決勝 男子200m 日本選手権陸上2019
ボキは能力がねぇなぁと慨嘆することがしばしばある。だいいち、考えるチカラがない。新規の考えのもとに、新しい視野で論文が書けない。むろん、普段から学ぶことをサボっているからだ。(_ _ )/ハンセイばかりが先行しているのだ。まったく、いい年こいてなにをやってきたのだろうかと、がっかりしてしまう。
それに、大物とはまるで違うから、やることなすこと小人物である。器がちいせぇのだよん。柔道も然り、センコー稼業も然り、家庭人としても然り。小物そのもの。
そんなわけで、バイトもいくつかヤメヨウと思っているのだが、もう二度とお声がかからないかもしれないと思うと躊躇してしまうのだ。情けない。そういう点が小人物だと感じる点である。
要するにヒマヒマになるのを恐れているのだ。また病気になってしまう。つまり、下肢静脈瘤である。動かなくなって、血の循環がよろしくなくなってしまう。あ、血の巡りの悪いのは今始まったわけではない。昔からそうだった。少年時代からだ。成績が悪くて、高校入試もやっとのことで合格できただけであった。入れただけで感謝しているけどねぇ。よくまぁ入れたもんだった。あんな進学校に。国立大学だけで、170名も進学していったのだから。ボキ?ボキは、むろん超劣等生であるから三流私学である。私学だからゼニがなくて苦学したのだった。
アホな前半生だったなぁと思う。でも、もう前半生から後半生どころか、だんだん終わりに近づいてきている。そうなのだ。後は死ぬのを待つばかりなのだ。
それに気がついてからは、かなり焦っている。なんの実績も残していないではないか。バイトばかりやっていて、Amazonから古本ばかり買っているだけである。それの残骸で、塾や、某大学や、家庭教師や、研修講師や、歴史の会や、交通安全講師や、通信制高校の講師や・・・・・(もっとあるけど忘れてしまった)なんかをやらしていただいている。
暇を恐れているのだ。
むううううううううううううううううううううううううう。
ちょっと改めようと思う。
明日から7月である。西本願寺の通信制で仏教の勉強をしたいと思っているのだが、入学が7月一杯である。ここは、一度初心者コースを卒業している。別のコースでやり直してみたいと思っているのだ。
アホなりに生きていける道を探してみたい。妙好人というのが、憧れであるからだ。
アホでも生きていける道があるらしいから。
今朝は、雨模様だった。エィっとばかり歩きに行ってしまった。そして、ずぶ濡れになって帰ってきた。それでも、Metsで7000歩は行った。午後から曇っていたら、また歩きに行く。
生きることに執着しているからである。
アホは、いつまでも生きていたいからだ。
わははっははははっはははっははははっははっはははっはははは。
(^o^)/~~~
「人生に、文学を」オープン講座 in 神戸女学院大学 2017年6月10日(土)第8講 内田樹さん「身体と知性」
自己評価というのは、最初から低く設定していた方が安心である。平穏な気持ちで生きていくことができる。逆に、オノレは秀才である、優秀である、使える人間である、美男美女でモテテモテテ困るくらいであるというような自己評価では人生を誤る。他人がどう思っても、オノレはオノレ。どう思われようと関係ないではないか。
こう思うようになれるまで、時間がかかった。迷っていたからである。執着していたし、ボキも自己評価だけは高かった。もしかして、博士になれるのではないのかと勘違いしてしまったのもこれだったよん。
今ではお笑いぐさである。
こういう自己評価だと、基地外になっちまう。山月記の主人公のようにである。獣になっちまう。
愛欲もまた然り。獣性というものが、誰にでもあるからだ。日本古典なんかは、獣性のかたまりであるし。全部がそうだとは言わない。一部である。しかし、貴族文学というやつは愛欲の精神史でもあるからなぁ。ボキとはまったく縁の無い世界だから、たいつくで仕方なかった。これもまたセンコー稼業で必要だったから仕方なく読んでいただけであった。とりわけ源氏物語。しかも、こいつは長いと来ている。
わははっはははっはははははっはははっはははっはははっは。
空想の世界に生きているわけにはいかないではないか。こっちは喰っていかなくちゃアカンから。しかも、ボキは苦学生をやってまで文学部に通っていたのだった。これもまたおかしなことであった。喰うための学問をやっていれば、こうはならなかったのかも知れない。経済学とか法律学とかのことをさしている。事実、住み込みで働いていた新聞店には、そういう学部の苦学生がたくさんいた。苦学の身から抜け出していきたいという志があったからである。今でも、たいしたものだったと思う。ボキ以外の苦学生たちがである。
ミンナ年をとって、どうやって生きているのだろうと思う。
懐かしいなぁ。
会ってみたい。元気かなぁ。中には、亡くなった方もいるかもしれない。そして、ボキはしつこく生きている。まだ当分死にそうも無い。大腸カメラも異常なしであったし、すこぶる元気である。
そういう自己規定のもとに生きている。
いくつかやっているバイトでも、低評価だし。気楽に生きている。なにも今更評価を高めていただいて、なにをすると言うのだ。
孫のような子どもたちに囲まれて、バイトをさせていただいているだけでも感謝である。
よくまぁ、こんなバカジジイにバイト代を払ってくださると感謝している。それだけでもありがたいかぎりである。
あり得ない話では無いか。
今朝も歩いてきた。昨日サニブラウンの100メートルの録画を見ていて、寝たのが遅かったから起きるのが辛かった。でも、4時40分には歩き始めた。ブラブラ歩きである。健康になったのは、これだ。思うに、新聞配達していたときもこの時間には自転車に乗って配達をしていたなぁと思った。歩きながら。
だからこんなことを打鍵してみたくなったのである。
低評価ジジイここにありである。
BYE-BYE!
