と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

患者との人間関係をいかにつくるかだったなぁ 感謝感激雨あられ

2022年11月30日 07時01分34秒 | 闘病記
昨日運転免許合格後に入院していた第二の病院に行った。主治医の診察を受けていた。晴れてそれから免許センターに行くわけである。そうなのだ。かなり面倒なことになるからだ。

それはそれでいい。嬉しかったのはお世話になった理学療法士が待っていてくださったのである。まるで母校に帰ってきたような感覚である。こんな病院があろうか。対話とコミュニケーションである。

教師教育を定年後ずっとやってきたが、これこそボキの言いたいことだったのだ。KR情報という。パワーポイントでいくらでも話をしてきたが、実際の事例を初めて見た。

患者との人間関係をいかに作るかということである。

一番感謝しているのは、ボキが運転してはいけないから送迎してくれた女房殿だけどねぇ。遠いのに。

家族とは仲良くしておきなはれ!

言いたいことはそれだけだ。
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隣の県で運転免許にチャレンジ 合格してしまった ありがてぇなぁ

2022年11月29日 18時41分08秒 | 闘病記
午後から隣の県にある自動車教習所の試験を受けていた。脳に病気を抱えると実にうるさいことになる。ボキは幸い病院内講習もクリアしたが(院内試験がたくさんあった)、技能検査が自信なかった。4ヶ月ぶりの乗車である。ともかくクルマが嫌いでやっと取得した運転免許である。

東京の京成自動車学校で他人の3倍努力した。ゼニもかなりかかった。

結果として合格した。慎重に運転した。なにしろ隣の県である。安全にはかなり配慮した。

こっちの県は田舎だから、クルマがないと不便になるからなぁ。

これからさらに手続きがある。病気ひとつで人生暗転してしまう。

怖いでっせ。

病気にならんことですヨン。



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いくら軽症だったと言っても信じられないのだ ウソつきとーま君になっちまったヨン

2022年11月29日 05時55分11秒 | 闘病記
今日は館山で忘年会だった。通常なら。昨日1円で買ったスマホの初期設定で営業所へ行っていたら連絡が再度来た。お見舞いの返礼を送っていたからである。

そしたら言われた。ホントになんでもないのか?というわけである。信じられないのだろう。

いくら軽症だと言っても、どっかでウソついているというわけであろう。そりゃそうだ。しかし、噂は広まる。とーま君は死にかけているというわけである。ボキがいくら元気だと言っても、ブログに書いても噂は拡大している。

気にしないこっちゃなぁ。

ボキはボキ。ヒトのことはかまっちゃいられねぇ。

だからナースはエライのだ。介護士の先生方も。理学療法士の先生方も。

こういう世界があることを知らなかったからだ。ホントに定年まで病院にお世話になったことがないからだ。これからはオノレの健康に注意して生きていかなくっちゃならん。

酒は止めることだなぁ。塩分も節約だ。食生活を正しくしておとなしく生きていくとだ。それに温泉。

あ、そうだ。旅に行こう。温泉に入ろう。

BYE-BYE!
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昨日知人が見舞いに来てくださった ありがたいなぁ まじに

2022年11月28日 07時36分55秒 | 闘病記
いろんな方々にご迷惑をおかけした。入院はこれがあるから怖い。内緒にしておくこともできない。ましてや、ボキはブログとかTwitterとかFACEBookで学校の紹介を55歳からやってきたから、いまさら止められない。もう15年以上になる。それが突然記事のアップをしなくなったらこいつはおかしいとなる。

当たり前である。なんかあったのかとなる。ましてや、ボキは九十九里浜の流れ者である。親族がいない。同窓会もない。母校がない。小学校も中学校もない。高校も大学もない。中退してしまった大学院はあるが。

これ新幹線があるから、我がふるさとは近くなったが、今までなら遙か遠くの異国だったよん。使っている言葉も違う。標準語とは異次元の世界だった。

それにしても人間関係というのはありがたいものである。

入院した病院もそうだ。ありがたくて泪が出てしまうよ。辛かったけどねぇ。こんなジジイでも、真剣に治療に取り組んでくださったからである。そして今は自主練習のためにこうやって打鍵している。そうなのだ。コンピュータがいじれなかったのだ。

