孫もよりつかねぇってか(^0^)
オレも年取ったけど、配偶者も同様で、言わば戦友みたいなものである。今回の旅は、リフォームをしていたので、久しぶりに行ったのだが、こういう機会を大切にしてお互い順調に年を取っていき...
孫もよりつかねぇってか(^0^)
オレも年取ったけど、配偶者も同様で、言わば戦友みたいなものである。今回の旅は、リフォームをしていたので、久しぶりに行ったのだが、こういう機会を大切にしてお互い順調に年を取っていき...
友情についての格言でいい事を教えていただいた
友情格言ということをサーチしていて笑った、笑った。以下に紹介してみよう。
1:「女が男の友達になる順序は決まっている。 まずはじめが親友、それから恋人、そして最後にやっとただの友だちになる。」チェーホフ
2:「友人はあなたのためでなく、自分の利益のために忠告する。」出典:トルコの諺
3:「諸君が自分自身に対して関心を持つのと同じように、 他人が自分に関心を持っているとは期待するな。」ラッセル
4:「山から遠ざかればますますその本当の姿を見ることができる。 友人にしてもこれと同じである。」アンデルセン
5:「. 多くの愚者を友とするより、 一人の知者を友とするべきである。」デモクリトス
6:「恋愛というものは、振幅が大きくて、情熱の波に弄ばれます。 友情は静かで安定した流れを辿ります。」モーロア
7:「数多い恋人の情を集めても、我が胸に燃える友情の火には及ばぬ。」バイロン
8:「友人同士は未来を語り合わなくても未来に再会することを確信している。 恋人同士は絶えず未来を語り合うが、未来は彼らの恋愛には無い。」ボナール
これくらいにする。
8で止めたのは、末広がりで友情というものが発展するという期待からである。「8」の「友人同士は未来を語り合わなくても未来に再会することを確信している。恋人同士は絶えず未来を語り合うが、未来は彼らの恋愛には無い。」(ボナール)は然りであろう。小生のFBの友人は18人しかいないが、未来に再会するかもしれないということでは確信している。彼ら、彼女らは、どっかでエラくなられて、相変わらず生涯学習をやっているさえないじじいの小生を激励してくださるだろうからである。注目すべきは、後半である。そうなのだ。愛や恋を語らってみても、「未来はない」のである。確かにそうだ。恋人や、恋愛の後は、現実しかない。現実をどうするのか。それを計算していないと、破綻しかない。「恋は盲目」である。しかし、これはきつい表現である。ボナールは、人間観察のチャンピオンである。まことにきつい。辛辣である。皮肉屋もここまでくるとたいしたもんである。
小生も、世をすねた隠遁者みたいな方と会うのが好きで、そういう人を訪ね歩いている。似たもの同士で、楽しいからである。仕事ばかりして、出世しようと虎視眈々としているのではないからである。そういふ方々は。むしろ世の中の本質をつかんでおられる。あるいは、人間というものの醜さ、レベルの低さを教えてくださる。
ちなみに、文学というのもそういう人間理解を可能にさせてくれる。だから読んでいるのであるが。
欠点がひとつある。
それは、小生もまただんだんと皮肉屋になっているということである。気がついてはいるのだけれども。大辞典の解説にも趣味が皮肉というのがあって、これまた呵々大笑であったからでもある。
大辞典にはこんなふうに書いてあった。
デジタル大辞泉の解説.
