と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

ボーダー

2008年08月31日 00時36分09秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

 昨日の柔道教室での稽古で久しぶりに立ち技をやりました。昨年、左手首を骨折して、しかもそのことに気がつかず、そのまま稽古をしていたからダメージが大きくなってしまいました。ですから、ずっと寝技を主体にやっていたのです。骨折に気がつかないというのが、なんとも鈍感の極まりです。ついでに言えば、中学生相手にまるで炎のように燃えて稽古をしてしまったのです。今は指導者をやっている高校のときの柔道部キャプテンに「指導」をくってしまいました。「やりすぎだよ、先生」というわけです。おかげで手首が痛い。笑われてしまいました。

 そして昨日夜10時くらいでしたでしょうか、NHKで北京五輪での柔道の石井選手の特番をやっていましたから、見ようということになったのです。

 石井選手は国士舘の選手ですが、柔道の世界ではなかなかの異端児です。第一、柔道ではなく横文字のJUDOをめざしておるとはっきり言う。これは面白い選手だと思っていました。この四月の全日本柔道選手権も時々見に行っていたので行こうと思ったのですが、行けなかったのでした。

 彼は、ウエイトトレーニングを積極的に取り入れている。しかも、戦い方ではなく、結果が全てだとのたもう。好漢ここにありです。素晴らしいです。才能がないから誰にも負けない努力をしているのだと言います。またまた素晴らしい。

 こんな男には限界という名のボーダーがないのでしょう。そう思います。なぜなら、自己満足していないからです。才能がないと自分で言うということは、満足している部分がないということです。自分はまだまだ伸びると感じているのでしょう。だから好漢だと思うのです。

 明日、始業式で配布する(学級単位ですが)わたくしのレジメにそのあたりのことが書いてあります。限界という名のボーダーを作っちゃいかんのです。自分のこころの中に。無限なのです、こころは。それを限定してしまうと、勝てない。成長しない。

 そしてボーダーは振り返るものではない。乗り超えるべき対象であって、超えたら捨ててしまうべきものです。

 勉強も同様でしょう。これくらいでいいのだと自己限定をしてしまうと、伸びない。それでわたくしは、ボーダーを自分で設定してはいかんですよと言っているのです。大学進学でもそうですよ。妥協しないでchallengeしてくださいね。これでいいんだと思ったら、ボーダーを超えることは永遠にできませんから。安全策で考えない方がいいと思います。結果は別。柔道の大会で、顧問をしていたときに、県大会準優勝をしたことがあります。これから決勝が始まるという時に、わが生徒は二位だと喜んでしまった。あ、これで優勝は無くなったとわたくしは瞬間に思いました。指導の至らなさでありましたが。

 明日の始業式、楽しみです。これからどれだけの県銚生がボーダーを超えて成長していくかと思うと。



 


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ぱっと

2008年08月30日 13時35分03秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 このブログを見ていただいておる方から(旧友)時々言われます。

 一日中やっているのか、毎日毎日まぁよく書いている暇があるもんだ、ずっとやっているのか、材料がよくあるなぁとか。褒められているのではないことだけは理解できています。
(^0^)/

 確かに材料には困りませんが、時間をかければもっと良い文章でこのブログを提供できるのになぁと思うこともしばしばです。才能を別として。開かれた学校づくりの一環、情報公開のつもりですから。

 基本的に、文章のイメージが頭の中でできあがると後は勝手に指が動いてくれます。読むときもそうです。文章もイメージで読む、あるいは一文の二カ所くらいに目をつけて速読していく方法を身につけていますから。

 他にも趣味がありますし、今日の午前中もその趣味であちこち出かけてました。風に吹かれながら。また、家のこともあるし、近所では若い方に属するので力仕事も待っている。午後ちょっと休んで、夕方4時にスポーツジム。夜7時からは柔道の稽古。帰って来て10時頃から、さらに本業の読書。情報収集こそわたくしの生命線です。まったく寝る暇もない。一生勉強です。
(^0^)/ 

 本当に睡眠時間が少ないので、ちょっと心配になります。4から5時間くらいしか寝てられない。朝は、携帯CMそっくりの白い紀州犬が決まった時間に起こしてくれますから。5時頃、蟻の巣のような狭い玄関で吠えまくります。

 ぱっと思い浮かぶのです。書きたいことが文章になって目の前に出てくる。そうしたら、もういけません。中学生の方に、在校生に伝えたいという思いが先に出てしまいます。もう定年までそんなに時間がありません。辞めたらきれいさっぱりおさらばしますから、時間がもったいない。伝えたいことは山ほどあります。それに、自宅にも複数台コンピュータがあり、どちらにしてもこの世界からは逃げられません。

