者を圧倒することだろう。

 

16:00ホテル着 スーパーマーケットに行く予定

 

 

11月19日(火)

リマ 6:45 ホテル出発

リマ発 09:44 ラタム航空でクスコへ 1時間23分

 

クスコ着 11:07 クスコ市内観光

アルマス広場 

 

12角の石

インカ帝国の中心地であったクスコの建物の礎石は、そのほとんどがインカ帝国時代に組まれた物がそのまま使用されています。

その石組みはカミソリの刃も通さないと云われるほどぴったりと合わさっていて、鉄器を持たなかったインカの人たちがどのようにしてこんな緻密な建築ができたのか、とても不思議な気持ちになります。

 

そんな礎石の中で有名なのが、アルマス広場近くにある「12角の石」です。

 

幅が1メートルもある巨石で、それが緻密に計算されたように12角に加工され、隣り合う石とぴったりと合わさっているのです。

インカ文明の石造技術の高さがうかがい知れる場所です。

 

「12角の石」は古代インカのパワーを受け取ることのできるスポットとして注目されている場所です。

石に手をかざすと太陽のエネルギーが得られると云い伝えられていて、ここを訪れる多くの人が手をかざしていきます。

こうした遺跡に触れるのって、時間を超えて何百年も前の息吹を感じるようで、とても神聖な気持ちになれますよね

 

 

 

サントドミンゴ教会

 

 

 

生贄の台

インカの世界観が描かれた金の板(レプリカ)

 

 

手前の狭い路地を抜けてサント・ドミンゴ教会の正面にやってきました。スペインが造った教会ですが、元はインカ時代のコリカンチャ=太陽神殿でした。スペイン人はインカ人が造ったコリカンチャの土台の石組を利用し、その上に教会を建てたのです。

 インカ帝国の公用語であったケチュア語で「コリ」とは「黄金」、「カンチャ」とは「部屋」とか「囲い場」を意味します。コリカンチャは黄金の太陽の神を祭ったインカ帝国最高の神殿でした。1533年フランシスコ・ピサロがクスコに入城し、壁などに敷き詰められていた黄金をすべて奪い去りました。

 

 インカ人はクスコを中心に1430年代頃から帝国を造りはじめ、1533年スペイン人ピサロによって滅ぼされるまで存続します。インカ帝国は100年ほどの短命な帝国でした。

観光後、バスでオリャンタイタンボヘ 80キロ 二時間

 

スーツケースはクスコに置いていく 1泊2日分を別のカバンに用意

マチュピチへの列車にはスーツケースの積み込みができない

 

オリャンタイタンボ着 列車 19:04 列車でマチュピチへ

 

列車内

 

マチュピチ村 到着 20:45 ホテルへ21:00

 

ホテル名 エル・マビ

 

 

メイン通り

 

 

ホテルの部屋

 

料理

 

 

 

 

 

11月20日(水)

マチュピチ出発 07:30 

マチュピチ遺跡へ

3時間観光

徒歩 標高2400

 

 

マチュピチュ遺跡は終日いても飽きない!

 

 

 

 

 

 

 

16:22 マチュピチ発 オリャンタイタンボへ列車で

18:10 オリャンタイタンボ着

バスでクスコへ 80キロ 2時間

20:30 ホテル着

クスコ泊 アウグストスホテル

 

 

 

 

 

 

11月21日(木)

クスコホテル発 04:20 軽食

 

ラタム航空でリマへ 08:15 1時間27分 着後乗り継ぎ ラタム航空でイグアスへ 3時間57分

リマ発 12:28

イグアス着 18:25 ホテル直行

19:30 ホテル着

イグアス泊 ブルボンフォスドイグアスビジネス

 

 

 

 

 

11月22日(金)

07:30ホテル発

イグアスの滝 3時間

トロッコ列車に乗ってアルゼンチン側からの悪魔の喉笛から滝を真上から見る

 

 

昼食 アサードとビュッフェ

 