ひ‐にく 【皮肉】
[名・形動]
1 皮と肉。また、からだ。「六尺の―と共に夜半の嵐に吹き籠めて」〈樗牛・滝口入道〉
2 うわべだけなこと。また、そのさま。皮相。「年を取るに連れて趣味が―になって行くんだね」〈谷崎・蓼喰ふ虫〉
3 遠まわしに意地悪く相手を非難すること。また、そのさま。当てこすり。「辛辣(しんらつ)な―を言う」「―な口調」
4 期待していたのとは違った結果になること。また、そのさま。「―なめぐりあわせ」
大笑いである。
例文に小生のような高齢者が出ていたからである。
これくらいにしましょう。
けふは、マジな話、学部生(男子)から中国語のtrainingを受ける。ありがたいものである。実に。こんなじじいを相手にしていただいて。あ、これは皮肉ではない。こころから感謝しているからである。彼もまたご出世なさって、どっかで再会させていただければ幸甚であると思っているからである。小生の方は。それも彼の都合次第であるけれども。
(;_;)/~~~
#しまじろう RT @kak_aka24 「ベネッセからの個人情報漏洩謝罪封筒をしっかり読んでこういう謝罪文を書けばいいのか という参考にしなさい。」という親。これぞガチ勢。
■「私の子供たちよ、人生の道を歩んでいるときには、けっして他人を傷つけてはいけないし、悲しい思いをさせてもいけない。反対に、おまえが他人を幸福にできるようなときには、いつでもそのようにしなさい。」【ウィネバゴ族インディアンの伝承のことばより】
例えば、(火山の噴火なんてあらかじめ分からないのに、無理やり分かるってことにするのはおかしいよ!)これだけでも、十分に、ロジカルで、科学的で、技術的だ。自分の言葉で書いていい。普段話している言葉で書いていい。あなたがパブリックな気持ちを持っているのなら、胸を張って送る価値がある。
「定家のコピペのおかげで科学的に貴重で正確な記録が残った」報告書をそのまま貼ったので、複写したわけではないから、厳密には「コピペ」ではなく、「ペ」?⇒ “切り張り”のおかげ?で貴重記録残った 定家の明月記 - 朝日新聞デジタル t.asahi.com/felu
ロシア出身の民俗学者、ニコライ・ネフスキーは、虹と鰻にかんする見解を紹介している。「ネフスキー君は、かつて南海諸島を歴遊して後に、こんな意見を発表した。いわく支那では虹を蛇の属に入れているが、日本各地の虹の語音は最も鰻に近い。…」(柳田国男「魚王行乞譚」)/『災害と妖怪』
中国一人旅断念せり
生涯学習の一環として、最終的に提出する論文というもの(その名に値するかわからんが)を書いてきた。こういう作業が、実に還暦すぎても楽しいからやっている。
その論文には、小生の好きな民俗芸能が、中国の目蓮救母劇というものと密接な関係にあるということで、日々を過ごしてきたのだが、その前にその劇を見たいというのがあった。当然である。見てみないと話にならない。あの鼻のなが~いゾウというものがどんなものかと、見てみないと議論できないのと一緒であるからだ。だから、中国旅行に行きたいと思っていた。しかし、普通のツアーにはない。ないから困っていた。そしたら、先月から今月にかけて遊びに行ってきた欧州漫談旅行の時に、旅行会社の添乗員さんが「オーダーできるかもしれない」と云われたのを思い出して、なんとかできないでしょうか?と聞いてみたのである。
塾に行く前に、旅行会社から電話があって、中国一人旅のオーダーがどうしても組めないという。現地中国の案内もつけてもらえないかともオーダーしたが、断られた。日本国内最大手にも聞いてもらったが、目蓮救母をみたい、会話ができない、一人旅だということ等々全部無理だと最終回答をいただいた。中国に知人はいないし、ましてや小生は大学の学生でしかないから、あちらの国の大学に頼むっていうわけにもいかない。
参ったな。
観光じゃないのもマイナスらしい。儲からないからだ。今年は無理か。否、永遠に無理か。これが学者だったら可能だろうがなぁ。ただの一介の生涯学習者でしかないし。とほほほ。
ま、しょうがないものはしょうがない。
こういふときは、漢詩でも味わいながら酒でも呑んでいるしかない。参っても参っても、山の中でしかない。迷っているからだなぁとしみじみ思うからだ(^0^)
対酒 白楽天
対酒
