と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

年齢比較はしないほうがよろしい トシの順に死んでいくだけだから それより若い優れた御仁と話でもしていたほうずっと良い

2020年03月27日 08時48分33秒 | 教師の流儀
世間にはボキなんかより優れている若い御仁がたくさんいる。マジにである。どんなに若くても、このヒトすごいなぁと思う方々である。素直にリスペクトしている。そういう方々から学ぶべき点は多々あるからである。

しかし、真逆のジジ・ババたちもたくさんいる。なにかというと、オノレは若いではないか・小僧っ子ではないかとバカにするのじゃよん。笑ってしまう。ボキより年長だというのは、「それだけ早く死んじまう」ということを認識していないからだ。いつまでも元気で、いつまでも老いないと思ってござるのじゃよ。

だからあんまり威張らない方がよろしい。威張ってばかりいると、相手にされなくなっちまうからだ。

これって、「センセ稼業」に多いから言っているのだ。たいした大学に勤めているわけでもないのに、***大学教授だとか威張っているのもたくさんいたからだ。そもそも、東大ならわかる。威張られてもシュンとなっているしかない。学者とか研究者ってぇのは、そういう世界だろうから。

ボキはそういう点ではシアワセである。学歴もなんにもない。誇るものまったくなし。自慢していたら、あいつとうとう気が狂ったかと笑われてしまう。だから、威張らないのじゃよ。講師であちこちでしゃべってばかりいるが、全部受け売りでしかないからなぁ。

自前の知識なんかまるっきりない。


で、昨日塾で学校がないから行くところのない生徒達に古典と英語と漢検を教えていた。タノシカッタ。むろんマスクをしていた。

来週東京に行かなくちゃならないと言ったら、生徒達が目をむいた。と~ま君センセ、東京行ったらアカンでっせと言われてしまったよ。あ、東京都知事が夕方記者会見で言ったことをそのままボキに指導してくれたのだ。生徒達は、しょうもないジジイセンコーだと思ったのであろう。感謝した。ありがとうねぇって(^_^)。

来週の東京は、別のバイトの研修会である。行かなくちゃならない。新入社員だからである。ジジイの新入社員である。笑ってしまう。

塾が終わって帰宅したら、またまた私立高校からの就職メールが来ていた。ボキも知っているガッコだった。それでも遠い。だんだんおっくうになってきてしまった。

だからやらない。だいいち二時間もかけてバイトに行ってもくたびれるだけである。


もうくたびれているけど。


わははっはははっはははっははっはははっははははっはははははは。
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タノシミにしていることがある。バイトが増え続けているけど、イキイキしているからである(^_^)。

2020年03月22日 08時29分56秒 | 教師の流儀
タノシミにしていることがある。5月から若年層のヒト達に、イノチの尊さを訴えるバイトが入ったからである。年間5回である。**院の青少年たちにである。今から資料を作っている。動画メインである。毎回歌から入るつもりだ。交通安全の話である。安全に生きるというのは、まさにイノチの教育だからである。イノチを大事にできないのは、ある意味、人生からの問いかけから逃避しているからだ。そいつはやっちゃいけない。イノチを大事にできなくては、自他共に栄えることはできないからだ。

もう一つタノシミにしているのがある。それもフリーアルバイターだからできることである。ある私立の学園でけっこうなポストをいただいたからである。私学の経営について、いろいろと考えることがあるからだ。理事長からの指示でアドバイスも可能になる。これもタノシミにしているからだ。時々、東京に出かけなくちゃならなくなったが。ま、こっちもタノシミである。帰り、神田神保町に行って、4月から始まる大学院生活(修士)の参考書を買ってこれるからだが。

塾もタノシミにしている。こっちはもう9年目になる。長いことやってきたもんだねぇ。ここで辞めるともう二度とお声がかからなくなるだろうからと思ってやらせていただいている。事実、ボキごときジジイでは人気がないのはわかっている。クサイし、キタネェ格好をしているし、第一禿げている(^_^)。

歴史関係でもバイトをさせていただいている。ナントカ審議委員というやつだ。これも優れた居住地の郷土史研究家から教えていただいている。ありがたいもんである。そして、それをボキのゴミ論文書きに応用しているのだ。ありがたいもんである。感謝である。