 

 

午後ボートツアー15分

 

三国国境地点展望台

 

 

17:00 ホテル着

前日と一緒

 

 

11月23日(土)

12:00 ホテル発 

イグアスの滝 ブラジル側から見る 1時間30分

 

 

観光後空港へ

イグアス発 20:05 ラタム航空でリマへ 4時間05分

リマ着 22:10 

ホテル到着 23:20

ブリタニア ミラフローレス

 

 

 

 

11月24日(日)

朝食 軽食

ナスカの地上絵遊覧飛行

 

 

朝食軽食 ホテルでの昼食なし 夕食はホテル

 

21:00ホテル発

 

 

11月25日(月)

この日はオール機内食

 

リマ発 LA2476 ラタム航空にてロサンゼルスへ 8時間55分

ロサンゼルス着 07:45 乗り継ぎ

ロサンゼルス発 10:25 ANAで日本へ 12時間

 

 

11月26日(火)

昼食機内食

 

15:25 成田着  

 

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10日間ほど留守をしておりました(笑) 今やっと帰ってきました 南米からロス経由で

2019年11月26日 21時05分38秒 | 南米マチュピチ2019年11月

まったく記事をアップしていなかったので、死んだのかと思われてしまったようです。

現実のボキはまだ生きております。

10日間ほど、人生勉強に南米に行っておりました。

インカ帝国滅亡の歴史を味わいにであります。

なかなかの勉強になりました。

なぜに、インカ文明は滅んだのかということに関心が非常にあったからでもあります。

さらに、英語圏というのがどれほどのものなのかという興味もございました。

英語圏のことは予想通りでありました。スペイン語が強く、圧倒されました。まったく知らない言語ですから。もっとも、ボキ、日本語も怪しいですが。

それにしても大金払っただけのことはありましたなぁ。

 

バイト先からの連絡も入っておりましたので参りましたなぁ。まさか、人生勉強にというふざけたことを言って日本国内にいなかったのですから。こっちのバイトは、年に4回くらいしかやっていないので、国内にいないとは思ってもみなかったようです。

 

あちこちメールをして、ジエンド。

 

もともとボケている頭を休めないとアカンですから、寝ます。

 

(@^^)/~~~

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コンビニにいたお客様は神様ですという御仁 笑ったなぁ しょうもないジジイですヨン

2019年11月16日 08時28分03秒 | とーま君の流儀2019
昨日のことである。コンビニに行った。銀行に行ったその帰りである。クルマで行った。そして、ちょいと小腹が空いたからチョコレートの一番安いやつを買った。血糖値が低くなったらヤバイからだ。

最近のコンビニは、次の客を待たせる標識みたいなのがある。そこに立っておとなしく待っていた。チョコを握りしめて(^_^)

びっくりしたのは、レジで定員さんに文句をたれているジジイがいたのである。またかと思った。こういう訳のわからんジジイが時々いるからだ。たばこを買っていたのだった。そしたら、定員さんがたばこの名前を間違ったらしく憤慨していたのである。そのジジイが。

強烈に責めていた。

挙げ句の果てに、銭をバシッとレジスターの脇に投げつけたのである。

「お客様は神様なんだぜ」とまでのたもうていた。

レベルの低いジジイだなぁ。

そんなくだらない神様がいたら、神様の方が憤慨してしまいますぜ。

煙草銭くらいで、感情の起伏があったら長生きできませんなぁ。憤慨のレベルが違ってしまっているからだ。もっとすごいことで憤慨すればいいのにと思った。

で、ここまで打鍵してきて、あっと思った。

ボキも他人のことは言えないですなぁって。

一円・二円のことでトラブルを起こしたこともあったからである。守銭奴とはよくぞ言ったり・言われたりである。クルマだって値引きをしつこく迫ったりしたこともあったからだ。今考えてみれば、あんな安いクルマ、どうだって良かったではないか。

