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映画「博士と狂人」:20年越しの映画化を寿ぐ

2020年10月25日 14時08分07秒 | 映画(新作レヴュー)
タイトルにある「狂人」は使っているATOKでは出て来なかった。この,もはや現代では「使ってはいけない単語」にカテゴライズされているらしい「狂人」の存在こそが,世界に冠たる英語辞典OEDの誕生に欠かせないものだった,という歴史上の事実を描いた本作もまた,メル・ギブソンという「THE MADMAN」の執念の賜物なのかもしれない。

英語に関するあらゆる単語とその由来を記した辞書OED(The Oxford English Dictionary)を編纂する。オックスフォード大学が挑んだこの偉業を引き受けたのは,アマチュアの言語研究者と長らく精神病院に収監されていた殺人犯だった。こんな興味深い史実をノンフィクションとしてまとめあげたサイモン・ウィンチェスターの著書が日本で刊行されたのは1999年4月30日。私が持っている早川書房の初版本の帯には「OED第2版全20巻セット特別価格キャンペーン実施中!」と「!」付きの広告が出ている。特別価格に惹かれて買った人がいたかどうかは知る由もないが,本を読んだ人なら誰もが「どんな辞書なのか?」と興味を抱くような,そんな面白い本だった。

その訳者あとがきには「フランスの映画監督リュック・ベッソンがその権利(映画化権)を取得し,メル・ギブソン主演の予定で話が進められている」と記されている。フライヤーに書かれている「構想から20年」というのは,嘘偽りのない話だったのだ。メル・ギブソンの執念というのは,これまでの監督作品のすべてに共通している「過剰なまでにとことんやり抜く」姿勢からも充分に窺われたが,一方でそんな念願の作品をこれが初の長編作品となるイラン系アメリカ人P.B.シェムランに託すという果敢なチャレンジもまた,ギブソンらしい決断と言えるだろう。シェムランはそんな執念の人の信頼に,ショーン・ペンとエディ・マーサンという二人の芸達者を揃えた巧みなキャスティングや,辞典作成ものに特有のダイナミックな美術の助けもあって,重量級の演出で応えて見せた。

原作との大きな違いは,マイナー(ペン)が妄想に取り憑かれて殺してしまった男の妻イライザとマイナーとの交流が重要なプロットとして描かれている点だ。途中からほぼ成瀬巳喜男の「乱れ雲」状態になだれ込んでいくのだが,イライザ役のナタリー・ドーマーは脇に回ったギブソンの巧みな受けの演技もあって,後半のドラマを見事に牽引してみせている。20年という歳月が,奇想天外な物語の映像化に必要な発酵期間だったと納得できる出来映えだ。
★★★★
(★★★★★が最高)


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