と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

今日はこれから爺の料理教室が始まる、始まる。かきあげだそうな。500円で昼飯をいただくのじゃよん。楽しみ、楽しみ。

2019年10月31日 07時58分04秒 | とーま君の流儀2019
今日はこれから、「男の料理教室」である。9時からだ。かきあげを作るらしい。費用はなんと500円。参加者は爺しかいない。楽しみである。

まだ死んでいない爺しか来ない。当たり前である。死んだら参加できない。

わははっはははっははははっははっはははっはははっははっは。

元気か?

まだ生きてるよぉ。

こないだ、入院してよぉ。

それで死ななかったかぁとか楽しい会話が教室のそこらじゅうにこだまするのじゃ。

作った料理は、飯も炊いてから全員で一緒に食うから楽しいのである。共食いではない。会食である。もっとも爺の共食いではうまくもなんともないけど(^_^)。

これもまた縁なり。

一緒に死ぬわけにもいかないから、遅かれ早かれ順番待ち。

現役時代には考えられないつきあいである。平日開催だから、仕事していたら絶対参加できない教室だけれどもねぇ。

メニューはかきあげ。油であげるときは、参加しないようにと家人から指示をもらった。油がめがねにくっついて、めがねをだめにしちゃうのだそうな。

大丈夫である。爺たちは、俺がやるというのが充満しているから。俺がやる、俺にやらせろとまぁまぁ出しゃばりが多いからである。ボキの出番などまるっきりない。皿あらい専門、あるいは食うだけの専門家。

情けないけど、それもまた楽し。ラクだしねぇ。サボっても誰も文句を言わないから。

さ、行ってきまぁす。

エプロン持って。バンダナ持って。

手ふきタオルも。


しょうもない一日が始まりまんなぁ(^_^)。こんなんで一生ラクして生きていくんでしょうけど。




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いとこの納骨に参列していて思ったことは、誰でも死んじゃうってぇことなり

2019年10月31日 07時10分35秒 | とーま君の流儀2019
昨日は家人のいとこの納骨に参列していた。まだ60代であった。病気になって、他県の大学病院に行こうとして、近くのホテルに前泊した。翌朝、診察に行った。そしたら病院のトイレで意識を失ってしまった。そのまま亡くなってしまった。なんどか杯を交わしたこともあった。

むなしいものである。人の生き死にというのは。

そして遅かれ早かれ、ボキも同じような運命がくる。絶対くる。人間は100%死ぬからである。どんなに嫌がっても、死は必ずくるのだ。永遠に生きていることはできないからだ。

逃れられないのだ。あ~~~たも、ボ~~~キも。

そこで、昨日は久しぶりに親鸞関係の資料を読んでいた。なぜか。それは通信教育でお世話になった武蔵野大学が西本願寺の大学だからである。つまり、親鸞関係の大学だからだ。今朝も読んでいた。印刷もしていた。いろんな資料を。ファイルにもしたけど。

忘れている部分がたくさんあった。笑った。こんなに忘れてしまうのだ。情けない。もう惚けている。もっとも元々アホだからねぇ。しょうがねぇか。

心機一転。

生涯学習ごっこに目覚めたのだから、ありがたく受け止めて、あとは努力するしかないではないか。

死ぬまであっという間なんだから。

あ~~~~~~たも、ボ~~~~~~キも。


BYE-BYE!
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「身の丈にあわせて・・・」と失言撤回大臣様は、おっしゃったけど。よく考えたら、ボキのような平凡な爺には的確な説教でしたよん(^_^)

2019年10月30日 08時11分57秒 | とーま君の流儀2019
再び成果主義の世界に突入するのか?

そして、日々死ぬような思いでもって論文書きにチャレンジしていくのか?

健康は大丈夫か?動かなくて一度はICUにまで入ってしまった爺である。精神がもつか?もしかしたら、老人性の鬱を発症してしまうのではないのか?

