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一番札所である那智勝浦にいく。JRの秋の札所巡りが企画され格安料金(昼飯付き4000円弱)で行ける。家内に話したら私も行きたいという。出発が大阪で朝が早いというので、妻は神戸発の別の企画がないか探した。たまたま阪急交通社の同じような企画で三宮からの出発便があるという。出発日は10月8日だったが、たまたま台風18号がきて、10月27日に延期になった。今回も10月24,25,26日は台風20号が日本に近づいており、雨前線を押し上げるような形で不安定な気候であった。しかし最悪の事態は避けられそうで出発日を待った。
さて、当日は青空が広がり湿気も台風が連れ去ってくれたようで絶好の日和となった。30分遅れで出発し新宮に向かう。途中、二回の休憩を取り中辺路から168号線に出て熊野川沿いに新宮に向かう。新宮市街にはいかないでスライスして、目的の青岸渡寺に行く。寄り道があるが約5時間の旅である。
念願の一番札所である。本堂まで467段の石段を登らなければならない。整備されているので比較的簡単に登れた。本尊は如意輪観音という。立て膝をして顎に手を当てて考え込んでいるらしい。秘仏で年三回、公開されるという。2月3日の豆まき大法会、4月の開山祭献茶法要(4月8日がお釈迦さんの誕生日で甘茶が振る舞われるが、ここでもされているのだろうか?)、8月17日のお盆精霊追善大法要の年三回にお目にかかれるらしい。
青岸渡寺が本来の目的地であるが、ここには熊野那智大社が隣り合わせて建っている。しかしこの神社は少し離れた滝そのものが祭神であり、滝の上にはしめ縄がかけられている。133mの滝の長さは日本一らしい。雄壮というか途中で岩に当たり飛沫になる水はダイナミックである。滝にすぐそばに近づくには300円が必要らしい。皆団体客で時間がないのか、いく人が少ない。しばらくボンヤリと滝を見ていたいがそうもいかず滝をあとにする。
その昔、藤原兼家に騙された花山天皇が一条天皇に位を譲り、剃髪して仏道にはいる。色々あったようだが、ここ那智まできて滝の奥の円成寺で千日間の修行をする。修行後、書写山の性空上人や弁阿上人の助けを借りて観音巡礼の御礼参りをする。上人の名は忘れたが、この人が巡礼の道を作っていたが、道半ばで病のため挫折したらしい。その遺志をついで33ヶ所の観音霊場を巡拝する。花山天皇が再興したことから有名になり中興の祖と呼ばれている。この青岸渡寺にお詣りする人が絶えなかったことから、蟻の熊野詣でといわれる位だから、一種のブームが起こったのだろう。寺の絵にあったが、偉い人が乗った輿を押す人とか、警護する武士などが長い列を作り歩いている。熊野詣での有名なところでは藤原定家が後鳥羽天皇にお供した熊野詣でがある。これは定家が記録に残しているが、中々大変だったらしい。
今回の旅行前の想像は、南方熊楠の菌の話しや定家の蛭の話とか、中上の路地の話から、中辺路は湿っぽいように思っていたが、それは杞憂におわった。きれいに舗装された現代の道はなんの支障もなかった。気候が変ったり、ちょっと山道にはいるとどんな風に変貌するのか、見たいような見たくないような・・・
定家は勿論花山以降であるが、花山以前にも熊野詣ではあったようである。はっきりとは言えないが、それは神の来た道を遡るような意味があったのかもしれない。神武天皇が東遷して、いったんは撤退し、熊野から上陸して大和に入ったことは知られている。そのときの道案内をやた烏がしたといわれている。本宮・新宮・那智熊野と言われるように熊野三山は、大和朝廷成立の昔に遡って祀られているのである。
今回は西国三十三ヶ所の観音巡りであったが、神社巡りという視点からみればどんな旅になるのか、それはもうやってみるしかない。いずれにせよ、最大の難関である一番札所が終わりほっとしている。
