と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

新体力テスト身体計測

2011年04月28日 20時56分34秒 | 先公ごっこ2008年から2012年


















 朝のうち、大雨が降っていたのですが、どんどん天候がよくなって体力テストを実施しました。すっきりとした青空の下、のびのびと在校生諸君は動いておりました。

 明日から長期にわたる連休です。部活動に、勉強に、思い切りチャレンジしてください。3年生諸君は、この時期の過ごし方を大切に。後半の猛ダッシュはここから始まっています。油断せず、妥協せず、じっくりとです。下級生は、生活行動をしっかりとしていてくださいね。信じておりますよ。今日のホームルームでも担任の先生から注意があったと思います。生活指導の先生からも会議で依頼がありましたから。






 

 この記念碑は100周年の記念事業で、本校同窓会から寄贈をしていただいたものです。なかなか立派です。「尚志」とあります。むろん新しい校訓であります。体力テストを写真におさめてから、玄関に回ったら太陽を受けて輝いている花に最初に目が行きました。本校の正門をくぐってすぐにあります。言わば本校の顔であります。いいものです。実にいい。

 こういう風情あるたたずまいというのは、本当はわたくしのような人間には理解しがたい世界でもあります。和歌とか、俳句とかが非常に苦手であります。もののあわれとか、そういう言葉は知っていてもなかなかその境地に達することができません。年をとったら少しは理解できるのかなと思ってきましたが、未だに苦手な分野です。

 知識として知っていても、味わうことができないということです。未熟なものであると思います。おそらく人間が枯れていないからでしょう。あまりにも、エネルギッシュに生きてきましたから、枯山水の境地がわからないのです。しかし、自分で言うのもおかしいのですが、ちょっとだけ気取って京都の寺院の庭に立つこともあるのですよ。その時もやっぱり歴史のことを考えながら見ているのですから、これは心もとないものであります。 

 京都と言えば今年も修学旅行は、京都です。最近しばしばこのブログで取り上げる作家のS先生が、同志社に学んでおられる。大学院まで行っておられる。毎年、京都の大学を訪問していますので、今年は同志社に伺うことにしました。校長の班別行動でもあります。

 以前も書きましたが、京都にはいろいろな古書店があって、そちらに行くのも楽しみにしているのです。大阪にもいい古書店があります。今の3年生が大阪道頓堀に行った時に、わたくしは最終集合場所から10メートルの古書店にも行きました。大型電気店の裏にあるのを知っていましたから。まったく、なんのおもしろみもない人間です。おそらく一緒に班別行動をしたら、30分であきれられるでありましょう。頼山陽の本を3冊買ってほくほくして出てきました。


 明日は、日本武道館にいる予定です。
 NHKでも放送される全日本柔道選手権を見に行く予定です。予定というのは、ちょっと膝が痛いので。雨だと無理です。ちびっ子に投げ飛ばされて、膝からついてしまったのです。情けないですねぇ。やめればいいのにと家人には言われていますが。

 しかし、誰が勝つのか楽しみであります。



 では、またお会いしましょう!



 




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4月27日(水)のつぶやき

2011年04月28日 01時35分11秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
20:38 from web
リーダー論が実に花開いています。大震災以来。
20:39 from web
どれも五十歩百歩。
20:39 from web
それだけです。それだけ。
by kencho943 on Twitter
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対話

2011年04月27日 19時34分41秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 NHK教育でちょっと前に放送されていた「100分で名著 ニーチェ」を楽しみに拝見させていただいておりました。

 哲学者の西 研先生(東京医科大学教授)が解説をなされていて、興味があったのです。しかし、西先生のヘーゲルの本などと違って、おそらくわかりやすくということをモットーにした故か、期待外れでありました。しかも、西先生がギターかなんかを持って登場されたのでした。(第3回放送)

 どうでもいいような話ですが、これでいろいろ考えさせられたからでもありました。

 西先生が書かれているヘーゲルの本からの抜き書きが、わたくしの机にあります。僭越ながらトルストイの読書ノート「文読む月日」と同タイトルのノートです。B5で100頁あります。重いこと限りなし。