 いいのか、悪いのか。
 たまには休みたいのですが、ぱっと思い浮かぶともうやるしかない。
 (^0^)/

 年度内だけでも試行的にやっているだけですけれども。

 中学校の勉強もそうでしょう?
 時間のない中で、やりくりしながら・・・・・・・・
 大変ですね。
 がんばってくださいね。
 
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ウエイトトレーニング室

2008年08月29日 22時03分16秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 県銚にもウエイトトレーニング室があります。

 部活をやりたい人にはなかなかの設備ですよ。

 今日も学校の帰りにスポーツジムに行きました。日課のようなものです。油断したらすぐメタ*になってしまいますからね。油断大敵ですよ。それでおない歳の友人がいて、会話をかわしたのです。
 「ちっとも体型かわらんなぁ」
 「おかげさんで」

 スロー・トレーニングというのをやっているのです。もう五年くらい。その前はおきまりの無酸素運動をやっていましたし。
 
 結果的には、やせてもいませんが太ってもいない。確かに友人の言うとおりです。明日は柔道の稽古日。その前に必ずジムに行って準備運動をしてから、そしてバーベルを上げてから柔道の稽古に突入します。それも週間の予定に入っています。

 運動部の諸君。
 自己管理ができなくては、勝負になりませんぞ。
 特に朝食と運動の関連は重要です。
 さらに、朝食と成績も関連しているのではないかとわたくしは思っているくらいですから。もっと言えばきちんと食べている生徒に成績のいい子が多いのではないかという仮説です。

 わたくしは、社会人に特有の宴会もつきあいのいい方ではありません。三回に一回は断念します。どうしても太ってしまうからです。それにもうそんな時期も過ぎ去りましたし。うまれつき良くないわたくしの脳みその働きにもよくありません。無理してつきあうのは。また、斗酒なお辞せずでは長生きも出来ません。

 こころ許せる友人と、なかなか手に入らない少量の美酒を含みながら、書籍のことや古典を肴に、人物論を交わすことのみ楽しみになってきました。したがって騒々しいところが大嫌いになってきました。聞こえるのは水音のみという和風庭園で、食事を楽しみます。要するに枯れてきたのかもしれません。

 無理せず、無駄なく、たんたんと、油断なく中学校生活を送ることです。激することなく。つまりキレることなく。
 
 難しいとは思いますが。

 二学期、中学校訪問をさせていただくときのプランもできました。教頭先生と練りましたので。実におもしろい企画ができました。

 楽しみにしていてくださいね。

 
 
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日本語の大切さ

2008年08月29日 12時54分10秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 手前味噌になりますから、できるだけ書かないようにしていたのです。が、県銚の教務主任の先生がおとといの地区PTAで、図書館利用と国語の力の重要さを保護者の方に訴えていました。脇で聞いていて、なるほど、なるほどと首肯していたしだいです。しかも先生は、理科の先生です。理工系の専門家が国語力も大事ですよと仰るのです。真剣に取り組んでくださいね。

 確かに、勉強は日本語でしますから。もっとも、思考も作文も英語でできるという人には釈迦に説法でしょうけれども。

 今日またまた銚子の文化会館で行われた日本語暗唱教室に迷惑を承知で見学に行かさせていただきました。また来たのかと思われるのではないかと、ちょっとしつこくて気が引けたのですけれども。

 どんな企画に、あるいは会合に参加させていただくときも、わたくしはこれで最後だと思っています。そうすると気合いが違ってきますよ。もうこれで永遠にご縁が切れてしまうかも知れないと思うのと、明日も惰性でつきあってくださるのだろうと思うのでは天と地ほどの差がありますからね。いつ関係を切られてもいいだけの覚悟でいろいろな研修会などに取り組むことです。県銚の授業だけは継続性がありますけど。

 今日は竹取物語でした。特定非営利活動法人 国際教育推進プロジェクトBeCom様主催です。小学校の4年生まで。かわいい子供たちに魅せられてついつい出かけてしまいます。柔道もそうです。幼子たちの真剣な姿がたまらなくかわいいのです。孫がいても不思議でない年齢になりましたので、余計そう思います。

 表現の仕方がよくないですが、わたくしを騙すのには幼子たちに登場してもらうのが一番いいのでしょうね。よろこんで騙されてしまいますから。実に簡単です。

 なにしろ良寛さんをこよなく尊敬申し上げていますし、岩波文庫ですが詩集も持っています。(他にも若干)そんなのはなんの自慢にもならんでしょうし、良寛さんにしかられてしまいますけど。良寛さんは、言葉には実にやかましかったということですが、子どものように素直に、何か楽しそうに生きている人という感じがしています。手まりつきつつ生涯を終えられた良寛さんの歌で好きな歌を紹介します。