ううううううううううううううううううううううううううううむ。

持つかということがボキの問いとしてある。昨日、バイトでかけずり回っていてそう思った。運転しながらである。

現状維持で楽しく暮らしていれば、それはそれで楽である。進展もなければ、変化もない。絶望したまま、爺として生きていくだけである。平凡が怖いのかもしれない。変化のない毎日に耐えられるかという思いもある。

目も見えなくなってきた。

能力はもともとない。

でも、全部言い訳でんなぁ。

年取ったからとか、健康が不安だとか、全部言い訳だよんんんんんんん。

することがなかったら、家事手伝いをすればよし。

図書館で居眠りでもしていればよし。

ボランティアでやっている歴史の会でも行けばよし。

単発のアルバイトでもやっていればよし。日払いで結構な銭になるから。試験監督なんかも声がかかってくるし。

で、その単発アルバイトで思ったことがある。要するに、暇なんだねぇって。暇だと、不善をなす。悪いことばかり考えてしまう。年金暮らしなんだから、それこそ先日失言してしまった大臣様のように「身の丈にあわせて生きろ」ということなんだろうなぁ。そう思う。マジにそう思う。

そうするとだ。ボキの身の丈というのは何だ?ということになる。

ただの馬鹿爺でしかないではないか。

落語に出てきそうだよん。

身の丈にあわせて生きていこうかと思っている。その点で、先日の某大臣様は、ボキに良い説教をたれてくれたというわけだ。さすがに大臣様は言うことが違っているですなぁ。

身の丈にあわせてそれなりに生きていこうかねぇ。

わははっはははっははははっはははっははっははっはははは。


BYE-BYE!
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絶望名言【 中島 敦/なかじま あつし】/頭木 弘樹から得たもの それはボキのこれからの指針になるかもしれない

2019年10月29日 22時03分05秒 | とーま君の流儀2019
ボキは、絶望しているから文学だの、宗教だの、哲学などを希求してきたのかもしれない。この頭木さんのお話を聞いて気がついたのだ。

苦学生時代にずいぶんドストエフスキーに傾倒したのは、これだったのだ。つまり、オノレの才能や能力にである。臆病な自尊心がどっかにあったのだ。これまさに、山月記の世界である。それは、もしかしたら才能があるかもしれないと思い込んでいたということである。自尊心が傷つかないように、生きてきただけだったのだ。言い訳の心理でもある。

努力しないことの安全パイであった。ハンデを自分でつけていただけだった。

うううううううううううううううううううううううううううううううううううううむ。

落胆したくないから最初から努力しなかっただけだった。逃げていたのだ。博士になれなかったということのトラウマから逃げていたのである。しかも、努力もしなかったのだ。

これだったら、自分ががっかりすることもない。しかし、これだと成功することもない。ネガティブシンキングだったのだ。

良いことが起きなくても、嫌なことさえ起きなければそれで幸せになると思っていたのである。

そして、変化を恐れた。しあわせであるには、暖炉に薪をくべなければならない。定型化している定年後のジジイ生活をそのまま生きていれば、それで幸せになると思い込んでいただけだったのだ。ずーっと寝ていたら、飽きてしまうのである。だからこその生涯学習ごっこだったのだ。

極端に生活していれば、病気になる。病んでしまう。山月記はこれを示唆してくれているのだ。博士になりたい、有名な詩人になりたいと虎になっても、オノレの作品が永久に残ることを望むという精神が病気の最大原因であるのだ。それに気がつかなかった。このNHKの講話は、それを教えてくれている。

ほどほどに生きていればいいのだ。

高望みしないで。

今日は、バイトで遅くなった。月末事務処理をやっていた。このバイトで生涯学習に資することにするつもりである。無駄に使っていたら、アカン。もったいない。だから大学院受験を考え始めたのである。修士をもう一つ持つのもいいかもしれないと思い始めたのだ。仏教学である。