 その中に、ヘーゲルの「精神現象学」の抜粋がありました。
 ヘーゲルの最大の問いは、「自由に思考する内面」と「無自覚、素朴な共同体」との調和を失った時に、その喪失こそが契機であるということです。つまり、自由な個人となったときに、他者・社会的自己に対してどのような態度をとっていけばよいのか?という問いであるのです。

 西先生はそう書いています。
 ですから、これこそわたくしにとっても、向老期の問いであるわけです。

 上記の記述をそのまま読み替えると、わたくしはまさに来年は自由な個人となるし、他者・社会的自己・もっと言えば共同体に対してどのような態度をとっていくべきかという問いにもなるからです。

 これは人ごとではありません。喫緊の課題でもあります。何も考えずに、ぼ~っとトシをとるわけにはいきません。
 
 他者・社会的自己・共同体との関わりということから考えることは以下のようなことです。

 風采があがらず、成功もせず、悪いこともせず、ただ毎日黙々と仕事をこなしてきました。これは現在進行形でもあります。まったくそのとおりであります。あるいは、世の中を見てしまった者としての自己規定もあります。また、他人の人生を横目で見る必要もなくなりました。他人に認められたいという悪あがきもありません。自分に酔っているだけのいじましさもない。一人相撲するカラ元気もない。人生を拗ねたふりをすることもない。若き日の幻想にしがみつくこともない。大物ではないので、大物ぶることもない。人間の優しさも見たし、ちっぽけさも見た。裏も表も全部同じ一枚の葉っぱであったことも知りました。

 これからは「する」人生よりも、「ある」人生であります。意味を見つけていかなくてはなりません。まっとうな人生にするのではなく、まっとうな人生であるということをかみしめたいものであります。

 それにつけても、精神のあり方を考えるということは小説のようにおもしろいことであります。精神現象学は、わたくしのような鈍才にはとても難解なのですが、こういう視点から読み込むことによって、まったく平々凡々たるわが読書体験に役立つことであろうと思っています。それこそ、意味を求めて、です。

 意味のある高校生時代を送りましょう。高校時代というのは、まったく理解し難い熱情のようなものがあって、何度もこのブログに書いてきましたが、実に後から思い出しただけでも顔が赤くなります。基盤が全部他人にあったし、他人にどう思われるか、いつ蹴飛ばしてやろうか、隙あらば柔道で投げ飛ばしてやろうかとか、そんなことしか考えていなかったからです。バランスが取れていなかったということでもありましょう。

 今日はある生徒にそんなことを語って聞かせておりましたので。かなりはしょってです。背景がこういうことだということです。



 また明日から頑張りましょうね!

 

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習合ということ

2011年04月26日 20時56分15秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 県銚ニュース22号を作成しました。
 大衆日報様に入学式を先に報道していただいたので、ちょっと記事にしにくい状態になったのですが、これもまたうれしい悲鳴。しかしながら、入学式を学校だよりとして無視することはできません。
 4月のトップニュースです。
 避難訓練も大事ですが、これも扱いましたが、やはり入学式であります。学校行事の最初の華ですから。

 本校の公式ホームページにアップしていただきますから、お楽しみに。そうです。わたくしは、コンピュータの素人ですから、アップできないのです。

 避難訓練の記事も新聞には書いておきました。
 これもまた重要であります。
 何度やってもいいくらい、重要であります。

 明日以降、印刷をしていただいたら、封筒詰めをして、各中学校様にお送りします。待っていてください。




 今日は一日新聞を作っていたわけではありません。正味2時間かかっておりません。間にいろいろな仕事をやっておりました。そういうものです。そういうもの。学校にいたら、一極集中というわけにはいきません。

 わたくしは、実にバリバリ仕事をするタイプで、先取りをして、どんどん仕事をこなしていくタイプです。こういうのは、はた迷惑でありますから、十分注意をしているつもりです。でないと、組織が動かない。ただし、全部丸投げして、自分は何もやらないというのではいかがなものかと思っております。

 そこには常に問いがなくてはなりません。
 
 こういう場合には、どうするのだ?という不断の問いであります。想定問答集を自分で作っていくわけです。でないと、人間としてはあまりさえないことになってしまいます。

 ずいぶんやんわり言っているつもりですが、あまり理解いただけないような気が最近はしています。わたくしは、学校の世界だけで生きているのではないからです。いろいろな社会的役割を持たせていただきながら、ご奉仕させていただいています。ですから、かなり人間的なつきあいが広範囲であると思っております。自分では。