トレーニングのために、今日からNHKラジオの英会話も再開した。録音しながら。

スマホも新しくした。安かった。画面も大きくした。入院してこんなありがたいツールはなかった。Lineで家族とは毎日連絡していたしねえ。画像も含めて。

捨てる神あれば拾ってくださる神もある。

それが人間関係なんじゃよ。

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長女が見舞いにやってきた ありがたいねぇ 

2022年11月27日 07時09分40秒 | 闘病記
長女が日帰りで見舞いにやってきた。孫二人とスタンダードプードルと旦那を連れて。具合のおかしかったボキを強制的に脳外科へ行けとやってくれた長女であった。感謝してもしきれない。

こんなときは家族が一番。頼りがいがある。

ワンコもセラピー犬になってくれていた。声も出ている。

もともと悪い頭だが、言語を失いたくないというのは切実だった。これでもって稼いできたし、退職金も年金も貰っているんだし、書庫の蔵書だって失いたくなかったからだ。

今は、その書庫にエアコンが入っていて快適である。入院中に奥様が全部手配してくれていた。しかも、庭まで整備されていた。人工芝と花壇が新しくなっていた。

高級車一台分が吹っ飛んでいた。

ま、いいか。

これもまたこれからの介護人生を心おきなく過ごすためのご褒美と思うことにする。

入院中お世話になったのが介護士の方々である。若い方が多かった。タノシイ入院生活を送らせていただいた。しかも美女が多い。このような厳しい仕事を嫌がることなく淡々とこなしておられた。

ある意味、使命感がないとできない相談だ。天使と言われるのもわかる。ナースの方々もそうだった。また日を改めてこのことは書いてみたい。

今日は、これからケータイを契約してくる。近くのショッピングセンターで。入院中さんざんお世話になったが、ボロボロになっちまったからだ。Lineで家族とは連絡していたが、もういい。

お世話になりました。
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脳出血で倒れ、医者から「生きる確率は20%」と…100キロ減のダイエットから5年!和歌山…

2022年11月26日 16時15分38秒 | 闘病記
他山の石ですなぁ↓

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脳出血を調べれば調べるほどシロウトのボキでもいかに恐ろしかったか

2022年11月26日 09時06分02秒 | 闘病記
リハビリ専門の先生方が80人以上もおられたからボキは生還した。今回、介護福祉士についてもいろいろなことを知った。そのことは別の日に書いてみたい。タノシク過ごさせていただいたからである。

ありがたい限りである。脳出血を調べれば調べるほどシロウトのボキでもいかに恐ろしかったかよくわかる。

それほど現代医学は進んでおるのじゃよ。ボキの高校から何人も医者が出たが、こんなに凄いことになっているとはねぇ。知らなかった。

ある意味、今まで医者知らずで生きてきたから油断していたのじゃ。酒も浴びるほど飲んできたしねぇ。

飽きたよ、そんな付き合いなんぞ。イノチを縮めてまで付き合いオンリーなんて金輪際やらない。

思えば香水のきつい店とか、ミニスカおね-チャンのいる店とか無駄なゼニばかり払ってきたなぁ。アホでしたよ。

これからは真面目に生きていかなくちゃ。

歴史の会とか塾とかクビにはなっていないようだけど、こちらもどうなるかはわからん。生きてるだけでもめっけもんだからなぁ。

BYE-BYE!
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理学療法士は、医師より偉大な存在だったよん

2022年11月25日 07時43分13秒 | 闘病記
最初の大病院も2番目のリハビリ専門病院でも世話になったのが、理学療法士の先生方である。定年までこのような方々のお世話になることはまったく無かった。初めての経験だった。

そういえば、中退した大学院にも理学療法の学部ができたんだっけ。

関心がなかった。

ひたすらオノレの学位取得目指していたからだった。こんな人でなしで、学位なんか取れるわけもない。院生室に閉じこもり、論文書いていたからだ。テメェだけのご都合主義。自己本位。

理学療法士の先生方は違っていた。

献身。

これが一番当てはまる。

こういう方々がいるのだ。いつでも半袖で、ボキがよたよた歩いていても常に背後から手を回してくださっていた。

申し訳なかった。

こんな経験したことなかったからだ。

仕事とは言え、面倒なジジイ相手に殴りたくなったこともあるに違いない。

専門知識に裏打ちされた施術。

こりゃ、医師なんか太刀打ちできん。

結局コミュニケーションだったと気がついたのは、退院間際。

感謝のみある。

ありがとうございます。
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勝率0%から勝つ サッカーみたいにいかないから入院生活は面白い