 霞立つ 長き春日を 子どもらと
     手まりつきつつ 今日も暮らしつ


 もっとすきなのがこちら。

 こどもらと 手まりつきつつ この里に
     あそぶ春日は 暮れずともよし





 さて、竹取物語をどう料理されるのかな?と期待して見させていただきました。さすがに子供たちの興味関心を引きつけながらぐいぐい引っ張っていかれる。力量のある先生は違います。思わず持参したノートにいろいろとメモをしてしまいました。指示の仕方、発問の方法、黒板の使い方等々に感心しました。幼子たちへの思いやり、愛情がにじみ出ておられる。ここが女性の先生に絶対にかなわない部分です。唸りました。

 わたくしにはできないなぁと思いました。
 第一、わたくしのおっかない顔では子供たちが泣き出す可能性が高い。教育、特に小さい子にはある種の親しみと、人間的優しさがなくてはならないのです。やわらかさと言ってもいいのでしょうか。

 この夏帰省した折、数年前に保育園の園長先生を定年で退職した従姉のところに行ったのですが、二人で盛り上がったのはまさにそのこと。彼女は、もうおあばぁちゃんです。が、まだまだ若い保母さんとも話をしている。指導を乞う保母さんも多い。それで、何を話したかというとわたくしに小さい子供の指導ができるか、できないかということです。
 「ヒデボウにはできないよ」 (まだわたくしは**ボウなのです)
 その後思い切り笑いあいました。
 「柔道で顔が変形しちゃってるよ」
 「は?」
 もう、どうしようもない。教育の大先輩でありますから。



 言葉の美しい人には魅力があります。
 また、笑顔の素敵な人にも魅力があります。
 人間的優しさがにじみ出ているからです。
   (全て男女問わず)

 今日の暗唱教室で、講師の先生もそうでしたが、ボランティアの方々の活動ぶりを拝見させていただいて本当にそう思いました。
 さらに、今日はそのボランティアの中に、30年ぶりにお会いした海上中学校時代の生徒であった方と出会いました。男子バレー部主将だった方です。懐かしくて思わず握手してしまいました。ご迷惑だったしょうね。手なんか握られたくなかったとか(笑)

 学校から呼び出されましたので、最後までいることができませんでした。それだけがこころ残りでした。

 わずかな時間ではありましたが、いいひと時でありました。夏休み最後の思い出になりました。もう見学できないかもしれませんし。明日のことはわからないのが人間です。今日一日一生懸命仕事をさせていただいて、それだけで感謝する日々ですから。

 最後に、在校生諸君、教育関係に行きたいと思っている人、こういう形もいいものですよ。ボランティアという形でやってみるのも。強制はしませんが。当たり前ですけれども。


 
 

 
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あと数日

2008年08月29日 12時06分35秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 とうとうあと数日で夏休みが終わります。待望の二学期が始まります。楽しみで楽しみで待っていただろうと思います。在校生諸君のそういう気持ちに可能なかぎり応えたいと県銚は努力しています。わたくしも在校生諸君に早くお会いしたい、元気な顔を見たいと思っています。

 生徒の本分は、学校で勉強することにあります。

 このことをふまえないと、道を踏み外します。本来歩くべき道、その道をまっすぐ行けばある目標地点に到達することのできるのが「道」であります。その道は、国が作ってくれるのでもなく、県が作ってくれるのでもない。保護者でもありません。

 自分で作るしかないのだと思います。

 自分で考えていくことが最も尊いのです。妙な妥協をしたり、自己限定をするとそのへんがあやふやになってしまいます。他人にアドバイスしてくれといいながら、結果を責任転嫁してはなりません。

 よく大学を出ても何をしたらよいかわからないという人がいます。それが夏目漱石に出てくる高等遊民なのです。その日その日が生きるのに精一杯であったら、俺は私は何をして生きていったらよいのかわからない、とはならないでしょう。(わたくしはそう思っているのですが)

 インテリと呼ばれる人に多いのですが、評論家・傍観者として生きるのもまた高等遊民の変形です。当事者意識のまったくない人。自分ではなにもやらず、他人のやったことをせせら笑ってばかりいる人。なんかロシアの長編小説にたくさん出てきますよね。これからはそういう人は生き残れない。もっとも、わたくしなんか、当事者意識の固まりだし、まったくインテリの資格はないので大安心しております。第一、高校の同級生たちに笑われてしまいます。