 世間では、直球勝負の人があまりにも多いからです。生徒諸君にも多いのかもしれません。
 直情径行もいいのでしょうが、相手に考えさせることもかなり大事です。わからない人は、いつまでもわからないのです。キレタとかなんとか、冗談なのか、本気なのか理解しがたいことをのたもう。いちばんわたくしの理解できない種類の方々であります。

 そういう方々は、たいていかなりのプライドをお持ちです。そして殆どご自分に自信があって、専門分野ではまさに専門家であります。ソクラテスの時代に生きていたソフィストであります。

 知っていることがあまりに多いから、他の指導者とか、他のチームとか、他人をけなすわけです。しかし、その基盤はいかがなものか。柔道の世界もそう。

 知があると思い込んでおると、大きな落とし穴が待っています。これはきつい。一度落ちたら、這い上がれない。なぜか?それは自己成長を断念してしまうからです。

 そんな自分勝手に、うぬぼれている暇があったら、自分は無知であるという前提のもとに、他に学ぶことであります。柔道でもいつも自問自答しています。おさなごたちに教えるだけの、知識・実績があるのかと。世界チャンピオンになったことは一度もないのですから。

 ですから、他の人びとと争いをしている方々が信じられないのであります。こちらは生徒諸君にも当てはまる人がいるでしょう。争いの好きな人。

 どうか調和ある生き方をしていただきたい。
 
 調和することは妥協ではありません。

 習合することであります。習合です。統合といってもよろしい。異なることを、習合することです。是非辞書を引いて意味を確かめてみてください。

 

 いつまでも、幼児のごとく、力任せに生きていくことはできません。喧嘩なぞしてたら、嘲笑される。名誉を重んじたまえと申し上げたい。

 自分よりも強い人は世間にいくらでもいます。また、知的な素養において優れた方もたくさんおられる。これは絶対に忘れてはならないことであります。

 

 愚たる存在という意味で、わたくしは自分を「愚生」と時々書いています。まさに、慢心からはなにも生産されない。自覚をしましょう。自覚を。

 大震災に勝てなかったのですから。
 所詮、人間の知恵では。



 また明日!


 

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散る花

2011年04月25日 20時09分01秒 | 先公ごっこ2008年から2012年


 


 この写真は、学校の桜が朝は咲いていたのに、午後になったらちょっと寂しくなっていたということをお伝えしたかったということです。今日の学校で、強風の中をじっと耐えていました。絢爛たる見事な八重桜であります。むしろ豪華絢爛であるが故に、散り際がかわいそうになります。散ってしまったら、世界が変わる。価値も変わる。現象の世界のはかなさでもありましょう。

 潔い散り方というのは桜です。それはそれで結構なものです。しかし、朝咲いていて午後には風で吹き飛ばされているのを見ると、実に感ずるところ大であります。  

 女優の田中好子氏という方が亡くなられて、わたくしよりもちょっと後輩の50代半ばの方々が、男泣きしているテレビを見ました。昨夜。それはそれでたいへんなことであると、素直に受け止めました。生死は、避け得ないし、どのように受け止めるかということもまた人生のおおきな転換点です。ハイデガーのいうとおり、人間も、あらゆる物は死んでしまいますから。この話題は、これ以上はふれませんが、忘れてはならないことであります。ですから、生命は尊いのであります。

 それにしてもはかない。

 強風に持って行かれてしまう。


 なんという風でありましょうか。別に意識してやっているつもりでもないでしょうし、文句のつけようが無いですが。   



 同時にこの八重桜の花の散り方を来年は見ることができない。そういうものです。来年は、別の場所の花を見ることになるからです。時間的にも、場所的にも。一期一会。まさにそう。これっきりであります。きれいなものほど、これっきり。花も、人間も、美味なるものも。だから、思い出に残るのでありましょう。

  佐藤優氏のことを、最近記事にしました。なかなかの論客であります。そして、どういう情報収集をしてきたのかということをずっと調べておりました。大学院での神学専攻も含めて、だいたいわかりました。また、わたくしの知らない分野の情報収集をしておられる。これもまたすばらしいこと。ちょっとだけなら、わたくしも体験を共有させていただけるのではないかと、参考文献を集めて、読書をしています。