退職後になんにもやることがないのだったら、ブログでもやっていれば良いという動画を昨日リンクさせておいた。然りである。まったくそのとおり。そして、文章の打鍵トレーニングにはなるだろうというご指摘もなるほどであった。キーボードを見ないで打鍵できるまでやれと言われているのだが、これまた然りである。ブラインドタッチとか言うのだそうな。ボキには難しいけど。なにしろ一本指打鍵だから(ウソだけど)。
ボキもこうなりたい。少なくとも惚け防止にはなるだろうから。少しは努力しないとアカンですけれどもねぇ。打鍵の方の努力である。
それに、ボキのブログは身辺雑記であってなんにも内容がない。中身がない。ヒトに説教たれているブログも散見されるが、ボキごときではそんなのやれるわけもない。これはアカン。そんな資格も能力もない。バイトでも低い評価しか貰っていないしねぇ。バカだから。
さらにある。ボキはその身辺を明らかにしていない。バイトを9種類やっているが、いちいち書いていない。つまり名称をまったく出していない。迷惑がかかるのを恐れているからだ。たぶんこの選択は正しいのであろう。組織に迷惑がかかるのは避けたいからである。
すべてのバイトを辞めたら明らかにする可能性もあるのかもしれない。でも、それはないだろう。タブン。
生きていられるだけでありがたいし、バイトさせていただいているだけでもありがたいからだ。
マジにそう思っている。一ヶ月に一万円くらいしか貰っていないし、ゼニが欲しくてやっているわけではないからである。完全にバイト以下である。ボランティアと言ったら、それこそ真剣に被災地でボランティアをやっている方々に叱られてしまう。
生活費もかからない。第一、ヒトと会わない。会ってくれない。つまり、アルコールの介在する人間関係がなくなってしまった。カラオケもやらない。なにも人間が嫌いなのではない。会ったら、不快な思いをさせてしまうだろうからだ。それほど、ボキは不快な顔をしているのだよん(*^O^*)。
SNSなんかで、顔を出しておられる方々がいる。ボキはとてもじゃないが、そんな自信はない。なにしろ、徹底的に顔が破壊されているからだ。
わははっはははっはははっはははっはははっははははっはははははは。
今朝は雨だなぁ。
歩きに行けなかった。
昨日、塾の帰りにセブンイレブンに寄ったが、その時に居住地の公共施設にあるジムの職員がいた。車いすに乗っておられる方である。ボキのことを覚えておられて、「最近来ませんねぇ」と言われてしまった。「死んだことになっているから」と冗談をかました。
二人で大笑いした。
今日行って来るか。ジムに。会費が月額2000円もかかる。年金暮らしのジジイには辛い。
バイトを増やすか。
月額2000円のバイトだ。
無理か。やとってくれるところもねぇしなぁ。
BYE-BYE!