蝸牛角上争何事
石火光中寄此身
随富随貧且歓楽
不開口笑是痴人
酒に対す
蝸牛角上 何事をか争う
石火光中 この身を寄す
富に随い貧に随いて且く歓楽せん
口を開いて笑わざるは是痴人
カタツムリの角の上のような狭い世界で何をそんなに争うのだ。一瞬のきらめきような、短い人生に身を寄せているのだ。
富める者も貧しい者も、おのおの楽しもうではないか。押し黙っているのはバカというものだ。
(^_^)ノ””””
ささやかながら
居住地の図書館に午前中から行く予定である。夜はアルバイトの塾があるから、通学していたら疲れてしまうからである。夕方はgymにも行く。図書館は、文学・哲学・歴史に特化してあるから実にいい。県立図書館全体では100万冊を超える蔵書数で、これまたインターネットで予約して、配本してくださるからもっといい。国会図書館の書籍も取り寄せてくれる。博士論文のコピーも有料でやってくださる。だから、知っている先生、教えていただいている先生方の博士論文も集めている。たいへん参考になる。当たり前である。基礎学力が違うからだ。相手は、天下の大秀才である。小生のように最下層からスタートしている輩とは違うのである。(今も最下層だけれどもねぇ)しかし、コピー代は無職の小生にはこたえる。こたえるけど仕方がない。乏しい薄っぺらの財布を握って、図書館に通うことになる。
小生は、そういう意味で知的な能力とか、知的財産というものを非常に尊敬する。価値があると思っている。だから、いくらも入っていない財布を出してカネを使う。と云っても年金生活者だから、低レベルだけれども。語学の個人トレーナー(在籍大学男子学部生)にも薄謝であるけれども、差し上げている。ところがだ。高すぎると云われた。ある方に。困ったね。そうでもしなければ、小生如きに教えてくださる方はいないだろうからだ。ささやかながら、学生生活の応援も兼ねている。そうなのだ。そういうことなのだ。
ただし、際限なくカネをつかっていたらこれもまたいかがなものかとは、いくら馬鹿の小生でもわかっている。そこは計算しながらやるしかない。これには限度を**万円とか計算してやっていないと、破綻する。語学の男子学生にも全体でこれくらいと伝えてある。それでいいならやってくだされ!とお願いしてあるのだ。そういうものであろう。ある意味、師匠に対するマナーでもある。
もっとも、来年はいない。在籍大学に。単位がとれなかったら、冗談でも博論書いてみたいなんて云えない。それは常識であろう。単位もとれねぇで、無理だよ、無理。遊ぶために通学しているのではないからである。こういふ世界がいかに厳しい世界であるかは、よーく知っているつもりであるからである。
それに高齢者学生である。友達もいないし、あえてつきあってくれと云ったら殴られる。そこもわきまえていないと、アカン。昨日、中国の大学の先生に、「とーま君はいつも一人でいるねぇ」と云われた。まったくそのとおり。大学にいるときは、孤独なままである。第一、だべっている時間がない。次から次へとIdeaが出て、それを書きとめ、大学図書館に走り、参考文献をさがし、資料としてノートをとったりしている。そうなのだ。こういう生活を送ってみたかった。そもそも人生そのものの「残り時間」がない。大学でいまさらサークル活動なんてやっていられない。学部生とは違っているだろうからである。もっともアレだな。今更大学生と柔道なんかできない。美男系だから、腕力もカネもない。わはははっはははである。
九十九里の浜辺で、恋や愛を語っている暇もない。デートで、素敵なレストランで飯を食ったり、カラオケにも入学してからは一度も行っていない。あたりめぇである。相手がいねぇ~ではないか。スナックには院生一年生の時に、一度行ったきりである。教員時代の仲間との二次会であった。それっきりである。不思議な生活を送りはじめた。笑ってしまうくらいに。わははっは。
あ、こういうことを云っているから、馬鹿だと云われるんだよん。
けふも打鍵が快調である。
ささやかな生活だけれども。
やるぞぇ。やるぞぇ。
(^_^)ノ””””
今日の投稿記事であります。書けない病になりつつあるので、それを克服したいってなことです。よろしかったら、覗いてみてください。 goo.gl/mvOpgp