 中でも、太平記が佐藤優氏の読書でおもしろい位置づけとなっていました。どうやら、国家観というものに影響を与えたようです。わたくしも、書庫にありますので、今日は虫干しをしました。学生の時に買った岩波古典大系本です。それに、本校図書館から借りてきた新潮古典集成本を付け加えて、またまた異次元の世界に飛翔します。


 そんなことからとっかかりを見出したいものであります。


 この土・日に柔道教室で稽古を楽しんでおりました。指導をさせていただくのに、実は登録料がかかります。指導者登録というわけです。人差し指一本です。物好きなものです。大会と言えば、ガソリン代は自分持ち。出張料なんてことはあり得ない。指導をさせていただくのに、自分で金を払っている。代価、代償が欲しくては誰もこんなことをやるわけもない。怪我をしたら自己責任。物好きもほどほどにしないといかんと思いますが、要するに趣味なんでしょう。でなければ、やる気がしない。誰も感謝してくれるわけでもなく、挙げ句の果てにはちびっ子たちに「とやませんせは、よわ~い」と言われるだけ。時々、自分でも情けなくなります。ちびっ子達と遊んでいるのが楽しいからやってられるんでしょう。あ、遊んでいると言うと、教室の先生方に叱られてしまいます。内緒、内緒。


 


 なんだか、全部わたくしのやっていることは、風が吹けばあっというまに吹き飛んでしまうことでしかないのではないか。 


 そんなことを写真から考えました。


 



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4月21日(木)のつぶやき

2011年04月22日 01時17分03秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
22:56 from goo
地震の避難訓練でした #goo_kencho943 http://goo.gl/4lVeb
23:07 from web
避難訓練の記事を書いている最中に、震度5弱の余震。
23:07 from web
まったく、もういいかげんにしてくれと言いたい。
23:08 from web
それでも耐えなくてはならない。
23:09 from web
大自然の前には、人間の知力は太刀打ちできなかったではないか。
23:11 from web
自然への慰撫。それが、自然崇拝を生み、人間は事実崇拝をした。それでも自然は人間を無視した。そこから科学と芸術が生まれたのだそうな。そして、哲学の派生。
23:12 from web
そうはいっても、めげずにやるしか無いのであります。退却はない。
23:13 from web
避難訓練をした生徒諸君と、共に考えたいことの一つであります。
23:23 from Tweet Button
冬から春へ #photoch #goo_kencho943 http://t.co/76yRqMj
23:58 from web
10時30分過ぎに余震がありました。まったく話にならん!
23:58 from web
ブログの記事を書いている時でした。
23:59 from web
あしたこそ、余震がありませんように。
by kencho943 on Twitter
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地震の避難訓練でした

2011年04月21日 22時45分55秒 | 先公ごっこ2008年から2012年


 



 



 



 



 




 




 







 今日は地震の避難訓練を行いました。

 動画でも公開していますので、ご覧ください。またFacebookでも公開しております。

 最も重要な訓練になってしまいました。
 それだけ、大きな体験でもありました。
 こういうことは起きない方がいいのですが、余震も収まりません。またいつ起きるかわかりません。さらに、訓練をしたからと言って安心もできません。

 それこそ何が起きるかわかりませんから、いろいろなことを想定して対応できるだけの底力をつけておくに限ります。

 被災された地域の方々にはまだもって申し訳ないのですが、千葉県の旭市だって、茨城の神栖地域、香取地域だって、たいへな被害を被っています。まだまだ現在進行形です。こういう状況の中で、訓練を行うことの意味の重さを感じました。

 訓練はある意味、マニュアルどおりに行っているわけです。しかしながら、あの三月十一日の時は、まったくマニュアルが通用しませんでした。

 その時にどう対応するかということは、普段からの思考形態で決まったような気がします。

 どんどん事態が悪化して行く中で、誰もアドバイスをしてくれるわけでもない。相談する組織も、人もいない。指示もない。そういう中で、工夫して対応をしていくしかなかったわけです。