以前、日産の車に乗っていたがその時の営業氏が、いま課長になっている。確か、プレサージュの4WDであった。家人は日産のクルマなので、今でも我が家に来るからだ。その時の彼氏が、今でも言う。と~ま君は、値引きを迫らなかったって。実は面倒くさかったからである。それに、すぐにでもほしかったからだ。通勤でけっこう遠いところまで通っていたし、たまには雪も降る場所だったからだ。それに、それまで乗っていたディーゼルワゴン(トヨタ車)が壊れたからでもある。

でかい面をして、商売をやっている方々に文句をたれていたらアカンでっせ。

お客様なんて、ただのぼんくらであるからだ。すくなくとも、神様だと自分で言っていたら神様が激怒してしまうでっせ。

わはははっはははっはははっはははっはははっはははっははは。



BYE-BYE!
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ボキは器もちいせぇが、クルマもちいせぇのに限る。

2019年11月15日 09時06分54秒 | とーま君の流儀2019
これまでいろんなクルマに乗ってきた。子供たちがいたから、ワゴン中心であった。スキーにも行っていたから、4wdが多かった。ボキは雪国生まれの雪国育ちであるから、雪の怖さは身にしみている。だからである。それに、義母が元気だったからいろんな温泉にも行った。おかげで、愚息はもう東北地方には行きたくないと言っている(^_^)。

話題はそんなことではない。

この間中古車を買ったということである。1900キロしか乗っていない中古車だった。かなり安かった。年金暮らしにはまことにありがたい。同じディーラーから買った。去年出たばかりのクルマらしい。cx3というやつだ。

かなり小さい。ボキと家人が乗ったらもうそれで終わり。一応、後席に3人乗れるらしいが、狭い。もう多人数で乗ることもあるまいと思ったから買った。それにほどほどの荷物を積んで家人が嫌がらない程度の距離でもって、温泉でも行ってみたいからだ。

なにしろ温泉大好きであるからだ。ボキは、赤湯温泉というところで生まれて、そこで18歳まで育てていただいたからである。

9月に石巻の温泉でいとこ会をやったが、その赤湯温泉で一緒に育ったいとこたちであったのだ。32名もいた(^_^)。

なにしろ親の数が多いからだ。7人いたからである。ボキの親父は、次男。だから、亡母の家に婿入りしたのだった。役場の官吏をやっていた。亡母は師範学校出の小学校教員。親父は、シベリア抑留体験をさせられた過酷な記憶があって、実に大変な思いをして引き上げてきた。だから、いろんな話をしてもらった。

そんなわけで、ボキは温泉が大好きなのである。

で、またクルマに戻る。

アクアとかマーチとかのスモールカー程度だが、この車はエンジンが2000もあるのだ。したがって、ダッシュが早い。

燃費はさほどでもないが、エンジンが大きすぎる。車体のわりに。

ぶつかったらどうしようかと思ったが、そのときはそのとき。大型に乗っていても、死ぬときは死ぬ。

それよりなにより、装備が良かった。これは中古でないと買えなかったよん。こんな装備のクルマに初めて乗ったからである。スマホとクルマのナビがくっついていて、クルマから電話ができるからだ。これも設定が難しそうだったから、懇意にしている営業の御仁に設定してもらった。

実はまだまだよくわかっていない装備があって、昨日はライトがオートで下向きになったり、上向きになるのを知らなかったからびっくりしたのだ。

まったくジジイのお笑いぐさである。

小さいクルマだけど、ボキの器と一緒だ。

これで生涯最後のクルマになるだろう。

大事に乗っていきたいと思っている。

趣味に生きるためにも。


(^-^)/

※それにしても今日は記事を三つもアップしてしまった。暇だなぁ。

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兼好法師の女性観 107段 大笑いしたよん

2019年11月15日 08時09分40秒 | とーま君の流儀2019
現代語訳を載せようと思ったが、多くの方々が訳しておられるから止めた。著作権違反になってしまうから。

