1日10時間以上勉強する方法8選【この方法で司法書士試験に合格できました】
「刑務所伝道なう!ザアカイLive」進藤龍也牧師 平田伝道師 ザアカイの家 2020年3月23日(木)
コロナはまだまだ収束していない。したがって趣味の旅にも行けない。定年後に再雇用していただけなかったのは、旅をしたいと思っていたから毎日連続の仕事はもうゴメン被ると思って断ったからである。バイトならできると思っていたし、事実バイトのシフトを調整すれば海外旅行ですらいくらでも可能だった。これまでもこれからもである。
しかし、ボキはいい気なもんである。コロナで仕事を失う人が出てきたからである。仕事を失った方々は想定外であっただろうに。
考えてみれば、政治家だって選挙に落ちれば後は地獄である。いつまでも働けるというような仕事ではない。連続性がない。良い見本が、首相の補佐官である。首相が替われば吹っ飛ばされる。我が世の春だとシアワセを謳歌していた御仁も、官邸にはもういない。ま、どっかの組織に再雇用されていくのだろうけど。安定はしていない。人間関係だけで成り立っている仕事は不安定である。信頼を失ったらそれっきりだから。
それにしても、今の首相は見事なもんである。手法がである。リアリストだ。さすが苦学して裸一貫からのし上がってきただけのことはある。新聞とかでいろいろと見ていると、法政の夜学出身である。法学部である。確か政治学科だったような気がする。高卒後、段ボール工場で稼いで学費を貯めていった。このことも、ボキのような庶民には共感できる理由だ。したがって、現役で進学したのではない。エライもんだと正直思うから。
リアリストでありたい。良い見本が新首相である。まねしたいもんだ。夢ばかり追っていてなにもしないよりは良い。生涯学習ごっこだって趣味でやっているが、これもまたリアリストから見たらアホみたいなもんであろうが。無駄なゼニを使って、毎日レポート書きをやっていてそんなもんが何になると叱られてしまうだろうから。ちなみに、realist(リアリスト)とは、1 現実に即して物事を考え、また処理する人。現実主義者。実際家。2 芸術上、写実主義の立場に立つ人。写実主義者。3 哲学で、実在論者。また、実念論者というのだそうな。
だから生涯学習ごっこをやっているからと言って、決して自慢しちゃアカンのである。そんなもん、クソの役にも立たないからだ。あるいは、クソ以下かもしれない。トイレのゴミ。流されたらそれでオシマイ。そんな程度のもんであるということを決して忘れてはならない。
自慢しちゃアカン。
ううううううううううううううううううううううううううむ。正解だろう。
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聖なるものへのあこがれがある。自分とは違う世界だからだ。とてもじゃないが、こんな生き方はできないと思うからだ。マザーテレサ然り、ガンジー然り、イエスキリスト然り、面壁9年も然りである。そういう聖人はかなり多い。
ボキのような俗人にはできない、できるわけないからあこがれるのだ。できもしない苦行を耐えたこと自体がすばらしいではないか。
ボキがどうしても克服できない欠点がある。もっとも、欠点だらけの人間だけど一番気に入らないのが「怒り」である。要するに短気ですぐかぁ~~っとなっちまう。耐性もない。攻撃されたらすぐさま反撃してしまうからだ。アカンと思いつつジジイになっちまった。
人間の器がチイセエのである。それに、人格的完成なんてぇもんとは、ほど遠い。いつまでも根に持つタイプだし、ウソも平気でつく。受け狙いの発言ばかりやっているし。落語とか漫才のように生きていきたいとマジに思っているし。
欠点だらけのバカジジイである。
で、世の中には、ボキのようなバカも結構いることに気がついてしまったのじゃよ。ボキばかりではなかったのだ。自分の責任は回避して、仕事の失敗は部下のせいにする。あらゆるトラブルからは逃げまくる。コンビニでクレームが通らないとなるとすぐ本部にクレームをつける。ガッコが気に入らないと、教育委員会の担当に文句をつける等々。事例にはこと欠かない。
ボキは、自分でやるべきこと・やらねばならないことからは逃げない。最低限、自分の責任は果たす。割り振られた仕事はやる。やらねばならないことはやる。出来なかったら、最初に断れば良いのだ。いやぁ~~~~、とてもとてもそんな能力はないって。