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大腸カメラを入れていただいていた。昨日のことである。朝の8時から、夕方の6時までかかった。混んでいたのだ。ポリープ切除の方が5名いた。ボキのように検査(自主希望)というのは、おそらく一人だったと思う。
それにしても巨大な病院である。内視鏡室だけで8つもあった。ドクターが6人くらいいただだろうか。
全部で21名だったような気がする。患者が。皆、下剤を2時間かけて飲みはじめる。なかなか飲めない御仁もいた。ゆっくりやっているしかない。ボキは、手慣れたものである。じわじわと、まるで日本酒でも呑むように、だ。朝からなにも喰っていないので、実においしいのだ。
12時30分に下剤の結果を調査されて、いざ内視鏡室へ。ボキは、先頭から5番目くらいだった。つまり、あっという間に順番が回ってきた。しかし、ポリープ切除の方が先にやっていたような気がした。時間がかかっていたからである。
いよいよ呼ばれた。しずしずと入っていって、ドクターとナースにご挨拶をした。当然である。こんなキタナイケツの穴を診ていただくのだから。ありがたいことである。長生きしたいというだけの、バカジジイである。自主的に検査にやってくるのだから。まるっきり執着そのものである。バカジジイ、そんなに長生きしてどうするというレベルでしかない。
それで、コツを見つけた。
①腹式呼吸をする
②おならをがまんしない
以上の二つである。
どうしても大腸カメラは、チカラが入ってしまうからだ。特に、②の方。これは今回初めて知った。ボキは、ドクターに失礼だからと思って我慢していたのだ。だから、腹が痛くなってしまうのだと聞いた。ナースにである。これはこれは。
大腸カメラは、もう20回以上やっていただいている。これで、次回も気楽に出来るというもんじゃよ。
3年後だけど。
5時から、内科のドクターに結果を聞いた。
奥まで入れたけど、なんでもありませんよ。痔があったけど。
そういうご託宣であった。ありがたい。これでしばらくは、無駄に生きていられる。天はボキを見捨てられなかったのだ。
ああああああああああああああああああああああああああああ!
ありがたい。
BYE-BYE!
人生は冗談でできている。マジにそう思う。
どんなに用意周到に、計画を立てて生きていても思うとおりにならない。結婚がそうではないか。用意周到に計画を立てて、この男なら(女なら)と結婚したではないか。たぶん大丈夫だろうと思って一気に突っ走るわけである。そして、実際に生活をしてみたら違っていたわけである。むろん、中にはシアワセ絶好調という御仁もいるだろうけど(^0^)。
およそ世の中のことを知らないで、一気に一緒になっちまうからこうなるのだ。もっとも、大人になって世間のことをよく知るようになったら一気に突っ走るということはやらないだろう。やるわけない。世間をよ~~~~く知ることになったら、危険なことはいくらでもあるからだ。損得勘定だけで生きていくのは、あまり賛成できない。しかし、危険は回避したほうが良い。結婚にはシアワセもあるかも知れないが、危険もあるからだ。そこのところだけは、用意周到に考えた方が良いと思っているからだ。
結婚前の若い男女は(再婚も含めるとそうとも言い切れないが)、幻想にだまされているのだ。シンデレラ幻想である。あるいは、幸せな家庭を持てば仕事も充実して趣味の世界にも邁進できると勘違いしてしまう。
独居老人の知人がいるが、彼は年金も親の遺産も自分だけで使っていて、まさに自由自在に生きている。海外旅行もかなり行っている。うらやましい限りである。なにしろ収入は全部自分のためだけに使えるのだ。そのことをボキにも自慢してくる。そして、ボキを哀れんでくる。ボキは全部家人に管理されているから、お前になんか自由がないと言うのである。
確かにそうだ。自由はない。でも、負け惜しみになるけど、ボキには苦労したおかげで唯一良かった点がある。子どもたちはそれぞれ独立して家を持って、なんと3人の孫までボキにはいるのだ。これだけはその独居老人には負けないのじゃよん。
さらにある。それは病気になるのも、ある意味必然性がそうしたのであろうと思っているからだ。病気になる理由というのは、確かにある。あるから病気になるわけだ。酒の飲み過ぎやたばこ。ストレス。
しかしである。病気になるのも冗談でなると思えば、けっこう気楽である。なっちまったものは仕方ないではないか。
それをである。深刻に考えて、病気になったらどうしようと心配ばかりして、予防ノイローゼになったらアカンでっせ。長寿は好ましいことであるが、まったく病気にならないで長寿を楽しんで生きている老人もいないのだから。ある程度の病気経験者が長寿になっているのだ。一病息災と言うではないか。病気の経験者だからこそ、健康に留意していくのだ。
冗談で生きて、冗談で結婚して、冗談で病気になって、冗談で就職して、冗談で出世して、たどり着いたら定年退職。
それこそ歌の台詞ではないが、「冗談じゃねぇ~~~~」である。
冗談では無いのが、唯一ある。
それは「誰でも死んじゃう」ということである。これだけは、冗談ではない。真実である。だからこそ、充実した生き方をしていきたいものである。
今日は、これから大腸カメラをケツから入れられる。自分から希望して入れてもらうのだ。冗談では無い。マジにである。
長生きしたいからである。
死ぬまでは。
わははっははっはははっははっはははっははっはははっははっははは。
BYE-BYE!