 その辺のインテリのプライド、エリート意識を妙におもしろおかしく書いたのが作家の太宰治です。

 「なにはさてお前は衆にすぐれてゐなければいけないのだ、といふ脅迫めいた考へからであつたが、じじつ私は勉強してゐたのである。三年生になつてからは、いつもクラスの首席であつた。てんとりむしと言はれずに首席となることは困難であつたが、私はそのやうな嘲りを受けなかつた許りか、級友を手ならす術まで心得てゐた。蛸といふあだなの柔道の主将さへ私には従順であつた。教室の隅に紙屑入の大きな壺があつて、私はときたまそれを指さして、蛸、つぼへはひらないかと言へば、蛸はその壺へ頭をいれて笑ふのだ。笑ひ声が壺に響いて異様な音をたてた。クラスの美少年たちもたいてい私になついてゐた。」(津軽)

 
 なぜ太宰治に違和感を覚えるかというと、柔道をコケにしているからとは言わないですが、ここにはある種の選民思想があるからです。おかしな人です。おかしいけれども全集まで買って夢中して読んだ記憶がありますが。富岳百景が太宰の人生再建物語で、これはこれでなかなかいい。結末は知ってのとおり。まったく悲劇なのか喜劇なのかわからぬ生き方をしてしまった人です。よく芥川と比較されますが、太宰は人間関係に死して、芥川は芸術に死したとか言われていますし。

 これ以上は止めましょう。

 二学期、考えることは多いですから、在校生諸君、とくに3年生は大変です。進路をきめなくてはならない。

 先生方を大いに活用してください。



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一気に

2008年08月28日 16時28分12秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 始業式に配布するレジメを作成しましたが、まだここには載せません。当日以降にアップします。一気に書いているので、間違ったら申し訳ありません。数人の先生方の目を通してから訂正しているのですが、なにしろ誤字脱字に気をつけないと。そう思って書いています。
 ただし、饒舌になることは避けていきたいと思っています。
 


 詩人の坂村真民さんという人の作品に


 字は一字でいい
 一字にこもる
 力を知れ
 
 花は一輪でいい
 一輪にこもる
 命を知れ


という作品があります。これなど、一気に仕事をしがちなわたくしには、いい警告です。饒舌と不注意を避けるためにも。しかし、非常に困難なことです。長い話は誰でもできますし、長いからと言って内容がいいのかと言ったらそんなことはなかなか無いのです。

 さりとて、「無!」とか一字だけ言って、あとの時間は全部黙っていて、「分かれ!」とか怒鳴っているのもしょうも無いでしょうから。

 中学生のみなさんは、今、宿題でてんてこ舞いですか?
 さぞかし多忙なんでしょうね。
 県銚の生徒もあちこちのプロフで、宿題が終わったとか、終わんないとかやっています。



 宿題で「多忙」だとか言っている暇に、一気にやってしまいましょう。それでこそ宿題が終わって「喜」の一字なんでしょうから。

 頑張ってください。
 
 

 
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地区PTAでした

2008年08月28日 09時15分37秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 昨日、校内で県銚PTAの会議を開催しました。PTA会長様のご挨拶から始まり、いくつかの議題をご審議いただき、その他報告事項を報告させていただき、最後空調設備の説明等を関係の企業から受けました。ご多忙中のところをご参会いただいた方にこころより感謝申し上げます。全国PTAの報告も会長様からありました。また、関東PTAについても副会長様から報告がありました。終了後は学年単位に会議をもたせていただきました。

 たいへん貴重な情報交換もさせていただきました。信と敬ということがもっとも大切なPTAと学校の関係性であるとずいぶん前から考えておりました。特に、「敬」については、人を生かすには人に対する「敬」がなくてはならないと考えています。間違いはなかったと思います。調和ある学校運営のために、今後とも和を以って尊しとなす「愛和」の精神でご支援・ご協力をこころよりお願い申し上げます。
 
 本当にありがとうございました。
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「もう」なのか、「やっと」なのか

2008年08月27日 10時02分47秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 もうすぐ二学期。
 もう夏休みが終わったと思う人と、やっと夏休みが終わった思い切って勉強できるぞと思う人とその差は大きいと思います。

 わたくしも高校時代に運動部をやっていたので余計そうでした。やっと普通の生活が送れると喜んでいました。なにしろ同級生はよく勉強していましたから、家庭学習をさぼったらついていけなくなるという焦りで怖かったのです。運動部をやらない同級生より圧倒的に家庭学習時間が3時間は不足していましたから、それは焦ります。真剣に焦っていました。

 これからの人生、もう20歳になってしまった、もう手遅れだと思うのと、やっと20歳になった、まだまだこれからだと思うのとどちらが進歩するか。晩夏の叙情的な寂しさばかりではなく、意欲的な生き方もしっかり考えてください。ちなみにわたくしはこうやって人に言うくらいですから、まだまだやることがいっぱいあってこれからの人生まことに楽しみであります。まだ内容を言うわけにはいきませんが。

