と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

恋の病にかかって・・・・睡眠不足だと申し上げたら大笑いされてしまった。太平洋も笑っているんじゃろなぁ。

2016年09月30日 21時06分55秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

人生万般、つまらないことも、楽しかったことも、苦しみも、喜びも、ビンボーも、恋の悩みも(^_^)・・・・

 

 

「あああああ、昨日は睡眠不足でまいったですよ」と、今日の午後gymでのたもうたのだ。むろんボキである。若い男性トレーナーに。そしたら、「どうしたんですか?」と聞いてきたから、「恋の病にかかって・・・」と申し上げた。(ウソだけど)

大笑いされた。つい本音が出たからである(^_^)。

実は、昨日は塾があって、帰ってきたのが夜の十時近くになっていた。それから風呂に入ったのだ。むろん古女房ドノはもう寝ていた。だから働きたくないのである。こんな時間に帰っていたら、生活のリズムが狂ってしまうから。もっとも、木曜日と金曜日の二日間しか働いていない。しかも、それぞれ90分。合計180分。だからアルバイトだと言っているのである。趣味でやっているんだから、その程度でよしと思っているけど。

で、風呂の中で佐伯泰英の「居眠り磐音 江戸双紙」シリーズの第三巻を読んでいたのである。楽しくてのめり込んでいる。だから、真夜中を過ぎてしまって寝るのを忘れてしまったのである。バカである。こういうことをやっちょるから、病気になっちまうのだ。

その結果、今朝起きたのがいつもどおりと言いたいが、なかなか起きられなかった。5時には目覚ましが鳴っていたが。Walkingの時間があるから。しぶしぶやっと起きて、朝のwalkingには出かけたけど、いつもより15分は遅かった。

それに6時半からNHKのラジ英を聞いているので、必ずボロ机の前に座る。だから、今日はwalkingの時間が短くなってしまった。きっちりとした生活をしているんである。このモーロク・ジジイは。

それにしてもアホですなぁ。

なんでこんな時代劇小説にはまっているんだろうと思う。

つまり、坂崎磐音という若き剣豪にかつてのボキを見ているような気がしているからである。27歳に設定されているのだ。

それに、絶世の美貌の持ち主である奈緒さんという許嫁もいるのだ。この女性が薄倖でかわいそうでならんのである。なかなか二人の恋は成就しないし。

ま、そういう物語というもんにのめり込むというのも一興である。

イメージの世界というものは大事である。ニンゲンナンテ、そういうもんだろう。イメージを持って、そもそもそれが誤解であったとしても、ボキたちは生きていくことができるちゅうもんだ。

表象の世界とかいうらしいけど。若き文学研究者の間では。

そういう表象の世界というものを大事にしていきたいものである。

どうせ、我が人生、夢まぼろしである。あっというまに、時は過ぎていって、枯れる。大いなる大河であった川も、海に流れてしまったらオシマイである。利根川もデカイ川だが、あれだって、太平洋に呑み込まれてしまったらそれでオシマイである。

時々、利根川を見ることがある。たまにである。出かけた時にである。その時に思う。ゆるやかに流れているようだけれども、川底ではいろんなことが起きているんだろうなぁって。

美空ひばりの「川の流れのように」ではないけれども、まさにいくつもの時代が過ぎていっているのである。川と一緒に。時代も、時間も、思い出もである。そしてすべては海に呑み込まれていってしまうのだ。

九十九里浜からは、太平洋しか見えない。利根川は見えない。クルマで出かけていかないと。

いつもいつも見えているのは、太平洋である。良いも悪いも全部呑み込んじゃっている。利根川から流れてきた水は、全部太平洋が呑み込んでいるのだ。

ありがたいもんだと思う。

人生万般、つまらないことも、楽しかったことも、苦しみも、喜びも、ビンボーも、恋の悩みも(^_^)・・・・全部である。全部呑み込んでしまっているのだ。こんなにありがたいことはない。

まるでなにごともなかったかのように、太平洋はでーんと構えている。

そして時々怒る。津浪という形でもって。

なんだか、ちっぽけなのはボキたち人間のほうじゃと、しみじみ思いまっせ。

ああああああああああああ。

今日は眠たい。

寝ます。

 

