子供はかまってくれない

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映画「第9地区」:SF映画史上に輝く金字塔だ

2010年04月21日 01時07分32秒 | 映画(新作レヴュー)
「文明批評」というような巨視的な視点で語られることは多かったSF映画だが,人種差別,難民,経済格差といった,より身近で具体的な社会派的視点を,ここまでリアルな形で持ち込んだ例は初めてではないだろうか。しかもアクションとしても,コメディとしても,人間ドラマとしても1級品となると,空前(絶後とは言えないけれど)と言っても良いだろう。監督のニール・ブロムカンプは,巻き込まれ型サスペンスのフォーマットをうまく使って,汲めども尽きぬ活劇の井戸を掘り当てた。

ローランド・エメリッヒの「インデペンデンス・デイ」に出てきたようなサイズの巨大宇宙船が,故障したためなのか,20年間もヨハネスブルクの上空に浮かんでいる。船内を探索した結果見つかった乗員,つまりエイリアンは,市民との接触を禁じられたまま今も難民キャンプに隔離され,好物の猫缶を手に入れようとナイジェリア人のギャングに武器を売っている。そんなエイリアンを,新しい難民キャンプに移住させるという,一大プロジェクトが始まろうとしていた。

プロローグの概略を書いただけでも,ゾクゾクしてくるが,この作品の凄いところは,そういった設定を活かすための細かなアイデアやプロダクションをスクリーンに定着させるために費やされている,作品に関わった全ての人間が発散している偏執狂的とも言える熱量だ。
記録用のヴィデオや報道記録という体裁を取った導入部の映像に始まり,いかにも「難民」然としたエイリアンや旧式パソコンを数珠つなぎにして修復した司令船等の造形,そしてモビルスーツを使った迫力の銃撃戦まで,制作費とは何の相関も持たない,純粋に映像に賭ける執念は,決して「アバター」にひけを取ってはいない。

しかも,アパルトヘイトという負の歴史を持ち,いまだに巨大なスラムを抱えている「南アフリカ」という舞台設定が,物語に奥行きを与え,エイリアンと主人公のヴィカス(シャルト・コプリー,好演)に文字通り血(色は「黒い」のだけれど)を通わせている。
それまで差別者側にいて安穏としていた人間が,ちょっとした運命のいたずらによって,あっさりと「被」差別者側に回ってしまうというアイロニーが,運命を受け容れることの悲しさと潔さとを暗示したラストに繋がっていく鮮やかさは,他に類を見ない。

公開2週目,休日の朝の回だったが,作品の質の高さがお茶の間にも伝わったのかシネコンの観客席は7割方埋まっていた。批評精神に満ちた娯楽作,というSF映画史上,希有な成功作だけに,口コミの力も使って是非とも興行面でも劇中の宇宙船のように「起動」して欲しいと願う。
★★★★★
(★★★★★が最高)


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