どうなるかわからんけど。

作家の三浦綾子先生も言っておられた。勉強して、受験して、結果は神のみぞ知るだと。

疲れた。寝ます。














2017 10 30 1/3 絶望名言【 中島 敦/なかじま あつし】/頭木 弘樹・かしらぎ ひろき・文学紹介者 NHK ラジオ深夜便 4
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【12分で解説】学びを結果に変えるアウトプット大全 (Sanctuary books)【世界を変えるのはいつもアウトプット】

2019年10月28日 19時18分37秒 | とーま君の流儀2019
【12分で解説】学びを結果に変えるアウトプット大全 (Sanctuary books)【世界を変えるのはいつもアウトプット】
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頭が良くないと勉強してもムダ?【精神科医・樺沢紫苑】 ⇔ いい応援歌なり ボキにもアタマが悪い方で当てはまるから(^_^)

2019年10月28日 17時25分27秒 | とーま君の流儀2019
方法を知っているかということですなぁ。
やるか、やらないかでありますねぇ。
応援歌になりますねぇ。
アリガタヤ、アリガタヤ。





頭が良くないと勉強してもムダ?【精神科医・樺沢紫苑】
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今朝、NHKの絶望名言というラジオを聞いていた はっとなった 中島敦だったからだ ボキのことを言っているような感じだったから

2019年10月28日 10時35分48秒 | とーま君の流儀2019
NHKの早朝番組で、ラジオ「絶望名言」を今朝聞いていた。朝の4時からであった。話題は中島敦であった。話手は頭木弘樹氏。再放送らしいが、以前の放送は聞き漏らした。難病を患っている頭木弘樹氏は、確か潰瘍性大腸炎だったような気がする。宮古島に在住で、筑波大学の3年生の時に罹患した。以来、長い間の闘病生活を送られている。

ウキによると以下のような紹介があった。

>筑波大学卒業。大学3年の20歳のときに難病になり、13年間の闘病生活を送る。そのときにカフカの言葉が救いとなった経験から、2011年に『絶望名人カフカの人生論』(飛鳥新社)を出版[1][2]。以後、さまざまな本を執筆している。沖縄県の離島・宮古島に在住で、しばしば上京している。 
  • 『「逮捕+終り」 ―『訴訟』より』(1999年、創樹社) - 翻訳・評論
  • 『絶望名人カフカの人生論』(2011年、飛鳥新社 2014年、新潮文庫)
  • 『希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話』(2014年、飛鳥新社)
  • 『マンガで読む絶望名人カフカの人生論』マンガ・平松昭子(2015年、飛鳥新社) - 監修
  • 『絶望読書 ―苦悩の時期、私を救った本』(2016年、飛鳥新社)
  • 『カフカはなぜ自殺しなかったのか?』(2016年、春秋社)
  • 『絶望図書館 ─立ち直れそうもないとき、心に寄り添ってくれる12の物語』(2017年、ちくま文庫) - アンソロジーの選者に
  • 『絶望名人カフカ×希望名人ゲーテ 文豪の名言対決』(2018年、草思社文庫) - 『希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話』を改稿
  • 『絶望読書』(2018年、河出文庫) - 『絶望読書 ―苦悩の時期、私を救った本』の文庫化
  • 『NHKラジオ深夜便 絶望名言』(2018年、飛鳥新社) - NHK〈ラジオ深夜便〉制作班との共著、同番組コーナーの書籍化
  • 『絶望書店 夢をあきらめた9人が出会った物語』(2019年、河出書房新社) - アンソロジーの選者に


非常に優れたお方である。

しかもご自身が病気と戦っておられる。こういう方が人生の真実をついているから、ボキは好きなのだ。

さらに今朝は中島敦である。絶望と闘い、若くして亡くなっている。ぜんそくだった。東大を出て、大学院を中退して女学校の教員になった人だ。ほかの仕事でパラオにも赴任したことがあったらしいが、頭木氏の説明がなかったら、知らなかった。