もっとある。いちいちここに紹介して自慢しているのではない。まさに、フランクルからの問いかけであるからだが。

バイトがいくつあるからとか、ライセンスをいくつ取得しているからとか、どうだ?こんなにオレは活躍しているんだぜとか、そんなことをやっても意味はない。やる気もないけど。

庶民は、庶民らしく、健康と平安のみを祈って生活していればいいだけであるからだ。

しかつめらしく、現在のボキはこういう生活をしているぜ、どうだすげえだろうと自慢していたら、まるっきりアホである。そうなのだ。もうこれ以上のアホはゴメンだからだ。

ともかく、来月からタノシミなジジイ生活が再度始まる。

これがボキの健康生活のもとであるからなぁ。

わははっはははっはははっはははっはははっはははっは。



BYE-BYE!

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中高生のことを心配している 家でなにをやっているのだろうか 引きこもりになっているんだったらと思っているから

2020年03月13日 06時19分00秒 | 教師の流儀
昨日塾に行ったら(バイト)、コロナ予防のための机とか椅子のアルコール消毒が始まっていた。もっとも、ボキ、週に二回しか行っていないのでいつから始まったかはわからない。ともかく警戒はすべきだろうから念入りにボキもやった。

九十九里浜は、昔から結核治療のためには良いとされてきたのだそうな。温暖で、隣はアメリカである。潮風も体に良いのであろう。だから、呼吸器系の疾患にかかっている方々は九十九里に来てくださったのであろう。でも、今では薬が発達しているから、あまりその手の話は聞かない。

心配しているのは中高生である。学校が休みになっているから、なにをしているのだろうか?と思っているからである。

それで昨日塾でちょっと聞いてみた。そしたら、ずっと家にいるとのことであった。本を読んだり、好きな英語をやっているという。飽きないとも言っていた。たいしたもんである。ゲームをやっているというのもいたが、こっちは当然のような気がした。

学校関係者も大変なものであろうなぁと思う。心配の種は尽きないだろう。こころから応援したいと思っている。

教育が、我が日本の柱石だからである。資源もなにもない我が日本である。教育でもって知的な活力を持たないと、発展しないではないか。マジにそう思っているからである。

ただし、あまりにも地獄の特訓ばかりやっていると病む。極端は良くない。徹底的に勉強する時期はあっても良いだろうが、悪魔に取り憑かれたようにやったらアカン。病む。

ボキのように庶民であることを自覚したら、エリートを目指さないこともあり得るではないか。エリートを目指して精神を病んだら、かわいそうである。ある程度生活していければ良いのである。完全はないからである。天才と言っても、それは程度が上であるというだけで、実は庶民の焼き直しであるかも知れないではないか。

受け入れることである。

ボキのように。

アホでも生きてられるのだから。

学校教育というのは、そのあたりを教育しない。努力はすべてを解決するというけど、ホントにそうかと思っているからである。今の自分を受け入れるという教育もあって良いのではないのかとも思っているからである。

病んじゃいけないからだ。


ボキはもう手遅れだが(^_^)。


BYE-BYE!


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夢がかなった ゴルゴ松本氏のようなイノチの授業をやってみたいから 良い出会いを設定していただいたものである

2020年03月12日 06時31分06秒 | 教師の流儀
トラウマになっていることがある。エコノミークラス症候群で入院16日間もした経験である。これで、今でもICUに入っていたことが夢に出てくるからだ。昨夜も出てきた。嫌な夢であった。しかも、入院していた病院が違っていた。リアルだったけど、病院名も建物も違っていた。

そりゃぁ、死ぬときは死ぬ。病院であるのかもしれない。違う場合もあるだろう。だから、最近はリアルなのである。気持ちが悪い夢だったが、いつもこれは意識している。つまり、「誰でも死んじゃう」という事実である。間違いない。4月から学ぶ大学院(二度目の入学)でも死生学というのをやった。これは実に良かった。さらに老年学やターミナルケアもやった。実に良かった。なぜなら、現在進行形で進んでいるからである。老人になったし、死も迫ってきている。あと、100年も生きられるわけがないからだ。