 あの後にどう対応したかについてはいろいろなところから情報をいただきました。

 そういった様々な情報がどこかに一極集中されて、貴重な対応が 可能になることを祈っています。

 本校から、ほんの一キロも行かないところに千葉科学大学があります。危機管理学部があって、この四月からそこで交通安全教育部会の高校の先生が一年間勉強なさっています。

 実は昨日その先生が、本校に来てくださいました。

 今年から、わたくしはその交通安全教育部会をたばねなければなりません。その先生とは、昔からの知人でありますから、地震対応でいろいろとご指導をいただいておりました。安全教育を専門に勉強なさっているからです、その先生は。また、我が部会も安全教育専門に研究をしている唯一の教育研究部会でもあります。

 避難訓練も、安全教育の視点から見たら、また非常に重要な分野にもなります。

 また、危機管理として教育全般を見直した場合、全ての面で、教育は確かに危機管理でもあります。

 いろいろな意味で。千葉科学大学の教授に「リスクとしての教育」という視点を教えていただいたことがありました。

 まさに今回の大震災で、そのことを実感した次第です。

 と、ここまで書いている時に、余震がありました。現在22:41ですが、まったく油断なりません。

 人間の知恵をあざ笑っているかのように、です。

 ほんとうにハラが立ちます。それでもあきらめないで、立ち向かっていくのが、人間です。自然は確かに偉大です。しかし、それでもめげずに頑張ってきたのも、また人間です。科学も、芸術も、哲学も自然との対峙から登場してきたのですから。


 また明日!


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4月20日(水)のつぶやき

2011年04月21日 01時19分05秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
22:34 from goo
マイケル・サンデル特別講義 これからの「正義」の話をしよう? #goo_kencho943 http://blog.goo.ne.jp/kencho943/e/054db2c5b1564c43ce75869ba0995f3f
22:59 from web
今日はいろいろな方とお会いしていましたので、少々疲れました。人とお会いするのもエネルギーがいるものであります。
23:00 from web
予定していた中学校へ行くことが不可能になりました。明日にでも行きましょう。予定は常に未定であります。仕方なし。
by kencho943 on Twitter
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マイケル・サンデル特別講義 これからの「正義」の話をしよう

2011年04月20日 22時34分31秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
マイケル・サンデル特別講義 これからの「正義」の話をしよう



 ニコ動にありました。

 リンクしておきます。

 NHKで知ってから、このサンデル教授に非常に興味があります。

 紹介まで。

 ニコ動の特色であるコメントがうるさい場合は、下側の列の右にコメントを消すアイコンがあります。
クリックしてください。


 ハーバード大学のサンデル教授の場合は、実に豊かな教養がある。さらに、その問答法に関心を持っています。

 これだけの学者の姿を拝見させていただけるだけでも、NHKには感謝しておりました。この動画はNHKではありませんが。

 何が正義であるかという問いからは、実に様々なことを考えさせられます。非常に、勉強になる現代の知者であります。

 なにかの参考になればと思って今日の記事にしました。

 またハーバード大学で、最も人気のある哲学の講義だそうです。
 語り口のソフトさと、豊かな知識。
 これもまた魅力あることなのでありましょう。

 こういう授業をやってみたいとは思うものの、なかなか困難であります。ある意味非常に憧憬の対象であります。

 サンデル教授の扱っている哲学者の書籍もぜひ読んでみてください。
 
 こんなきっかけから豊かな読書生活を経験されることを、願っています。
 うんと背伸びすることです。
 今の時点での実力よりも、上級にチャレンジすることです。

 頑張れ!
 頑張れ!であります。

 

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4月19日(火)のつぶやき

2011年04月20日 01時17分13秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
21:31 from goo
暗記力を高めるには #goo_kencho943 http://blog.goo.ne.jp/kencho943/e/1d09e4946ea384afe2204f8137f97c2e
by kencho943 on Twitter
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暗記力を高めるには

2011年04月19日 21時31分06秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 暗記力を高めるのに、もしかしたらブログが有効なのかもしれないと思い始めています。つまり、アウトプットすることで、自分の記憶を確かめることができるからです。生徒諸君のブログも、プロフも見させていただいています。しかし、あれをもう少し工夫されることで、勉強のツールになるかもしれないと思い始めました。自分の日常生活を書いているのもいいでしょう。それはそれとして、です。

 なぜそんなことを思い始めたかというと、またまた明治大学の教授の齋藤孝先生の「暗記力」という本を、今日の出張の帰り、いつも行っている古書チェーン店で105円で買ってジムで読了したからです。40分も汗かきながら、自転車をこいでいれば読了してしまいます。健康にもいい。ためにもなります。

 たとえばこの拙ブログでも、本を紹介する時には、直接書名を紹介したりはしておりません。あくまでも、わたくしの感想から入っています。それに気がつかれたことがありますでしょうか。本の内容紹介から入るのではなく、愚昧なるわたくしが、何を考えたかということから入っていきます。

 なぜか?