オヤスミ・・・・グー(^-^)g””

 

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9月29日(木)のつぶやき その1

2016年09月30日 05時20分17秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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趣味で生きているようなもんで・・・塾もそう。バイト代は中国単独旅行のために積み立てておくか(^_^)

2016年09月29日 14時00分25秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

昼寝して、起きてモンテーニュを読み、午後からgymに行き、夜は趣味でやっている塾に行く。・・・気楽なジジイですなぁ(^_^)

 

 

午前中に昼寝をした。どうせやることがないし、朝5時には暗い中をwalkingに出かけてしまうからである。ちなみに、九十九里浜は、夜明けが早い。沖縄あたりよりも明るくなる時間がである。

夜は、夜で12時くらいまで読書したりしているから、それこそ寝る時間がない。寝る時間がないから昼寝しているんじゃぁ、なんにもならんじゃねぇか!と叱られてしまう。でも、ボキには大事な養生法である。

寝ることがである。

これは某大学大学院時代にはまったくなかった習慣である。あるいは、悪習と他人は言うかもしれない。そんなに暇なら少しは世のため、人のために働けばぁ~とワルクチを言われるのが関の山であろう。

でも、ボキは、人生後半の目標が健康を取り戻すことにある(だいぶ戻ってきたけど)。だから悪習を身につけてしまったことを(_ _ )/ハンセイしているのである。

アルコール然り。酒場通いをしていたことも然り。勉強嫌いなのに机にしがみついてゴミ論文を書いてきたのもそうである。最後のゴミ論文書きこそ、悪習である。古女房ドノがもっとも嫌ったことであったのじゃ。退職後に大学院に入学することも猛反対していた。結局中退したから、感謝せよと言われているけど。あのまま、在学していたら今頃は死んでいたからである。マジに。

午前中、昼寝から目覚めて、モンテーニュを読んでいたら(随想録)、気になることばがいくつか登場してきた。

「悪習は自ら学んだもの」

これである。これ。

自分が悪習を引き寄せたのである。自分で学び、自分で実践したから悪習になったのである。バカだなぁと思う。思うケド、やっちまったのである。だから病気になったのである。救いようがない。

せめてボキより若い方々には、こういうジジイにならないように訴えるしかない。

わははっははははっははは。

 

もっとある。随想録には。

「自分のすべてをさらけ出すのは、バカのすること」

これである。拙ブログにも当てはまる。ま、ボキは、このくだらないブログですべてをさらけ出しているつもりはまったくないけど。

私小説ではあるまいし。私小説だって、かなり作られているからである。伝記ではないからだ。都合の悪いことは、当然書かないだろうし。それを大まじめに、****研究とか称して研究をしている方々と喧嘩したこともある。島崎藤村が良い例であったから(^-^)/。

 

「ヘボ詩人ほど自尊心の高いものはいない」

上記のような文章もあった。随想録に。なるほどである。ヘボほどそういう傾向はある。ボキは、ヘボではあるが、自尊心はかけらもない。むしろ劣等感の塊である。

わっはははっははははっははは。

オノレがいかに優秀で、才能に優れていて、エリートで、金持ちで、上流階級で、モテモテで、美男美女で・・・・あとナンだ?

いろいろあらーなである。

バカバカしい。

今日は、これからgymに行く。

朝から5600歩は歩いてしまった。

補完の歩数を稼いでくる。

なぜなら、今日の夜は趣味でやっている塾のアルバイトがあるからである。楽しみなのである。若い青少年と会って会話をしてくるのが。これでもって、ささやかながらお小遣いをいただける。

(^_^)3 フムフム。

積み立てておいて、中国単独旅行でも行って参りますかな。

あ、無理じゃ。

会話がまったくできねぇ、できねぇ。

 

Bye-bye!

