佳作「魔法にかけられて」のエイミー・アダムスが出ているディズニーもの,という情報だけで劇場に駆けつけたのだが,公開1週目にも拘らず定員250人の劇場に観客は7人ほど。1970年代に一世を風靡した本作の主役マペッツたち同様に,ここ日本で「ディズニー」ブランドに翳りが出てきた結果なのかどうかは定かではないが,まことに寂しい出足になってしまったことだけは間違いない。
だがそんな興行とは裏腹に,作品のクオリティは高い。予定調和の安定感と原色が氾濫する画面の賑わいを求めるディズニー・フリークにとっては,最高のプレゼントとなるだろう。
負け犬が一念発起して団結し,思いもよらない大仕事をやらかす。古くは黒澤明の「七人の侍」に始まり,ハリウッドにおいては「がんばれベアーズもの」と括れるタイプの作品だが,大団円のハッピー・エンドに向けて負け犬チームがハードルを乗り越える姿には,大向こうから「よっ,待ってました!」という声の一つも聞こえてきそうだ。
人間側の主役を務めるジェイソン・シーゲルがニコラス・ストーラーと共同で書いた脚本の核は,マペッツ・チームの復権物語にシーゲルとアダムスのロマンスを絡めた実にオーソドックスなものだ。だが随所にミュージカルやディズニーものに付きものの「お約束事」をからかうエピソードをまぶすことによって,老舗料亭ではなく,フレンチの店で作った彩り豊かな松花堂弁当というテイストになっているところがミソ。
冒頭,田舎町の大通で繰り広げられる町民総動員のダンスシーンが終わって,主人公のカップルとマペットのウォルターが旅立った後,踊り疲れたダンサーたちがその場にくずおれるシーンや,バスで通りかかった聖歌隊がBGMを歌うシーンのツイストは,実にスマートで楽しい。
そんな笑えるエピソードの中でも最も捻りが利いていたのは,カエルのカーミットがTVのプロデューサー(クインシー・ジョーンズの娘ラシダ・ジョーンズ,好演)からTV番組への出演のために「有名人を司会に据えること」という条件を出されたため,次から次へと有名人に電話をかける場面で,カーター大統領の次にメモにバツ印をつけた相手が,マペッツと同時期に人気絶頂だった「モリー・リングウォルド」というショット。「あの人は今どこに?」的な興味を喚起させる役者と落ちぶれたマペッツをダブらせるという高度な業には笑わされ,同時に唸らされもしたのだが,洒落として見ると相当にきついのも確かだ。
そんなコアな業をあちこちに仕掛けた作品が,日本のディズニーファンの子供たちや女性層に浸透することなく消えていくのは,ある意味,致し方のないことなのかもしれない,と観賞後時間が経った今ではそんな感想を抱いている。
ただジャック・ブラックやアラン・アーキンにウーピー・ゴールドバーグ,更には(私には判らなかった)FEISTなどのカメオ出演も含めて,珍しい「ディズニーのカルト作品」として密かに愛されていく可能性はありと見た。でもたとえそうなっても,松坂慶子や名取裕子的な「巨大化」の萌芽が認められるアダムスの,ヒロイン的扱いをされる最後の作品としても貴重だ,と後々言われることだけは,ありませんように。
★★★☆
(★★★★★が最高)
だがそんな興行とは裏腹に,作品のクオリティは高い。予定調和の安定感と原色が氾濫する画面の賑わいを求めるディズニー・フリークにとっては,最高のプレゼントとなるだろう。
負け犬が一念発起して団結し,思いもよらない大仕事をやらかす。古くは黒澤明の「七人の侍」に始まり,ハリウッドにおいては「がんばれベアーズもの」と括れるタイプの作品だが,大団円のハッピー・エンドに向けて負け犬チームがハードルを乗り越える姿には,大向こうから「よっ,待ってました!」という声の一つも聞こえてきそうだ。
人間側の主役を務めるジェイソン・シーゲルがニコラス・ストーラーと共同で書いた脚本の核は,マペッツ・チームの復権物語にシーゲルとアダムスのロマンスを絡めた実にオーソドックスなものだ。だが随所にミュージカルやディズニーものに付きものの「お約束事」をからかうエピソードをまぶすことによって,老舗料亭ではなく,フレンチの店で作った彩り豊かな松花堂弁当というテイストになっているところがミソ。
冒頭,田舎町の大通で繰り広げられる町民総動員のダンスシーンが終わって,主人公のカップルとマペットのウォルターが旅立った後,踊り疲れたダンサーたちがその場にくずおれるシーンや,バスで通りかかった聖歌隊がBGMを歌うシーンのツイストは,実にスマートで楽しい。
そんな笑えるエピソードの中でも最も捻りが利いていたのは,カエルのカーミットがTVのプロデューサー(クインシー・ジョーンズの娘ラシダ・ジョーンズ,好演)からTV番組への出演のために「有名人を司会に据えること」という条件を出されたため,次から次へと有名人に電話をかける場面で,カーター大統領の次にメモにバツ印をつけた相手が,マペッツと同時期に人気絶頂だった「モリー・リングウォルド」というショット。「あの人は今どこに?」的な興味を喚起させる役者と落ちぶれたマペッツをダブらせるという高度な業には笑わされ,同時に唸らされもしたのだが,洒落として見ると相当にきついのも確かだ。
そんなコアな業をあちこちに仕掛けた作品が,日本のディズニーファンの子供たちや女性層に浸透することなく消えていくのは,ある意味,致し方のないことなのかもしれない,と観賞後時間が経った今ではそんな感想を抱いている。
ただジャック・ブラックやアラン・アーキンにウーピー・ゴールドバーグ,更には(私には判らなかった)FEISTなどのカメオ出演も含めて,珍しい「ディズニーのカルト作品」として密かに愛されていく可能性はありと見た。でもたとえそうなっても,松坂慶子や名取裕子的な「巨大化」の萌芽が認められるアダムスの,ヒロイン的扱いをされる最後の作品としても貴重だ,と後々言われることだけは,ありませんように。
★★★☆
(★★★★★が最高)