中島敦は、今回のボキの大学院受験を左右している。文学的名声を欲しがって、とうとう虎にならざるを得なかった男を描いている「山月記」を書いているからである。これは高校の教科書にも出てくるようなすぐれた作品である。そんなに、地位とか名誉がほしいのかと、ボキを蔑んでいるような風が吹いてくるからだ。

みっともない。まことにみっともない。

絶望したくないから、なにもしないという選択肢もあるだろうという頭木氏の発言にはっとなったし。

なるほど、なにもしない、誰とも会わない、面倒くさい人間関係も拒否していれば確かに平穏な日常を送ることはできる。

その方が楽だからだ。しかし、やってみなくちゃわからない部分も世間にはある。学校だってそうだった。チャレンジしてきたからこその人生でもあった。

うううううううううううううううううううううううううううううううううううむ。

ここのところいろいろ考えさせられるですなぁ。

(*_*) マイッタ。

凡人だから、いつまでも同じレベルで迷い続けておりまする。

お笑いくださいませ。


BYE-BYE!
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思うようにならないことがあっても、淡々として生きていられるか ニコニコと笑って

2019年10月27日 17時11分14秒 | 教師の流儀

大学院受験はどうもだめなようだ。だいいち能力がない。努力だけはしてきたし、論文も書いてきた。研究誌にも何度か載った。だからなんなんだ?というレベルでしかないが。

ここで考えた。

思うようにいかないことがあっても、淡々と受け入れながら、笑顔で生きていけるのが本当の強さなのではないのかって。

確かにそうだ。社会に出てみたら、思うようにならない人の方が圧倒的に多いのだ。思うようになっている人ってぇのは、1%くらいだろうよん。

入学してみたい学校があって、それを目指して一生懸命勉強するのはたいへんすばらしいことだ。しかし、だからと言ってそれからは全部思い通りの人生を送れるかというとそうではないだろうなぁ。

優秀な学力とか、一流大学に入学する・合格するというより前にもっと大事なもんがあるのじゃよ。それは、「優しさ」や「思いやり」や「あたたかさ」であると、ボキは思うのだ。それと、「楽しく人生を送っているか」というのもあるですなぁ。

そういう人は、社会の中でちゃんと生きていくことができるからだ。

ありとあらゆることが、自分以外の方々のおかげで成り立っていると気がつくことも大事である。実は、ガッコのセンセにこういうことを言ってほしいのだけれども。センセたちはわっかんねぇだろうなぁ。大学出てからすぐ「センセ・センセ」と言われてくるんだから。だから、神戸の小学校の対教員いじめをやらかすセンセが出てくると思うからだ。思い上がってしまうからだ。偉そうに・・・。

「頑張れ・頑張れ」とか「達成目標を実現せよ」「必死の思いで努力せよ」とかやっていると病む。精神を病む。それこそ山月記の虎になっちまうではないか。

ウント勉強して受験するのはいい。合格できるかどうかは、誰にもわからない。そこから先は、神の領域だと言っていたのは三浦綾子さんだったような気がする。

焦ることはねぇのだ。

焦ったらろくなことはないからだ。

 

なんだか方向性は決まったような気がする。

お任せで生きるしかないですなぁ。

 

わははっはははっはははっはははっははははっはははっはははは。

 

BYE-BYE!

