人生万般、つまらないことも、楽しかったことも、苦しみも、喜びも、ビンボーも、恋の悩みも(^_^)・・・・
「あああああ、昨日は睡眠不足でまいったですよ」と、今日の午後gymでのたもうたのだ。むろんボキである。若い男性トレーナーに。そしたら、「どうしたんですか?」と聞いてきたから、「恋の病にかかって・・・」と申し上げた。(ウソだけど)
大笑いされた。つい本音が出たからである(^_^)。
実は、昨日は塾があって、帰ってきたのが夜の十時近くになっていた。それから風呂に入ったのだ。むろん古女房ドノはもう寝ていた。だから働きたくないのである。こんな時間に帰っていたら、生活のリズムが狂ってしまうから。もっとも、木曜日と金曜日の二日間しか働いていない。しかも、それぞれ90分。合計180分。だからアルバイトだと言っているのである。趣味でやっているんだから、その程度でよしと思っているけど。
で、風呂の中で佐伯泰英の「居眠り磐音 江戸双紙」シリーズの第三巻を読んでいたのである。楽しくてのめり込んでいる。だから、真夜中を過ぎてしまって寝るのを忘れてしまったのである。バカである。こういうことをやっちょるから、病気になっちまうのだ。
その結果、今朝起きたのがいつもどおりと言いたいが、なかなか起きられなかった。5時には目覚ましが鳴っていたが。Walkingの時間があるから。しぶしぶやっと起きて、朝のwalkingには出かけたけど、いつもより15分は遅かった。
それに6時半からNHKのラジ英を聞いているので、必ずボロ机の前に座る。だから、今日はwalkingの時間が短くなってしまった。きっちりとした生活をしているんである。このモーロク・ジジイは。
それにしてもアホですなぁ。
なんでこんな時代劇小説にはまっているんだろうと思う。
つまり、坂崎磐音という若き剣豪にかつてのボキを見ているような気がしているからである。27歳に設定されているのだ。
それに、絶世の美貌の持ち主である奈緒さんという許嫁もいるのだ。この女性が薄倖でかわいそうでならんのである。なかなか二人の恋は成就しないし。
ま、そういう物語というもんにのめり込むというのも一興である。
イメージの世界というものは大事である。ニンゲンナンテ、そういうもんだろう。イメージを持って、そもそもそれが誤解であったとしても、ボキたちは生きていくことができるちゅうもんだ。
表象の世界とかいうらしいけど。若き文学研究者の間では。
そういう表象の世界というものを大事にしていきたいものである。
どうせ、我が人生、夢まぼろしである。あっというまに、時は過ぎていって、枯れる。大いなる大河であった川も、海に流れてしまったらオシマイである。利根川もデカイ川だが、あれだって、太平洋に呑み込まれてしまったらそれでオシマイである。
時々、利根川を見ることがある。たまにである。出かけた時にである。その時に思う。ゆるやかに流れているようだけれども、川底ではいろんなことが起きているんだろうなぁって。
美空ひばりの「川の流れのように」ではないけれども、まさにいくつもの時代が過ぎていっているのである。川と一緒に。時代も、時間も、思い出もである。そしてすべては海に呑み込まれていってしまうのだ。
九十九里浜からは、太平洋しか見えない。利根川は見えない。クルマで出かけていかないと。
いつもいつも見えているのは、太平洋である。良いも悪いも全部呑み込んじゃっている。利根川から流れてきた水は、全部太平洋が呑み込んでいるのだ。
ありがたいもんだと思う。
人生万般、つまらないことも、楽しかったことも、苦しみも、喜びも、ビンボーも、恋の悩みも(^_^)・・・・全部である。全部呑み込んでしまっているのだ。こんなにありがたいことはない。
まるでなにごともなかったかのように、太平洋はでーんと構えている。
そして時々怒る。津浪という形でもって。
なんだか、ちっぽけなのはボキたち人間のほうじゃと、しみじみ思いまっせ。
ああああああああああああ。
今日は眠たい。
寝ます。
オヤスミ・・・・グー(^-^)g””