 また、一学期反省材料の多かった在校生諸君も、まだまだこれからですよ。傲慢にならず、絶望せず、自己限定せず、努力していただきたい。一度の失敗でめげることはありませんよ。

 ただし、失敗の原因を分析していただきたいのですけれども。やったらやりっぱなしでは進歩がないのです。少なくともノートをとってみましょうね。わたくしは、リレーショナル・データベースのアクセスというソフトで失敗の事例を集めているくらいです。自分も他人も含めて。並び替えも、検索も可能ですから大変勉強になります。畑山先生という大学の先生が失敗学というジャンルでいろいろ書いているのに刺激されましたから。それに、こうやってデータベースを作っていると実に冷静になることができます。人間観察にも実にいい。世間智を磨くこともできる。


 よく言われることですが、花は根っこがしっかりしていないと咲きません。根っこに十分肥料を与え、水をやり、面倒を見てやることです。それはあなたがた自身の成長にも結びつきます。

 もっとも、「自得の念」というものがなければ、花も育ちません。与えられることばかり考えていると、大きくならない。しかも、他人の責任にしてしまいがちになります。

 自得の念といえば、学生時代北千住の町道場でも柔道の稽古をしました。先生がまた自由自在にやらせてくれました。型にはめようとされなかった。もっとも、われわれの才能に絶望していたのかもしれませんが。教え子という言葉を極端に嫌い、絶対に恩師とか教え子という言葉を使うなと厳命されました。一理あります。「俺は教えたつもりはない、お前たちが勝手に俺から技を盗んでいったのだ」とよく言われました。武道は確かに盗むしかないのです。

 今のこの年齢になってはじめてわかります。そのときの先生の気持ちが。

 1学期の終業式に福沢諭吉の福翁自伝の資料を配布しました。

 あの中に、適塾の緒方洪庵先生が出てきます。医学の大家です。福沢諭吉を育てたくらいの先生ですから、どんなにスパルタをされたのだろうか?と思って調べたことがあります。しかし、緒方先生もまた自学自習を主張されました。自分で勉強せよというわけす。自分の型にはめない教育をされておったのです。何度も何度も勉強してどうしてもわからぬ時だけ、塾頭の福沢諭吉あたりのベテランが先生にお願いして、塾生一同正座して先生に講義を願った。それでやっとわかったと喜んでおったわけです。緒方先生の、人材育成法が見えてきた気がしました。

 二学期にどういう生活を送るか。
 わたくしも含めて、今日は考える日にしましょう。
 しみじみと。
 

 
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広告塔ですから

2008年08月26日 11時39分25秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 このブログは広告塔のはたらきもあるわけです。

 そして来ていただく方に本当に感謝しています。中学生に一番見ていただきたいと思っています。しかし、最近は保護者の方やいろいろな方にも見ていただいているようです。

 閉じられた仲間内のものだけなら、メーリングリストで十分なわけです。無料のもいくつかあるので、検討中です。一番は誰がやるのか、管理するのかということが来ます。

 このブログのようにわたくしの役目とともに消滅するなら、あまり考えないのですが、組織的に取り組むとなると難しいのです。

 広告塔と思ってやり始めましたら、意外なのは、わたくしのちょっとした自己を語る部分と読書の部分に結構ご感想をいただくのです。ただ退屈なだけの内容でまことに申し訳ないと思っております。

  
 二学期からは、本格的に各中学校様に生徒募集でご挨拶に参上します。中学校の教員出身ですので、しかも地元ですから、知っている方ばかりです。また、新しいIdeaで、学校選択のために役立ついいツールを作成して参上します。

 中学生のみなさん、見かけましたら声をかけてくださいね。
 広告塔ですから。
 あまり目立たないでしょうけれども。
  

 
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オリンピックが

2008年08月25日 20時41分07秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 オリンピックが終わりましたね。
 
 幾多の映像を見て、僕も私もあの舞台に出てみたいと思った中学生もいるのでしょうね。運動部系をやっている諸君は。

 ほほえましい限りです。ほんとうにそう思います。学校の部活や、社会体育で運動をやっている人には素直に声援を送りたいと思います。

 でもあの世界的なアスリートの世界は、生半可な努力の世界ではありません。柔道の総本山である講道館に四年間通いましたが、一流の選手はほんとうに半端ではない。
 
 講道館のエレベーターで何度もそういう一流選手を見かけました。体格は普通でも、全てが違うのです。スピードもそう。なんというかアドレナリンというのでしょうか。ほんとうに伝わって来るものが違うのです。

 だから勘違いして、もしかしたら僕も私もオリンピックに出るかもしれないと、思うのは自由ですけど、ちょとあの世界は違っています。田舎柔道にはない、別の世界が講道館には確かにありましたから。体験上、本当にそう思います。