 

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受験してみたいと思っている某大学大学院の先生からメールがきた

2019年10月27日 06時55分48秒 | とーま君の流儀2019
来月志願書を提出したいと思っている某大学大学院にメールを送った。学務課の指示である。志願書に師事したい先生のお名前を書くのに必要だと言われたからである。

そしたら、昨日その先生からお尋ねのメールがきた。ご多忙にもかかわらず、こんなジジイのメールに返信をくださったのだ。ありがたいではないか。その先生とは、わずかながら面識がある。優秀な方である。

そして、かなり深刻なことが書いてあった。

どのような研究をしたいのか、方法論的にはどう考えているのか。さらに、中退した某大学で論文博士が可能なのではないのかと。

ううううううううううううううううううううううううううううううううむ。

(*_*) マイッタ。

所詮素人である。正真正銘素人。

方法論的には、いくつか書けることはある。民俗学会に入っていたから、やれもしない手法・方法を打鍵することはできる。しかし、待てよと思った。先生は、プロである。ボキは、ただのジジイである。知ったかぶりはよくない。

正直に書いた。再学習したいって。

さらに論文博士を取得したくても、師匠がいない。中退した某大学大学院の方は教わりたい先生がいたから入学したのである。その先生は高齢であることと体調を崩されて、去ってしまわれた。中退したのだからもう諦めればぁ~~~~と言われそうだが。再入学も論文博士も無理だと大学事務局にも言われてしまった。

断念すること・させることもまた教育の一部である。かなり重要な部分でもある。

ボキがかかわっている通信制高校とはここが違う。登校拒否とか中退者に寄り添ってくださる・関わっていくというのとは違うのである。あくまで、オノレの力でやるしかないのが学者先生や研究者の世界である。努力したから報われるというような甘い世界ではないのだろう。

明日まで考えてみる。書類は準備した。

受験を断られるというのは、ある種の汚点でもあるけど。


BYE-BYE!
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生徒たち帰れず 大変でした ご苦労様でした

2019年10月26日 06時57分39秒 | 教師の流儀
昨日は大安。しかし、暴風と大雨であった。千葉県内はまたもや被害に。高等学校で帰れなくなった生徒が続出した。なんということだ。NHKのニュースでも取り上げられたから、下記に引用する。

しかし、これって管理職の判断が大変だったろうなぁと思った。同情を禁じ得ない。職員会議でも問題にした先生もいたのではないのかと感じたからである。

ともかくご苦労様でした。現役の先生たちは。






>大雨の影響で、千葉県内では交通手段が確保できないなどの理由で子どもたちが帰宅できず、25日夜は校内などにとどまって過ごすことになった学校が相次いでいます。
千葉県教育委員会によりますと、25日午後5時の時点で、千葉市内をのぞく県内の公立学校では、大雨のため帰宅できず235校の8222人が学校にとどまっている状況だったということです。

内訳としては、高校で64校の4385人、中学校では53校の1865人、小学校では95校の1805人などとなっていました。

このあと、大半の学校では、保護者が迎えに来るなどして帰宅できたということですが、一部の高校などではJRなどの交通機関が運転を見合わせて交通手段が確保できないなどして、25日夜は生徒らが学校に泊まることになったということです。泊まることになった正確な生徒らの数は現時点ではわかっていません。

このうち、山武市の成東高校ではおよそ50人の生徒が校内の合宿所で泊まることになったほか、大多喜町の大多喜高校でも、1年生と3年生の生徒17人が校内の宿泊施設に泊まることになったということです。

また山武市の松尾高校では課外活動に出かけていた3年生およそ120人が、学校に戻る途中で電車が運休して帰れなくなり、急きょ確保した千葉市内のホテルの大部屋で宿泊することになったということです。

千葉県教育委員会によりますと、それぞれの学校では教師が付き添って、備蓄している食料や毛布を使うなどして対応しており、これまでのところ、生徒の体調が悪くなったなどの連絡は入っていないということです。

各学校では、26日、保護者に迎えに来てもらうなどして生徒らを帰宅させたいとしています。
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スモールカーでも、エンジンだけは2000 今日納車されるボキのクルマ これってボキの未来を現しているかもなぁ(^_^)

2019年10月25日 07時45分24秒 | とーま君の流儀2019
ボキは、用意周到だ。常に失敗を予想して行動する。こうなったら、こうするとかあらかじめ読む。でないと、失敗するからだ。これまで、能力不足から常に失敗ばかりしてきたからである。