だからこそ「いのち」が大切なのである。そういうスタンスで、**院の子ども達に講話をしてみたい。

命の授業というのをやってみたいのだ。自分の命もそうだが、他人の命も大切にできる子になっていただきたいからである。

ボキは、こーこーのセンコウもやっていたが、いわゆる受験指導なんてやったことがない。そもそもがエリートでもなんでもなかったし、毎日がタノシイ生活を送っていた。明るく生きていた。まるで漫才のような日々を送っていた。タノシカッタからである。そういう世界を追い出されてから、16年間もの長い間いわゆるカンリショク生活を送っていったのだ。クラス担任は17年間連続でやったが。

だから、定年で退職してから数年後千葉市の某普通科私立女子高校で古典と現代文や言語生活の臨時講師もやってみたのだった。こちらもタノシカッタ。特に、スマホで動画を作らせてみたのが好評だった。シナリオから作らせたからであろう。信じられなかったが、エラク人気があった。**ジジとか言われて追っかけまで出たのじゃよん。ジジとはなんじゃ、セーネンと言えと言って大笑いしていたけど。廊下も一緒に歩いたりして笑ってしまったっけ。約半年で追い出されてしまったけど。

で、なにを言いたいのかというとゴルゴ松本氏という芸人が、やはりイノチの授業というのをやっているということである。これは以前から注目していた。育った環境が違っている子ども達に得意の漢字を駆使して、講話を行っているのである。楽しそうだ。夢を語り、道を一度は外した相手に可能性を考えさせるのだ。こういうのをやってみたいなぁと思っていた。そしたら、昨日オファーがあった。喜んでやらせていただく。

夢のような日々が待っているではないか。昨夜見た夢とはまるっきり違っているからでもある。さっそくゴルゴ松本氏の書籍も数冊Amazonに発注したけど。

シアワセなジジイである。

ヽ(^。^)丿



BYE-BYE!
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来月から新規のバイトが入った 快諾した それに、今月で二個のバイトが消えるからだが

2020年03月11日 18時22分10秒 | 教師の流儀
夕方、千葉県から新規のバイトをやってくれないかと電話が入った。これはかなり興味がある。交通安全の講師をやってくれというのである。このバイトは、ずっとやってきたのだが、今度は対象がかなり異なる。子どもたち相手には違いないが、ちょっと育った環境が異なっているからである。年間5回。やってみたかったのである。やってみたかったから即答した。

こんなボキでも役に立つのであればという返事である。

ボキ、交通安全講話は、かなり独特である。動画を多用していく。さらに、慈悲のこころから行動しようという側面を持つ講話であるから、飽きさせない。

世のため、ヒトのため、未来を担う若者のためならば、一度道を踏み外したとてやり直しはきくはずである。そういう心境から快諾したのである。

困っているからボキを指名してきたのだろうから。やるヒトがいなくて。だったら、頼まれごとは断らないという主義である。快諾したのである。

またこれで生き生き老後が始まってしまうですなぁ。

ありがたいですよ。


BYE-BYE!
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子供達が町中をウロウロしている 暴走行為をしているのもいる やることがあるだけ良いのか イノチを落とすなよと言いたい ボキは夕方には美酒爛漫でもやるけど(^_^)

2020年03月07日 07時17分00秒 | 教師の流儀
コロナウイルスで学校が臨時休校になっている。しかし、生徒達は出かけている。(*_*) マイッタねぇ。これじゃぁ政府が心配しても、なんかおかしくなっていて実効がないではないか。もっとも、生徒達はストレスを抱えてしまうだろう。もっとある。バイクで暴走行為をやっているのもいる。昼間からである。この暴走行為というのは、生徒達の親もやっていたのだ。今の七十代の高齢者たちにもいたではないか。超ロングスカートをはいていた突っ張りの原型たちである。この間、老人大学で同級だった方々とグランドゴルフをやっていたら、高齢のおばさまがそう言っていたのだから間違いない。地面につきそうなロングスカートをはいていたし、粋がっていたって。今のお姿からは想像もできなかったからだ(^_^)

いつの世も、言うことを聞かないのがワケェもんである。仕方なし。ただし、粋がりでイノチを落とさないように、ワレワレは見守っていく必要がある。親の世代もろくなもんじゃなかったけど、子供達まで同じように育てる必要はないからである。

