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【追悼】リヴォン・ヘルム:今ごろ「火の車」に乗って「エレクトリック・ダート」を走っているのだろうか?

2012年05月06日 19時17分45秒 | 音楽(アーカイブ)
先月19日,元ザ・バンドのメンバーだったリヴォン・ヘルムが亡くなった。長く喉頭がんを患っていたことは知られていたが,一度は出なくなった声が戻り,カムバック作でグラミー賞を穫ったことで,完全復活だと思っていただけに,とても驚いた。
60年代というだけでなく,「ロック」という音楽ジャンルの最良の核とも言える部分を形成したグループの一つでありながら,今となっては人の口の端に上ることが少なくなってしまった存在ではあったが,今回のリヴォンの逝去に関する各新聞の扱いが極めて慎ましいものだったことは,予想出来たこととは言え,やはり残念でならない。

ザ・バンドは「アメリカン・ロックを代表するグループ」と言われていたが,実は4人はカナダ人であり,リヴォンだけがグループ唯一のアメリカ人だった。当初はロニー・ホーキンスのバックバンドとしてデビューしたグループの中心人物であり,初期のアルバムではドラムだけでなく,マンドリンをはじめとするマルチな楽器奏者兼リチャード・マニュエルに次ぐ2番手のヴォーカルという役割を与えられていた。ブルーズ系のスローな曲を得意とするリチャード,軽やかなフォーク色の強いナンバーが多かったリック・ダンコ,そしてリズミカルなロックンロールのリヴォンという色分けと,3人による独特のコーラス・ワークは,彼らが当時も今もオーセンティックでありながら革新的なバンドとして称えられる要素の一つとなっていた。
第3作の「ステージ・フライト」以降,次第にドラム専門になり,リード・ヴォーカルを取る機会が増えてはいったが,逆にほとんどの曲を一人で手がけるようになっていったロビーとの確執が増えていったであろうことは,想像に難くない。

実際にリヴォンは自伝の中でロビーに対して厳しい批判を繰り広げているのだが,その緊張関係が良い方向に結実した結果として傑作「南十字星」が生み出されたことは,音楽ファンに取っては幸運な出来事だったと言える。しかしその代償として解散が選択され,ザ・バンドとしての実質的な活動期間がたったの8年間で終わりを告げたことも含めて考えると,チームで長くクリエイティブな活動を行うことの難しさに思いを馳せざるを得ないのも事実だ。

リヴォンはバンドの解散後,ロビー抜きの再結成活動のほか,上述したようなソロ活動を行う傍ら,俳優としても素晴らしい仕事を残している。特に忘れられないのは,トミー・リー=ジョーンズの初監督作「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」における盲目の独居老人役だ。少ない出番だったが,メル・ブルックスの「ヤング・フランケンシュタイン」におけるジーン・ハックマンと並ぶ「2大盲目老人名演技」として,マツコ・有吉の「怒り新党」で是非とも取り上げて貰いたい。

これでザ・バンドのオリジナル・メンバーは,ロビー・ロバートソンとガース・ハドソンを残すのみとなってしまった。
だがTBSの音楽ドキュメンタリー「SONG TO SOUL」でザ・バンドの名曲「THE WEIGHT」が取り上げられた時に撮られた,ウッドストックの自らのスタジオでドナルド・フェイゲンやガース・ハドソンらと共にライブを行っているリヴォンの姿は本当に幸せそうだった。きっと今晩も天国でリックやリチャードと共に「Life Is A Carnival!」とハモっているはずだ。
心より,ご冥福を祈ります。


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