一番予想外だったのが、某大学大学院中退事件であった。病気になって中退するとは思ってもみなかった。日頃の悪行がたたったのである。定年まで無事勤め上げたのだから、後はやりたかった論文書きをしてみたい、思い切りやってみたいと思ったからである。あの3年間は圧倒的に楽しかったなぁ。

だから、ちょっと失敗できないという思いがあって、なかなか次の生涯学習ごっこに踏み出せないのである。躊躇してしまうのである。元来が、用心深い性格だからかもしれないのだけれども。

でもやってみなくちゃわからんですなぁ。

このまま、用心深く家庭に閉じこもって、惚けが怖い、惚けが怖いと愚痴を言っているよりはなんでもチャレンジしていくべきであろう。

家人は、生涯学習ごっこなんかやっていないで、旅行三昧でいいじゃないかと言う。確かにそれはそれで楽しい。海外旅行がメインだけれども、それも一ヶ月にいっぺん成田空港から行けるわけもない。それに、大学院なら年に二回くらいの旅行なら十分行ける。授業の縛りはそんなにないからである。だったら、家に閉じこもっているよりはいい。

問題なのはやり過ぎることである。大学院生のみに許可されている研究室に閉じこもって動かなくなる可能性も高いからである。ここが迷うところなのだ。動かないとまたエコノミークラス症候群になっちまう。実際、それで中退したからである。


今日は、クルマが納車される。大安だし。小さなクルマにした。でも、エンジンだけは元気である。2000もある。デミオクラスのスモールカーに、載っかっているエンジンとしてはなかなかだ。このクルマで、国内を旅して歩くのもおつなもんだろうけど。

ジジイでも、エンジンだけは元気だったらまだまだ長生きできるかなぁと思っているのだけれども。


Bye-bye!
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【ホセ・ムヒカ 氏】 N高等学校 入学式スピーチ

2019年10月24日 07時55分42秒 | 教師の流儀

まさに教育は、就職するためのものではないですなぁ。

さすがに、さすがに。

 

 

 

 

 

【ホセ・ムヒカ 氏】 N高等学校 入学式スピーチ

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respect これが一番大事ですねぇ コミュニケーションにおいては ホセ・ムヒカ氏にも学ぶ

2019年10月24日 07時04分48秒 | 教師の流儀
英語学習の基礎はこれなんだそうな。目から鱗だったですなぁ。「respect」。なるほどでした。

今朝のNHKラジオ講座で知った。講師の大西泰斗先生によると「たとえ意見が違っていてもその価値を認めすばらしいものだと『尊重する・一目置く・認める』こと」だとのたもうている。「基本的人権を認めることに非常に近い」とも書かれている。

うなった。さすがである。

この精神、なかなか日本人には持つことができないのではないのか。特に、国会議員の大先生。そして、偏向している大新聞たち。テレビもそうだ。

みんな上から目線で、他人を指導してやろうとか、修正してあげなくちゃとか言っているからだ。そったけの実力があるのかねぇと思ってしまうからだ。そりゃ、そういう方々は全員自称エリートであろう。それは、一般庶民のボキから見たらそうだろうよん。でもねぇ、あんまり一般庶民を舐めていたらアカンでっせ。生きる力は、こっちの方があるのかもしれないから。

嘘つきというのは、ボキのような一般庶民はニオイでわかっちまうからだ。

なにしろ、毎日喰っていくだけで精一杯なんだから、こっちは。そりゃ真剣になりますわなぁ。

そういう意味で、人生を楽しむための教育もあっていいのかもしれないと思った。それが、世界一貧乏な大統領(元)のホセ・ムヒカ氏である。この方こそ、respectそのものである。言っておられることがいちいち納得できるからだ。銭を稼ぐためだけで、学校に行くのではない。文化をどう受け止めることができるかということも大事であると、ボキは思う。

経済至上主義では、アカンのではないのか。

本当の価値ある人というのは、ホセ・ムヒカ氏のような方をいうのではないのか。

アポとってから来い!とか怒鳴られたことも多々あったが、そんなアホとはアポをとる必要もないからなぁ。アホにアポとったら、こっちがアホになっちまうからなぁ。

わはははははっははははっははっはははっはははっはは。


Bye-bye!