それにしても、大笑いである。兼好法師の女性観がにじみ出ているからだ。わかっていらっしゃるですなぁ。

僧侶でこれほどわかっているとなると、実際生きていたら、どんだけ怖い方であったのかと思いますです。

わはっはははっははっははははっはははっはははっはははっはははっはは。










 「女の物言ひかけたる返事、とりあへず、よきほどにする男はありがたきものぞ*」とて、亀山院の御時、しれたる女房ども、若き男達の参らるる毎に、「郭公や聞き給へる」と問ひて心見られけるに*、某の大納言とかやは、「数ならぬ身は、え聞き候はず*」と答へられけり。堀川内大臣殿*は、「岩倉にて聞きて候ひしやらん」と仰せられたりけるを、「これは難なし。数ならぬ身、むつかし*」など定め合はれけり。
 すべて、男をば、女に笑はれぬやうにおほしたつべしとぞ*。「浄土寺前関白殿は、幼くて、安喜門院のよく教へ参らせさせ給ひける故に*、御詞などのよきぞ」と、人の仰せられけるとかや。山階左大臣殿は*、「あやしの下女の 見奉るも、いと恥づかしく、心づかひせらるゝ*」とこそ仰せられけれ。女のなき世なりせば、衣文も冠も、いかにもあれ、ひきつくろふ人も侍らじ*。
  かく人に恥ぢらるゝ女、如何ばかりいみじきものぞと思ふに、女の性は皆ひがめり*。人我の相深く*、貪欲甚だしく、物の理を知らず。たゞ、迷ひの方に心も速く移り、詞も巧みに、苦しからぬ事をも問ふ時は言はず。用意あるかと見れば*、また、あさましき事まで問はず語りに言ひ出だす。深くたばかり飾れる事は、男の智恵にもまさりたるかと思へば*、その事、跡より顕はるゝを知らず。すなほならずして拙きものは、女なり。その心に随ひてよく思はれん事は、心憂かるべし*。されば、何かは女の恥づかしからん。もし賢女あらば、それもものうとく、すさまじかりなん*。たゞ、迷ひを主としてかれに随ふ時、やさしくも、面白くも覚ゆべき事なり*。 
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頼まれごとは断らないとやっていたら、いつのまにかバイト9つになっただけのことで、無理はしていない(*´∀`*)

2019年11月15日 07時02分21秒 | とーま君の流儀2019
ボキは結局なにをやりたいのだろうと思うことがある。暇だから生きているのか、あるいはどこも健康に問題がないから退屈しているだけなのか。

バイト三昧で老後を過ごしているが、要するに暇だからだ。無理に老後も働いてみようと思ったわけではない。使ってくださる方がいるからありがたく働かせていただいているだけである。むろん、現役時代の延長でやっているだけであるからできる。それに、毎日やっているわけではない。

無理は禁物と思ってもいる。無理して毎日多忙なふりをしていたら、病む。実際、ボキは大病院に16日間も入院していた。某大学大学院在学中であった。あれでもって実際諦めた。能力の無さもあった。

情けなかった。でも、そこから不死鳥のようにボキは立ち直った。どんなにささやかなことであっても、どっかで役にたつということがあれば世のため、人のためにこの身をささげようと思ったからであった。頼まれごとは断らないというスタンスに立ってみたのである。

それがバイト9つになっただけのことである。むろん、年に数回というバイトもある。週に一回、二回程度のバイトもある。使われなくなったら、電話でもう来なくていいとなる。それでいいのである。

なにも執着していることもない。頼まれたらやるが、おめぇなんか要らないとなったら、それきりである。

それでいいのだ、それで。


ああああああああああああああああああああああああああああ。

旅に出たい。道ばたにおわす石像でも見ながら、である。そして、温泉にでも入りながらゆっくりしたい。もうゆっくり生きているから、毎日がタノシイだけだけどねぇ。

トラブルのない人生なんてないのだろうけど、それでもボキはタノシミで生きていきたい。

しゃちこばって、固いまま生きている必要もない。もうフリーランスなのだから。固いと柔軟性が失われる。

スーツにネクタイという生き方からはオサラバしたのだから。

ボキは、これからも好き勝手にジジイ生活を満喫していくつもりである。

たった一人で。


BYE-BYE!
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二つ目のボランティアで昨日は出かけていたのだが、それにしても大雨だった。ボキの心のようだった。

