子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。
子供はかまってくれない
ヴィッセル神戸の本拠地にも行ってみた
私が普段コンサドーレ札幌の試合観戦や散歩に足を運んでいる札幌ドームは,札幌市が2002年W杯の会場として立候補した1992年当時,サッカー専用スタジアムとして構想されていたという記憶がある。それが1996年に設計コンペが実施される時までには,野球も開催可能な多目的スタジアムとする案が固められ,完成後には当初想定されていた西武の準フランチャイズ球場ではなく,日本ハムの完全ホーム・スタジアムとなった。結果的にはこれが大きく影響して,W杯開催スタジアムの中で唯一黒字経営を続ける優良施設となっている。
それまで巨人一筋だった道産子のファン意識が変わり,日ハムが名実共に札幌に定着したことは真に喜ばしいことである一方,サッカー専用競技場という道を放棄せざるを得なくなったことで,失ったものも少なくないはずだ。そういう意識がずっと私の中にあった。それがどのくらいの損失だったかを見積もるためには,やはりサッカー専用競技場を体験してみる以外にない,と思い定め,灼熱の甲子園で沸騰した翌日,ヴィッセル神戸の本拠地であるホームズスタジアム神戸(旧愛称:神戸ウイングスタジアム)に行ってきた。
地下鉄海岸線に乗って和田岬駅で降りて歩くこと15分。スタジアムについて最初に目を奪われたのは,バックスタンドとホーム側ゴール裏を覆う,コンクリートと鋼製アーチの屋根が織りなす曲線の美しさだった。W杯開催時にはゴール裏の屋根はなく,仮設のスタンドが後ろに延びていたはずだが,開閉式の屋根を設置した時点で出現した巨大な人工の構造物は,正に「W杯の遺産」と呼ぶに相応しい威厳と都会の風景にマッチした優美さを湛えてそこにあった。
スタジアムに入ると,早速観客席とピッチとの距離を確かめるべく,一番ピッチに近い席まで降りてみた。そこでのピッチまでの距離は10m弱だったと思うが,正直なところ,札幌ドームのバックスタンド側で一番ピッチ寄りの席との距離(約15m)と,さほど違いがあるとは思えなかった。これは意外だった。観客席の高さや傾斜の違いにもよるのかもしれないが,一概に札幌ドームにおけるサッカー観戦状況を嘆くのは,フェアとは言えないのかもしれないと感じただけでも収穫はあった。
その他で特に目に付いたのは,ピッチの状況だった。ピッチ状況が改善されなかったことから,秋に予定されていた日本代表戦を返上した大分と同様に,開閉式の屋根を持つこのホムスタも,良好なピッチ状態の保持に悩んでいることは明らかだった。
状態の悪い部分をまとめて張り替えているようだったが,いたる所,まるで子供が破いた障子に継ぎを当てているかのようなパッチワーク状になってしまっており,案の定,継ぎ目の部分で何度もボールがイレギュラー・バウンドしていた。
屋根の陰にはなりにくいため,日照に関してはそれほど問題がないと思われる北側のピッチですら,かなりひどい状況になっていたところを見ると,原因は日照だけではなく,風通しや熱気の籠もり方にもあるのかもしれない。せっかくの施設を活かすための最大のポイントであるだけに,少しでも改善されるよう研究の進捗が望まれる。
全体的に最も印象的だったのは,何と言ってもスタジアムに詰めかけた人の多さだった。スタジアム前の広場に多くのテントや屋台が出ており,そこでグッズを物色したり,食べ物を買ったりしている観客の多くは家族連れと,チーム単位で観戦に来ていた子供たちの姿だった。勿論首位を走るスター軍団,鹿島との対決ということも大きかったとは思うが,客層を観る限り,平日開催にも拘わらずこれだけ集客出来た一番の要因は,「夏休み」だったのではないかと思わされた。
多くのJチームから反旗を翻されていることにも懲りず,秋春開催に執念を燃やす日本サッカー協会の犬飼会長は,この日集まった17,432人の多くを占めていた家族連れや子供たちにとっての「真夏の娯楽」という側面をどう捉えるのだろうか。
試合の方は,開始直後に大久保が決めた「スミ1」ゴールを神戸守備陣が死守して,首位に土を付ける結果となった。マルキーニョスを欠く鹿島は明らかに攻撃の精度を落としていたが,松岡,近藤といった神戸の若手DFの頑張りにも見るべきものがあった。
帰りの地下鉄の中で,ヴィッセルのレプリカを着た小学生が父親に「今日の神戸はまぐれ?」と尋ね,父親が「新しい監督(三浦俊也)は,札幌を救えなかったけど,神戸の選手は守備的な戦術にフィットしているみたいだから,強くなるかもね」と答え,子供が「金(怪我から復帰したボランチ)も見違えてたしね」と受けるという,なかなかに高度な会話が交わされているのが聞こえた。