 周辺の知識から入ると暗記を基盤とした知識が本物になるからです。

 ドストエフスキーをこれまで二回新潮社の全集で、全部読了しているのですが、これを友人に熱く語っていたから、読了できたのです。また、わが人生観の基盤を作ってくださった偉大なる作家でもあるわけです。重要な表現は今でもふっと脳裏に浮かびます。18歳から19歳の時でしたから、確かに40年前です。

 以来、葉脈を通して太陽の光線を見るときに、マルメラードフを思い出したりするわけです。これが暗記力だと思うのです。いろいろな作家の気に入ったフレーズを、会話でも時々ですが、出てきます。これも暗記しているから出てくるわけです。

 友人たちはおおいなる迷惑をこうむったと、いまでも言いますがね。

 

 ただし、ブログが有効だと言っても、あまりに日常的な、朝何時に起きて、ご飯を何杯食べて、ああして、こうしてというのではいかがなものか。そんなのがどういう意味を持っているのでしょうか。学校名まで出して、遊びの記録を出している暇があったら、読書したまえと余計なことを言いたくなります。

 自分の得た知識を書くことも勉強になるのかもしれないと思い始めています。

 今日、フォイエルバッハの本がA**zonから自宅に送られてきました。これは、わたくしの別のブログに感想を綴っていきます。これで知識が本物になるわけです。そのブログには、ニコニコ動画から得たところのハイデガーの動画や、ニーチェの映像(本物かどうか知りませんが、動画まであります)までアップしてあります。大好きな歌手小椋佳様の山河という歌もです。この歌手は、東大大学院で道元の研究をして、修士論文まで書いています。また、いろいろな新聞記事を新聞社のHPからブログに感想を書くサービスを利用して、考えたことをまとめていきます。つまり要約のチカラを養成しているのです。これは勉強になります。

 柔道もそう。
 30歳で4段を取ってから、これまで30年間昇段したことの無い実に懶惰な柔道生活を送ってきました。しかし、これもまた柔道専門拙ブログにいろいろ書き込むことで、勉強になるわけです。やはり、ニコニコ動画から柔道の練習方法とかをアップしてあります。尊敬する木村政彦先生の練習風景も紹介してあります。空気投げの三船十段の動画もインターネットの世界にはありますから、それも紹介してあります。別ブログで。これは柔道教室の保護者の方々には好評であります。

 そういう風に、何でも勉強になるわけであります。
 工夫一つです。
 ほんとうにそう思います。

 しかし、本当に力がつくのは、立派な師匠を持って、真剣に論文を書くことです。齢60になんなんとしていますが、未だに書くことで勉強をさせていただいております。しかもまったくお話にならん低レベルです。それでも、低レベルなりに、書く以上は参考文献をいろいろ買って学ぶしか無い。あくまでも履歴のために学んでいるのではないからです。履歴書を飾るために勉強してはならないと、劣等生のわたくしは思っておるのです。これまでもそう。これからもそう。あの偉大なる教師、ソクラテスはまさにそう言われているではないですか。無知であるから、勉強するのです。

 もっとも自慢したって笑われるのがオチです。
 それこそ最も忌み嫌う「個人的に」でしかないからです。

 
 なんか今日は熱く語ってしまいましたね。
 うんざりするでしょうけれども。



 また明日!