 長いことウエイトトレーニングの世界にいましたから、Powerとか、ウエイトの数量レベルで上回ることもわたくしにはあって、それで俺もけっこういけるのかもしれないと身の程知らずな時期がありました。しかし、そんな甘い世界ではありませんでした。

 運とでもいうのでしょうか。生まれつきの資質というものが勝負の世界にはあると思ったのでした。

 夢を追いかけるのは大変に大事なことです。

 そのためにはそれに相応しい場所と、天賦の才能と、なんと言っても世界一の努力を積み重ねなくてはできないのだなと思ったのでした。 
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古本の話

2008年08月24日 20時51分56秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 よく本の話をここに書き込みしています。時々、どこで買ったらいいのかとメールでお尋ねがあります。おそらく中学生の方かなと思っていますが。

 メリメの話を以前書きましたが、(人間的魅力の研究)マテオ・ファルコーネは何で読めばよいのだ?という方がおられたのです。新潮文庫で手に入ります。カルメンという書名の文庫です。今日、匝瑳市の古書店で105円で売っていましたので笑ってしまいました。こんな値段で入手できるんですから。それにしても、この作品は教育の本質をついている。親の生き方を教えてくれるなぁと思った次第です。

 ファウストも集英社文庫だと随分わかりやすくなっています。岩波とか新潮社の文庫でもありますが、中学生のみなさんには挿絵もあってこちらのほうがいいのかなって思っています。

 少数かも知れませんが、そうやってわたくしのような者にも連絡をくださって、勉強しようとされていることに敬意を表したいと思います。

 おとなになると、いつの間にか自尊心ばかり強くなって、他人が何を読もうと無関係になってしまいます。千葉黎明の民間人校長をされた先生が、ご自身の著書で言っておられたのを鮮明に覚えていますが、他人の学歴ばかり気にしたりしているのは自分が勉強していないからだと鋭く言っておられました。真理だなぁと思った次第です。
 
 そういうのとは無関係の若い方の学ぶ意欲はすてきです。打算がないからです。

 トルストイという作家もわたくしは大好きで、戦争と平和を今読み返しています。かなり構成が複雑で辟易しますが、新しい翻訳も出てきていますので、楽しくなってきました。この作家もこのブログで扱いたいと思っています。主人公のピエールの考えの受け取り方が、わたくし自身の年齢の加算と共にまた変わってきました。楽しいものです。

 同時並行でいろいろと読むのです。
 経営書も多いです。わたくしの茅屋には。むろん一番は昔から教育書。しかも小中学校のも多い。それがわたくしの仕事であります。そして、プランを練ったり、考えたりするのが仕事です。

 最近本当にありがたいのが、古本チェーン店が地方にも出て来たこと。さらに、インターネットで古本を買うことができることです。

 こころから感謝しています。
 欲しかった本がインターネットで入手可能になっているのですから。また、柔道とかブラジリアン柔術の本、DVDまで手に入る時代になりました。いちおうそちらの方でも専門家ヅラをしていますので、普段からの勉強をしていかなくてはなりません。ただし、柔道の方は高校教育とは全く接点がなく、一般だけですが。

 昨日の神田ではまっしぐらに、中国文学・思想・哲学専門の新刊書店の東方書店と、やはり国文学と中国文学関係の二宮書店に行きました。途中、明治大学の前を通って行くときに、雨が降り始めて焦りました。三省堂書店のあたりで諦めて、コンビニの傘を買いました。お目当ては、十八史略。ありました。7800円するのがたったの2000円。たいへん得した気分になりました。そのほかいろいろ十八史略の関係文献を購入してきました。こういうのが無上の楽しみなのですから、なんのおもしろみもない人間であります。

 わたくしは、生涯こういう生活をしていくのでしょう。
 それが夢だったし、やりたいことの一つであったからです。
  
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全国PTAでした

2008年08月23日 22時41分59秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 ここ2,3日ブログを留守にしていました。PTA会長様と名古屋に行っておりました。全国PTA大会です。いろいろな学校の研究発表、講師の講演、名古屋の高校生の発表(ブラスバンド、ファッションショー等)を聞くのです。学会のようなものです。

 さきほど10時ごろ帰宅しました。帰り、神田の古本屋街に行って来ました。学生時代から行っていたなじみの古書店で*万円ほど良い買い物をしてきました。いい文化の香りを嗅がせていただきました。