女子生徒大量拉致など犯罪行為を続ける「ボコ・ハラム」の犯行⇒イスラム過激派、カメルーン副首相夫人を拉致 on.wsj.com/1plCN7Q (Reuters) 写真は抗議運動の模様 pic.twitter.com/5VFqH56iKA
なぜスランプになるか
一昨日から、書けない。絶不調に陥っている。拙ブログは、生涯学習者仲間との連絡、報告、相談の意味もあって書いているから、時々他の方々のブログとかを見させていただいて、パワーをもらっている。他の方のスランプ克服法も参考になるからである。
そして思った。
結論から書こう。それは、「今の在籍大学でも成果が欲しいからだ」という幻想があるからである。学費を払っている以上は、というスケベ根性があるからだ。成果主義で退職までは生きてきたが、もううんざりしていたからだろう。定年後は、ゆったり、のんびり生涯学習でもやって余生を過ごしたいというのがあるからだろう。しかし、結局そういう姿勢は抜けないのである。どっかに潜在意識として成果主義、モーレツサラリーマン主義というのが残っているのだ。仕事が忙しいと逆に生きがいを感じていたし、それはそれでけっこうだったからである。そういうタイプの勤め人だったのである。
要するに目標がないとやってられないのだろう。これは生涯学習から脱落したら、ろくでもないことをやり始めるだろうから、辞めるわけにはいかない。来年どうするかという問題は別として。
悟っていないのだなぁとしみじみ思う。
性欲、金銭欲、食欲とは無縁であると広言している宗教家で、天上から下の娑婆世界の女性の脛を見ただけで落ちた方と一緒である。これじゃぁ。
要するに、評価を気にしているからである。生涯学習といっても、評価が気になるからである。QualifyTestのことも気になる。オオイに気になる。駄目だったら、潔く諦めるしかないのに気になる。気になるから準備もしている。論文も、評価が気になるから構成をいじったり、訂正をしたりしているっちゅうわけだ。当たり前だということでもあるが、それを楽しんできたから、このままいくしかないわけである。
しかも、生涯学習オンリーで生きているわけではないではないか。孫の面倒をみたり、社会貢献活動もさせていただいている。おさなごたちとの柔道、塾でのアルバイトもこれに近いですな~。
名古屋大学の教授でabe先生という方がおられる。碩学である。異色の経歴から、旧制帝国大学の教授までなられた方である。小生より一歳下であるが。まだまだ現役の学者として頑張っておられる。専攻分野は非常に特殊で、大学院を出られてからは苦労なされた。小生なんかabe先生に比べたら、文句を言えた立場にはない。ささやかながら収入はあったし、飯を食って、寝る場所だけはあったからである。
余計な計算をしないことであろう。
評価が気になって、論文の文章が書けないというのは、どっかにスケベ根性があって、それでスランプになるのだと思う。
これって、おなごにモタテイけど、当該のおなごがオレのことどう思っているかっていじいじ考えていて、結局すてられるのと一緒だ。馬鹿ですな、馬鹿。評価を気にする前に、オノレの実力、能力を反省するしかないのでございますよん。
さ、けふも暑い。暑いから、通学する。大学院生室に籠もる。夕方まで。本は大学図書館にいくらでもある。厭きたらキャンパス内をウロウロ散歩する。評価は気にしないでいこう。「ダメ元」でいいのである。そもそも、元々駄目人間であったのだし、ほんとうにほんとうに一介の田舎教師であっただけの、それだけの人間だったからである。それの延長で年金生活を楽しんでいるからである。「趣味で大学生活を送っている」と、去年まで広言していたのである。それでいいではないか、それで。
大学院の他の学生とは違っていて当然である。目標がないのも当たり前である。わらわれっちまう。今更、なにかになろうっていったって無理である。じーさまは引っ込んでおれということである。
ふふふふふ、これでかなり論文を書くトレーニングにはなったですな。なった。十分なった。やる気になってしまったですよん。
(^_^)ノ””””
「百座法談聞書抄」