親も、若かりしころは執着と迷いの時代だったのである。その子である。仕方ないではないか。因果は巡るである。同じことをしてしまう。だから、ワレワレは悪人なのである。

上から目線で他人に説教たれている資格なんかないのである。

子育てで失敗している御仁もかなり多い。いい年しているのに、自分の子供が一人前になっていかない、ヒトの道に反することや不倫もしてしまう、会社を辞めちまって引きこもりをやっている等々事例には事欠かない。そういうのは、悪人である親の悪業が影響しているとすらボキは思っているのだ。だから(_ _ )/ハンセイするのである。

オノレの生き方が正しかったか?と自問自答しているのだ。

いつもいつも正しくなかったという回答しかない。自己否定である。だから自分をひたすら消しながら生きているのだ。それでいいのだ、それで。みっともなくて、自慢なんかできるわけもない。それに自慢できるような経歴もない。

みちのくから集団就職列車で東京に出てきただけである。新聞配達しながら、やっとこすっとこ三流大学に通っただけである。それも学生運動が華やかだったから、卒業できただけのことだ。学部時代の大学にある大学院なんか成績が悪すぎて受験すらできなかった。優の数が少なすぎて、学部事務室で大笑いをされたことがあったし。

だから生涯学習ごっこにあこがれているのだろう。いつまでもアホだし。

もっとも、オノレの甲羅にあうように生きているのかも知れない。


昨日、関係している文芸賞がコロナの関係でイベント中止になったから講評を書けということになって作品が送られてきた。すぐやってみた。あまりにも早くやったら、ホントに読んだのかと疑われてしまうから、再度見直しをしてみる。

見直しをしないのは、拙ブログだけである。こっちは気ままに打鍵しているからだ。好きでやっているだけである。

脳トレにもなっているし。

それにしても最近アクセス数が増えすぎている。ありがたいけど、気味が悪い。こんなアホジジイのブログなんかなんの面白みもないだろうに。


今日はなにをして過ごそうかなぁ。夕方には早く風呂に入って、美酒を呑もうかなぁ。週に一度の解禁日であるから(^_^)。

BYE-BYE!
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同窓会とか退職OB会に、おしっこ漏らしながら出ていて周囲にご迷惑をおかけしたらアカン。可能性は十分あるからだ、ボキも(^_^)

2020年03月06日 05時48分40秒 | 教師の流儀
けふは県立高校の後期試験合格発表。タノシミにしている。学習塾の生徒達がどうなったかということに関心があるからだ。それと国立大学の後期試験も発表になる。こっちもタノシミにしている。バイトとはいえ、生徒達に関わってきたからである。

ボキは、妙なバイトセンコーで自分の使っている参考書をあげてしまうから、余計思いが昂じる。たいした値段ではないからできるようなモンで、中古チェーン店から買ってくるのだから(110円)捨てるよりは良い。と、思ってプレゼントすることにしているのだ。おかげで古典が苦手だった高校生が変身してしまったりしている。だからタノシイのである。

昨日も今日も塾のバイトが入っている。辞められないバイトである。もう来なくて良いと言われるまで、やってみたい。タノシイからである。それに惚け防止になる。これの方が大事である。惚けたらアカンと思っているからである。惚けたら趣味でやっている世界遺産巡りや国内歴史遺跡巡りもできなくなっちまうではないか。

老後は好きなことをやっていれば良いのである。それでこそ人生。なにも引きこもっておとなしくしていることはないのである。自分勝手にドンドン娑婆に出ていった方がよろしい。

現役時代を懐かしむ退職OBの会なんぞに出ていって、酔っ払っておしっこ漏らして周囲に迷惑をかけていたら笑われるではないか。もうそんな過去の人間関係なんかどうでも良いのに気がついていない御仁が多すぎるからだ。おしっこ漏らしながら、おむつしながら美酒を呑んでいたらいけない。それこそ執着である。

それに、ボキの関わってきた業界はお互いを未だに***センセと呼び合う。歴史の会でもそうだ。塾業界でもそうだ。センセ・センセの連呼である。まるで政治家ごっこをしているようだよん。笑ってしまう。なにがセンセだよと思うからである。ただの職人芸でしかないではないか。こんなこと言っているよりは、センコーと言ったほうがもっと良いではないか。所詮「ごっこ」であるのだから。とりわけボキは、インチキな知識で生きてきただけであるからだ。全部他人の受け売り。だからもっと勉強する必要があると思っているのである。

