子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「アジョシ」:血みどろアクションにチャレンジしたウォンビンのプロモのようだ

2011年09月25日 19時38分27秒 | 映画(新作レヴュー)
始まる前から嫌な予感はした。どうも後ろの席で観ている女性グループが,その会話から生粋の韓流ファン,しかもウォンビンの追っかけらしい雰囲気をプンプンと漂わせていたのだ。うーむ,今日はハードな鑑賞環境になるかもと覚悟したが,残念ながらその予想は当たってしまった。約2時間の上映時間の間中,ほとんどお喋りは止むことはなく,ウォンビンに対する賛辞は,昨今の円高並みに高値を付け続けた。「ワイルド」「かわいい」「(腹筋)割れてる」「強っ!」等々。当初は主人公に60代の男をイメージしていたという監督のイ・ジョンボムの方針転換は,大ヒットしたという母国同様,日本の市場においても見事に功を奏したようだ。

「冬の小鳥」で観客の涙腺を絞ったキム・セロンは,あれから随分と背が伸びた印象があるが,今回も巧みな演技でウォンビンを籠絡している。同作では見せなかった笑顔には,ウォンビンならずとも「憐憫」の情を喚起するに充分な情感がこもっている。
だが,ポスターやチラシではこの二人の共演を煽る謳い文句が並んでいるにも拘わらず,実質はウォンビンのショーケース・フィルムであり,いっそアイドル映画と呼ぶのが相応しいような仕上がりになっている。

前半では,ファンには誠に申し訳ないが「ゲゲゲの鬼太郎」もかくやという長髪を降ろしたヘアースタイルで左目しか見せず,電光石火で相手を倒した(らしい)アクションも写さない。
この「見せない」戦法が効いて,後半で一気に,髪は切るわ,服は脱ぐわ,撃つわ,殴るわ,蹴るわ,刺すわ,泣くわと,観客が観たいウォンビンを,存分に堪能させるという戦術変更がピタリと決まる。
加えて,敵役に扮したタイ人のタナヨン・ウォンタラクンがまたクールな佇まいで,ウォンビン・ファンの悲鳴を掻き立てるようなアクションを見せ,クライマックスを盛り上げている。泣かせるアクション映画に必要な条件は,もれなく揃えてある,という感じだ。

だが作品全体を眺めてみると,派手なアクションの割には何ともカタルシスに欠けるという印象が残る。
おそらくは,ウォンビンの過去とセロンの奪還という筋立てだけでも,充分に「東映任侠もの」的対決を組み立てられたはずだったのだ。だが何故かそこに,敵同士の裏切りに麻薬捜査,果ては子供の臓器提供などという,どう見てもそれだけでメイン・プロットを組み立てられるくらいの要素を盛り込みすぎたために,物語が動くべき所で失速してしまっている。
まさか同じく子供の臓器提供を取り上げた阪本順治の「闇の子供たち」に出演していたタナヨン・ウォンタラクンに敬意を表したわけではないだろうが,イ・ジョンボムの狙いは肝心の所で急所を外してしまったようだ。
★★★
(★★★★★が最高)


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