2022年11月24日 06時48分55秒 | 闘病記
サッカーが勝った。ドーハの悲劇ならぬドーハの歓喜とインターネットのニュースは報じている。勝率0%からの勝利だ。ボキも含めて日本人はこういうのが好きだ。柔道もそうだ。小さいのが大を制するのが好まれる。

ボキも小さいのに大きな男と対戦してきた。171CMしかないのに、100キロ以上と戦ってきた。勝てない。負けの連発であった。で、仕方なく体重増加に取り組んだ。その挙げ句が、今回の入院である。根本的に間違っていたんだよん。

人生をリセットしたというのはそういうことである。

考え方を変えたのだ。

体重増加なんて金輪際やらん。

勝率0%だっていいじゃぁないか。

人生は博打ではないからなぁ。

勝てばいいじゃないかというのもあるだろうけど、そんな単純なもんじゃないから。

勝率0%より、確実に勝てる人生を送りたいもんであるから。

今日は快晴。

ボキも快晴で生きたいものである。


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人生リセット 見直しでしたなぁ 入院生活は

2022年11月23日 07時15分42秒 | 闘病記
入院や転院というのは人生の見直しになった。大いになった。なにしろ今まで自信たっぷりに生きてきたからなぁ。そんなもん、もろくも崩れ去った。

一つの立場にこだわり続けてきた。笑ったのが、ボキ=塾講師になっていたのだよん。言語の治療で理解できた。何人も教えている、板書とかしてとも言われてしまった。実際は一対一でやっている。しかも、週一回である。バイトにすらならないではないか。

教員なかまでもそうだった。友人というのはあてにならない。しかも噂が先行する。死にかけてしまったというわけである。

入院期間は長かったが、まだ生きているんだよ。

某大学で非常勤講師をやったのも、ボランティアでやっていたのかと聞かれた。収入はあったのである。

こんなジジイ考えられないんだろう。

幸せな人生でしたよん。

これからは、すべてを見直し、100歳まで生きるのを目標にしぶとくいきまっせ。

リセットしたようなもんだから。

人生リセット。

がはははあはあはあははあははあは!
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目を赤くして握手 退院した日の感情移入

2022年11月22日 08時00分53秒 | 闘病記
2番目の病院を11月14日に退院したが、実に感動した。やっと娑婆に出れるという歓喜の感動である。

ところがだ。関係したナース、介護士、理学療法士までが実に暖かく送ってくれた。最後に病室の前で固い握手をしたヒトは、目を赤くしていた。ありがたかった。こんな病院があろうか。感情移入だった。人生初めてだった。退院はしたいが、離れてしまうという寂寥。

ウロウロ歩き回ってばかりいた患者だった。冗談ばかり言っていたダメ患者だった。冗談言ってないと持たなかったからなぁ。精神的に。

患者仲間がたくさんできたし。

それよりなにより、退院していく患者と目を赤くして握手してくださる職員がいるという事実に感動していた。某大学で看護の学生に授業をやっていたけど、ここまであったかな感性の持ち主だったろうか。第一、教えているボキ自身がろくでもない男だったからなぁ。

目を赤くするのは、こっちだったよん。マジに。

感謝!
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NHKの今日の健康にボキの病名が出ていた

2022年11月21日 06時46分46秒 | 闘病記
なにしろ4ヶ月留守にしていたから、録画がたまっていた。整理していた。削除。そしたら8月頃に今日の健康に出ていた。病名がである。三日間連続。

脳出血であった。繰り返し見た。頭蓋骨を外して手術する可能性もあった。怖い。

血圧の維持管理が重要である。それにワーファリンをのんでいるから危険因子はさらに高くなる。酒もだ。酒は止めた。少量ならいいと言われたがもういい。こんな長期にわたる入院生活を送るならきっぱり止めるほうがいい。

入院が長期になると精神的に参るひとが多い。退院への渇望である。看護学校の学生が実習に来ていたが、特別に話し相手になっていた。二時間もそれが続くのである。愚痴だ。仕方なし。それにしても弱気なヒトだった。そして自慢話が多い。なんとかの市長をしっているとかやっていた。

