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映画「レ・ミゼラブル」:パリ版の「シティ・オブ・ゴッド」だ!

発煙筒がたかれる中,国旗を打ち振りながら凱旋門に向かって行進する大勢の市民を捉えたフライヤーの写真だけを観ると,21世紀にアダプトした「レ・ミゼラブル」なのかと錯覚してしまうが,中身はヴィクトル・ユゴーの名作とはまったく異なる。演劇や映画として有名になった同作の舞台であるパリ郊外のモンフェルメイユの現在を伝えるラジ・リ監督の長編デビュー作は,荒々しく刺激的で,フェルナンド・メイレレスの衝撃のデビュー作となった「シティ・オブ・ゴッド」を想起させる秀作だ。

フライヤーに使われている写真は,前回のサッカーW杯ロシア大会で優勝したフランス代表チームを称える歓喜の行進の様子を捉えたもので,そんなパリ市民の高揚感を伝える導入部から,その郊外に赴任してきた警官のパトロールへとカメラが切り替わった瞬間に,一気に画面の緊張感が高まる。多民族の統合の象徴として取り上げられることの多い代表チームはまるでファンタジーだ,と言わんばかりに,警察と多くのグループに分かれるスラムの住民との対立がもの凄いエネルギーとテンションを伴って描かれる。

物語が単なる「抑圧する側」VS「抑圧される側」の対決劇に留まらず,重層的な重みを持ったドラマへと昇華し得たのは,それぞれの側にも人種や出自,更にそれらの要素に由来する考え方の違いによって幾つもの集団が形成されており,そんな複数のグループ間に生じる軋轢を,経済格差や差別の問題と同列のものとして俯瞰した脚本の力に拠るところが大きい。
更にマーフィーの法則さながら「起こって欲しくないと願う物事が起こる確率は,その願いの強さに比例して生起する」かのような,悲劇ドミノ倒しとなってしまう大きな要因として,子供が飛ばすドローンがフィーチャーされていることも,弱者が最先端のICT技術を使うことで対峙する相手との力関係を一発で逆転させてしまう現代を象徴してリアルな手触りを残す。

被抑圧者側のグループで「市長」と呼ばれ主導的立場にあるはずのリーダーが,警察のみならずロマとムスリムと少年グループとの対立の中で立ち往生してしまう姿は,自国民ファーストという大きな潮流の中で棒立ちとなっている,あらゆる国の指導者を強い普遍性をもって浮き上がらせており,カンヌで「パラサイト 半地下の家族」と覇を競ったということも肯ける。
ラストショットで少年が掲げた火炎瓶は,果たしてどうなったのだろうか。
★★★★
(★★★★★が最高)
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