もっともごっこで生涯を終わるのであろうけど。所詮、なにをやっても中途半端であるからなぁ。

わはははっはははっははっはあはっはははっはははっはははっは。

ボキなんか、相手にされていないのは十分わかっているから可能な限りそういう会には出ない。それに同窓会にも行かない。同窓会が千葉県内にないからだ。小中高とも全部山形県内にあるからだ。行ける訳がない。新幹線で二時間もかかるのじゃよ。もっとも九十九里浜から東京に出るのにもっと時間がかかってしまうけど(^_^)。

大学学部の同窓会はある。こっちは近いところでやるから可能な限り出ている。それしかない。それも学部は一つしか出ていないから、出席しているというだけ。大学院は、来月から修士の院生になるが、こっちは四つめ。博士にはなれなかったけど、これまた惚け防止で趣味の世界である。

それだけのことである。


今朝もつまらないジジイのつまらないゴミブログを読んでいただきありがとうございました。


BYE-BYE!
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全国学校休校について 千葉市の対応が見事 こうなるのかなぁ 心配だが

2020年02月28日 07時06分54秒 | 教師の流儀
千葉市の熊谷市長が、両親とも働いていれば、子供を学校で預かるとツイッターで発言したらしい。社会崩壊しかねないという趣旨であった。これは見事である。授業はやらないが、預かるというスタンスである。さすがである。

>「医療関係者や福祉関係者、警察・消防など社会を支える職種で、親等に預けられない事情を抱える方々を何とかしなければ…」「低学年と特別支援学級を中心に、保護者が対応できないケースについて学校で、感染防止に十分配慮した上で預かる方向で検討します」

昨日の夜から、教育委員会の上層部は家に帰っていないだろう。対応策でもって。それほど責任の重い仕事だからだ。いろいろな不安材料があるだろうから、あらゆる可能性を考えて対応策を講じなくてはならなないからだ。

政府をひたすら批判だけしている自称評論家は、具体的な対応策を持っているのだろうか。

現場は大変なのである。

リタイアした身だから、ひたすら応援していくだけしかできないが。

頑張って!

現場の方々よ!

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学校の(大学とか高校も)評判というのは、結論が最初にあって、理由はあと付けでくるのだろうが?????である。

2020年02月27日 08時16分09秒 | 教師の流儀
大学の、あるいは高校の評判というのが気になる。それでもって若干の収入をいただいていたからで。過去形だけど。

そういうのは一見不動のような気がする。しかし、ボキは再建屋であったからそんなことはないだろうとマジに思ってきた。今でも思っている。評価の低かった高校を再建してきたからである。偏差値が高いからと言って安住していると、ろくなことはないからだ。事実、自称進学高校がのきなみ定員割れをしている。

千葉県内でも公立高校が低迷している。私学が健闘している。幕張にあるS高校である。こっちは東大合格者数でも全国版になってきたからだ。進学一辺倒の公立が不振に陥っている。

システムをいじりすぎたのではないのか。なんか新しい制度を作れば生徒があつまるだろうというのは、あまりにも単純である。そういう点では、私学の方がエネルギッシュである。工夫がある。自由度もある。発展するのは当然であろう。

大学もそうだ。学部の名前を変えたら学生があつまるだろうというのは、ムシが良すぎる。挙げ句の果てに堂々巡り。それを偏差値のせいにしていれば、センセたちはラクであろうなぁ。もうそんな世界には関係ないから、ボキはシビアにみさせていただいている。

ましてや箱物と言われる大学の建物を新築すれば志願者が増えるだろうと言うのでは、学生を馬鹿にしている。そこまでアホではないからだ。学生も。

要するに言いたいことは、センセたちが意識改革をしていかなくちゃアカンということである。自称一流の学者であるオレが教えているのだから、できないのは学生の努力不足だとのたもうているようでは、お先真っ暗である。自称二流の学者が、学生を教えているのだからという謙虚な気持ちでなくちゃアカンでっせ。自称でも、「所詮わたしは二流の学者だから」と言われる学者に一度だけ教えていただいたことがあるが、あの時は全身が震えてしまったっけ。アメリカの大学を出て東大にも学ばれた方であった。まさに、オノレの存在を消しながら、ボキのようなアホを教えてくださったからである。

そういう意味では、ボキ、旧制の帝国大学にリスペクトがある。マジにある。ものが違うからだ。

だから大学なんてぇ千差万別。いろんな大学があって良いのである。

活路をどこに見出していくのか。そういうことを考えていただきたいと思っているからだ。

器だけ作って、中身のないものでは、味噌を入れない味噌汁と一緒であると思っているからである。

ま、定年で捨てられてしまったボキである。なにを今更であるが。


BYE-BYE!


