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映画「バーニング 劇場版」:マジック・アワーに生まれた奇跡

2019年03月16日 14時37分53秒 | 映画(新作レヴュー)
2〜3年に1本くらいの割合でこんな作品に出会う。すなわち,激しく心揺さぶられるのだけれど,躊躇なく好きだ,とは言えない作品。
韓国の異才イ・チャンドン監督の8年振りの新作となる「バーニング 劇場版」は,村上春樹の原作を映画化した,というよりも,「納屋を焼く」という短編にインスパイアされたオリジナル長編という方がしっくりする作品だ。

勿論,「猫」や「井戸」,「無言電話」といった,村上作品には欠かせないお馴染みの要素が,本作でも重要な役廻りを担っていることから,周到に計算されたハルキワールドの再現とみなすことは十分に可能だ。実際,「グレイト・ギャツビー」を想起させるようなベンを演じたスティーヴン・ユァンの底の見えない演技やモダンで無機質な彼の部屋のインテリアは,村上作品によく出てくる得体の知れないスーパー・リッチを彷彿とさせる。
だがそんなリッチで知的,かつ一見フレンドリーでありながら決して人間の芯の部分を見せないベンと,小説家志望なのに小説を書けない主人公ジョンスの関係が,まるで現代の格差社会を象徴するかのように描かれているのは,明らかに村上作品のフレームとは異なる。

更にフライヤーに謳われている「究極のミステリー」という惹句も,ヘミの失踪の実態がラストに至るまで明らかにならない以上,すんなりと受け取ることは出来ない。作品全体を「ミステリー」と捉えるとすると,ヘミが身に着けていた,ジョンスとの再会の記念の品である腕時計をベンが隠し持っていたから,という理由だけで,ジョンスがラストの凶行に至るのはどうしても腑に落ちない。幼少時に井戸に落ちた自分をジョンスが救ってくれた,とヘミが語るエピソードが中盤部の主題のひとつになっていることと,ベンが高台にあるため池を眺めて佇むシークエンスとを併せて考えれば,ヘミの自殺の可能性は否定できないはずだからだ。
私のような凡庸なミステリー・ファンにとっては,一応「ミステリー」と括るのならば,昨年の賞レースを席巻した「カササギ殺人事件」における「ステューピッド・カント」のような鮮やかなオチとまでは行かなくとも,ラストのジョンスの行動が正しかったのかどうかのヒントくらいは与えて欲しかった,というのが正直な感想だ。

ただ,ヘミが失踪直前に見せた薄暮時のダンスには,おそらくはテレンス・マリックの「天国の日々」と並んで,今後長く語り継がれていくであろう美しさが宿っていることは確かだ。賛否を超えて,こんな作品を企画・実現してしまったNHKには,最大級の賛辞を送りたい。
★★★☆
(★★★★★が最高)


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