日本のあらゆる場所でサッカーは行われ,語られ,そして少しずつ強くなっていってる(はず)ことを,実感した熱帯夜だった。
それまで巨人一筋だった道産子のファン意識が変わり,日ハムが名実共に札幌に定着したことは真に喜ばしいことである一方,サッカー専用競技場という道を放棄せざるを得なくなったことで,失ったものも少なくないはずだ。そういう意識がずっと私の中にあった。それがどのくらいの損失だったかを見積もるためには,やはりサッカー専用競技場を体験してみる以外にない,と思い定め,灼熱の甲子園で沸騰した翌日,ヴィッセル神戸の本拠地であるホームズスタジアム神戸(旧愛称:神戸ウイングスタジアム)に行ってきた。
地下鉄海岸線に乗って和田岬駅で降りて歩くこと15分。スタジアムについて最初に目を奪われたのは,バックスタンドとホーム側ゴール裏を覆う,コンクリートと鋼製アーチの屋根が織りなす曲線の美しさだった。W杯開催時にはゴール裏の屋根はなく,仮設のスタンドが後ろに延びていたはずだが,開閉式の屋根を設置した時点で出現した巨大な人工の構造物は,正に「W杯の遺産」と呼ぶに相応しい威厳と都会の風景にマッチした優美さを湛えてそこにあった。
スタジアムに入ると,早速観客席とピッチとの距離を確かめるべく,一番ピッチに近い席まで降りてみた。そこでのピッチまでの距離は10m弱だったと思うが,正直なところ,札幌ドームのバックスタンド側で一番ピッチ寄りの席との距離(約15m)と,さほど違いがあるとは思えなかった。これは意外だった。観客席の高さや傾斜の違いにもよるのかもしれないが,一概に札幌ドームにおけるサッカー観戦状況を嘆くのは,フェアとは言えないのかもしれないと感じただけでも収穫はあった。
その他で特に目に付いたのは,ピッチの状況だった。ピッチ状況が改善されなかったことから,秋に予定されていた日本代表戦を返上した大分と同様に,開閉式の屋根を持つこのホムスタも,良好なピッチ状態の保持に悩んでいることは明らかだった。
状態の悪い部分をまとめて張り替えているようだったが,いたる所,まるで子供が破いた障子に継ぎを当てているかのようなパッチワーク状になってしまっており,案の定,継ぎ目の部分で何度もボールがイレギュラー・バウンドしていた。
屋根の陰にはなりにくいため,日照に関してはそれほど問題がないと思われる北側のピッチですら,かなりひどい状況になっていたところを見ると,原因は日照だけではなく,風通しや熱気の籠もり方にもあるのかもしれない。せっかくの施設を活かすための最大のポイントであるだけに,少しでも改善されるよう研究の進捗が望まれる。
全体的に最も印象的だったのは,何と言ってもスタジアムに詰めかけた人の多さだった。スタジアム前の広場に多くのテントや屋台が出ており,そこでグッズを物色したり,食べ物を買ったりしている観客の多くは家族連れと,チーム単位で観戦に来ていた子供たちの姿だった。勿論首位を走るスター軍団,鹿島との対決ということも大きかったとは思うが,客層を観る限り,平日開催にも拘わらずこれだけ集客出来た一番の要因は,「夏休み」だったのではないかと思わされた。
多くのJチームから反旗を翻されていることにも懲りず,秋春開催に執念を燃やす日本サッカー協会の犬飼会長は,この日集まった17,432人の多くを占めていた家族連れや子供たちにとっての「真夏の娯楽」という側面をどう捉えるのだろうか。
試合の方は,開始直後に大久保が決めた「スミ1」ゴールを神戸守備陣が死守して,首位に土を付ける結果となった。マルキーニョスを欠く鹿島は明らかに攻撃の精度を落としていたが,松岡,近藤といった神戸の若手DFの頑張りにも見るべきものがあった。
帰りの地下鉄の中で,ヴィッセルのレプリカを着た小学生が父親に「今日の神戸はまぐれ?」と尋ね,父親が「新しい監督(三浦俊也)は,札幌を救えなかったけど,神戸の選手は守備的な戦術にフィットしているみたいだから,強くなるかもね」と答え,子供が「金(怪我から復帰したボランチ)も見違えてたしね」と受けるという,なかなかに高度な会話が交わされているのが聞こえた。
日本のあらゆる場所でサッカーは行われ,語られ,そして少しずつ強くなっていってる(はず)ことを,実感した熱帯夜だった。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 高校球児の聖... | Black Uhuru「... » |
コメント |
コメントはありません。 |
コメントを投稿する |
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません |