子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「の・ようなもの のようなもの」:故森田芳光監督への愛によって出た眼

2016年02月06日 11時45分19秒 | 映画(新作レヴュー)
1981年に制作された森田芳光監督の劇場用映画デビュー作である「の・ようなもの」が当時,一体これは何なんだ?という懐疑の声と,これぞ80年代を代表する「新しい映画」と賞賛する声が相半ばする議論を巻き起こしたことは,既に35年という歳月が経っているとは思えないほど記憶に新しい「事件」だった。当時のそんな雰囲気を反映してか,権威あるキネマ旬報ベストテンでは圏外となった一方で,ヨコハマ映画祭では「第1位」と,評者の立ち位置によってその評価はくっきりと分かれた。ある種その後の森田監督の歩みと評価を予想するような作品だったのだと,振り返って位置付けることは簡単だが,当時の「どう扱って良いものやら?」という独特の雰囲気は,制作に関わった人々すべての胸にひとつの「達成感」として深く刻まれていたことだろう。
あれから35年。監督は若くして世を去ったが,監督と志を同じくし,長年歩み続けたスタッフが続編を作り上げた,というニュースを耳にしては,当時を知る観客としては劇場に駆け付けざるを得ない訳で,劇中の一門会のような盛況とはほど遠い入りの劇場での鑑賞と相成った。

結論から言うと「まさかの続編」は,作り手の熱気がスクリーンに反映され,銭湯寄席にライブで参加しているかのような,身体の芯からじんわりと温められるような作品となっていた。冒頭のカップルがいちゃつくベンチシーンからラストの尾藤イサオが歌う曲まで,先行作のフォーマットを上手く利用しながらも,敢えて「尖った」部分を狙わずに,不器用な恋愛劇を絡めた「人情噺」としてまとめた節度は,まさしく大人のものだった。
前作では下着姿だけで世の若者を悩殺した秋吉久美子に替わって本作のヒロインを務めた北川景子は,終盤の全力疾走シーンで見せたバランスの取れた走りっぷりで,映画女優としての器を感じさせた。女優を見る審美眼という点でも高いレヴェルを保持し続けた故森田監督が,真の慧眼の持ち主だったということを,彼女はこれからの長い役者人生でしっかりと証明していかなければならない。

これが助監督として森田監督を支え続けてきた1959年生まれの杉山泰一監督の「初監督作」である,と鑑賞後に知って思ったのは,ラストで志ん田(松山ケンイチ)が兄弟子の志ん魚(伊藤克信)に替わって師匠の墓前に捧げる「出目金」が,眼(芽)が出ずに「リュウキン」になったというオチ。35年の雌伏の後にギョロ芽を出した杉山監督に座布団一枚!
★★★☆
(★★★★★が最高)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。