 

 

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9月28日(水)のつぶやき その2

2016年09月29日 05時12分58秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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9月28日(水)のつぶやき その1

2016年09月29日 05時12分57秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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なんだか最近中国へのツアーが安価になっていると感じるのだが

2016年09月28日 21時40分05秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

最近、中国へのツアーで、大連や上海がかなり安価になっている。

日本国内旅行より安い。大手の旅行会社でもそうである。

で、思ったのだ。

せっかく中国語講座で教えていただいているんだから、行ってみたいなぁ~って。でも、単独になるだろう。アンタ一人で行ってきなさいよと古女房ドノが言っているからだ。

ところが、単独もいいが中国語の会話がまったくできない。これが一番の難物である。空港から中国国内へ出ていけるのかね、ボキ。

ホテルにもたどり着けるのかねぇ・・・・と悩んでいる。

だったら、中国語を勉強するしかないですな。マジに。

勉強が不得意だから、あまり机にしがみついているとまた生活不活発病で入院になっちまうし。

10月4日(火)の午後2時から、退学した某大学生涯学習センターで中国語の講座があるから(受講予定)、先生に相談してみましょうと思っている。中国に行きたいけど、どうしたらいいですか?って。

呆れられますな。

わははっはははっははっははははっははは。

勉強に向かないのですな、ボキ。

寝ましょう!

無駄なことは考えないで。

 

 

 

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一日老人大学にいたら・・・・話が深刻で、疲れてしまった(^_^)

2016年09月28日 18時19分14秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

枯れ木のように老いていきたい。老境を慈しみ、徒然草でも読みながら、静かに生活していきたい。周囲は老人ばかりだしねぇ・・・・トホホ

 

 

今日は、午前午後とずっと老人大学にいた。さっき帰ってきたのだけれども。老人大学から直行でgymに行って歩いてきたし。

そしたら疲れてしまったのだよん。情けないですなぁ。なんだか生暖かいような、気もちの悪い天候で、湿度の問題もあるんだろうけど。

実は、ボキの体調がおかしいのかな?と疑ってしまったのだけど。そいつは怖い。御免被るっていうやつである。せっかくここまで回復してきたのに、今更東洋一の大病院に逆戻りしたくはないからである。

健康だけがありがたい。大事である。かけがえのないもの、それが健康である。どんな美人に会っても、健康の方がボキにはありがたい。もっとも、最近は美人に会うこともまったくない。あ、今日は昔の美人がいたけど。たくさん。老人大学に(^_^)

老人大学では、老人ホームの講義を聴いていた。

ボキも、もうすぐお世話になるだろうから、大事な話である。知っている老人ホームであった。キリスト教がバックにある。施設内に教会もある。イギリス国教会の宣教師が創立者である。実は、義母がお世話になった施設でもある。隣が病院で、有名なドクターがいたのである。腰痛で義母はお世話になったのであった。入院して。

だから、なんとなく親近感があった。したがって、講義が終わってからいろいろと質問をしに行った。個人的な話をしていた。もしかしたら、ボキもここにお世話になるかもしれないし。

だからこそ、老境を慈しみたいのである。

かならず来るのだ。老境というのは。イヤだ、あっち行け!と怒鳴ってもダメである。ミンナ、ジジイになりババアになっていくのである。そして、100%死ぬのである。絶体の真理である。死というものは。

どんなに若さを誇っても、美貌を自慢しても、ゼニをたくさん持っていても、必ず死ぬのである。そっちのあ~たも、こっちのき~みもである。

平等なのである。死は。

あがいても、あがいても最後は棺桶である。総理大臣になっても、エリートになっても、富豪になっても、博士になっても、文豪になっても・・・・・ぜ~んぶ最後は塵芥である。焼かれておしまい。その間、我々はもがき・苦しみ・あーだのこーだのと文句ばかり言って、時間つぶしをしているのである。

しかし、老人大学で拝聴する老境の話はせつないですなぁ。迫ってきているからである。もうじきであるからだ。現実がすぐそこまでヒタヒタと押し寄せてきているのだ。これはかなり深刻な話である。そんなのずっと先のことだと言っても無駄である。時間は迫ってきている。逃れることはできないのだ。

だからこそ、モンテーニュではないが、老境を慈しみ、徒然草でも読みながら、あるいは旧約でも読みながら過ごしていきたいものである。

もう競争からは外されたのである。もうお役御免なのである。じっとしていればいいのである。それを今更成果をあげるだの、もう一旗揚げたいだの、冗談もほどほどにしないと命を縮めてしまう。

