昨日の柔道教室での稽古で久しぶりに立ち技をやりました。昨年、左手首を骨折して、しかもそのことに気がつかず、そのまま稽古をしていたからダメージが大きくなってしまいました。ですから、ずっと寝技を主体にやっていたのです。骨折に気がつかないというのが、なんとも鈍感の極まりです。ついでに言えば、中学生相手にまるで炎のように燃えて稽古をしてしまったのです。今は指導者をやっている高校のときの柔道部キャプテンに「指導」をくってしまいました。「やりすぎだよ、先生」というわけです。おかげで手首が痛い。笑われてしまいました。
そして昨日夜10時くらいでしたでしょうか、NHKで北京五輪での柔道の石井選手の特番をやっていましたから、見ようということになったのです。
石井選手は国士舘の選手ですが、柔道の世界ではなかなかの異端児です。第一、柔道ではなく横文字のJUDOをめざしておるとはっきり言う。これは面白い選手だと思っていました。この四月の全日本柔道選手権も時々見に行っていたので行こうと思ったのですが、行けなかったのでした。
彼は、ウエイトトレーニングを積極的に取り入れている。しかも、戦い方ではなく、結果が全てだとのたもう。好漢ここにありです。素晴らしいです。才能がないから誰にも負けない努力をしているのだと言います。またまた素晴らしい。
こんな男には限界という名のボーダーがないのでしょう。そう思います。なぜなら、自己満足していないからです。才能がないと自分で言うということは、満足している部分がないということです。自分はまだまだ伸びると感じているのでしょう。だから好漢だと思うのです。
明日、始業式で配布する(学級単位ですが)わたくしのレジメにそのあたりのことが書いてあります。限界という名のボーダーを作っちゃいかんのです。自分のこころの中に。無限なのです、こころは。それを限定してしまうと、勝てない。成長しない。
そしてボーダーは振り返るものではない。乗り超えるべき対象であって、超えたら捨ててしまうべきものです。
勉強も同様でしょう。これくらいでいいのだと自己限定をしてしまうと、伸びない。それでわたくしは、ボーダーを自分で設定してはいかんですよと言っているのです。大学進学でもそうですよ。妥協しないでchallengeしてくださいね。これでいいんだと思ったら、ボーダーを超えることは永遠にできませんから。安全策で考えない方がいいと思います。結果は別。柔道の大会で、顧問をしていたときに、県大会準優勝をしたことがあります。これから決勝が始まるという時に、わが生徒は二位だと喜んでしまった。あ、これで優勝は無くなったとわたくしは瞬間に思いました。指導の至らなさでありましたが。
明日の始業式、楽しみです。これからどれだけの県銚生がボーダーを超えて成長していくかと思うと。