 わたくしも若干の学会に関係していますので、そちらはそちらで勉強のために行きます。殆ど同じような展開ですけれども。

 PTAの方は、これは現実味が全く違います。現役のPTA役員の方々の発表がとてもすばらしい。合計30本近くある研究発表の内の、特に今回は、兵庫県の篠山産業高校丹南分校のPTA会長赤座美代子氏の発表が凄かった。「地域に学ぶ自然とこころ」という演題でした。環境問題から蛍の研究をしている学校、非常に小さいながらも真摯な学習を展開している学校、しかもその学校は、学校再編の波で消えかかっているという現実。

 感動しました。赤座様の謙虚なお人柄と、訥々とした語り口に惹き付けられました。わが子の通学する学校への思いが切々と伝わってきました。思わず、ハンカチを握り締めてしまいました。この手の研究発表で初めての体験でした。「中学校しかでぇしまへんのです・・」「こんなわたしがこんな晴れやかな会場で・・・」と、本当に謙虚に語られたそのお人柄に、わたくしはこころの底から応援団を任じておりました。

 研究発表というのはともすると自慢話に終始しがちであります。そりゃそうでしょう。実績と取り組み、成果を言いたいのですから。わたくしも、いろいろと経験しています。全国大会で何度も何度もやってきました。

 その殆どが傲慢でした。どうだ、俺の研究は素晴らしいだろうという自慢でしかなかったのです。今から思えばそんなものはへの突っ張りにもならん。聞いている人は嫌だったでしょう。たいした実績もないのに、言語技術で自己主張しているだけ。

 赤座会長様には、自己否定をなされながら、一番言いたいことを主張された。それはお子様の通学している学校のことをちょっとでもいいから、改編の嵐の中で生きていけるかという不安があっても支え続けたいと、しっかり短い言葉で仰られた。

 静かに、静かに1万人の会場の人々に感動を与えられた。しかもそれは計算の上ではない。

 こういう方が全国にはおられるのです。

 簡単ですが一言報告です。また形を改めていろいろな機会に触れさせていただきます。名古屋からこのブログのアクセス数もチェックしていましたので。毎日、300回数を超えさせていただいていますので、やめるわけにはいかなくなりましたから。
(^0^)/
 
 
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きちんとしましょう

2008年08月21日 08時59分54秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 逸脱行為に注意しましょうね。

 全校集会・学年集会・学級担任から、文書や口頭であれだけ注意しているにもかかわらず、髪の色が夏休み変わっていたり、靴をつぶして歩いている人がいますよ。このブログのおかげですぐご連絡をいただきます。回数は少ないですが。銚子や旭、近在の方々のみなさんの目が光っておりますよ。さらに特にわたくしに直接県銚の評価をくださる方がたくさんいます。大先輩たちです。みなさんに母校のことを心配していただいています。

 注意しましょうね。ほんとうにあなたがたの行動一つで、県銚全体の評価が定まってしまいます。知らない方から見たら、たった一人の不心得ものの行動ですぐ他の全員の生徒がそれと同等レベルだと思われてしまいます。それを「価値の一般化」というのです。間違っていてもなにも、人間というのはそうした傾向を有します。逆もあります。進学校と言われている学校が、少数の人間のがんばりで全体の評価を高めてしまうこともあります。


 本当にありがたいかぎりであります。
 地域で育てるという意識を持っていただいておることを感謝申し上げます。

 このブログは広告塔の役目も持っていますので、あまり詳細には書けませんが、注意したいものです。

 昨日も見つけて即、先生方で厳しく指導をしました。二人ほど。頭髪です。ご連絡をいただく前です。

 もっとも、「廊下を走るな」と日本の学校教育は100年以上にわたって注意しているわけで、学校における規範意識と道徳的実践の課題でもあります。さらに言えば、「みんなやっている」という意識。日本人の悪い癖です。みんなやっているから、俺も私もやってしまう。これはいかがなものでしょうか。当然改めるべきです。そんな考えには自律性のかけらもないのです。よいことならいいですが。

 わたくしは、一昨日出張して、逸脱行為と朝食の関係とか、睡眠時間の関係とか、図書館利用と成績の関係とか、なぜ人間関係を構築できないのかとか、生徒の行動を規制している要因と結果についてアンケート案文を作成させていただいていました。これは大人にも当てはまることなのですけれども、人間の行為が何によって動いているのかということはずっと以前から興味深いことでありました。心理学の勉強や、人間観察にも通じます。

 わかっていてあえてやる、わかっていないからやる、わかろうとしないからやる、わかることができないとかいろいろと勉強させていただいたことがありました。中学の教師時代です。どれも意図的にやるか、やらないかということが微妙にからんでいます。表層的に生きていると、大変なことになりますよ。深めてください。自分だけが世界で一番優れた人間なのではないのですよ。行動のとり方一つでも非常に深いものがあるのですから。その辺がファウストやカラマーゾフの兄弟には書いてありますから、興味のある人は勉強してください。


