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映画「太陽の塔」:当時を懐かしむことができる人限定なのか

1970年大阪万博。この後に長野五輪やサッカーW杯など,国家プロジェクトと呼ぶに相応しい国際的な祭事が幾つも開催されたが,「EXPO70」に匹敵するイヴェントはひとつもなかった,というのが正直な感想だ。
生まれて初めて津軽海峡を越え,東京を経由して新幹線を乗り継いでようやく辿り着いた万博会場は,文字通り未来のショーケースだった。「人類の進歩と調和」という,いまだにスラスラと口をついて出てくるスローガンに異議申し立てをするような土着性の匂いをまとって屹立していたイヴェントのシンボル,「太陽の塔」をそのままタイトルにしたドキュメンタリーとあれば,当時の空気を吸った人間としては観ない訳にはいかない。

公募で選ばれたという関根光才監督は,太陽の塔に対峙する少女の姿を捉えたイメージショットを随所に挟み込みながら,29名の識者やアーティストから太陽の塔に対する熱く強い思いを引き出してみせる。
評論家や美術史家,「太陽の塔」にインスパイアされたアーティストに留まらず,歴史,社会,宗教等の分野で一家言を持つ人々が,文法こそ違えど「塔」から受けた影響の深さは共通する感想を次々と述べる姿に,48年前に作られた作品の偉大さが滲み出していく。入場まで何時間も待たされる程人気の高かったアメリカ館やソ連館の形を今でも覚えている人はほとんどいないであろうことと,実に対照的だ。

48年振りに内部が公開されるタイミングで制作されたそんな巨大な「異物」を巡る物語は,しかしその発言のすべてが,科学がどんなに進んでも,実は「進歩」も「調和」もしていないのではないか,という岡本太郎の社会に向き合う姿勢に収斂していく。縄文文化の影響や生命観,科学の進歩と人類の幸福との関連等々に言及した膨大な発言の骨子は,かなりの部分で重なり合い,新たな発見や分析が出尽くした途中からは,映像の強度も急速に低下していく。
制作者としては,各々のインタビューに対する思い入れも強く,取捨選択に苦労したことは容易に想像できるが,この内容で112分という尺を使うという判断は明らかに間違っていると言わざるを得ない。
私には最初の3章程度で充分だったが,当時に対する思い入れがない人なら第1章だけでも良いかもしれない。岡本太郎のフランス語の流暢さだけは仰け反ったけれど。
★★
(★★★★★が最高)
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