「百座法談聞書抄」という古本を購入しました。今昔物語集と鬼来迎の関連をずっと追っていたので、参考文献として読みたかったのですが、県立図書館にもない。大学図書館にもない。しょうがないから、Amazonで探したらありました。中古で1500円。即購入しました。昨日の夕方来たようです。小生の家の郵便受けに入っていたのに気がつきませんでした。今朝から楽しみに読んでいます。
こうやって次から次へと課題が出てきて毎日実に充実した生活であります。真ん中に、駄文書きという柱があって、それを中心に生活が回っているからです。対象についてはなんでもいいと思います。なんでも。
これがライセンス取得のためだとなると相当苦しいのではないでしょうか。自動車学校だって、苦しい思いをして取得しましたからねぇ。目的があるっていうことは、ステップがあるということです。つまり挫折の可能性があるのです。ステップというのは、踏み外す可能性があるからです。たとえ僅かでもであります。
挫折というのは、実に苦しいものであります。小生の人生そのものでありましたから。だから、小生はこれから大海原に乗り出して行かれる若者たちが無事その大海原を乗り切られて、どっかの港に到着されることを望むわけです。途中で難破したらかわいそうでありますから。
小生は、競争の無い世界に住んでいます。今更、競争をして競っていくと云っていたら嘲笑されます。何を焦って生きているのだと、ね。実績なんて要らないですし、あってもクソの役にもたたないわけです。言わば、兼好法師のような「趣味」の世界にいるわけであります。兼好法師が、趣味の世界に生きていると言われたのは、ある著名な学者でありますが、こういう視点で兼好法師を見られる方はなかなかいないのではありませんか?受験業界では有名な古典ですからね。
受験業界というと、小生は寄生虫のようにその世界で生きてきたわけです。なんだかつまらない世界でしたなぁと思います。もしも、教育というものが、受験のためだけであるならばという条件つきでありますが。しかし、小生の教員生活は受験オンリーではまったくありませんでした。いろいろな恩師達に、それこそいろいろ知識や人格の磨き方とか「贈与」していただきましたが、そういう「贈与」は、直接的にはまったく関係ありませんでした。むしろ学校を出てからの「卒学校教育」の方が、役に立つということではナンバーワンでありました。学校時代というのは、結局「謎」に満ちていて、学生でいるうちはワケがわからないものであったからです。卒業して、大人になって、「成熟」してから気がついたという事が山ほどあるわけです。
「成熟」?
まだまだだろう?
枯れているっていうんだよん。
そう言われるかもしれません。年齢を重ねても、中途半端ですから。要するに成果を出していないし、成果社会の落ちこぼれでありますから。でも、もういいんです。もう。
今日も暑いのだそうです。
居住地の図書館に行ってまいります。「百座法談聞書抄」を持って。
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私には本来そこ(ヘリゲルの『弓術と禅』)で書かれていることは、事象としてあらゆる芸術家が知っていることと根本的に非常によく似た、ひょっとしたら同じものでさえあるかもしれないことであるように思われます。つまり、無意図的なものへの到達です。『MOMO erzählt Zen』
日本の仏教はまだ男の世界だから「瞑想」も教えているのが男の人ばかりなんですよね……。それも残念だな。瞑想は女性に向いています。仏教瞑想の会、やってみようかな。とりあえず、坐禅ガールツアーかな(笑)
■「すべての暖かい夜 月光の下で眠れ その光を、一生をかけておまえの中に取り込むのだ おまえはやがて輝きはじめ いつの日か 月は思うだろう おまえこそが月なのだと」【クリーインディアンの詩】
日本の神様たちって、本当にささやかな人たちだと思うんですよ。それが国家の神様になっていろんなものを背負わされて困った人もいるでしょ。天神様なんかも合格祈願の神様にされてしまって、英語がわからないから困ったでしょう。
amzn.to/obhrmF
ネットで自由に意見言えることを礼賛したお前らは本当にバカだな。呑気だな。お前らは害悪でしかねぇよ。うぜぇ。何がウェブ2.0だよ。なんか「ウェブ3.0」とかいった呑気なオッサンもいたな。どいつもこいつもウェブが関ると呑気になりやがってよ。一生iPhone見て眼精疲労にでもなっとけ