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自己評価の高すぎるヒトや組織(大学なんかも)は壊滅してしまいますぜ 相手にされていないだけかも知れないから 

2020年02月26日 06時43分12秒 | 教師の流儀
自己評価の高いヒトほど当てにならないものはない。ご自分だけが、高い評価をしているだけで誰にも相手にされていない可能性が高いからである。こんなのは、自称インテリに多い。

大学がぴたり当てはまる。自己評価の高い大学ほど勘違いなプライドを持っている。これは、大学院の先生を調べればわかってしまう。レベルの高い先生を雇用しているかどうかでわかっちまう。国立大学でもそうなのだ。大学院がすべてを決めているからだ。このあたりはよく調べないとアカンでっせ。つまり学部は難関だが、大学院はそうでもないってぇことである。

おっとこれくらいにしよう。叱られてしまうからだよん。もっとも、大学とはもう無関係である。クビになったし、これからもご縁がないだろうから。

ボキ?

ボキはもちろん自己評価が低い。真実だ。無一文だし、無学だし、まるっきりアホである。世の中に役立ちたいと思ってはみるが、まるでダメである。クソジジイである。バイトでしか世の中とかかわっていないしねぇ(^_^)。

それに評価は他人がするもの。

自分だけ高い評価をしていたら笑われる。そんなことを他人に言わないこった。世間が狭いなぁと言われてしまうからだ。~~~センセと言われる方々に多い。センセ稼業をやっておられる方々はこのあたりに注意すべきである。ただの専門馬鹿と言われている可能性もあるからだ。

世間を知らないと言われている可能性もある。

もっとも、ボキも世間のことはよく知らない。酒場とか、カラオケ設置をしているミニスカおねーちゃんのいるような店は特に知らない。どうもウソぽいけど(^_^)。

つまり、遊びとは無縁であるからだ。

ボキほどつまらない人間はいない。堅物であるからだ。冗談一つ言えない。機転もきかない。ユーモアがない。顔は四角四面だし。

それがボキの自己評価である。

いつまでたってもアホだから、生涯学習ごっこをしていなければ惚けるし。

なぜこんなことを打鍵してみようと思ったかというと、今朝千葉県内の公立高校後期試験の倍率が新聞発表になったからである。ボキの居住地周辺は、特に自称進学校(複数)が定員まで達していなかったからだ。少子化の問題?

違う、違う。

魅力がないからである。私立高校も学費の面で公立高校に逼迫しているし、第一公立は面倒見が良くない。欠席の多い生徒や、不登校になったら公立は進級が難しくなってしまうのだ。今は、人間関係で悩む生徒も多いからだ。特色のある私立高校が多くなっていることもある。進学でも就職でも部活でも特色のある私立が多いのだ。だから、現役のセンセ方には(特にコーチョーセンセ)、魅力を持ちなされませと申し上げたいくらいである。

もっともあれか。ボキのようなはぐれジジイの言うことなんか誰も聞いてくれないか。なにしろ学校に行っても、玄関先で偉そうに帰れと言われてしまうからなぁ。アポ取ってから来いとか。アポ取ってから行くほど偉いのかねぇと思ってしまう。押し売りじゃねぇんだけど、フフフ。

わははっははっはははっはははっははははっははっはははっははっは。



BYE-BYE!
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いばりんぼ~~~~~は相手にせんことです。マジにそう思う。

2019年11月13日 08時52分40秒 | 教師の流儀
マウンティングというか、威張ってばかりいる種族というのがいる。確実にいる。公務員に多い。今でも、中学校や高校に行くことがあるが、たびたびそういう種族と遭遇する。

一番多いのが「アポとってから来い」とおっしゃるイバンリボである。だから、ボキは機先を制して「アポとってないですから、ごめんなさいねぇ」と申し上げることにしている。それが痛烈なイヤミになっているのに気がつきもしないから、お笑いぐさである。