2019年11月14日 07時01分11秒 | とーま君の流儀2019
二つ目のボランティアでやらせていただいている居住地の文芸賞の審査委員会に昨日は行っていた。小学生から一般までのおよそ2000点近くの作品を審査している。ありがたいかぎりである。このような企画・イベントに誘ってくださるのだから。せめての恩返しである。ボキのようなアホジジイを相手にしてくださるのだから。

午後1時から5時くらいまでかかった。来週もある。しかし、ボキは出席できない。用事があるからだ。申し訳ないと会長にお詫びを申し上げたが。二週間分、精一杯やらせていただいたけど。

それにしても、ボランティアというのは良いものである。気分がいい。ボキ以外の方々はそれなりの格好をしておられたが、ボキはまったくのフリーランス。ネクタイもしないし、動物の絵のついたシャツのみ。ズボンにいたっては、出稼ぎスタイル。ヘアスタイルもよくない。禿だからだ。直しようがない。

まるで、これじゃぁ遊び人ですなぁ(^_^)。

趣味で生きてきて、趣味でバイトして、趣味でボランティアをやらせていただいているからだ。

そういえば、某大学大学院時代にもそんなことを言って、ひんしゅくをかったっけ。中国の大学の副教授の先生が多かった。彼ら彼女らは、真剣だった。なぜなら、教授になるのには博士号が必須だからである。日本語を教えておられる中国人の先生が多かった。たいしたものである。院生仲間はみんな博士号をとって、中国に戻っていった。まことにたいしたものである。ボキは脱落してしまったが。

そもそもが情緒的なんだねぇ、ボキは。打たれ弱い。すぐいじけてしまうのじゃ。撤退ということばが好きであるし、根性がない。しがみついてでも、他人を蹴落としてでも、博士になりたいという意欲がない。だから、病気になっちまう。そして、そこから這い上がれない。這いつくばってでも、のし上がろうというのがない。これじゃぁこのブログを見ている価値もない。

そうなのだ。このブログは誰かになにかをお伝えしようとして打鍵しているのではないからである。

生涯学習ごっこのために始まっただけのことである。生涯学習時代の仲間からも、リンクを削除されたし。そんな程度のもんである。

あまりにも暇で不善をなしているよりは良いか。

BYE-BYE!


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合わない人からはすぐ逃げた方がいい理由 ⇔ おもろいですなぁ

2019年11月13日 09時40分41秒 | とーま君の流儀2019
合わない人からはすぐ逃げた方がいい理由
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常に上から目線で物をいう人との付き合い方 ⇔ やめりゃぁいいのだねぇ この人のいうとおり

2019年11月13日 09時38分26秒 | とーま君の流儀2019
常に上から目線で物をいう人との付き合い方
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いばりんぼ~~~~~は相手にせんことです。マジにそう思う。

2019年11月13日 08時52分40秒 | 教師の流儀
マウンティングというか、威張ってばかりいる種族というのがいる。確実にいる。公務員に多い。今でも、中学校や高校に行くことがあるが、たびたびそういう種族と遭遇する。

一番多いのが「アポとってから来い」とおっしゃるイバンリボである。だから、ボキは機先を制して「アポとってないですから、ごめんなさいねぇ」と申し上げることにしている。それが痛烈なイヤミになっているのに気がつきもしないから、お笑いぐさである。

そもそも、中高のセンセくらいでそんなに偉いのかね。笑ってしまう。これって、公務員には特質的な性癖であろう。階級社会だからだ。それに普段子供しか相手にしていないから、オノレでもってエラクなっちまうのだ。アホかいな。

