尚巴志のお墓については何度か記事にしていますが、
(写真など→ ☆ ☆ ☆ )
「隠れ墓の場所が、なぜ読谷なのか?」
他にも場所はたくさんあるだろうに、
なぜ平田之子と屋比久之子はこの読谷を選らんだのか、という素朴な疑問。
一般の書店では扱っていないような、
自治体(読谷村)や、地域の団体、個人が自費出版している
読谷村にまつわる冊子や本にその手がかりがありました!
たとえばこれ。
『読谷山風土記』
渡久山朝章著
やっぱり、ワタシが尚巴志のお墓を初めて記事にしたときに書いた、
あの記憶が有力説のようです
その説とは…
尚巴志が北山討伐に向かう際、
読谷の喜名村に宿泊。
その村で東松田という娘と懇ろな関係になり、
子供が生まれます。
その子孫が読谷地方に広がっていたため、
その子孫達を頼った。
…というもの。
ちなみに、その喜名村での娘は、妻ではなく「妾」ですね…。
まぁ、妾を持つのは当時の高い身分の男性には当然のことだったとはいいますからね…。
(護佐丸も大城賢勇も聞きますものね。特に護佐丸は多い…。
とすると、阿麻和利は全く聞かないのが不思議。
王女を妻にしてる分、例えいても書けないか?)
でも北山討伐前なのに…余裕だなぁ、なんて思ったりして…
さて、写真は佐敷森の前にある泉、「サシジャー」(別名イーヌカー)
このサシジャーも、この本の一節によると
「佐敷川(さしちじゃー)」の音韻変化では?
ということです。
(過去記事、こちらもどうぞ)
この写真は8月の真夏の時のですが、
すごーく水が冷たくて気持ちが良かったです。
この日は珍しく水汲みに来てる人がいなくて
ゆっくり写真が撮れました☆
ところで、その地方の歴史や史跡や謎を調べるには、
このような一般の書店では売られていない、
地方出版の本や冊子がとてもヒントになることが分かりました。
読谷は古老たちに聞いた伝承や民話を集めた本が多く、
しかも字別に、10数冊にまとめられたものもありました(!)スゴイ量
昨日・今日とそれらの本を色々とトピック読みして、
「なにぃー!?」とか「それはないっ!」とか
色々驚いたり納得したりツッコんだり…(笑)
読谷史跡七不思議、阿麻和利の墓にまつわる話もたくさんありましたよ。
(別記事で書けるかな?)
その地域の出している民話集、
これからマークしておこうと思いました。
ビバ、読谷
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