そもそも、中高のセンセくらいでそんなに偉いのかね。笑ってしまう。これって、公務員には特質的な性癖であろう。階級社会だからだ。それに普段子供しか相手にしていないから、オノレでもってエラクなっちまうのだ。アホかいな。

アホならアホなりに生きていれば良いものを、と思う。哀れになっちまう。大学のセンセもそうだ。たいしたことがないレベルの大学のセンセも、偉いと勘違いしてしまっているのだ。自己主張のカタマリだからだ。でないと、大学のセンセなんかできやしないだろう。論文の数を誇っていないと、文科省から認定されないからだ。そして、新説のラッシュがないとあんなもんできる訳がないからだ。

でもねぇ、ボキはそれで良いのかと思っている。自慢の種というか、そういう自分の価値を否定して生きていくのが、本当の教育者であろうから。自分なんてたいしたことはないという自己否定こそ、大事な価値である。このことは儒学者の中根東里に学んだことでもあるけれども。

すくなくとも、ボキはそう思っているからだ。

勉強とか学問って、やればやるほど奥が深いと感じてしまうからだ。まだまだボキなんか人に説教たれられるほどのレベルではないと本当に実感してしまうからである。これはマジにそうである。

それに言葉の使い方も悪い。ボキは、この点については改めなくちゃアカンと思っている。どうしても、身内に汚い言葉を使ってしまう。それはボキの言語生活の二重性にある。

つまり、ボキは基本的にズーズー弁で生まれて育ったからである。関東弁に慣れていないのだ。関東弁は汚い。けんかしているような言語である。対等だから、相手をののしってしまう。

大阪弁は相手を尊重してものを言う。敬語が発達している。この点で立派なのが、あの鶴瓶師匠である。見事なものである。コミュニケーションの達人で誰とでも仲良くなっちまう。これは見習いたいことである。

彼は笑顔も良い。

偉ぶらない。

偉ぶっているアホを相手にしない。

ふううううううううううううううううううううううううううむ。

今日から言語生活に注意していこう!
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買ったばかりのスモールカーで、孫の小学校の音楽会に行ってきた。コーチョーセンセの話が下手くそであきれてしまったけど(^_^)。

2019年11月02日 19時25分21秒 | 教師の流儀
買ったばかりのスモールカーで(ただし、エンジンは2000cc)、孫の小学校に行ってきた。昨日急に決まった。孫(男児)の小学校の音楽発表会があるとのことだった。文化の日と連動しているらしい。塾バイトに行く直前だったので、あまり考えもしないで家人に行こう行こうと返事をした。スモールカーに慣れるためもあるからだ(^_^)。

行ってみて、驚いた。小学校の校長センセの話のへたくそなことに。まったくあれで通用するのかねぇ。県名は言えないが。

わははっははっはははっはははっはははっはははっはははっはははっはは。

あれだったら、ボキが毎年掲載していただいている校長講話の本でも買っていただきたいと思った。マジに。上から目線で、保護者にも子供たちにも説教じみた話をしていたからである。

それなりの立場にある方々というのは、立場の重要性というのはよくわかっているつもりである。ボキだって、それぞれの立場にいたときには、発言に十分注意していた。

当たり前である。

このアホ・ブログでは、ふざけたことしか打鍵していないが、仕事をしていた時代はかなりくそまじめであったのだ。

立場の規範性を超えないという意識でいたからである。

ふうううううううううううむ。

だから、ボキの打鍵する文章はおもしろくも何ともないのだろうなぁと思う。今は、好き勝手に打鍵しているから、誤解の猪八戒もかなり多いが。

要するにフリーだからである。

こういう立場はありがたいものである。

固定化されていないからだ。

それにしても、聞いている保護者や子どもたちに、どう受け取られているのかという配慮なしに壇上から話をしちゃアカンでっせ。

こーちょーセンセよん。どうせボキよりかなり若いんだろうけど。

わははっはははっはははっはははっははははっはははっはははは。


BYE-BYE!
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思うようにならないことがあっても、淡々として生きていられるか ニコニコと笑って