 

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4月18日(月)のつぶやき

2011年04月19日 01時16分00秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
22:38 from goo
中学校へ #goo_kencho943 http://goo.gl/O5BN3
by kencho943 on Twitter
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中学校へ

2011年04月18日 22時36分47秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 今日は、午前中に本校を紹介していただいた日本教育新聞と大衆日報を持って、中学校様にご挨拶をさせていただいておりました。職員会議がありましたから、非常に急いでおりました。3校ほどお伺いしました。ところが、午後から校長会だったということを知り、途中で断念しました。

 で、学校に引き返しました。
 得るところ大でありました。
 
 結論から言うと、県立銚子未だしであるということでありました。広報をもっとやるべしと応援していたたいだような気がしました。

 それはそうでしょう。国公立大学に、三桁も後半の進学実績を誇るような進学校から見たら、未だしであります。もっとも、そういうラインは狙っておりませんから、ご安心を。

 


 いつも安価な本しか紹介していないので、書棚は全部特価本ばかりなのかと言われることがあります。ある意味、わたくしが本格的にはなんの本を買っているのかはまったく公開しておりません。そんなご指摘をいただきました。メールで。

 申し訳ありません。
 
 どんなことを専門にしているかは、定年まで公表できません。非常に高価な書籍を今でも購入しつつ、18歳以来勉強している分野は、微生物のような小さい世界の話ですので。

 今月のA**zonの書籍代が高すぎて、ちょっと参っております。

 しかしながら、今日もA**zonに注文してしまいました。フォイエルバッハと、シュライエルマッハーの翻訳本です。テーマがあるから楽しいことが多すぎます。もっともこちらはわくしの専門ではないのです。


 作家というか、外務省のエリートであった佐藤優さんというインテリに刺激されて、最近、彼の全著作と参考文献を集めておるのです。通勤途中のラジオを聞いていて知った方でありました。なかなか鋭い方でもおられる。興味を持ちました。そしたら、非常に多くの著作を世間に問うておられる。

 すぐれた知性には、優れた書籍があります。
 これは実にありがたいことであります。なんと言っても、わたしくは鈍才ですから、優れた方の知性には憧憬します。

 読書は、著者と世界を共有させていただくことができる。こんな幸せはないのです。

 ですから、読みたまえ、少し背伸びをしてもいいから読書したまえと言いたい。

 そうすることによって、著者の思考システムを学ぶことができるからです。

 シュライエルマッハーは、難解なのですが、すくなくともある世界を語るのに「私は・・・・・・・と思う」という思考の限界をしめしているんです。

 これ以上書くことができないのが、もどかしい。




 佐藤優さんを引き合いに出しました。
 確かに、氏がいろいろやりあってきたことは、一部分ではおもしろいのでありましょう。わたくしの関心は彼の社会的活動にあるのではなく、読書経歴にあります。

 しかしながら、どこかに違和感があります。

 それはわたくしのような庶民には手の届かない世界の話かもしれません。大学院で神学を専攻されたという異色の経歴をお持ちです。そちらの方の話題もかなりおもしろいのでありますが、またまた公務員の中立性でもって、これ以上は触れられません。

 もっとも純粋に知的興味だけで佐藤優さんをおっかけておるだけですから、他愛もない話であります。

 


 昨日の日曜日は楽しい時間をすごさせていただきました。柔道教室です。被災して道場が無くなってしまいました。ですから、実に久しぶりでありました。ちびっ子達と会うことができました。みんな元気でした。明るくてこの世には楽しいことしかないような顔をしていました。地震でいろいろあったということを聞いていましたが、頼もしいわんぱくぶりです。しかも、マナーをちきんとわきまえたわんぱくぶりです。
 
 4歳の男の子が入門してきました。

 それを今年、中学校に入学したばかりの柔道教室卒業生が教えておりました。
 
 ほほえましい限りであります。チョコチョコちょっかいを出しては、教え方をアドバイスしておりました。飽きさせたら、おしまいですから。

 こんなところから、もしかしたら未来の柔道指導者が出てくるかもしれないなぁとおもいながら稽古もしておりました。あいかわらず、投げられ役です。弱いですからね。

 もっとも、未来の柔道指導者という点では、順天堂大学に進学していった県チャンピオンで、インターハイ4位の教室卒業生もいるのですから、これは本当の意味で楽しみであります。こちらもです。将来学校の先生になりたいと言っています。頼もしいかぎりです。しかも、そのことはわたくしの楽しみでもあります。

 

 明日は、今日伺うことのできなかった中学校様に行かせていただきます。校長先生の替わられた学校だけですが。


 これもまた世間の常識でありましょう。

 
 
 ではまた明日!


