子供はかまってくれない

子供はかまってくれないし,わかってくれないので,映画と音楽と本とサッカーに慰めを。

映画「Girl/ガール」:痛みに耐えて生き抜く覚悟

2019年07月28日 17時09分30秒 | 映画(新作レヴュー)
バレエ・ダンサーになりたい男の子の成長を描いたスティーヴン・ダルドリーのデビュー作「ビリー・エリオット(邦題:リトル・ダンサー)」は、同じく男の子をもつ親として、図らずも親子どちらにも感情移入してしまい、決して容量は多くはないはずの涙腺が決壊する、という私としては稀有な体験をさせて貰った素晴らしい作品だった。マッチョな世界観が支配的な社会で、男の子がバレエを目指すという時点で、自動的に高く立ち上がってくる壁やハードルをどう乗り越えて行くのかという物語に、家族の葛藤という視点を加えたダルドリーの目論見は見事に成功し、子供の夢の実現のためにスト破りをする父親の俯いた顔を見た瞬間に、私の涙腺はいとも簡単に崩折れたのだった。
ベルギーの新人監督ルーカス・ドンの,同じく長編デビュー作となる「Girl/ガール」もまた、バレエに打ち込む(生物学的に)男の子を描いた作品だが、「ビリー・エリオット」と大きく異なるのは、主人公のララがトランジェンダーであるという点だ。

作品の全編を支配するのは,ララを襲う「痛み」の感覚だ。
トゥーシューズを脱いだ時に露わになる包帯に滲んでいる血は,おそらくバレエの世界で生きていこうと決心した者全てに課される試練なのであろう。しかしララが稽古の前に股間を覆うテープを,稽古が終わって剥がす時の音は,希望の実現のために必要な代償というには,あまりにも残酷なものだ。そしてララが最後の決断をして,ハサミを使った後に喉の奥から絞り出される声には,エンドロールが終わってもまだ劇場の中にこだまとなって残っていたように感じるほどの強靱な怒りが宿っていた。それはトランスジェンダーとして生まれたララが,そういった存在を自明のものとして受け容れるにはまだ時間を要する社会の中で生きていかざるを得ない運命に抗う,命の叫びそのものだった。

悲痛としか言えない物語のダークサイドの振れ幅は,ララが打ち込むダイナミックな踊りが内包するエネルギーによってより増幅されている。その一方で「ビリー・エリオット」と同様に,息子(娘)の希望を叶えるために全霊を傾ける父親の深い愛情が,ダークサイドのクッションになっていたが,それがなければ最後まで観終えることは出来なかったかもしれない。
大きな決断を経たララの笑顔で締め括られる物語を演じきった,シス・ジェンダーであるというビクトール・ポルスターの未来に幸あれ。
★★★
(★★★★★が最高)


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