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寄り添って生きる

2019年10月23日 05時58分22秒 | 教師の流儀
寄り添って生きる。

このようなことを、昨日天皇陛下が言われた。実によくボキの耳に届いたのだ。感動した。まるで神のごとき心境でなければ、このようなお言葉は出てこない。同時に、寄り添うということは、支えてくださっているということにも結びつく。

なぜそんなことを思ったのかというと、ボキの自作名刺に「寄り添って生きる」というフレーズを印刷してあるからである。

通信制高校二つに関わっていると拙ブログに書いてきた。事実である。ご存じのように、いろいろと問題を抱えているから入学してくる。だからである。寄り添うという姿勢からは、メリットとかデメリットという観点がない。もっといえば、オノレを主張していくという姿勢がない。儲けるためにやっているのではないからだ。

一部進学校や、塾のように、単純な進学成果を競っているのでもない。そんなもん、程度の低い成果主義でしかない。

通信制高校に関わってきてよかったとしみじみ思うのだ。むろん、こんなジジイでも雇ってくださるという感謝もある。つまらない生涯学習ごっこの学費にも充当できるからだ。

ある意味生き甲斐にもなっているからだ。

惚けて、なんにもしないよりはいいと思っているのだ。

NHKのラジオ講座をやったりしているのもそう。惚け防止のためである。

博士になろうとあがいてきたが、これももうちょっと考えてみなくちゃアカンですなぁ。オノレの「利」しか考えていないのではないのか。だから、チャレンジすることに躊躇してしまうのである。

うううううううううううううううううううううううううううううううむ。

さ、これからバイト先に行ってくる。夕方まで。通信制高校の方である。楽しみでもある。いろんな人にも会うし。


Bye-bye!
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一日中歴史の会のことで、東奔西走やっていた それにしてもありがたいことである ボキのような爺を励ましてくださるのだから

2019年10月22日 07時39分38秒 | とーま君の流儀2019
千葉市に一日いた。歴史の会であった。役員会である。もろもろの課題を幹部の方々と相談して決めた。

ところがそれからが大変だった。会の通帳の名義を変更していたのである。副会長と事務局長と3人で。

会長が替わったからである。つまりボキ名義に替えた。郵便局と千葉銀行である。いろんな書類を整えて持参していった。それに住所が千葉県立中央図書館にあるから、これまた大変な作業になった。

会員の皆様から会費が振り替えで送られてくるから、その手続きもしていた。午後1時から4時までかかった。

いろいろあるんですなぁ。

(*_*) マイッタ。

なにしろ、半世紀もたっている会である。伝統がある。それをボキの代でこわしちゃならないから大変なのである。

夕方、副会長と一杯やった。魚民という居酒屋である。注文が面倒くさいから、2時間飲み放題1300円というのを頼んだ。むろん日本酒である。旨かったなぁ(^0^)。どっだけ呑んだか覚えていないのじゃ。まったく話にならない。

帰りは電車である。家には10時頃着いた。

それから爆睡。

気持ちよかった。

今朝は、すっきり起きた。

これもまた日本酒の効用である。

それに、副会長の先生に激励された。博士のことである。あきらめてはならないということであった。

独特のスタンスを持っているのだから、ボキ、もっともっと論文を書いたり、会で話をしていくべきだと。

捨てる神あれば、拾ってくださる神もいるのだなぁと感謝してきたよん。マジに。



Bye-bye!
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/