2019年10月27日 17時11分14秒 | 教師の流儀

大学院受験はどうもだめなようだ。だいいち能力がない。努力だけはしてきたし、論文も書いてきた。研究誌にも何度か載った。だからなんなんだ?というレベルでしかないが。

ここで考えた。

思うようにいかないことがあっても、淡々と受け入れながら、笑顔で生きていけるのが本当の強さなのではないのかって。

確かにそうだ。社会に出てみたら、思うようにならない人の方が圧倒的に多いのだ。思うようになっている人ってぇのは、1%くらいだろうよん。

入学してみたい学校があって、それを目指して一生懸命勉強するのはたいへんすばらしいことだ。しかし、だからと言ってそれからは全部思い通りの人生を送れるかというとそうではないだろうなぁ。

優秀な学力とか、一流大学に入学する・合格するというより前にもっと大事なもんがあるのじゃよ。それは、「優しさ」や「思いやり」や「あたたかさ」であると、ボキは思うのだ。それと、「楽しく人生を送っているか」というのもあるですなぁ。

そういう人は、社会の中でちゃんと生きていくことができるからだ。

ありとあらゆることが、自分以外の方々のおかげで成り立っていると気がつくことも大事である。実は、ガッコのセンセにこういうことを言ってほしいのだけれども。センセたちはわっかんねぇだろうなぁ。大学出てからすぐ「センセ・センセ」と言われてくるんだから。だから、神戸の小学校の対教員いじめをやらかすセンセが出てくると思うからだ。思い上がってしまうからだ。偉そうに・・・。

「頑張れ・頑張れ」とか「達成目標を実現せよ」「必死の思いで努力せよ」とかやっていると病む。精神を病む。それこそ山月記の虎になっちまうではないか。

ウント勉強して受験するのはいい。合格できるかどうかは、誰にもわからない。そこから先は、神の領域だと言っていたのは三浦綾子さんだったような気がする。

焦ることはねぇのだ。

焦ったらろくなことはないからだ。

 

なんだか方向性は決まったような気がする。

お任せで生きるしかないですなぁ。

 

わははっはははっはははっはははっははははっはははっはははは。

 

BYE-BYE!

 

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生徒たち帰れず 大変でした ご苦労様でした

2019年10月26日 06時57分39秒 | 教師の流儀
昨日は大安。しかし、暴風と大雨であった。千葉県内はまたもや被害に。高等学校で帰れなくなった生徒が続出した。なんということだ。NHKのニュースでも取り上げられたから、下記に引用する。

しかし、これって管理職の判断が大変だったろうなぁと思った。同情を禁じ得ない。職員会議でも問題にした先生もいたのではないのかと感じたからである。

ともかくご苦労様でした。現役の先生たちは。






>大雨の影響で、千葉県内では交通手段が確保できないなどの理由で子どもたちが帰宅できず、25日夜は校内などにとどまって過ごすことになった学校が相次いでいます。
千葉県教育委員会によりますと、25日午後5時の時点で、千葉市内をのぞく県内の公立学校では、大雨のため帰宅できず235校の8222人が学校にとどまっている状況だったということです。

内訳としては、高校で64校の4385人、中学校では53校の1865人、小学校では95校の1805人などとなっていました。

このあと、大半の学校では、保護者が迎えに来るなどして帰宅できたということですが、一部の高校などではJRなどの交通機関が運転を見合わせて交通手段が確保できないなどして、25日夜は生徒らが学校に泊まることになったということです。泊まることになった正確な生徒らの数は現時点ではわかっていません。

このうち、山武市の成東高校ではおよそ50人の生徒が校内の合宿所で泊まることになったほか、大多喜町の大多喜高校でも、1年生と3年生の生徒17人が校内の宿泊施設に泊まることになったということです。

また山武市の松尾高校では課外活動に出かけていた3年生およそ120人が、学校に戻る途中で電車が運休して帰れなくなり、急きょ確保した千葉市内のホテルの大部屋で宿泊することになったということです。

千葉県教育委員会によりますと、それぞれの学校では教師が付き添って、備蓄している食料や毛布を使うなどして対応しており、これまでのところ、生徒の体調が悪くなったなどの連絡は入っていないということです。

各学校では、26日、保護者に迎えに来てもらうなどして生徒らを帰宅させたいとしています。
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【ホセ・ムヒカ 氏】 N高等学校 入学式スピーチ

2019年10月24日 07時55分42秒 | 教師の流儀

まさに教育は、就職するためのものではないですなぁ。

さすがに、さすがに。

 

 

 

 

 

【ホセ・ムヒカ 氏】 N高等学校 入学式スピーチ

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/