アホならアホなりに生きていれば良いものを、と思う。哀れになっちまう。大学のセンセもそうだ。たいしたことがないレベルの大学のセンセも、偉いと勘違いしてしまっているのだ。自己主張のカタマリだからだ。でないと、大学のセンセなんかできやしないだろう。論文の数を誇っていないと、文科省から認定されないからだ。そして、新説のラッシュがないとあんなもんできる訳がないからだ。

でもねぇ、ボキはそれで良いのかと思っている。自慢の種というか、そういう自分の価値を否定して生きていくのが、本当の教育者であろうから。自分なんてたいしたことはないという自己否定こそ、大事な価値である。このことは儒学者の中根東里に学んだことでもあるけれども。

すくなくとも、ボキはそう思っているからだ。

勉強とか学問って、やればやるほど奥が深いと感じてしまうからだ。まだまだボキなんか人に説教たれられるほどのレベルではないと本当に実感してしまうからである。これはマジにそうである。

それに言葉の使い方も悪い。ボキは、この点については改めなくちゃアカンと思っている。どうしても、身内に汚い言葉を使ってしまう。それはボキの言語生活の二重性にある。

つまり、ボキは基本的にズーズー弁で生まれて育ったからである。関東弁に慣れていないのだ。関東弁は汚い。けんかしているような言語である。対等だから、相手をののしってしまう。

大阪弁は相手を尊重してものを言う。敬語が発達している。この点で立派なのが、あの鶴瓶師匠である。見事なものである。コミュニケーションの達人で誰とでも仲良くなっちまう。これは見習いたいことである。

彼は笑顔も良い。

偉ぶらない。

偉ぶっているアホを相手にしない。

ふううううううううううううううううううううううううううむ。

今日から言語生活に注意していこう!
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今月のバイトは、これで終わり。月末事務処理までやってくる。ありがたいもんだ(^_^)

2019年11月12日 06時05分53秒 | とーま君の流儀2019
昨夜、ちょっとだけだが他所の大学院で書かれた論文を調べていた。そしたら、あっと気がついた。ボキ、ボランティアでやっている歴史の会以外でも雑文を書いていたということにである。つまり仕事関係での雑文。この8月までやっていた非常勤講師のときも書いていた。なんとその大学の公式ホームページにもアップされているから、間違いないのだ。

要するに、修士課程で書いたものと博士課程で書いたものは内容が一致していなくちゃアカンということに今更ながら気がついたということである。まったく話にならないというのはこのこったよん。

趣味程度でやっているからこうなっちまうのだ。

命をかけて努力して、博士になっておられる方々がたくさんおられるのだ。そういうことを忘れていた。習い事程度の意識しかなかった。これじゃぁ大学院も追い出されるわけである。さらに、もっと勉強してみたいと思っても、受験すら拒否されてしまった。心機一転したいとマジに思っていたからである。

学位の紙も、棺桶に入れてもらえばそれでよし。家人にも言ってある。それだけでよいですよんと。だから家人に反対されてしまうのである。大学院受験を。決定打は、教えていただきたいと思った先生からのメールで、考え直した方がいいとあったからだが。

バイトでもらった金は、全部学費に充当していきたいと思って貯金している。そういう面では慎重なのである、ボキは。

月に4回しかやっていないバイトだから、これだけでは暮らせない。他に年金が入ってくるから暮らせるのである。つつましく生きているつもりである。そして、今月後半はまたまた別のバイトがある。趣味の行事で出かけるのもある。タノシイものである。

今日は、事務処理をやってそれから帰る。トラブルもなしに、無事終わることだけを祈っている。

え?

なんのバイトなのかいっこうにわからないって?

そりゃぁ、秘密。なにしろ9種類もやっているのだから、自分でもわかっていないからだヨン。

わはははっはははっはははっははっはははっははははっははは。


BYE-BYE!
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/