   

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4月15日(金)のつぶやき

2011年04月16日 01時17分10秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
21:34 from goo
大衆日報様に出していただきました。 #goo_kencho943 http://blog.goo.ne.jp/kencho943/e/a39b47ec34923e239bb9d95f6f0d412f
21:38 from web
なつかしい旧友と会話。
21:38 from web
これまたわたくしを心配していただいてのこと。ありがたいかぎり。
21:39 from web
思い出していただけるだけ、し・あ・わ・せ。
21:40 from web
今日はやっと師匠にレポートをお送りすることができました。できばえは・・・・・・・・です。評価されるというのも、またいいものです。
21:41 from web
では、また来週!
by kencho943 on Twitter
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大衆日報様に出していただきました。

2011年04月15日 21時34分16秒 | 先公ごっこ2008年から2012年


 


 



 



 



 


 


 日刊紙大衆日報様に、今日の朝刊で入学式のことを紹介していただきました。ありがたいかぎりであります。こういう関係を非常に大事にしたいと思っています。
 
 早速、朝の打ち合わせの後に、ポケットマネーで30部ほど買わせていただきました。月曜日に、封筒詰めをして各中学校様にお送りしますね。待っていてください。

 今日は、いろいろ会議もあって、封筒詰めができませんでしたから。

 それと、レポート書きをしていて、これもまたなかなか満足がいきません。書き直しの連続。
 
 でも、書くために読書するというのは、これはけっこう使えます。 つまり、演習のために情報を仕入れるということでもあるのです。
 殆どそれに費やしていると言っても過言ではありません。
 
 地震の避難訓練を企画していますが、これだって情報収集をしないとなかなか難しい。たとえば、停電で放送機器が使えなかったらどうするんだということが、今日の会議では話題になりました。なるほど、そういう視点が大切です。
 
 昔のように、鐘をならして、生徒を避難させるということもありです。

 本当に、こういう国難に匹敵するような災害には、現場で工夫して対処するしかないのです。携帯も、電話も通じなかったのですから、指示待ち世代ではいかんともしがたい。指示を待っている時間的余裕もなかったのです。どんどん事態が悪化していく中で、どうするかということは、ある意味非常にきついことでありました。

 これ以上は書きませんが、天に試されていたというのが実感です。

 後は、余震が怖い。どうかもう勘弁していただきたい。本当にそう思います。

 

 今日は高校の同級生から電話を学校にいただきました。ちょうど会議をしていたので、出ることができませんでした。
 
 で、夜、自宅から電話をしました。

 彼とは、もう40年以上つきあわせていただいています。某有名女子大学の教授です。

 さっき何事かと電話をしました。

 やはり、被災のことでありました。

 心配してくれたわけです。ありがたいかぎりです。


 実は、彼は教育学の教授ですから、怒られるかとひやひやして電話したのです。鈍才外山です。間違ったことをブログに書いているから、おまえに指導するということかと思ったわけです。

 それがそうではなかったから実に安心しました。

 教えていただける方がおられるから、わたくしもなんとか仕事をさせていただけるわけです。
 
 本当に感謝しています。

 
 それがなくては、どうしようもない。
 でないと、ただのうぬぼれになる。

 そんなのは誰でもできることになってしまうのですから。


 今日は、ワープロソフトの最新版をインストールしました。文書を読み上げてくれる機能もついているのです。これは重宝する。このブログでも、誤変換もあるし、助詞等をつけ忘れてしまうことも多々あって、しかも時間が無いから、そのままアップしてしまい後でしまったと思うことしきりでありますから。

 これは今度は改善されることでしょう。
 なんと言っても、一度きれいな女性の声で読みあげてくれるのですから、実に助かる。

 耳から聞いたら、間違いにはいくら鈍才のわくしでも気がつくだろうと淡い期待を持っているからです。


 それともう一つ楽しみがある。
 インターネットで、名作をそのままテキストベースで紹介をしてくださっているサイトがあります。そこからテキストをコピーしてこのワープロソフトに貼り付けをすると、読み上げてくれるわけです。これはこたえられない楽しみです。

 毎日、いろいろな小説を聞きながら、楽しむというのもおつなものであります。



 また来週!
 


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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/