ところがだ。世間的には能力があると思われている人種の方々に、けっこう逃げるタイプがいるのである。***センセと呼ばれる方々である。仕事を依頼しても逃げてしまうのだ。いったん承諾してもである。これがいちばん困る。センセと呼ばれているんだから、まともなんだろうと思うと意外とそうでもないからである。世の中の真実を知ったのである。定年退職後である。
怒ったって、そんなもん何の意味もない。好きなようにやらせればいいのである。どうせそんな程度のセンセでしかないのだから。程度の低い、悪い人間に合わせる必要は無いからだ。
誰もボキなんかには期待しているわけでもないしねぇ。承認されたいなんてぇことは、ボキにはこれまでもこれからもあるわけないし。
今日は、夕方保育園に孫を迎えにいく。別居だが、すぐ近くに住んでいるので。長男の嫁さんが、忙しいからだ。タノシミである。早く夕方にならないかなぁ。
わはっははっははっはははっははっははっっはっはははっは。
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真剣勝負に「怒り」ほど邪魔な感情はない。持つべきは「しなやかな強さ」。
【島田紳助】「人に対して怒りを抑える考え方」一流の人間は無駄な戦いをしない…
ほどほどというのがある。今朝は、某女子医科大学が学費を1200万円値上げするというインターネットの記事にひっくり返りそうになった。まさかと思ってその記事を読んだ。そしたら六年間で1200万という話だった。それでも高いですなぁ。苦学してのりきるというようなレベルではない。金持ちのこどもでないと進学できないではないか。
その女子医大は、亡母が合格した大学であった。やはり金欠病の祖父では払えなかった。だから、学費が無料の師範学校に進学したのである。
ど~~~も、ボキンチはゼニがないから、学資に困ってしまう。学部ですら、ボキは自分で稼いで学ぶしか無かったからだ。こういうのは、血統なんかねぇ。情けないけどそういうこった。事実だからしょうがないけど。
修士課程も、博士課程も全部テメェのゼニで学んだ。定年まで稼いだから払えた。それに定年後は生涯学習で過ごしていくつもりでいたし。バイトもいくつかやればしのげると思ったからである。事実できている。今も、修士課程に在学中だし。
☆
大聖は街に住み、小聖は山に住むという。山に住んで、他人との関わりを断って一人だけ安心安住していてもそんな程度じゃ聖なる悟りには遠い。むろんボキごときモノが、悟り云々と言えるわけもない。しかし、俗なる世界にあってこそ聖なるものにあこがれる気持ちは無視できないような気がしているのだ。俗なる世界と聖なる世界との往還こそ大事なような気がするからである。
ひとのすることにいちいち腹をたて、他人の研究成果のあら探しばかりやっていてもタノシクないからねぇ。
一部の教員とか公務員のごとく、弱者をいじめているばかりの人生もつまらんからなぁ。学者センセとか研究者お大尽のように、偉そうにしていても街の人々からは相手にされないんじゃ。そんなもん、深山幽谷に行って、一人だけで威張ったり、自慢したり、他人をこき下ろしていればいいだけの話でしかないではないか。ましてや、自分の弟子をこき下ろしていたら笑われる。指導したテメェの方に実力がないっていう証だからだ。
俗世間イコール聖である。
忘れてはならんと戒めているのだけど、ボキは。
今日は天気が良い。今日もレポートをやる。最後のレポート。タノシイですなぁ。
わはっっははっっっっははっはっはっっはっははっはっっははは。
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期待しちゃいけない。要求してもいけない。そんなもん、他人のことなんか視野にいれないこった。他人から注目されるから、あるいは期待されるからというのは、視点が全部あっちにある。あっちにあるから腹がたつのである。
流すことだ。積極的シカト。これがないと、勝負できないではないか。結局のところ悩んじまうではないか。子育てもそうだ。子育てに失敗するのは、視点が子どもにない。ないから、あっちの目が気になる。世間にどう思われるだろうかというのが悩みの種になっちまう。
流すことである。そんなもん、関わりのないことだとシカトしてしまうことだ。