病気をすると娑婆のことが蘇るのかねぇ。オレは絶対にやらないぞと思っていた。センセと言われると自慢しちゃうアホである。ボキはアホだが、それだけはやらなかった。

アンちゃんだと言っていた。病院仲間に。オメェさんいくつだい?と聞かれたらそういうことを言っていた。気楽になるからだ。車いすの生活してりゃ、精神的に病む。ボキはスタスタ歩いていたから、気楽なもんだった。

しかし、昨日のNHKは驚いたねぇ。よくまぁ助かったもんだ。大事に使おう、このアタマ。身体。体重も高校以来の数値に戻ったしねぇ。

与えられたイノチですよん。つかいきらなきゃもったいないからなぁ。

BYE-BYE!
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利根川や筑波山を眺めながら思ったこと

2022年11月20日 07時13分28秒 | 闘病記
病室棟にホールがある。そこから大河が見えた。利根川である。筑波山も見えた。癒やされていた。そして川の流れのように我が過ぎてきた人生を思った。

無駄な時間ばかりすごしてきたなぁと慚愧の思いであった。生涯学習とは名ばかり。たしかに修士を二つ取らせていただいたが、おおきな変化はなかった。出ていったのは無駄なゼニばかり。あるいは自己満足。

これで終わりかと思うと無性に寂しかった。だから大河を見るのも筑波山を見るのも嫌になった。

それより病院内で働いている方々に目を見張った。まるで天使である。言葉が不明瞭の患者の言うことをちゃんとわかるのである。ナースもそうだし、介護士もそう。理学療法士もそう。時には腹のたつこともアルに違いない。ボキのようなワケのわからんジジイにもである。

こりゃ偉いところに来ちまったと感じた。生まれ変わらんとお釈迦様に申し訳ない。すこしのことに腹を立てたら元の木阿弥。

(_ _ )/ハンセイしかない。

生かされているんじゃよ。

オレの命じゃないんだよ。預かっている命だ。

大事に使わなくちゃなぁ。マジに。

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転院した 良い病院だった お気に入りになっちまった 

2022年11月19日 07時20分50秒 | 闘病記
大病院に約一ヶ月入院してから転院した。リハビリ専門の中規模専門病院である。名前は明かせない。風光明媚な病院でリハビリ職員が極端に多い。

ボキは歩けたので運動ばかりしていた。毎日3コマのリハビリ。それぞれ別の先生が指導してくださった。

9月9日から転院開始。四階の一番奥の四人部屋。後で聞いたが、割と軽傷の患者のみ。

ここの病院にしたのは、大病院の推薦もあったが理学療法士でボキの最後の在籍校の卒業生が隣家にいたからだった。だから安心して入院した。

嫌だったのがセンコーということがばれていたってぇこと。病院にいてまでセンセ、センセと連呼されたらたまったもんではない。しかし、後で気がついた。ある程度語るのも治療になっていたんじゃ。

センセを自己否定してから始まったが、世間には威張りんボーが実に多いと言うことにも気がついた。クチの効き方が実にランボーなのだ。それに自分勝手。面倒見てもらっているのだから、自慢しちゃアカン。感謝していかなくちゃねぇ。

合掌の癖がついてしまったヨン。

ありがたくて。

じゃ、また明日!
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来月忘年会の誘いが病室にあったが 

2022年11月18日 07時19分26秒 | 闘病記
館山で忘年会をやらないかと誘われてしまった。入院しているときだ。しょうがねぇから事実を告げた。そしたらエライことになっていた。

再起不能、ベッドに縛り付けられてトイレにも行けない、言葉もできない、クルマ椅子に乗っている、食事も補助者がいないとできない等々。

全部ウソである。

あっという間に噂が飛び交った。病気自慢の反対である。退院の挨拶をしたら、未だに「ほんとうの具合はどうなんだい?」と聞かれる始末である。病気自慢ではなく病気卑下だと思われていた。笑ってしまったなぁ。

リハビリでキーボードを叩いているが、これまた自主練習だよ~~ん。

これもまた悪運が強いっちゅうもんじゃよ。今年の3月まで大学院に在籍していたが、これまたついていた。終了してしまったから。

なんでもそうだ。ついていたと思うことだ。


病気になって体重も激減。血圧も117。酒も飲まなきゃ、ばくちもしない、女遊びはむろんしないし第一相手がいない(^_^)

これじゃまるで100まで生きるですなぁ。

BYE-BYE!
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/