子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「わたしは最悪。」:最悪の向こう側で私を解放したら,時間も止まった。

2022年07月13日 23時11分39秒 | 映画(新作レヴュー)
「ノルウェー人の女性」と言われて真っ先に思い出すのは,国連でSDGsの基礎となる報告書をまとめ,WHO事務局長も歴任したブルントラント首相。皆が皆,彼女のような傑出した人物であるとは限らないまでも,ヨアキム・トリアーの新作「わたしは最悪。」の主人公ユリアのように,自分の感情や思考の指し示すところへ自由に羽ばたいていく,というイメージは根強くある。何せ,元々は囚人に対する刑罰から始まったという説もあるスキーのジャンプ発祥の地で,「女にも門戸を開くべき」と主張して競技化に漕ぎ着けたチャレンジャーを生み出したお国柄。「やりたい」と思ったことに,危険を承知で挑戦することに価値を見出すという点で,ユリアは見事なまでに立派な「ノルウェー人」であり,その姿を様々な手法を駆使して描き出したトリアーの手腕は,間違いなく「K点」を超えるものだ。

冒頭の,黄昏の光の中,タバコを指に挟んで所在なさげに佇むユリアを捉えたショットが,医者でもなく,カメラマン(改めパーソン)でもなく,書店の店員にもなりきれない彼女のバックグラウンドを,完璧に描き出す。成功したコミック作家の恋人でありながら,前世紀のものとなりつつあるステレオタイプな「家庭的女性」に納まることをよしとしないユリアの「揺れ」が,笑いとスピード感溢れるつむじ風のようなエピソードを従えて描かれていく。

シークエンスによってまったく異なる表情を見せる主演のレナーテ・レインスヴェは,驚くほど軽重自在な演技で,ほぼ出ずっぱりの作品を支配する。元の恋人が余命幾ばくもないと知り,彼の元を訪れて旧交を温める一方で,冥土の土産とばかりに乳房を触ろうとする男の手をやんわり払いのけるという,まさに人生の悲喜劇を凝縮したシーンの鮮やかさは,レナーテの自然な演技があってこそ。その相方を務める二人の恋人のうち,やがて彼女に去られてしまうアクセル役のアンデルシュ・ダニエルセン=リーの,ライアン・ゴズリングから油を抜いたような受けの演技も,オスロの澄み切った冷たい空気を渋く温める。

作品の中のハイライト,ユリア以外の全てのものが静止した空間を,軽やかに駆け抜けるシーンは,フィルムで撮影されたという独特の柔らかい画質も相俟って忘れがたい輝きを放っている。ジェンダーに関わらず「私の人生どん底」と感じているすべての人に薦めたい。
★★★★☆


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