一番札所である那智勝浦にいく。JRの秋の札所巡りが企画され格安料金(昼飯付き4000円弱)で行ける。家内に話したら私も行きたいという。出発が大阪で朝が早いというので、妻は神戸発の別の企画がないか探した。たまたま阪急交通社の同じような企画で三宮からの出発便があるという。出発日は10月8日だったが、たまたま台風18号がきて、10月27日に延期になった。今回も10月24,25,26日は台風20号が日本に近づいており、雨前線を押し上げるような形で不安定な気候であった。しかし最悪の事態は避けられそうで出発日を待った。
さて、当日は青空が広がり湿気も台風が連れ去ってくれたようで絶好の日和となった。30分遅れで出発し新宮に向かう。途中、二回の休憩を取り中辺路から168号線に出て熊野川沿いに新宮に向かう。新宮市街にはいかないでスライスして、目的の青岸渡寺に行く。寄り道があるが約5時間の旅である。
念願の一番札所である。本堂まで467段の石段を登らなければならない。整備されているので比較的簡単に登れた。本尊は如意輪観音という。立て膝をして顎に手を当てて考え込んでいるらしい。秘仏で年三回、公開されるという。2月3日の豆まき大法会、4月の開山祭献茶法要(4月8日がお釈迦さんの誕生日で甘茶が振る舞われるが、ここでもされているのだろうか?)、8月17日のお盆精霊追善大法要の年三回にお目にかかれるらしい。
青岸渡寺が本来の目的地であるが、ここには熊野那智大社が隣り合わせて建っている。しかしこの神社は少し離れた滝そのものが祭神であり、滝の上にはしめ縄がかけられている。133mの滝の長さは日本一らしい。雄壮というか途中で岩に当たり飛沫になる水はダイナミックである。滝にすぐそばに近づくには300円が必要らしい。皆団体客で時間がないのか、いく人が少ない。しばらくボンヤリと滝を見ていたいがそうもいかず滝をあとにする。
その昔、藤原兼家に騙された花山天皇が一条天皇に位を譲り、剃髪して仏道にはいる。色々あったようだが、ここ那智まできて滝の奥の円成寺で千日間の修行をする。修行後、書写山の性空上人や弁阿上人の助けを借りて観音巡礼の御礼参りをする。上人の名は忘れたが、この人が巡礼の道を作っていたが、道半ばで病のため挫折したらしい。その遺志をついで33ヶ所の観音霊場を巡拝する。花山天皇が再興したことから有名になり中興の祖と呼ばれている。この青岸渡寺にお詣りする人が絶えなかったことから、蟻の熊野詣でといわれる位だから、一種のブームが起こったのだろう。寺の絵にあったが、偉い人が乗った輿を押す人とか、警護する武士などが長い列を作り歩いている。熊野詣での有名なところでは藤原定家が後鳥羽天皇にお供した熊野詣でがある。これは定家が記録に残しているが、中々大変だったらしい。
今回の旅行前の想像は、南方熊楠の菌の話しや定家の蛭の話とか、中上の路地の話から、中辺路は湿っぽいように思っていたが、それは杞憂におわった。きれいに舗装された現代の道はなんの支障もなかった。気候が変ったり、ちょっと山道にはいるとどんな風に変貌するのか、見たいような見たくないような・・・
定家は勿論花山以降であるが、花山以前にも熊野詣ではあったようである。はっきりとは言えないが、それは神の来た道を遡るような意味があったのかもしれない。神武天皇が東遷して、いったんは撤退し、熊野から上陸して大和に入ったことは知られている。そのときの道案内をやた烏がしたといわれている。本宮・新宮・那智熊野と言われるように熊野三山は、大和朝廷成立の昔に遡って祀られているのである。
今回は西国三十三ヶ所の観音巡りであったが、神社巡りという視点からみればどんな旅になるのか、それはもうやってみるしかない。いずれにせよ、最大の難関である一番札所が終わりほっとしている。