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The Doobie Brothers「Stampede」:今となっては誰も省みないバンドの分水嶺

2008年08月29日 20時53分14秒 | 音楽(アーカイブ)
今やすっかり人の口の端に上ることもなくなったドゥービー・ブラザーズではあるが,70年代に青春を送ったロック好きの中には,その名前を聞いてちょっと気恥ずかしくも甘酸っぱい感傷に浸る人も多いのではないだろうか。
巷で話題のおじさんバンド愛好者の中には,嫌がる子供や新入社員達に無理矢理LP版を聴かせている「隠れドゥービー」ファンも少なからずいるのではないかと推測される(いるのかっ?)が,彼らは私の高校時代の同級生がコピーに命を燃やしていた「Long Train Runnin'」や「China Grove」が入っていた「The Captain and Me」を褒め称える派と,マイケル・マクドナルド加入後の大ヒット作「Minute By Minute」を推す派の二つに分かれるような気がするのだが,どうだろう。
まぁ,当然「そんなことは,どうでもよい。それよりガソリン下げて給料上げろ!」と言う派が圧倒的に多いだろうことは承知の上で,私はここで敢えて(全く意味のない使命感に燃えつつ)その中間に位置する「Stampede」を挙げておきたい。

前作までバンドの要として,作曲,ギター・ソロ,そしてリード・ヴォーカルの大部分を担っていたトム・ジョンストンが後ろに退き,替わってパット・シモンズとスティーリー・ダンから加入したジェフ・バクスターという二人のサブ・ギタリストが主導権を握って制作されたドゥービー・ブラザーズの第5作。古式ゆかしいロックファンから支持された前期の作品と,AORの旗手に祭り上げられ都会生活のBGMとして愛された後期の作品との過渡期に発表されたのは,今から思えばパンク前夜となる1975年だった。「あれから33年という長い歳月にも拘わらず,若いロックファンに愛され続け」という訳には残念ながら行かなかったようで,今では歴史の表舞台から,何の痕跡も残さずに消え去ってしまったように見える。

確かにこれといったヒット曲もなければ,前々作のようにキャッチーなメロディを持った曲もなく,さりとてマイケル・マクドナルドの洗練された(ように聞こえる)柔らかい声も入っていない。分かり易い「売り」はないかもしれない。
しかし私が高校1年生の時に愛して止まなかったこのアルバムには,ライ・クーダーが見事なスライド・ギターを聴かせる「Rainy Day Crossroad Blues」があり,カーティス・メイフィールドが弦とホーンのアレンジを手掛けた豪快なナンバー「Music Man」がある。
どの曲でも,名匠テッド・テンプルマンが好き勝手に遊んでいるとしか思えない,音像定位がバラバラのツインドラムとトリプルギターで作り上げた,妙に捻れた空間を楽しむことが出来る。

そして「I Cheat The Hangman」がある。静かなギターのアルペジオで始まるパット・シモンズ作のこのバラッドには,アメリカン・ロック・ミーツ・プログレッシブ・ロックとも言うべきゴッタ煮感覚が横溢している。何も土煙舞う米国中西部の原野に,わざわざクリムゾン・キングの宮殿を建立しなくても,という展開に,誰もが虚を突かれるに違いないトンデモ感は,今聴いても新鮮だ。コーラスで参加しているマリア・マルダーの名も嬉しい限り。
スティーリー・ダンが「Aja」に行ってしまう前の「幻想の摩天楼」に最も愛着を感じているのに近い感覚で,私は今もこの大仰なコーラスを楽しんでいる。常に「洗練」が勝者になるとは限らないのだ。


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