goo

2011年TVドラマ夏シーズン・レビューNO.4:「胡桃の部屋」

先日職場の宴会の時に,周りにいた20代から30代の職員数人に「向田邦子のドラマが始まりましたねぇ」と水を向けてみたのだが,反応を示したのはたった一人。話してみると,無反応だった方々は全員「向田邦子」が何者なのかを知らなかった,という事実が判明し,私の話をあえてスルーした訳ではなかったということで私は安堵のため息をついたのだった(本当のところはどうか分からないけれど)。
そんな現代で,30余年の歳月を超えて彼女の小説をドラマ化するには,2011年に向田ドラマを問う明確な理由と,昭和をヴィジュアル的に再現するための並大抵ではない苦労を引き受ける覚悟が必要だったはずだ。そしてこれまでのところを観た限りにおいては,その理由も覚悟のどちらもが,「胡桃の部屋」のスタッフ・キャストにしっかりと共有されているという印象を受けた。

向田ドラマの特徴を端的に言ってしまうと,家族で演技するシンクロ・ナイズド・スイミングのようなもの,というのがしっくり来る喩えかもしれない。
世間には水面に出ている上半身と作られた笑顔しか見えないけれども,沈まないために水面下で必死に動かされている足は,時に隣の泳者の足に当たり,時に足同士が絡まり合って,蹴り合いにまで発展してしまう。場合によってはそのまま水中に没してしまい,観客を驚かすこともあるのだが,再び浮かび上がって観客の方に向けた顔には,先程と変わらぬ笑顔が張り付いている,そんな感じだ。

「胡桃の部屋」で描かれている家族も,必死に立ち泳ぎをしながら,世間と対峙している。三姉妹のキャスティングも絶妙だが,特に狂気の縁に立たされた母親役の竹下景子が印象的な演技を見せている。
ただその竹下景子が次女の松下奈緒と共に,近所の神社へ父親の帰宅を祈って願掛けをしに行く場面が何度も挿入されるのだが,そこだけはどうしてもバレーボールのベテランセッターが,長身のアタッカーに攻め方を伝授しているようにしか見えないのが,玉に瑕なのだが。

三女の臼田あさ美が勤める喫茶店は,旧帝国ホテルや落水荘で知られるアメリカの建築家フランク・ロイド=ライトが設計した,池袋にある自由学園の喫茶室のように見えるが,松下奈緒が父親の元部下の原田泰造と会う喫茶店の方は,明らかにセットだと思われる。しかし昭和50年代の繁華街にあった喫茶店に漂っていた下世話な熱気が,装飾や小道具も含めて見事に再現されており,昭和に作られたオリジナルの向田ドラマと見紛うばかりの効果を上げている。
こうした美術や撮影の奮闘に加えて,「阿修羅のごとく」で使われたトルコ音楽に対抗するかのように,インドネシアのガムランを多用した大友良英(テレ東「鈴木先生」でも素晴らしい仕事をしていた)の音楽も見事で,安心して「不安定な家庭劇」に没入することが出来る。やはり,ドラマはこうでなくっちゃ!と言いたくなる出来映えだ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« J2リーグ第3節... 映画「ヤバい... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。