某大学で非常勤講師をやらせていただいた時、それはなんと八年間もやっていたのだが、いつも教授の先生と世間話をしていた。エラク勉強になった。世間学というか、世間教というか、ワレワレ日本人というのは基礎が世間にある。世間体というのを気にする。だから威張るのである。せせこましい職業の中で立身出世したやつほど世間体を気にする。そして、立身出世できなかったボキのような俗人をバカにしてくる。ため口をきいてくる。これは関東の人間の最大の欠点である。対等の立場でため口をきいてくるのではない。明らかに上から目線でモノを言ってくる。アホだなぁと苦笑しているのだ。
そんな奴に限って子育てに失敗しているしねぇ。
ワラッチまうではないか。
教員とか公務員に多いからワラッチまうのである。道徳とかコンプライアンスを説いているわりにはまともな奴はいないからだ(^_^)。
ボキは、ボキとつきあいたくない人間とはつきあわない。当たり前である。時間とゼニが無駄だからだ。無駄な時間を浪費するほど長生きできないしなぁ。
すぐ死んじまうのなら、教養を身につけたい。教養がないからだ。まだまだ学ぶことがたくさんあるからだ。そのためにバイトを積極的にやっているのだから。
ムリは禁物である。そういうことである。なにもムリしてつきあうことはないのだ。
去っていくものは追わない。家を出て結婚していったら、それで終わり。親子関係でもそうである。
さ、今日もレポートを書く。これしかタノシミがないからなぁ。
わははっははっははっははっはははっははっっははっはははっはっはは。
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定年退職後はどこに行くのが安住の地か?という動画を昨日は見た。このブログは動画も紹介できるようだから、自分のためにリンクを貼っておいた。そして、いろいろと考えさせられてしまった。
図書館か?ううううううううううううううううううううううむ。ボキも図書館にはよく行く。通信教育の大学院に在籍しているから、レポートを書かなくちゃならない。それで行く。なにしろ単価が高いから、買えない。いちいち買っていたら破産しちまう。それで、概要をノートにとってから構想を練って、打鍵し始める。退職後は、合計で3つ大学院に所属したからこんな生活がアタリメェのようになっちまった。悔いはない。通信教育だから安価だし。
旅行にもだいぶ行った。ただし、これはコロナで惨憺たる有様である。どこにも行けない。通信教育のスクーリングにも行けない。東京にも行けない。怖いからだ。東京にはこの一年一回も行っていない。コロナが流行してからは千葉市にも行っていない。ひたすら、九十九里浜に閉じこもって、太平洋から吹いてくる気持ち良い風にあたっている。なにしろ戦前から結核に良い土地として有名な居住地であるから。そりゃそうだろう。太陽がさんさんと輝く。魚も野菜もおいしい。食料生産地としては理想的な場所であるから。
定年退職後はいわゆる再雇用をしなかったから、(していただけなかったというのが正解か)ガッコには行かなかった。某大学で教職課程の授業をやっていた。さらに某大学大学院の通学課程に学んでいた。博士課程にいた。ずいぶん苦労した。なにしろ博士である。これは余計なことをしてしまったという感もあるが、師匠に食らいついていっただけあって勉強になった。日本一の師匠であった。中世文学の泰斗であったから。芥川竜之介の高校大学と後輩で、なにしろレベルが高かった。ボキのつまらないこれまでの生き方で一番充実していたと今でも思っている。しかし、病気になって中退した。三年間在籍した。
中退してからバイトは増えた。通信制高校や、女子高のセンセもやってみた。塾はずっとやっているけど。今も。今日も塾には行く。夜である。もっとある。少年院での講話。これは書かない。競走馬の育成会社、ビール会社や学校でも講話をしてくる。千葉県から命令されて行く。もっとある。NPOで教育関係の講師をやっている。文化財審議***というのもやっている。全部収入がある。収入がないのは歴史の会だけ。こっちは奉仕であるから。
サイゴに、Wという学校法人でバイトもやっている。これはほぼ一年たった。
と、ここまで書いてくると居場所がたくさんあるのだ。笑ってしまう。
それで良し、それで良いのだ。
死んでいるか、生きているのかわからんジジイよりは良い。活力がみなぎってくるのじゃ。
カワリモンだなぁといじられるが、それもまたよし、これもまたよし。
どうせ死ぬまではイキイキとして働くつもりだから。最後は自宅を開放して私塾を開くつもりだし。
ただし、なかなか死なないだろうけど。残念ながら。
わはははっははっはははっははっっはっはあっははっっはっはは。
60歳以降や定年後の旅はこんな感じて企画すると生涯楽しめますよという話