 どちらにしても、あまりご心配をおかけしないようにしましょうね。

 在校生諸君。


※これから11時の電車で出張しますので、このブログを見ることができません。しばらく書き込みできません。お許しを。

 
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構想を

2008年08月20日 14時09分40秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 校長先生方の学校だよりや、日記、ブログ等をよくチェックさせていただいております。情報発信が大切な時代になりましたから。大学も同様のようです。国立三重大学の学長先生のブログは特にためになります。県内の高校では成田高校の校長先生のがとくにすばらしい。先生は教頭会長の先輩でもあったので、とてもとても足元にも及びませんが。静の姿勢から、ずんっと来る名文であります。

 そういう先生のような文章を書きたいと思いますが、才能の問題なので、できません。しかし、悪文であってもこのブログをやらさせていただきます。方向性は若干変化するかもしれませんが。なにしろ初めてのことですので。無我夢中であります。

 さきほど講習を受けている生徒を見てきました。空調のきいた快適な環境で熱心に受けておりました。ちょっと写真は撮影に失敗しましたので、掲載しません。悪文で訴えていくしかないのでしょう。なんとか、魅力ある文章で構成したいのですが。困難な歩みです。ただし、あまりに立派な文章でやらねばならないと思うと、これはまったく書けなくなりますので、どうか我慢してください。

 昨日、出張しておりました。帰り、午後6時ころ、千葉駅の書店で文庫本を5冊ばかり求めて帰ってきました。欲しい本が大都会にはたくさんあります。

 無上の楽しみが神田の書店街をぶらぶら散策すること。そして、山の上ホテルで蕎麦を食べることです。このホテルは、川端康成や池波正太郎などの常連ホテルだったところ。ミーハー的な興味で時々行くのですが、なかなかいい。もうひとつ。浅草の神谷バーというところも、芥川とか太宰が来ていたんだそうです。ささやかなわたくしの殆ど無い趣味のうちの一つです。

 考えてみれば、そういう書籍の話を一冊づつやっていっても、このブログは成立するわけです。そしたら、誰も来てくれなくなったりして。でも、そうすると書籍のあるかぎり永遠に続けられることになってしまいます。そんな心配はありえないですが。

 明日は午前中学校で執務をして、午後から新幹線で他県に行ってしまいます。ちょっとこのブログを更新することができません。これからの構想も電車の中でしてみたいと思いながら。

 晩夏です。
 
 過ぎ去っていく夏を惜しみつつ、2学期の準備もまたおさおさ怠らずという姿勢で中学生のみなさん、頑張ってください。

 

 

 



























 

 
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カラマーゾフの兄弟

2008年08月19日 21時45分38秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 カラマーゾフの兄弟なんて作品を読む高校生がいるんでしょうか?

 あまり疑心暗鬼に陥ってはならんですね。(^0^)/
 そういう若い人もいるのかもしれないと思って、ブログを書くしかないでしょうね。全国には優れた中高生が確実にいますから。

 この作品、いろいろな表層的な読み方をすれば、まさにサタンの世界。虚飾にまみれた現実世界をどうやって生きていくかの作品でしょう。それなりの立場で読めば、です。しかもそれは今を生きているあなた自身、あるいは世間であります。もっと言えば、虚無を生きている現代人そのもの。

 ま、あまり言うとそれでも教育者かと言われそうですから、これくらいにしましょう。

 わたくしが惹かれるのは、この作品に出て来るゾシマ長老です。それとカラマーゾフの兄弟の3男坊のアレクセイ。興味があったらこの二人のKEY WORDでインターネットで調べてくださいね。


 わたくしは、虚無を生きる他の人間たちに、なんというシニカルな存在なのだろうと思うのです。いつも。彼らの作品における役割は。

 そうです。
 わたくしは、ファウストと一緒で、なんども読み直すのです。これを。

 そのたびに、現実とそれを超越している存在との関係性を考えてしまうのです。だからシニカルという受け取り方をしてしまうのです。

 思えば、人間社会はシニカルでなければ、なかなか生きがたいのかもしれません。夏目漱石の作品の中の登場人物はそういうことを背負って生きています。Intelligentsiaの苦悩というやつでしょう。高等遊民という言葉自体、許せない人もいるのですから。

 そんなことを考えさせてくれる作品が、カラマーゾフの兄弟であるということです。わたくしの言いたいことは。

 こんなことを書いているわたくしもまたシニカルな存在なんでしょうけれども。
(^0^)/

 それでもこの作品を読む価値があるのは、大学を出てから、あるいは職業人となったときに、ものの考え方として役に立つと感じるからです。

 それだけのことですけども。
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/