老人大学に行ってみて、一番良かったと思うのがこれである。そうなのだ。周囲の方すべてがリタイアしているからである。いろいろいるけど。中身は(^_^)

しかしである。

ミンナ枯れるようにして老いていくのだ。

枯れた後は、大地に返るだけである。

それでいいのである。

今日は本当にいい話をお聞きした。

感動してきたよん。

来月から、退学した某大学でも、生涯学習ごっこをさせていただくけど、こういう考えになってきたのは、まさにエリック・ホッファーからの影響である。

在野で研究生活を送った彼から得るものは大きかった。

いまだにボキは無明を生きているけど、なんだか還暦すぎてから入学した大学院の生活で感じていた無明からは脱却できたと感じる。それが唯一の救いである。だから来月から退学した某大学生涯学習センターに通うのである。

Bye-bye

 

 

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9月27日(火)のつぶやき

2016年09月28日 05時10分07秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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力の入れすぎは実に良く無い。リキムことは、自滅につながる。ボキのように(^_^)

2016年09月27日 18時12分03秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

論文リストを作っていたら、予想どおりである。「まったく動かないで、打鍵ばかり」していた。何時間でもできるのである。だからボキは病気になったのである。クワバラ、クワバラである。

 

 

リキミは良く無い。柔道然りである。昔は、柔道はやわらの道と言われたものである。柔の道なのである。勝つと思うな、思えば負けよ・・・・という美空ひばりの歌があるじゃぁないか。ボキは、あの歌詞が好きで柔道部に入部したのであった。勝つと思って柔道を始めたのではないのだ。

負け続きの人生だろう、ボキはそれこそ惨めな一生を送らざるを得ないだろうと思っていたから(事実そうだったけど)、柔道をやればやわらかに人生全般受け流すことができるかもしれないと思っていたのである。

しかし、それは夢まぼろしであった。

実際の柔道部員としてのボキは、パワー柔道でどうしようもなかった。センスがないから、パワーでごまかしていたのである。力任せに、エイヤァっとやっていたのである。

そんなのはとてもじゃないが、柔道とはいえない。やわらかな道という柔道の概念規定からは程遠い。話にならんというものである。

だから、体力の低下と共に、柔道の技なんかまったくかからなくなってしまったのだ。情けない。

さらに、パワーアップのためにウエイトトレーニングにかなり意欲的に取り組んできたのである。これが自滅の元であった。

一時は、40代でベンチプレス140キロを記録していたのである。本当である。

ところがこれが人生転落の原因であったのだ。

美味いのである。

何が?

つまり、柔道の稽古の後、ウエイトトレーニングの後のビールが、日本酒が、焼酎が、ウイスキーが・・・・である。バカである。まさにバカそのものだった。

稽古が終わってからのアルコールは確かに美味い。しかし、それがボキをダメにした。もともとダメだったのだが、これでもって徹底的にダメになった。体力向上しか関心が無かったからである。

バカを自覚していたのに、バカな行動を積極的にやっていたわけである。

そんなもんをやってなんになったんだろうと慚愧の思いである。

柔道も然り、ウエイトトレーニングも然りである。

と、ここまで書いてきて、生涯学習ごっこなどと自称して某大学大学院に入学したのも、無意味だった。退学してしまったからである。なんの計算もできないバカ・基地外である。リキんでそれこそ焦って、大急ぎで成果を出して、学位をとりたいといやらしい計算ばかりしていたのであった。

ああああああああああああああああああああ。

トホホである。トホホ。

若い方々へ告ぐ。

ボキのようにならないことである。忠告申し上げる。

なんでこんなことから書き始めたかというと、3日くらい前から読み始めた佐伯泰英の時代劇小説「居眠り磐音 江戸双紙」(双様文庫)から考えることがあったからである。このシリーズは、かなりの量があるから、これから楽しみであるんだが(^_^)。まだ第二巻だし。

