「連続ドラマの女王」と言われた時代を過ぎて久しい天海祐希が,今季復活を賭けて臨んだ新作だが,既に打ち切りが決まった日テレ「クレオパトラな女たち」の視聴率を第7回目にしてとうとう下回る(同一週の数字で)という結果となってしまった。
数日前の朝日新聞の読者の質問コーナーでは,「元気が出るドラマ」と好意的な評価を受けていたようだが,その内容も「数字が取れない」という現実を糊塗するまでには至らない,というのが私の感想だ。
宝塚出身の天海に古今東西の名曲を歌わせ,鄙びた田舎の女性をメインとする日本版「glee」に,ママさんコーラスに材を得た立川志の輔の新作落語で,後に映画化およびTVドラマ化された「歓喜の歌」のテイストを少しだけ加える。ドラマの趣意書だけを見れば,もしかすると化けるかもしれない,という気配は漂っている。
実際,上述した新聞で取り上げられているように,和田アキ子から赤い鳥,山口百恵らに至る選曲は,無難ながらも幅広い世代の支持を得られる可能性を秘めたもので,これで「glee」出演者並の歌唱力とステージにかける予算と演出力とアレンジに関するアイデアさえあれば,「歌謡ミュージカル・ドラマ」という新しいジャンルを確立するチャンスくらいは芽生えたかもしれない。
そうはならなかったのはまことに残念だが,問題は肝心のミュージカル・シークエンスの脆弱さだけにあるのではない。
福原美穂や片瀬那奈といった,一皮むければ面白くなりそうな役者を起用しながら,どちらも実に紋切り型なキャラクターに押込んでしまうことで,単なる背景に貶めている脚本(吉田智子)の平板さも責められるべきだろう。
更に「glee」において,物語を動かす原動力の一つになっているシュースター先生とスー先生の軋轢は,本作ではコーチとキャプテン的役割を割り振られた主婦(石田ゆり子)に置き換えられているのだが,これがまた緩い。石田の優等生ぶりを,完膚なきまでに笑いのめす程はじけるパワーが,天海の役からは感じられないのだ。
すべて「glee」と比較してしまうのもどうかとは思うが,「宇宙人ポール」でも笑わせてくれたジェーン・リンチ扮するスー先生の強烈なキャラクターの再現を天海に期待するのは無理とは判っていつつも,無い物ねだりをしてしまう「glee」ファンを納得させられるだけのフックが見当たらないのは,やはり後発ドラマとしては致命的だ。
いつまでたってもドラマの本筋に絡めず,浮いたままの玉山鉄二が痛々しい。
数日前の朝日新聞の読者の質問コーナーでは,「元気が出るドラマ」と好意的な評価を受けていたようだが,その内容も「数字が取れない」という現実を糊塗するまでには至らない,というのが私の感想だ。
宝塚出身の天海に古今東西の名曲を歌わせ,鄙びた田舎の女性をメインとする日本版「glee」に,ママさんコーラスに材を得た立川志の輔の新作落語で,後に映画化およびTVドラマ化された「歓喜の歌」のテイストを少しだけ加える。ドラマの趣意書だけを見れば,もしかすると化けるかもしれない,という気配は漂っている。
実際,上述した新聞で取り上げられているように,和田アキ子から赤い鳥,山口百恵らに至る選曲は,無難ながらも幅広い世代の支持を得られる可能性を秘めたもので,これで「glee」出演者並の歌唱力とステージにかける予算と演出力とアレンジに関するアイデアさえあれば,「歌謡ミュージカル・ドラマ」という新しいジャンルを確立するチャンスくらいは芽生えたかもしれない。
そうはならなかったのはまことに残念だが,問題は肝心のミュージカル・シークエンスの脆弱さだけにあるのではない。
福原美穂や片瀬那奈といった,一皮むければ面白くなりそうな役者を起用しながら,どちらも実に紋切り型なキャラクターに押込んでしまうことで,単なる背景に貶めている脚本(吉田智子)の平板さも責められるべきだろう。
更に「glee」において,物語を動かす原動力の一つになっているシュースター先生とスー先生の軋轢は,本作ではコーチとキャプテン的役割を割り振られた主婦(石田ゆり子)に置き換えられているのだが,これがまた緩い。石田の優等生ぶりを,完膚なきまでに笑いのめす程はじけるパワーが,天海の役からは感じられないのだ。
すべて「glee」と比較してしまうのもどうかとは思うが,「宇宙人ポール」でも笑わせてくれたジェーン・リンチ扮するスー先生の強烈なキャラクターの再現を天海に期待するのは無理とは判っていつつも,無い物ねだりをしてしまう「glee」ファンを納得させられるだけのフックが見当たらないのは,やはり後発ドラマとしては致命的だ。
いつまでたってもドラマの本筋に絡めず,浮いたままの玉山鉄二が痛々しい。