主人公の坂崎磐音という江戸時代の若き剣術家は、居眠り磐音と噂されるような、やわらかい剣術でもってあらゆる剣豪を倒していくのである。

はっとなったのである。

このやわらかな若き剣術つかいは、合気道で言うような「居付き」という状態にない。つまりリキミ返っていない。あくまで柔軟に剣を使う。そして、瞬間に相手を切る。

リキンでいたら、足が動かない。動くことができなければ、相手の技も読めない。警戒しようにも警戒のしようがない。こっちが動けないからである。気がついた瞬間にはやられているのだ。

しかも剣術である。切れる刀である。

こりゃぁ怖い。

柔道のように受け身ができたからっていう世界ではない。

今日は、県立図書館に行って、会員にさせていただいている郷土史の会の研究書を43冊全部借り出して、3月に亡くなった前会長川村優博士の論文リストを作っていた。

あっと思った。その量もすばらしいし、内容がまったくレベルが違う。違いすぎる。

これじゃぁボキごとき、太刀打ちできない。

それこそ「居付き」になっちまった。

忘然としていたのである。

これほどの努力をされた方々のみが、博士号を取得されるのである。

そんなこともボキは理解できていなかったのだ。

トホホホホホである。

それに、論文リストを作っていたら、予想どおりである。「まったく動かないで、打鍵ばかり」していた。何時間でもできるのである。だからボキは病気になったのである。

クワバラ、クワバラである。

したがって、5時にはgymへ行った。

生きていてこその郷土史の会である。

死んだら、なんにもならんからである。

 

Bye-bye!

 

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9月26日(月)のつぶやき その2

2016年09月27日 05時06分40秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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9月26日(月)のつぶやき その1

2016年09月27日 05時06分39秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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来月から楽しみである。退学した某大学にしばらく通うから。生涯学習センターに。

2016年09月26日 11時59分16秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

退学した某大学で来月から生涯学習講座を受ける気になった・・・ようやくここまで回復してきたのだ。ありがたいもんだよん。

 

 

カネは有意義に使うべし。

今更ながらそう思う。退学した某大学で生涯学習講座を受ける気になったからである。お世話になった指導教授の生涯学習講座で徒然草を拝聴しに、来月の7日から通う。全日程12週間である。つまり12回。来年まで。

ボキは、学力劣等・不健康ジジイであるから退学したのであるが、今でも先生には感謝しているのである。憧れの先生であったから。もう二度とお会いすることもかなわないのかもしれないと思ったが、この手があったのだ。生涯学習である。

アリガタヤ、アリガタヤである。しかも、全12週で、18000円である。生涯学習だから安価なのである。カルチャーセンターみたいなものである。学部生とか院生だったらこうはいかない。レベルも追いつかない。ボキのような劣等生には。

さらに今日は中国語の講座も申し込んだ。生涯学習センターの担当の方が顔なじみであったし、やってみない?って言われたからである。誘われたからである。こっちは全3回しか無いが、超初心者courseだというので、お願いした。

これも来月の4日から通う。3回だけだけど。隔週の。

これでいいのである。これで。

退学したとは言えども、ボキなりに思い出はあるからだ。それに九十九里浜にあるし。その某大学は。

ま、今更院生に戻ることはできない。戻ったら今度こそ死んじまう。ボキのこったから、ゴミ論文書きに邁進しちゃうだろうから。クソまじめに。死んでまで、学位をねらって、それがどうしたという心境になっちまったからもうやらない。それよりも、趣味でやっている民俗学もどきをもっと勉強してみたい。

ボキは、現在郷土史の会でお世話になっている。会員の方々は、ボキなんかと違ってそれぞれの碩学である。だからこの会に出席することは、実に楽しみでもあるのだ。

三月に亡くなられた前会長の川村優博士は70歳で論文博士になられた。ある意味、生涯学習の権化である。たいしたものである。そういう会に、入れていただいてこちらも大いに感謝している。ひょんなことから、入れていただいたのだが、面白くてたまらんのである。

川村優博士の著書で、千葉県の歴史を読んでいるとムチュウになっちまう。著者である川村優博士から、同じ会に入っているからというわけで講演をしていただいて、聴衆として勝手に感動していたからでもある。そして今では、ボキ、この会の事務局員(自称)までさせていただいているのだよん。ありがてぇこと限りなし。

学部生とか院生としてカネを使っているのではない。今は。そういう道は断念したから現在がある。生涯学習である。成果も求められないし、目的もない。ただ単に教養のためである。

あるいは、徒然草を教えていただきながら、モンテーニュの随想録と比較して、老年期をどうやって過ごしていくかということを考えていけばいいのである。それだけである。

老年期を慈しみ、充実した余生にしていきたいというのがボキにはあるのだ。マジに。

そういう意味で、カネはきちんと使っていくべきである。そう思う。もっともボキは使うべきカネもないが。

わはははっははっはははっはははっはは。

今日は、朝walkingをしてきた。

そして、クルマに積んだゴミを捨ててきた。昨日の物置新設置で、ゴミがかなり出たからである。

さらに、スキンヘッドにしてきた。

先週の老人大学で、あまりのむさ苦しさを笑われたからである。つまり、少ないカミの毛が頭皮に直角に立っているからである。みっともないと言われたし。

水曜日は老人大学の登校日。

ボキ、化粧をして行くかなと思っている。

冗談だけど。

 

Bye-bye!

 

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9月25日(日)のつぶやき

2016年09月26日 05時11分36秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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還暦過ぎて配偶者を取り替える暴挙に出てはアカンでっせ(@^▽^@)

2016年09月25日 18時52分35秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

台風で物置が壊れてしまったので、今日は業者さんが来ていた。



新品に取り替えてしまったのである。朝から始めて午後3時くらいに終わった。ずっと雨が降っていたので、工事にかかれなかったからである。ずいぶんと忍耐強く耐えに耐えてくれた物置であった。

それが壊れたから、中のものをずいぶん整理した。捨てるものを選別していた。こういうときは、ボキ、思いっきり捨ててしまう。要らないものは要らないのである。

そういう考えだと、ボキ自身も要らないって古女房ドノに捨てられてしまうかも(^_^)。そんときはそんときである。捨てる神あれば、拾ってくれる神もいるかもしれないから。

いないか、そんな神。永遠に捨てられてしまうだけだな。

トホホである。トホホ。

で、やることがないから昼寝したり、佐伯泰英の小説を読んだり、随想録を読んだりしていた。暇じゃなぁ~。まったくこれじゃぁ自由人の生活みたいですよん。

あ、ボキはもうかなりの部分が自由人ですな。

そもそも型にはまっていないし、はまりようがない。はめようとしてくると逃げてしまうから。それに、***の本分とか、なにかにつけて行動に定義づけをして、エラそうに振る舞っていない。そんなことをしたら、アホ・基地外の部類に分類されっちまうではないか。

それに、ボキの母親からは、ずいぶん厳しくしつけられたけど、それもこんな程度で終わった人間である。なにもシコシコ教育したって、所詮蛙の子は蛙だった。否、それ以下か。おふくろも、あの世で嘆いているだろうよ。こんなジジイに育てた覚えはないってねぇ。申し訳ない。おふくろに謝るしかない。あと100年くらいしたら、ボキもあっちの世界にいくんだろうから。そんときはそんとき。趣味で生きて、趣味で死んじゃうつもりだから。可能ならば、一神教で説いているように生き返って、あちらの世界のレポートでも拙ブログに書ければいいのだが(@^▽^@)。

そんなことをしたら超有名人になっちまうだろうから、死ぬわけにいかなくなっちまう。そりゃあ反則である。

ま、焦る必要は無いのである。

物置みたいに、壊れたら取り替えるわけにもいかんのであるから。人間だけは、取り替えがきかない。修理はできるだろうけど。古くなったから、新品と交換ちゅうわけにはいかないではないか。

世の中には、還暦過ぎてから配偶者を取り替えるという暴挙に出るお方もおられるようだからそう思ったのである。

ありがたくおつきあいいただくだけでシアワセではないか。

感謝である。感謝。

新品の物置を見ていてシミジミ思ったのであった。

今日は、まったくボキらしくない一日でしたよん。

感謝していたし。

gymには行ってきたけどね。

運動イコール命でありますから。

11キロは歩いたことになる。朝から。

よくやりますな。

ボキも。

Bye-bye!

 

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9月24日(土)のつぶやき その2

2016年09月25日 05時11分58秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/